成田悠輔の「高齢者は集団自決すべき」を「優生思想だ」という理由で反論したり糾弾したりしてる人がいて、ものすごくもやもやする。
「高齢者は集団自決すべき」に賛成するか反対するかはおいておいて、これは、「優生思想」ではないし、そのことに気が付かずに反論してる大学教授とかもいたりして、ものすごくもやもやする。
優生思想は「身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想」のことだ、Wiktionaryによれば。
「高齢者は集団自決すべき」は、「身体的、精神的に秀でた能力」に「関係なく」、「一定の年齢以上の高齢者は集団自決すべき」という論なのだから、その点については優生思想の真逆では?
これが、「高齢者にテストをさせて、優秀な高齢者だけ残せ」とか言ってたら、優生思想扱いでいいんだけど、「誰でも一定の年齢を超えたら集団自決すべき」は能力を見ていないんだから、優生思想ではないだろう。
それに、優生思想は、優秀な人類を後世に残す話なので、いわゆる子作りや子育てに介入しようとする。例えば、障碍者の生きる権利は認めるけど、次の世代が作れないように生殖能力だけ奪え、とか。あるいは、優秀な民族同士での集団結婚を公的に奨励するとか。そうしたことをナチスがやってたのも確か。
が、高齢者は、一般にはほとんど子供を作らないので(男性は子供を作れる人がいるにはいるが)、「高齢者は集団自決すべき」論は、「後世に残すべき遺伝子」については何も言っていないし、能力による優劣についても何も言っていないわけだ。
その点でも優生思想とは大きく異なる。
優生思想というのは、能力の優劣で子供の作りやすさをコントロールして、「親と子は似る」という遺伝の性質を利用して、「次の世代」の性質を遺伝を使ってコントロールしようとすることだ。
誰も死なない話でも、例えば、高学歴者限定の婚活パーティ費用を市が支援します、みたいなのも優生思想に含まれる。高学歴者という能力の高い人間だけ、子供を作りやすい環境を公的に支援しようとしているからだ。
「高齢者は集団自決すべき」を批判するのはいいんだけど、そこの所、優生思想との区別をつけてくれないと、逆に、「人が死ぬ話じゃないんだからいいだろ」みたいな理由で、優生思想が矮小化されることにもつながるので、怖い。
本気で書いてるの?
どこがだめなの?具体的に指摘してみ?
「本来の」とか「元々の」とかつけた方がいいよ。言葉は移り変わるものだし。
この件で怒ってるのって真面目で頭が悪い奴らだと思うよ。