はてなキーワード: 世にも奇妙な物語とは
最近、オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。
ちょっとイイ夢を見た。
小5ぐらいの時のメンバーで同窓会?みたいなのをしてわいわい話して、当時はあまりみんなと馴染めてなかった気がすると打ち明けたら、そんなことないよ!ちゃんと友達してたじゃんとエピソードトークして、当時好きだった子に告白して実らなかったのが笑い話になって、告白された方は、え?待って、あれって俺がフラれたんじゃないの?と記憶にすれ違いがあって、あの時、俺はガチで…。みたいな事を言われて、私がその時を取り戻したくて、え、待って、ちゃんと話したいからってとこで場面変わって、お開きになることになって… 話せなかったから、また会おう!ってまたその時にちゃんと話そう!って帰る姿を追いかけて、別れたらあの時、どんだけ嬉しかったかみたいなLINEが来て…………
Facebookの通知が何件か来ていて、そのうち1件がまさかの夢に出てきた彼。
何かでっかいスキャンダル的な話があった時に、全容の解明を、とか責任問題が、とかいうことはよく言われるしメディアもそういう論調で取り上げてる事が多いと思う。で、これには自分としては疑問があるという話をしたい。
自分はプログラムを書く人間なのだけれど、プログラムを書くって事はバグを作り込む事になるので、しばらくプログラムを書いていればどうやってもバグを作り込んでしまうことになる。こういう時、全容の解明も責任問題も確かに重要なんだけれど、同じようなミスを二度起こさないようにする仕組みづくりってのの方に力を注いだほうがいいって思っている。これを自分は「バグの発覚は改善のチャンス」てな感じで考えていて、実際、バグがみつかったということはテストを増やせるかもしれないし、似たような問題を起こしにくくなるようなワークフローの改善ができるかもしれないっていう考えが先に来ていて、その次に全容の解明(全容がわかれば対策などが立てやすいから)、さらにその後に責任問題(何らかの責任者に改善案を実行するための圧力をかけるため)を気にする、みたいな感じに思っている、というわけ。なので、自分としては一番に考えるべき改善の事が何も話されていないように見えるのには疑問があるのだ。
といっても、例えば政治におけるスキャンダルをメディアが取り上げるって話と、プログラムを作る時に起こった問題に対処するという話を同列に扱ってもそれは悪い例え話にしかならんよねとは思う。
この例の場合はメディアが取り上げるのは事実に基づいた話でしかなくて、改善案をメディアが議論する理由はあまりないのではないか、という感じ。
ただ、自分としては問題が発覚したということは喜ばしいことだ(改善できるぞ素晴らしい)、という概念なのに、なぜだか問題が発覚することは良くないことだ、責任をとって辞めろ、みたいな事しか話されないような風潮が構成されているのに疑問を感じてしまうという事を誰かに伝えたかった。
いっその事、道徳みたいなレベルで問題を発見したら改善を行うチャンスと思う事を浸透させてみたい。
と、考えた辺りでそういう道徳観念が行き渡っている世界ってどうなんだろう、そういうショート・ショートがあったらだいたいはディストピアなんだろうな、でもそういうの読んでみたいな、と思った。
その世界では日常における様々な問題が発見されるたびに改善されていっているため、例えば年寄りによる車の暴走があると気づいたら暴走が起きても大丈夫な自動停止システムが発展していたり、色々な所で発生している「改善」が実は車輪の再発明がなされていた事に気づいたことで改善検索システムみたいなのが導入されてたり、人付き合いが下手な人間によって引き起こされる問題は、見方を変えると人付き合いが得意な人間による推測と寛容の性能の高さによって担保されていることに気づいたことで、推測を交えないような対話方法が模索されて言語まで拡張されていたりと日常的に改善が行われているという世界なのだろう。
ちょっと違うけれど世にも奇妙な物語か何かで、嘘を言うという概念が無い世界で嘘を発明した人が〜みたいな話があったような気がする。あんな感じで問題があっても改善をしない「なぁなぁ」という概念を発明した人が〜みたいな話の流れになったりするんだろうか。
読んでみたい。
読者としての解説ですけど、あれは「ほんのり怖い系の世にも奇妙な物語風スカッとジャパン」なストーリーであって、批判してる人の「清掃する人がいないって女性でも清掃の仕事くらいするだろ」ってツッコミはちょっと違うのではないか。
あの漫画のストーリーのオチは、「自分勝手に大声で喚くフェミニストが『女性だけの街を作る』と宣言して、周りが『はいはいどうぞどうぞ』と用意された街に入ったら、実は単なる隔離施設で1度入ったら二度と出られない場所だった…」というものでしょ。いかにも「世にも奇妙な物語」でありそうな単発三流ドラマのオチ。「社会から『迷惑』だと認定された者」が入れられる永久隔離施設だから自分で進んで掃除する人は出てこない。
「排除する者」をまた「排除する社会」というディストピアものな。
【理想の国】
想像でも何でもなく、こういう国が出来たら必ずこうなる。
絵は適当₍₍ (ง ˘ω˘ )ว ⁾⁾ pic.twitter.com/WiXklPBGef— hal 単行本発売中 (@hal_goshuomo) 2018年1月25日
昔から"死"というものがとても怖かった。特に友達とか家族が死ぬのを想像するのはとても怖かった。一時期は知り合いが死ぬのを経験するのが嫌だから死にたいとまで思っていたほどだ。
何故そんなに怖いのか。言葉として表すならもう会えなくなるから、というのが適切かと思うけど、ただ本能的な怖さな気もする。とにかく死、怖い、めっちゃ怖い。
そういえば、私は『世にも奇妙な物語』のホラー物の話が昔から怖くて仕方がなかった。正直大人になった今見ても怖い、風呂に入るのが嫌になるぐらいには。
だが同系列の『本当にあった怖い話』はそこまで怖いとは思わなかった。
怖いとは思うのだけど後に引きずるほどではなかったのである。
過去に何人かの友人にこの事に同意を求めたのだが、周りの意見は総じて「普通に本怖の方が怖い」であった。本怖は実体験だけど世にもは創作と明言されているかららしい。
確かに、と思ったのだが創作とわかっていてもやはり世にもの方が怖いと思ってしまう。別に演出は同じくらい怖いと思うのだが何故。
そして最近この理由を考えていてもしかして死が怖いからじゃないか、と気づいた。
本怖は私の知ってる限りでは基本的に死にはしない、だって実体験だし。でも世にもは死ぬのである。しかも後味が悪いことが多いから余計トラウマものだ。
世にもを見ていると創作とわかっていても(自分にも起こり得るんじゃないか...)とか、(知り合いが巻き込まれたら...)とか考えちゃうわけだ。
いや、死、めちゃくちゃ怖い。改めて考えてなんで皆この恐怖も感じないような振る舞いができるのか不思議なくらいには怖い。私はこれから先もこの感覚に苦しめられることになりそうだ。
今回はモアイ
まあ大なり小なり、合コンじゃなくても頭の悪い、陳腐な相槌がベターのときは社会では往々にしてあるしなあ。
私は、それをやる度に自分の免疫細胞が死んでいく感覚を覚えるけれども、まだ生きているからヘーキヘーキ。
それを身を削らずにできれば、立派な社会人になれると思うんだけどなあ(なりたいかなんてことは私は知らんよ)。
白鳥も水面下では~という例えは有名だけれども、英語とかでも「クジャクの羽は美しいけれども足は汚い」みたいな諺があるし、このあたりの価値観は他国でも共通なんですなあ。
まあ、こういうフィールドで戦う以上、羽を綺麗に見せようとすればするほど、得てして下半身が汚くなるんでしょう(深い意味はない)。
そのために、描く対象を好きであることが重要って解釈でいいんだよね。
つまり、このマンガで語られる「遺影を描く」行為を「殺す」と表現しているけれども、「恋慕」でもあると。
こう読み解くと、後半の二人の言動や、最後のオチ含めて興味深くはあるね。
中々に魅せてくれるストーリーではあるんだけれども、この難儀な価値観を土台に話が終始進んでいくから、それを理解しないと後半の二人の言動についていきにくいってのが難点かなあ。
う~ん、設定は興味深いけれども、あんまり面白くならなかったなあ。
プロットがイマイチってのと、セリフで語らない割に、絵で何がどうなってるか分かりにくい。
意図的にやっている節もあるけれども、それがあまり面白さに繋がっていない。
不出来な「世にも奇妙な物語」を見せられた気分。
最後らへんの展開はよかったね。
ただ、中盤までの二人の会話が、つまらない身の上話ばかりでウンザリする。
というか、ラストの展開の持って生き方も踏まえると、その辺りはややクドいね。
ふむ、要素の一つ一つが手垢まみれというか陳腐だけれども、物語としてはしっかり纏まっててよろしいかと。
序盤で、無機質な機械が意外にもウィットに富んだ言動をしていたりとか、世界感を説明するのではなく、絵で見せるっていうのはいいね。
なんかキャラとかの構図が似たりよったりだし、話がすごくとっ散らかってるなあ。
今まで見て見ぬふりしてきたが,もう我慢の限界だ.
ネットの文章やらTVのインタビューやらのテロップでもたまに出てくる.
ふつう,「知らなんだ,思わなんだ」じゃないの?
国語の授業は,あまり聞いてなんだが,こんな語法習ったんだろうか,
自分だけ「~なかった」を知らない世界に取り残されているんだろうか
方言?
正しくはこっちなかったろうか,それとも誤用なかったろうか?
疑問は費えない.
違和感の原因は,「動詞+(なかった)」という,(なかった)単体で使うと思っているものと動詞とをくっつけているからだとは思うんだけど,
この違和感は何なかったろう..