はてなキーワード: 人生の目的とは
具体的に言うと、まずは「俺は両親のことで劣等感をため込んだり思い悩んだりしない」という決心をした方が良い。
実際には縁を切るのも難しいだろうしつきあいはあっても良い。でも、それで色々苦痛を覚えなくても良い。俺だって苦しいのはいやだけどどうしても感じてしまうんだ! って思うかもしれないけれど、「もう感じない」って決心するだけでけっこう変わる。そもそも苦痛は増田の義務ではないし、そんな事で苦しむ必要はあなたにはない。別に増田が苦しんだって、増田も両親も含めて、世界中の誰も得なんてしない。
関係ないって思って良いんだ。そんな事で悩むのは俺の人生の目的じゃない、俺はそんな事はしないよって捨てて良いんだ。時間がかかるかもしれないけどすぐにでもこれははじめられる。
2番目のステップ。
大事な人とかありがたい人にはさっさとそれを言葉で伝えた方が良い。たぶんだけど増田の両親はそれがとてつもなく下手なのじゃないか。そしてそれは増田も同じ教育を受けている。そんな伝統はさっさと捨てて、自分のポジティブな感情はさっさと伝えた方が良い。とりあえず大事な人とかありがたい人には感謝を伝えるべき。
手始めに祖父母はどうだろうか。大学の時は援助してくれて非常に助かった。そのおかげでいまは安定した暮らしが出来ていると伝えるのが良いと思う。一度伝えたことがある手土産が無いと失礼とか距離が遠いとかそういうことじゃない。感謝や好意を伝えるのは相手のためじゃない。増田自身のリハビリのためにも意識してやるべきだ。
増田はしつけの良い普通の家庭に育った友人達の暖かさについて触れてるけれどそれは獲得不可能なものじゃない。彼らは子どもの頃からそういう感謝を自然にやってきて増田はスタートでちょっぴり出遅れただけだ。まだまだ人生の先は長い。ありがとうも言えないで壁を蹴り飛ばす中年になるのはとても不幸なことだ。孤独な老人になって余生を送るのは増田にとって先が長すぎる。
大事な人とかありがたい人に感謝を伝えられたら身近な人の日常のさりげない美点を探すと良い。「わざわざ探すのはなんか偽善っぽい気がする」かもしれないけれど、これはすべて訓練なのだ。自分のためにやってるんだ。偽善でも良いんだ。むしろ善悪とは関係なく、自分の将来を幸せにするために他人を利用させてもらってるくらいで良いんだ。相手の良いところを探して、なにかしてもらったら感謝の言葉を言うだけで良いんだ。その当人がいないところでも「あいつは、これこれこういうところが良い点で、実は目立たないけどこういう美点があるんだよ」って言って良いんだ。人間はそういう目で見れば増田の大好きだったゲームと同じくらい面白いんだ。ちゃんと歴史があっていろんな理由で動いてるし、それらは背後で繋がり有ってるし。
それに感謝は往々にして手遅れになる。言えるうちに言っておいた方が良い。次の機会はないことの方が多い。メール一本出すだけで良いんだ。たいしたものじゃなくて良いんだ。
三番目。増田は非常にコンプレックス持ってるしそれはすごくよくわかるんだけど、家族はもう一回作れるんだ。
だって、もし、悪い親子関係が遺伝のように、あるいは毒のように伝播して、増田が人を愛せない人間になっちゃって家族が作れないのだとすれば、確率的にみてとっくに人類は滅びてる。一回ダメな家系になったらその子孫は全部ダメなんて有るわけがない。
ここで言う家族は結婚をして子どもを産んでということには限らない。一緒の家に住んで隠し事が出来ない至近距離で人間関係を長期間維持できればそれで家族だ。それは、もう一回作れる。
最初っからハードルあげなくても良い。友だちとどっか遊びに行ったり旅行に行ったりとかでも良い。というか友だちじゃなくたって良い。同僚程度で言い。どうせ「どのラインから先が友だちか?」なんて設問に明確な答えを返せるやつなんかいやしない。後から振り返って「ああ、あの時俺らは友だちだったんだな」なんてよくあるし、社会人における友だちづきあいはそんなに親密でもべったりじゃなくてもあたりまえだ。
ともあれ、家族はもっかいつくれる。ステップ1とステップ2を5年続けてみてほしい。ぜひ。それらをやる前が思い出せなくなるくらい自然になったら、家族を作る準備が増田にはきっとできてる。いまから5年じゃ適齢期に間に合わないと思うかもしれないけれど、歩き出さなければゴールもない。増田は大学進学から世界が変わったんだとおもう。もう一回世界を変えても良い時期じゃないか。
家族って言うのは、それが悪い記憶であれば、スティグマのように残っていつまでも苦しめてくるけれど、上書きできないものじゃない。上書きしながら前に進むエンジンにもなり得る。
もちろんこの時代だから結婚や家族が人生のすべてではないと思うけれど、でも確かなのは、増田が家族の記憶にいつまでも苦しめられる必要はないって事だし、家族の記憶は新しい家族の記憶で上書きも祝福も出来るって事だ。
なんだか、非常に乱暴な記事になっちゃったけれど、似たような人生を歩いた年寄りの書き込みでした。望めば絶対幸せになれるよ。
君達はなんのために生きている?
やりたいこともなく、ただひたすら毎日適当にビジネスをしている。
金に困っているわけではない。
君達はなんのために生きている?
僕は今は人生の目的が持てない。
だって、金を稼いで好きなものを買ったり、好きな子と遊んだりしても心が満たされないからだ。
そもそも、趣味というものは見つけようとして見つけるものではないからだ。
君達はなんのために生きている?
僕は生きてればいつかは楽しいことがあるだろうと信じて生きているだけなのかもしれない。
たしかに、たまに楽しいことはあるが、それが過ぎるとすぐに脱力感が襲ってくる。
しかし、金は稼がなければならない。
君達はなんのために生きている?
金を稼ぐためには働かないといけない?
そんなことはない。
人に働かせて、自分は少し管理するだけで飯を食っていくぐらいの金はすぐに手に入る。
君達はなんのために生きている?
だって、人間がなんのために創造されたのかなど、誰にもわからないのだから。
じゃあ、僕たちはなんで生きている?
それは性欲という本能の結果、精子が卵子に結びついた偶然の産物として出てきただけのことだ。
これを単純に繰り返すためだけに産まれて来たのかもしれない。
しかし、それではつまらないから、人間は様々なゲームを考えた。
自分たちが作り出したゲームによって、自分たちが"ラク"で楽しく生きていけるように頭のいい方達が考案したのだ。
君達は優性層の駒なのか?
たしかにそうかもしれない。
この記事を読んでいる(書いている僕も含め)方達と優秀な遺伝子を持った家系の人間というのはケタ違いにIQが高い。
すでにそういった人間は自分たちが楽しく生きていけるようなルーティンを造り上げている。
もう、僕たちが手を出して壊せるレベルでは無い。
それはなぜか?
優性層が小さな幸せで満足するように世界を造り上げてきたからだ。
奴隷が手錠をずっとつけられているとどうなるか?
「自分の手錠の方が輝いてキレイだ。」とその枠の中で幸せを感じるようになる。
君達はなんのために生きている?
縛られた社会の中でも、一生懸命働き、家族を持ち、子供を成長させる。
この小さな幸せを見いだすために生きているのだ。
怖がるな。
そして、本当の幸せを手に入れるんだ。
「で、きみのやりたいことは何なの?」
わたしが就活生だと言うと、まるで世界中のひとが帳尻を合わせてるんじゃないかって程に、こう聞いてくる。バイト先のお客さんも、友達も、恋人も、面接官も、わたしをとりまく世界中のひとみんなだ。わたしはその質問に閉口して、絶望して、「んーよくわからないんですよね」と口に出すたびに泣きそうになる。ほとんど泣いている。それでも、泣いたら変なので、泣かない。
やりたいことなんてわからないし、だからと言って口先だけの嘘もつけない。インターネット越しに、なんとなく興味があるかな?という企業にエントリーをする。説明会を聞きに行って、なんとなくいい感じかも?と思う。OB訪問をする。数時間かけてこしらえたエントリーシートを出す。面接をする。もちろん会社は素敵なのだ。業績とか人とかサービスとかビジョンとか、そういうの。一緒に働けたら、わたしも頑張れるだろうなと思う。だけど、わたし個人にやりたいことがなければ、働く理由や目的を他人に依存していては、だめらしい。気持ちの入りかたが違うから、「御社」の当事者になりきれないみたいだ。それでも、嘘とも本当ともつかない回答を、わたしは面接官にプレゼントしなければいけない。
やりたいことなんて無いのが当たり前なんだから、と優しいなぐさめをしてくれる人がいる。それでも、経験と論理と情熱に裏立てられた「やりたいこと」が無いと、わたしは働くことができない。
小さなことでもいいから、やりたいことを100個リストにしてみた。30個くらいで一旦手が止まったけど、なんとかひねり出すことができた。よかった。人に見せた。「行きたいところいっぱいあるね、どうしてここに行きたいの?」と聞かれた。ヨーロッパのきれいな街並み見たいとか、きつね村に行きたいとか、そこには書いてあった。「あ、なんか友達が行きたいって言ってたから・・・」と答えると、「そうかあ、それはきみが本当に行きたいところなの?」と聞かれた。途端に、分からなくなった。行けたら嬉しいかもしれないけど、別にどうしても行きたいわけじゃない。だってわたしは飛行機に乗ったことがないし、旅行もほとんどしたことないから楽しさなんて知らないし。だから、お金をためる気も、プランを考えるやる気も出ないし。他の項目も、「それ本当にやりたいの?」って問いかけたら、どんどん消えていった。それでも、わたしは、「本当にきみ自身がやりたいことをリストアップ」しなければいけない。
決して世の中に無関心なわけではない。ソーシャル系のイベントもよく行くし、ひと月でいろんな人に出会うし出会おうとしているし、本だって週に1〜2冊は読むし、おしゃれだって好きだし、音楽も漫画もインターネットも消費するし。大学は二流の私立に通っていて、友達も多くはないけれど好きなひとたちに囲まれているし、刺激的ではないけれど、それなりにゆるい幸せがだらっと続いている。それでも、人生の目的なんてまるきり無い。
やりたいことがない、なんていう弱音の、すべての原因は自分にあることは分かっている。理屈では。飛行機乗ったことないなら乗ればいいじゃない、写真でも撮ってみればいいじゃない。とりあえず何でもいいから、できることからやってみればいいじゃない、と人は言う。プログラミングをやってみればいいのか、英語を学んでみればいいのか、文章を書いてみればいいのか、「とりあえず」で始めたことを、果たして続けることはできるのか。わたしは、何も続かなかった。それでも、「そんなこと言ってないで」、わたしは武器を身につけなければいけない。
今まで、与えられたことしかやってこなかった。つねに目の前にはやるべきことがあった。習うべきピアノがあり、取るべきテストの点数があり、歌うべき合唱コンクールがあり、演じるべき文化祭があり、いっしょに努力すべき仲間がいて、入るべき高校があり、入るべき大学があった。それを淡々とこなしていれば、それなりに日々は充実していて、それが生きがいだと思っていた。思い込んでいたの間違いかもしれないが、すくなくとも安心はしていた。こなすべきことたちが、目の前にいてくれることに。それを順々に片付けさえすれば、評価してくれる他者がいることに。21年間そうやって生きてきた。それでも、その考えかたを、根本的に、変えなければいけないタイミングらしい。
誰のためでもなく自分のために生きる。評価軸は他人では無く自分が持つ。そう考えるとしあわせになれるらしい、よく分からないけど、なんとなく、そういう時代らしい。でもわたしはそれにどうしてもとまどってしまう(みんながそうか)。「"自分のために"ってある意味ではとても利己的だよね」とかそういう理由ではない。ただ単純にそれは大変な作業なのだ。自分の頭のなかで考えることが何倍にも増える。正解不正解も分からなく、将来誰のことをしあわせにしてあげられるかも分からない。ひとの顔色をうかがいつづけて、他者の目標のために、生きてきたわたしにとってそれは、「強すぎる」生き方なのだ。
そんな強い生き方をしている人たちが言う。わたしがここ数ヶ月のあいだに出会い、素敵だ、と思ったひとたち。解放された、自由な人生は、ほんとうに楽しいものなのだと。彼らの目には、初めて見るようなエネルギーがあり、言葉には力が宿っていて、欺瞞が無く、周りのひとたちを、いるだけで一つ上の段階にひっぱりあげてくれるような、そんな力がある。あのひとたちみたいになりたいと、わたしは間違いなく思っている。間違いなく。
「人生の目的」 について思いを巡らせてみました。人生の目的ってなんでしょう? あるいは生き甲斐とは?という命題でもいいかもしれません。以下、思考ゲームみたいなもので役には立ちませんのであしからず。
さて。「人生」の目的ってなんだろうと考えたとき、僕はいったん「人」 を横によけて「生」について考えます。生命にとっての生きることの目的です。
哺乳類も鳥もゾウリムシでもウイルスでも、生物全般に当てはめられる「生きることの目的」とはなんでしょうか。その答えを探すと、「種が存在し続けること」 ではないかと思います。言い換えれば、種が絶滅しないことです。最初は「種の繁栄」が目的かと思いましたが、必ずしもそうとは限らないようです。人間以外の生物を見ると、無闇に生存圏を拡大したりはしませんし、繁殖に対して自ら規制をかけて間引きする生物もいます。そこから考えると、生物というのは過度な種の繁栄・拡大は望んでおらず、あくまで絶滅しないように継続して存続し続けられることを目的にしているのではないかと思います。
存続の基盤は「個」ではなく、「種」だと思います。個体が死を避ける仕組みは生物の本能に組み込まれていますが(例えば痛覚は死を防ぐための機能)、種の存続はしばしば個体の生存より優先度の高い本能として存在しているようです。自ら海に飛び込んで生産調整するレミングや、巣を守るために命をかけて戦う(針を刺すと死んでしまう)ハチとか。
ここまでをまとめると 、「生の目的とは種を存続させること」ということになります。では、人の生の目的とはなんでしょうか?
順当にいけば「人という種を存続させること」になるのかもしれません。では、人類を存続させるとは、具体的にどんなことでしょうか。例えば、食糧を生産することは種の存続にとって有効な行為ですし、子供を産み育てることも重要なことです。一人一人が「自分の人生の目的」を考えたとき、今挙げたような食糧生産や育児に目的や意義、あるいは生き甲斐を感じるのはごく自然なことなのだと思います。
しかし、人生の目的はこれだけにとどまらないでしょう。人類が存続するという観点に合致する行為はほかにもたくさんあると思います。例えば、人類は自らの存続のために環境を変えていく技術を身につけましたが、その点でいけば、土地を人類が住みやすいように開拓する、建物を作る、環境開発の研究をする、といったことも人類の存続に役立つことだといえます。また、人間社会を運営する政治活動も、治安維持も、存続のためには重要なことです。あらゆる技術、文明の進化を支えるのも人類の存続性を高めることにつながります。さらにいえば、娯楽を提供したり音楽や絵画を作ることも、「今の人類が人類らしく存続する」という点で大切なことではないでしょうか。
こうして考えると、おおむねほとんどの仕事が、人生の目的になり得ると思います。具体的な行為はいろいろあれど、人類への貢献こそが人生の意味だといってもいいのではないでしょうか?
遠回りしてきましたがそろそろ結論です。「貢献」、これが僕の考える人生の目的です。仕事の話をしましたが、仕事をまっとうすることだけが「貢献」ではありません。もっとミニマムなことをいえば、誰かに貢献する行為のすべてが、まわりまわって人類の存続に役立つのだと思います。誰かを楽しませる、誰かに役立つ情報を提供する、小さな親切をする、こうしたことが相手の存続性を高め、みんながみんなに貢献することで、人類は存続性を高めていくのだと思っています。
「誰かに貢献することが、人生においての目的」、いろいろとこねくり回したわりに結論はごく当たり前です。
しかし、思考の末にたどり着いたことで、この結論は僕にとっては極めて整合性の高い「人生の目的」になっています。つまりは、しっくりきます。
なるべく誰かに貢献できる人生を送りたいな。と、そう思っている僕です。
要はあんたら2人の間に愛がなかったんでしょうよ、と読んで結論付けた。
相手のことが好きならレストランの予約ぐらいで気にならないでしょうよ。相手もあんたのことが好きなら喜ばせようと自然に努力するだろうよ。好きなのにそれをしないとしたら、普通の生活も送れないと思われる障害者だから相手にするな。
つーか予約とか雑用を男がやるべきと決めつけるルールもおかしい。デートコースなんて行きたい所がある方が決めれば良い。行きたい場所がないなら出かけないデートもあるだろ。あといきなり年収学歴身長とか言い出すのもきもい。恋愛にそんなの関係ねーよ。
要は相手のことが好きじゃないのに付き合うな、欠点なんか気にならないくらい好きじゃないのに付き合うなということ。お互いに時間の無駄。
PART1はこちら( http://anond.hatelabo.jp/20110716110643 )
http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen05/P/10946.aspx
丸善様には私の講演会などで著書販売のお手伝いをしていただいています。一緒にいろんなイベント等を盛り上げてくださっていることに感謝していますし、思い出深いです。 -書店にはよく行かれますか。最近はあまり行かなくなりましたが、以前はよく行っていました。書店は大好きです。
http://plaza.rakuten.co.jp/nana111/diary/201106210002/
「カンブリア宮殿就職ガイド村上龍×73人の経済人」を読んで、私が印象に残ったの方は、ワタミグループ創業者、渡邉美樹氏。278ページから、『夢を達成することが人生の目的ではない。目的を追っていくプロセスの中で人間として成長すること、それが我々の生きる目的だ。』
http://bookreview002.seesaa.net/article/170071961.html
「戦う組織」の作り方 / 渡邉美樹。会社の成長のスピードに、社員の成長のスピードが追いついていない。次なる展開ができない。非常に頭が痛い内容である。社員のレベルアップは急務である。そして組織の成長。そのためにはどうすべきか?
http://blogs.yahoo.co.jp/izakaya_lab/
渡邉美樹さんが都知事選に出馬するニュースが飛び込んできた。 こういうのって突然やってくるんですね。びっくりしてニュースにかじりついてました。 これを気にかどうかは分かりませんが、ツイッターが復活し、またブログも賑わいを…
http://mainichi.jp/enta/book/interview/archive/news/2009/20090904org00m040006000c2.html
インタビュー:渡邉美樹に聞く:民主党政権に望むことは「信」--6月の株主総会で社長から、会長・CEOに就任されました。新たに見えてきたものはありますか。今までは、私の後についていけばいいんだ、という考えない文化がありました。これではまずいなと思い、自分たちで考える文化をつくるために、「伴走」を始めたわけです。大きな意味でワタミグループが100年企業になっていくための教育期間だと思っています。私がリーダーで走っているかぎりリーダーは育たないということが分かりましたから。--ワタミグループの今後の戦略を教えてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/moviefun777
日々精力的に活動されている渡邉さん。その精神力はどこからくるのでしょうか。
気持ちの持ちようとよく言われますが、なかなか実践できないのも人であると思います。
もしかしたら、そのような心の持ち方が何かを身に付けたりすることよりもはるかに高いハードルなのかもしれません。
考えれば考えるほど、深みにはまっていく。渡邉美樹さんやブログから学び取ろうとするが、当たり前ですが同じようにはできない・・・ん~、深く考えずに行動することが第一歩なのかもしれませんね。
・http://booksdiary.seesaa.net/
・http://blog.livedoor.jp/five_products/archives/cat_50091124.html
振り返れば私の人生など、行き当たりばったりで、目標を定め、アクションプランを練り、計画的に目標に向った人生とはまったくかけ離れた道を歩んだ。
世間でいうところの勝ち組、負け組のどちらかと白黒をつけるとするならば、負け組だろう。
アラフォーで結婚もせず、会社の経営不振で解雇の憂き目にあい、現在は非正規の派遣社員として切り詰めた生活を余儀なくされている。
しかし、見方を変え、世間様のステレオタイプな「勝ち組」「負け組」というフィルターを取り払うと、特段、悲惨でかわいそうな人生だとも思っていない。
生まれつき、他人と交流することが苦痛であり、1人でいる方が好きな性格である。
ブランド品に囲まれた生活を送らなくても、卑屈になったりもしない。
真っ黒の手帳を携えている生活は、恐らくストレス要因になるだろう。
そんな理由からか、収入が少なくても、相続した家があるという恵まれた家庭環境のせいか、まぁ、こんなもんだろうという気持ちの方が強い。
何も努力もせず、生まれてから現在に至るまで、ただ心臓を動かしているだけで、飢え死にしない生活。
食う、寝る、働く。
それだけでは退屈だから、人というのはわざわざストレスを溜め込む行動に走るのだろう。
戦争は、人類が暇つぶしをするために希望を抱くところから生じる。
文化というのは、暇人が武力ではなく、創作に注力した結果だろう。
目標を立て、アクションプランを練り、実行し、人々から賞賛されることを目的とした人生。
全てが記号化され、それを他人が羨望の目で捉えてくれているかどうか。
多くの人が、そんな人生を歩みたがっている。
そしてすべての記号に意味を見出そうとしている。
日本人は経済的に豊かになっても、精神的には決して豊かでないと言われてから久しい。
この文脈は、あくまでも豊かさとは精神的なものが満たされて初めて成立するという前提となっている。
私からすれば、その前提は間違っている。
経済的に豊かになりさえすれば万事上手くいくという思考である。
経済的な豊かさを人に承認されることが人生の目的である人の方が多い。
テレビや著名ブロガーをちらっと見回しただけでも、そんなことが見えてくる。
「自分の好きなことをやりなさい」と言いながらも、その人は本当に好きなことをやっているわけではない。
多くの人達から、「好きなことに没頭していて羨ましい。素敵ですね」と言ってくれるかどうか。
そして、人というのは、弱い生き物だから、そういう人生を歩んだ方が楽であるのだ。
例えば、
人からそう言われることが、精神の充足感を満たす。人生の目的。
認めたくないだろうけど、某著名ブロガーさん、あなたはそういう人生しか歩めない、とても弱い人間である。
今まで出版した著作物は、一体何を提供してきた?→ご自身の自慢話が延々と綴られていただけだ。
所属している組織で、どれだけの貢献した?→1ヶ月に数千万円〜数億円の約定を獲得できる支店の営業マンの方が、よっぽど貢献している。
その生き方って気持ちいいの?
それって疲れない?
それをハックするのが、「ライフハック」ってことだよ。
人生の定義自体をハックするんだよ。人生自体をハックするんだよ。
その前提をハックしないで、「人生の目的=子孫を繁栄させること」って簡単に前提条件を受け入れちゃうの?
それってニヒリズムを絶対どこかで招くよ。
だって子孫を繁栄させることなんて、人生の目的として実感としてモチベーションにつながらないじゃん。
漠然と幸せにいきれたらなーって考えるか、徹底的に考えてニヒリズムを打破するか、どっちかしかないよ。
実感が大事なんだよ。
「Don't think, Feel」って状態にどうやって持っていくかってことなんだよ。
ならば早くこの人のようになればいいのに。
今35才なんだが、コイツは16才以降、今まで檻の中に居た時間の方が長い
小・中と、ひどい虐めを受けて、ある日突然キレて生き方を変えた奴なんだが
本人曰く「また、正月前には自首予定」、、、似たように虐められていた他の仲間達が
「もう20年以上たってるんだ」
「もうやめてやれよ」etc
言っても聞かない
何か壊れてしまって
昔虐めていた連中に徹底的に粘着して復讐することが
ケラケラ壊れたように笑うのが怖かった。
お前等が虐めてた過去は、忘れもせず水に流しもしないが
柴田の墓石たたき壊して、骨壺にウンコかけるなんてまともじゃねぇが
止めようもない。
ひき逃げ(4年半)
いたずら電話
嫁と息子、娘への○○○ (5年)
今3人は、何処にいるかまで調べてる
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20101029#p1
http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51561151.html
それは人にとって「健康であること」が人生の目的になり得ないのと同じ。
社員のやりたいことを目的にしてはいけない。「誰の」会社だい?
社員がバクチを打って失敗しても、そのケツ持ちをやるというのかい?
努力することは美しいけれど、そんなことをしている暇があるのかい?
これが明確化されない状態では、どんな利益を
やめたりしなければいけない訳ではない。
いま相当頭が硬くなっているだろうし
視野もすごく狭くなっていると思う。
頭が硬くなっているならば、柔らかくすればいい。
一番良いのは組織から完全に離れることだけれども
そこまでしなくても、2週間くらいの休憩をとれば
頭を柔らかくすることだって出来るかもしれない。
苦しんでいることが分かっただろう。
熱中出来ていない状況は、半年後に会社全体の業績に現れてくる。
スタッフを路頭に迷わせたくないのであれば