はてなキーワード: 「我々」とは
・
民衆的ナショナリズム(自分の生活や運命は自分で決めたい、自己決定欲求に基盤)
公定ナショナリズム(↑から「お前は我々かそうでないのか」と問われたトップによる民衆への回答)
情報ナショナリズム(「我々」はどこまで我々になり得るか、状況を共にしうるかの共有イメージ)
・
この3つの「ナショナリズム」は国家(State)にとって都合のいいものばかりではない。特に民衆的ナショナリズムは時に国家を破壊しかねない。
なのでそれを制御する必要があり、公定ナショナリズムによって国体と民衆の間で握手が試みられる。
日の丸君が代だのは、その我々感覚をお互いに持っていることを確認する便利な道具として公定ナショナリズムが用意したもの
・
インドネシアでは異なる言葉を話し異なる宗教を信じる人々が「同じインドネシア人」になるために、どの集団の言葉でも無い言語を新造したように
日本のように伝統から調達されることもあれば、逆に自分たちの伝統から離れたシンボルを新しく作って「我々」になることもある。
「われわれ」という感覚を「お互いに想像できること」が大切で、事実である必要は必ずしも無い。
・
ナショナリズムは本質的に矛盾だらけのパッチワークだが、矛盾だらけだからこそ成り立っていて、ご都合次第で中身やメンバーを変化させうる。
そういうご都合主義の我々意識がないと、アフリカの部族間の絶滅紛争のような隣人同士の殺し合いを防げない。
・
お前が不快だからってテロ呼ばわりして社会の問題にすり替えるのやめろ。
テロと呼んだ瞬間、テロリストとは交渉しない=話合いの余地はないと自ら宣言していることに、お前は気がついていないだろう。話し合う気がないから、Twitterで「あの人テロリストです」と呼びかけ、リツイートしてくれる賛同者を募り、「我々」と「奴等」の越えられない境界線を引く。
そしてお前は、「我々」の内側で、「奴等」に対して呪詛を吐き続ける。いつまでもいつまでも。
それはお前が望んだことなのか?お前はただ単に「あの人のあの行動ちょっと嫌だな、なんとかしてくれないかな」と思っただけではないのか?呪詛をツイートすることで、それは解決したのか?
室井「ちょっ……あの、田崎さんに質問したいんですけど、
共謀罪のことってぇ、こんなになんか緊急を要する必要ってあったんですか?
田崎「やっぱこの国会で、最重要法案ていう位置づけで、やってましたよね。
室井「でも、結局、そのー説明ができないっていぅ……説明できなかったじゃないですか。
田崎「あぁ」
室井「そういうことっていうのはぁ、あまり、国民に対して気にしないってことなんですか?」
田崎「いや、気にはしてますよ、そりゃ。あぁ。」
室井「はぁ」
田崎「あの、別にあの、せ、僕もあの委員会審議聞いてたんですけどもぉ。
委員会審議聞いててもね、なかなかねぇ、これ、わからないんですよ。
あーだからあのー、あの説明し、した、われわれの、政府の方は説明したつもりでもぉ、あのー、国民に伝わらない、っていうことが、現実に起こってるんですよ。えぇ。」
一見、納得感のある移民排斥の動機を思う付ける。たとえば...
この国に住む資格。「我々」はその資格を持っており、「彼ら」は持っていない。
「我々」はこの国に生まれたことによって、その資格を得たのではない。この国を築いた者の子孫であるが故に、その資格を得ている。
「彼ら」はこの国を築き上げることに、貢献していない。したがって、「彼ら」は「我々」と同じ資格を持ちうるはずがない。
たとえ、何の取り柄もないとしても、この国を築いた者の子孫であるがゆえに、「我々」には、この国に住み、そこそこの暮らしをする資格がある。
それを「彼ら」は不当にも奪っている。「彼ら」を叩き出せ。
でも、そんな複雑なことを誰も考えてはいまい。
※追記4
書き始めた時点で存在している、返信が必要だと思ったブコメに対する返信
id:kusoinakakagoshima 卑怯なのはテロ行為なんですが。ムスリムの価値は豚の糞以下だよ 肥やしにもならない
はい、テロ行為はこれ以上ないほどに卑怯です。しかし、表現の自由を守るという文脈で私たちはシャルリーである、と言うのも卑劣な行為ですというのは増田を読めばお分かりいただけると思います。また、あなたの後半の発現はヘイトも同然な発言です。在日の価値は豚の糞以下と言っるのと同様です。つまり、シャルリーにように建前として宗教を批判しているのではなく、建前の時点で宗教を信じている人たちを直接的に攻撃しています。
id:sny22015 難しいな。米映画「ラリー・フリント」では目を背ける様な唾棄すべき表現であっても法の下では護られるべきという、自由を勝ち取って作られた国の理念が描かれていたが…それは自由の濫用だという非難にも首肯できる
アメリカは徹底した表現の自由の国です。あそこまでいくといっそすがすがしいなという思いがあります。ヨーロッパは、特にユダヤ人に対する抑圧の歴史から、第二次大戦後ヘイトスピーチを規制しようという機運が高まってきたので、事情はアメリカとは異なります。
id:vhthlh これフランス国内の一般人や知識人達はどう考えていたのか気になる。
フランス人の間でも前々から議論になっていました。イスラム系団体の中には裁判という言論によってカウンターを行うグループが出てきたりしていましたが、こうした流れのさなかに今回のテロ事件が起きました。恐らく今まで積み重ねてきた努力が水泡に帰してしまうことを考えると、本当にテロは許されざる行為だという思いを強くします。
id:hal9009 これに乗じてこういう統制主義者とでもいうべき規制派・自由嫌いがもっともっとヘイトスピーチとされる行為の範囲を拡大していかなければならないって言い始める機会も増えるだろうな~
表現の自由を維持するためには表現の自由をabuseする言論を一定程度は規制する必要があると考えています。
id:ayanapapa 針ネズミが腫れ物に当たったわけだからどうしようもない。ただ日本も無関係な話ではない、イスラム教徒は増えているが他の先進国と同じく疎外され殻に閉じこもる。近い将来フランスと同じ事が起こらないことを祈る。
id:cider_kondo 欧州極右の主張は「イスラムは非寛容で政教分離を認めない。西欧の価値の根源たる自由と寛容とは相容れぬ」ぐらい。セキュリティホールの一種で、イスラム側が世俗主義を導入しないと論理的解決はほぼ不可能。難しい
ブコメの字数制限があるため分かりかねるところがあるのですが、それはつまり「欧州極右の主張にも表れているように、イスラムに対して持っている問題意識はこれこれが最大にして唯一のものだが、これがセキュリティホールとなってしまっている。イスラム側がそうした問題点を解決しないと先には進めない」ということですか。つまり、イスラムの人々が社会的に疎外されてる云々というところに対する反応だということですね。しかしながら、日本における在日問題も見れば分かるように、二世、三世はほとんどその国の人間と文化的には同質です。そうした人間であっても、社会的に疎外されて、結局イスラム教にしかアイデンティティを見いだせなくなり、そしてイスラム教=私たちという図式になってしまうのです。イスラム教を否定されると、イスラム教しかすがるところがない人々にとっては、自身を否定されたも同然になります。なお、イスラム教はあなたどころか、欧州極右が考えているよりも案外柔軟な姿勢も持つ宗教です。イランのイメージを強く持ち過ぎです。バーレーンのような国では本当にイスラム教徒なのか、というくらいには緩い生活を送る人々が多くいます。
id:oktnzm シャルリーの風刺が表現の自由の枠外なら諸国の言っている表現の自由とは一体なにをさすのやらw一番守りやすいとこ守っても切り捨て行為にしかならんよ。
前者に関して、シャルリーの風刺はヘイトスピーチであるので、それを表現の自由から外すことに何が問題かよく分かりません。後半に関して、主張するところの意図が分かりかねますが、後半部は「一番守りやすい弱者であるイスラーム系移民を守ったとしてもそれは表現の自由の切り捨て行為にしかならない」ということでしょうか。でしたら、そもそも表現の自由の枠内に収まらないヘイトスピーチである以上、切り捨て行為ではないと思われます。
id:type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利の価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなたが表現の自由よりも他の権利や価値観を優先しているだけの話だ。
与えられる、というか、侵害されないものとして、生まれつき保障されているというところに自由とか権利の価値があることは事実ですが、それを濫用することまでは種々の権利・自由は想定していないと考えています。つまり、他者の権利、即ち平穏無事に他者から毀損されることがないという権利を踏みにじってまで権利の濫用(ここではヘイトスピーチ)を行うことまでは許容されていないということは歴史が証明していることだと思います。なお、これは決して批判を行うことを否定している訳ではないことを付記しておきます。
id:nekora 如何なる歴史があろうと銃を乱射してはいかん。本邦国内に数十あるイスラム寺院にも本件についてどちらを支持するかの聞き取り調査と公表を急げ。
どうでもいいのですが、nekoraさんはもう同人活動を行われないのでしょうか。
id:masm これを見るに、テロは一定の成果を収めたのかな。糞言論であれ、10-0でテロリストが悪いって意思表示することは悪くないのでは?あと、「ヘイトスピーチ同然な言論」か否かを判断する十分なソースをまだ見てない。
はい、10-0でテロリストは悪いです。だからといって、あなたの言葉を借りたらヘイトスピーチも同然な糞言論も表現の自由の一環として保護することになる私たちはシャルリーである、というスローガンは非常に危ういものです。理由は既に述べてきたとおりです。
id:my_yours のっけから和訳を間違えている。
「We are 99%」に代表されるように、この手のスローガンは"私たち"という使い方をすることが多いので、Je suisではありますが、私たちと訳してしまいました。不適切なので、より原文に忠実に訳します。ご指摘ありがとうございます。
id:kappei 元記事の人もブコメで同調している人も、自由主義を理解してない。実はルソー、マルクスの系譜が日本では優勢な気がする。真理がある、と考える人たち。
すみません、何を言いたいのか、100文字という短すぎる制限では分かりかねるところがあります。申し訳ございません。
id:serio キリスト教徒が神だとしているイエス・キリストを、クルアーンで人間だと言明しているイスラームは、それ自体がヘイトスピーチなのではないか、と極論を言ってみたりする。
細かい話になってしまいますが、キリスト教徒はイエス・キリストを神である、とまでは言っていないと思うのでそのたとえの言わんとしているところが分かりません。
id:Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈でテロの被害者として掲げられているのだから、後者の文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは
それならいいのですが、表現の自由の一環としても利用されている、つまり後者の文脈でも利用されているのが問題なのです。つまり、その二つは別物なのに、スローガンにおいては前者の中に後者の視点も入れてしまっているのです。
id:homarara なんだそりゃ。誰かにとって辛い事は報道しちゃダメ、なんて縛りがあってたまるか。極論を掲載する新聞なればこそ、それを守る戦いが表現の自由を守る事になる。無難な事しか書かない新聞だけ守っても意味ないわ。
自身のアイデンティティを否定するようなヘイトスピーチは表現の自由の枠外であると考えています。「日本人は生まれながらの劣等民族であり、民族的に能無しで蛆虫で寄生虫で云々」というようなヘイトスピーチを載せる自由はどこにもないです。そして本件はイスラム教を自身のアイデンティティにせざるをえなかったにも関わらずそのイスラム教を批判されたために、先の日本人は民族的に云々と同等の効果をもたらしているのです。
id:hate_flag 苦しい生活を送っている移民が宗教に依存しているのでその宗教を批判したらテロられた、というだけのハナシじゃん。悪いのはテロであって宗教批判ではないよね。
はい、テロは圧倒的に悪いです。いや、完全にテロは悪い行為です。ですが、本件でJe suis charlieと掲げることはおかしな話なんです、というのが私の意図です。テロられたというだけの話ではありません。
id:rag_en 『「表現」の結果、とあるポジションが有利になるか不利になるかどうか』は、その「表現」の是非を決定付けません…で終了。表現規制の理由が「傷つく人が」云々な駄論の近似。「救済対象の選別」からの「聖域化」。
100字の文字制限があるからだと思うのですが、言わんとしていることが分かりかねます。申し訳ございません。
id:oldriver 思うに。(1)「テロリストにも三分の理」を全否定したい。つまり「この機にヘイトスピーチも糾弾しよう」というメッセージはNG。(2)言論の自由のコストを引き受ける覚悟表明。つまり、ヘイトは「我々」の問題である。
(1)も(2)もJe suis Charlieという標語の意図、ということですね。どちらも原理的には正しい態度ではあるように見えますが、その態度が本当に正しいものかどうかは非常に疑問なところがあるのですよ。元の増田で書きましたが、これは歴史や民族アイデンティティの問題も入った話です。そもそも、ヨーロッパではユダヤ教/ユダヤ人問題が大きなイシューになっていました。それを考えたときに、増田で書いたようなje suis charlieというスローガンの問題を掲げました。
id:sardine11 「あなたの言うことには何ひとつ賛成できないが、それを言う権利は死んでも守る」ことが言論の自由の意味であり近代社会の前提であるはず。たとえシャルリに嫌悪感を抱いても反テロ運動まで批判するのはどうなの?
反テロ運動を非難しているのではありません。反テロ運動の一環としての表現の自由の中にヘイトスピーチを行う団体名が入っていることを問題視しているのです。
id:ysync 暴力であるテロと言論であるヘイトスピーチを同じ「許してはならない」でくくるのはどうかと。テロは国家権力(暴力)で排除すべきものだが、ヘイトスピーチは批判すべき対象で暴力(国家権力)で排除すべきでない。
ヨーロッパにおけるユダヤ教/ユダヤ人問題が参考になると思います。
id:enemyoffreedom アレをヘイトスピーチとしてしまったらもう宗教の風刺・批判はできないような。不快で低質な表現こそを守れ、というのが表現の自由かな
宗教の風刺批判ではなく、その背後にいる、その宗教を唯一無二のアイデンティティとせざるを得ない、社会的に疎外された移民の人々に対するヘイトスピーチになっているということを増田では書きました。後者に関しては同意しますが、表現の自由は差別的・攻撃的・他者を毀損するまでの表現を認めていません。
id:shakespeareneverdidthis 例え在特会みたいな下衆であっても、報復として殺害されることがあってはならない。
それは全くもってその通りなのですが、表現の自由を守るという文脈も下地にあるスローガンに私は在特会である、というものを使うのはおかしいのではないのかという話です。
元々の話を忘れてもらっちゃ困る。村人AとBが「我々日本人」と言いうるのは日本国があるからだ、という話だぞ?
仮に俺が今でいう北海道にある村の住人で、君が沖縄にある村の住人だとしようか。
日本国がなければ、俺に取って君は「なんか南の方の村の人」だし、君にとって俺は「北の方の村の人」だ。
よそものであり、同胞ではない。血縁的にも遠い。「我々の子孫」? 何それ。俺の子孫と君の子孫は無関係だろ?
日本人が日本人を「我々」という一つの集合と見なし、その子孫の数を云々議論することが出来るのは、日本国という体裁があるからだ。
君個人の子孫なら明確に定義出来るけど、「我々の子孫」なるものの範囲を見定めるには、国家と国籍制度が先行する必要がある、という話。
君も認めちゃったでしょ、移民とか帰化とかの概念でその枠が変化することを。それは国家国籍の概念があって初めて成立するんだから。
むちゃくちゃなロジックだな。俺とおまえとその他の人間が集合して、共同体が成立する。その共同体を国と呼び「我々」は「国民」と再定義される。
独自定義で話されても困る。共同体と言っても、例えば村や町であっていけない理由がどこにもないだろ。国家を成立させ国籍の制度を作って初めて国民という概念が成立する。
俺らの遠いご先祖は多分日本列島のどこかにいたんだろうが、「日本人」であったかどうかは微妙だぞ。クマソ国の誰それだったかもしれん。
つまり、
国家としての体裁なんてどうでもいいだろ。要は我々の子孫が生き残るかどうかで、国家として存続していようが人類に占める子孫の比率が少なくなればそれは敗北であり、国家が滅びようとも子孫が他国ででも生きながらえて人類における人口比率を高めればそれは日本人にとっての勝利だろ。
は間違いだった、とやっと認めた訳か。疲れた。
「国家の体裁」に先行する「日本人」も「我々」もないよ、あるとしたらこの島国に偏って存在する遺伝的な特徴くらいだが、そんなもん守る価値あるのか? というところから話をしていたわけだが。
「国家の体裁」があるから初めて、「我々」という枠が定義され、「我々の子孫」なる概念が成立する。数を云々出来るのは、まず「我々」が国家によって同じ国民として定義されるからだ。
でまあ、「子供を作る義務」なんてものを設ける国はだいたい早死にするんで、国家としての体裁を守ることにはならないよ、という話。
特進クラスそのものだとは別に思ってないし、実績が無い上直ぐに中止にしてる辺り最初から実験台なのは明らかな訳で。
自分は高校生の時、数学と現国?以外の授業はすべて英語で行われていた。
これも何言ってるか全然分からない。結局どの教科が英語だったのか。数学と現国以外が英語、で、なんで具体的にいうと英語と倫理だけになるのか。
てか、むしろ数学なんて一番英語でやっても分かりやすいもんだろ。
なんで現国だけ分けるか意味不明だけど、漢文は英語かね?てか、古文は?わざわざ英語で訳すの???
何にしろ、倫理なんて、誰も勉強しないで60点70点取れる上に他の教科とかぶらないから皆ノー勉で受けるもんじゃん。今の制度は知らんけど、少くとも数年前までは。
トンデモナイも糞も無いんだけど。
あと、英語国語は別に問題ないし、数学も日本語がまともに出来てちゃんと数学のレベルがあれば、英語だけで学んでも余裕だろう。
理科科目も割とそうだろうな。化学の名前とかはちょっとあれだけど、4択だしな。余裕だろ。
教師以外が日本人ってのも意味不明。インターナショナルスクールでもないんだから当たり前じゃん。最初から特別クラスだからしてるとか言ってるんだし。
教師以外が日本人で、で、結局教師は?
海外に行ったの?そうでないならただ逃げただけだよね。別に英語で授業受けててもちゃんとした学力あれば上に書いたようにそれなりの大学までは余裕だよ。
2次のが余計大変だろうし。英語だけで入れる様な大学もあるだろうからそれなのかな?何のために大学行ったのかな?
せっかくトラックバックを頂くのであれば、大学の講義をすべて英語で行うことにこんなメリットがあるんじゃないかみたいな話を聞けたほうが良かったかとは思うけど、特に私が「これこれについての意見を求む」なんて書いた訳ではないからまあこれは勝手な願望だね。
そういうとこはあるじゃん?で、企業はそういうとこ好んで取ってるじゃん?それが何の意味があるかは別だけど。
大学の授業自体は殆どの学生なんて何も意味が無いんだから(結果的にそうしてる。内容どうこう以前にまともに学習すらしない)
どうせなら英語でもやってた方が何らかの意味にはなるだろ。そのために「勉強する」姿勢も得るし。
結果的には余り成果出てない感じだけど。まだサンプル少なすぎるし、そういう大学が教育方針自体が特殊すぎるから分からない事は多すぎると思うけど。
秋田の新しい学校とか、ホントか嘘かしらんけど、もう缶詰みたいなので勉強させてるよね?
あれがいいかどうかは知らんが、ま、少なくともその辺の学生よりは「勉強」はしてるだろう。
あと、そのまとめは大学院まで言及してるが、理系だけかもしれんが、俺が居た大学は、大学院では学生が一人でも英語でやることを要求した場合、
絶対に英語でやらなくちゃいけない、という決まりはあった。(教授が毎回最初の授業で聞いてた)
最初に聞いてた、で分かるように、基本的には日本語でやってたけど。敢えて英語でやったところで意味が無い、って愚痴ってる人も居たけど。
逆に学部の授業すら、英語でやるから、っていう教授も居た。(普通に理系の専門科目)。
まあ、研究やらなんやらで必要になるから英語なんてやるしか無いし、そもそもその程度出来ないなら来るレベルじゃない、って感もあったし。
ちなみに、知り合いがスイスの大学院に修士の時に1年留学みたいに行ったが(日本の修士を1年休学)
そこではフランス語の授業だったって。英語じゃなくて。(そいつは理系のくせにフランス語まで簡単に覚えやがるおかしなすごい奴)
横だけど、やっぱ口汚く罵る左側の人って一部でしょ
1.ネット/マスメディアで目立っている人(必ずしも馬鹿じゃないけど、口汚いので誤解を産むこと多し)
ちょっと地味な、文系の研究者とかは、たいがい、「そこそこまともな左翼」が多いよ。
ただ、だいたいが、内輪向けのちょっと小難しい言葉で話してることが多いので、
外向けに目立つ人が少ない印象はある。
地味な左翼は、基本的に、馬鹿な頭の悪い左翼集団とあまり関わりたくないと思ってるよ。
たまに、disるけど、内輪もめに時間費やすのを、そこまで生産的だと考えない人が多いのだとは思う
っつーか、「左翼」というカテゴリで見られるとかっていうこと自体を想定している人が最近はほとんどいないと思う。
(まともな人であればあるほどに。)
「おれたちは左翼だ!」って言う人達のむれが、今、ほとんどいないのだから、
あなたの言う「左翼」に派閥意識を前提とした立ち振舞を要請されても、困るというのが実情だと思う。
それと、最近の、在特会どうこう関係は、だれが何いったかとかまったくウォッチしてないのでわからないけど、
一応、「我々」という派閥意識が成立するところでは相互批判はもちろん、ある程度存在する。
レポートが終わらずに朝を迎えるであろう私が、現実逃避にはてブをさまよってたら
『はてなブックマーク - 左に立っている人には真ん中さえも右に見える - とある青二才の斜方前進』
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TM2501/20121211/1355218653
一瞬バグかなっとおもい、開いたらそこにはまぎれもなく『「はてブのコメント」に対するコメント』があるじゃないですか
どうやら、はてな左翼騒動の余波らしいですが、私は追っかけてもないので知らぬ存ぜぬなので、それはおいといて。
はてブという、ブログのコメントとは違い一方的にコメントをつけられるものを使い我が物顔でコメントしてきた「我々」が
同じようにレッテルを貼られたりコメントをつけられる それも「我々」自身によって
ていうか、もしかすると新しいコメントツールでもあるんじゃないでしょうか、コメントに対するコメントによるコメントの重層か
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
いけないカフェインを取りすぎた
.....いいよね?(涙
>望む望まざるとを問わず、世間にどう認知されたかだけが重要。
>宅間守だって犯罪者としてのイメージを望んでいたわけじゃないけど、君に例に出されてしまうほどの犯罪者としてのイメージが付いたわけじゃん。
だから、その理屈で行くとOTAKUは全員犯罪者予備軍なんだけどキミ的にはそれでFAなんでしょ。
>正しさなんか、ここでは関係ないでしょw
>あくまで「キャラ」。そこに誤解があろうがなかろうが、我々は世間の認識を通じてからしか「キャラ」は語れない。
>我々が、ガガの歌を聴かない世間が認識する「キャラ」を前提としてしか、話はできないの。
>どうしても悪女としてのガガの話がしたいなら、「世間ではこう認識されているけど、実は」という前置きをしてから始めなさいよ。
>共通の認識をすっとばしたところから話をスタートされても困るでしょ。
実はもへったくれも、デビューアルバムがあの路線なのは事実であって、知らない奴は単なる無知でしかないんだけどな。
つーかその前に、その「我々」はお前であって俺じゃない、ってことわかっといてね。
http://savejapandolphins.blogspot.com/2010/08/we-are-canceling-our-plans-in-taiji-for.html
幾つかの重要な理由により、9月1日に予定していました日本の太地での予定をキャンセルする事にしました。
その中で一番重要なのが、太地で暴力的な右翼団体が我々を待ち構えているという情報を入手した事です。我々の日本での活動は決して衝突が目的ではありません。イルカ虐殺の実態と、水銀まみれのイルカ肉が市場に出回っているという真実を人々に伝える事で我々は前へ進む事ができるというのが我々の考えです。これを「我々vs奴等」…過激右翼組織をバックにしたイルカ虐殺者と、日本の文化を破壊しようとしている外国人という対立の図式に持ち込もうという右翼団体の目論見に乗るつもりはありません。
右翼団体の方々は自由に太地で集会すればいいでしょう。我々は日本の他の場所で、メディアと話し、問題を説明し、我々の目的は争いではなく癒しである事を人々に理解してもらうよう活動します。多くの日本人の方々は我々の言葉に同感して下さるでしょう。
「我々」は、今は153国から集まった160万の人間です。「日本のイルカを救おうチーム」は9月1日に日本の地で、この年間行われているイルカの虐殺に対して抗議し、これを平和的に、礼儀的に行ないます。
残念と感じる方もいらっしゃると思いますが、今の時期は太地以外の地域の方が良い成果が得られると我々は思います。そして、どうか私は自分の身の安全の事は重要視していない事をご理解下さい。私の他にも多くの支援者が来られ、彼らの身の安全まで危険に晒したくはないのです。
太地や他の漁村で危機に晒されているイルカ達を見捨てはしません。むしろ、イベントを別の場所に移す事で問題の全体像を捉える事が出来ます。日本の海沿いには他にもイルカを殺している団体がいます。ただ、殆どはザ・コーヴで見られるような追い込み漁はもう殆ど行われておらず、日本のイルカの殆どは沖で小さな船から銛を使って捕えられます。また、更に視野を広げると監禁の問題も見えてきます。これらについては、中立で対立のない環境で議論したいと思います。