はてなキーワード: 集団自決とは
同性愛者は生産性がって言われたら安部元首相夫妻はどうなんだだの言ってるお前だよお前
それって水脈の論理をお前の中に内在化している、つまりは水脈と同類に成り下がってるってことだからな
□○メガネの学者に反論するために「歳とっても役に立ってる老人はいる!」とか反論してる輩もそうだよ
後は「歳取ったらお前も自決するんだよな」とか言ってるアホ、そいつが高齢者になった瞬間に切腹したからってその言動が許されるわけじゃないだろ少しは考えろ
本当に人権や尊厳を大事にしたいと思ってるんだったら安易に相手の論理に乗っかることは厳に慎んで単にNOを突きつけるべきなんだよ
そうじゃないなら論破して気持ちよくなりたいだけのオナニーでしかないよその行為は
マジで恥を知れ
会社のNo.2やってるが、社長が無限に自分の仕事押し付けてくるので100万利益出る案件を取り逃した
ワイ、年明けからまじで休みなく働いてるがそれでも終わらない量の仕事を押し付けられる
引退におわせ発言を5年前から続けられていたが、代表取締役からの引退はしないけど仕事からの引退はきちんとするらしい
役員報酬は変わらず取り続けるので社員を増やすのも苦しい(仕事しない社長の報酬が無かったら5人は雇えるのが悲しい)
繁忙期と重なってもう俺の胃は限界だよ
仕事は嫌いじゃないんだけど、社長がせんべい食うだけのお仕事で月200万持っていくために働いてるようなもんだよなと思うとやる気が出ない
今「高齢者の集団自決」とか「colabo問題」などあるが、この頃炎上させる気持ちも分からんでもないけど、その力を少しだけ救う方向に転換してみてはどうだろうと思っている
じゃぁその中にいる高齢者達をどう救うのか
「成田さんはよく『老人は自害』と言ってるじゃないですか?老人は実際日本から退散した方が良いと思うんですよ。老人が自動でいなくなるシステムはどうやって作ります?」
みたいなことを考えて、その答えにのっかるような発言をされた小学生とどう接していいのか
他の方向へ考えることの方が必要だとは思った。
ちなみにウィリアム・マッカスキルの『〈効果的な利他的主義〉宣言!善意活動への科学的アプローチ』は持っていて、物凄くさらっと読んで、日本赤十字社のトルコ・シリア地震救援金に5000円払い初めて自ら寄付というものをした。
しかしその後、このお金でビックマックいくつ食べれたんだろう…とかいう『シンドラーのリスト』の中のシンドラーが、私の心の中では反シンドラーという現象(誰かこの現象を上手く名付けてほしい)が起こっていた。
まぁ今はどんどん現状がひどくなっているようなので多分良かったんだろうと思っている。
他には献血とかも行った方がいいのかなとか考えてたりする。ただ針が怖いのでちょっと躊躇しているが。
やっぱ、グラフとかデータとかで貧困国の状況とか比較であらわせられても、自分に時間とお金に少し余裕がないとなかなか、行動するのは難しそうだし、まずやっぱり国内から救った方がいい思ってしまった。
多分分かってない部分がかなり多いので、あとでじっくり読んでみようとはしている。
この後の文章は
安楽死に対する考え
私の現在状況が書かれている。
興味のある方は読んで欲しい。
T4作戦を実行したナチスドイツの総統のヒトラーが現代にタイムスリップして世論を動かしていく『帰ってきたヒトラー』とか
実際歴史はあってるのかよく分からないけど、物語の中では軍の命令で、戦って手や足がなくなったり動けなくなったりした重症の人達に毒を飲ませたり、刃物で自決したりする、『激動の昭和史 沖縄決戦』
を見てたのでさすがに怖くなって、あなたに安楽死について考えてほしいなんて言われたくないし、どうせメディアも視聴率や再生回数のためにTVやネットで出してんだろうとは思う。
「colabo問題」はいろんなのが絡んでて実際よく分からんが、不正に税金使ったり、叩き合ってるイメージしかない。名誉棄損的なものが互いにあって、怖いし苛立ってるんだろうなとは時々思う。訴えたりするのも仕方がないのだろうが、その集めたお金で一体何人救えるのだろうとは思った。
安楽死については
カルト問題にちょっと興味をしめし始めた頃、『世界』の2022年の12月号を買ったのだが、ちょうど『安楽死を遂げるまで』や『安楽死を遂げた日本人』を執筆した宮下洋一氏のルポが載っていた。フランスの巨匠ゴダール監督の安楽死について書かれている。
安楽死容認国では今、「死にたいと」思わせる社会に潜む問題の解決よりも、その意図に反映に重点を置く傾向にある。それが「死ぬ権利」というものなのか。私の理解が彼らに追い付くには、まだ時間が足りないのかもしれない。
『PLAN75』とはちょっと違った目線から見る、もし現代自分の家族が安楽死を願ったら?というのがテーマで、主人公の父親が脳卒中で回復を少しずつしているのにも関わらず、死を願う。というのがあらすじ
終末期でなく、まだ生きる望みがあるならば?
「尊厳ある命」とは一体何なのか…。
とコメントしている
見た感想としては、まずこの親子関係複雑だし、抗うつ薬みたいなの飲んでるし、その精神的なものを回復できることはできなかったんだろうかと思った。何がどう回復なのかは分かってないのかもしれないが。やっぱ価値観が違うんだろう。
まだ自分の親は認知症でも脳卒中でもないし、今聞く勇気もない。
主人公の父親のようにあそこまで頑固でもないと思うし、病気になって回復してきたら少し気持ちが変わるかもしれない。
いろいろ考えると答えは出ない。
私の場合、おそらく個人の尊重を優先してと思いながら親の安楽死を願ったとしても、必ずどこかでは自分の介護の負担が出てきて楽になりたいとう気持ちがどこかには少なからずあると考える。
もし今、日本の政府が安楽死法案を出すとしたら、本当に苦しんでいる人には悪いとは思うけど、私は反対する。
今回の問題発言もそうだし、それに賛同する人達や、笑っている人達、や政治家たちの失言を見ると優生思想が強すぎると感じる。
私の現在状況
その時のB型事業所は、月曜日から金曜日10時~16時(昼休憩45分)で給料は平均して月1万5千円くらい。
今の給料は平均して月7万円くらい。
家賃は3万ほど出している。
今、年金は払っていない。
まだ私は親がいる分、生活は楽な方だとは思っている。
貯金は300万ほどある。
もう遅いのか、NISAとか考えた方がいいのだろうかと最近思う。
発症原因はあまり教えたくないので、ここには書かないことにする
普段、母親の部屋で洗濯物を取り入れて畳んでいるのだが机の上に、一冊の本がカバーを裏側にして置いてあった。
なんだろうと思い、カバーを取ったら『老いの品格』という本だった。
中の目次さっと見たら、良い老人であろう的な感じがした。
まぁ品格って書いてあるし、そうなんだろう。
これを見て思い出したのが、テレビでやっていた『月曜から夜ふかし』の"通りすぎる人全員に会釈するおばあちゃん”の回である。
ある女性がその行為を不思議がって調べてほしいと投稿した話なのだが、そのおばあちゃんの理由が感動というよりも、そこまでさせないといけない社会なんだなと思ったし、私たちもそういう風になるのかもしれないと少し怖くなってしまった。その理由は興味があれば調べてほしい。
私は母親とうまくいっておらず、会話はほとんどない。なので何を考えているのかよく分かっていないのだが、そんな感じでとりあえずこの本をkindleで買うことにした。そして最優先にこれを読もうと思う。
ついでに、映画『生きる LIVING』のパンフレットも置いてあった。
まぁ母親と話せば済む話なのだが。それができないのが私のダメなところである。
どこで働いているか判明されるかもしれないので、分かりにくく書くが、清掃作業をするととある消耗品が毎回なくなるのだが、それを注文するたびに一枚の絵ハガキが入っている。
その絵は私にとっては上手くはない。おそらく障害者が描いたであろうと思われる。
初めはその絵ハガキを清掃道具入れにためていた。捨てると罪悪感がある気がしたのもあったし、以前ここで障害者雇用として働いていた人がずっとそうしていたのもある。
その後一旦その清掃道具入れを整理してほしいと補助役の人に言われたので、このたまった絵ハガキはどうしようか相談し、申し訳ない感じもするが捨てようということになった。
それから少し経って、相変わらずその新しく入ってきたその消耗品の中には、絵ハガキが入っている。ふとなぜこの絵ハガキは入っているのだろうと疑問に思い、その意図は分かってはいないが、私としては「絵は描けます」というメッセージみたいなのを受け取った。
もしこれが、障害者でなく高齢者だったらどうなんだろうとか、通院している精神病院に、病にかかっている人が作った、よく分からないパズルとか、ちょっと凝った折り紙だったりとか展示されているのを見るとあれは一体何なんだろうと不思議だったが、これも実際意図は分からないが、この社会にいる存在を表しているのではないのかと思うようになった。
その後、私はこの上手くはない絵ハガキをなんとなく家に持って帰っていて、本当に何かの緊急事態が起こった場合以外は捨てずにためることにしている。
その消耗品の会社が分かった人は、変な人が絡むと嫌なので黙っていてほしい。
終わり
両立しないぞ?統計では、マスク外したら感染広がって、特に老人や基礎疾患者の死者増えるって出てるんだから。実際、去年の夏まつりや祇園祭でそうなったんだから。
マスク外すのが個人の自由とか言っている奴は、「老人の集団自決」よりひどいこと言ってるんだぞ?自覚しろよ。
自決は本人の意思でやるのだから、仮に「老人は集団自決OK」になったところで、別に老人本人が同意しなければ、このルールで死ぬ人は増えない。
しかし、「マスクは個人の自由」になって感染者増えたら、死にたくない老人も重症化して死亡するんだぞ?
別に「マスクは個人の自由」が悪いといっているわけじゃない。ただ、「マスクは個人の自由」にすれば「老人は集団自決」の時より、不本意に死ぬ老人は増える。
事実上、「マスクは個人の自由」と当然のように言う奴は、「老人は集団自決」よりひどいこと言ってる自覚を持てよ。現実を見ろよ、と言っている。自覚しないで言ってるやつがあまりに多すぎる。
「高齢者集団自決の前にやまゆり園があるんだと思う」ってさあ、
まあ全く間違いではないだろうけれど、
発想として高齢者集団自決にもっと近いのは、保育園落ちたぞ日本死ねや子育て罰とかという言葉が流行る状況だと思うよ?
「高齢者は集団自決せよ」の成田悠輔が炎上しているが、個人的には過激なレトリック自体は許容されるべきだと考えている。
例えば、赤木智弘も16年前に『論座』で「希望は戦争」と言ったが、これをきっかけに当時の若者に向けられた自己責任論が反省され、若者が直面している深刻な貧困や排除の問題に焦点が当たるようになった。「戦争」というレトリックを使わなければ、ここまで注目を浴びることはなかったはずだ。成田も赤木と同様に過激なレトリックで、世間に向かって問題提起をしようとしたのだろうし、炎上していることについても、むしろ「狙い通り」と余裕で見ているはずである。
しかし、おそらく成田の予想に反して、「高齢者は集団自決せよ」は、「希望は戦争」と比べるとほとんど共感の声が見られない。赤木の「希望は戦争」が当時、上の世代の護憲派左翼には批判されたものの、下の世代の論客からは共感され歓迎されたのとは対称的である。
それは優生思想が含まれているから、というだけではない。赤木の「戦争」には、非正規雇用の若者からの、社会的な平等や承認が得られない世の中が「平和的」に続くことへの絶望感が表現されていた。しかし、そのような差別や排除を受けた側のルサンチマンや社会正義の実現を求める声は、成田の「集団自決」には全く存在しない。逆に、「使えない奴はさっさと退場しろ」という、経済的な権力を持つ強者の側からのメッセージと一体化している。これでは共感が集まるはずもないだろう。
そもそも世代間対立の図式は使い古されたものであり、そこには新しい視点や知識は何もなく、むしろそうした図式で社会を理解することは適切ではない、ということが反省されるようになっている段階にある。高齢者の医療・年金が若者の一方的な負担であるかのような、社会保障についての理解も根本的に間違っている。経済学者としては優秀なのかもしれないとしても、社会保障について語っていることは明らかに高校生以下である。
成田悠輔が一番ダメなのは、「高齢者は集団自決せよ」と主張した部分ではない。その部分については、「あくまで過激なレトリックで、炎上は想定内というか意図してやっていること」「優生思想とか批判している連中は発言の意図を理解しようとしていない」と、逃げることができる。
しかし、高齢者の社会保障のために若者が負担に喘いでいるという認識については、学部一年生が読む社会保障論を斜め読みしていればあり得ないレベルの間違いで、こっちのほうがもっと問題。成田に限らず、「頭がいい」という自意識の高い連中は、社会保障の基本の中の基本を理解しようとしない傾向がある。特に経済学者に多い。
成田悠輔の「高齢者は集団自決すべき」を「優生思想だ」という理由で反論したり糾弾したりしてる人がいて、ものすごくもやもやする。
「高齢者は集団自決すべき」に賛成するか反対するかはおいておいて、これは、「優生思想」ではないし、そのことに気が付かずに反論してる大学教授とかもいたりして、ものすごくもやもやする。
優生思想は「身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想」のことだ、Wiktionaryによれば。
「高齢者は集団自決すべき」は、「身体的、精神的に秀でた能力」に「関係なく」、「一定の年齢以上の高齢者は集団自決すべき」という論なのだから、その点については優生思想の真逆では?
これが、「高齢者にテストをさせて、優秀な高齢者だけ残せ」とか言ってたら、優生思想扱いでいいんだけど、「誰でも一定の年齢を超えたら集団自決すべき」は能力を見ていないんだから、優生思想ではないだろう。
それに、優生思想は、優秀な人類を後世に残す話なので、いわゆる子作りや子育てに介入しようとする。例えば、障碍者の生きる権利は認めるけど、次の世代が作れないように生殖能力だけ奪え、とか。あるいは、優秀な民族同士での集団結婚を公的に奨励するとか。そうしたことをナチスがやってたのも確か。
が、高齢者は、一般にはほとんど子供を作らないので(男性は子供を作れる人がいるにはいるが)、「高齢者は集団自決すべき」論は、「後世に残すべき遺伝子」については何も言っていないし、能力による優劣についても何も言っていないわけだ。
その点でも優生思想とは大きく異なる。
優生思想というのは、能力の優劣で子供の作りやすさをコントロールして、「親と子は似る」という遺伝の性質を利用して、「次の世代」の性質を遺伝を使ってコントロールしようとすることだ。
誰も死なない話でも、例えば、高学歴者限定の婚活パーティ費用を市が支援します、みたいなのも優生思想に含まれる。高学歴者という能力の高い人間だけ、子供を作りやすい環境を公的に支援しようとしているからだ。
「高齢者は集団自決すべき」を批判するのはいいんだけど、そこの所、優生思想との区別をつけてくれないと、逆に、「人が死ぬ話じゃないんだからいいだろ」みたいな理由で、優生思想が矮小化されることにもつながるので、怖い。
欧米人のコメントが単純に成田氏を邪悪な異常者と表現するコメントばっかでがっかりした。