はてなキーワード: バイアスとは
https://anond.hatelabo.jp/20190808220014
前時代的な不良、前時代的な教師、前時代的なイベント、前時代的なブルマ
そんなものを学生の時に読んで「いつの時代だこりゃ、作者何歳だよ」と思ったことはないだろうか
それで「ああ、漫画家も今の学校教育を調べるの大変だもんな」と腑に落ちる
そこに流れる空気までは読み取れないから、中途半端に表現すると違和感が出る
それよりならファンタジーとして、不良!教師!マドンナ!みたいなステレオタイプの存在を出したほうが都合がいいのかもしれない
人は、例えば高校なら限られた3年間、小中高でも12年間しか学校というものを体験できないし、体験できても1校の限られた空間だけだ
学校とはそういうモノなんだと一人納得した
中が見えるのなんて、親でもちょっとだけ、教師でなんとか、あとは20代くらいの若者が少しズレなく語れるくらい
一番中が見えてるのは当事者たる子供なので、問題提起をすべきは子と親なのかもしれないが
子はまあ子供だし、親には親のバイアスが入ってしまうので難しい
親ですら無い自分のような外野は、どうあがいても適当なことしか言えない
だから、学校界隈で問題があると「問題だ!」と叫びつつどこかで「自分はまるで分かってない奴なんだろう」と思ってる
結局うまく観測ができないので専門家に任せるしかないんだろうかなどと思う
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思い返してみると、子供の頃、漫画の作者に「あなたの知識は古い、今はこうなんだよ」って教えてあげたいなーと夢想したことがある
「NO日本」呼びかける旗掲げるも当日撤回 批判殺到で=ソウル市中区 | 聯合ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.yna.co.kr/view/AJP20190806003800882
さすがにこれちょっとさー。
「日本語をちゃんと読んで?」とか「普通に論理的に考えて?」というレベルなんですが。
韓国の人たちだって戦争を始めたいと思ってるわけはない。こういう声が上がることを日本人として素直に歓迎したいし応援する/スターいっぱい付いて良かった反面、戦争したがりなブコメが多くて頭痛がする。
2019/08/06
いいですか。
「戦争になるから」「戦争反対」なんていうことを理由にしてません。
書いてもないこと幻視する前に本文をきちんと読みましょう。
頭痛がするのはこっちだよ。
どの国にもネトウヨみたいのもいれば理性的な人もいる。当たり前のこと。
2019/08/06
冷静な市民の声があがるのと、それを受け入れて謝罪できる行政があるなら、まだましなんじゃないかな。次からは始める前に気づければなおよし
いいですか。
行政が旗を出すことについては「これは違う」と反対する声が大半でした。
なんで違うのか、なんで反対なのかというと
「不買運動やボイコット運動が官製のような印象になるからやめろ」
と言ってるんです。
日本から文句をつけにくいだろう、フリーハンドで敵対行為や嫌がらせをし続けられるだろう、
という戦略的な話をしてるんです。
「敵対行動のエスカレートに市民が待ったを掛けた」のような読解をしてる人は0点です。
だって本当にどこにもそんなこと書いてないんですが。
そして書いてあることをそのまま読むだけで、
市民の反対の理路ははっきりしてるんですが。
ボイコット運動やNOJAPAN運動はノリノリでやってる最中ですよ今も。
それを止める人なんかどこにもいない。
むしろやってる同士でうっかり日本のカメラとかキーボードとか持ってて炎上して謝罪したりしてる状況。
「敵対行動のエスカレートに待った」が韓国市民の声なら、なんでNOJAPAN運動自体が批判されないんです?
そこ考えただけででも「敵対行動の制止があった」って読解はなんか変だってわかるじゃん。
いやそもそもNOJAPAN運動の盛り上がり自体を良くわかってないのかな。
とにかく、この綜合ニュースはせっかくストレートに報じてくれてるんですよ。
だからこの記事だけでもちゃんと読んだら韓国で何が起きてるかわかるはずなんです。
今回は韓国ウォッチャー要らない。
たとえば時事ドットコムは反対した市民の本音の部分が削除されてもっと良識的っぽい批判になってるの。
なんでだろう?
彼らにとってツイッターはお遊びやおふざけの場に過ぎず、多少ハメを外したところでなんら実害がないのだろうか。
品行方正に慎ましく炎上しないようにコンプライアンス意識の高い振る舞いを実践しているのは、ツイッターにしか居場所がないような陰キャだけであって、
一般的な社会人は一般的な社会で関係を築けるからこそ、石の裏のジメジメに等しいインターネットで真面目に振舞うなんて馬鹿げているのかな。
やるときはしっかりやって、息抜きのツイッターは適当で、ってことかあ。
ぼくのような陰キャ社会不適合者にとってはインターネットの比重が極端に大きいから、人を見る目にバイアスがかかってしまうんだなあ。
最近ニュースで英語の民間試験を受験に取り入れるとか言ってて大変だなーって思う。
大学院に進学したら、大学生の頃の実験やレポートの忙しさなんて忘れてしまった。
私は上半身の体毛が薄い方で、髭も脇毛も胸毛も腕毛も豆もやしみたいなものである。
(幸い髪の毛はフサフサなので要らぬ心配はせぬように)
一方で下半身の毛は何故か濃い。
たまにスネ毛を剃ってみたりチン毛をカットしてみたりしてたのだが、そういえば尻毛に手を入れたことはない。
考えて見たら尻毛の存在意義ってなんなんだ?
ググってみた。
存在価値などないらしい。
気になりだしたら処理したくなるのが人間の性。
あぁ、かくも愚かな人間よ。
今のままで一度も尻毛の居住区を侵略しようなどと考えたこともなかったのに。
ひとたび「ムダ」だというバイアスがかかった途端、私は30年間連れ添った尻毛をいとも簡単に亡き者にしようとしているのである。
カミソリで処理する勇気はない。
万が一処理を誤った日には毎日パンツを買い換える羽目になってしまう。
処理するなら除毛剤だ。
私は早速ドラッグストアに駆け込んだ。
メンズ用の除毛剤がないのだ…!
これでもいいんだけど、よく考えたらレジに持っていくのも恥ずかしい。
手元に届いた除毛剤の注意書きを読む。
「あらかじめ除毛しようとする部位に少量を塗って10分程度放置し、赤み、かゆみなどの刺激がないかを確認してください」
うるせぇ!こちとら一刻も早く尻毛に強制退去を申し出たいんじゃ!
かかる火の粉など知ったことか!
少しヒリヒリする…
でもそれ以上に、気持ち悪い…
尻の谷間に感じる除毛剤の感覚は、あの苦い感覚と酷似している。
うっかり実が出た時の感覚…パンツへの被害をなんとか抑えようと谷間くんが頑張ってくれている時のあの感覚そっくりだ。
10分後、シャワーでぬるま湯をかけながら尻毛を引っ張ってみる。
そう思ったくらい漆黒の縮れ毛が大量に指の中にある。
痛みはほとんどなかった。
ついに私は尻毛とおさらばしたのだ。
街中で人とすれ違う時に心の中で小さく呟く…
「良いだろう、私はお尻つるつるなんだぞ。一味違うんだぞ。」
いつもより胸を張って歩けた気がした。
ところで私はフワッフワのやわらかいダブルロールのトイレットペーパーより、ガッシガシに硬いシングルロールの方が好きだ。
ダブルがいいとか言ってる人は気取ってるか贅沢病に犯された人間に違いないと、そう思っていた。
尻毛を処理して2日後のことだった。
いつものようにカッタイ紙で力一杯尻を拭いた時に痛みが走った…
紙には血がついていた。
そうか、これまで私が硬い紙を好んでいたのは、尻毛に抗うためだったのか…
ヤワな紙は尻毛の生えてない、もしくは処理している人にとって、あふれんばかりの優しさを以って接してくれる偉大なる母のごとき存在だったのだ。
私はそれまで自らが抱いていた差別意識を恥じた。
あぁ、かくも愚かな人間よ。
我らには想像力というものがありながら、痛みと後悔無くしては反省することすらできないのだ。
しかし、私は尻毛を通じて己の弱さをひとつ認識することができた。
私にとって尻毛の処理はムダではなかったのだ。
貴方たちによって悟りに一歩進んだ人間が、少なくともここにひとりは存在する。
私は感謝しなければならない。
日本のテレビ・新聞などの「悪癖」は、「ストーリーを作ろうとする」ことではないかとおもう。
「与野党対立」「日韓関係悪化」等々、ストーリーを決めて、そこから情報を取捨選択して、報道する。
受け手としては、ストーリーに沿って読めるのでわかりやすいが、報道内容にバイアスはかかる。
バイアスが最悪の形で出て、「捏造」の域まで達したのが、福島原発事故についての朝日新聞の「吉田調書」事件。
引用される「調書」の内容と、記事の地の文がまったく整合しないという意味不明な誤報だった。
さて。
その悪癖を゙ハッグすることで、報道をコントロールすることが出来る。
「ストーリーを作りたがる」ということは、「ストーリーに乗らないものは報道したがらない」ということ。
つまり、ツッコまれたくない部分で、要約不可能な支離滅裂な説明をして、逆に、枝葉末節の部分で、わかりやすい部分を作れば、報道はそこに集中する。
狙い通り、肝心の部分は報道されない。
もちろん、メデイア側が「重要度の軸」を自分の中に持っていれば、こんな手は通じない。でも、見ていると、「ストーリーを作りたがる」本能の方が強いように見える。
おそらく、これをウマく使っているのは安倍政権。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hazuma/status/1153010237831430144
誰でもいいからとにかく投票しろ、愉快犯でもいいから票を入れろ、なんも考えてなくても投票しろ
これが本当に民主主義の理念に沿うとみんなほんとに思ってるのか
いや、誰でもいいから投票しろ、というのは現状に対するスローガンとしては支持する
ただし、それはどこまでいっても組織票に対する戦略投票でしかなく、それ以上の価値を置くべきではないと思われる
民主主義というものは、市民ひとりひとりが主権者としての自覚をもって政治と向き合いなさいという思想であると同時に、
個人は非常に不完全であってバイアスがかかるし間違った選択をするよ、ということと向き合う思想のはず
我々愚民が熟慮の結果N国とかバカ自民とかアホ枝野に誤って票を入れて議席を得るのは極めて民主主義的であると思う
しかし、今回のN国への票はそうではないだろう
僕の父親はフリーのデザイナーで350万〜400万くらいの年収で、母親はパートで100万くらいで、
そういう中で一人っ子の僕はほとんど教育費だけを与えられてきて、
両親から金の話を一切聞かなかったので
自分の家庭収入が日本の平均以下だということすらも全然分からなかった(年収の話は大学の学費免除申請のときに初めて書類を見て知った)
一体うちの家庭収入を超える大金を貰ってどうすんだよって気持ちになる
まあ僕は情報系の学科にいるので、そういう話をよく目にするのは明らかにバイアスかかっていると思うのだけどね
年収800万人材はそのお金で何を楽しむのか、知りたい気持ちがあるので、聞いてみる。その大金を、何の楽しみに使うんですか?人間の再生産以外になんかありますか?
ちなみに僕は、本を買うかライブに行くくらいしかお金を使わなくて、友達もいないので、500万円もあったらよさそうかなと勝手に思ってる(まあ後は良い家に住むとか?)。
選挙行かない人に「なんで?」と思う気持ちは私にもあるんですけど、行かなかった人に「信じられない」とか「お前らは政治でどんなことが起きても文句言うなよ」とか「与党に入れたお前らだけで税金払え」みたいな言葉をかけるの、違くない?
違くない?というか絶対違うだろという確固とした気持ちがあるので言ってるのですけれど。そういうのがめちゃくちゃ拡散している。最近アレです。
我々はどうせ一つになれないのだから、自分の人生や思想はバイアスだらけだ。
たまたま自分は投票する側だった、っていう自覚がある。「たまたま」じゃないか、人ひとりの人生や思想のすべては。
他ならぬ自分自身が「強い言葉」大好きマンだからこれは自戒の意を大きく込めるけれど、冒頭に書いたような強い否定の言葉って相手を委縮させるし、なによりもまず相手の存在を否定しているじゃないですか。
政治の話ほど対話が必要なことないでしょ。対話する相手の存在を否定するってあるかよ。
怒るなよ、って言いたいわけではない。言っていいことと悪いことがあるだろ、というだけ。
強い失望とか傷付きを感じた時に、その失望が「怒り」に転じるのも「無気力」に転じるのもわかる。
(私は「無気力」側の人間だ。だから毎回、この一票が何になるんだと思いながら投票しているよ正直。それでも投票しているのは小学生の頃の担任の言葉が理由だけれど、同じ言葉を聞いていたけれど投票にいってない同窓生はザラにいるだろう。)
たぶんこのトピックでいちばんモヤモヤしているのは「みんな自分の生存バイアスを過信しすぎじゃない?」ということだ。
他人の存在を認めるってめちゃくちゃ難しい。そういうことも最近すごく考えている。
死ねって思うようなやつにも生きる権利があること、当たり前に認められるようにならないといけない。
これも自戒の意を込めるんですが、私は人間のこと全員うーーーっすら嫌いなので、赤の他人にすぐ「死ね」って思っちゃう。
でも死ねとか頭おかしいんじゃねーかコイツって思うようなやつにも生きてきた時間があって積み重ねてきた思想があって、って考えて途方もなくなる。途方もなくなって思考がそこで止まってしまうのですが、絶対に、ここで止まってはいけないんだと思う本当に。
これ同じ話じゃないですか。違う話になっていたらごめんなさい。
政治、基本的にめちゃくちゃこちらを傷つけてくる側面あるので「なんで?」って思う。(けどまあ現状の困っていること・悪いことに目を向けることでもあるからそりゃそうか。)
政治に・現状に怒っている人からすれば、選挙に行って自分の意見を表明しない奴は共犯者だ。自分だって傷付いて怒っているのに、その状態で共犯者を慮ってって言われるの嫌だろうな。
でもアナタが政治に関心を持っているのはアナタの生存バイアスだってことをどうか忘れないでほしい。投票に行かなかった人に私刑みたいな罵りをかけていい理由にはならない。
怒られそうな物言いだな。行かない人を擁護したいわけではない。
何度も言うけど、投票いかない人に怒れるのは正常な気持ちだと思います。
「死ね」って思う奴に向かって本当に「死ね」って言っていいわけじゃない、みたいな話を延々としている。読んでてくどいか、すまない。
選挙行かない人、それで今まで生きてこれたっていうのはアナタの生存バイアスでしかないよ。取り返しのつかないことになる前にどうか自分の手で自分の意志を表明してほしい。
いま私は全員に人権がある前提で話している。でももしかしたらこの世の誰かが意志を表示しなかった結果、誰かから人権が奪われる可能性は全然ある。この「意志を表示しなかった/奪われた誰か」は私かもしれないし、アナタかもしれない。
政治とか選挙のこと、もし不安に思うことがあるなら周りの人に話してみる、ってことができる環境に、皆があるといいよね。
今まで/今回選挙に行かなかったからといって、今人権が奪われるわけではない。ないということを維持するためにも選挙には行こう。