はてなキーワード: 帰省ラッシュとは
帰省したくない。
と言っても私は旦那の実家に帰りたくない妻ではない。普通の学生です。
年末年始は毎年母親の実家に家族総出で帰省している。もう生まれた時からそうしていたからなんの疑いもなく毎年行っていたが、ここ最近はその行事が急に嫌になっている。
まずうちの家から母の実家までは車で4時間半ほど。年末年始の帰省ラッシュで高速が渋滞するのでもっとかかるときもある。父や兄弟の運転で実家に向かう。
到着するとド田舎。母の実家の周りには畑以外本当に何もなく、民家すらぽつぽつといった状態。
親戚はほぼ全員男で母以外話し相手がいない。だがその母は久しぶりに会う自分の家族や親戚と話すため私はほったらかし。暇。
そのくせやれ女が座ってちゃいかんとか手伝いをしろとか彼氏の1人でも連れてこいとか学校はどうだとか進路はどうするんだとかもう酔っ払った親戚に絡まれる絡まれる。仕方ないので集まりを避けて別室でテレビを見ていたらせっかく親戚が集まってるのに本当に空気が読めないのね!と散々叱られた。(もう成人しているのに……)
あまりにも暇なので持参した本を読んでいたら目が悪くなるぞ!と言われたりもする。絡み方がいちいち返答に困る感じなので愛想笑いで誤魔化したら○○(私の名前)最近冷たくない?とまた絡まれる。
帰省したくない。
え?それだけの理由で?と思う人が大半だと思うが、自分の生活のルーティンが崩されるのは私にとってかなりつらい。実家で暮らしている以上親の言うことは聞かなければいけないのは重々承知なのだが、母以外ほぼ男の親戚(全員50代以上)たちと一斉にいつもと違う家でご飯を食べたり同じ部屋で寝たりするのが苦痛だ。今年のお盆は先約があったので帰省を回避できたが、それのおかげでより親戚が帰省しろとハッパをかけてくる。
今年は12月30日から帰省するそうなので、29日くらいから家出をしようか悩んでいる。多分母親が怒り狂って殴り倒してくるからしないけど。
先約というのは私が半年ほど前から楽しみにしていたライブです。母はキャンセルしてでも実家に行くぞ、と怒っていたのですが泣いて説得してなんとか帰省を回避しました。ただこのときもかなり難航したのでもう同じ手は使えないと思います。
親には自分がこういう点がつまらない、苦痛だということを説明しているつもりなのですが、母親は実家が大好きなので全く理解してくれず、年末年始は家族で過ごすものだ!と言って聞きません。腰が悪く車での長時間移動がつらいことも話したのですが私よりも健康な母は我慢しなさいと言ってそれきりなので、もう何を言っても無理そうな気がします。
教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。
経営者や管理職が自己や組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。
桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人の時代に再び戻された。
今でも、兵士と民間人を区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しかし現実には、民間人は普通に兵士として使われる。
「大東亜戦争」では、通称「赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵。軍事工場を普通に空爆しても、そこで非戦闘員が労働している。学徒動員とかいうのは、職業・学生を軍事産業に就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾で空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである。
全国民が一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)、一般人を犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織の論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代の戦争までさ。
前近代の戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道を知行するという補填が行われている。そうして大名が移住して開拓したり、下級士族が屯田兵に転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。
絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人はビビったんだが、ビビったからなおさらに無差別に殺戮してきたさ。そいで、広島と長崎は原爆の実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞を捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。
歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会の歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公の時代から変わっていないしな。丁稚奉公の時代だから未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日を国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑
景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得や雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。
ちげえんだよ。
百貨店だってスーパーだってコンビニだって、システム屋だってなんだって、正月やったら儲かるんだったら、やればいいし、やっても儲からないんならやめりゃいい。
それだけなんだよ。
正月はみんなで休まなきゃいけないから、年末進行でメチャメチャ忙しいとか、アホの極みなんだよ。
で、みんなでいっせいに休むもんだから、道路は混むわ、飛行機は高いわ、どこいっても混んでるんだろ?
休み確保するために、その直前の仕事はドタバタして、休みに入ったら移動も遊びも人ごみで疲労困憊して、何のための休みだよ。
盆と正月はみんなで一緒に休みましょうって、お前らの嫌いな「日本人の同調圧力ガー」ってヤツじゃねえの?
正月だって盆だって、働きたいやつは働けばいいし、働かせたい企業は働かせりゃ良いんだよ。
その分、ちゃんと別の期間に休み取れれば、なんの問題もないんだよ。
オレ様はここ数年、盆と正月は率先して働いて、世間が働き始めたころあいを見計らって海外バカンスだぜ。
なに?
お前は嫁も子供もいないから休み合わせる必要がないし、どうせ盆正月に帰省したって会う友達もいないから、そういうことがいえるんだろうって?
実際に その帰省ラッシュの新幹線に乗ったけど、まぁぼちぼちだよ。指定席だったけどな。
この時期は大半は指定席をちゃんととってる。そして、指定席が満席ぐらいは普通だろ。
実際に 乗ってもいない、 その状況に出会ってもいない人間が 憶測と伝聞だけで物事を語っている方がよっぽど変な国だよ。
1日に何十本て言う新幹線が走っていて、何千人?っていう人が乗っていて その中に たまたま1人ぐらい チッっていうやつがいるだろうが 極論じゃね?
重箱の隅をつついてるだけだと思うよ。 もちろん子供もお年寄りも学生らしい人もいろいろいたけど、当たり前に譲り合って乗ってたよ。
当たり前の話だけど、きちんと前もって予定して、指定席を取るヤツのほうが大半だよ。だから指定席が満席になるんだろ。
全体の1割2割が そういう奴だというのなら話はわかるが たった1例が なんでこんな大騒ぎになってるの?
私には不可解なのだが、そもそも、年末年始の帰省と称してこれほどまでの数が大挙して民族大移動するのはなぜなのだろうか。新幹線に子どもを乗せること以前に、新幹線の乗車率が異常。
この国は人多すぎであるうえに、横並びでみんなして形式的に同じ行動をとる。それは気色悪いとさえ思える。
時期をずらして休暇がとれないのか? もっと長い期間にわたって休暇がとれないのか? どこもかしこも西暦の1月1日にあわせて里帰りだのなんだのをしなければならないのか?
そもそも、どうしてこれほどまでに多くの者が、(おそらくかなり多くが)東京近辺に出稼ぎに来ているのだろうか?
帰省ラッシュと呼ばれるもののみならず、毎朝晩の満員電車も異常。
電車に子どもを乗せることがどうこうとかいうような瑣末な議論をしていてもはじまらないだろう。
電車に乗せてはイカンと言うならば自家用車なのか? それはもったいない。資源のムダだし、道路が渋滞している。
ことごとく不経済でムダなことばかりしているのだが、自覚がないのだろうか? それとも、直す気がひとりとてないのだろうか? お上がすることで自分にはかんけーないとでも言うのか?
意味のないことに気が付かないことに対していらだつわけでして、困ったものです。
ということで、対策を考えてみました。
・赤ちゃん乗ってないけど、「赤ちゃんが乗っています」ステッカー
・「slow moving vehicle」って書いたステッカーを貼る(ステッカーには、日本では何の根拠も効果もない。)
・「極真」という毛筆体のステッカー(特定の団体とは関係ありません)
・空力的な意味はないけど、リアウイングを付けて車高を落とす(多分うちらの仲間と認識されたらあおられません)
・一時停止はしっかり停まる
・信号は守る
・混んでるショッピングセンターとか駅とか繁華街にはいかない
・帰省ラッシュと逆の行動を取る
視野から見えている範囲でしか考えていないから、仕方がないと思います。
こーゆー面倒で理不尽なやつらに出会いたくないから、田舎から出るのであり、都会では学歴や階層で壁を作りたくなるのだろうなと最近の流行の話題に引っ掛けてみる。
もはや試すまでもなく「都内は電車で行くもの」という認識になってしまう。
なので、車の移動で北関東から中部・関西方面へ行こうとすると一大事だ。
何しろちょっと前までは、クソ混んでいる都心の首都高を経由するのが当たり前だったのだから。
もちろん今は横のつながり、即ち各種環状道路・横断道路がようやく整備されてきて、それらの活用次第となっている。
具体的には首都高中央環状線(C2)、外環、圏央道、北関東道など。
しかし、予算やら工事難易度の都合やら交通需要やらで先送りにされている区間があるわけで。
それだけでなく、常磐~東北なんて2車線しか予定されていない(他区間は3車線)。
まあでも仕方ないかも、とも思う。
実際問題、つくばから久喜や鶴ヶ島に行くとして、圏央でも外環経由でも所要時間に大した違いはないと思われる。
というのも、常磐道が大きく東に向かって伸びているからで、恐らく30分も違わないのでは?という感じ。
それから常磐~東北の区間は、元恋人と遊ぶ関係でよく工事予定区間の地域に行ってたけど、あんな田んぼとススキ野原しかない場所に高速道路を通した所で、典型的な田舎高速になるのが目に浮かぶ。
そして北関東北部在住者なら北関東道が第一選択だろうし、東北・常磐~東名・中央はC2使えって話だろう。北に行くなら磐越も候補かな。
あとは東北~関越だけど、上越新幹線に国道17号に高崎線と、日本の動脈にカテゴライズされるルートと、それを取り囲む住宅密集地域を横断する工事が予定通りに捗る筈もなく。
ただこの区間(久喜~鶴ヶ島)に限れば、常磐と違って東北・関越の両路線がほぼ平行に走っていることもあって、所要時間に有意な差が出ると思う。
まあでも東名・中央方面からの車はともかく、常磐・東関東からだと茨城県区間が開通するまで使う機会ないんだけどね。
つーわけで外環でいいだろと言われればその通り。
でもねえ、関越の埼玉区間って交通量が多い上に無駄に起伏があって、常磐とかに比べてえらい走りにくいのだ。
それこそ冬の週末や夏の帰省ラッシュで、渋滞や事故が起きまくるのは当たり前だろって思う。
駅名、日付、混雑率などは適宜入れ替えてお使いください。
東京駅の新幹線ホームでは、ふるさとへ向かう家族連れなどで混雑しています。
○日の東京発の下り新幹線の指定席はすべて満席で、自由席の乗車率も140%と混雑しています。
××の実家へ帰省する40歳の男性は、「ふるさとでゆっくりと両親と過ごしてきたいです。」と答えていました。
また、△△へ帰省する7歳の女の子は、「おじいちゃんに早く会いたいです。」とふるさとへ帰るのが楽しみな様子でした。
JR各社によりますと、この帰省ラッシュのピークは○日で、明日まで続く見込みです。上りのピークは○日で、翌○日まで続くとのことです。
仙台駅の新幹線ホームでは、ふるさとから首都圏などへ向かう家族連れなどで混雑しています。
○日の仙台発の上り新幹線の指定席はすべて満席で、自由席の乗車率も140%と混雑しています。
千葉市の35歳の男性は、「ふるさとでゆっくりできました。明日への活力になります。」と答えていました。
また、さいたま市の8歳の男の子は、「おじいちゃんと遊んで楽しかったです。」とふるさとでの思い出を話してくれました。
JR各社によりますと、このUターンラッシュのピークは○日で、明日まで続く見込みです。
「親戚に会うのが面倒です」
「実家に帰ると嫁の機嫌が悪いです」
2011年12月31日、僕の父方の祖父、父の父が亡くなったと田舎から連絡が入った。
葬儀は三が日が明けた4日になるそうだ。父の田舎の風習で、先に火葬を行うとのことで、火葬を3日、葬儀を4日に行う予定だ。
父は長男なので、当然喪主となるべきところなのだが、数年前に脳卒中をしており、言葉と体が不自由だ。
近しい親戚がいるので、その親戚が喪主をすることになる。本来は長男である父がすることであるのはわかっているのだが、
挨拶が満足にできない、歩くのも立ち上がるのにも時間がかかる父が、喪主のような忙しい役目は果たせない。
親戚が喪主を務めることには誰も反対しなかった。大晦日の時点で、祖母もそれを了承していた。
我が家は田舎から離れているので、2日には現地入りができるように移動手段・ホテルの手配をした。
ここでも本来ならすぐにでも駆けつけなくてはいけないのだが、31日はまだ帰省ラッシュであり、新幹線も飛行機も取ることができなかった。
ここからが問題なのだが、1日年が明けた頃に親戚から連絡があり、父は出席をしないように、と母が言われたのだ。
田舎では、脳卒中のような病気で障害をもつと、狐に憑かれたとか、祟られたと思われるというのである。
父が脳卒中をして体が不自由なことも祖父母は近所に話をしていなかったそうだ。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
実の息子である父が、障害を持っているからといって、葬儀に参加できない理由になるだろうか。
そりゃあアメリカだって創造論や神の存在を一般市民が信じているのだから、日本の片田舎の住人が狐の祟りを恐れていても不思議じゃない。
しかし、親の死目に立ち会えなかった父が葬儀に出れない理由にはならないだろう。
無理解ゆえの憤りを、これほど覚えたことはない。
もちろん親戚や祖母も、父には来て欲しい気持ちがあるのだ。それは分かっている。
だからこそ、世間の目のために葬儀に出席できないというのは、やりきれないのだ。
父は言葉が不自由だからか、葬儀に連れて行かないことを告げても何も言わない。
おそらく田舎の考え方が分かっているのだろう。しかし、葬儀に出たくないはずがない。
普通の家庭なら、親の葬儀にはなんとしても参加したいはずなのだ。どうかしている。
長男不在のまま、長男の息子として出席する。おそらく何かしらの役目を果たすこととなるだろう。
きっと会ったこともないような祖父の知り合いなどに、父は病気で来れない、とか嘘をつくだろう。
そう言うように、という説明を親戚なりから受けるのだろう。
どのような顔をして親戚や祖母に会えばいいのか、まったく分からない。