はてなキーワード: ワンピースとは
ちょい前に、透明っ子がセーラー服を着てるイラストがフェミさん達に爆撃されてたな。
違う、爆撃するべきはそこじゃない。
アニメ漫画の妄想セーラー服は、間違った構造をしてることが多すぎる。
実際のセーラー服はトップスをスカートの中にいれないし、トップスが短すぎて臍が見えるなんてこともない。
なぜなら、(ほとんどの)セーラー服のスカートはワンピース型だからである。
でかい襟の付いたトップスの下には、吊りベストというのを着ているのだ……!
これを知ったとき、とっっっても感動した。
感動ポイント1:トップスが短くても、中に入れなくても、胸直下から吊ってあることで下着が見えない。
感動ポイント2:吊りスカートだけでうろうろしている学生は絶対にいる。体育の後とか。
感動ポイント3:身長が伸びても、吊る位置を変えるだけで簡単に対応できる。
感動ポイント4:普通に好き。吊りベストという存在、ありがたい。
「転売」は悪い意味で盛り上がったな。PS5がそこに絡んでくるか……と思ったけど、PS5って去年だな。
コロナネタだけど「ワクチン」は去年話題にはなっていなかったから、今年の候補でいいか。とりあえず副作用どうだった?ってのは万人に振れる話題だったし。
岸田総理はキャラ作りしなかったから、この人に特化したネタがないな。
菅総理の「安心安全」はバカにしてる感があるからさすがにないだろ。
今年流行ったなんかいいフレーズのある芸人はいたっけな。わからん。
ワンピースが100巻達成したけど、とくに盛り上げようとしている節がなかった。ちなみにコナンも今年で100巻に達成している。
何か知らん韓流アイドル辺りが、芸能界を盛り上げているだろうけど、興味がないからわかんね。
やっぱりコロナでありとあらゆるものが停滞しているから、今年はこれ!ってのがない。
強いて言うと受賞者を呼びやすい「ワクチン」か?……と思ったけど、河野は今はワクチン担当相じゃないな。「ワクチン」になったら誰が来るんだろ。
https://www.nintendo.co.jp/software/zelda-links-awakening/index.html
膝上とかそんな域ではない。
見えそうである。
お尻のラインが見えてたり、見えてるはずだけど黒塗りされてたりする。
ナウシカのようにタイツを履いてるのかと思ったが、生足に見える。
みんなもその目で確かめてほしい。
はじめに、これは母親と娘(私)の話です。ブログを書くことが本当に久しぶりなので、元々文才の無い自分が書くとさらに読みづらいと思います。すみません。
母親との関係に悩みが尽きないと感じるようになったのは、ここ最近のような気がしていた。
ずっと、"それ"は繰り返されていた。
諦めのような、虚無感を含んだったこの感情は、幼い時から繰り返し感じていた。
私は"それ"を知っていた。
いつも走っていて、時々転んでは汚れた服のまま、また駆け出しているような子だった。
あまり記憶が鮮明ではないが、おそらく仲の良い友人に彼が気になると話していたのだろう。
母は、私が彼を好きなことをいつの間にか知っているようだった。
ある日、お迎えに来た母に「〇〇くんはどの子?」と聞かれたのだ。
私は無邪気に指をさして母に教えた。
その時、左斜め下から見た母の顔を覚えている。
眉をしかめて、口を少し開けたまま、「そう。」とだけ呟いた母は、明らかに嫌悪を私に示していた。
悟った。ああ、母の機嫌を損ねてしまったと。
母の機嫌を損ねることは私にとって何よりの恐怖だった。
おそろしいことに、それは今でも。
小学生の頃、着て行く服は母が全部選んでいた。
天気、気温、行事、学校帰りの習い事。あらゆる条件をクリアする服装を毎日ぴったりと揃えて準備してくれる。
私は母の選ぶ服が好きだったし、母曰く「上品で程よくキュート」な洋服を友人に「似合っているね」と優しく声をかけられた日はとても嬉しかった。
きっと忙しい日もあったのに、毎日毎日準備をしてくれたことに感謝している。
ただ、一度私が着たいと思った服を「似合わない」と言われた時に、私はとても怖くなった。
可愛いな、と思って店内で無邪気に手にしたそのワンピースを「変よ」と一言、それだけで怖くなった。
「いいね」と言って、母もこちらに寄ってきて一緒にその服を手にしてくれると思っていた。
でも違った。
文章にしてみると、ただそれだけのことなのに、私は自分の感覚すべてが間違っている、と強く思った。
中学、高校は制服があったので母が毎日服を選んでくれる習慣は無くなったが、例えば友人と出かける時に服を選ぶと必ず私は母に「どうかな、この組み合わせ」とつとめて明るく聞いた。
「似合わない」「違うと思う」と言われたらどうしよう。
「いいと思う」と言われる日もあったし、「スカートの丈がおかしい(母は膝が見えるスカートのことをおかしいと言う)」とそっぽを向かれる日もあった。
たいていの場合、バツをつけられたアイテムはすぐに他のものに変更していたが、どうしてもそれを着たかった時、別の組み合わせでプレゼンする。
初めて言われた時、殴られた方がマシだと思った。
10代の私にとって、大きな壁を作られたような、それはそれはとても恐ろしい体験だった。
すぐにすがった。「やっぱそうだよね。どこかで見た感じをまねしたかったんだけど、違うよね」「やっぱり私センスないから、これやめるね」と。
ただ、ここで母の機嫌は元に戻らない。
もう、こちらの声は聞こえていないのだ。
ツーン、と。こちらの顔を全く見ない母の"それ"は大人になればなる程長くなる。
大人になると「もうその服は年齢的にきついと思う」とよく言われる。
気に入った服、お金を貯めてえいっと気合を入れて買った服、家族には話せていない思い出がつまった服。
みんな色がなくなったみたいにして、ゴミ袋に入っている。
私が些細と思っているだけで、母には大きな出来事かもしれないが、私にとってそれは静電気くらい、突発的にパチッと起きる。
金曜日、帰りにこれを買ってきてほしいと頼まれて、無事購入し帰宅してみると頼まれたものが冷蔵庫に入っていた。
「これ買ってきたよ?」と購入品を見せると、「たまたま出かけることになったから私が買っておいたの」と言う。
ここで、「そうなんだ。ごめん、私も買っちゃったから冷蔵庫いっぱいになっちゃうね」と謝るべきだった。
だけどその日ひどく疲れていた。
「連絡してくれたら買ってこなかったのに」と言ってしまった。
アウトだった。
この会話で、私は週末ずっと脅えながら過ごすことが決定した。
普段はテーブルにランチョンマットかお盆を置いて食べる夕飯時、私がそれらを準備する前に母はドン、と音を立てて食器を置く。
高校生の頃突然のことに驚いて何も言えず、立ち尽くす私に目もくれず、母は不機嫌をアピールするように食べ始めた。
時々、はあと大きなため息や、小さな舌打ちが聞こえる夕飯は心臓が苦しいだけだ。
「いただきます」と合掌しなさいと叱っていた子どもの前で、何も言わずに食べ始めた母は5分も立たずに完食し、「ごちそうさま」も無く、大きな音を立てて席を立ち、自分の使った食器を洗い始める。
私は一人静かに、なるべく音をたてないようにして夕飯を食べる。
こういう流れになったとき、自分で食事をつくると悪化するので、静かに皿の真ん中をみつめて、吐き気におそわれながら食べ進める。
リモコンを触ってチャンネルを変えると負けなのか、誰も見ていない番組が延々と流れる。
父の仕事の関係で、夕飯はいつも母と二人だったので夕飯時は好きなドラマや映画を見ることも多かったのに、あまり馴染みのない番組をBGMに冷たい時間が流れる。
そして、食後に甘いものを食べたり、一緒に片づけをする時間はもちろん無く、
食後に片づけを終えた後、私はすぐに歯を磨き、眠る準備を整え、頭を深く下げて「おやすみなさい」と伝えてから自室へ向かう。
しかし、いつもこう言われるのだ。
「何が?」と。
喧嘩ができない。
投げても返ってこない。
この冷戦期間、母がいるかもしれないリビングにはなかなか行くことができないので、薬が必要な時に飲めるように常備薬は自分の部屋に常に置いている。
自室へ行く前にコップかマイボトルに水を入れていくことも忘れないようにしている。
慣れてしまった気もしている。
気持ちが落ち着く香りがするものや好きな飴を自室にこっそり置いて、少しでもこの小さな部屋で快適に暮らせるように試行錯誤してきた。
でも、何度経験しても突然こちらを向いてくれない、口をへの字にした母の表情には慣れない。
おそろしいことに、アラサーになった今でもこわくてこわくて仕方がない。
こわがっていることが情けない。
でも、こわいのだ。
ずっとこわいなら、すぐに家を出ていたかもしれない。
でも気づいたら、大学も就職も県内で、はじめからそれ以外の選択肢は無かった。
母に「A大学へ行け」と言われたわけでも、「B社に就職しろ」と言われたわけではない。
それは多分、ずっとこわいわけではないからだと思う。
母はほんとうに優しい。
優しく、ときどきユーモアがあって、音楽が好きで、海外の映画が好きだ。
ごはんもとても美味しい。
私が作るごはんもすごく褒めてくれる。
働き始めて家にお金を入れる度に「自分の好きなものを買っていいのよ」と言った後、ありがとうと優しく受け取ってくれる。
優しい母が好きだ。
愛してもらった自覚がある。
あらゆるものから守ろうと、常に私のことを気にかけてくれたことに感謝している。
話は変わるが、通帳をしばらく紛失したことがあった。
仕事が忙しく、それどころではなかった時期なので、「家の中でなくしたのだからいつか出てくるだろう」としばらく放っておいた。
ある日、通帳がどうしても必要になり、家中を探した。どこにも無かった。
そんなはずはないと連日通帳を探す私を家族は心配そうに見ていた。
仕事に関して抱えている不安と、見つからないものへの不安がごちゃまぜになって、まるで狂ったかのように家中を探していた。
仕方ない、半休を取って通帳の再発行に行こうと思い、心配してくれた母にも報告した。
銀行に行き、「〇週間ほど、通帳を探したが見つからないので再発行したい」と伝えた。
対応して下さった行員の方の言葉に、私は鈍器で頭を殴られたかと思った。
おととい、つうちょうをつかっておかねをひきだされていますよ。
頭が真っ白になった。
何行かにわたって記された数字を見る。残高はほとんど無かった。
あまり覚えていないが、「勘違いかもしれない、すみません」と怪しまれる前にとにかく銀行を早く出たかった私は多分適当な言葉を並べて足早に去った。
私はまっさきに思った。
話してくれたら、いくらでも使っていいのに。
当時、あることでお金が必要だということはうっすら雰囲気で感じていた。
でも「私出すよ」と娘である私が言うと偉そうなのかもしれないと思っていたし、両親がそういうタイプの人間だと知っていたので、必要ではあるけど足りないという話はしていなかったこともあり、能天気に流してしまっていた。
いくらでも、あげる。
今までたくさんもらってきた。
私も参加させてほしい。
銀行の近くの本屋でなるべく人の少ない階の隅の椅子でこっそり泣いた。
立っていられなくなった。
あと少しで仕事に行かなければならないことと、家に帰ってどんな顔をすればいいのかわからないことで頭がぐちゃぐちゃだった。
話したらお金を出してくれない娘だと思われていたのか。
だから隠し続けたのか。
必死に探している時、不安でいっぱいな私をどういう気持ちで見ていたのか。
学生の時、同級生とのあるやりとりについて注意されてから、携帯のメールや通話履歴は見られるものだと思って使っていた。
話せないまま、外出が急に増えたことを不自然だと問い詰められる前に別れてしまう。
気になる人ができても、母に紹介する時のことをイメージしては〇か×を考えてしまう。
もう、こわい。
母ではない。
こわがっている自分がこわい。
今日も、"それ"は起きました。
来週、とても緊張することがあるから今週はとてもおだやかにすごすつもりでした。
そうしないと乗り越えられない気がしていたからです。
そのことを思うと怖くて眠れない毎日だったから、なんとか心のバランスをとって生きた今月でした。
でもだめでした。
私は家に帰り「言ってくれたらよかったのに」と言ってしまいました。
でも疲れていたのです。
言い訳かもしれませんが、ほんとうに心も体もふらふらだったのです。
ゴミ袋に入った気に入った自分の服を見て涙があふれてきたので、取り繕うこともできませんでした。
帰宅する旨の連絡をした時に返信で教えてくれたら助かりました。
もしくは「ごめんごめん」と笑って流してくれたら、もっと助かりました。
流れず、返されず、そっぽを向いて投げられたボールをずっと追いかけて走っています。
走る私の背中を監視するような目でずっと見ていますね、わかります、感じています。
だんだんと体が冷えてきました。
窓の外は本当に真っ暗で、でも部屋も真っ暗なので、まるで境がありません。
どちらが暗いのか、もうわかりません。
休みの日はコンタクトで、メイクして、髪の毛も巻いて、ブランド物のバッグにワンピースとか。そういう格好の時は異性・同性どっちも喧嘩売ってこない。
ここで言う喧嘩売ってくるは、わざとぶつかって来たり、暴言吐いてきたりすること。ちゃんとした格好してる時は、逆に避けられたりする。
なのにダサい格好してる時は、異性・同性問わずぶつかってくるわ、舌打ちしてくるわ、暴言吐いてくるわ、喧嘩売りまくってくる。それって相手がダサいから勝てると思ってんだよね。
ダサい格好してる時は高圧的に出てくるのに、着飾った人にはビビってて喧嘩売らないとか、ダサすぎて、人選んで喧嘩売るんだったら、最初から喧嘩うんなよ死ねって思う。
自分たちが上に行けないから、下の人間(だと認識した人)にばっか喧嘩売って、言い返されないのを自分が強いと思ってるの勘違いが過ぎるし、マジで死んで欲しいなあ。
わたしはクソブスな女に喧嘩売られんのがいちばん腹立つ。人に喧嘩売って、周りの人に「キモイ女だなあ」って思われてるの分からないのかな?めちゃくちゃ痛い奴だけど、ちゃんと認識してる?ブス女って周りの目を気にしないからブスなまんまなんだねえ笑
今日もクソブス女に喧嘩売られて、めちゃくちゃ気分悪かったから、どこかでレイプでもされて性器傷つけられればいいなあと思いました~ブスはレイプされないかな?笑
喪女というわけでもなく、長い付き合いの友達も多く、彼氏もほどほどにいてプロポーズもされたばかりの30女です。
仕事も技術職で普通よりはもらえてるかな、とりあえず不幸とかそういうのは特段にない人間だと思う。
だから贅沢な悩みなことはわかっているんだけど、やっぱり天使みたいにかわいい女の子になりたかった。
自分の身長は175cm、肩幅も広くて綾野剛が流行った頃はよく綾野剛に似てるって言われてた。(化粧したら若干綾野剛、すっぴんは一橋容疑者って感じ)
全体的に痩せてて骨っぽいからだをしている。色白ではあるけど、目のクマもひどくて隠さないと儚げっていうより病気みたい。
なんとこの容姿で巨乳。全く似合っていない。キャラクリエイトした人がいるならマニアックすぎる。
服装もこの素体に合わせたシンプルなパンツスタイルが多い。髪は伸ばしてるけどロングヘアーというより、サブカルロン毛おじさんという感じ。
若い頃は女の子からも沢山告白とか手紙とか一緒に写真撮ってくださいとか言われてた、なんかあの手の女子高生だった。
幸福な人生だと思う。大きな病気もない、心から信頼できる友達もいて、職場も穏やかで好きな仕事。
恋人もいるしなんと結婚までする。恋人はこんなトカゲみたいな女の容姿も性格もぴったり好みだったらしい。幸運だった。
でも、乃木坂46とか、橋本環奈とか、白人の美少女みたいな「天使っぽい」光属性の少女になりたい。
白い感じのワンピースとか、似合う感じの。
もう30歳なのにそんな憧れが捨てられなくて、通販で高いのにレースのワンピースとか買って家の中で着て、鏡の前で「無理だよなー」って笑ってる。
今持ってる幸福で満足したい。
いつまで経っても「普通にいい人」に好かれない、恋愛バカの自伝が笑い話になり誰かを楽しませてくれるならと思い
文章に起こしてみることにした。
「恋愛」という言葉が浮かんでくる小学生くらいから、常に「好きな人」がいた。
その人に会うために学校や職場に通う、その人に好かれるために容姿を磨こうとする、その人に振り向いてもらうために勉強や仕事を頑張る。
恋愛感情がプラスに働く時はそうやって、いろんなもののモチベーションになってくれるから便利だ。
そのせいで私の自己肯定感はみるみる下がり、どんどんダメな恋愛をしていくようになった。
少しずつ書いてみる。
私が初めて告白ということをしたのは、小学校4年生の時だった。
当時ワンピースの話ができる男の子はその子だけで、それが特別に思えた。
あまり前後は覚えていないが、気付いたら教室でその手紙を同級生の女子が読み上げていた。
かなりショックだった。相手の男の子も俯いていて、そのうち他の男子と一緒に教室から出て行った。
廊下から「どうすんのこれ」「お前は好きなの?」と男子たちの声がする。
教室では私が立ち尽くすのをよそに、女子たちが次の話題で盛り上がっている。
この時の記憶は、この強烈なシーン以外がすっ飛んでいる。
いつまで経っても「普通にいい人」に好かれない、恋愛バカの自伝が笑い話になり誰かを楽しませてくれるならと思い
文章に起こしてみることにした。
「恋愛」という言葉が浮かんでくる小学生くらいから、常に「好きな人」がいた。
その人に会うために学校や職場に通う、その人に好かれるために容姿を磨こうとする、その人に振り向いてもらうために勉強や仕事を頑張る。
恋愛感情がプラスに働く時はそうやって、いろんなもののモチベーションになってくれるから便利だ。
そのせいで私の自己肯定感はみるみる下がり、どんどんダメな恋愛をしていくようになった。
少しずつ書いてみる。
私が初めて告白ということをしたのは、小学校4年生の時だった。
当時ワンピースの話ができる男の子はその子だけで、それが特別に思えた。
あまり前後は覚えていないが、気付いたら教室でその手紙を同級生の女子が読み上げていた。
かなりショックだった。相手の男の子も俯いていて、そのうち他の男子と一緒に教室から出て行った。
廊下から「どうすんのこれ」「お前は好きなの?」と男子たちの声がする。
教室では私が立ち尽くすのをよそに、女子たちが次の話題で盛り上がっている。
この時の記憶は、この強烈なシーン以外がすっ飛んでいる。
社員のほとんどが親会社の人が占めていて、子会社の社員が少数混ざる形で配属された。
良くも悪くも古い体質で仲間とか、助け合いを重視して
子会社の僕たちも、同様だった。
けれど
「プロパー」と半ば蔑称気味に呼ばれて、少しだけ違う待遇だった。
有給の数が違うとか、そもそも親会社の社員とは違って祝日は休みじゃないとか。
「俺は親とか子とか関係なく、対等にあつかう!仲間だから!」と
ワンピースが好きな上司は「仲間」を強調して励ましてくれてた。
僕が務めていた間には、親会社の人たちが何人か退職して、その度に規模の大小の差はあれど、必ず送別会が行われていた。
しかし最後の日、あれほど「仲間」を強調していた上司は、僕より先に帰ってしまった。
結局、心のどこかで「こいつら子会社のヤツら」って区別されてたんだろうなあ、と思う。
ずーっと思っている。