はてなキーワード: アジテーションとは
昨日の選挙を経て、自民党の第100代総裁に岸田が選ばれたのだが、自民党員でもない多くの方は彼が何を語って来たか?はご存じないでしょう。
そこで自民党の政策討論会や岸田のライブ配信などをほぼ全て見て、誰が総裁に相応しいかを決めた自分の印象を語ってみたいと思います。
1自民党支持者の個人的な見解ですので、悪しからずご了承ください。
岸田の言葉を聞いていると、頻繁に幾つかのキーワードが出てくる事に気づきます。
これら三つの言葉、政治に馴染みのある方であれば、すぐに気づくのだろうと思いますが、それぞれが自民党を代表する功績をあげた首相の基本戦略でした。
所得倍増計画は池田勇人の代名詞であり、田園都市計画は大平正芳の代名詞であり、そして自由で開かれたインド太平洋は安倍晋三の代名詞でした。
これら全てが新たに岸田によって考えられたものではなく、誰かの構想を引き継ぎ、長く自民党内で議論され提案され、実施されてきたものという事が分かります。
デジタル田園都市構想は昨年あたりから紙面で再三目にする言葉でした。このことから独創によらず、党内で議論され、実施されてきた政策を、改めて表に出して推進するという姿勢を持っている人であることが分かります。
この言葉からは岸田が持つ成長と国家運営の方針が見えてきます。
経済政策としては、国民の所得の倍増、GDPの成長を目指す令和版所得倍増計画を方針とし
国土強靭化計画としては、コロナ禍の働き方の改革によって東京から地方に人を移動させる事で地方活性化を狙うデジタル田園都市構想を方針とし
外交安保としては、自由で開かれたインド太平洋戦略に基づいてTPP、QUADに主眼を置き日米同盟を軸として展開していく事を方針とする。
といった、方向性があるという事になるでしょう。
例えば給付金の支給を含めた分配についても、成長無くして分配無く分配無くして成長もない、と岸田は語っています。
所得倍増計画の実現の為に国民の購買力を増強する事が必要であり、コロナ禍において極端に弱くなっている国民の購買力を刺激しなければ再成長も出来ない
と言ったことを言っていますから、基本方針に沿った判断であるという事も分かるのです。
振り返ってみると安倍晋三と菅義偉との最大の差は、「アベノミクス」「インド太平洋戦略」と言った何をもって国家運営の方針と為すか?という言葉が国民にも知られていたかどうかでしょう。
菅も、カーボンニュートラル、ワクチン推進、オリンピック、携帯電話料金の引き下げ、医療費2割負担と、1年でこれだけのことをやった、という位には仕事をした内閣だったと思います。
しかしながら国民に対して、それを上手くアピールできない事と野党&マスコミの執拗な攻撃によってイメージが下げられた事がダメージとなり、最後は支持を失うに至ってしまいました。
岸田が、何を目指すのか?というお題目を明確にしておくことは、ネガティブキャンペーンに対して、基本方針に対する成果への評価という防御力を持つという一点においても大事です。
守りの首相になるのだろうと思います。政策的には中道左派的な政権にはなるでしょう。
岸田自身が「人の話を聞く、国民と対話をする」ということを自身の特徴として挙げている様に党内の議論や主要な考え方は取り込める者は取り込むということなのでしょう。
それが、令和版所得倍増計画、デジタル田園都市構想、自由で開かれたインド太平洋という方針の表明になっています。
多くの人の意見を聞き、納得を得て物事を進めるということは、急進的かつ独創的な改革は行わないということでもあるでしょう。例えば、議員にとっては望ましくない議員定数削減も反対が多ければ後に回すのではないかと思います。
コロナ禍という危機において尖った事をせず党内のコンセンサスと、岸田自身の弱点と言われた発信力の克服を大事にする姿勢をとる限りにおいては、守りの時期の首相と言える人になるでしょう。
酷い言葉で言えば安牌といったところですが、河野程攻撃に対する応戦能力が高くなさそうなあたりがネックとなって、短命に終わらない事を願うばかりです。
早速モリカケ問題について質問を利用してアジテーションしてるような一部の攻撃的なメディアや野党支持者の望むことをやっても日本にとっては何もいい事ないですから、そこで折れたら良い政治は出来ない。
だが国益を見て良い政治(甘くない判断)をすれば攻撃を受ける、それをどこまでいなせるか?が問われます。
(例えば、経済活動重視して緊急事態宣言を解除してGOTOを行えば、感染拡大すると叩かれますが、その時にコロナと付き合うとはどういうことかを伝えて理解を得られるのか?が大事です。)
周囲を支える人材が大事になりそうです。さしあたり矢面に立てそうな河野の様な押しの強い議員を、どう起用するかですね。
中道左派的な政策の政権で立憲民主党が同意できる政策も多々あるはずですが、反対パフォーマンスができる法案が減れば減るほど、目立つために引き続きモリカケで攻撃し新たな問題を探すだけで関係ないのかもしれないし、だとすれば残念なことです。
コロナとの戦いが非常時つまり戦争であると言われて久しい。戦時中も日本人の大半の日常生活はこんな感じで正常バイアスから逃れられない憂鬱で平坦な日々だったのかなーと考える
一部の人にしか緊張感はなく、戦いの現場はテレビ越しに映るけれども放送倫理規定に抵触することなくモザイクを掛けて届けられる。意識の高い人達は戦意高揚のアジテーションをSNSとう媒体で行い反対派を論破していく。一見そちらが主流に見えるけれども職場の隣の席や商店街の店員・客など日常的に出会う人々の戦意はそれほど高くない。
年齢層の違う人達が次々と戦場に送り込まれ死亡するが家族に該当者はいない。ごく身近な戦場に送り込まれた負傷者たちも後遺症なく帰ってきて、戦場を喜々として語る。隣の隣の隣の部署で大事が起こったという噂も聞くがテレビの有名人の死亡よりも興味は薄い。
一部の施設は封鎖されるが、職が違う人達にとっては日常生活に困るほどではなくいくつかの娯楽が失われた程度。国を上げてサーカスが開催され我が国が優秀であることが証明されて気分が紛れる。株価は上がり続け景気は回復していると報道される。
マスクやワクチンなどの品不足に一喜一憂し行列ができるがすぐに供給が安定し安堵して忘れる。危機のニュースと行列によるストレス、そこからの解放はクリア可能なゲームイベントのようにワクワクさせる。
リモートワークなどこれまでなかった未来的な手段が入り込み嬉々として飛びつくも、思ったほど新しい生活様式で効果を挙げられず企業は社員の出社を促し、我々はいつ罹患するともわからない満員電車で「命の危険を冒して(笑)」で憂鬱に通勤する。
この問題に関しては中国の学会の今後の動向がとても注目されるのではないでしょうか。
私は、7年ほど前、中国で開催された経営学関係の国際学会に出席しました。
開会の冒頭に開催校の副学長がスピーチをしたのですが、彼は絶対に中国語しか話しませんでした。
その横には中国語を英語に翻訳する通訳の学生がついていました。
この副学長のスピーチは「中国は、西洋近代由来の経営学を超克すべきときに至った。西洋をはるかに凌駕した中国独自の経営学を今や確立するときである!」という傲慢とも言える、激しい内容で、ほとんどアジ演説でした。
彼の演説・アジテーションを聞いたとき、私は日本で戦時中(1942年)に開催された13名の評論家によるシンポジウム「近代の超克」のことを思い出していました。
何か戦前・戦中の日本と雰囲気が似ているような気がしたのです。
「もし、中国が敗戦前の日本と同じような方向に行くとすれば、今後、この国は敵国言語である英語起源の言葉を禁止するようになるのだろうか?」といった思いが去来しました。
日本の場合、それは「ボール」とか「ピッチャー」というカタカナ言葉であったわけです。
また、この人物の主張に対し、香港出身のイギリスの大学教授が激しく対立していたのが印象的でした。
結論としては、世界のパワーバランスが論文や学会で使用される言語にまである程度影響を与えることは否定できないように思います。
今回の内容は、一言で表現するならば「論語読みの論語知らず」です。
『映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品を積極的に日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事をきっかけに、マイケル・ムーアの作品と活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。
しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝』自身の振る舞いは、ムーアの姿勢や思想からは懸け離れたものでした。
既に述べましたが、現在のサイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッター系ホラー映画、切り株映画を礼賛して「切り株映画は世界の真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に『映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩や高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。
都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれた境遇で育った、謂わば「上級国民」である町山智浩や高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩や高橋ヨシキらの主張でした。
一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画系出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民は野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的に朝鮮人差別や部落差別と異ならないと私個人は思います。
さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会、ブッシュ政権・米国共和党、ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。
それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩や高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品も所詮は切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑の対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。
また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタ・ラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。
それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上に通報しよう!」と、他人をスケープゴートにしたのでした。
マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見や思想が異なろうとも、作品の取材対象である人々は「明日のアメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩や高橋ヨシキにとって意見や思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。
でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります。
ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩はマイケル・ムーアに次のように質問しました。
「ブッシュJr.を政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩ら外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」
マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩や高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカの問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。
恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』編集者が発した「自分たちは映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。
こういう理不尽な被害の存在を社会にうったえかけたり、不可抗力に巻き込まれた後にどう生きるべきかっていうのは、
わりとフィクションの力が大きかったと思うんだけど、今回の新型コロナのような被害はこれまであまりパニック映画やディザスターSFで描かれてこなかった。
過去のそういったフィクションでは比較的短期間で平穏が戻ったりとか、悲劇を描くにしても大切な人を亡くし残された人の心情を描くのが定番だった。
現実はぬるま湯のような災害が1年以上も続き、身近な人を失った悲しみも多いものの、
それよりも自分の人生の大切な時間が何もしないままジリジリと削られていっていつ終わるかも見えないという恐怖が大きい。
若いときの重要な時間を奪われて人生が狂ってしまう悲劇は、ベトナム戦争の兵役をテーマにしていろいろと作品がつくられたが、
災害によって人生のイベントが起きるはずだった時間を奪われるという描き方は見たことがないように思う。
ここまで元の増田に関係ない話ばかりで申し訳ない。過去にあまり想定されていないタイプの悲劇ということを言いたかった。
特に人生の方向性を決めるくらいの若い世代にとって尋常じゃないほど理不尽で不公平な事態なのは間違いなくて、
災害をなかったことにする力は誰にもないけれど、増田のように当事者が声を上げることで共感は集まるし、
そりゃ学者は必要であれば政権に耳の痛いことを言うもの。無論その耳の痛いことが誤りであることもあり、その場合は政権は「いや、正しいんだ」と突き進むことも必要だからな。
結果的に政権運営が失敗であれば、知識人は批判してくる。知識人の批判が気に食わないと政権は虐殺に走る。
更に「あいつらが敵であり、アイツラを潰せば幸せになる!」というアジテーションが国民の目くらましに有効だから。
ナチスドイツといい、文化大革命といい、クメール・ルージュといい。
もともと小泉からの「あいつらが敵であり、あいつら(中国韓国北朝鮮)を潰せば幸せになる」という流れに加えて、新自由主義改革が本格的に何も生み出さないどころか長期不景気と産業低迷で失敗に終わりつつある末期だからな。
で、その「コイツラを潰したら幸せになる」という敵に学術界が認定されつつあるんだろう。
また新自由主義は売上がすぐに見えない金を出すのを非常に嫌う。だがそれはすぐに産業化が見えない多くの学術そのものが「すぐに売上が見えない金」だからという面もある。
日本人は議論が苦手だ、とは長年言われてきた。実際どうだかは知らない。比べるほど世界を知らないからである。日本では西欧に比べて議論が好まれない、と主張する文化論がある。これは実体験として概ね正しいと思える。実際にそうかはわからないが。
ともかく日本人は議論もしないし苦手と言われているにも関わらず、ネット上では議論が盛んだ。ネット上で議論するようなレスバオタク野郎にはリアルの居場所がないからかもしれない、が、ともかく日本人もネットでは活発に議論している様が観察できるのである。
しかし、ここで憂慮すべき事態は、ネット上の議論はほとんど噛み合わないということである。例えばTwitter、例えば増田、5ちゃんでもYouTubeのコメント欄でもいい、少しページをめくれば簡単に議論のダイアログは見つかるが、見つかるものはどれも頭が痛くなるような破綻した議論である。このような破綻した議論の多くが
・論点がはっきりしない、ずれている
・主張の根拠が示されていない
というものではないかと思う。その欲求に従って議論すると上記のような実のない議論になりやすいのだろう。また、テキストによる議論では相手の反応が窺えないためすれ違いが生じやすいと言うのも理由の一つだろう。更に、インターネットには知識の量・方向性が異なる様々なか人間がおり、背景知識の共有がなされていないというのも大きな問題の一つである。
実りある議論を行うにあたって重要なことの一つが議論の場を作ることだ。議論の目的を設定し、事前配布資料を用意し、進行をおき、書記をおき、発表者をおき、聴衆をおく。各々の役割分担をはっきりさせ、進行役に従って議論を続けることが望ましいだろう。
インターネット上で果てしない議論を生んだ案件の一つに石川優実氏発端のkutooがある。
と、レスバトルを発展させやすい格好の材料だったと認識している。この案件の特徴的な点は「進行役を設定してルールを決めて討論会」を開いた点である。発達バズりアカウント借金玉氏主導で、彼の友人でありネット論客を自称するアカウントせいしきあろん氏(変換がめんどくさい)と石川氏がプレゼンテーターとして聴衆を招いての討論会を行った。これは今までのネットの議論ではなかった画期的な試みである。自分はこれに大変期待した。現地には赴かなかったものの、有志のメモやツイート殆どに目を通した。
特に最終的にアジテーションに終わったと言う点から(また他の様々な理由で)この討論会には失望しかなかったが、それはともかくとして、あの討論を開こうとしたこと自体は素晴らしい行為だったと思う。最近では、ネットでレスバトルをしていたもの同士がツイキャスで公開討論を行うこともあり、レスバトルに時代の風を感じる今日この頃である。
ネット上の議論のホットスポットといえばTwitterだろう。Twitterは議論の場としては最悪である。
話者にとって
・140字という制限
・横やりが入りやすい
聴衆にとって
・発言を追いにくい
・後から見返すことが難しい
という絶大なデメリットを抱えている。また、基本的に議論は2者の間でしか行えない。グループで議論すること(討論)は出来ないのである。これは大きな制約である。
インターネットで質の高いレスバトルを繰り広げるための案を考えてみた。
①進行役を設定すること
②議題を絞ること
④議事録をつけること
⑤外部ツールを用いること
である。無論こんなに意識の高い議論などなかなか成立させられるものではないだろう。だが、少しずつなら可能だろう。クソリプがついたらすかさず「②〇〇についてわたしはこう、あなたはそう思うんですね。③あなたの意見を理解したいのでもう少し話してもらえませんか?××についてはどうお考えでしょうか?」と畳み掛け、議論の場に引き摺り出すのである。④はTogetterなどによって実現可能だ。①については難しいが、ツイキャス討論会を開くのと同じ程度の労力だろう。
先ほどからリプが続いておりますがこのままでは水掛け論です。進行役に@unchiburivurigogogoさんを招いて議論しましょう
とかなんとか書けば済む話である。
⑤は、Twitterよりも議論に向いたSNSでレスバすることだが彼に関しては適切なものを見つけられていない。Wikipediaの議論のページのようにテキストでの議論のために設計されたものが必要だ。さらに、匿名でアカウント開設が簡単でスマホで見やすいことが最低条件だろう。さらにそこに、議長AIなどがいれば完璧である。例えるなら白熱教室のマイケル・サンディルのように(例えが適切か自信がないが)、話者の発言の趣旨を汲み出しながら議論を進めるAIがそのうちきっといつか開発される筈だ。
ここまで書いていて思ったが、wikiの討論ページならオープンソースで誰でも開設できるじゃないか。少子化、働き方、移民、表現の自由、とか、その辺のセンセーショナルな話題で掲示板感覚にひとつ開いてみれば良いのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20200921165747
しかしこの指摘はやっても無駄です。指摘されてる内容は全部低偏差値のフェミニストたちによるものです。
低偏差値層のフェミニストは、人の批判を受ける知能を持っていません。会話が通じる人間だと思っても意味がないのです。
フェミニズムは「バッドフェミニスト=教養や最低限の勉強すらしていない、ただフェミニズムにきょうみがあるだけの人であってもフェミニストを名乗ってよいのだ、むしろそういう人たちこそがフェミニストを支えるのだ」というスローガンで低偏差値の思考能力カスな女性をどんどんフェミニズムに勧誘し続けたという過去の経緯を持っています。
また「レイシストでないならフェミニストである。フェミニストでないならレイシストである」というような韓国や一部欧米セレブで流行ったむちゃくちゃな理論を用いて、フェミニストであることの敷居を徹底的に下げようとしたこともあります。togetterでなんどかそういうものを見かけた人もいるでしょう。いうなれば、大学全入時代ならぬフェミニスト全入時代というのがここ十年以上続いていたのです。そして、それは一定時期はフェミニズムの勢力を拡大させるのにとても役に立ちました。
しかし、その結果何が起きたかというと、フェミニズムの平均が偏差値Fランのアジテーションだけがうまい人たちに移行し今まで主流だった人は影響力をもつことができなくなり、何も思考しない、他人を殴れればなんでもよいという暴力主義者たち主導権を奪われ、集団としては制御不能な暴徒化したのです。
これはBLMについても同じ現象がおきています。キリスト教が殺戮者の歴史であるように、本来のあり方が崇高であってもその教義のもとに集う人たちが優れた人間ではないというのは我々は歴史から学んでいるはずです。フェミニズムもBLMも、総体として素晴らしかったとしても構成員がだめならその活動は腐るのです。BLMは目に見える形で暴徒化した制御不能な集団が一般市民を襲う事例まで発生したのにそういった暴徒による暴力すら批判することができないというおかしな状況になっています。
受け入れ口を広く持つことは別に悪いことではありません。ただ、そういう取り組みをしていいのは、受け入れた後はきちんと統率したり教育したりができなければいけないでしょう。
それができなかったありとあらゆる歴史的反乱は、一時的な勝利を収めても崩壊していったのです。
今日本で暴れているフェミニズトたちの群れは、秦帝国に反逆した農民反乱のような無秩序な集団となっており、時々勢いよく吹き上がりこそすれどこちらもあまりガラのよろしくないアンチフェミ集団によって各個撃破されるくらいに弱体化しています。 その結果反撃してこない企業への攻撃などにシフトしているのですが、これもいまいち勢いがなくなっています。 最近はTERF問題をめぐって内ゲバも発生しており、放っておいても内部崩壊しそうな勢いです。元々フェミニズムは当初から内部での対立が激しいんですけどね。一人一派とか言ってるのはフェミニズムの勉強したことない人たちだけでしょう。
今の日本においてフェミニストのブランド価値は底まで堕ちきっています。
考えてみてほしいのですがたとえばFラン大卒のニート男性が社会問題について偉そうに語っていたり、会社経営について上から目線でコメントしていたら誰一人共感などしてもらえないしバカにされて終わるだけでしょう? ところがフェミニズムの世界ではまさにこういう無学で浅慮な人たちのお気持ち表明が、お気持ちであるゆえに支持され拡散され、まるでこれがフェミニストたちの総意であるかのように影響力を持ってしまうわけです。こんな情けない話がありますか?私からしたらあれらの活動は「全然わからない。私たちはFラン大ニートのお気持ちに従って雰囲気で組織を運営している」ってプラカードを背負いながら街中を歩いているようなものです。そんなのはただの羞恥プレイじゃないでしょうか。
私は大学でフェミニズムを勉強しましたが、フェミニストを名乗ることに抵抗を感じずにはおれません。フェミニズムを名乗るのであればなおさら質の悪いフェミニストたちを批判すべきなのにそれも許されないような空気でフェミニストを名乗ってもフェミニストであることに誇りを持てません。 スラムダンクで「お前と一緒にバスケやるの息苦しいよ」という言葉がありましたがまさにそのような心境です。
こういう状況は終わりにしたいです。
全員がそうすべきだとは思いませんが、Twiterで5000以上のいいねを得ているようなフェミニストたちの発言については、それぞれのフェミニストさんたちに偏差値の概念を求めたいです。それがどの程度フェミニズムの文脈において妥当性を持っているのかをきちんと判定してほしいです。もうそのくらいしないと、日本のフェミニズムはFランの下から目線によるひがみだとか、もっとひどいものになると鎮圧すべき暴徒程度にしか認識されないでしょう。
現政権については褒められたところがないのは事実であるが、それと同じくらい左派に幻滅している
語弊はあるが普通に民意を捉えていれば加点しかされない絶好のタイミングが目の前にあったにも関わらず、支持率を大幅にマイナスどころか一般層と相いれない本性を垣間見せるクソムーブ
批判自体は正しいよ、ただ批判が目的になってることが明確になってしまった
有事に明確なビジョンや戦略すら打ち出せないのでは結局現政権と同じ穴の狢だ
こと新聞社については嬉々としてアジテーションを繰り返して世論を混乱させることに力を注ぎすぎた
個々人に関してはもっとひどく、あそこまでねじ曲がった人が多いとは思わなかった
自分たちの世界しか見えてない、自分たちの水準でしか物事を考えられないことに失望した
端的に言えば彼らが示す意見にはなんというか「幸福」なビジョンがない
現政権や支持者にもそれがあるとは言えないが
何をしても減点でどうすればよくなるかの提示がなされないし、されても大局的な視点がかけたポジショントーク
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 59 | 6706 | 113.7 | 47 |
01 | 62 | 4367 | 70.4 | 26.5 |
02 | 48 | 5077 | 105.8 | 38.5 |
03 | 11 | 1537 | 139.7 | 91 |
04 | 9 | 1081 | 120.1 | 78 |
05 | 14 | 920 | 65.7 | 34.5 |
06 | 24 | 1988 | 82.8 | 48 |
07 | 52 | 3778 | 72.7 | 28.5 |
08 | 104 | 8207 | 78.9 | 30.5 |
09 | 148 | 9810 | 66.3 | 45 |
10 | 136 | 11166 | 82.1 | 39.5 |
11 | 115 | 11810 | 102.7 | 39 |
12 | 175 | 12559 | 71.8 | 35 |
13 | 85 | 8075 | 95.0 | 35 |
14 | 92 | 9181 | 99.8 | 35 |
15 | 127 | 9926 | 78.2 | 33 |
16 | 84 | 6566 | 78.2 | 45 |
17 | 103 | 6727 | 65.3 | 34 |
18 | 154 | 13829 | 89.8 | 38 |
19 | 151 | 16145 | 106.9 | 28 |
20 | 128 | 12949 | 101.2 | 37 |
21 | 100 | 10181 | 101.8 | 39 |
22 | 159 | 23968 | 150.7 | 30 |
23 | 113 | 15855 | 140.3 | 39 |
1日 | 2253 | 212408 | 94.3 | 36 |
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6801882(3759)
議事録と突き合わせると番号が合っておらず混乱するが、以下の②~④が論点①~③に相当するようだ。
②靴と#MeToo、そして#KuTooへ(17:05~17:50)
⑤まとめ(19:20~19:30)
プログラム
① 靴と#MeToo、そして#KuToo へ ~服装とフェミニズムを考える~
② 表現行為とセクシャルハラスメント ~表現、差別、ハラスメント~
③ これからの「フェミニズム」はいかにあるべきか
登壇者
・石川優実(グラビア女優・ライター)
・青識亜論(ネット論客)
・小保内太紀(司会)— 青識亜論(せいしき・あろん) (@dokuninjin_blue) November 5, 2019
これは議事録にある「表現、差別、ハラスメント」「反論:青識」パートの以下の箇所のことのようだ。
→青識さん:正解。落としどころを探すようになるのだと思う。フェミニズムの友達たくさんよんでオタクと議論すればいい。
→石川さん:でも前提を考えてほしい。女性は被害を受けてきたのを知ってて宇崎ちゃんを使うか?わざわざ胸を強調した人を使うか?
これは議事録にない。
青識亜論氏「モノ化の何がいけないのかということで石川氏が来てくれたことは、非常に勇気のある行為だと思うので。ここで拍手を。」
#これフェミ— クソリプおじさん (@romeikenbai) November 16, 2019
上記の実況ツイートとその前後を参考にすると「表現、差別、ハラスメント」「後攻:石川」パートの以下の付近のようだ。
・モノ化とは?
→「お気持ち」と揶揄するのがモノ化、人間なのでお気持ちがあって当たり前なのに
→(宇崎ちゃんのポスターについて)公共の場で広告として扱われることは女性という現状での被差別属性への配慮不足ではないのか?
以下の件、関係者がほとんど明かさないので現状では根拠の怪しい噂レベルになってしまっている。
石川さんが勝部先生とその支持者たちの飲み会に連れていかれて不勉強を死ぬほど怒られた後「討論会は無意味だった」という結論に帰着したという話が流れてきて、非常に乾いた笑いが出た。— 借金玉 (@syakkin_dama) November 17, 2019
本件に関しては、以下の質問ツイートに対して、運営スタッフ託也@映画さんが「②について、どちらかというと怒られていたのは僕です」のように返信していたように記憶している。貴重な証言であったが現在は鍵アカになってしまい自分は確認できない。
①も、①a石川さんと勝部先生とその支持者が飲んだ(支持者やそれ以外の人の人数)
①b石川さんが飲み会を断れないあるいは中途で帰りにくい雰囲気だったかの2つに分けられるとは思います。— オタク始めました。 (@AnWotaku) November 17, 2019
2019年11月16日に開催された「これからのフェミニズムについて考える白熱討論会 石川優実VS青識亜論」(これフェミ)のくすぶりがいまだに落ち着かない。討論内容としては青識亜論の方がしっかりとしていたようだがとにかく無駄に感じ悪いせいもあって、イベント後になって石川優実が謎の被害者ムーブをしている。いまとなってしまえば、青識亜論の煽り、アジテーションさえなければ状況も大分違っていたように思うので大変残念である。
自分はイベントには参加していないただの外野なので、以下のエントリーやいくつかのツイートをもとに、青識亜論はなぜアジってしまったのかを読み解いてみる。(このイベントに参加された方しかわからないこともあるので、間違いがあればご指摘ください)
【議事録+感想】これからのフェミニズムについて考える白熱討論会に行ってきた https://note.mu/haruki839/n/n59830d64491b
青識vs石川イベント 感想殴り書き https://note.mu/noteobonai/n/n87e7c9ac557d
ネット上の意見としては、元来の煽り体質や、マウントをとって討論に勝とうとした、という見方が多い。だが、自分としてはそれだけではないように感じた。勝つためならば最初からやってもおかしくない。
参加していた人は御存知だと思いますが、私は論点③はかなり強めにアジテーションに振りました。論点①②は私も会場を引き付けた自信がありましたが、論点③についてはあまり反応が良くなく、「一方的なアジテーションに乗らない」だけの分別のある参加者が集まった、というのは間違いないでしょう。— 青識亜論(せいしき・あろん) (@dokuninjin_blue) November 18, 2019
ここでの論点①~③は後述「補足1」参照
青識は、普段からツイッターなどで物議をかもす言動をしていていろいろと信頼されていないところがあるが、今回自分が企画したこのイベントについては最初から最後までイベントの成功を目指し、来場者の満足感を第一に考えていたように見える。準備段階では、一方的な吊るし上げショーにならないように細心の注意をしていたようだ。
青識さんからは当初、僕が司会をやって欲しいと依頼されたが、僕は「それだとたぶん、パワーバランスがおかしくなって『いじめ』『リンチ』のようなニュアンスで見られる可能性が強くなるから、他のメンバーは石川さん側の人を立てた方がよいです」と伝えた。— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌗 (@terrakei07) November 17, 2019
以下の討論会後記からもやり込めるのではなく、彼なりに対話を大事にしたかった思いが伝わってくる。ただ想定する対話のスタイルがあまりにも違いすぎたのは不幸だった。
討論会後記:それでもなお、寛容と対話を(青識亜論) https://dokuninjin7.hatenadiary.jp/entry/2019/11/19/201706
「それ、正解」「まずはここに来た石川さんに拍手を」がどういう文脈でどういうニュアンスで発言されたかについては、議事録からは読み取りにくい。(後述「補足2、3」)
とはいえ、これはあまり弁護の余地はなく、普通に煽りというかナチュラルに超絶上から目線がでちゃったのかなとは思う。
登壇中、石川の話を遮って発言したのは、質問の意図が伝わってなかったり、言葉足らずの説明を(その瞬間だけ進行役となって)補うつもりだったのだと思う。しかしそれは討論相手がやるのは逆効果で感じの悪い行為だったようだ。
前述の青識のツイートにあるように、論点③「これからの「フェミニズム」」で強めにアジテーションをしたようだ。議事録の文字で読むと声量や抑揚が伝わらないためそれほどアジっているように見えない。込められた意味をていねいにひもとくと、以下のようなことが言いたかった(言えばよかった)のではないかと思う。
・フェミの人たちだって最初は小さな声だったが、勇気を出して #MeToo で大きな力となった。
・これを見習って我々も立ち上がって行こう
そしてこれが、多くの来場者へ勇気を与える、このイベントからの最大のメッセージとしたかったのではないだろうか。
だが、そうはならなかった。伝え方とその時点までに醸成させた空気で、会場のみんな一丸となって石川を糾弾しよう、フェミに反撃しよう、というアジテーションに見えてしまった。大変残念なことである。