はてなキーワード: 中途半端とは
いやーこのドラマおもろいわ。みんななんで見ないんだろう
海老原さんちゅき♡
なんだろう小悪党っていうほどの悪でもなく、強固なヴィジョン持ってるわけでもないくせに中途半端に権力に固執してて、
なのに空気読めなくて権力にいまいちコミットできてない感じとか
ちょうどいい無能感。完全な無能ってわけじゃないんだけど、不器用な感じが人間味あっていいよね
でもここ一番のタイミングでなんか人間の心を滲ませてくる憎めないやつ
ちょっとカイジっぽさもあるよな。カイジほどのクズ人間じゃないけど
こういうキャラ好きだわ
グダグダと書いて行くけれど
FIREを目指す人は天職に就くことができなかった人なんじゃないかと思う
いや、全員ではないと思う。これは私のケースだ。
私は、もう口に出すことが辛いのだけれど、天職を諦めた。のかもしれない。
専門の学位と国家資格が必要なその職種は大学入学後にやりたいと思い、就活の時にもやりたいと思い、でもスイッチしなかった。
ある程度世間一般に優秀だと認められている文系としては十分な学位を持っているのに、
また4年間若者に混じって大学に行きなおすということと、ゼロから始めるということと、
才能がない限り高給は取れないということと、
その上で成功する確証がないということ。成功とはなんぞや、だけど。
私にはまだまだ奨学金ローンもあって、そして女性で、結婚や出産のタイムリミットや育児を考えていて、
そして自身が大学で学んだ分野を活かせない分野に行くこともなんだかなあと思っていて。
でも結局自身が学んだ分野で輝いている職種で仕事ができているわけでもなく。
同期のように外務省やMETIや商社で日々優秀な人と話して仕事ができているわけでもなく。
働いているものの、その職種とは全く違うところで、周縁の仕事をしている。
待遇に不満はないけれど職種に不満がある。そしてパッションを持てない仕事だから、つまらない。なぜなら自身がもっとパッションを持ってできる仕事があると知っているから。
そんな私はFIREに惹かれる。「パッションもないつまらない仕事」をずっと続けるよりも、資産形成をして、その後、パッションを持てる分野で給料関係なく仕事してみたいな、とか。何かやってみたいな、とか。
ただ奥底では知っている。FIREを追い求めて、たとえ資産が安定したとして、その後、30代中盤だか、から、ゼロから大きな仕事ができるのかと。
グダグダと書いて行くけれど
FIREを目指す人は天職に就くことができなかった人なんじゃないかと思う
いや、全員ではないと思う。これは私のケースだ。
私は、もう口に出すことが辛いのだけれど、天職を諦めた。のかもしれない。
専門の学位と国家資格が必要なその職種は大学入学後にやりたいと思い、就活の時にもやりたいと思い、でもスイッチしなかった。
ある程度世間一般に優秀だと認められている文系としては十分な学位を持っているのに、
また4年間若者に混じって大学に行きなおすということと、ゼロから始めるということと、
才能がない限り高給は取れないということと、
その上で成功する確証がないということ。成功とはなんぞや、だけど。
私にはまだまだ奨学金ローンもあって、そして女性で、結婚や出産のタイムリミットや育児を考えていて、
そして自身が大学で学んだ分野を活かせない分野に行くこともなんだかなあと思っていて。
でも結局自身が学んだ分野で輝いている職種で仕事ができているわけでもなく。
同期のように外務省やMETIや商社で日々優秀な人と話して仕事ができているわけでもなく。
働いているものの、その職種とは全く違うところで、周縁の仕事をしている。
待遇に不満はないけれど職種に不満がある。そしてパッションを持てない仕事だから、つまらない。なぜなら自身がもっとパッションを持ってできる仕事があると知っているから。
そんな私はFIREに惹かれる。「パッションもないつまらない仕事」をずっと続けるよりも、資産形成をして、その後、パッションを持てる分野で給料関係なく仕事してみたいな、とか。何かやってみたいな、とか。
ただ奥底では知っている。FIREを追い求めて、たとえ資産が安定したとして、その後、30代中盤だか、から、ゼロから大きな仕事ができるのかと。
「普通の人でいいのに!」であらゆるSNSにて阿鼻叫喚を巻き起こした冬野梅子先生の新作「まじめな会社員」を読んだ。相変わらず圧倒的情報量でぶん殴ってくる凄まじい漫画。連載というのだから毎週身が持つか心配である。才能があるが、絵に描いたようなイケメンではないサブカルっぽい男性(芸能人で例えるなら星野源、仲野太賀みたいな雰囲気)に秒で恋をし(しかも中身ではなく肩書きに眩んでいる)、恋愛経験の浅さから普通の男女が仲良くなる手筈を踏まず暴走して自爆するの、身に覚えがありすぎて眩暈がした。
自分も拗らせまくったサブカル女で、容姿がよろしくなく恋愛経験はペラペラ、家の都合で地元を離れられず地方で冬野梅子先生的暮らしをしていた。地方といっても中途半端な政令指定都市のため、それなりにおしゃれっぽい場所はポツポツと存在する。東京からUターンしてきて、クリエイティブ的活動しながら地方でゆるく暮らそうみたいなコミュニティもある。だけど、東京と比べてあまりに規模が小さいため、「一方的に恋をして自爆」をすると速攻で噂が広まってしまう。なんとなく行きづらい場所ができると、コミュニティが小さいため連鎖して行けるおしゃれプレイスがどんどん少なくなっていく。あとそういう地方コミュニティでオシャレ男性の彼女ポジの人って、もちろんもれなく美人だけど、「誰々と浮気してる」とか「誰々から略奪した」みたいな噂が飛び交っててもツユ知らぬ顔でDJイベントに我が物顔でいるようなタフな人である。私はそうはなれなかった。
どんどん行ける場所が少なくなる中、頼みの綱であるマッチングアプリには改造車とピースサインしているようなマイルドヤンキー(死語)しかマッチしないし、たまに飲み屋とかイベントとかで同年代と出会いがあっても普通に既婚者で不倫のお誘いである。(地方は結婚が早い)望んでいるオシャレ暮らしもできず、恋人もおらず、仕事も凡庸で、まじで気が病みそうだったので死に物狂いで転職活動して今東京で暮らしている。実家とは縁が切れかけたけどなんとかなった。年収も上がった。
東京に来てびっくりしているのは、地元では県に一個しかないようなオシャレスポット・コミュニティが、各駅レベルであること。これでは、一個でしくじっても、次々!と明るく切り替えられるよな。冬野梅子先生の漫画に湿り気とか暗さがないのって、「まあこのコミュニティ無くしても他があるし」っていう東京特有の気楽さが全体に満ちていることだと思う。地方ではこうはいかない。
本当に上京してよかった。あのまま地方にいたらどん詰まりで狂ってた。あと才能ある男と付き合って自分もなんかそのコミュニティに入ってサブカルロンダリングしようみたいな気持ちが消え失せて、自分自身が面白い人になろうと思った。(コロナ前に)あちこち顔を出して作った縁で細々書いてるエッセイが形になりそうなので、なんか似た文体の人間見つけたらほくそ笑んでやってください。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66492
伊東乾はメンタリストDaiGoを批判し、例えば「科学的に完全に間違ったことを『科学』を標榜して垂れ流してしまう。こうしたタレントの放言を真に受けて、後遺症を背負い込んでも、誰も補償してくれません」と書く。この「垂れ流し」とか「タレントの放言」などの修辞には、敵意を込めた罵倒だという以外には、情報量がなにもない。つまり「これこれの主張は科学的に間違っている」と書けば済む話なわけだ。これは単に一例であって、伊東乾の文章は全編がいつもこの調子。
で、メンタリストDaiGoの、どの発言が、科学的に間違っているのだろうか。驚いたことに、何度読んでもそれがわからない。自分なりに伊東乾のお気持ちに好意的に寄り添って推理する限りでは、「新型コロナウイルス感染症の脅威を死亡率で計るのは科学的に間違い。重要なのは後遺症」と言いたいのかも知れない。しかし「死亡率と後遺症のどっちが脅威か」なんてことは、経済やインフラや個人の価値観やが絡む高度に複雑な問題であって、科学で一意に結論が出る話とは思えないんだけど。
伊東乾の文章から「素人の垂れ流し」「テキヤ」「ペテン師」「おかしなコンテンツ」「生ぬるい若者のどうでもよいお喋り」「中途半端に上ずった若者のご託」「陳腐なクリシェ」「うわごとのような早口でまくしたてる」「メディアを濫用するマインドコントロール商法」などの無内容な雰囲気レッテル貼りと、執拗な学歴マウンティング(発言を批判するなら人格ではなく発言内容を批判してくれ。発言者が中卒のお笑い芸人だろうが学位取得者だろうがそんなことはどうでもいいんだよ)をすべて削ると、びっくりするほどに内容薄い。自分の理解では
・「新型コロナで怖いのは死亡率以上に後遺症」
・「メンタリストDaiGoのやりかたは麻原彰晃に似ている」
・「発想はナチスと一緒」
ちなみに「執拗な学歴マウンティング」の「執拗な」は、無内容な雰囲気レッテル貼りではないですよ。9ページの論考の中で、p1「私もかつて教えたことのある大学の理工系で卒業、大学院修士課程を中退しているようでした」、p2「学卒/大学院中退はサイエンスでは『素人』」「大学・大学院で物理を学び、ここ四半世紀は地味なサイエンスと地味な芸術音楽を両輪に、研究大学でコンテンツのラボラトリーを主催する一教官として言えるのは」p3「修士を取れないというのは、能力的な問題というより『やらなかった』怠惰を意味する場合が多い」「学卒レベルのアマチュア了見で」p5「サイエンスを標榜して無学位という時点で『科学は偽物』と見ます」などと書いてることを、「執拗」と表現しています。
「ホームレスなんて死ねばいい」というメンタリストDaiGoの主張と、それを批判する伊東乾の主張を比べれば、自分は圧倒的に後者を支持します。しかしながら、まあそれはそれとして、「(ホームレスなんて)邪魔だしさ、プラスにならないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ」と「素人の垂れ流しだしさ、テキヤやペテン師みたいだしさ、生ぬるい若者のどうでもよいお喋りだしさ、中途半端に上ずった若者のご託で陳腐なクリシェだしさ」を見比べると、伊東乾ってメンタリストDaiGo以上に雰囲気話法だなー、と、どうしても思ってしまう。
傾向として女性は責任とる役職に就きたがらないし、仕事もがんばらないしな。なんか中途半端な状態がずっと続いて社会がジリ貧になっていくな。俺の人生もジリ貧だけど。リベラリズムとフェミニズムが目指した世界は実現できなさそうだ。
最初は好きな絵をふぁぼRTしたりジャンルが被った人と会話するだけで楽しかった。
推しについて呟くといいねされるのも嬉しかったし絵を褒められるのも嬉しかった。けどジャンルが変わるにつれ語り合える人がいなくなるにつれ急にツイッターは孤独なツールだと思うようになった。
暇があったらツイッターで誰かのいいね欄を監視し自分より遥かに上手い相互に付いたリプをどういう人かプロフィールまで飛んで確認していた。〇〇さんの作品待ってます。好きです。そう言われているのが見えるのが耐えられなかった。私だって推しを描いているのに何であの人だけ褒められるんだよ。嫉妬は膨らみあの人に並べるような作品を目指してもみたが叶わなかった。
誰も自分の事なんて見ていない。
誰かに注目してもらいたい消費されたくない。
こんなに相手にされない気がしたのははじめてだった。
こんなに頑張ったんだから褒めてという思いが溢れ出てくる。相互に嫉妬したときもあったが「〇〇さんに認められたい」という思いがこみ上げた時は何の為に絵を描いてるか分からなかった。
・誰かを自作品の良さで殴りたい
・俺の絵を見ろ
→原動力
この時は気分がいい時の方が多い
・〇〇さんに認められたい
→足枷
実力以上のものを求めて爆死するか好きではない作品を生み出したくなくて拗れる
ネットに公開する以上褒められはしたいけどやっぱ中途半端な絵上げてフォロワーが増えるのは何か嫌だわまず中途半端な絵を愛せない
前から薄々思ってたけど、この会社の教育はOJTですらねえな?
何の知識もなしに、はい仕事やってー!はいダメ―!なんでそんなことするの?って
何も言われないから見様見真似と手探りでやった結果がそれだよ
手取り足取り教えてほしいわけじゃないけど、最低限やるべきことは伝えろよ。四則演算できない小学生に1次方程式とか教える教育者はいねーだろ
いきなり1次方程式やらされてもアプローチの仕方がわからねえだろうがよ
専用ソフト持ってこられても使い方知らねーんだよ世間に広く普及してるやつ持ってくるか使い方ぐらい教えろ
最低でもやったらダメなこと、目標ぐらいは教えてから放置しろよ。教えねえからどこまで行ったら目標達成なのかわかんなくて中途半端な結果になってんだよ
中途半端に仕入れたデータが思い込みになってるバカなんだけど、
こういう人は、俺は現実を見て的確な判断を行ってるんだと思ってるんだろうな
国の歳入は(国債+税)なので、税を増やさなくても国債を増やせば歳入を増加させることは可能
国債を増やして問題ないのかという話だが、国債を増やせばインフレになるが、
現状で医療費や生活保護費が増えてるから騒ぐ理由はバカだからだとしか思えない
むしろ元増田が何の生産性もないと言う人間にこそ多めに配ってやればいい
2か月ほど前を振り返ってみると、菅政権は五輪開催に向けての体面を整えるため、感染者数の減少は中途半端でも五輪開催前には緊急事態宣言を一旦解くだろうと自分は思っていた。案の定、6月20日に緊急事態宣言は解除された(沖縄を除く)。
この頃すでにデルタ株の危険性は取り沙汰されており、その日の東京都のコロナ感染者数は300人を超えているので、コロナ収束を目的とするのであれば宣言を解除する合理性は無かった。6月20日の緊急事態宣言解除が決まった際のブックマーカーの反応は実に予見性に富んでいて、今読み返すと面白い。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210616/k10013088581000.html
ワクチン接種率が十分でないため、緊急事態宣言が解除されればもちろんコロナの感染拡大は再開するが、この時点の菅政権の目論見を思うに、おそらく五輪期間中は多少無理やりでも緊急事態宣言を再発令しない方向だったのではないだろうか。しかし、政権の誤算はデルタ株の威力が思いのほか大きかったことかもしれない(いや、誤算というか、普通に気付けよ、お前という話ではある)。
かくして感染者数は指数関数的な増加を始め、6月20日の宣言解除からわずか3週間足らずの7月10日、東京都のコロナ感染者数は950人にまで増えた。事態の悪化にあわてた菅政権は五輪開催が2週間後に迫る7月12日、再び緊急事態宣言を発令した。
緊急事態宣言をすると、それまでは1週間あまりで感染者数の山がはっきりと低くなり始めていたが、今回はそうならなかった。そうならなかった理由として有りそうなものを感染拡大要因と感染収束要因に分けて考えると、
感染拡大要因:
①デルタ株
②オリパラ開催による楽観バイアス(オリンピック開催するならもう大丈夫っしょ/なにーこの状況で五輪開催だと?けしからん、おれも自粛止める!など)
③高齢者へのワクチン接種率向上による楽観バイアス(おじいちゃんとおばあちゃんにうつして死なせてしまう可能性が無くなったなら、少し羽目外しても大丈夫でしょ。)
④ワクチン
①②③は効いてしまっている一方で、④はデルタ株に対してはやや効きが落ちているし、接種率も感染拡大に歯止めをかける域には達していない。⑤については、1年以上に及ぶ長期の自粛生活と、緊急事態宣言の乱発(オオカミ少年効果とでもいうか)で、自粛を促す効果が薄れている。
さてようやく本題だが、②は五輪が理由。⑤は6月の緊急事態宣言解除のみ五輪が理由だと思う。ただし、楽観バイアスでどのくらい感染が増えたのか、政権は五輪が理由で6月に緊急事態宣言を解除したのか、これらは検証が難しい。実際、綿密な検証はなされないまま、そう思う、以上の話にはならずに終わるのではないだろうか。
自分は今の感染拡大について五輪が最大の原因とは考えていない。五輪「も」原因だと「思う」。もっと言ってしまえば、ガースーが総理をやっていることが我が国のコロナ収束におけるボトルネックくらいに思っている。
なんで生活保護の擁護する理由あるの?何割かは詐称じゃんあんな制度
本当に必要な人に金を回さないくせに中途半端に人間として生きようとしてるクソザコゴミムシ底辺にはすぐ金払うじゃん行政
生活がままならなくて生きるのにも必死な人を馬車馬の如く働かせて搾取して、役所の連中は適当なこと言って生活保護の許可下ろさないとかめちゃくちゃたくさんあるじゃん
生活保護よりも簡単に出来ること山ほどあるのに、こんなもん行政の怠慢じゃん、行政の連中はほんとにいい加減に悔い改めろ、地獄を見ろ