2011-07-14

某著名ブロガーさんへ

振り返れば私の人生など、行き当たりばったりで、目標を定め、アクションプランを練り、計画的に目標に向った人生とはまったくかけ離れた道を歩んだ。

世間でいうところの勝ち組負け組のどちらかと白黒をつけるとするならば、負け組だろう。

アラフォー結婚もせず、会社経営不振解雇の憂き目にあい現在は非正規の派遣社員として切り詰めた生活を余儀なくされている。

しかし、見方を変え、世間様のステレオタイプな「勝ち組」「負け組」というフィルターを取り払うと、特段、悲惨でかわいそうな人生だとも思っていない。

生まれつき、他人と交流することが苦痛であり、1人でいる方が好きな性格である

ブランド品に囲まれた生活を送らなくても、卑屈になったりもしない。

真っ黒の手帳を携えている生活は、恐らくストレス要因になるだろう。

真っ白の手帳を携えている生活の方が、ストレスは溜まらない。

そんな理由からか、収入が少なくても、相続した家があるという恵まれた家庭環境のせいか、まぁ、こんなもんだろうという気持ちの方が強い。

何も努力もせず、生まれてから現在に至るまで、ただ心臓を動かしているだけで、飢え死にしない生活。

日本に生まれたというだけで、ラッキーなのだ。

人生希望なんてない。

あるのは、目の前の現実である

食う、寝る、働く。

それだけでは退屈だから、人というのはわざわざストレスを溜め込む行動に走るのだろう。

戦争は、人類暇つぶしをするために希望を抱くところから生じる。

文化というのは、暇人が武力ではなく、創作に注力した結果だろう。


目標を立て、アクションプランを練り、実行し、人々から賞賛されることを目的とした人生

グルメブランド仕事家族。。。。

全てが記号化され、それを他人が羨望の目で捉えてくれているかどうか。

多くの人が、そんな人生を歩みたがっている。

そしてすべての記号に意味を見出そうとしている。

日本人経済的に豊かになっても、精神的には決して豊かでないと言われてから久しい。

この文脈は、あくまでも豊かさとは精神的なものが満たされて初めて成立するという前提となっている。

からすれば、その前提は間違っている。

多くの日本人は、経済的に豊であることを幸せだと思っている。

経済的に豊かになりさえすれば万事上手くいくという思考である

経済的な豊かさを人に承認されることが人生の目的である人の方が多い。

テレビや著名ブロガーをちらっと見回しただけでも、そんなことが見えてくる。

自分の好きなことをやりなさい」と言いながらも、その人は本当に好きなことをやっているわけではない。

多くの人達から、「好きなことに没頭していて羨ましい。素敵ですね」と言ってくれるかどうか。

それが人生の目的なのである

そして、人というのは、弱い生き物だから、そういう人生を歩んだ方が楽であるのだ。

例えば、

美人な奥さんですね」

料理上手な奥さんで羨ましいです

からそう言われることが、精神の充足感を満たす。人生の目的

認めたくないだろうけど、某著名ブロガーさん、あなたはそういう人生しか歩めない、とても弱い人間である

あなた組織を離れたら、一体何が残る?→何も残らない。

今まで出版した著作物は、一体何を提供してきた?→ご自身の自慢話が延々と綴られていただけだ。

所属している組織で、どれだけの貢献した?→1ヶ月に数千万円〜数億円の約定を獲得できる支店の営業マンの方が、よっぽど貢献している。

1回当たりの講演会セミナーで、個人投資家から千万円〜数億円の資金を集めた実績があるのか?→あるわけがない。

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