はてなキーワード: クリスマスツリーとは
ショートケーキとケンタッキーのチキン、小さいけれど気の利いたクリスマスツリー。
私の実家のある環境は、他の地域よりちょっとだけ恵まれた場所でした。
老舗のお惣菜屋さんのローストチキンはチェーン店のチキンより安くて美味しくて、チーズケーキが自慢のケーキ屋さんがあって。
そんな地元で買ったローストチキンとチーズケーキを並べて、母親がつくったツリー柄のパッチワークを飾るのが、私の実家のクリスマスでした。
心のどこかに、テレビCMみたいな典型的なクリスマスへの憧れがありました。
だから、今日改めて「典型的な日本人のクリスマス」を過ごせることに、心から感謝
したかったのに!
したかったのに!
御堂筋線のデザイン案が発表されて早々に方々から叩かれまくっていますね。アレね、ほんとうに何とかしてほしい。
俺は維新の会に対して、選挙で票を投じたことはないものの、大阪万博の開催には賛成しているし(だって、楽しみだろうカジノ)、賛否ある諸々の政策に関しても、ネットで悪し様に言われるほどの拒否反応は持っていない。「いいところも、いくつかあるよね」ぐらいの立ち位置。
そんなおれでも、今の維新の会率いる大阪のデザインに関しては「ほんまに終わってる」「誰か止めてくれ」という認識です。
例えば万博招致のモニュメント。「万博 招致 モニュメント」で検索してください。…しました?してない人に説明すると
です。
ひどいんですよ。マジで。公立中学で「万博のモニュメントをデザインしてください」って課題を出したとしたら、1クラスに必ず1つ上がってくるレベルなんすよ。それがついこの間まで大阪市役所の前に鎮座していて、その前を淀屋橋駅から降りた市役所職員、人権派弁護士、アメリカ領事館前でシュプレヒコールをあげるデモ隊が、日々通り過ぎていくんです。ちなみに、淀屋橋駅前には名物の丸坊主老婆ホームレスがいて、夜中によく花壇の脇で野グソしてるんですよね。それを皆、見て見ぬ振りして通りすぎる。そんな地獄が長く長く長く続きました。2025!握りこぶし!最近、あの老婆見ませんね。どうしたのかな?
閑話休題。他にも、懐古趣味の阪急ビル。リノベーションと称して周回遅れのインスタ映えを狙い派手にスベる有象無象。投身自殺のあった大阪駅前で歌う路上のシンガーソングライター。特に芸術に対するリテラシーの低い全身ユニクロのリーマン(事務職)ですら毎日ゲロ吐きそうになりながら生活してるんだから、意識高い東国の皆々様は卒倒するんじゃないでしょうか。そして、そんな大阪に輪をかけて酷い我が故郷神戸。なんや、神戸タータンて。なんや、BEKOBEて。「ジャズの街神戸」ってキャッチコピー、ゲロ吐きそう。百歩譲って「黒田卓也を育んだジャズ街、芦屋」やろ。倒れろ、世界一のクリスマスツリー!(もう無い)
再び閑話休題。もちろん、大阪にだって、いいデザインする会社はあるはずなんすよ。でもあんまり前に出てこない。例えば新しい阪神百貨店はなかなかカッコいい。やるな阪神。そのまま真っ直ぐ突き進め、メッセンジャーが野球帽のツバのように。でも、例えば、俺の知っているレベルでいうと、大阪にある「graf」って会社は、いいデザインをすると俺(全身ユニクロ)は思うんですけど、ここは、今、奈良県のデザイン監修をやっている。今をときめく中川政七商店に、全部持っていかれてしまった。奈良は今、すごくいいと思う。奈良クラブを応援するから、graf返してください。マジで。
なんの話をしていた?そうそう、御堂筋線のデザインの話。とにかく、今の関西(除く奈良)のセンスはヤバいんすよ。ここらで全国にバレて、南青山ぐらい盛大にバカにされて粛々と軌道修正したほうがいい。それで、結果、満を持して安藤忠雄御大登場、となったら、もう、それはそれでしょうがない。そういうレベルにいます。今。
母上様お元気ですか?
イエナリエが点灯よ!
ひっそりと輝く小さなクリスマスツリーが置いてあるベランダが可愛いのよ。
それにもうみかんの花咲く丘公園駅前の広場なんか装飾もクリスマスチックな感じで
なんかイスラム圏のお友だちに
なんだ!普通にクリスマスムード賑わい祭り開催中じゃないって。
KFCだとか竹内まりやさんの曲が流れてそうなイキフンなのよ。
イスラムの人たちもクリスマスには寛容なのかな?と思ったりもするけど、
実際はどうなのかしらね。
ピリついてる人たちもいるかも。
分からないけど、
でさ
酷いのよ!
今年もその来年の手帳を今年のうちに買おうと探したんだけどお店に置いてないの!
おちこむわー!
サンタさんに同じ手帳をちょうだい!ってNORADにお願いしたいわ。
うふふ。
朝乳製品取り忘れたのでヨーグルト飲むタイプのやつもグビっと行きました。
乳製品は摂った方がいいわよ。
ヨーグルトとかそういうの。
梅ホッツウォーラー。
もうちょっと今朝は早く起きて優雅に余裕ぶっこきたかったわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
下町ボブスレー応援キャンペーンというページで応援メッセージの寄せ書きの写真を公開している。大多数はがんばれ!めざせ金メダル!などの純粋な応援なのだが、某所で日本チームに敵意をむけた書き込みがあるとの話がでた。
8月13日に開催した「大田の工匠NTG展」のフォトギャラリー
http://hpd.co.jp/sbo/photo03.html
こうなったら ジャマイカチーム! 行け!! 打倒JAPAN~!!
打倒 JAPAN!!
http://hpd.co.jp/sbo/photo01.html
大田の工匠NTG展(NTGはNext Generationの略らしい)というイベントでの寄せ書きだ。日本代表に採用を見送られたことへの逆恨みだろう。まさかこんな事を工匠展を見に着ただけの親子連れが書いたりはしないだろうから(もし親子連れにこう書かせるような話がされてたとかならもっと怖い話だが)、下町ボブスレーの関係者が書いたと思うのが自然だろう。
勿論下町ボブスレーに関わった人全員がこんなメンタルだというつもりは毛頭ない。しかし一部には確実に逆恨みで日本負けろという空気が造成されてたのだろう。それがこぼれ出たのが寄せ書きだ。
名匠やそれを率いる人が人格者である必要性はないが、マンガ化やNHKのドラマ化などが既に行われていて後に引けない事情もあったのだろうが、競技シーン的には全く関係ないのに使わないなら違約金だと迫るのは完全にプロモーション上の失策である。失敗したなら失敗したで話のまとめようはあっただろうに、「競技の道具メーカー」としては競技者本位であるべきなのに、競技者を差し置いてメーカーが主役になることに固執した結果が一連の醜い言動に繋がっている。
構造的にはかなり違うが、プロモーションの失敗という観点では神戸のクリスマスツリーに通じるものがあるとおもってる。自分達の傲慢さに気づけない運営は大衆にそっぽ向かれるよ
神戸市から回答が来た。私のリクエストは「広報課」に対してで、広報課は公共性の無いイベント(※1)まで広報すべきでない、というものだったが、回答は「神戸市経済観光局観光企画課」からだった。
※1 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010779156.shtml
平成29年12月1日付けの神戸新聞及び神戸新聞NEXTに掲載された西畠清順氏への取材記事に関しては、神戸新聞社による西畠清順氏への取材に基づくものであり、神戸市としては事業概要等の客観的事実に関する内容以外の西畠氏個人の発言について回答できる立場にございません。
神戸市としては、前述の通り神戸の賑わいや観光集客に資するという観点から参加しておりますので、多くの方にメリケンパークへお越しいただき、この1本の木が発する魅力に触れていただけたことをありがたく存じます。
他のかたへの回答と突き合わせてみると、「西畠氏個人の発言」を使って回答していたりするので、矛盾していていて、実に苦しい感じがする。
https://twitter.com/negativeheart_s/status/945996378219540480
クリスマスが終わった。
息子は2歳になった。
まだ言葉もしゃべれないし、枕元にプレゼントがあってもとくに意味は無いので、普通にクリスマスのタイミングで大きな玩具を与えるに留まった。
そのかわり、クリスマスツリーなどにはたくさん触れ合った。
今年から我が家にもクリスマスツリーを導入した。「家にあったクリスマスツリーは大人になっても覚えている」ということを妻と確認したからだった。
ツリー選びも2人でかなりこだわった。あまり意味は無いんだけど。
すぐに電飾のスイッチの押し方をマスターし、朝起きてピカピカしてないと
「あっ」
と指を指して、ツリーに駆け寄りスイッチオン。そしてにっこり。
それからというもの、至る所でピカピカ光る木が置いてあることに大喜びだった。クリスマスツリーを買って本当に良かったなと思った。
別にキリスト教徒ではないが、日本のクリスマスは季節を感じるための行事だと思っている。
お正月にお雑煮を食べ、春に花見をして、夏に花火をみて、秋に紅葉を見るのと同じ。季節を感じながら生きることは心を豊かにすると思っている。それ以上でも以下でもない。
さて、来年からは言葉もしゃべれるようになり、頭も良くなるだろう。
俺は性格上「サンタが来たよ」と何の考えなしにウソをつくのは気持ち悪くて。あんまりしたくない。
だから本当は「クリスマスだからはい、クリスマスプレゼント」「パパママ、ありがとう」というやりとりがしたい。
それが平和だと思っている。でもこんなことを考える。
うちのこ「サンタさんなんていないんだよ!」
サンタクロースを信じることは誰にでも認められるべきクリスマスの楽しみ方だ。絶対に認められるべき権利だ。
それをうちのこが「パパが言ってた」なんてクソみたいな根拠で踏み潰されたらたまったものではない。どんな悪者だよ。
個人的にはサンタクロースもクリスマスの大切な概念なので、うちの子にもサンタさんは大切にしてほしい。
そして、クリスマスに意味もなくサンタクロースやトナカイを眺めて幸せな気持ちになり、1年を振り返るとポジティブに1年を振り返りやすくなるという日本の文化を存分に活かしてほしいと思う。
日本のクリスマスは「文化の良いとこ取り」が得意な日本人を象徴する文化だと思う。うちの子にもその楽しさは教えてあげたい。
でも、「クリスマスプレゼントをサンタさんが家に侵入して置いていったよ」なんていう大胆なウソをつくのは、俺にはちょっぴりこっぱずかしい。
そして、そもそもそんなことを子供は信じないのだ。「絶対におかしい」と思う。
でも、お父さんとお母さんは「サンタさんが持ってきた」という。だから、信じている。
俺はこれって「サンタさんを信じている」のではなく、「お父さんとお母さんを信じている」だけだと思う。
子どもは「サンタさんがいる!」とストレートに思っているわけではなく、お父さんとお母さんが「サンタさんが持ってきたよ」というからいると信じている。
この時点で、もうあまり意味はないんじゃないかなと思っている。
サンタクロースは実在しなくてよい。ミッキーマウスが実在しなくてよいのとまったく同じ理由だと思う。
これらを総合して「サンタさんは否定してほしくない。でも、プレゼントをサンタが持ってきたと言いたくない」というモヤモヤが発生。後者は完全に自分のエゴでもある。
でも、起きたら枕元にあるあの演出。あれは嬉しい。
そこで来年からは「クリスマスは枕元に注目」ということだけ教えようと思う。
そして、人によってサンタクロースは違うんだとも伝えたい。サンタクロースはたくさんいるのだと。
うちと同じようにパパとママがサンタの場合もあれば、トナカイとソリでやってくる場合もあるかもしれないと。
もし一度「ぼくもサンタからプレゼントが欲しい」と言い出したら、サンタからプレゼントをもらったという演出をするかもしれない。
スウェーデンの謎のおもちゃとかをプレゼントする演出をするかもしれない。
でもその時は「いや、その年はサンタが来た」と大人になっても言い続けてあげよう。
これが正解かはわからないけど、しばらくはこれでやってみよう。
大手メディアは本イベントの批判を「木がかわいそう」などとまとめていますが、実際は「震災の鎮魂と復興と再生のテーマにふさわしいイベントなのか」「実行までの不透明な過程」「主催者の二転三転する説明への不信」などが焦点になっています。
会期も終わり、クリスマスツリーとされた大木は、植樹と言われながら根付くことなく伐採されました。
自分の心を整理するため、主催者に被災者の鎮魂、復興と再生を謳ったイベントの主催としての誠意が全くみられなかった、という点について書きたいと思います。(他の面については他の方が証拠を揃えて書かれていますので、書きませんが、重大な問題だと思っています)
◆◆◆
神戸の街と人々は、22年前に地震という自然の力に否応無しに痛めつけられました。大切な物を喪い、傷つき、絶望した記憶は、街が復興を遂げたとしても癒えるとは限りません。中には望まずして愛する街を去らねばならなかった人もいました。
そのような人々に対して、健やかに山で生きていた大木を功名心とも思える動機で切り出して、にぎやかなイベントのアトラクションとして据えることが、鎮魂の象徴にふさわしいなどと、どうして思えたのでしょう。本来であれば、主催が説明をすべきことですが、彼らはいくら真摯な意見を受けても、説明する責任を果たしませんでした。主催の西畠清順氏は、会期中5回以上のトークイベントを設定しながら、このテーマについて語った言葉は数えるほどしかありません。関係者は説明から逃げ「嫌なら見なくていい」と放言したり、中傷されたと被害者ぶったり、わざわざ直接ではない言い方で「くだらない」「厄介な傷つきやすさのアピール」と侮辱をしたのです。
私には、否応無く採取と輸送で痛めつけられ半死半生で潮風にさらされる木が、150年以上にわたって自らを育んだ地から強制的に引き剥がされた木が、被災した神戸の人々に重なってなりませんでした。震災を経験した方の中にも、そのように感じ、つらい記憶が生々しく蘇って苦しんだ方がいらっしゃいました。それは、西畠氏が仕掛けた「この木への感情移入」に少なからず原因があったと思います。
また、何より許し難かったことは、被災地の子供たちに願いを書いてもらったオーナメントが無残に風にちぎれ飛ばされていたことでした。主催にとって、「鎮魂と復興と再生」というのが単なる都合の良い大義名分以上のものではないということを如実に示していました。
私は、悲愴な記憶を「もう○年前のことだから」「自分には権利があるから」と、踏みにじってもよいもの、利用してもよいもの、軽んじてもよいもの、として扱う鎮魂ビジネスを断固として拒絶します。
そしてその姿勢を是とした西畠清順、糸井重里、そら植物園、フェリシモ、神戸市等への不信感を決して忘れません。
いつか、東北や熊本で同じようなことを企む輩が出るかもしれません。震災に限らず、聞こえのよい大義名分のもとに、メディアに守られたならず者が土足で人々の思いを踏みにじることがあるかもしれない。
その時には亡くなった者、傷ついた者の尊厳を守るために断固として戦わなければならないと思いました。
参考)
有川浩さんのブログ https://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12336781681.html
いいなさんのブログ(本企画の時系列) http://iina-kobe.com/entry88/