はてなキーワード: 夫婦円満とは
子供が生まれてからも夫婦円満なのって1割以下では?というポストを見た。
普段、所謂ママ垢界隈と呼ばれる所に生息しているけども、確かに愚痴と言うか、「いやそれは、父として夫としてというか、人間としてどうなの…」という話も結構な割合で耳にする。(夫側の目線がないから悪口成分盛り気味として、話半分に聞いたとしてもそれでもな、ってやつ)
(あるのか知らんが)パパ垢界隈行けば、逆の現象が起こってるのかも知れん。
ク〇嫁エピソードが並んでるのかも知れん。
悪しざまに言うほどじゃないなー。
お互い様な部分あるしなー。
不満も多少あるけど感謝してるよー。
ぐらいなさ。まあ円満、みたいな感じにはならない?
なんでそんな仕打ちを受けてんの?えっこわい、なエピソードが頻繁にかついろんな人から出てくる。
そういうとんでもエピソードを聞くたびに、うちの夫は神か?天使か?もしかしてとんでもないSSRなんか?と考える。
いやそんなことはない。そういう人が大多数の普通であって欲しい。きっとそうだと信じたい。
暇空なんかより石丸よりこういう人間こそが相手していてイライラする。
はっきり言えば人間のクズだと思う。
段々嫌になってきた
罪悪感が湧いてきた
…と考えるとどうかな、
という気もする
少し抵抗がある
たまに不安になるよ
本当に語尾が全てこんな感じ。
「私は私の責任においてこう主張する!」と言い切る箇所が一つもない。
その感情も「自分が主体的にこう感じる」ではなく「こう感じさせられた」と言わんばかり。
「あ、この人と話するの無駄だな」
「あ、この人は話し合いにならないタイプだな」
ってわかる。
心のどこかで「これって普通の家じゃないよね」という思いがあって
なんだこの理由。
これがお前の主張の根拠?
「正常」 「異常」って何?
これさ、なんかデータを取って平均値がこうだとか中央値はこれですって言ってんですらなくて
お前一個人の気持ちや感じ方を超怠惰に正当化する方法として「普通」って言ってるだけだよな?
つまりお前の話って1から10までガキの様なナマの気持ちを垂れ流してるだけなのよ。
・ご意見 「どうかなーどうかなー」 「ちょっとどうかなと思うのも事実」!
・その心は? 「普通そうだし!」 「一般家庭ではそうだし!」
お前の相手してるとこっちの脳まで腐りそう。
知能が低すぎてちっちゃな子供みたい。
それで、今日も「晩ごはんはステーキにしよう」と夫に言われたので、
「流石に食べ過ぎじゃない?肉屋の人もびっくりするんじゃない?」と冗談っぽく伝えてみた
そしたら、「あーそんな嫌ならもういいよ、当分いらない、今日は一人で食いなよ」って不貞腐れてそのまま仕事に出かけていった
いつもこんな感じだ
夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る
お前の問題点は「献立に口をはさむこと」とは別の部分にあります。
おめーが反対するんだろ??ならおめーの意見としておめーの論拠で言えよ!!!
この「冗談っぽく伝えてみた」にはお前と言う人間の問題点の全てが出てるわ。
お前が盾突きたいならお前が気迫を固めて盾突くんだよ。
「冗談っぽく」ってなに?冗談て言葉の意味わかってる?お前のそれの何処に笑える要素があるの?
「伝えてみた」ってなに?言うか言わないか、自分の責任で気迫持って述べるってことが出来ないのか???
仮に本当に肉屋が「この客週4でステーキ食ってる!」ってびっくりしたとしたら、それがなんなんだよ。
話にならねえ。
どういう人生過ごしてきたら成人既婚者でこんな仕上がりになるのかなって不思議でしょうがない。
こんな何一つ自分の意思と論拠で「こうだ!」って言えない人間でも結婚できるの不思議だね。
折衝したり話あったりって能力が皆無で思考もボンヤリ口もボンヤリでも専業主婦さまでございますか。
ちなみに夫とは仲がいい方だ
違いますぅ。
お前の思考パターンと物言うパターンが死ぬほどムカつくカススタイルだからですう。
実際俺もお前に盾突かれたら「あーもういい」ってなるよ。
だって話になんねえじゃん。
お前が主体的に「私は今日どうしても寿司食いたいからステーキは却下!」 っていうなら話になるよ。
若しくはきちんと収入支出貯蓄額ライフプランをExcelにでもまとめて
「月にこれだけ貯蓄したいから食費は月幾らまでにしませんか!」っていうなら話になるよ。
でも全然じゃんお前。
言うこと全部フワフワで、何一つ思考がパキッとしてないバカ丸出しで。
「なんかー」 「どうかと思うのも事実ー」 「普通ー」 「一般ー」
責任逃れ口調ばっかり板について。
お前はそういう、相手に対して超失礼で話になんねえ態度を繰り返したことで
夫ですら「もういい」って回避するようになってるわけ、お前とのシリアスな話し合いを。
こんな人間的に全然尊敬できない話にならねえやつと夫が結婚したのは何故だろう?
お前の実家が凄い資産家とかでなければ、おまんこパワーに目がくらんだとしか思えない。
お前そのままでずっといけるつもりか?いつまで夫婦円満だろうな?
夫の「収入の浮き沈みが激しい自営業」ってのが既にそれほど普通じゃないし、
令和6年にもなって専業主婦の妻ってのも全然普通じゃねえんだよな。
なんて言われたら余計なお世話だろ?お前にはお前の事情がある。
なら夫の週4ステーキに反対する時も「普通は」なんて言葉だけは使っちゃダメだろ?
どうしてその程度のこともネットで関係ねえ奴に突っ込まれる前に自分で気付けないんだ?
お前がまともに相手されないのは当然です。
何故ならお前の思考スタイルとコミュニケーションスタイルが腐りきっているからです。
週4で同じステーキ食わせてくる異常者より100倍ストレスフルなのがお前です。
(本当にお前の気にしてることが家計ならね。そうじゃないようにも見えるが。)
これは一歩一歩やるしかない。
お前等って女が家庭の愚痴を垂れてたら100%同調して味方するよな。
でもさ、この女がバカなのって
もしくは「話になんねえからもういいよ」って見限られて
誰にも真面目に相手されないからこんな風になった部分もあると思わねえか?
ネットで顔も知らねえやつだからこそ言える直言暴言ってものもあるよな。
俺はどう考えたって俺の方がこの女に真面目に向き合ってると思うし
(2024/06/09 追記)
旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道を無視する車、政治家の汚職や不倫のニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚・改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなたの旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。
※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分の解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科の受診をオススメする。
この映画がきっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公も自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪。
この本が改善のきっかけ。特に学びになったのが 「評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。
評価とは、人間に良し悪しをつける行為。愚痴やネットでの誹謗中傷がそうだし、あなたの旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人を評価することは、相対的に自分を評価することになる。例えば、電車でマナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分がダメに思えて悲しくなるのは、勝手に自分も評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。
感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人に感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体が他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手のニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分の人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。
また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。
自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然と感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。
日記といっても毎日はしんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホにメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。
を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから、感情的な口論が減った。
アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)]
自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分もHSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。
わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果。自分も会社にアンガーマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句やイライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。
しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身の人生を最優先してくださいね。長文失礼。
それを見た夫はタイトル通りに言う。
私が不機嫌なのは食洗機が夫の担当だからだ。整理整頓、掃除全般が苦手な夫でも出来るように食洗機を買った。鍋やシンクを洗うのは私の担当だ。もちろんその他の掃除も全て私の担当だ。
鍋を洗いたいのに食器が溜まって邪魔なので、結局ほとんど私が食洗機を回すことになる。食器をセットするのは3分もかからないのに、無性に腹が立つ。
「言ってくれたらやる」が通用すると思っていること自体が許せない。
これを仕事に置き換えたら通用しないことくらい分かるだろう。自分の業務を放棄したあげく、業務に支障がでる同僚が代わりにやったら謝りもせずに「言ってくれたらやるのに」と言う。ダメだろ。自分に割り当てられた業務は誰に言われずともやるのが普通。それが何故か家事や私に対しては「言ってくれたらやる」が通用すると思っている。家事も私も舐めているとしか思えない。
実際に言う時もあるが、そうすると夫が不機嫌になって皿をガチャガチャ鳴らしながらやったりするのでそれも面倒だ。
先日バズった夫婦円満の秘訣に、「言葉で伝える」「相手を変えようとしない」とあったが、この2つはどう考えても対立するものだ。「言われなくてもやって欲しい」「言った時は不機嫌にならないで欲しい」と伝えるのは「相手に変わって欲しい」という欲求があるからだ。
私は数年の結婚生活で「人は変えられない」ことを痛感しているので、もう言葉で伝えることを諦めてしまった。
元々「他人に期待しない」をポリシーとして生きてきたが、それを夫婦関係に適応してしまうと、なんとも虚しく、一緒にいる意味を見失ってしまう。支えあっている感じがしない。