27歳になって十数時間。俺はつかの間、そのことを忘れて浮かれていた。
夜を徹しての作業中、半ば惰性になったとはいえ物陰から出てくるバースデーケーキと人々の祝福の言葉は満更でもない以上の気分にさせた。動く絵文字いりのファンシーなメールだってそこそこ届いた。眠いけど返事は書かなきゃね。贅沢な疲労を感じながら惰眠をむさぼり、忘れもしない15時38分。枕の下敷きになっていたあわれなスマートフォンにそのメールは届いた。
なんだよ。
楽しそうにしやがって。おめでとうじゃねぇよ。あんた今どこに居んのよ。誰と居るの。知りたくもないけど。
ヒトの中のヒトならぬものを。
あの人そのものがもはやヒトじゃないのだと俺はずっと言い続けてる。
あれはそう、鏡だ。真っ正面から見た者の貌を真っ正面から映す。優しくすれば同じだけ優しく。憎しみを向ければ同じだけの刃で。与えれば与えただけ返ってくる。それに気づいてしまったら僕らようなのはおしまいだ。
寂しがりの意地っ張りは。
溺れるように愛して浴びるように愛されて、めくるめく脳内麻薬浸けの日々、一秒でも離れていたくないなんて、ああ恋をするってこういうことなんだ、なんて思って。
だけどそんなの長く続かない。
鏡が写すのは誰か一人、なんてことはない。
他の誰かが前に立てば、鏡のあなたは無情にもそれをただ俺にしたのと同じように写すだけ。
本当にね、もう殺してやりたかったよ。胃酸出っぱなしで胸から下は寝ても覚めても灼けつくよう。誰にも会わせたくないと思えどんなこと可能なわけもなく。あんたを含め想像の中で何人殺したか知れない。
僕を気持ちよくしたようにそいつのこともしてやんだ?
もう男でも女でも関係なかった。その前に立つ人間は残らず憎かった。
それは俺んだ。
俺んだ。
返せよ。
プライドの堆い俺は人前でこそ涼しい顔をしていたが、その実何度も見たくないものを見ては吐いた。もともと痩せ型なのに急に8kg痩せて周囲に驚かれた。(さすがにまずいと思って気合いで戻したが)
皮肉にも筆は進むようになり世間の評価は上がった。うなぎ昇りってやつだ。本当に皮肉にも。
その頃には俺は気づいていた。俺があの人に相対して苦しめば苦しむだけ相手も苦しむのだ。
苦しめてやろうと思った。憎いというより悲しかった。そして思った通り自分が悲しめば悲しむほど彼女の顔もどんどん悲しそうなものになっていった。どうしてわかってくれないんだ、と思えば思うほど、わからないとあの人は泣いた。
胸が痛かった。
でも溜飲が下がった。
そのままだいぶ経った。僕らは時折共同でモノを作ることがあったから、その時も同じ部屋の中でいわゆる“素材”ってやつを見ていた。
最近にしちゃ珍しく小さい頃の古傷を掘り返すようなモノを俺が書いた。あの人はそれを見ながら黙って少し泣いた。
色が染みたような静かな泣き顔だった。
肺を掌で握り潰されるみたいに苦しくなった。
俺の悲しみが君に感染った。そう思った。全力で一発殴られたようなショックで目が覚めた。血の気が引いたら涙が出た。プライドも何もなく泣きながら詫びた。返事はなかった。
馬鹿か俺は。
何をしていたんだろう。
もう嫌だって何度も思ったんだろうな。でもつい幸せ願ったりしちまうんだろな。何のことはない。本当の気持ちは鏡の中にずっと写ってた。
あれから2年が過ぎました。今は鏡を叩き割ってやろうとは思わない。姿が見えないでいると胃が痛む瞬間はあるけれどね。
今日も作業終わりは完全に朝。朝だ。眩しいな。
よく眠ろう。もうすぐまたあの人に会える。