はてなキーワード: 非行とは
だって中高生でたむろするようなのって、攻撃性めちゃめちゃあるでしょ。小さな子供の騒音とは、質が全く違う。
元増田も「ギャハハ」や「可愛い非行」って書いてるけどさ、俺は「ンダトゴルァ!」ってリアルに聞いたよ。
警察の補導対象になるぐらい危険な(に巻き込まれる)存在で、ただの騒音としてしまえる人間の方が、危機察知センサーぶっ壊れてるんだよ。
で、そんな存在が昼になったからマトモになるわけじゃないんだから、区別の付かない集団全体を警戒しちゃうのは当然。
病気でも何でもない。
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
真面目にそうだぞ
冗談抜きに子どもを産んでは養護施設に入れてまた産んでってやってるヤツとかいる
でも逆にこう言うレベルの親は行政が動いて養護施設に預けることになるので、逆に救いがあるかもって思う
親にまともに愛されずサポートもされず親に負担だけかけられたやつは、
ーーー
追記:
mutinomuti 親にまともに愛されサポートされ負担がなくても犯罪者にもなるし自殺もすることは念頭に入れるべき(´・_・`)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4737537501068751077/comment/mutinomuti
病気(内科的疾患による症状など) と 犯罪巻き込まれを除いて、
自死を選ぶほどに精神を病む人物のご家族は例外なくどうかしているぞ。
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが、日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
弁護士ワイ、開示請求やってペイするかなあと疑問に思う。弁護士は報酬は報酬でいただくとしても、依頼者ペイするかな。
それはともかく、名誉毀損ビジネス(仮称)が違法と言えるかを検討してみる。
まず、依頼者の違法性だが、不安を煽ったりコンプレックスを刺激したりする表現自体は直ちに違法とは言えない。金商法の風説の流布とか、特定個人の哀しき過去を暴露したりとか、医薬品の広告をしたとかなら話は別だが。
名誉毀損ビジネスという目的があったからと言って、適法な表現が違法になるということはあるまい。違法な表現の違法性が阻却される場合はあるけど(刑法230条の2)。
違法ではない表現をした者に対して、侮辱や名誉毀損、脅迫を行った場合は不法行為ということになるだろう。ただ、名誉毀損ビジネス目的がもしも認定されたら、損害額を控えめに算定されることはあるかもしれない。
過失相殺という構成も考えられるが、ネットの名誉毀損はやる方が積極的に関わり合いに行ってるので、過失はちょっとそぐわないと思う。
では弁護士はどうか。名誉毀損ビジネスを受任することが弁護士法56条の品位を失うべき非行に該当すると判断されないとまでは断言はできない。
何でもかんでも開示請求していたら、権利濫用を手助けしてるということになるのでヤバいかも。
しかし、開示請求が通りそうなものだけ選んで大体はちゃんと通っているというのであれば権利濫用とは言えまい。開示されたということは、権利侵害の明白性があるのだから、示談交渉しても悪いとは言えない。
つらつら書いてみたけど、名誉毀損をやる方がリプライ等を送ることで積極的に個別の関わりを持ちに行ってる点で普通の当たり屋とは異なると思われ、わざわざ名誉毀損をした方が悪いと言うしかないかもね。
悪いことしたのか聞いたら、そうじゃなくて親が病気になって「保護のため」入れられたと言っていた
(1) 緊急保護
ア 棄児、迷子、家出した子ども等現に適当な保護者又は宿所がないために緊急にその子どもを保護する必要がある場合
イ 虐待、放任等の理由によりその子どもを家庭から一時引き離す必要がある場合(虐待を受けた子どもについて法第27条第1項第3号の措置(法第28条の規定によるものを除く)が採られた場合において、当該虐待を行った保護者が子どもの引渡し又は子どもとの面会若しくは通信を求め、かつこれを認めた場合には再び虐待が行われ、又は虐待を受けた子どもの保護に支障をきたすと認める場合を含む。)
ウ 子どもの行動が自己又は他人の生命、身体、財産に危害を及ぼし若しくはそのおそれがある場合
(2) 行動観察
適切かつ具体的な援助指針を定めるために、一時保護による十分な行動観察、生活指導等を行う必要がある場合
短期間の心理療法、カウンセリング、生活指導等が有効であると判断される場合であって、地理的に遠隔又は子どもの性格、環境等の条件により、他の方法による援助が困難又は不適当であると判断される場合
なんとなく、不良が行くことになる児相と、虐待などで保護されるケースの児相は別なのかと思っていたが、同じらしい
エグいね
入管もそうだけど、何で日本ってこういう施設は容易に地獄を生み出してしまうんだろう?
通学すら出来ないらしいし、トイレも自由に行けないとか、もちろんスマホは数ヶ月没収
怖いなあ
そんなんじゃたとえ虐待されてても言い出せないじゃん
関連記事
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414b.html
いやいや、現実逃避をしていないでちゃんと現実を見つめていかないと
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
なお、犯罪者にならないサイコパスは成功したサイコパスといい、
言葉に不自由だと大抵意思疎通も難しいことが多いけどケーキが切れない非行少年の話みたいに軽度の障害で言葉が通じなかったり、言語能力の違いがあるのに本人に全く自覚がなく自分は全てにおいて正常であると過信している場合だよな
本人から見れば正常な言動でも他人にはそう見えないし顔も見られない環境下なら障害かどうかなんてわかるわけもないからただら距離を置かれ続けるだけになったりする
意思疎通可能な場所にいながら誰にも理解されないから当人のフラストレーションも溜まる一方だし、それに気づかせようと説得を試みたところで通じない
軽率に犯罪に走るよりはまだ匿名の日記で暴れている方がマシなのかも知れないけど、ストレスが溜まって追い詰められた結果大きな罪を犯すやつもまた生まれかねないし
なんていうか悪循環すぎる
悪環境と言うべきなのかも知れないけど
『ケーキの切れない非行少年たち』初ドラマ化 女子高生が子どもを産み捨てた現実の悲劇描く(オリコン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5a519ac2ee3e527a613287674de147acd4b6d54
ドラマは何故か「女子高生が子どもを産み捨てた現実の悲劇描く」
本当に意味不明なんだけど
どうしていつもいつも男の問題を直視せず、若い女ばかりを矢面に立たせる?
「若い女だから同情される!これがおっさんだったら~」と何故か被害者面するまでがセット
本当に被害を受けているのはどの層なのかを
ちゃんと考えるといいよ
総務省文書について雑感(https://anond.hatelabo.jp/20230308125909#)の元増田です。総務省が文書について精査したそうですね。
https://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000505.html
文書を構成する全 48 ファイル中(別表参照)、22 ファイルは作成
つまり、①26/48ファイルは誰が作ったものか分からん、②発言者が本当にこれを述べたかも分からん、というわけです。
※作成者が認めた22ファイルも、文責の記載があったから渋々でしょ。
前回書いたようにこういった文書は決裁を取らないんですよ。だから実運用では次のような感じですね。
○決裁をとらないため、体裁や内容について基本的にとやかく修正指示されない。
○したがって文書作成者の書きっぱなし。主観が入りまくったり不正確だったりしても修正の機会はない。
※仮に疑義があったとしても、口頭での内容確認がほとんどじゃないかな?文書の修正まですることは稀。そもそも行政文書扱いしてないだろうし。
このようなレク資料を日頃作ってると認めたら、全部情報公開請求の対象になるだろうし、仮に行政文書でないと突っぱねたとしても、与野党問わず政治家から、『今日のレク結果報告書作るんだろ?うちの事務所にも届けておけよ』と言われたら断れません。
まぁ、その場合は公開用のメモ(行政文書)と関係者のみ共有用の単なるメモ(非行政文書。下手したら一斉電話などでの共有が復活するかも。昭和かよ。)の二つ作成することになるかもね。センシティブな話題だと。
リークの思惑が磯崎補佐官の復活阻止なのか、高市大臣への攻撃なのか、自治vs郵政の綱引きなのかは知りませんがやり方がアホすぎます。
せめて、普段使ってる様式ではなく、今回のために新たに資料を作り直して小西議員に提供すればよかったのにね。それだと文字通りの怪文書で総務省自身は戦えるから。
こんなリークの仕方したら各役所に置かれることになっている公文書監理官(局次長・審議官級で結構偉い)激怒じゃないかな。
そりゃ政治家だって役所が記録を作ってるのは知ってますよ。でも事実上知ってるのと、総務省がそれを認めるのとは全く意味合いが違うんですよ
私の母は母が16の時に私を産み、私は若いふしだらなシンママの娘として育った。
周囲の無理解から荒れに荒れた私は非行に走った挙げ句に高校中退。
とりあえずバイトに出た先で出会った夫と結婚出産、18で娘を生んだ。
親が親だからちゃんとして欲しいと厳しく育てたつもりが、逆に反発されて娘はすっかりグレてしまった。(今では私達も反省している)
娘は17で孫を産み、未婚の母となった。(実の父は所謂暴走族だったので事故死、数年後に事情を理解してくれた娘夫と再婚)
孫については、私も娘も(そして母も)思う所があり、出来るだけ苦労をかけさせない様にのびのびと自由に生きる様に育てたら
自由過ぎて在学時に歳上の彼氏と深い仲になってしまい、高校卒業と同時に結婚、そして出産。
見た目だけ見れば、私が孫とひ孫と歩いていると、完全に「祖母と娘と孫ちゃん」で実際に「かわいいお孫ちゃんですね~」なんて言われた事もある。
一々否定はしないけど、自分達の来し方を考えて悲しくなってしまう。
母はまだ存命で、それなりに元気な老人だ。
玄孫は女の子で、私達の濃いDNAを継いでいるのであれば、母の存命中にまた次の子孫が産まれる可能性は十分にある。
別に狙って早く子を作りたいと考えて生きてきた訳では無いが結果こうなってしまった。
明日、孫がひ孫を連れてウチにやってくる。
今の所はそれなりに幸せだけど、やっぱり年相応というか
ラーメン二郎が気になったため、ラーメン二郎に行ってみる事にした。
愛車のGR86を快適に飛ばし、現地に到着する。
近所迷惑です。騒がないでください、タバコのポイ捨てはやめてください等、明らかに治安の悪そうな張り紙が貼られている駐車場を見て不安感が募る。
駐車中の車も、軽自動車を中心に古びた車種が多く、自宅周囲に駐車してある美しい車たちとは雲泥の差があった。
駐車を済ませ、店の正面を見る。
全体的に薄汚れ、シンプルで安っぽい黄色い看板にラーメン二郎とこれまた洗練されていないフォントの文字を見て、本当に食べて大丈夫なのか?と足が止まってしまう。
しかし、よく見れば開店直後だというのに5名以上の男性が店外に並んでいる。
男性たちは明らかな低所得、いわゆるヘコオス感が漂っており、全員がスマホを食い入るように見つめていて、怖気を覚えた。
店はドアが無造作に開けてあり、食券をその場で購入して並ぶタイプの店だと推測する。
食券機も古びていて、案の定、電子マネー等は対応していないようだった。手書きの汚い文字でわかりにくく書かれたメニューを解読し、初心者におすすめらしい「小ラーメン」の食券を購入した。
周囲の影響で自分の価値が下がっていくような錯覚を覚えながら弱者男性たちの陰鬱な列に並ぶ。
確かに春の陽気を感じるが、ここは日当たりすら悪く、うっすらと寒い。10数分ほど待たされて入店する。
待機中にも弱者男性たちがわらわらと集まり、どんどん列が伸びていくのを見て、日本の貧困はここまで…と驚愕を覚えた。
店内も外見と同様、薄汚れた雰囲気で、満員だというのに誰もがラーメンを食べるだけなため、異様な静けさが漂っていた。
無理もない。この店にくるような男性は、他人と喋るということがまず特別な体験で、食事は1人で摂るもの、黙食が当たり前なのだ。
ここで何度目か分からない驚愕に私は打ちのめされた。カウンターは、布が山と積まれ、拭いてくださいと書いてあるのである。
つまり、ここの店員はテーブルを拭くことすらしないのだ。衛生状態が気になるため、できるだけテーブルに手をつけないよう、意識して姿勢を正す。
することもないので、ラーメンの調理風景を眺める。覚悟はしていたが、分厚いチャーシューを素手で、手袋など一切せず皿に盛る様子を見て、帰宅したいという思いが強くなった。
5分ほど待たされて、ようやく注文したラーメンが到着する。
スマホで写真を撮ろうか迷ったが、全体的に薄汚れた茶色で「美味しそう」と全く思えなかったため、写真に残す価値を感じなかった。
衛生状態に不安を抱きつつ、テーブルの箸を取り、これでもかと盛られた野菜を一口食べる。
まず感じたのは異様な塩気と舌にからみつく脂だ。野菜にも味がついていて、異様なしつこさがある。
次は麺をすする。麺は、異様に太く、黄色く、もったりしていて、ボリューム感だけはたっぷりだ。
はっきり言って、豚の餌だ。
この時そう感じた。
外見から覚悟はしていたが、これは妻子がいる健全な人間が食べるものではないのだ。
一口食べるごとに、体の中に毒のようなものが溜まるのを感じる。
これほど塩気と脂身が濃いものを食べれば、血液は汚れ、腎臓は腐り、寿命は一気に消費されるだろう。
現世に絶望した弱者男性たちは、ラーメン二郎を啜ることで、現世からの解脱を求めているのだ。
箸を置きたい衝動と、吐き気を堪えつつ、豚の餌を胃に押し込む。
しかし、無くならない、無くならないのである。私が注文したのは小ラーメン、のはずだ。食券を確認しても小と書いてある。
しかし、そのボリュームは通常のラーメン店の大盛り以上であった。
これを全部食べろというのか、意識が遠くなった。
私が一体どんな罪を犯したというのか?
好奇心に駆られたのが間違いだったのか?
早くここから出たい。その一心で、口と手を動かし、豚の餌を掻き込む。
千と千尋の神隠しの両親のように、だんだん自分が豚に変身していくような錯覚を覚える。
私の努力は実り、水の助けも借りて、なんとか全てを胃に押し込むことに成功した。
その直後、私は店を飛び出していた。この空間にいる時間が1秒嵩むごとに私の寿命が減る恐怖に駆られたからだ。
いつもなら心を沸き立たせるエキゾーストが、この時は救いの福音のように感じられた。
私はラーメン二郎を実際に食べることで、日本が抱える闇、醜さをこれでもかと体感することができた。
政治家は、ラーメン二郎に是非行くべきである。これが日本の闇、政治が正すべき癌なのだから。
私の寿命は、今日のラーメン二郎でどれだけすり減らされただろう?窓を開け、春になりつつある陽気を肌に感じながら、私はGR86のアクセルを踏み込み、闇から逃げ出した。
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
一つの例を挙げれば、「人権 ほんものはやたらにいわない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
極端な例えをしてみれば「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなのでもいい。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど当時の環境も添えてほしい。
世の中普通じゃない人、少数派な人は割とほぼ病気扱いしてくれて公共の福祉で保護してくれる日本で、同性愛者だけ愛がどうとか好きになる人が同性なだけとかフワッとした言葉で誤魔化すの良くないよ。
自然界でも同性同士のカップルは存在するって言うけど、それが多数派じゃないから種の保存がされてて同性愛者の命そのものが異性愛者にフリーライドしてるだけであって…
今話題の同性婚だって、「愛」とか「好きになった人が同性なだけ」なので異性愛者用の制度をどうしても利用したい同性愛者は特例として認めたらいいと思う。
結婚制度なんて愛がなくても好きじゃなくても家同士のものでしかないのにそこを理解してなくて、目に見えない「愛」を主張してそれに執着して公的に「愛」を認めてもらいたがる人ってちょっと変だと思う。
同性婚を認めたら、独身の異性愛者にしわ寄せが行くわけですが同性愛者の方々は自分たちだけが幸せならそれでいいんでしょうか…
子供についても男女じゃないと絶対できないものなのに、どちらかの血のつながりだけがある子供を欲しがるっていう歪みを解消する制度が必要だと思う
「愛し合う2人」を主張する割に片方としか血が繋がっていない子供を設ける歪み
自然の摂理に逆らって生まれた子供は、どういうアイデンティティで生きていくのか
女2人もしくは男2人で育ててるカップルはたくさんいる?
自分は発達障がいについて勉強しているわけでないので発達障がいについて特別な知識のない素人が書いた文章である
Twitterで男性が発達障害の診断書の画像を載せて命をたっていた
そのとき自分は「えっ発達障害というだけで死んでしまうん?肉体的に苦しんでいるわけではないのに?」と思った
とある発達障害がある子供の母親が自分の子供に体罰をしていて、他人がいくら体罰をやめろと母親に言っても体罰をやめなかった。母親には母親の体罰をしなければならない正義があり、外野が「発達障害の子供に体罰をいくらしても躾にならないからやめろ」と言っても無駄だった
ある発達障害の男性が、発達障害の妊婦に「発達障害が遺伝するかもしれないのにどうして子供を産むのですか?自分は子供が苦しむのがいやで子供を持つことを諦めました」と聞いていた。外野が「妊婦にたいして失礼だからそんなこと聞くな」と男性に言っても
男性は「自分は発達障害の人は子供を産むなと言ってるんじゃない。聞きたいことをきいているだけだ!なにも悪いことをしていない!勝手に勘違いするな!」とキレた
妊娠ってお祝いごとだし、妊婦に不吉なことを言ってはいけないのに……
「発達障害が遺伝するかもしれないのにどうして子供を産むのですか?」は「これから産まれてくるあなたの子供は不幸になるかもしれませんよ」と同義でとてつもなく失礼な質問なのに
男性は自分はただ疑問に思ったことを妊婦に聞いただけなのに何が悪いんだと主張している
これは、生きづらすぎるぞと他人ながら思った
最初のTwitterに診断書を載せて自殺した男性は生きてて全然楽しくなかったんだろうなと(当たり前なんだけど)私は思った
他人の気持ちが想像することができない。失礼なことを言いたいわけじゃないのに、自分の発言で相手を怒らせてしまう
つらすぎる。健常者でも自分が好きな相手と仲良くなるのはそれなりの技術、経験、努力が必要なのに
発達障害の人は他人の気持ちを想像してみたくても、障害のせいで想像すらできなかったりするのだ
知的障害、発達障害を持つ娘の母親が「私の娘は誰かのためにだれかに好かれるような行動をすることができないよね」と嘆いていた
発達障害を持つ人の中にももちろん「毎日楽しくて仕方ない!ハッピー!!」という人もいる。健常者でも生活が苦しくて自殺する人もいる。
私は発達障害を抱えた人の生きづらさをどうやったら解消できるのか知りたい。なにかの本に書いてあるのか?勉強すれば答えが見つかるのか?いや、そう簡単には答えは見つからない。簡単に答えが見つかるなら日本の自殺者はもっと少ない。