はてなキーワード: 収束とは
それを収束というんだぞ
とりあえず言いたいことは、私の駄文を読むよりこの本を読んだほうがいいということです。
今回の事件をきっかけに自殺に興味を持った人は読んでみてほしい。とてもいい本だと思います。
誹謗中傷だけでは人は自殺しない、と思います。誹謗中傷されても生きている人は多くいます。
とはいえ、それが自殺者の周囲の人を責めるようなことであってはいけません。
当人自身がそれを感じすぎてしまっている状態を想像するのは難しくありません。
また、本人の問題に収束させてしまうのは浅はかすぎるでしょう。
誹謗中傷だけでは人は自殺しないということは、誹謗中傷を許容することになりません。
でも、それは自殺とは別の話です。
私は自殺を機会に潜在していた問題が取り上げられる構図が嫌いなのです。
はてブでたまに財務省職員の自殺を取り出して安倍晋三を非難する人がいますが、それも間違っていると思います。
自殺させてしまったから、避難されるべき、というのは間違っています。
私は今回の事件について誹謗中傷、自殺、テラスハウスという単語くらいしかしりません。
細かいことについては興味がありません。
完全に収束したぞ
死者がいる以上いいとは言えないが、収束気配でよかった。
コロナ騒動以前、仕事から帰ってきて寝るまでの間または週末に撮りためたアニメを消化するという生活を続けていた。
それでもまだゲームや映画を見る時間もあった。でも結婚してからは週末は家事をする事も増えてアニメを消化するのがやっとだった。
「無理に追わなければいい」
それはわかるけど、やってるからには追わないとネットの流行にも置いていかれる気がした。早く見ないとネタバレがすぐ目に入ってしまうのも怖かった。
今コロナの影響で新作アニメの多くが延期となり、かわりに過去の名作が多く再放送されている。
仕事に困窮しているアニメーターや声優の方、新作を楽しみにしているアニメファンの方々には不謹慎に受け止められるかもしれない。
だけど、俺的にはこのペースで少し助かってる。
いまはそれを楽しみにしつつ、少し骨休めをしておこうと思う。
このハーバードの二人 Reinhart and Rogoff もいずれは
インフレになるのでは?と思っていて、マーケットはそれを織り込んでないと考えている。
さらにはコロナ後、以下のいずれかのリスクがあると彼らはみている。
イタリアのような経済規模の大きな国(ギリシャとは比較にならない)の財政危機
(※故に中国、米国はじめG20で債務減免、モラトリアムなどの協調ができないとヤバイ)
サプライチェーン分断、グローバル化の停止の中、コロナ収束で需要拡大
→インフレ発生するかも
(※ただしだいぶ先の話)
逆に山崎元なんかはいつものように能天気記事書いてて、インデックスファンド持っとけ!
と言っているけど、This time is different なんじゃね?
https://diamond.jp/articles/-/236084
もし今がリーマンじゃなくて大恐慌に相当する危機なら、山崎元的能天気でいると
下手すると自分の寿命が尽きるまでに回復しえないダメージを被る可能性がある。
30までなら大概の事は余裕だよ。
とりあえず、3年あると思えばいい。
半年くらいなら無職の時期があっても、1年あれば仕事の感覚は取り戻せる。
まず、落ち着いてザックリでも良いから計画を書き出すとと良い。
書き出せば気持ちも楽になる。
見通しが立てば少し頭も軽くなる。
速水 融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争』
日本で猛威をふるったスペイン・インフルエンザ(現在のインフルエンザ)について、各地方の新聞記事を基に当時の様子を詳細に記述している本を読んだ。
スペイン・インフルエンザを新型コロナと重ねてみるには、最も参考になる本。
テレビで『感染症の世界史』が紹介されることが多かった(文庫本なので手に取りやすい)けど、あっちはウイルス学的な紹介なので、当時の社会情勢を知るにはこっちの本のが当たり。
著者によれば、スペイン・インフルエンザの流行は世界的にも「忘れられて」おり、その記録は数えるほどしかないという。
記述からも、統計上の数値からも、当時のスペイン・インフルエンザは猛威をふるい、日本史上に大きな傷を残したはずなのに、なぜわれわれの記憶に残っていないのか?
新型コロナの流行の先を予測するためには、スペイン・インフルエンザの流行の様子を知ることがまず第一に重要ではないか。
スペイン・インフルエンザ流行時も、学校が閉鎖され、社会インフラが麻痺し、火葬場に棺桶が溢れた。
ひとつは、スペイン・インフルエンザの流行時、学校閉鎖や社会インフラの機能停止は、感染した結果人がいなくなり生じたものであり、予防のためにあらかじめ閉鎖したものではないということ。
劇場や社交場の閉鎖は行われたが、感染症の原因も不明であり、学校は4日~2週間の休校で再開していた。
感染症の感染拡大を予防するために社会機能を停止させたのは、新型コロナが史上初めてではないか。
ふたつは、スペイン・インフルエンザは多くの日本人が感染し、前流行と後流行があったが、前流行で感染し抗体を得たことが後流行の感染率低下となったこと。
日本において、新型コロナはほとんど伝播していない。外出自粛により感染拡大よりも予防が勝った。
スペイン・インフルエンザと同様に、前流行の後に後流行が生じたとして、前流行による抗体が獲得されていなければ、同様の被害を得るのではないか?
前流行と同様の対処で乗り切るのであれば、後流行でも社会機能を停止させ、外出自粛により感染予防に努めることが必須となる。
感染症と対峙した際、予防するか、抗体を得るか、どちらかしかない。
あるいは、徐々に抗体を得ていく方針なのか。新型コロナにおける外出自粛は、医療機能の崩壊を防ぐことが第一であり、新型コロナにかからないためではない。
一過性の激しい流行ではなく、慢性的な感染により、医療機能を崩壊させることなく一定の感染を得て免疫を獲得することが目的なのかもしれない。
しかし、感染症である以上、また史上最も人口密度が高く人類の移動もより広範囲・高頻度で行われている以上、そう簡単になだらかな感染が起こりうるのか?
一度発生すればまたたくまに広がる恐れがある。
みっつ、スペイン・インフルエンザと新型コロナではウイルスの種類が異なる。
スペイン・インフルエンザはインフルエンザであるので、季節性がある。
前流行と後流行も、約1年の間をあけた同時期のものである。気温や湿度の影響を多大に受ける。
おかげで収束したともいえる。
新型コロナが季節の影響を受けるのかは、未知であり、はっきりしない。
東アジアとアメリカ・ヨーロッパでの毒性が異なるのは、ウイルスの株が違うのではないか(何らかの変異があったのでははないか)という可能性があり、ほかには、季節性や環境、生活習慣の影響が考えられる。
スペイン・インフルエンザよりは毒性が高いが、無症状の患者も多い。死亡する年代も異なる。
新型コロナについては、まだいずれも判明していないが、数年後には明らかにはなるだろう。
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スペイン・インフルエンザの事例を受けて、新型コロナを見て思うことは
人類史上初めて、社会機能を停止させてでも感染症の拡大を予防したのが今回。
感染者数、ひいては死者数を劇的に削減した代わりに、抗体を得た者も少ない。
新型コロナであれスペイン・インフルエンザであれ、ウイルスが消滅することはないのは間違いない。
新型コロナと共生するにあたり、感染予防の対策をとった結果、今後どうなるのか。
ひとつは、散発的な流行が生じるたびに社会機能をある程度縮小させ、感染予防を今後も徹底するということ
また、国ごとに対策も感染者数も異なるために、国際的な軋轢にもつながる。
他の国ではある程度抗体が獲得されていってしまうと、完全に鎖国するわけにはいかない。
そもそも、感染予防を第一に置いた対応は継続可能なのか?現実的なのか?
ふたつは、医療機能の崩壊には注視するものの、ある程度は感染拡大を受け入れていくということ。
最初はセンセーショナルに扱ったとしても、次第に慣れていくのが人間らしいところ。
来年、再来年、数年後と、徐々に取りざたされることも減り、感染を受け入れながら暮らしていく。
今年、こんなに我慢をして大変な目にあっていることを思うと、そんなことがまかり通るのかと思いつつも、人間は慣れて飽きる生き物だから、意外となんとかなるのかも。
ひとつめの未来になるとすれば、社会機能を縮小させた状態でいかに生き抜くかが重要になる。
ふたつめの未来になるとすれば、いずれ新型コロナに感染するという心構えでもって、用意をしていくことになる。
マクロ的に見れば、ひとりの人間は数百万の人口の中の1人であり、感染症にかかって亡くなる未来もあれば、運よく生き抜くこともある。
それはどうやったって運でしかない。
+αで影響があるとすれば、年齢や基礎疾患、医療を受ける環境など、「感染したときに生き残るかどうか」であり、生命保険を含めて、多少の打つ手はあるかもしれない。
感染予防を全面的に押し出して感染症を闘った歴史は人類にいまだかつてなく、その結果を見るといった面では非常に興味深い。
但し、感染予防に固執し、社会機能を停止・縮小させることに執着し、知らぬ間に社会を崩壊させる恐れもある。
まるきりBAD END。そんな未来は見たくない。
昨今の経済対策への批判や、教育制度に対する批判を見てると一抹の不安がある。
史上に例がなく、だれも正解を知りえない以上、それぞれに考えがあり、それぞれにメリット・デメリットがあり、一概に何をもって正しいといえない。
なのに、批判・反対することばかりに固執すれば、いずれ方向性を見失い、知らぬ間に自らの尻尾にかみつく形で社会を瓦解させることに繋がりかねない。
一市民として家庭を守るためにできることは
である。
かかるときはかかるし、まるきりかからないようにすることは難しい。
人類と感染症の歴史を追っても、感染症から逃げきれた例はない。
プロ野球も高校野球もなけりゃないで見ないで済むって気づいちゃった。
最近は、機械学習の力を使い動画の人物の顔まで入れ替えられるらしいのだ。
だから、その成果物や技術はディープラーニング×フェイクでディープフェイクなんて呼ばれ方をしている。
とにかく昨今、あらゆる分野において機械学習技術の発展がめざましい。
どうやらディープフェイクの技術についても、アングラで、めきめきと、驚くほど成長しているようなのだ。
どのくらい成長しているかは、あなた自身の知的・性的な好奇心と冒険心をフル稼働し、自分の目で確かめて欲しい。
さて、このディープフェイクな成果物をリリースしている闇の技術者たちは、どのような方法で作品を生み出しているのか。
ネットの海の断片を確認する限り、画像レベルであれば、任意の顔写真をぶち込めばディープフェイク化してくれるツールが過去リリースされていたこともあるようだが、モメて消されたようだ。(当たり前だ)
恐らく、驚くほどのクオリティの動画が生み出されている今のシーンの第一線においては、
まだその技術がツールという汎用的なインターフェースを伴う形にまで至っておらず、
闇のエンジニアたちが勉強がてら魔術を磨きつつ、有名人で実験したものをアウトプットしてる、みたいな状況だ。多分。
で、だ。
それが「ちょっと情強なら手に入れられる」みたいなレベルに普及したら、
ツールの成熟度合いにもよるが、対象の顔をおさめた動画なり画像なりが素材としてある程度あればOK、というレベルであれば、
お気に入りのアイドルも、気になるあの子も、気に食わないあの女も、みんな。
思いのままだ。
しかも、だ。
世に公開さえしなければ、傷つく人もいない。
非常にヘルシーに、誰も悲しませず、極めて新しい領域の需要が、満たされるのだ。
最後に、タイトルの「コロナ」の部分の意味を説明して終わりたい。
コロナが収束した後もこれが主流化していくであろうことは、誰もが想像できるだろう。
会議の際、ビデオ付きで会話するかどうかという点は組織のカルチャーによって異なるみたいだが、
少なくとも「全員顔出し」が基本なうちの様な組織に所属している男が、
手元にそんなツールがあったら、
まず間違いなく画面をキャプチャしまくって素材を集め倒すだろう。
今は世の中にそのようなツールは(多分)ない。
だが、もし闇の博士たちが戯れにリリースをしたら、世は一気に変わる。全て変わる。
その土壌は、もう整っている。
未来はすぐそこだ。
1月の時点でさっさと緊急事態宣言しろ満員電車放置すんなって世論でむしろ早く自粛開始したがってたのに対して
海外はデモで集まって活動してるのを比べたらどっちが収束早いかなんて明らか
アジア人に国民性で負けるのが腹が立つ諸外国内の右翼が検査数がどうたらこうたらイチャモン付けてるだけ
いくら検査したところでひきこもるほうがストレス軽減して自殺率下がる国民性なのは変わらんわけで
最近のツイッター学級会といえばコロナか政治か差別問題ですよね。知らんけど
あんまり喧嘩は好きじゃないので参加はしませんが、実はバズっているツイートのリプ欄を見る趣味があるので、ついついその言い争いを見てしまいます。なんか大きい石ひっくり返してキモイ虫見てうわ〜て思うのにやめられない、ってのに似てるんですけど。ほんとにストレスたまるから辞めたいんですけどね。
コロナとか政治とかはあんまり私も詳しくないので何にも言いたくないなって感じなんですけど、性別に関する差別問題については、女性としての性を持って生まれたしまあ多少発言してもいいかなと思ってここに書くことにしました。
私はフェミニストでもないし男尊女卑でもないと自分では思い込んでます。でもまあ女性ゆえに生き辛いことが減ったらいいよね、くらいには思ってます。
でも、大抵インターネットで主張の強いフェミニストの方の意見やそれに批判する方の意見を見ると、ん??どっちもおかしくない??と思ってしまうのです。
女性代表で発言しているようなツイートの方が多く見られますが、それこそ女性個々の人権を無視してない?と思うのです。
例えば、おっぱいが大きいキャラクターのイラストに対して「気持ち悪い、ありえない」と言ってしまうのは胸が大きい女性に対する侮辱であるし、「女はみんな結婚したくない!働きたい!」などと主張する人のせいで、専業主婦に憧れることが逆に悪みたいに捉えられることもあります。
結局、自分が生き易く生きたいけど、自分がこうしたい!って主張じゃ誰も聞いてくれないから女性ってデカイ主語使ってんじゃない?と思ってます。
本当のフェミニストってもっとちゃんと女性一人一人の悩みに向き合ってくれる人のことを言うんじゃないのかなと思うのに、自分の不幸を全員の不幸のように言う方がフェミニストと呼ばれ、今では蔑称として使われているように思います。
それでは本当に全ての女性の味方になってくれるフェミニストの方まで馬鹿にされて、少なくなってしまう。主語がでかい女はもう主語がでかい女って呼ぶことにしたい。
フェミニスト叩きはここまでです。
まずさっきの話の続きですが、主語がでかい女性に対してそのまま主語がでかいまま批判する方がいます。例えば「全女性がムカついている」という文に対して「全男性も全女性にムカついている」と返す人だ。この場合多分本当に全女性の意見として受け取って、全女性に勝つためには全男性でいかなくては、とムキになっているタイプである。こうやって国同士の戦争って起こるのかな、とさえ思う。
こうやって全女性の意見として受け取って全女性に怒りを向ける人がいるから頼むからでかい主語は使わないでくれ…と思う。
私自身、インターネットの知らない人のでかい主張を間に受けた男性に「女の子ってこうなんでしょ?」って言われて嫌な思いしたことがある。
「私は」「僕は」「あなたは」に変えるだけの簡単なことです。本当に女性全員そう思ってるのか、男性全員そう思っているのか、よく考えてみてほしいなと思います。
ここでいう男尊女卑思考の人、というのはフェミニストの方のツイートに対して「お前はモテないから僻んでる」とか「美人になってからそういうことは言え」とかいう人のことです。
ツイート元の人が幾らおかしい事を言ってたとしても、こんなこと言っていいわけないと思います。余計フェミニストが男性嫌いになっちゃうじゃん、と思うのですが…
結局社会問題とか言って永遠に収束しない争いのように見えるけど、実は個々のコミュニケーションの問題じゃないかなあと思います。インターネット上ではね。
相手が嫌がることは絶対にしない、嫌な事をされたら嫌とはっきり言う。それが大事なんじゃないでしょうか。
こんなことここに書いてても学級会は治らんし安全地帯から何喚いてるのって感じだけど、だって私は関わりたくないですからね、他人に。他人に喧嘩売るその姿勢がよくわかりません
これは私の主張でしかないし、他の誰とも同じではないので、もしこれを読んでムカついてしまった人がいたとしても、たった一人ぽっちの人間の主張である事を忘れないでください。
日本はコロナに今までかかった人が少ない割に、医療体制が崩壊って、諸外国に比べて貧弱じゃない?
先進国の中では実際人口あたりのキャパは少ないんでしょ。医療従事者に感謝とかいう風潮があるけど、いや体制が貧弱だよ。って気がする。当然、その状況下では頑張ってもらっているし、皆が皆に感謝している社会がいいってことはわかっているけど、もともとの体制とか弱いよ。
個人的には儲け主義で無駄を削ぎ落としてきたから、こういう自体に対応できない気がしてならない。
コロナじゃなくても入院が難しいとか、救急患者の病院たらい回しとかある。俺のいとこは両足骨折で救急車で運ばれて受け入れ先がなく1日家で過ごしたことあるし。正直相当痛いし不安だと思う。救命病棟のようなドラマのように寝ずに頑張って感動みたいなドラマあるけど、救命なんかギリギリで運用している事自体がすでに破綻だよね。
医療体制がどこまで?(保健所は?とか厚生労働省は?)って話もあるけど、いつまでも PCR検査増やせないしさ。大変なら看護師免許なくてもここまで手伝ってもらうボランティアや雇用を始めてもいいと思う。
未来のことはどうなるか誰にもわからないけど、日本だけ感染者数が少なくて、免疫を持った人が少なければ、日本だけ世界と交流できない取り残された世界が待っているんだよね。ワクチンや抗体が出来るかどうかわからないけど、それが出来ないときは集団免疫で一度かかって免疫を持つ人が増えることで収束なんだとすれば、それに向けて一定数の感染が必要なんじゃか無いかな?それに向けた医療体制が必要だ。
少なくとも、
「医療従事者ありがとう」だけど反省すべき点はいっぱいあるよね。他の国より弱い部分があるよね。今後改善していこうね。って風潮になってほしい。