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2013-04-06

ちょっと聞いてくれ。俺はもう何が何だかからなくなってきたんだ。

でもなんか、こんなことは増田しか言えなさそうなんで、書いてみた。

前提として、俺はもうすぐ40になる地方公務員だ。働き出して20年近くになる。

最初から二つ目職場を、2年で異動になった。

それがケチのつき始めで、いくつもの職場を転々としてきた。

1年しか居着かなかった職場も三つある。

新人の頃、一つ目の職場飲み会二次会で、説教をされた。

曰く、仕事を覚えろ。毎日仕事をもしこれが完成しなければ辞めるつもりでやれとか。

精神論を信用していない俺には、全然響かない言葉ではあった。

そう説教した人間は、毎日サビ残をして、予算書にくびったけで電卓を叩きまくっていた。

何を悩んでいるのかさっぱりわからなかった。いつも顔色が悪かった。胃薬を飲んでいた。

俺は紙で何億もの予算管理するのは、大変で非効率的だと感じていた。

効率化しないのかと聞いたことがある。この場合は、パソコンでも使えと言う意味だが。

誰でもができる方法でないといけないから、変えられないと言う返答だった。

まり、異動して次の人間が来た時に、その人間パソコン使えない人間だったらどうするのかと。

知ったことかと思った。世の中には既にExcelWordAccess存在していたのだ。

仕事を覚える前に、鉛筆の握り方覚えろよと。

百年前の人間が紙と鉛筆仕事していたからって、今の俺らも紙と鉛筆しか使えないなんてことはないだろうに。

結局、仕事のものが忙しいので、仕事の遣り方を見直す時間がないのだと考えるしかなかった。

とは言え、組織の硬直性と言うものに直面した俺は、それを学習し、今後は何も言わないことにした。

言うだけ無駄だ。言えば言った人間阿呆扱いされるんだ。やってられるか。

正直に言うと、俺はその仕事を俺がするんでなくてよかったと思った。やっていたら発狂するかもとも。

俺の仕事は、遅かった。そりゃ、紙を使っていたからだ。

台帳を開いて、対象者を選び出し、書き写してリスト化し、全員に葉書を送る。無論、全て手書きだ。

ゲロ吐きそうだった。

既にコンピュータで処理している部署もあったが、俺の部署は場末だったので、そんな予算はつかなかった。

調べる限り、昭和47年あたりからずっと同じ遣り方をやっていたようだ。

何のためのこだわりなのか、全くわからなかった。これで一体誰が得するんだ?

本来奉仕する対象である自治体住民にとって、それは何か意味を持つのか?

俺自身も、台帳をAccessに入れようとした。

ただ、当時の俺はやはり未熟で業務知識も充分ではなく、

必要な要件を十分に洗い出せず、テーブル構造デザインの時点で何度も手戻りしたりして、うまく行かなかったのだ。

こういうのは今だから表現できることだが、当時はどうして失敗したのかもうまく言えなかった。

その挫折もまた、上司たちにとってはサボりに見えたようだ。上司たちはデータベースと言う言葉を知らなかった。

そんな状況だったので、飲み会で俺は散々に哀れまれた。怒られたのではない。哀れまれたのだ。

そいつはお説教と言う形で俺を指導しようとした。ついでに愚痴も盛大に吐いた。

「お前さあ、縁故で入ったとか、そういうことない?」

彼の名誉のために言うと、侮蔑的なニュアンスはなかった。

彼は本気で俺のことが心配だったようだ。情には厚かったのだ。徹底的にスタンスは違って、多分今でも相容れないだろうが。

当時、俺の一族に公務員はいた。確かにいた。だが、その影響力をどうやって調べればいいのかは、未だにわからない。

縁故採用、突き詰めれば汚職であり腐敗なのだが、「あんたは汚職したのか?」と聞いてはいと答える奴はいない。

仕事、うまくできてないだろ?」

是。それでもやっている。

「そうじゃなくて、言われた通りにまずはやれよ、何も考えず」

考えないと動けない。考えて、何をやると決めて、だから動ける。考えるなとは、動くなと同じことだ。

「……いや、指示通りに動けば」

そうやってきた。あんたも見てきた通りに。

「そうじゃなくて」

埒があかない。仕事ができてないと評価するならそれでもいい。なら、仕事の遣り方を示すべきだ。今すぐ。

「だから

仕事の遣り方を教えてください。

「だから

仕事の遣り方を教えてください。

「だから

仕事の遣り方を教えてください。

しばらく黙った後、彼はこう言った。

「……お前は正しいよ」

からなんだ、と俺は思った。俺が知りたいのは仕事の遣り方であって、俺の評価ではない。

評価は既に聞いた。同じことを何度も繰り返しても意味がないではないか

結局、俺を仕事ができていないと評する割に、その基準が本人の中でも明確ではないのだ。

俺は彼を憎悪したと思う。どんだけ衷心から出た言葉行為であろうとも、ただの老害の繰り言だ。そんなものを大人しく聞かされる身にもなってみろ。

その後も彼は何度か同じセリフを繰り返したが、俺は彼を無視した。

結局、仕事の遣り方は自分体感するしかないのだ。試行錯誤して、実践の中でつかみとっていくしかない。

やっていく内に、いつかは開眼すると信じるしかない。つまり、今までと同じだ。

二つ目職場を異動になった時は、俺だけが動いて他の人間は全く動かなかった。

この時、俺は上から無能だと思われていることを感じ取った。

期待されてない。そうか。なら好きにやるか。そう思った。異動自体はありがたかった。

頑張らなかった。最低限のことをやった。

仕事効率化はした。自分の手の届く範囲で。それを周囲に提供したりはしなかった。求められなかったから。

言えばそれだけ煙たがられる。言わない方がマシだ。

人事からは何も聞かれなかった。上司からも何も聞かれなかった。異動し続けて今日にいたった。

四月の異動。俺は動いた。新しい職場での飲み会に参加した。

職場次長から言われた。

「お前、すぐに異動するってことは、どういう評価を受けているかわかってるよな」

「わかってます。低いんでしょ」

「本来、新人が来るポストにお前が来た。お前の仕事は減らしてある。つまり、周囲に負担がかかっていると言うことだ。お前に大事仕事は任せられん。だが、与えられた仕事はきっちりこなせ。その上で他人の仕事を奪っていけ」

40近い男が、ここまで言われたよ。これまでの20年は、全くの無駄だったってことだ。40のルーキー。すごいね

「お前、惰性でここまできたんじゃないのか。仕事をする意味はわかってるのか」

自治体住民のためでしょう」

「それがわかってるならなんで」

自分のやってることが本当に自治体住民のためになっているのか、そういう実感を得たことは一度もないですよ。それぞれの職場理屈はわかりますけどね」

「……」

「何をやったらそういう実感が得られるのか、俺には判らないです」

俺は散々におかしいとかずれてるとか言われた。だからなんなんだ。判らないものは判らないのだ。20年近く試してみたその結果だ。

そしてずれてるからなんなんだ。お前もやはり、評価するだけでこうすればいいとか言えない老害なのか。

肚が決まった。今度はうるさくしてやる。他人の仕事に首をツッコミ続けてやる。来年の異動の理由は「うるさいから」で決まりだ。覚悟しろよ糞野郎ども。

2013-03-22

アナトリー・ルイバコフ 「アルバート街の子供たち」 登場人物

サーシャ パンクラート
主人公大学新聞反党活動処分(退学)。
ソフィア アレクサンドロヴナ
サーシャの母、離婚
パーヴェル ニコラエヴィッチ
サーシャの父、離婚
マルク アレクサンドロヴィッチ リャザーノフ
サーシャの叔父さん、母の弟、35歳、工業部門指導者、15大会中央委員候補、オルジョニキッゼの部下。
カーチャ
サーシャの恋人(当初)。
ルーシ
カーチャの友人。離婚歴。子あり。
ワシーリー ペトローヴィッチ
ルーシャの男。
ユーリー シャローク
サーシャの同級生、レーナと恋仲、同じアパート、仕立屋(今は縫製工場)の息子、法学部卒、検察庁就職、OGPU勤務。
ヴラジミール シャローク
ユーリー シャロークの兄、強盗で8年収容所経歴、レストランコック。
ハイル ユーリエヴィチ
サーシャ宅の隣人、独身インテリ書籍と版画を収集
マクシム コスチン
軍学校生、サーシャの同級生、同じアパート
ニーナ イヴァノーヴァ
学校教師、サーシャの同級生、同じアパート
ワーリャ イヴァノーヴァ
ニーナの妹。
レーナ ブジャーギナ
技術図書館翻訳業、ユーリーと恋仲、サーシャの同級生、同じアパート、プジャーギンの娘。
ワディム マラセーヴィチ
美学専攻、医者の息子、サーシャの同級生、同じアパート
ヴィーカ マラセーヴィチ
ワディムの妹、ユーリーシャロークへの内通者、建築家イーゴリ ウラジーミロヴィッチを通じてとある著名建築家と密会。
ゾーヤ
ワーリャの友達設計事務所勤務。
セラフィム
マクシムの軍学校の友人。
ゲーラ トレチヤク
レーナの友達大使娘。
ヴィターリー
ヴィーカの友人、40歳代。
エリク
ヴィターリーの仲間、ヴィーカの友人。スウェーデン人電話会社社長の息子、技師
リョーバ シニャフスキー
ワーリャがメトロポーリで出会った、設計工房製図工。
リーナ
リョーバと一緒にいた製図工、ふとっちょ女の子
イーゴリ ヴラジーミロヴィチ
ワーリャがナショナルホテル出会った、ヴィーカの友人、有名な建築家、35歳ほど、後日彼の設計事務所にワーリャが就職
コースチャ
玉突き師、ワーリャと同棲ソフィア アレクサンドロヴナ宅を間借り)。
イワン グリゴーリエヴィチ ブジャーギン
中央委員、15大会で解任、元大使重工業人民委員代理
アナトリー ショームシキン
オルジェニキッゼ秘書
ロミナッゼ
元中委員、旧反対派、旧コミンテルン指導者左遷されウラルの市・工場党委書記
ベリョージン
OGPU、中央委員、ディヤーコフの上司
ソリツ
中央統制委員会、サーシャらへの処分撤回
ディヤーコフ
審判事、ユーリー シャロークの先輩。
イワン ザポロージェ
レニングラードOGPU次長キーロフ派遣要請したアルフョーロフの代わりにレニングラードに赴任、レニングラードへ連れて行く部下を選定。
フィリップ メドヴェーディ
内務人民委員レニングラード本部長・州党委員
ボローソフ
キーロフの警護隊長
バウリン
大学ビューロー書記
クリヴォルーチコ
学長、旧労働者反対派、大学建設遅れの件で除名、逮捕
ヤンソン
学部長、ラトビア人、クリヴォルーチコ除名時棄権
グリンスカヤ
学長ポーランド社会党左派コミンテルン活動家グリンスキー(ロミナッゼと共謀して新コミンテルン設立したとの疑惑)の妻。
ロズガチョフ
大学院生
アジジャン
社会主義会計学講師
ルーチキン
大学新聞反党活動処分(譴責)。
ローザ ボルジャン
大学新聞反党活動処分(譴責)。
ナージャ ボズドニャコーヴァ
大学新聞反党活動処分(譴責)。
コヴァリョフ
大学新聞反党活動処分(戒告)。
ストルペル
大学を所管する地区委員会第一書記
ザイツェヴァ
大学を所管する地区委員会でのサーシャの事件担当
マーロフ
サーシャが大学入学前に積荷人夫として働いていた機械工場監督。今は工場書記
ボリス サヴェーリエヴィチ ソロヴェイチク
流刑囚仲間、自称党員・元ゴスプラン、ロジコーヴォ在住、逃亡を図る。
イーゴリ ヴラジーミロヴィチ
流刑囚、建築家、白系亡命ロシア人の息子、パリコムモール加盟とのこと。
ヴォロージャ クヴァチャーゼ
流刑囚、グルジア人、美男子トロツキスト
イワーシキン
流刑囚、ミンスク出身初老印刷工。
カルツェフ
流刑囚、モスクワコムモール元専従。
ニル ラヴレンチェヴィチ
郵便屋、コルホーズ員。
マリヤ フョードロウナ
ゴリチャーヴィノ村の流刑囚、旧社会革命党員
アナトーリー ゲオルギエヴィチ
ゴリチャーヴィノ村の流刑囚、旧アナキスト
フリーダ
ゴリチャーヴィノ村の娘さん。
エフロシーニャ アンドリアーノウナ
ゴリチャーヴィノ村の住民、ニルの宿泊先。
ワシーリー
モズゴーヴァ村の最初下宿先の次男。
チモフェイ
モズゴーヴァ村の最初下宿先の長男
アルフョーロフ
内務人民委員部ケジマ地区全権代表キーロフレニングラード派遣要請したがなぜか東シベリア派遣された。
フェージャ
協同組合店舗職員40歳台。
ラリースカ
フェージャの出戻り娘。
ルーシ
フェージャの妹。
ヌウルジーダ ガジーゾウナ
ジーダと呼ばれている、モズゴーヴァ村学校教師タタール人トムスクに5歳の娘あり。
フセーヴォロド セルゲーヴィッチ ジリンスキー
モズゴーヴァ村在住、流刑者、モスクワ出身ベルジャーエフ弟子哲学者、35歳。
イワン パルフョーノヴィッチ
モズゴーヴァ村コルホーズ議長
ハイルハイロヴィチ マスロフ
モズゴーヴァ村在住、流刑者、元将校
オリガ ステパーノヴナ
ハイルハイロヴィチの妻、カりーニンから会いにきた。
ピョートル クジミチ
モズゴーヴァ村在住、流刑者、元商人、ボロネジ州出身
ユーロ
ロジコーヴォから移送された流刑囚。
リディヤ グリゴーリエヴナ ズヴャグーロ
ロジコーヴォから移送された流刑囚、1905年から党員
タラーシク
リディヤの養子、6歳、元富農の子

実名政治指導者は除いている

2012-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20120622203532

中学生だったら義務教育だよね。

まず親に相談したほうがいいんじゃないかな。

そりゃ、おかしいだろうと言うと思うし、増田のことを理解してくれるでしょう。

無理せず、別の部活にしたほうがいいんじゃない

吹奏楽勉強がしたいなら別の方法学校以外の場所)を考えてもいいと思う。

  

まー、でもちょっと思い出すと会社で、とある案件について部長と部次長に連絡しておけばいいだろうと思ったら「チームリーダーにも連絡を入れるべきだ!更に言えば俺(こいつチームリーダーでもなんでもない)にも全ての連絡をよこせ!」とわけわからないことをいう先輩っていたな・・・

マジキチ場合があるよな・・・

2012-05-29

「いそざき陽輔のホームページ」を眺めた

時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。

というツイートで人気の自由民主党憲法改正推進本部事務局次長・起草委員会事務局長いそざきさんのHPを読む

http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/index.htm

http://www17.ocn.ne.jp/~isozaki/myopinion.html

 第4項で、現行憲法では、天皇国事行為には、内閣の「助言と承認」が必要とされていましたが、天皇行為に対して「承認」とはいささか礼を失するものであることから、「進言」という言葉に統一しました。従来の学説でも、「助言と承認」は一体的に行われるものであり、区別されるものではないという説が有力であり、「進言」に一本化したものです。

礼を失するってなんだろう。

実質が「助言と承認であるものを、それを「助言と承認」と呼ぶことは礼を失するが「進言」といえば失しない、ということはあるんだろうか。

実質が「助言と承認である行為をすること自体が礼を失する、という意識と結びついてないだろうか。

 党内議論の中で、「国民の国を守る義務ついて規定すべきではないか。」という意見が、多く出されました。

わーお

 ここで、従来の「公共の福祉」については、全て「公益及び公の秩序」と言い換えることに、平成17年憲法草案ときに整理されています。「公共の福祉」という言葉はやや概念曖昧であり、普通言葉に換えれば「公共の利益」のことであって、一言で言えば「公益」のことです。それに加えて、権利の行使が社会秩序を乱すものであってはならないので、「公の秩序」という文言を添えたものです。「公の秩序」というと、すぐ「反国家的な行動を取り締まる考えか。」と聞かれますが、「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味しています。他人に迷惑を掛けない行為であれば、規制の対象になることはありません。

ここも「助言と承認」と同じことをおもう。

今までと同じもの普通言葉に言いかえるだけだ、みたいな口調だけど、

今までと同じように運用すべきとは思っていないよねあなたたち、って。

 第13条は、従来幸福追求権の規定と言われており、そのことに変更はありませんが、「個人として尊重される」という部分については、個人主義助長してきた嫌いがあるので、今回「人として尊重される」と改めました。従来の「個人として尊重される」がやや意味不明文言であり、「人の人格を尊重する」という意味で「人として尊重される」で十分と考えたところです。

「個人」と「人」ではずいぶん違うと思う。

まり変わらないと考えているのか、違いがあるとした上で「人」とするべきだと考えているのかはっきりしてほしい。

 第59条の法律案の議決及び衆議院の優越においては、最終的に何も変更しませんでしたが、党内議論の中で、第2項に規定する参議院で否決された法律案を衆議院で再議決する場合の要件について、「3分の2以上の賛成から引き下げて、ねじれ現象ができるだけ起きないようにすべきではないか。」という意見がありました。それを「過半数とする。」という意見もありましたが、それでは「参議院存在を否定するものだ。」という意見が大勢でした。中を取って10分の6とする意見もありましたが、法令議決権の規定で10分の6というのも前例がなく、この部分の変更はしないこととしました。

こういう話はおもしろい。

なんで2/3はよくて6/10ダメなんだろう、とか話しながら思うんだろうな。根拠ないもんな。

 第6章 司法

 司法制度については、大きな変更はしていません。第4章国会、第5章内閣と来れば、第6章は「裁判所」となるはずなのですが、どういうわけかこの章だけ「司法」という章立てになっています。このことを直そうとも考えましたが、やめておきました。

なんでだろう。裁判官がおこるのかな。



俺はたぶんサヨク気味なのでいろいろ反発するけど

いそざきさんが頭いいかいかつったらバリバリいいだろうと思った。

立憲主義についてはドンマイな偶然ちゃうのかな。

ただし、事後対応は下手だとおもう。

自分が知らないだけのことを「意味不明の批判」呼ばわりした点について謝らずにごまかそうとしてる。

2012-03-31

病院もクビ

ほんとは、掛け持ちでやってた病院もクビになったのだった。

こっちは、ほんとに頭おかしいんで、まだ闘争中!!

とりあえず。

相手方

財団法人 神戸マリナーズ厚生会 ポートアイランド病院

設備営繕清掃スタッフとして非常勤で着任。

その日の朝、1ヶ月をメドに、アルバイトからパート移行する、という口約束

(むこうがアヤフヤに逃げをうって、結局雇用契約書の交換は不成立。

これは相手方に不利に働くだろう)

3日目、業務終了後、相談室に呼び出され、排除と。

「お前難しい、意味わからん」と。

その場で振込用紙にサインさせられかける。もちろん拒否。

反論しまくると、向こうブレまくる。どうしようもない。

コンプライアンスをどうお考えか?」

まともな答えは何一つ返ってこない。

暴力団詐欺師なのだろうか?

でぶ次長の隣りに座ったOL人形かなんか?

ほんとに救いようがない。

月給10ちょっとですよ。

医師100万らしいっすよ。

こうやって地べたの労働者は握りつぶされかけるのだ。

しかし、そうはならない!

2011-09-24

最強の上司、A部長 前編

最近多くのメールでどういう上司がいたかということをよく聞かれる。思えば変人が多かったな(笑)

一番印象に残っているのは、俺が25歳から30歳の頃のA部長だ。

最近はだいぶ社内の上下関係カジュアルになって来ているが、当時は若手社員部長と気安く話すなんてなかなか許されない雰囲気だった。

レポートや報告を上げるにしても、逆に何か部長から指示が降りてくるにしても、常に自分の直属の主任課長次長、そして部長と言う階層を通じて行われる、明確な序列があった。

しかしA部長は違った。いつも

「おい、タケシ!ちょっと来い」

と言ってオレを部長席に呼び出したり、向こうからオレの席にふらりとやってきたりして、オレをかわいがってくれた。

また若僧のオレにも

「オマエがオレなら、どうする?」

と忌憚ない意見を求めてくれた。

部長は当時、今のオレと同じくらいの歳だったと思うが、体型はスリムで、どんなに暑くてもスーツをきれいに着こなし、精悍な顔つきだった。今で言えば、かなりのイケメンで(当時、まだイケメンなんて言葉はかったが)、社内の女性らの中でも評判だった。

今の時代なら、GQやLEONとかの雑誌に出ていても不思議ではない、チョイ悪なオヤジだった。

すごいのは、このルックス以上にキャラクターが深くて濃いんだ。

哲学文学芸術ワインをこよなく愛し、食事に行けば、シェリーからまり赤ワインをたしなみながら、高級そうな葉巻を片手に、平気な顔をしてサルトル実存主義について語る。

そんな知的好奇心教養にあふれる人だった。

ヨーロッパ的な気品があって、高貴と自由があいまった雰囲気をこよなく愛する人だった。

でもさ、何かと理由をつけてすぐヨーロッパ出張してしまうんだ(俺も同行させられることが多かった)。

そして仕事がひと段落すると

タケシ、先に日本に帰ってろ」

と言って、自分は2週間くらいヨーロッパを周遊するんだから、困ったもんだよ(笑)

もちろん、本人は「視察」だって言い張ってたけどな。

電子メール携帯電話なんてない時代だったから、A部長ヨーロッパ周遊で不在の間、A部長に指示をあおぐのは大変だった。オレら若手は、A部長が泊まりそうなホテルに、片っ端から電話させられたもんだ(笑)

部長の緊急決裁が必要になり、どうしてもつかまらないA部長を探して部署メンバー総出で、居場所を突き止めるべくフランスのToulouse中のホテル電話をしたこともあった(前々からToulouseでフォアグラ白ワインを飲むのがいいと言っていたので)。

しかし、結局、どのホテル電話してもまったく見つからない。本当は権限規定違反なのだが、最後次長が代理決裁して何とかした。

それから数日すると、真っ黒に日焼けしたA部長会社に現れて、「地中海の島で彼女エンジョイしていた」とのことだった。オレたちは日本であわてまくっていたのにさ(笑)。あの時はあきれてものが言えなかったな。

こんなA部長破天荒ぶりを書くと、ただの遊び人趣味人しか見えないかもしれない。

しかし、仕事はすさまじくでき、社内だけでなく取引先や競合企業からも敬意を集めていた。

当時は、朝から晩まで働くようなモーレツ商社マンがもてはやされていた。しかし、ヨーロッパ人を自称するA部長は、そういう連中を「バリュレスな社蓄」と呼び軽蔑していた。

若手社員残業していると、

「今すぐ資料をしまえ」

と言って、ことあるごとにオレら若手を食事に誘い出した(その後、会社に帰って仕事しなきゃいけないから、ますますモーレツ社員をやらざるを得ないんだけどさ・・・)。

食事の席では、普通なら社内政治や昔の武勇伝を聞かせる上司が多い中、A部長の口から会社仕事の話しが出ることはなかった。

文学論、芸術論、音楽論、人生観までをゆっくりと語ってくれた。ウィスキーの飲み方、酒の種類、ワインテロワールホステスへの接し方、葉巻の吸い方など今の遊びの基礎はすべてA部長に教わった(笑)

九州田舎からニセ慶應ボーイになってバブル期調子に乗りまくっていたオレは、「こんな洗練された人がいるのか」と憧れだったものだよ。

おっと、A部長仕事ぶりを書くつもりが、ついつい遊び話になってしまった。

だが、この記事を書いていたら、オレもBourgogneワインを飲みたくなって来た(笑)

部長仕事人としての顔は次回に譲ろう。

続く

http://ameblo.jp/shousha/entry-10969332499.html

2011-03-07

おお、叩かれてる叩かれてる。

http://anond.hatelabo.jp/20110307012310

を書いて一夜明けて、まぁ結構早めに帰って来れたハッピークソ喰らえ、という気分なので色々反論っつーかウンコ投げつけてやろう。

http://d.hatena.ne.jp/sadakiyo/20110307

まずこれ。えーと、さ。食いっぱぐれない、なんてのは当たり前なんだよね。

何やったって食える。そんなことは当たり前。そんなの誰だって出来る。しかし、食って寝れる生活に幸福を感じられたのは貧乏のズンドコだった学生時代までで、もうムリ。貧しい生活、というのは人の性根をグネグネに捻じ曲げるし、人格矮小にするし、チンコの勃ちも悪くする。しかし、それはそれとして、もう一回あのドブ底のような風呂なし四畳半に戻るくらいなら俺は死ぬ。学生時代四畳半はまだ良かった。大学に入る資金を貯めてた頃のあの時期は、もう二度と戻りたくない。つーか、俺は誰かを見下してないと死ぬ病気に罹ってんだよ。自分より上の人間が一人でも存在するのが気にいらねーんだよ。

金が無い、保証人もいない、学もない。それはクビがないのと一緒で、誰にも人間いして貰えない。誰一人、俺を真っ当な人間としてみてくれない。あれは心底クソみたいな日々だ。だから俺は底辺が大嫌いだ。あのドブ底でなんかヌルヌル生きている高卒って生き物は余すところなくゴミだ。つーわけで、あんたはそこでそのまま死んでろ。あんたの生活は俺から見ると死んでる。終わってる。

http://d.hatena.ne.jp/sadadad54/20110227/1298757508

んでこれ。「遊ぶ」かぁ。そういや、俺遊んだことねーなぁ、サモしい人生送ってんなぁ、と色々思ったんだけども。酒も飲まないし煙草も吸わないし車も持ってないしなぁ。

考えてみりゃ、俺の人生で一番面白かったことは上昇そのもので、人間以下のゴミからここまで来る過程は遊びだったなー、とか思う。足りない要素を組み合わせて勉強して、カネをひり出して、金持ちを妬んで嫉んで憧れてってのが実は楽しかったんだなー、と。いやまぁ、文句つけようがなく楽しかったな。要するに、人生を上昇ゲームの形で構築してしまたから、停滞期に入って面白くねーんだ。18才からの8年ノンストップだったもんなぁ。一年、ドカタやって配管工やってキャバクラのボーイやって風俗店の店員やって、それから東京出て学生になって就職して、平行して働いて勉強して資格取って。

しっかしさぁ、「遊ぶ」って観念に対して思うんだけどもさ。何かに対して目的論的に取り組むとしたら、「遊び」なんて観念出て来ないと思うんだよね。仕事に対置される「遊ぶ」なんて観念が出てくるのは、結局のところ食うに困ってない、ってだけの話なんじゃないのかね。もし、何某かの目的に向かって進んでるとしたら、それは遊びなんて風に表現されないし、仮に表現されたとしても「仕事」とは全く関係のない話なんじゃねーのかね。仕事の話で「遊び」が出てくるとしたら、そんなのただの逃避なんじゃないの。逃げんのが悪いわけじゃないだろうけどさ。

こーさ、そういう話じゃないんだよ。

だってさ、つまんねぇじゃんよ。確かにこのまま真っ直ぐ行けば、次長とか局長とかなれるのかもしんないよ?

でも、それってたかだか年収1500とかそういう話だろ。俺は結婚する気もなけりゃ家も欲しくない、趣味も無い、友人もいない。年収1000万と1500万の間にどーいう違いがあるんだかわかんね。ここまでの人生は頑張ったら頑張った分だけ世界が変わったんだよ、ところが会社20年頑張った見返りって、それっぽっち?って話なんだよね。そりゃ、カネや地位が全てってわけでもなくさ、ガラでもなく「やりがい」とか「貢献」とか考えたりもするんだけどさ。コッチコチに完成しきった大企業のどこにそんなもんがあるのかさっぱりわかんねぇ。そりゃ、功績ある、とされている人もいるしベタボメされてる人もいるけど。じゃあ、その功績って「家のドアノブをプッシュ式にしました」とか「トイレを全面洋式にしましたレベルしか見えないんだよね。ええー、東大出たハゲが30年かけてこのザマですか?って思う方が自然じゃないのか。

つまんねぇ。しかし、一旦得たものを手放すのは死んでもイヤだ。一段でも落下したくない。マジ怖い。

もー世の中どっかおかしいんじゃないのか。妙にダルいのに果てしなく退屈だ。つまらねぇ。

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