はてなキーワード: B型とは
血液型が好きになりたいです。
もちろん血液型が何か聞いてくる人は何も悪く無いです。
私はO型です。。
朝に血液型の話をされると夜寝るまで血液型のことを考えてしまいます。
血液型くらいと人には言われてしまうのですが、相当深刻で血液型占いの話が最近自分の中で大きくなってきていてパンクしそうです
私は人の性格は場面によって変わると思っています。みんなが違っていて、昨日あった時と今日あったこの人は、もう別人なくらい何かを考えていて何か経験していて、皆それを隠して会っているんだと思ってて、それを血液型に当てはめて考えるのは少し道理が違うような感じがします。。
占いは本来大好きなんです。誰にでも当てはまるようなことが書いてあっても、楽しいなと思えるし、今日の運勢とか答え合わせのように一日がワクワクします。占いを信じるのは私にとって信教の自由と一緒で、悪いことではないと思ってるので、私の沸点が低いことだけが問題なのですが、血液型の話題をされると過剰に考えてしまうのです。
どんなときに血液型の話ってされるんだろうって思って、普通に会話してたら気づいたんですけど血液型の話題って急に出てくるんです。
例えば
「○○って全然怒らないよね」
「そういえば最近怒ってないかも」
「何型?」
みたいな。急に出てくるんです。性格の話になった瞬間に出てくる
血液型ってそんなに重要なのかなと思うくらいです。だけど、こういうこと自分もしてるし、今まであった人にしない人を見たことがないので、
ただ単に私が血液型に対して過剰な反応してるというだけなんです。
ABとB型って大抵悪いことが書かれているのも気になります。B型は特に「自己中」という最低なレッテルを貼り付けられます。
でも私は世界中に自己中心的じゃない人間は絶対いないと思っています。
自己がない人なんていません。
血液型に対してただずっと考えてしまう癖が幼少期から治らず今まで隠してきたのですが、
最近血液型を気にする人に何度も短所を「B型だから」と片付けられていて、もう限界です
性格が顔に出てるというが、それは科学的根拠ありきで言っているのだろうか?
それを言うなら、美人は三日で飽きるとかB型は自己中心的だとする見方や
ホロコーストは存在しなかった事は事実であると言っているようなもので、
何ら根拠性が見当たらない。
キツネの大好物は稲荷寿司と同じでどこかしこから流れたデマなのだろう。
そうでなければ、ブスは性格が悪いなんて風潮がまかり通るはずがない。
恐らく性格ブスという言葉が一人歩きしてブスは性格が悪いにすり替わったのかもしれない。
確かにブスは救いようのないブスなのだ。
結局ブスにとって性格の有無はそれほど重要ではない事は明らかで
長らくB型だと思っていたら23歳でA型に「変わった」友達いるよ
母親がB型で、生まれた時は母親の血が(長いので省略)なので、大きな病気もなくやってきた友達は献血してはじめてわかったのだった。
血液型主義者はこういう人たちのあつかいどうしてるんだろ……?
「パロネタは熱い中に打て」とばかりに数カ所のみ改変したものを戯れに投下したところ、
補足1:これはパロディ(と呼ぶのもおこがましい改変ネタ)です
一行目にリンクを記載した記事(「21世紀の生存戦略」様)が元ネタです。桜蔭生かわいい。
これは、元記事の表現をそのまま用いた物ですが、元記事においては打ち消し線があります。
補足3:東大への進学実績について
2013年度において東大へは現浪合わせ99名が進学するようです。
学年あたりの生徒数が160名程度なので、約60%と算出しました。
(参考資料、pdf注意)
http://www.komaba-s.tsukuba.ac.jp/home/wp-content/uploads/2013/05/2013kokkouritu_zenkikouki0409.pdf
補足4:仕事について
だいたい似たような物だなと思って改変しなかったのですが、公務員、医者に加え、研究職や弁護士なども多いです。
民間就職する人間は安定した企業勤めが多いですが、もちろん起業志向もある人間もいます。
補足5:関西の雄について
補足6:その他
桜蔭、筑駒に限らずだいたいの都内進学校には当てはまるだろう、というご意見は完全に同意します。
とはいえ、筑駒生が結婚相手として優良なパートナーたりえることは、ここに強調しておきたいと思います。
乱文失礼。
http://ss21.doorblog.jp/archives/33561553.html
☆ ☆ ☆
知らない人のために、
説明しておこう。
5人に3人が
あとはwikipediaでも見てほしい。
(当時。今も?)
KやAやMもあるし、
国立のGとかTとか、
高校受験ならKもあるけど、
なかでも筑駒がいい。
筑駒にしなさい!
その理由を説明しよう。
1. 物事の理解力が高い
受験戦争の成果なのか
こっちが多少言葉足らずでも、
一を聞いて百を承知してくれる。
と、まあこれは筑駒でなくとも
東大生とかなら当てはまる条件
かもしれない。
2. 男らしい思考回路
サバサバしていて合理的。
これまた、話が早い。
全員、B型のよう。
契約を交わすように
結婚する
(気がする)
悩み相談しても、
解決策を提案してくる
(気がする)
でもなぜかやっぱり
空気は読めない
(気がする)
このあたりは
と勝手に思っている。
3. 一度はカラを破っている
ガリ勉でいいのか?
という疑問に応える形でなのか、
勉強以外のことにも手を出している。
(しかも、それも
そこそこ極めてしまっている
ことが多い)
「優等生」のカラを破っていて、
(気がする)
KやAの方が
器用で多芸かもしれないが、
こんなにストイックじゃないはず。
4. 負けず嫌い
変な負け癖や逃げ癖
がついていない。
(ことが多い)
「その分、
挫折したら危ないのでは?」
と思うかもしれないが、
支えてあげましょう。
中・高が都内ということは、
6. 仕事が安定している
安定した会社に勤めていることが多い。
リスクを取ろうとしているなら、
事業ポートフォリオとして
欠かせないですよね。
あれ?6つになっちゃった。
「でも、こんなに完璧だったら
お高いんでしょう?」
と思うでしょう?
確かに、東大卒業後は
男女比がまともになるせいか、
割高な価格がついているようです。
出会うとすれば、
在学中になるでしょう。
彼らが学生時代、
女慣れしていない時を
是非、お見逃しなく!!
超絶最高なパートナー候補
であるにも関わらず、
プライドが高いと思われているなど
敬遠されていることもあるようで、
そんなにお高く止まってたり
しないはず。
そんなこんなで、中身を考えたら、
絶対にオススメなのです!
☆ ☆ ☆
補足です
そんなもん嘘の血液型を申告すりゃいいんだよ。輸血するわけじゃあるまいし。
B型でも「O型なんですー」とか言っときゃあ、「えー、見えなーい。でもよく見ると○○なとこあるし、やっぱO型っぽいよねー」とか言ってくるよ。それに話をあわしておきゃあ大丈夫。
今どき血液型性格診断に科学的妥当性があると思っているってこと?w
あと「科学的根拠」で血液型お断りっていうのが「輸血の現場で最悪死人沙汰になるから」っていう話はわかるけど、
それってA型が日本で一番人数が多いとか少ないとか全く関係ないよね
献血の「B型歓迎」ってのはB型ウェルカムであってA型お断り・出入り禁止って意味じゃないし
喫煙者の診察を断ることの「科学的合理性」はそのまますべての傷病患者に適応できる理屈だから診断拒否の理由としては成立しないって話なんだけど
同棲期間の間に、彼女のダメな部分は注意しても直らないものだということに気付いた。
ダメな部分が僕の結婚する相手の条件としてどうしても許すことの出来ない事だったためである。
同棲を始めて2ヶ月ぐらいした頃から少しづつ部屋が汚くなっていった。
その一番のひどかったのが、髪の毛である。
夥しい量の長い髪の毛が彼女の定位置の周りに散りばめられている。
僕は家族に女性が母親しかいないので、これほどまでに髪の毛は抜け落ちるものなのかと目を疑った。
でも抜けることは男の自分も同じことだし、また休みの日にでもコロコロとかで取るだろうと思っていた。
しかしその髪の毛は処理されることは一切なく、どんどん増えていった。
その日に髪の毛は、目についたら処理するように言ったが、今日まで彼女が髪の毛の掃除したのは注意した時だけである。
髪の毛だけに限らず基本掃除はしない。
カビとか黒ずみが一切気にならないみたいで、食器等が触れるような場所でも平気でその状態のキッチンを使っている。
洗面所も髪の毛で詰まったり、カビ、くすみ、黒ずみが出来た時、僕が詰まりを直し、カビハイターを使って白い洗面台をピカピカにして
風呂場も、床が黒ずんできたと思ったので掃除しなければいけないなと思ってきた頃、話をしたが「そうだね。」程度の反応で
今度の休みにでもやっておくとか行動を起こす様子が全く見られなかった。
あー、この人は汚い状態が普通な環境で育ったんだ。って思った。
そしてそれと同時に、うちの家族はとてもきれい好きだったんだなと思った。
そのお陰なのか、僕はそういう状態になると気になるし、掃除しようと思う。
そんなきれい好きなのはA型だからだろ?とか思うかもしれないが、そうではない。
だからB型がガサツなイメージであるのもわからなくはないが、結局はその人がどんな環境で育ったのかが
その人の生活習慣とかに影響するんだろうなー。
僕も目の行き届いてない汚いところがあるのかもしれないが、普段の生活で使用するようなところは
常に掃除しろとは言わないが汚れが目立つようになってきたら掃除しなければと思って欲しい。
育った環境の話をしたが、彼女の実家は、僕が見た知人の家の中でも飛び抜けて汚かった。
一度部屋の状態がテレビ電話中に写った時があった。
その状態を見られた彼女は泣いた。
つまり汚いことは分かっている。
ならなぜ掃除をしないのか聞いた、すると親のせいだと答えた。
それは違うだろ。
だから今後この性格は直らないだろうし、子供もきっとこんな親を見て育ったら掃除しない子供に育ってしまう。
他の理由もある。
でも書いててただの愚痴だなと思った。
他の理由はまた書こう。
http://matome.naver.jp/odai/2137139303509638701
注目の若手俳優のまとめ
これを見ると見事に91年、92年生まれがいないことがわかると思う。
ちなみにゆとり最後の世代にして最低の世代、平成三年、四年生まれ。この翌年から脱ゆとり。
大学でも、今年の一年生(大体平成六年生まれ)はどうにも活気がある。その分暴走してる感もあるけど。
これは単なる偶然なのか。
それは「ゆとり教育のせい」ではなく「ゆとりは駄目だって言われ続けたせい」の気がする。
血液型診断と一緒。「B型だからワガママ」とかそりゃ生まれた時から言われ続けりゃワガママになるやつもいるわ。ワガママじゃないやつも当然いる。
そのかわりなぜかBは献血が足りてる。これはわりと事実。(日本だけかどうか、血液型性格診断の信じられていない国でも調査すべきだ。)
性格の差ではなくこれも「Bは○×」って言われ続けた何かの反動なのか、それとも本当にB型の抗体を作る遺伝子付近に性格決定(もしくは造血が過剰になる因子)があるのか。
まあそもそも「ゆとりだからダメ」ってことは無いだろう。気のせいだ…たぶん。
優秀な人もこれから…出てくるだろうし。
で、まあみんな自分の口にする偏見が人を変えて形作っていく可能性、もっと言うと危険性についてこそ、考えた方が良いよって思うんだな。
子供に対しても、職場の後輩に対しても、誰に対しても「お前はこうこうこういう人間だからな」って言い続けることは、その人を変えていく。子供ならなおさら。
それについては心理学で実証されてること。
ただ面白がってるだけ、では通用しないんだよ。
血液型占いみたいなのを真に受けて、やたらB型を貶すクズ。人をB型認定してくるクズ。
馬鹿じゃねーの
A型だろうがB型だろうがO型だろうがAB型だろうが、まともな奴はまともだし、屑な奴は屑だ。
わかってる。別にそんなこと本気にしてる奴はいないっていうんだろう。
本気にしているとかいないとか、俺が問題にしているのはそういう話ではない。
問題なのは、そういう訳の分からないものを根拠に、人を貶めたり、不快にさせたりするのを厭わない腐った根性だ。
あと、Twitterでよく見るこの手のものにまともに取り合うやつ。
RT @10000RT: 【クズあるある】
・好きなことにはとことん詳しくなる
・「お腹すいた」「ねむい」が口癖
・「まぁいいや」も
・一人の時間がないとだめ
・寂しくてもだめ
・変なところで几帳面
・変なことを覚えている
・キレると怖い
・めんどくさい
・自由奔放
#クズの人RT
https://twitter.com/10000RT/status/316528954267815936
こんなゴミみたいなツイートが6000回以上もリツートされているのが俺には理解できない。
「自分がクズなこと認めちゃう俺カッケーw」とでも思っているんだろうか。
占いもそうだけど、こういう誰にでも当てはまる項目を列挙して適当なことを吹いて回るやり口が不愉快で仕方ない。
ただのオフザケならまだ良いだろう。それで、人が幸せな気分になれるようなものなら文句は言わない。
<はじめに>
ヱヴァQが面白く無かった人の中には、どうしてそれが面白く無かったのか、
どうしてあんなに面白く無かったものをありがたがる人がいるのか、を理解できない人もいるかと思います。
(理解した上で嫌悪感を感じる人は本説明の対象外です)
そうした人達に向けてヱヴァQおよび旧作エヴァンゲリオンの面白さと面白く無さを説明してみます。
ただし、これは「説明」なのであって、ヱヴァQはだから面白いよねという「説得」ではありません。
理解できたからといってヱヴァQが面白くなるわけではありません。
<要約>
ヱヴァQはアンチorメタエンターテイメント的な構造=「期待を裏切られる楽しみ」を持っている。
(ここでいう「期待」とは「謎の提示→解決」「話のフリ→オチ」「主人公の苦難→成長」という、従来のエンターテイメントが持つ構造である)
「期待を裏切られたこと」が受け入れられない人は当然つまらなく感じるし、裏切られる楽しみを感じた人は楽しめただけの話。
これについては説明できません。「そう感じる」のだから仕方が無いありません。
ただ、他アニメに比べて単純にクオリティが低かったかどうかで言えばそんなことは無かったのではないでしょうか。
本説明は、こちらに関する説明になります。
通常、お話には各文章毎に意味があり、お話世界の設定を示し、物語が流れ、オチがつきます。
これが普通の「エンターテイメント」です。たとえばミステリを例にとってみましょう。
まず小説世界の設定が示されます。その示し方、というのは作者が見せたい示し方「ある視点からみた小説世界」です。
その世界には「謎」があります。クライマックスで作者は別方向からの視点を持ち込んだり、
視点の位置を変更することによって「謎の解決」をはかります。これがミステリです。
旧エヴァンゲリオンと新ヱヴァンゲリヲンには様々なエンターテイメント要素「純文学的」「SF的」「ミステリ的」な楽しみが入っています。
本論ではミステリとしての切り口からエヴァ群およびエヴァQを読み解きます。
エヴァには謎がちりばめられています。南極で4体いた巨人は何なのか、槍とは何なのか、人類保管計画とは・・・etc。
通常のミステリ系エンターテイメントではこれらの謎には一応の説明=オチがつきます。
謎と回答がセットで用意されていることがミステリ系エンターテイメントの条件なのです。
謎に対する回答が論理的でないことはミステリ系エンターテイメントでは批判対象になります。
では、謎に対して論理的な回答が用意されていればいいのでしょうか。答えは否です。
当たり前すぎる謎への回答は「つまらない、面白く無い、想定の範囲内」としてまた批判対象になるのです。
ミステリ系エンターテイメントの歴史はこの矛盾した期待「筋道が通っているのに予想を外す」に応えた歴史でした。
エンターテイナーは密室を作り、アリバイをでっちあげ、人物を交換し、天狗の鼻の上でナイフを滑らせたのです。
しかし、読者には読書体験が蓄積されます。「密室もの」「アリバイもの」「島田荘司のいつもの」などのように予想は外れにくくなります。
ミステリ系が広まることがミステリ系の楽しみを成り立ちにくくするのです。ここでエンターテイナーはさらに頑張りました。
密室ものと見せかけかけた人物入れ替え(トリックをトリックとして使う)や、
文章を意図的に誤読させることで謎でないと感じていたものを最後に謎であったと提示する(叙述トリック)などです。
「読者の読書体験込み」の謎(トリックを知っている読者への謎)を作ったのですね。
しかししかし、それすらも読者の読書体験に織り込まれてしまいます。「ああ、これは叙述トリックもの」だね、という風に。
こうしてミステリ系エンターテイメントのパターンは全て出尽くしたように見えました。あとは各作家の文章力/味付けだけの世界になったように思えました。
しかししかし、そうではありませんでした。ミステリ系エンターテイナー原理主義者が考えた最後の兵器、最後の謎、それがアンチorメタミステリです。
アンチミステリ、メタミステリとは何か?それはミステリ系エンターテイメントの条件「謎には回答がセットで用意されている」という想定、
「これはミステリだろ、という読者の読書体験を裏切る」ミステリのことです。(読者体験を念頭に=メタ、解決の放棄=アンチ)
ミステリ的に提示された謎は解決、されません。貼られた伏線には何らかの意図があり、背景には脈絡が流れているにも関わらず永遠にそれが明かさないのです。
読者は怒りました。怒り狂いました。こんな本は狂っていると騒ぎ、壁に本を投げつけ壁に穴をあけ、火を付けてさつまいもを焼いたのです。
ただ、一部の読者は壁にめり込んだ本を再度開き、焦げた本を再度繋ぎ合わせ始めました。
何故か?永遠に解決されない謎がとても魅力的に思えてきたのです。
アンチorメタミステリがただの問答無用の「裏切り」だったとしたら、それはミステリでもなんでもありませんでした。
しかししかししかし!アンチorメタミステリはきちんと「ミステリ」でした。何故か?提示されない、収束しないだけで、回答らしきものは「読めた」からです。
作者はデタラメに謎を配置したわけではなかったのです。
謎の配置には意味がありました。完全に繋がっていない謎同士、明かされずぶち切れた伏線から、かすかな破線のような真実の輪郭はかろうじて読めたのです。
一部の読者たちは途切れた伏線をつなぎ、明かされない謎を照らし合わせました。そうしてできた回答は一つではありません。
読者の数だけ答えがありました。いや、読者が考える度に回答が産まれました。
作者の意図は完全にトレースあるいはサルベージできない(ようにつくられている)ため、当然のことでした。
本を拾いあげた読者たちは各々、自分の回答について話合いを始めました。そうしてまた、新しい回答群が産まれたのです。
それは他のアニメにも言えることかもしれません。ですがエヴァは思いつく限り全部入り、ぐらいの要素が入っているのです。
SFとしてのエヴァ、純文学としてのエヴァ、ミステリとしてのエヴァ、キャラ萌えとしてのエヴァ。
それぞれが本格的に作られており、それらが複合的に絡み合うことで色々な読みを許す懐の深いアニメです。
当時、それら本格的な要素を持つアニメとしてエヴァはそれなりに期待されました。
TV放映の途中まで庵野監督は概ねそれに応えていたといっていいでしょう。
しかし、最終的には庵野監督は視聴者の期待をことごとく裏切ります。
TV版エヴァでは最終二話にはエヴァはほとんど登場せず、伏線は回収されず、ただ主人公が救われたという心象風景だけが提示されます。
旧映画版。今度こそ、と期待されたものを再び庵野監督は裏切りました。
復活したヒロインは次の瞬間無惨に食われ、主人公は最後の最後まで成長らしきものをせず、謎らしきもの回答は完全には示されませんでした。
たくさんの視聴者が失望・・・しませんでした。これこそがエヴァだと叫び、糞だ糞だと拍手喝采褒め讃えたのです。
エヴァがいかに糞でその糞が何を描いていたのかについて各々語り始めました。
何故か?視聴者は「裏切られることを予期していた」からなのです。
TV版最終二話でなされた裏切り。庵野監督が持つオタクへの自己嫌悪から発生したと言われるファーストインパクト。
これはうんこでした。ただただ庵野監督がうんこをしたかった。とてもうんこがしたかったことが原因で産まれた巨大なうんこでした。
しかし、これが偶然にもアンチエンターテイメント、アンチミステリの形式を踏んでしまうことになります。
「開示される予定だった真実が巨大な庵野のうんこによって適度に隠される」ことで良質なアンチミステリとなってしまったのです。
デリヘル・ガイナックス♪で嬢呼んだらいきなり罵られた挙げ句勝手に帰ってしまったんだけど、そういうプレイだと思えば良質だったみたいな感じです。
この放置プレイが評判を呼び、放置プレイマニアがこぞって映画館に行ったのですから、文句の出ようがありません。
いや、息子のわがままで映画館に連れてこられた私の家族など、一部、可哀想な人たちがいたことは事実です。歴史の裏にはいつも悲しみがあります。
庵野監督は10年くらいたったから、そろそろうんこ溜まってきたし、うんこしよう。するなら、前回よりもおっきいのを、だ。と考えました。
巨大うんこのために作られたより巨大な謎、セカンドインパクト、それが新劇場版ヱヴァQでした。
序、破は伏線でした。庵野監督は旧エヴァの制作/公開体験を、そして視聴者の視聴体験を利用します。
つまりメタミステリとしてのヱヴァ「第一の裏切り=お、これ、前と違ってまっとうなアニメじゃん!」です。
旧劇では糞が半分読まれていました。
旧劇を超えるためには、序、破、でエヴァが糞で謎を隠す形式のミステリである視聴体験を払拭する必要があったのです。
普通の糞好きに普通に映画館にきてもらっても、もう、庵野監督は満足できない。
訓練された糞好きでも楽しめる、よりアクロバティクなうんこを魅せるとともに、
中年男性がうんこを放り出したとこをみたこともない女子高生にうんこの素晴らしさを伝える、という庵野監督の願い–––––––人類補完計画。
この発動を目的として作られたため、序、破は精巧に綿密にまっとうなエンターテイメントをしていました。
そして、ヱヴァQ。やってしまいました。満を持して登場した監督はヴンダー=希望に糞を放り出す12使途(ネタばれ)として登場。
観客を糞塗れにします。
君の言っていることはほとんど意味が分からないよカヲル君、それどころか肝心なことは何一つ言わないよシンジ君以外のみんな。
これが第二の裏切り=
一人じゃないんだ、と思ってたら「孤独でしたー」
前に進めたんだ、と思っていたら「進めてませんでしたー」
槍でやり直せると思ったら「やり直せませんでしたー」
です。
救われるべきものが救われないアンチエンターテイメント、開示されるべき謎がほったらかしのアンチミステリこそがヱヴァQなのです。
つまらないのは当然なのです。まっとうな反応なのです。面白いとみせかけて面白く無く作ったのですから、面白いわけが無い。当然のことです。
ただ、「期待を裏切るという形式のエンターテイメントが面白さを期待されたら、最終的には<面白いことを裏切る>しかない」んです。
一度は必ず「面白く無いという面白さ」へ行き着いてしまうものなんです。これはもう、ある程度しょうがない。
問題は次回作シン・エヴァンゲリオン劇場版に持ち越されました。
ここできちんと伏線が回収される!と見せかけて回収されない!謎が開示される!と見せかけて開示されない!のか、どうかは分かりません。
アンチ的構造の最終回だったとしても、ある程度、おぼろげながら真実が見える形には仕上げてくるのではないでしょうか、というのが僕の予想です。
ある一つの解を持つミステリは、ネット社会においては瞬時に消費されます。
AはBだったんだ!以上!という情報は急速に読者や読者ですらない人間に行き渡ります。
「なあんだ、Aは結局Bだったのね。あーあれね。昔あったA=B型的カテゴリのやつね」というふうに。
物語の延命をはかろうと思うとメタorアンチミステリの形式をとらざるをえないのです。
読者が謎と真実について語り合うことで新たな謎が生まれ、語りが語りを呼ぶことで物語はかろうじて生きながらえるのです。
だから、今は普通のエンターテイメントにもアンチ的要素は含まれます。
ある物語できちんとオチがつくものの、別の読者を引きつける開示されない大きな謎がシリーズを繋ぐとみえる、などベタな展開ですね。
ちょうど、TVゲームがネットゲームになったことにそれは少し似ているかもしれません。
ゲームの攻略そのものではなく、攻略について語り合い、次アップデートへの期待について語り合うメタな楽しみ。
ラスボスを倒しても終わらないその営みこそがネットゲームの醍醐味です。
エヴァンゲリオン、一体、どうなってしまうんでしょうね、楽しみですね。
こちらからは以上です。