※おことわり
少し時間ができたので、最近ちょっと考えたことをまとめておこうと思う。
単なるメモでも良かったけれど、次の展開を期待してあえて発信してみる。
ただ、自分の意見への少しの共感が、ごくわずかな人からでも得られたら…
と、どこかで期待しているのも否定しない。
重たいタイトルだが、以下は要するにキャリアについてのまとめ。
自身はすでに就職先の決定など、人生における比較的重要な選択を終え、
どうしても帰納的なキャリアの導き方となるが、そこは了承いただきたい。
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俺は哲学者でも何でもないけれど、自分のキャリアを考えているうちに、
進むべき道を定義するためには、自分の生きる意味なり目的なりを
ある程度はっきりさせておく必要があるのでは、と考えた。
いわゆる、人生の“コンセプト”というやつだ。
それが定まっていると、なんとなくラクだろうな~と思う。
例えば就職活動など、人はどこかの段階で人生における重要な選択を迫られる。
この時、選択したものに対して論理的な説明ができなければならない。
特に大きな問題はないだろうというのが正直なところだ。
それでも論理的な説明を用意しておくべきだと考えるのは、
自分を納得させるためでもある。
自らのキャリアを選択するのに悩む場面が出てくる。
そんな時に、思考の上で帰る場所があれば、と思うのだ。
迷ったら帰る場所であり、それは同時に目的地、ゴールでもある。
一度そこに立ち返って、演繹的な思考を重ねれば正しい選択を導ける。
いや、正確に言うと正しいかどうかは判断できないが、
少なくとも自分を納得させられるだけの論理構成を組み立てることが可能だ。
「キャリア」についての説明が不足していたので少し補足しておく。
途中、いくつかの岐路があってどこに進むか選択しなければならない。
選択を誤ると、目的地まで遠回りすることになったり、
これは普段気づきにくいことだが、
…という話をするとどうしても抽象的になるが、
いずれも、ここで言うキャリアに含まれる。
少し脱線したが、そもそもなぜこういうことを考えるに至ったか…
改めて検討しようと考えたからだ。正しかったのか…というよりは、
間違っていなかったことを証明したかったという方が正確かもしれない。
自分が納得のいくための説明をするためには、
論理構成が正しく組み立っていることが大切だ。
論理的に正しいということはつまり、なぜ?に対して答えられるということ。
しかし、なぜ?を何度か繰り返すと必ず壁にぶつかる。
なぜ、生きるのか―。
千差万別の答えが得られそうだが、
俺の結論を先に言うと“子孫を繁栄させるため”だ。
さらに子や孫、あるいはその世代が
よりよい生活を送られるように、環境を整えようとする。
では、どう生きるか―。
これもまた、十人十色の答えがあるだろう。
俺が導いたそれは“適応的に生きる”ということだった。
そんな変化の多い時代、
子孫を繁栄させることができる。
少し横道に逸れるが、キリンの話を。
遺伝の変異で首の長い種が誕生したのだが、それが環境に適応した。
これまで地面に生える草木をエサとしていた草食動物。
しかし、エサとなる草木にも限りがある。
そこにはエサの取り合い、熾烈な生存競争があった。
キリンはその長い首を生かして、
他の動物が手の(口の?)届かない高い樹木の葉を食べた。
これなら他の種と争うことも無く、エサに不自由することがない。
繰り返しになるがとどのつまり、
文明の進展によって、人は社会と呼ばれる環境を自ら作ったのだ。
すなわち、現代を生きる人にとっての適応とは、
すごく簡単な言葉に置き換えると、
時代の流れにうまく乗る、と言ったところか。
その社会環境への適応のためには、今を分析して未来を予想する必要がある。
…ならないのだが、俺は識者でも学者でもなければただの一般人。
ゆえに、ここからは完全に私見になるためやや省略ぎみに。
また、情報爆発の時代ではITリテラシーの有無が情報格差につながる。
情報取得、選別能力の高さがそのまま社会環境への適応力の高さに。
そんな中では、人としてのコミュニケーション能力が重要。
さて、これまで長ーく書き連ねたけど、
もっと言うと子供や孫、さらにはその世代の人々も、
みんな幸せを実感しながら生きられたら、と。
結果、コンセプトのある生き方なのかな、と。
そこから導いたのが上のような考え。
もっと欲を言えば、自らが適応できる社会環境をつくっていけたらと。
そうするために、自分が出来ることはなんだろう?
これからも考えながら歩んでいこうと思う。
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※おわりに
それなりにやることやってきたのかな?と思う。
そのためには色々なものを見て、たくさんの経験をすることが必要。
1つのことを徹底的に深める人は本当にカッコイイと思うけど、
自分はそれよりも広さを追求しようと思う。
ところが一年後にはそのコンセプトも変わっているんだ。 柔軟にコンセプトが変わることを前提に考えておいたほうがよい。
演じる社会性がない人の最たるのが引きこもりなんじゃないの
その生き方って気持ちいいの? 「俺社会の変化に適応している、しあわせー」って思うの? それって疲れない? 「子孫を繁栄させるため」って、それは生物学的目的でしょ。 それをハ...