はてなキーワード: 大学全入時代とは
筆者は昨年度まで大学で勤務していたが、任期満了に伴い、誘われて専門学校の教員として今年度勤務している。
法人(運営母体)の考え方にもよるが、少なくともおおよその大学は「大学全入時代」と言われている中でも、民間企業・営利団体のような学生募集活動は行っていない。
しかし、今年度から勤務を始めた専門学校は異なる。毎週開催されるオープンキャンパスのみならず、資料請求者には電話をかけ、チャットツールを用いた営業的な学生募集活動を行っている。
そのおかげもあってか、この学校法人では収入が多く安定した経営を行っている。
一方で、「教育」以上に「学生募集」に力を入れているため、高等教育機関が果たすべき使命をおざなりにしている状況がある。
より一層加熱していく、入学者の奪い合いと学生募集活動は、教育成果の観点から見ると、どのようなバックグラウンドを持つ学生を受け入れることとなり、結果として教育の質を保証することができていない。
学生募集のために力を注ぐことは決して悪いとは言えないが、毎週行われるオープンキャンパスにスタッフとして参加するのは、実に苦である。
辞めたいな。
・世襲制が減った
・子供を産む圧が弱まった
・価値観の変化
フランスでさえ解決できてないので、今後100年,200年でどうにかしなきゃならない
・子供2人以上の労力が大きい
・高学歴化
・結婚する人の減少
・恋愛離れ
・男女の仲が悪い、分断(韓国)
この中で今対策ができてないのは
・高学歴化
って考えるとブルーカラー(中流階級)をどう復活させるか問題な気がするね
実は大学進学率は55%くらいだけど、専門も合わせると70%になるんだよね
東京の一極集中による家賃負担や、通勤時間を減らす政策を地道にやるのが良いんじゃないかな
リモートワークなんで戻っちゃったんだ
https://news.yahoo.co.jp/articles/04749ccc236714ba8d14b9ee6ef5ef32158c6fe2
こういうアホに大学行かせる意味ないから別に必要な人だけが大学に行けばいいのではないか
そもそも日本は大学進学率が高く、海外では多様な働き方があるから専門学校的なところに通う人も多い
とか書こうと思って大学進学率調べて見たら日本は無茶苦茶低くてワロタ
https://www.globalnote.jp/post-1465.html
とはいえ今のFラン大に入ってもゴミのような授業しか受けられないし
旧帝大でも研究ばっかで教育しないパワハラorコミュ障教授とかもゴロゴロいるわけで
河野太郎氏「いかに若い人の妊娠率を下げるか」 日本復帰に関するインタビューで沖縄社会巡り発言 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/753959
普段は河野太郎を持ち上げてる人達までもがこの発言を叩いていてびっくり
私は全く逆の印象なんだけどね?!
河野太郎は嫌いだけど、この件に限ってはまともな発言だとしか思えない。
十代での妊娠出産なんて、表面的には本人の意思に見えたとしたって実際の所騙されてるだけでしょ。
途上国の児童婚と同じじゃん、まともな人権意識があったら否定されるべきものに決まっている。
大学全入時代の現代社会で、十代で子供を産む事が幸福な訳がない。
自分自身もまだ未成年の子供で、最低限の常識を学んでいる最中の人間は本来子育てどころじゃないでしょ。
そりゃあごくごく希に上手くいく人もいるかもしれないけれど、全体の数としては減らすに越した事はないじゃん
この発言を叩いている奴等、十代のシングルマザーでも子供を育てやすく~とか、実際にその立場になった訳でもないのに気軽に言うなよと。
https://anond.hatelabo.jp/20200921165747
しかしこの指摘はやっても無駄です。指摘されてる内容は全部低偏差値のフェミニストたちによるものです。
低偏差値層のフェミニストは、人の批判を受ける知能を持っていません。会話が通じる人間だと思っても意味がないのです。
フェミニズムは「バッドフェミニスト=教養や最低限の勉強すらしていない、ただフェミニズムにきょうみがあるだけの人であってもフェミニストを名乗ってよいのだ、むしろそういう人たちこそがフェミニストを支えるのだ」というスローガンで低偏差値の思考能力カスな女性をどんどんフェミニズムに勧誘し続けたという過去の経緯を持っています。
また「レイシストでないならフェミニストである。フェミニストでないならレイシストである」というような韓国や一部欧米セレブで流行ったむちゃくちゃな理論を用いて、フェミニストであることの敷居を徹底的に下げようとしたこともあります。togetterでなんどかそういうものを見かけた人もいるでしょう。いうなれば、大学全入時代ならぬフェミニスト全入時代というのがここ十年以上続いていたのです。そして、それは一定時期はフェミニズムの勢力を拡大させるのにとても役に立ちました。
しかし、その結果何が起きたかというと、フェミニズムの平均が偏差値Fランのアジテーションだけがうまい人たちに移行し今まで主流だった人は影響力をもつことができなくなり、何も思考しない、他人を殴れればなんでもよいという暴力主義者たち主導権を奪われ、集団としては制御不能な暴徒化したのです。
これはBLMについても同じ現象がおきています。キリスト教が殺戮者の歴史であるように、本来のあり方が崇高であってもその教義のもとに集う人たちが優れた人間ではないというのは我々は歴史から学んでいるはずです。フェミニズムもBLMも、総体として素晴らしかったとしても構成員がだめならその活動は腐るのです。BLMは目に見える形で暴徒化した制御不能な集団が一般市民を襲う事例まで発生したのにそういった暴徒による暴力すら批判することができないというおかしな状況になっています。
受け入れ口を広く持つことは別に悪いことではありません。ただ、そういう取り組みをしていいのは、受け入れた後はきちんと統率したり教育したりができなければいけないでしょう。
それができなかったありとあらゆる歴史的反乱は、一時的な勝利を収めても崩壊していったのです。
今日本で暴れているフェミニズトたちの群れは、秦帝国に反逆した農民反乱のような無秩序な集団となっており、時々勢いよく吹き上がりこそすれどこちらもあまりガラのよろしくないアンチフェミ集団によって各個撃破されるくらいに弱体化しています。 その結果反撃してこない企業への攻撃などにシフトしているのですが、これもいまいち勢いがなくなっています。 最近はTERF問題をめぐって内ゲバも発生しており、放っておいても内部崩壊しそうな勢いです。元々フェミニズムは当初から内部での対立が激しいんですけどね。一人一派とか言ってるのはフェミニズムの勉強したことない人たちだけでしょう。
今の日本においてフェミニストのブランド価値は底まで堕ちきっています。
考えてみてほしいのですがたとえばFラン大卒のニート男性が社会問題について偉そうに語っていたり、会社経営について上から目線でコメントしていたら誰一人共感などしてもらえないしバカにされて終わるだけでしょう? ところがフェミニズムの世界ではまさにこういう無学で浅慮な人たちのお気持ち表明が、お気持ちであるゆえに支持され拡散され、まるでこれがフェミニストたちの総意であるかのように影響力を持ってしまうわけです。こんな情けない話がありますか?私からしたらあれらの活動は「全然わからない。私たちはFラン大ニートのお気持ちに従って雰囲気で組織を運営している」ってプラカードを背負いながら街中を歩いているようなものです。そんなのはただの羞恥プレイじゃないでしょうか。
私は大学でフェミニズムを勉強しましたが、フェミニストを名乗ることに抵抗を感じずにはおれません。フェミニズムを名乗るのであればなおさら質の悪いフェミニストたちを批判すべきなのにそれも許されないような空気でフェミニストを名乗ってもフェミニストであることに誇りを持てません。 スラムダンクで「お前と一緒にバスケやるの息苦しいよ」という言葉がありましたがまさにそのような心境です。
こういう状況は終わりにしたいです。
全員がそうすべきだとは思いませんが、Twiterで5000以上のいいねを得ているようなフェミニストたちの発言については、それぞれのフェミニストさんたちに偏差値の概念を求めたいです。それがどの程度フェミニズムの文脈において妥当性を持っているのかをきちんと判定してほしいです。もうそのくらいしないと、日本のフェミニズムはFランの下から目線によるひがみだとか、もっとひどいものになると鎮圧すべき暴徒程度にしか認識されないでしょう。
ショック以前も景気はゆるやかに落ちていました。何年も百社お祈り時代が続きます。
嵐のニノのドラマ「フリーター家を買う」の原作は2007年に有川浩が書いたものです。
不況は長引きましたが、最近の気候変動を垣間見るに、今すぐにでも災害が起きるでしょう。同じことが予想されます。
すると、進学できなくなります。大学全入時代はそろそろ終わりを告げるでしょう。
必要なのは、覚悟です。大学行かなくてもはっきり言うと生きることはできます。
リストラにあわずぬるっと学生生活を生きていても、親のボーナスは減ります。
備えてください。なにを?と言われれば、勉強です。頭です。
有能な人は奨学金を勝ち取ってください。ただ、卒業後景気回復をしているとは限りません。
奨学金返済難民も出ます。必死で就活しなければなりません。バイトで浪人なんてことにならないように、そこも頭を使ってください。
ゆるゆると、堕落していると、就職口も無くなるし、就職できてもクビです。覚悟してください。
覚悟せず就職したここ数年の世代よりも、きっとあなたたちは強くなります。
生きてください。死ぬ選択肢を排除してください。景気が悪くても、多少貧乏でも、生きることはできます。
そうすればチャンスが生まれる時期がくるはずです。
リーマンショックを受けた世代でも、その後、人手が足りなくなった中小企業でバリバリと働いていたりします。
現実は厳しいです。ここ数年、イージーだっただけで、基本的にそんなに楽な国ではありません。
外国に行ってもこの状況は変わりません。
ここ数年発展していた中国ですが、ここでバブルは崩壊するでしょう。
予測されていたことが起きただけなのでリスクマネジメント出来ているところは良いですが
全世界中国の影響を受けていない場所はありません。世界的に経済が不安定になります。
心身不安定な人が世界に溢れます。銃が無い日本に居たほうが安全でしょう。
こんなことを書いたって若い人には響かないし、若い人はどうでもいい。目先のコロナが怖いと思っているでしょう。
しかしコロナでの死者より、経済的ショックのほうが人が死にます。
どうか、なにがあっても親を優しく包んであげてください。
コロナ対策も金銭的援助も若いあなたには難しいかもしれないけれど、大切な人を守ることはできるのです。
覚悟しといてください。
読んでないだろうけど。
小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大に入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試で偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻とサボりを繰り返して何とか卒業した。
大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大の偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。
中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分は偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外の大学院を修士だけ出て、いま旧帝大の博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章が編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授、医者、弁護士、官僚、大企業役員の子弟で、就職先は公官庁や大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語やフランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語、ラテン語を辞書を使って読める程度だ。
博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳の仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。
大阪の底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。
大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢でしかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。
ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分の想像力の無さを恥ずかしく思った。
親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のときに引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライのメーカーの社長だった。また父親の友人に、趣味のクルーザーで釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかにバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュの真空管アンプが数台あった。祖父が現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。
ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当な大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会が崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。