はてなキーワード: 生活保護受給者とは
彼らが維持している税制で利益を得ているのは所得税の累進上限と資産税分離課税のメリットを受けている年収1~2億円以上(相応の資産持ち)の人間だから。
海外資産の運用収入から得ているなら、その年収でも自民党支持もアリかもしれない。
また、海外企業に日本在住でリモート勤務しているなら、所得再分配を経済政策に掲げていない政党(旧民主系)もアリかもしれない。
日本経済の縮小によって撤退の可能性がある国内外資系勤務なら、さすがにそんなことは考えないだろうけど。
まぁ、日本経済の没落による人件費の低下から利益を得られないのであれば、日本の政党の中で数少ない、所得再分配による消費の喚起を経済政策として掲げているれいわ新選組か日本共産党が、あなたにとって投票するメリットがある政党だと思うよ。
生活保護受給者~世帯年収5000万円程度で、よほどの資産家でなければ、それが一番。
文民たる日本国民が唯一日本国の国防に直接参加できる一般予備自衛官補に18歳の誕生日になったらすぐ応募してしまうような人は、これらの政党に票を入れることを躊躇するだろう。それはわかる。
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。
生活保護受給者なので、収入があった場合役所に届け出なければならない
この時点でFAX・郵送でもいいか、と聞くと手書きで本人手渡しの一点張り
(DXどこいった)
UberEatsなどの短期的なアルバイトが増えた昨今で、安定的なパート・正社員"しか"ない書式になっている
プラスして、相手方の企業に書類を書いてもらうよう指導をうけた
私は近所なのでよいが、リモートやUberEatsの場合どうなるんだろう…
また、ふしぎなのが役所内での契約所員にあてはめて、テンプレートをうめていっても、契約の部分とフレックスタイムの部分で埋めるのは無理である
備考欄はあるので、そこにすべて書けばよい、ということでもあるが、ならコピー紙にWORDで書いてもよくないか?
担当によって書類が義務になったり口頭でよくなったり、そもDXされてなかったり、マイナ使え
など言い出したらキリがないのでしめる
その一か月数千円の儲けを、毎月役所に行って通帳のコピーをとって窓口にて届け出なければならないそうだ
もちろん窓口まで直接行かなければならない
_
ここからわかるのは、生活保護からのステップアップをした人間は、少なくとも自分の自治体では極少数ということだ
派遣や契約でもこの就職届出にひっかかればテンプレートの見直しがはかられるはず
こうした書類でずぶずぶと沼につかり、税金だから文句言うなと責められ、ステップアップできず還暦を迎えるかもしれないと思うとぞっとする
近々、インボイスが始まるとのことだが、…どうなるんだろう
生活保護受給者なので、収入があった場合役所に届け出なければならない
この時点でFAX・郵送でもいいか、と聞くと手書きで本人手渡しの一点張り
(DXどこいった)
UberEatsなどの短期的なアルバイトが増えた昨今で、安定的なパート・正社員"しか"ない書式になっている
プラスして、相手方の企業に書類を書いてもらうよう指導をうけた
私は近所なのでよいが、リモートやUberEatsの場合どうなるんだろう…
また、ふしぎなのが役所内での契約所員にあてはめて、テンプレートをうめていっても、契約の部分とフレックスタイムの部分で埋めるのは無理である
備考欄はあるので、そこにすべて書けばよい、ということでもあるが、ならコピー紙にWORDで書いてもよくないか?
担当によって書類が義務になったり口頭でよくなったり、そもDXされてなかったり、マイナ使え
など言い出したらキリがないのでしめる
その一か月数千円の儲けを、毎月役所に行って通帳のコピーをとって窓口にて届け出なければならないそうだ
もちろん窓口まで直接行かなければならない
_
ここからわかるのは、生活保護からのステップアップをした人間は、少なくとも自分の自治体では極少数ということだ
派遣や契約でもこの就職届出にひっかかればテンプレートの見直しがはかられるはず
こうした書類でずぶずぶと沼につかり、税金だから文句言うなと責められ、ステップアップできず還暦を迎えるかもしれないと思うとぞっとする
近々、インボイスが始まるとのことだが、…どうなるんだろう
調べたら日本通信は料金支払いにクレジットカードしか使えないことがわかった。
生活保護では基本的にクレジットカードは持てない。デビットカードなら持てるので使える場面は多い(たとえばmineoでは使える)が、日本通信では認めていない。
基本的に、と繰り返し書いたのは、自治体によって、ケースワーカーによっては生活保護受給者にクレジットカードの使用を認めている場合もあるらしいから。
しかしごく少数の例外に過ぎず、一般的には翌月一括払いは一時的な借金とみなされるため、借金をしてはいけない生活保護受給者には使ってはいけないものとなっている。(もちろん2回払いもボーナス一括払いもだめ)
実際、俺は生活保護受けてるけど、2つの病院(精神科と呼吸器科)の先生に一筆書いてもらうだけでほぼストレートに受給できた。
そして、働かなくてもYotube以外の娯楽を諦めて、酒もタバコもせず、食べ物も腹を満たすことだけを考えた最低限にして、夏は半裸で扇風機に当たってクーラー無しで耐えて、冬は何もせずに布団にくるまってひたすら耐えてれば生きていける程度には金貰えるんだから腐ってるよこの制度。
当事者としてもっと生活保護費は減らしていくべきだと思う。少なくともかなりの無理をしてでも何らかの労働をしないと、衣食住に支障が出る程度には絞り上げるべきだと思ってる。結果として精神が悪化して自殺したり、病気が悪化して病死した方がお国のためなんだからさ。
なんとなく生きていける生活水準では自殺も考えないから駄目なんだよ。生活保護受給者は常に自殺を考えるくらい追い詰められているべき。
生活保護に使える年度の上限が決まってるんだよね。
んで、それを早い物順にして年度の後半に来た人は追い返すってやるとヤバい。
「生活保護どう考えても通るのに通してもらえませんでした」みたいになると怒られるから。
だから「これはグレーかな」と思ったらひとまず弾く。
ルールで決まってるからではなく「年の合計予算内に収めるため」に弾く。
これは年の終わりに近くなってジャブると通りやすく、逆にいよいよ予算がキツくなると更に締め付けられる。
んで、一度拒否したのと同じ理由で言われて「めんごめんごやっぱ通るわ」は出来ない。
それをやると監査のときに「あれれー?おかしいぞー?基準が統一されてないなー?」ってされてネチネチ嫌味を言われるから。
この辺上手い人は報告書の粒度と書きぶりの調整で「ほとんど同じ理由の案件同士なはずなのに報告書で読むと違う理由であると言い張れる」という魔法を使いこなして出し入れ出来る。
下手な人はそれが出来ないので予算と申請理由のバランスが悪いときはキレるしかなくなる。
結局ね、人間力なんだよね。
は?
税金が源泉なのにそれを言うってのは「僕は増税を受け入れられます」って宣言やぞ?
俺は無理だな。
出勤は月に片手で数えられる程度で、それ以外はリモート(とはいっても仕事がないので一切拘束はされてない)だからニートや生活保護受給者とあまり変わらん生活。給料は満額入ってくる。
この生活になって4年目に突入したが、生活に何の満足感もなくて辛い。
地方在住だから1人で遊びへ出かける場所もないし、友達はみんな働いているから時間が合わない。だから毎日ずっと1人で家にこもってPCを弄ってる。
趣味といえばお遊び程度のプログラミングと、たま〜に小説を読む程度。それ以外の時間はずっとYouTubeでくだらない動画を垂れ流したり、ネトフリでドラマやら映画を見ているくらい。何の生産性もない。
それでも毎月給料は入ってくるので、貯金だけはたまっていく。一人暮らしをして、毎食Uberで飯頼んで、AmazonでちょくちょくPCパーツ買っても何も問題のない生活が出来ている。
流石にこんな生活には飽き飽きしたし、俺も20代半ばなので、このまま実質社会経験ゼロで何のスキルもない30歳になってしまうのはマズイと思っている。思ってはいるんだが、いざ転職や副業バイトを検討してみると、面倒が勝って何もアクションを起こせない。
親は俺が産まれてから暫く貧乏で、ある時起業した会社が上手く軌道にのって小金持ち程度にはなった。両親は自分の会社のために毎日必死で働いている。当然そこには他にも従業員が居て、何もやっていない俺と同額の給料で汗水垂らし毎日働いている人も居る。その現状を思うと、なかなか鬱になるんだよな。まぁ結局は何もせずに今もこうして甘い汁を啜ってるんだけど。
今の環境のまま恋人と趣味が出来て、何か社会貢献してる感を得られる活動を少し加えれば、理想的な生活に一転するのか。それとも転職して都会でサラリーマンやるほうが満足度が高いのか。どっちなんだろうか。