はてなキーワード: 次長とは
ちょっと聞いてくれ。俺はもう何が何だかわからなくなってきたんだ。
でもなんか、こんなことは増田でしか言えなさそうなんで、書いてみた。
前提として、俺はもうすぐ40になる地方公務員だ。働き出して20年近くになる。
曰く、仕事を覚えろ。毎日の仕事をもしこれが完成しなければ辞めるつもりでやれとか。
そう説教した人間は、毎日サビ残をして、予算書にくびったけで電卓を叩きまくっていた。
何を悩んでいるのかさっぱりわからなかった。いつも顔色が悪かった。胃薬を飲んでいた。
俺は紙で何億もの予算を管理するのは、大変で非効率的だと感じていた。
効率化しないのかと聞いたことがある。この場合は、パソコンでも使えと言う意味だが。
誰でもができる方法でないといけないから、変えられないと言う返答だった。
つまり、異動して次の人間が来た時に、その人間がパソコン使えない人間だったらどうするのかと。
知ったことかと思った。世の中には既にExcelもWordもAccessも存在していたのだ。
百年前の人間が紙と鉛筆で仕事していたからって、今の俺らも紙と鉛筆しか使えないなんてことはないだろうに。
結局、仕事そのものが忙しいので、仕事の遣り方を見直す時間がないのだと考えるしかなかった。
とは言え、組織の硬直性と言うものに直面した俺は、それを学習し、今後は何も言わないことにした。
言うだけ無駄だ。言えば言った人間が阿呆扱いされるんだ。やってられるか。
正直に言うと、俺はその仕事を俺がするんでなくてよかったと思った。やっていたら発狂するかもとも。
台帳を開いて、対象者を選び出し、書き写してリスト化し、全員に葉書を送る。無論、全て手書きだ。
ゲロ吐きそうだった。
既にコンピュータで処理している部署もあったが、俺の部署は場末だったので、そんな予算はつかなかった。
調べる限り、昭和47年あたりからずっと同じ遣り方をやっていたようだ。
何のためのこだわりなのか、全くわからなかった。これで一体誰が得するんだ?
本来奉仕する対象である自治体住民にとって、それは何か意味を持つのか?
俺自身も、台帳をAccessに入れようとした。
ただ、当時の俺はやはり未熟で業務知識も充分ではなく、
必要な要件を十分に洗い出せず、テーブル構造のデザインの時点で何度も手戻りしたりして、うまく行かなかったのだ。
こういうのは今だから表現できることだが、当時はどうして失敗したのかもうまく言えなかった。
その挫折もまた、上司たちにとってはサボりに見えたようだ。上司たちはデータベースと言う言葉を知らなかった。
そんな状況だったので、飲み会で俺は散々に哀れまれた。怒られたのではない。哀れまれたのだ。
そいつはお説教と言う形で俺を指導しようとした。ついでに愚痴も盛大に吐いた。
「お前さあ、縁故で入ったとか、そういうことない?」
彼は本気で俺のことが心配だったようだ。情には厚かったのだ。徹底的にスタンスは違って、多分今でも相容れないだろうが。
当時、俺の一族に公務員はいた。確かにいた。だが、その影響力をどうやって調べればいいのかは、未だにわからない。
縁故採用、突き詰めれば汚職であり腐敗なのだが、「あんたは汚職したのか?」と聞いてはいと答える奴はいない。
「仕事、うまくできてないだろ?」
是。それでもやっている。
「そうじゃなくて、言われた通りにまずはやれよ、何も考えず」
考えないと動けない。考えて、何をやると決めて、だから動ける。考えるなとは、動くなと同じことだ。
「……いや、指示通りに動けば」
そうやってきた。あんたも見てきた通りに。
「そうじゃなくて」
埒があかない。仕事ができてないと評価するならそれでもいい。なら、仕事の遣り方を示すべきだ。今すぐ。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
しばらく黙った後、彼はこう言った。
「……お前は正しいよ」
だからなんだ、と俺は思った。俺が知りたいのは仕事の遣り方であって、俺の評価ではない。
評価は既に聞いた。同じことを何度も繰り返しても意味がないではないか。
結局、俺を仕事ができていないと評する割に、その基準が本人の中でも明確ではないのだ。
俺は彼を憎悪したと思う。どんだけ衷心から出た言葉や行為であろうとも、ただの老害の繰り言だ。そんなものを大人しく聞かされる身にもなってみろ。
その後も彼は何度か同じセリフを繰り返したが、俺は彼を無視した。
結局、仕事の遣り方は自分で体感するしかないのだ。試行錯誤して、実践の中でつかみとっていくしかない。
やっていく内に、いつかは開眼すると信じるしかない。つまり、今までと同じだ。
二つ目の職場を異動になった時は、俺だけが動いて他の人間は全く動かなかった。
期待されてない。そうか。なら好きにやるか。そう思った。異動自体はありがたかった。
頑張らなかった。最低限のことをやった。
仕事の効率化はした。自分の手の届く範囲で。それを周囲に提供したりはしなかった。求められなかったから。
言えばそれだけ煙たがられる。言わない方がマシだ。
人事からは何も聞かれなかった。上司からも何も聞かれなかった。異動し続けて今日にいたった。
「お前、すぐに異動するってことは、どういう評価を受けているかわかってるよな」
「わかってます。低いんでしょ」
「本来、新人が来るポストにお前が来た。お前の仕事は減らしてある。つまり、周囲に負担がかかっていると言うことだ。お前に大事な仕事は任せられん。だが、与えられた仕事はきっちりこなせ。その上で他人の仕事を奪っていけ」
40近い男が、ここまで言われたよ。これまでの20年は、全くの無駄だったってことだ。40のルーキー。すごいね。
「お前、惰性でここまできたんじゃないのか。仕事をする意味はわかってるのか」
「自治体住民のためでしょう」
「それがわかってるならなんで」
「自分のやってることが本当に自治体住民のためになっているのか、そういう実感を得たことは一度もないですよ。それぞれの職場で理屈はわかりますけどね」
「……」
「何をやったらそういう実感が得られるのか、俺には判らないです」
俺は散々におかしいとかずれてるとか言われた。だからなんなんだ。判らないものは判らないのだ。20年近く試してみたその結果だ。
そしてずれてるからなんなんだ。お前もやはり、評価するだけでこうすればいいとか言えない老害なのか。
肚が決まった。今度はうるさくしてやる。他人の仕事に首をツッコミ続けてやる。来年の異動の理由は「うるさいから」で決まりだ。覚悟しろよ糞野郎ども。
時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。
というツイートで人気の自由民主党憲法改正推進本部事務局次長・起草委員会事務局長いそざきさんのHPを読む
http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/index.htm
http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/myopinion.html
第4項で、現行憲法では、天皇の国事行為には、内閣の「助言と承認」が必要とされていましたが、天皇の行為に対して「承認」とはいささか礼を失するものであることから、「進言」という言葉に統一しました。従来の学説でも、「助言と承認」は一体的に行われるものであり、区別されるものではないという説が有力であり、「進言」に一本化したものです。
礼を失するってなんだろう。
実質が「助言と承認」であるものを、それを「助言と承認」と呼ぶことは礼を失するが「進言」といえば失しない、ということはあるんだろうか。
実質が「助言と承認」である行為をすること自体が礼を失する、という意識と結びついてないだろうか。
わーお
ここで、従来の「公共の福祉」については、全て「公益及び公の秩序」と言い換えることに、平成17年の憲法草案のときに整理されています。「公共の福祉」という言葉はやや概念が曖昧であり、普通の言葉に換えれば「公共の利益」のことであって、一言で言えば「公益」のことです。それに加えて、権利の行使が社会秩序を乱すものであってはならないので、「公の秩序」という文言を添えたものです。「公の秩序」というと、すぐ「反国家的な行動を取り締まる考えか。」と聞かれますが、「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味しています。他人に迷惑を掛けない行為であれば、規制の対象になることはありません。
ここも「助言と承認」と同じことをおもう。
今までと同じものを普通の言葉に言いかえるだけだ、みたいな口調だけど、
今までと同じように運用すべきとは思っていないよねあなたたち、って。
第13条は、従来幸福追求権の規定と言われており、そのことに変更はありませんが、「個人として尊重される」という部分については、個人主義を助長してきた嫌いがあるので、今回「人として尊重される」と改めました。従来の「個人として尊重される」がやや意味不明な文言であり、「人の人格を尊重する」という意味で「人として尊重される」で十分と考えたところです。
「個人」と「人」ではずいぶん違うと思う。
あまり変わらないと考えているのか、違いがあるとした上で「人」とするべきだと考えているのかはっきりしてほしい。
第59条の法律案の議決及び衆議院の優越においては、最終的に何も変更しませんでしたが、党内議論の中で、第2項に規定する参議院で否決された法律案を衆議院で再議決する場合の要件について、「3分の2以上の賛成から引き下げて、ねじれ現象ができるだけ起きないようにすべきではないか。」という意見がありました。それを「過半数とする。」という意見もありましたが、それでは「参議院の存在を否定するものだ。」という意見が大勢でした。中を取って10分の6とする意見もありましたが、法令上議決権の規定で10分の6というのも前例がなく、この部分の変更はしないこととしました。
こういう話はおもしろい。
なんで2/3はよくて6/10はダメなんだろう、とか話しながら思うんだろうな。根拠ないもんな。
第6章 司法
司法制度については、大きな変更はしていません。第4章国会、第5章内閣と来れば、第6章は「裁判所」となるはずなのですが、どういうわけかこの章だけ「司法」という章立てになっています。このことを直そうとも考えましたが、やめておきました。
なんでだろう。裁判官がおこるのかな。
俺はたぶんサヨク気味なのでいろいろ反発するけど
いそざきさんが頭いいか悪いかつったらバリバリいいだろうと思った。
ただし、事後対応は下手だとおもう。
ほんとは、掛け持ちでやってた病院もクビになったのだった。
こっちは、ほんとに頭おかしいんで、まだ闘争中!!
とりあえず。
相手方
その日の朝、1ヶ月をメドに、アルバイトからパート移行する、という口約束。
(むこうがアヤフヤに逃げをうって、結局雇用契約書の交換は不成立。
これは相手方に不利に働くだろう)
3日目、業務終了後、相談室に呼び出され、排除と。
その場で振込用紙にサインさせられかける。もちろん拒否。
反論しまくると、向こうブレまくる。どうしようもない。
「コンプライアンスをどうお考えか?」
まともな答えは何一つ返ってこない。
ほんとに救いようがない。
こうやって地べたの労働者は握りつぶされかけるのだ。
しかし、そうはならない!
最近多くのメールでどういう上司がいたかということをよく聞かれる。思えば変人が多かったな(笑)。
一番印象に残っているのは、俺が25歳から30歳の頃のA部長だ。
最近はだいぶ社内の上下関係もカジュアルになって来ているが、当時は若手社員が部長と気安く話すなんてなかなか許されない雰囲気だった。
レポートや報告を上げるにしても、逆に何か部長から指示が降りてくるにしても、常に自分の直属の主任、課長、次長、そして部長と言う階層を通じて行われる、明確な序列があった。
「おい、タケシ!ちょっと来い」
と言ってオレを部長席に呼び出したり、向こうからオレの席にふらりとやってきたりして、オレをかわいがってくれた。
また若僧のオレにも
「オマエがオレなら、どうする?」
と忌憚ない意見を求めてくれた。
A部長は当時、今のオレと同じくらいの歳だったと思うが、体型はスリムで、どんなに暑くてもスーツをきれいに着こなし、精悍な顔つきだった。今で言えば、かなりのイケメンで(当時、まだイケメンなんて言葉はかったが)、社内の女性らの中でも評判だった。
今の時代なら、GQやLEONとかの雑誌に出ていても不思議ではない、チョイ悪なオヤジだった。
すごいのは、このルックス以上にキャラクターが深くて濃いんだ。
哲学、文学、芸術とワインをこよなく愛し、食事に行けば、シェリー酒から始まり、赤ワインをたしなみながら、高級そうな葉巻を片手に、平気な顔をしてサルトルの実存主義について語る。
ヨーロッパ的な気品があって、高貴と自由があいまった雰囲気をこよなく愛する人だった。
でもさ、何かと理由をつけてすぐヨーロッパに出張してしまうんだ(俺も同行させられることが多かった)。
と言って、自分は2週間くらいヨーロッパを周遊するんだから、困ったもんだよ(笑)。
もちろん、本人は「視察」だって言い張ってたけどな。
電子メールや携帯電話なんてない時代だったから、A部長がヨーロッパ周遊で不在の間、A部長に指示をあおぐのは大変だった。オレら若手は、A部長が泊まりそうなホテルに、片っ端から電話させられたもんだ(笑)。
A部長の緊急決裁が必要になり、どうしてもつかまらないA部長を探して部署メンバー総出で、居場所を突き止めるべくフランスのToulouse中のホテルに電話をしたこともあった(前々からToulouseでフォアグラと白ワインを飲むのがいいと言っていたので)。
しかし、結局、どのホテルに電話してもまったく見つからない。本当は権限規定違反なのだが、最後は次長が代理決裁して何とかした。
それから数日すると、真っ黒に日焼けしたA部長が会社に現れて、「地中海の島で彼女とエンジョイしていた」とのことだった。オレたちは日本であわてまくっていたのにさ(笑)。あの時はあきれてものが言えなかったな。
こんなA部長の破天荒ぶりを書くと、ただの遊び人、趣味人にしか見えないかもしれない。
しかし、仕事はすさまじくでき、社内だけでなく取引先や競合企業からも敬意を集めていた。
当時は、朝から晩まで働くようなモーレツ商社マンがもてはやされていた。しかし、ヨーロッパ人を自称するA部長は、そういう連中を「バリューレスな社蓄」と呼び軽蔑していた。
「今すぐ資料をしまえ」
と言って、ことあるごとにオレら若手を食事に誘い出した(その後、会社に帰って仕事しなきゃいけないから、ますますモーレツ社員をやらざるを得ないんだけどさ・・・)。
食事の席では、普通なら社内政治や昔の武勇伝を聞かせる上司が多い中、A部長の口から会社や仕事の話しが出ることはなかった。
文学論、芸術論、音楽論、人生観までをゆっくりと語ってくれた。ウィスキーの飲み方、酒の種類、ワインのテロワール、ホステスへの接し方、葉巻の吸い方など今の遊びの基礎はすべてA部長に教わった(笑)。
九州の田舎村からニセ慶應ボーイになってバブル期に調子に乗りまくっていたオレは、「こんな洗練された人がいるのか」と憧れだったものだよ。
おっと、A部長の仕事ぶりを書くつもりが、ついつい遊び話になってしまった。
だが、この記事を書いていたら、オレもBourgogneワインを飲みたくなって来た(笑)。
続く
http://anond.hatelabo.jp/20110307012310
を書いて一夜明けて、まぁ結構早めに帰って来れたハッピーだクソ喰らえ、という気分なので色々反論っつーかウンコ投げつけてやろう。
http://d.hatena.ne.jp/sadakiyo/20110307
まずこれ。えーと、さ。食いっぱぐれない、なんてのは当たり前なんだよね。
何やったって食える。そんなことは当たり前。そんなの誰だって出来る。しかし、食って寝れる生活に幸福を感じられたのは貧乏のズンドコだった学生時代までで、もうムリ。貧しい生活、というのは人の性根をグネグネに捻じ曲げるし、人格も矮小にするし、チンコの勃ちも悪くする。しかし、それはそれとして、もう一回あのドブ底のような風呂なし四畳半に戻るくらいなら俺は死ぬ。学生時代の四畳半はまだ良かった。大学に入る資金を貯めてた頃のあの時期は、もう二度と戻りたくない。つーか、俺は誰かを見下してないと死ぬ病気に罹ってんだよ。自分より上の人間が一人でも存在するのが気にいらねーんだよ。
金が無い、保証人もいない、学もない。それはクビがないのと一緒で、誰にも人間扱いして貰えない。誰一人、俺を真っ当な人間としてみてくれない。あれは心底クソみたいな日々だ。だから俺は底辺が大嫌いだ。あのドブ底でなんかヌルヌル生きている高卒って生き物は余すところなくゴミだ。つーわけで、あんたはそこでそのまま死んでろ。あんたの生活は俺から見ると死んでる。終わってる。
http://d.hatena.ne.jp/sadadad54/20110227/1298757508
んでこれ。「遊ぶ」かぁ。そういや、俺遊んだことねーなぁ、サモしい人生送ってんなぁ、と色々思ったんだけども。酒も飲まないし煙草も吸わないし車も持ってないしなぁ。
考えてみりゃ、俺の人生で一番面白かったことは上昇そのもので、人間以下のゴミ虫からここまで来る過程は遊びだったなー、とか思う。足りない要素を組み合わせて勉強して、カネをひり出して、金持ちを妬んで嫉んで憧れてってのが実は楽しかったんだなー、と。いやまぁ、文句つけようがなく楽しかったな。要するに、人生を上昇ゲームの形で構築してしまったから、停滞期に入って面白くねーんだ。18才からの8年ノンストップだったもんなぁ。一年、ドカタやって配管工やってキャバクラのボーイやって風俗店の店員やって、それから東京出て学生になって就職して、平行して働いて勉強して資格取って。
しっかしさぁ、「遊ぶ」って観念に対して思うんだけどもさ。何かに対して目的論的に取り組むとしたら、「遊び」なんて観念出て来ないと思うんだよね。仕事に対置される「遊ぶ」なんて観念が出てくるのは、結局のところ食うに困ってない、ってだけの話なんじゃないのかね。もし、何某かの目的に向かって進んでるとしたら、それは遊びなんて風に表現されないし、仮に表現されたとしても「仕事」とは全く関係のない話なんじゃねーのかね。仕事の話で「遊び」が出てくるとしたら、そんなのただの逃避なんじゃないの。逃げんのが悪いわけじゃないだろうけどさ。
こーさ、そういう話じゃないんだよ。
だってさ、つまんねぇじゃんよ。確かにこのまま真っ直ぐ行けば、次長とか局長とかなれるのかもしんないよ?
でも、それってたかだか年収1500とかそういう話だろ。俺は結婚する気もなけりゃ家も欲しくない、趣味も無い、友人もいない。年収1000万と1500万の間にどーいう違いがあるんだかわかんね。ここまでの人生は頑張ったら頑張った分だけ世界が変わったんだよ、ところが会社で20年頑張った見返りって、それっぽっち?って話なんだよね。そりゃ、カネや地位が全てってわけでもなくさ、ガラでもなく「やりがい」とか「貢献」とか考えたりもするんだけどさ。コッチコチに完成しきった大企業のどこにそんなもんがあるのかさっぱりわかんねぇ。そりゃ、功績ある、とされている人もいるしベタボメされてる人もいるけど。じゃあ、その功績って「家のドアノブをプッシュ式にしました」とか「トイレを全面洋式にしました」レベルにしか見えないんだよね。ええー、東大出たハゲが30年かけてこのザマですか?って思う方が自然じゃないのか。