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2009-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20090518074910

在外邦人にメリット出来るんじゃない

増田の言う「我々」に当てはまるのか分からないけど

2008-07-02

関西人増田です。クリリンのことではありません

どうも、この記事の作者です。前もって補足記事に追記して釘を刺しておいたにも関わらず、よくわからない反論(?)が来てしまったので、一応フォローしておきます。同様の誤解をしている人も結構いるらしいので。

題名読めと言ったのに

実を言うと、この記事については反論することはあまりないんですね。言ってることは、細部はともかく全体としては同意できるものですし、知らないこともいろいろ書いてくれて勉強にはなりました。

ただし、唯一同意できないのは、それをもって私への反論だとしていることです。だって、この人の書いてることって、私の書いたことの「東京」と「関西」を入れ替えて、似たような立場から書いただけの話なんですから。それに私が文句言うわけないじゃないですか。そして、「関西風土のよい点を聞きたい」といわれても、私は最初からお国自慢なんかする気はないと補足記事で断ったはずです。木によりて魚を求められても困ってしまうのですが。

この人に限らず、反応の中には、自分が批判されたと思いこんで怒っていらっしゃる方がおられたようで、それが少し気になりました。そうした方々は、私がいったい何を言っていると思ったんでしょうか。私は「東京」を批判したのではなく、「東京は中心で地方は周縁」という迷信を批判したのです。いくら私でも、東京の人の全員が「大阪人民度が低い」なんてことを言っているとは思いませんよ。確かに、最初の記事を意地悪く読めば「東京人間は全員偏見まみれ」と読めなくもないかもしれませんが、たとえば「アメリカでは、進化論さえも政治的な話題として扱われてしまう」という書き方だったらどうでしょうか。アメリカとかアメリカ人を全部ひっくるめて批判したことになるでしょうか?

その辺の誤解を防ぐために補足記事を書いたわけだし、題名に「東京が嫌いなんて誰が言った?」と書き、本文中に「文化や言語に優劣などありはしない」と太字を付けてまでわかりやすく書いたにもかかわらず、「お前なんか大嫌いだ」と言われるのであれば、もはやこの方は私が何を言おうと気にくわないのだと判断するほかありません。「そうですか、残念です」としか言いようがないことです。

この人ばかりではなく、同様の感情的罵倒がいくつかあったことは残念です。「東京は中心」という迷信を批判したらそれがすなわち東京を批判したことになっているのだとしたら、その人の中では「東京こそが中心」という迷信が自明化されてしまっているのでは、とこちらまで邪推したくなりますよ、そのうち。

埼玉の件は「産む機械」ではなかったかもしれない

あと、埼玉の件が思った以上に誤解を招いているようなので、一応補足しておきます。

おそらく、誤解を招いているのはこの一文でしょう。

我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。

この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。

たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。そういうわけで、最初は「『産む機械』じゃあるまいし、邪推も大概にしてくれ」と思って無視していたのですが、確かに主語「我々」となってみると、「埼玉人」も集合名詞であると誤解しやすいかもしれないと思い直したので、一応念のため補足しておくことにしました。ただそれにしても、直後に

それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。

とまで書いているのだから、埼玉馬鹿にされたと読まれるとは正直思いもしなかったのですが。

あ、ちなみに、上の引用箇所の「東京人」も「(その手の)東京人」とでも読み替えてくださいな。なにしろ、ホットエントリになると思わずに愚痴を書き捨てただけだから、細かいところで舌足らずなのは正直ご勘弁いただきたいです。そこを補うために補足記事を書いたくらいなので。

いやー、はてなって、本当に面白いものですねー

以下蛇足。私が匿名日記を書くとときどき、捨て記事のつもりで適当に書いた記事に限ってホットエントリに入ったりする(受けを狙うと全くといってよいほど入らない)んですが、そのとき必ず一部の特定の同じ人たちが罵倒を浴びせてくるのはなんでなんでしょうね?毎回、全然違う話題について述べているのに。好意的な反応をくださる方は毎回顔ぶれが別なので、ますます不思議です。

揚げ足取り様ご苦労様です

もういい加減腹が立ってきた。

b:id:perfectspell 間違い探しゲーム, 100字コメント一部にそういう人がいるから「埼玉は卑屈」「埼玉馬鹿にされている」と書くのがOKなら、「大阪民度が低い」と全てのメディア(ネット含む)が言ったとしても、エントリ主には「一部の」と脳内補完されて無問題?

本当に「間違い探しゲーム」ですね。まず、「民度」という言葉は集団に対して使う言葉ですね。次に、「馬鹿にされている」と書くことが罵倒なら「障害者差別されている」と書けば障害者差別なんですかね?最後に、「埼玉は卑屈」なんて書いてないでしょ。人の書いたことをわかりやすく歪めないでください。だいたい、「一部の」とかそういう問題じゃなくて、たとえば「馬鹿な男が」とか書いたら「男は全員馬鹿」って意味になるんですか、という話ですよ。誤解の余地がある書き方をしてしまったことは認めますが、わざわざ悪い方に解釈されるのは心外です。

2007-03-20

人間を食べても罪にならない文化もあった

http://anond.hatelabo.jp/20070319203218#tb

・基本的に「同族を殺すな、食うな」というルールが元にあった。

・当然そうしない種族は共食いで殺しあうので後世に残らない。

必然的にそういうルールをもったものだけが生き残る。

・他部族は自分達とは違う、人間扱いしなくても良い。だから殺して食べてもよかったところもある。

・「同族」の定義がヒトという種全てだ、ということになった現代では、人殺し・人食いは罪。

・牛が遺伝子いじくられて知性をもち、「同族」「我々」の定義に含まれた世界では、牛喰いが罪になる可能性が高い。

・牛よりも猿とかは現実にそういう主張がある。

・「同族」「我々」とそうではないものに明確な線引きはない。あったとしても、境界線上に存在するものが必ずある。

堕胎問題などで「どこから命なのか」など言われるのと同じ。個人によってそのラインは異なる。線引きは常に誰かが恣意的にしたもの。

戦争で相手を殺してもよいことになるのは、こういう理屈関係している。

・他国の「我々」は自国の「我々」よりも、より「我々」でない。どちらかが死ななければならないなら、死ぬべきは向こうのほうだ。

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