2023-02-20

成田悠輔の「高齢者集団自決すべき」は優生思想ではなくね?

成田悠輔の「高齢者集団自決すべき」を「優生思想だ」という理由反論したり糾弾したりしてる人がいて、ものすごくもやもやする。

高齢者集団自決すべき」に賛成するか反対するかはおいておいて、これは、「優生思想」ではないし、そのことに気が付かずに反論してる大学教授とかもいたりして、ものすごくもやもやする。

優生思想は「身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想」のことだ、Wiktionaryによれば。

高齢者集団自決すべき」は、「身体的、精神的に秀でた能力」に「関係なく」、「一定の年齢以上の高齢者集団自決すべき」という論なのだから、その点については優生思想真逆では?

これが、「高齢者テストをさせて、優秀な高齢者だけ残せ」とか言ってたら、優生思想扱いでいいんだけど、「誰でも一定の年齢を超えたら集団自決すべき」は能力を見ていないんだから優生思想ではないだろう。

それに、優生思想は、優秀な人類を後世に残す話なので、いわゆる子作りや子育てに介入しようとする。例えば、障碍者の生きる権利は認めるけど、次の世代が作れないように生殖能力だけ奪え、とか。あるいは、優秀な民族同士での集団結婚公的奨励するとか。そうしたことナチスがやってたのも確か。

が、高齢者は、一般にはほとんど子供を作らないので(男性子供を作れる人がいるにはいるが)、「高齢者集団自決すべき」論は、「後世に残すべき遺伝子」については何も言っていないし、能力による優劣についても何も言っていないわけだ。

その点でも優生思想とは大きく異なる。

優生思想というのは、能力の優劣で子供の作りやすさをコントロールして、「親と子は似る」という遺伝性質を利用して、「次の世代」の性質遺伝を使ってコントロールしようとすることだ。

誰も死なない話でも、例えば、高学歴限定婚活パーティ費用を市が支援します、みたいなのも優生思想に含まれる。高学歴者という能力の高い人間だけ、子供を作りやす環境公的支援しようとしているからだ。

高齢者集団自決すべき」を批判するのはいいんだけど、そこの所、優生思想との区別をつけてくれないと、逆に、「人が死ぬ話じゃないんだからいいだろ」みたいな理由で、優生思想矮小化されることにもつながるので、怖い。

そこをしっかり理解できない人には、安易優生思想に結び付けて成田悠輔を批判しないでほしい。

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