はてなキーワード: 無人駅とは
無人駅は健常者専用とか言ってる駅員みたい
時給900円ぐらいあげてたら十分でしょ
最初に炎上したときになんだかなぁとは思っていた話題なのですが。
社民党から出されたこちらの声明(https://note.com/sdp_japan/n/n5ae62868e4f2)が話題になっているのを本日見て、ふとそのときの気持ちを思い出して考えていたらなんとなくネットにのせてみたい話を思いついた気がしたので書いている次第です。
結論から言うと、僕は伊是名さんや社民党の意見には全く賛同できません。
理由は単純で、この件に関してはJRに非がないと考えるからです。
僕は健常者です。
なので、障碍のある方々の立場、生活というものはいくら想像してもやはり理解することは難しいのだろうとは思います。だとしても重ねて言いますが伊是名さんや社民党の意見には全く賛同できません。
こういった形の炎上の大半は起こった『不利益、不条理』の中に潜む相手方の悪意を前提に話が進み、どんどんと話がよく分からない方向へ展開していくように思います。
この件では伊是名さんが『目的の駅へ行くのに大変な苦労をせねばならなかった』という『不条理、不利益』に対し、伊是名さん側はJRの『怠惰』という悪意を前提として話しているように感じます。伊是名さんはかなりの重量がある電動車いすに乗らなければ生活ができないそうです。ことの発端となったのは旅行の際の目的駅が無人駅で階段しかなく、事前連絡がないと人員の配置は難しく電動車いすを運ぶ対応ができないため隣駅での降車をお願いされたことです。この出来事を伊是名さんは『JRで車いすは乗車拒否されました(http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html)』とブログに書き、車椅子ユーザーへの無理解が原因で問題が起こったとの立場でJRを批判しています。このブログに書いてあることから『JRは怠けていると伊是名さんが言っている』と引き出すことは暴論ではないでしょう。
このブログがものの見事に炎上します。批判側は、タクシーの予約は1か月かかること、目的駅に階段しかないことなどを把握している(※上記ブログ参照)のに事前連絡を怠ったことに同じく伊是名さんの『怠惰』という悪意を見出して批判します。
そして、ここから『マスコミへの連絡を用意してるとかそもそも炎上目的なのでは?』という伊是名さん側の純粋な悪意を想像したり、『結局運んでもらった(※上記ブログ参照)のにありがとうの一言もないというのはなにごとか』という何よりもまずお気持ちの問題論がたくさん出てきたりして、どんどんと伊是名さんの人格攻撃の方面へと進んでいってしまい色んな方向に矢だの鎗だのが飛び始めます。
そしてこれが他の障碍者の方に刺さって『出かける度にありがとうと言う、つまり毎度誰かの手を借りなければ生きられないうしろめたさはやっぱり理解されない』という悲痛な叫びになったり、逆に『幼いころ横柄な障碍者の方にさんざんな目にあわされたのに、障碍者相手ということで親や教師はなにもしてくれなかった』という健常者の方の怨嗟の声になったりしています
話を戻したいのですが、問題は単純に『車いすユーザーの方が、車いすであるがために目的駅に行くのに大変な苦労をした』ということです。
すべての人が、どんな人であろうと望む場所へバリアなく行けることが望ましいということに反対するような人はほとんどいないでしょう。逆張りして反対を表明する人がいたとしても寒すぎて誰にも相手にされない程度に圧倒的に。
ここまで攻撃的な話題になってしまったのは、最初に言った通りどちら側も相手に『悪意』を見出そうとしてしまっているからだと思います。
わかりやすく言えばどちらも『お前が悪い』と言ってしまっているからです。そして、もともとの問題そっちのけで自分の側から見て悪く見えるところをあげつらって攻撃が止まらなくなってしまうという話なのだと思います。
無人駅に人員を配置してなかったJRが悪いのか? 事前連絡をしなかった伊是名さんが悪いのか?
どちらも全く『悪く』ないと僕は思っています。
話が少しそれるようなのですが、歳を重ねてから僕は『しょうがない』という言葉が大好きになりました。
不貞腐れたり、できっこないと可能性を否定するために使われることもありますが、僕は現状をしっかりと見据えるための言葉として好んで使います。
今できないことは『しょうがない』。ではできるようにするためにはどうすればいいか?と、今を理解して次の一歩を考える言葉として考えています
先ほども書いた通り、社会のバリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。JRはバリアフリー化に対し少なくとも悪意を持って遅らせてはいないでしょう。
そして、企業として余分な人員を余らせておけないのもまたしょうがないのです。
こういう話になると近頃では『健常者の無意識の差別だ』という論調が出てきますよね。だからこそ、冒頭のなんだかなぁという気持ちだったわけなんですが。
長くなったんですが実はここからがネットに書いてみたいと思った思考実験でして。
無人駅がバリアフリー化されていないのがJRの怠惰、拡大解釈すると健常者の無意識の差別だというのであれば、女性や子供でも簡単に持ち運べるような車椅子が開発されていないのは車いすメーカーの怠惰、同じく拡大解釈すると健常者の無意識の差別という話も成り立つのではないか?
ということです。
どういうことかというと『駅がバリアフリーだったら車いすでも行けたのに→差別』という図式が成り立つのであれば、『車いすが簡単に運べれば車いすでもいけたのに→差別』という図式も成り立つのではないだろうかという、バカみたいな話です。でも、正直バリアフリー化を進めるのに必要な時間とお金と、軽量な車いすを開発するのに必要なそれって同じくらいなんじゃないでしょうか。
自分で書いててもバカバカしくなってきてしまいましたが。でも、正直『今現在バリアフリー化されてない駅がある』という事実を『健常者の無意識の差別』に結び付けるのは、同じくらい馬鹿馬鹿しいと思ってます。
何度でも書きますが、社会のバリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。誰かがズルをしたり、怠けたり、悪いことをしたりしているのではないのです。
違う属性の相手に『無意識の悪意』を見出して攻撃する活動は、もう限界にきていると思っています。
願わくば、対話と相互不理解を相互不理解のまま受け入れる寛容さによって融和が実現する社会にならんことを
酒がうまい
おやすみなさい
富士山の頂上には富士山頂上浅間大社奥宮という神社があり、夏頃には富士山の登山客が多く参拝している。しかし現状ここに車椅子の人が参拝をするのは限りなく不可能に近い。さて五体満足の人であれば行くことができるこの神社に車椅子の人が行けないのは移動の自由の制限にあたるのだろうか?
結論から言えばこれは制限にはあたらないと思う。なぜならそもそも車椅子の人でも登れるように富士山の登山道を改造することは現状の技術力では不可能だからだ。技術的に不可能なことはどれだけ倫理的に問題があろうと改善の仕様がない。
では全ての無人駅に車椅子の設備をつけるべきだろうか?これも不可能だ。ごく一部の秘境駅以外は駅に車椅子用の設備を備えることは技術的には可能だ。しかし財政的にこれは不可能だ。国の施設であるなら車椅子用の設備は必要だが、JRは私企業にすぎず改善するべきであってもある程度限界がある。無人駅というのは人を置くほどではない小さな駅である証拠であり、わざわざ車椅子用の設備を置く必要などない。国鉄からJRに民営化した時、地方路線が廃止され地方が切り捨てられるのと同様に障害者も切り捨てられる運命になっていた。今はまだJRは頑張って設備を整えたり、地方路線を残したりしているが今後利用客が減れば、確実にここら辺は削られることになる。
結局のところ、移動の自由というのは確かに存在するが技術的、財政的に全ての人が全ての場所に行けるようにすることは不可能だ。将来的に無くすようにしていければ最善だが、現状不可能なものをいくら言っても意味が無い。
福祉の負担を受益者負担にすると、高福祉で高コストな社会が出来上がるぞ。
施設のバリアフリー化で大学の授業料が+500万値上げとか、全駅(無人駅・地方の過疎地含む)バリアフリー化で運賃が山手線の運賃が高田馬場から新宿まで+5000円値上げとか
賃貸物件もバリアフリー化で最安値でも30万越えとかあらゆるものの価格が倍増するだろうね。
俺らが高齢者(60歳以上)になる頃には年金にも頼れない企業で継続雇用されるかもわからない転職で給与が上がる見込みもない
加えて、心身ともに健康であるとも限らず福祉の負担を受益者負担にした結果次第では福祉に頼る年齢になったら逆に利用料金の高額化で公共の交通機関の利用を諦めることになったり
その時代に稼ぎの悪い家庭に生まれた地方の子供は公共の交通機関が使えず学校にも通えない、障害があっても金がないと言う理由で高福祉な社会の保護外に追いやられる人が出てくるだろう。
仮に重度の障害でも金がなければ福祉を施した社会から弾かれる本末転倒な事態も出てくるだろう。(障碍者がみな金を持ってるとは限らないのだから)
俺はオリンピックに出す税金があるなら高福祉な社会にするために税金を使うべきだと思う。そして受益者負担で行くと社会的な分断がより一層広がると断言する。
「全ての駅で車椅子の人が利用できるべきだ。」
「ただでさえ採算が取れてないのだから廃駅・廃線の危険がある」
平等を重視された結果、利用しようと思ってた駅が消滅することを車椅子の人が望むとは思えないし、
無人駅の地域住民だって年寄りがおおいのだから、車椅子の人が利用できる環境ならば、そのほうがありがたい。
しかし金がない。
この問題を解決するにはどこからか費用をねん出する必要がある。
無論、JRには余力はほとんどない以上、外部から資金が入る必要がある。
一つには、国税の投入である。もともと国営だったわけだし、今もJRの赤字の会社には事実上の税金が投入がされてるのだから、やってダメと言うことは無いだろう。
もう一つには、全国の鉄道運賃にユニバーサルサービス料を加算し、この費用を充てるという方法である。電話料金では既に行われている話であり、これもやってダメということは無いだろう。
人員を配置するにしろ、スロープやエレベーターなどの工事をするにしろ、田舎の経済が活性化するという副次的効果もある。政策としてやってみる価値は十分にあるだろう。
初期から現在に至るまで、批判されている対象はほぼ伊是名夏子氏およびその行動である。「障害者全般」に対して敵意を持っているとおぼしき言動は少ない。そりゃあゼロではないし、あれば目立つので、印象には残るかもしれないが数としては少ない。健常者からの舌打ちなどを受けてきた個人の経験と、今回の伊是名夏子氏への批判とを重ね合わせて車イスの障害者が批判されている、という合成が行われてしまっているのかもしれない。しかし事実として、最初の伊是名夏子氏の「乗車拒否記事」が出た当初に車イス使用者全体を攻撃していた人は皆無と言えるだろう。繰り返すが、そういう人がゼロとは言わない。「障害者」の中に「伊是名夏子氏」のような人が居るようなものだ。ただ今回の件で「障害者」が批判されているというのは事実認識として妥当ではない。
伊是名夏子氏個人が批判されているからこそ彼女のブログからディズニーの件やカレーの件、「姫」の件などが掘り起こされ、取り沙汰されている。障害者全般が批判されているのであれば、別の類似事件などと結びつけようとする動きがもっと大きいはずだし、「これだから障害者は」といった口調がもっと支配的になるはずだ。「生活保護」「喫煙者」「高齢者」などの属性に対しては実際そのような発言が多いが、今のところ「障害者」に対してはそうなっていない。
タイトルに「乗車拒否」という強い言葉を使っているが実際には乗車はできているため適当ではない。文中ではタクシーによる現実的な迂回を提案されても予約云々と事実でない反論でもって相手にせずゴネにゴネて、結局JRは駅員を4人送り込んでまで特別対応をした様子が書かれている。またその理由が、新型コロナウイルスによる自粛が要請されているなかで行われた「旅行」というのも眉をひそめられる要因であるだろう。
考えてみてほしいのだが、批判される対象は「障害者」より「伊是名夏子氏」であるほうが他の障害者にとっても助かる話ではないだろうか。「あの人と一緒にされたくない」という障害者の声も目につく。ダメなものはどう取り繕ってもダメなのだから、そのダメを「障害者」全体にわざわざ広げる行いは誰のためにもならないだろう。
https://reiwa-kawaraban.com/society/20210414/
実際にJRなどへ取材をした人が居て、すでに事実確認がされている。なぜ来宮駅での工事が困難なのかも説明されているが、それも伊是名夏子氏が騒いだからといって解決に向けて一気に進むようなものでもない。自民党議員が2年掛けて別の近隣無人駅である網代駅でのエレベーター設置を実現しているのと比べると、どうしてもやり方が幼稚という印象を拭えない。
それでも声を上げることは重要だという指摘もあるだろう。しかし、こと来宮駅について言えば声はすでに届いている(自民党議員によって)。騒げば騒ぐほど優先順位が上がるというのはあるかもしれないが、現場の状況を無視して一方的に発破をかける上司などが嫌われるのは、実際に手を動かす人間であれば誰もが同意するだろう。他人への敬意がかけらもなく、ただ自分の都合で喚いているのが透けて見えるからだ。本当にそれを実現したいのであれば、何が原因で進まないのかを把握した上で、その原因を取り除くべく行動すべきだろう。くだんの自民党議員はそうしている。伊是名夏子氏は騒いでいるだけだ。
往時のステップバス云々という話についても、あれは車イス利用者が無視されていたからこそ声を上げる意味があった。駅のバリアフリー化では無視されていない。地域によるかもしれないが、多くの人は自身が利用する駅の工事に遭遇した記憶があるだろうし、エレベーターが新設されたのを見たこともあるだろう。駅に限らず、建物の中であるとか、様々な場所でそのような努力を見てきていると思う。バリアフリーはただの掛け声ではなく、実際の工事を伴って進んでいる。それでも遅いというのであれば、やるべきことはただ騒ぐことではないだろう。理由というか事情というか、なぜ急いでほしいのか、急ぐべきなのかを説明しなければ伝わらない。ただ騒ぐというのは相手や周囲に問題を認識させるためであり、問題が認識されて対応が進められているところでさらに騒ぐだけの人間は、上に書いたようにただ疎まれるだけだし、場合によっては進行の妨げにすらなりうる。
ついでに言うなら、ここでいう「バリアフリー」は主に車イス利用者だけを想定したものだ。視覚障害者や聴覚障害者が考慮されているようには見えない。実際、社民党が公式に上げた動画では、聴覚障害者に配慮するための字幕などがないままバリアフリーについて激論が交わされていたらしい。このような自己矛盾もまた不信を生む要因であるだろう。
色々考えていて、やっぱりこの件は
という案件だと思うのです。
若干今更感はありますが、思うところを書きました。
例えばスーパーの出入り口から段差をなくすとか、日々の生活に密着した施策はどんどん推進していった方がいいと思います。
ただ、「一応お客さんの出入りもできるようになっている」程度の裏口にまでそれを要求するのは正当なのか?とは思ってしまうわけです。
翻って今回の件ですが、SNSやメディア等で色々議論はあるものの、個人的に腑に落ちないのは「なぜ熱海駅ではだめだったのか」ということです。
駅員に「熱海駅まででもいいですか?」と聞かれて断ったということは分かっていますが、その前段階、旅行の計画を立てている時に、伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」はずなのです。
旅行を計画する時、特に目的地がある場合は、普通そこのホームページを見たり周辺の観光案内を調べたりしますよね。
伊是名さんも当然調べたと思います。
調べるのはとても簡単で、来宮神社のホームページにもありますし、来宮神社を紹介する観光系サイトや個人ブログを見てもいいと思います。
そしてそのほとんどに来宮駅と熱海駅からのアクセスが書いてあるので、調べていて熱海駅からのルートに触れなかったとは考えられないのです。
つまり伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」ということです。
もし熱海駅からのルートを知らなかったのであれば、来宮神社だから来宮駅だと思ったということなんでしょうか。
それは幕張メッセに行くのに調べないで幕張駅を使うような愚行なので、初めて行く場所でそんなことはしないと思います。
(初めだったのかは分かりませんが、そうでなかったら余計問題なのでおいておきます。)
来宮神社まで、来宮駅からは400m、熱海駅からは1.6kmです。
ではなぜ、伊是名さんは熱海駅ではなく来宮駅を選んだのでしょうか。
単純に近いから。
ただ、伊是名さんにとっては単純な距離よりも重要な要素がありますよね。
熱海駅は市の名前が付いているくらいですから利用客も多く、バリアフリー設備も充実しています。
駅の利用は問題ないでしょうし、車椅子でも利用可能なバス・タクシーの手配もしやすいはずです。
一方で来宮駅は、少なくとも伊是名さんにとっては「調べても分からなかった」レベルです。
そして、熱海駅から来宮神社に行くことを考えたら、熱海駅からの交通手段を調べますよね?
そうすれば今回のトラブルは起こらなかったんです。
(万一熱海駅が大きな駅だと知らなかったとしても、来宮駅を調べて熱海駅を調べないのは理屈に合いません。)
そのため、今回の件は「避けられたトラブル」と言うよりも、「ドラブルの起こりそうな方を選んだ」という印象が拭えないわけです。
ところで、来宮駅と来宮神社は徒歩5分程度と言われていますが、実は難所があります。
来宮駅の駅舎は線路の南側にあり、来宮神社は北側にあるんですね。
そのため最短ルートを通るには来宮暗渠という短いトンネルを通るのですが、そこの歩道が細く、ガードレールもあるため車椅子では通れないのではないかというほど狭いのです。
伊是名さんはブログで特に触れていませんでしたが、果たして歩道を通れたのでしょうか、それとも車に待ってもらって車道を通ったのでしょうか…。
最短ルートを通らない場合は、1.5kmほどアップダウンが激しく歩道が狭い道を歩くことになります。
時速2kmで45分かかるわけですから、結構な負担になるはずです。
伊是名さんは旅行先の条件として「移動距離が少ない」をあげていましたが、これは少ない範囲なのでしょうか。
来宮駅-来宮神社間のルートは知っていれば迷う道理がないのですが、トンネルにある小さい看板を見逃して通り過ぎてしまうと熱海駅に行ってしまいます(途中でおかしいと気付くかもしれませんが)。
一方、熱海駅からだとバス・タクシーで神社の目の前まで連れて行ってくれます。
数百円でも節約したいとか、迷うのも旅の醍醐味だという人であればともかく、そうでなければ健常者でも熱海駅から行った方が間違いがありません。
健常者であればスマホで地図を見ながら行けばいい、というのもあるんですが、車椅子利用者は「道はあるけど通れない」という事態に出くわした経験が少なからずあると思うんですよね。
電車なら駅員に相談すればいいですが、旅先の道路でそうなった場合のリスクは考慮するものではないのかなと思います。
「障がい者が気にせず外出できるのが理想だ」というのはその通りですが、現実のリスクを無視するのは違うと思うのです。
また真偽不明ですが、伊是名さんは来宮駅で降りた後、西にある熱海梅園に行ってから来宮神社に行ったと説明している人を見ました。
こちらの説であれば来宮暗渠を通っていないのは理解できるんですが、するとなおのこと、熱海駅から行かなかったのが不思議なんですよね。
対して熱海駅からバス・タクシーを使うと、熱海梅園の目の前まで連れて行ってくれます。
車椅子での移動を減らしたいのであればバス・タクシーを使うのが合理的です。
そもそも、最短ルートで直接来宮神社に行かないのであれば最寄り駅というメリットがなくなるため、来宮駅で降りる必要がないんですよね。
紛糾しているのは、結局これだと思います。
伊是名さんの言いたいことは「バリアフリーをもっと浸透させてほしい」で、それ自体は正当だと思います。
ただ、どう考えてもやり方はまずかった。
旅の計画段階で「合理的」な判断をしていれば起こらなかった問題なんですから、そこをフックにしてしまうと主張そのものが疑問視されてしまいます。
だから、今起こっている事は「誰が言おうが正しいことは正しいのだ」と「言ってることは正しいがお前が言うな」の戦いなんですよね。
熱海市の市議会では駅のエレベーター設置の議論が何年も続いており、その結果4つある無人駅のうち2つにエレベーターが設置されたそうですが、今回の論争、本当に必要でしたか?
要するに、熱海駅からバスを使えば来宮神社前ないし熱海梅園前まで行けるという「スロープ」があり、それは見えていたんです。
しかしバリアフリーの対応状況が分からない来宮駅という「階段」を伊是名さんは望んだ。
それがバリアフリー推進のためにあえてやったことなら、私は「言ってることは正しいがお前が言うな」と言います。
もし素で準備不足の旅行だったのなら、社会常識を身に付けて下さいと言います。
社会課題を世に問う目的であれは問題行動も有りだという考え方の先にあるのは、アメリカのBLM運動で起こった商店打ちこわしと略奪ですよ。
・車椅子ユーザーへの対応マニュアルが行き届いてない駅員もいる
・そもそもその無人駅にエレベーターを付けることが予定されているので、今回の騒動に関係なく無人駅ですら連絡も不要になる
駅員の教育はもっとした方がいいけれど、実際に対応した駅員達が写真に撮られて晒されて「差別」と弾糾されるほどのものだったのかは疑問、まあそもそもJRの教育レベルがどうであれ質の低い社員は一定でるものだし
で、そんなこんなでいつのまにか、もっと大きな「大義」をもった行動だったとされるようになり、「駅自体のバリアフリー化」や「事前連絡の煩わしさ」に話題が移っていったけれど、現状を見れば日本の駅のバリアフリー化はかなり進んでいるらしい。尚更「なんだったんだ」感が強くなる
なんだったんだ