はてなキーワード: 自律とは
http://anond.hatelabo.jp/20110814141832
なんか勘違いしている人がいるので指摘。
放送法から、「偏向はダメ」に関わってくると思われる部分を抜粋してみる。
「不偏不党」というのはいずれの主義や党派にも加わらないこと。
つまりみんなが「偏向はダメ」と言っているのは何らかの意見や主張に偏りがあってはならず、
中立を保ちなさい、ということを戒めているわけだ。
韓国のアーティストをたくさん紹介することは単なる局の自律的な「嗜好」に過ぎず、
「偏向」とは言えないのだ。
このことを理解していないからフジに韓国ドラマが多いというだけで「フジは偏向している!」などと頓珍漢な勘違い君が出てきてしまう。
コンプレックスがあるせいで最悪の人生をおくってます。消極的で皮肉屋です。
今も、俺が苦しい思いで悩んでいる一方、女とセックスをして楽しんでいる野郎がいる。
なんだよ・・・この差・・・・。
悩めば精神的により充実した人生を送れるようになるって言われるけど、ほんとかよ。
もちろん、答えは嘘。はっきり言っておく。努力してもどうにもならない。いや、努力さえできないだよコンプレックスは。
人間の骨格って変えられるのか??変えられるとしても費用は??ガキだったら親の許可は??到底無理だろ。
そして、悪循環に。どんなに努力しても変えられない→努力する意味もない→努力を放棄→何をしても無駄→自律的に行動しない、できない→虚無的になる。
さらに、コンプレックスを忘れることは出来ないから、さらに悩み続ける。永遠に・・・・。
悩み続けて頭がおかしくなりそうだ。脳細胞もかなり死んでいるはず。将来的にも脳に障害が起きてもおかしくない。
おい、生まれつきの格差って辛すぎるだろ・・・。生きるって何・・・・。
東日本の大地震を契機に、「オピニオン」を売り物にしている人たちがやたらとご乱心をして、見当はずれなドヤ顔を晒してしまっているのをたくさん見てしまった。
裏情報によるとあれはどうだとか、オタク文化が成り立たなくなるだとか、わいわいがやがや。
地震と津波の影響で、原発が壊滅的な被害を受けてしまったのは皆さんご存知の通り。計画停電等で関東全体がしわ寄せを受けていたり、東電が原発処理で醜態を晒しつづけているのも周知の事実だ。
そして、今回の事故を受けて、改めて原発の意義やエネルギー問題が議論として浮上してきた。ぜんぜんクリーンじゃないぞとか、作業員への手当がいい加減すぎるとか、放射線の影響はぜんぜんないorけっこうヤバいだとか。しかし、以下の発言のような方向にいってしまうのはどうなんだろう?
今回の異常事態で20世紀を貫いて絶対的な権威だった「科学」そのものが破綻した瞬間を日本社会は味わったのではないかと感じている。自分もその一人。今科学者や技術者が「問題は想定外だったこと。これから大地震にも耐えられる原子炉を設計すればいいまでのことだ」と言ったら…信じる?
死の影を見ず、コンビニエンスに生き、自然界がディズニー表現されている、いたって都合がいい、幼児的な宇宙に住む権利を捨てなければならなくなった。自然に謝って済むものではない。人格を超えた相手は管理できない。人間の「ごっこ」はあまりにも非力だったことがばれた。
呼吸法や坐禅だけでも相当に有効な洞察が得られるかもしれない。コンビニエンス社会はマスコミに意識を委ねるなど他律的な面が強調されるけど、便利さを捨てて自律的なライフスタイルへと徐々に切り替えていくというソリューションもあるかも。風力、太陽光以外に。
(ミュージシャンで作家、フォロワー1万5000人のモーリー・ロバートソンさんのツイート)
この手の「資本主義社会を見直そう」みたいな動きはあちこちで見かける。計画停電で都市機能が大きな影響を受けたが、そもそもこんなに電気を使う社会のほうがおかしいんだ。今の社会にある便利なものは、多くの犠牲に成り立っている。不便を受け入れて健全で質の高い社会を目指そう。
……みたいな意見。
なんだか「スローライフ」だとか「ロハス」だとかいった単語を思い出してしまう。どちらも自然志向のライフスタイルだ。競争に明け暮れるのはやめて、もっと価値のある食事に時間をかけようだとか、科学の発展で本当に価値のある何かを失ってしまっただとか、そんなような。要するに自然回帰。
そこまでいかなくても「経済を縮小させて云々」なんて言い出している人はごまんといる。
今回の原発事故を受けて、何でこんな発想になってしまうんだろう? おそらく、こういう人は元々ここういう考えを持っているんだろう。今回の事故から自然回帰的な発想に至ったんじゃなくて、「資本主義って何か嫌だな」「大事なものを失っているんじゃないか」って日頃から考えていて、安易に原発事故に繋げてしまっているんだ。
事故で問題だったのは津波対策をきちんとしていなかったことと、東電が隠蔽体質を発揮して泥沼に陥ってしまったことだ。そこで考えるべきことは、もっと確実な地震対策、津波対策はないのか、想定の精度をあげるにはどうすればいいのか、隠蔽体質に陥らないようにするにはどうしたらいいか、だ。
私には資本主義がどうこう言い出すのは、答えのだせない大きな話にして逃げてるようにしか思えない。
こういう人は何でもかんでも資本主義反対に繋げちゃって、貧しいアジアを見て「でも、ここには日本人が失ってしまった何かがある」とか言っちゃうのだろう。きみが感傷に耽っている数秒間に、水不足で死んじゃう人が何人もいて、それは科学の力で救えるんだけど。
もちろん、原発の代替案は探っていかなきゃいけない。でも、「昔に戻る」はとても安易な考え方だと思う。私には思考停止に思える。
元ネタ:モテる女子力を磨くための4つの心得 http://youpouch.com/2011/04/26/162331/
こんにちは、現代思想系文芸批評を専攻しているエス嬢です。私は形式論理も自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、現代思想に関してはファッショナブル。今回は、モテる現代思想系女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
あえて2~3世代前の人間観を持つようにしましょう。そして飲み会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく主体を過剰に根拠化してみましょう。そして「あ~ん!この主体本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「主体性とか詳しくなくてぇ~! ずっとコギト信じてるんですけどぉ~! 自律してるんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は生=政治を批判したがる習性があるので、古かったとしても構造主義的な人間観を持っているはずです。
そこで男が「近代的人間主義の客体化しないの?」と言ってくるはず(言ってこない実直な実証研究系の男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近アガンベンが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 本質としての主体欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなモダニスト★」と返します。すると男は「潜在性としての実存でしょ? 例外状態に集約されない共同体はまだ到来してないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんな<主体>幻想が欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでデカルト以降的人間観の脱構築に行けるというわけです。あなたの女子力が高ければ、男が文学における作者の死も宣言してくれるかも!?
「人間理性の限界」とか「理系コンプレックス」などを表現する「不完全性定理」をテクスト批評に入れると、男性ポストモダニストは「なんかこの子アカデミズムに回収されないなぁ」や「対象aかも」と思ってくれます。現代思想上では数学基礎論のイメージだけが都合よく曲解されて相手に伝わるので 「不完全性定理」 を多用することによって、男性はあなたをポストモダニストらしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対に自然科学者・数学者・論理学者・分析系哲学者に嫌われますが気にしないようにしましょう。
3. とりあえず男には「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておく
飲み会などで男が女性に話すことといえばポストコロニアリズムやフェミニズムの話ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇーそうなんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけどすごいんですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女伝統的な古典文学研究志向だな」と気がついてしまいます。学究の徒だとバレたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて、「えー! なにそれ!? 知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです。
いろいろと話を聞いたあと、「脱構築は正義で、テクストの外には何も無いんですね! 覚えたぞぉ! エクリチュールでメモメモ!」とコメントすれば常にあらかじめ差延が発生。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「デコンデコンデコン! デコンデコンデコン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私のロゴス中心主義をデコンストリュクシオンしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子脱構築そのものをも脱構築し続ける運動を動的に受容してるのかも!?」と思ってくれます。私は形式論理も自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、こういうテクニックを使えば知識を持たない私のようなバカ女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。
4. レストランではレディースセットを食べられない娘をアピールせよ
男とレストランに入ったら、真っ先にレディースセットなどの女性限定のメニューを探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんですっ><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だって、セクシャルマイノリティを排除するマッチョの論理じゃないですかぁっ! LGBTかわいそうですぅ! ジェンダーは社会的に構成されるのにぃぃ~(悲)。わたし実は男の娘なんですよ……」と身を震わせて言うのです。
その瞬間、あなたの女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の男の娘だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけレディースセットを食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「差別の暴露がむしろ差別を固定化/再生産する」、「男の娘はネット上では既に市民権を得た」と言っておけばOKです。
関係各分野の皆さんごめんなさい
「例外状態を実現する共同体はまだ到来してないよ」はおかしいのでは、という指摘がtwitterでありました。
というかそもそも「拡散希望」する人は、各人のフィルターを通した精査など受けない、まさに「それ自体が自律的な運動をともなって」いるかのような広がりを願ってんじゃないかな
つまりそこでは、「拡散」に加担する人間は「シェアする相手」とはみなされてはいなくて、単に伝達経路であることだけを期待されてるんだろう
というより響きが気持ち悪い。
どうしてこんな下品な言葉を乱用するようになってしまったのだろう。
とかで、いままで生きてきた中では前向きな使われ方を見てきたことがない。むしろ不吉なものを暗示する言葉の響きなのだ。
三つめに至っては「注意を拡散する」とかは、要は陽動であり、扇動であり、相手を出し抜くということだ。
だから、今回特に震災でツイートを「拡散希望」とかが大量に流れてくるのを目にして、これって用法違うんじゃないのとずっと違和感を感じていた。
とある。
つまり、それ自体が自律的な運動をともなっているということらしい。
これは、それを発した「者」の意図や意志に依存することなく、好き勝手に一人歩きすることを示してもいる。
コンピューターウィスルが自身のコピーを増やしていくことのみを目的とし、相手を選ばず様々な宿主を媒介にするように。
相手を選ばないという意味においてはデマもウィルスと相似している。
「拡散」という響きはその発した本人の意図に関わらず、言葉そのものが自己増殖していく運命を伴っている。
そこには発せられたソースの真偽の確度や意図された目的や意図の紐付けは後回しにされる、ということだ。
拡散自体がコピーは新たなコピーを量産するという自己目的化が強く作用するため、簡単に収束する術をもたない。
これね、例えば自分が信頼しているフォローした人が、「拡散希望」なんてリツイートしていて、もし自分にリテラシーが無かったら何も考えずにリツイートしちゃうかもしれない。内容なんて全く興味なくても。だってコピーしてくれって信頼している人から言われたら誰も断らんでしょ。思考停止の世界へようこそ、ですよ。
シェアはもう半分日本語と言っても差し支えないほど浸透してきているけれど、この言葉がもつ響きは拡散のそれとは真逆かもしれない。
拡散がまき散らして放置しているに対し、シェアは単に「分け合う」という意味だけでなく、「分かち合う」という意味も含んでいる。
つまりそこには発せられた者の強い肯定的な感情や意志、意図が働いている。決して発した言葉を放置しない。
そしてこれは常に同様の工程を相手に架してもいる。
つまり発したソースに紐付けされている意志を「分け合った」相手にも「分かち合う」作業を意図的に行わせる、ということだ。単なるリライトではなく、自分のフィルターを通すという所作を意図しているため、情報の確度が無意識に求められる。拡げて放置することのみを目的とせず、一人ひとりの情報精査が前提としてあるということだ。
信頼ある人から来たリツイートでも、その前にシェアするべきか否か自分のフィルターを通すという判断や作業が無意識に働くから、「拡散」のように無闇なリツイートというのは減るだろう。なぜなら「シェア」としてリツイートした情報というのは、自分という名のタグ付けがされた情報だからだ。逆に言えばタグ付けしたくない情報は「シェア」をしない。言葉の使い方ひとつで、不用意な拡散の抑止になるはずだ。
「拡散」という言葉を使っていながら「デマ」に注意しろという人は、車で練炭焚きながら一酸化炭素中毒には注意しろといっているようなもんで、なんかマッチポンプだ。拡散という言葉もにちゃんねらーから来たのをそのまま流用してしまってそのまま放置されているんだろうけれど、界隈の人も自己補正はちゃんとしてほしいよね。特に、言葉を使うプロ達が何も考えず「拡散希望」のリツイートを連発しているのは見ていてちょっと恥ずかしい。
中学生向けの発言だった。とするならば、QBには中学生に意図を伝えようとしていた。という前提が必要で
その前提は、一連の、意図を正確に伝えないことでミスリードを狙う。という事象と相反する。
では、『理解は出来るが、同意できない。』『能動的に受動的な嘘を付いている』というふうに書き直します。
大切な事は、意志があるか?ないか?という事で。
QBは能動的に、受動的にではなく行動している。という事で。能動的に動くためには、与えられた目的か、感情が必要。
しかし、与えられた目的(設定した目的)には、中学生に意図を伝えようという事は含まれない。
与えられた目的外の自律的行動をしていて、それは、意志というにふさわしく。
逆に、感情がないとするならば、非合理的な行動は一切取れない。
そもそも、あの場で、ワケワカンナイヨという発言をする 合理性は一切存在していない。
なぜならば、すでに、エネルギー獲得の合理的なトラップはできているし、レールに乗っているので、人間を理解する必要性が存在しない。
そうでないとするならば、ワケワカンナイヨと発言する合理的な理由が必要になるのですが・・・
感情が重要なファクターではないなら、どうでもよかったのですが
感情が重要なファクターになるなら、この点は重要な分岐点ですね。
あと、一般的に、理解出来ないものを理解するために、統計を使う。ノイズに対する統計取って物性を理解する。というのは科学の基礎的な方法の1つなので、QBにはできたはずなのです。よって、おまえさん、感情の物性は理解しているし、であるならば、自分たちが持っている種の保存の命題と似てい非なる物という所までは研究できいるだろと。高度な知的生命体なんだから。と。科学によらない、謎の生命体なら、また話は別ですが。科学によるというのなら、理解できるはず。
だとすると、彼らにも取り出すべき感情は存在しているので、世界のためというのは、ウソで。自分たちの保存のために、他の種族を利用した。という恐ろしく単純な図式だなと。
dankogaiも老いたな。
大人の社会では、「自力で答えを出す」というのは模範解答でも何でもない。
もしそれが模範解答だったら、アポロ13号の乗組員たちが生還することはなかった。実際のところは、ご存知のとおり。ご存知ないかたは映画を。三名がやったのは、"aicezuki"クンと全く同じ、問題を正確にヒューストンに報告すること。解いたのは、「地上の星」たち。空気清浄機一つこさえるのだって、地上で手順を細かく定めた上で、三名はそれに一つ一つ従っている。
自分の置かれた状況を理解し、正確に効率よく報告するためには、まず自分が乗っているフネについて隅々まで理解している必要があるし、その上で「ヒューストンに甘えない」自律性が必要だ。甘えや相互依存と信頼は異なるものだし、宇宙における過剰なチェックはその環境の特殊性によるものだ。世界最高とまで言えるハードなトレーニングを積んでいる宇宙飛行士を馬鹿にするにもほどがあるし、友人を馬鹿にされた自分としては怒り心頭であるよ。
甘えが前提になったらアポロなんて飛ばせるわけないだろ。第一ヒューストンの人材はどこから拾ってくるんだよ。NASAは知恵袋で答えを募るのか? だれがその答えに対して責任を持って決断するんだ? だれも口には出さないが、そこに待ってるのは「もっとも輝かしい命」の損失という恐怖だ(命の価値が平等だなんて寝言は聞かない)。事故が起きたときのヒューストンの様子の記録映像を見て、よく考えてほしい。
http://www.youtube.com/watch?v=LijS7XP4vp8
昔からこの人は科学技術(ITではなく)についてしゃべらせるとだいたい一面的な薄っぺらいものの見方をしていると思ったが、周囲をイエスマンで囲まれた「アルファブロガー」ってのはこうも衰えるものか。君が言っている「ソーシャル」ってのは「愚か者同士が褒めそやし、一時的な精神の安らぎを得る」だけに過ぎない。さも自分が「アメリカで渡ってきた」と言ってるような口ぶりだけど、言ってることすっごい日本的だよ。ムラの論理。
一応時代の淘汰をくぐってるからよ。
わりかしよかったものが残ってるわけ。
あと伝統が100年てのはさすがに舐めすぎだね。
町並みで言っても何百年。
日本の町並みは割りと歴史に敬意を払わない方だからヨーロッパなんかもっとすごい。
「死に対して何のセレモニーもしない」って人は少ない。
これは人間の自然な感情であって、そういうのの積み重ねが伝統だと思う。
たまにそういうのすら否定しよう無くしてしまおうと言う「革新」が現れて
ようするにカルトなんだけど、新興宗教だとか新思想の顔をとる。
一時期大きな顔をした左翼なんてのは「宗教は一切やめろー」なんつってたが
彼等の論拠は非常に浅はかな合理性だったわけ。
誰でも中学生の時に考える、「大人みんなが大事にしてるけどこれって無駄じゃん!」という思い付き。
「大多数が長年やってきたってことはどういうことだ?」と思い至るほどの慎重な思考や謙虚な見方もなくて、
かわりに「自分だけは凡人どもから飛翔したことを考えられるに違いない」といううかつな万能感だけがある。
彼等の隠し切れない自信過剰や自己愛、他人を見下したいという未熟な自意識が露出してるからでさ。
別に頭が良くもないのに自分は頭がいいと信じ込みたいって人が多い。
こういう人がよく考えずに広い相談もせずにものを壊しました、焼きました、殺しました、
っていうのがカルトの興亡にはよくある。
伝統は万能でも絶対でもないけど、とりあえず多くの人の間でセレクションを受けてるから
カシコイつもりの少数の傲慢バカの思い付きよりはベターであることがほとんど。
というかまあ
なんか伝統や保守を憎んでるような匂いがするもの、敬意が全く感じられないもの、
よく考えてないことが明らかだし、
人によっちゃただの個人的ルサンチマンを政治運動に仮託してたりする(これがいっぱいいる!)。
進取の心は勿論大事だけども
っていうのは煽りタイトルなんですが(一部界隈でホットなので、自らセカンドレイプをしかけてみる)
こういう事例というか、「自助努力が欠けているからそうなったんだ」という俗流自己責任を持ち上げる輩はわりといますね。
で、ちょっとトポロジーな類例をふたつばかり考えてみたので、ひとまず被害程度の問題を無視して、読んでみてください。
要するにこれは、レイプの話題で言えば「胸を露出させる服を着ているのが悪い」とか、「ひとりで夜出歩いているのが悪い」的な言説ですね。いじめられる側の隙を探して、いじめる理由に足るものを指摘して、「お前がデブでハゲでバカでフケ散らかしてるのが悪い」って話です。
レイプ含め、性犯罪を根絶することは不可能でしょう。同様に、いじめを根絶することも無理だと思います。起こってしまったときに、適切な対応と、理解を促すぐらいしか、方策はないように思います。
別方面でもそれなりに話題になりがちなテーマですね。よく「コミュ障だから内定がない」となかば自虐的に書き込まれるケースが多いですが、それ以外にも「社会人としての自覚が足りないからだ」とか「甘えてるからだ」とか、飛躍して「○○大学なら当然だな」とか、無い内定になるのにはさも当人に落ち度があるのだから当然という主張がまかり通っています。
学歴に依る差別は合理的なものだから、区別であって正しい、という主張をする人がまだまだ多いです。それを盾にして「だから低学歴は無い内定になって当然。今までの努力が足りないツケだ」と主張すること自体も正統的な目線で見られがちです。
そもそもの話として、自助努力というのは存在しうるのでしょうか。こういう場で使われる努力というのは「最適解」を前提にしています。つまり、努力しようがしなかろうが、当人にとっての最善の努力だろうが、実現しなければ「甘え」であり「努力が足りない」ということです。
性犯罪で例えれば「深夜にバイトをしないで生活できるように、最善の努力をしてこなかったお前が悪い」とか「努力せずに低学歴になったんだから、性風俗のような相応の産業で働いてあたりまえだし、その帰り道でレイプされてもどうせ売春婦なんだから一回ただ働きしたようなもんでしょ、適切な努力をした人はそんな事されない」とか臆面もなく主張してくるわけですね。
社内いじめが功を奏してクビになってしまったとしても、それは政治力のないあなたが悪い、とも言われてしまうわけです。
能力がなくてクビになったとしても、勉強する時間を創ってこなかったお前が悪いと、誰も取り合わないわけです。サビ残ばかりで終電帰宅な毎日でもね。
されたのが悪い、されたのはお前に原因がある。
努力すれば報いがあるのだから、報いがないのはお前の努力が足りない、というわけです。
負の努力をすれば負の報いがくるのだから、正の報いがないのはお前が負の努力をしているからだ、ということです。
先天的にせよ後天的にせよ、それを改善しようと努めないなら相応の報いを受けるのだ、というのは一見聞こえはいい(自分に火の粉は降りかからないから)ですが、弱肉強食に塗れたキケンな思想だと言わざるをえないでしょう。他責的言説が支持されないのはこういう背景があると睨んでいます(他人の因果がなぜ自分と関係があるのか!と思う人は多いんじゃないかな)
そして自分が喰われる側となれば「もっと努力すれば」とスーパーマンを期待し、
相互で相互のハードルを上げあって、互いに息苦しくなる(もちろん、この息苦しささえ「それはお前が弱いからだ」と言い切る人もいるでしょう)
自律意志を持たず、ひたすらルーティンワークをして錆止めの油(給与)を与えられるだけのサラリーマンを皮肉ったものとして。
しかし、すべての成員は歯車だ、と私は思うのです。どちらかというとポジティブに。
つまり自分が歯車として機能しているということは、他の歯車も機能しており、自分の馬力が他人に作用している何よりの証拠なのです。
すべての事象は、社会に参与するすべての人間に関係があるのです。
なぜ、熊森は生態系撹乱を無視してまでどんぐりを森に撒くのでしょう。
なぜ、我が国の文化はガラパゴスとして他国からCrazyと思われるのでしょう。
なぜ、起業しろと、起業ノウハウも金銭もない人間に主張するのでしょう。
すべてを理解しろと言っているのではありません。超人ではないのだから、私とて理解できないモノだってあります。
自己を律するのは勝手ですが、同じだけの律を他人に求めるのは不寛容です。
そして、できるだけ、すべてを包摂していくことこそが求められるべきです。
当方、完解経験あり。
鬱病の原因はキャパシティを越える恒常的なストレス状態だから、
直すにはまず十分に休息して、病気に罹るほど疲弊した神経を回復させないとどうしようもない。
だから、病気に罹る原因(自分の・あるいは環境の)を取り除かなければ、
何度でも再発する。うつ病の再発率が高いのはそのせい。
精神病薬って、それこそ統失みたいなガチのどうしようもない状況には有用なんだろうけど、
「心の風邪」であるところの鬱については、それこそ自殺の恐れがある中~重度鬱を除外すれば
「治った」と錯覚させて根治を難しくする効果しかない気がするんだけど、
薬には「その場しのぎ」以上の効果はない、ということを患者に知らせずに
薬を出し続ける精神科医には問題があるんじゃないかと思ってる。
SSRIなんて一見覿面にきくけど、実際のところ精神エネルギーの前借りみたいなもので、
ぱっと見の症状は減っても、服用を止めたら確実に(より酷くなって)ぶり返すのに。
とりあえず、患者の立場からは、薬じゃ鬱は治らないことは肝に銘じたほうがいいと思う。
薬で症状が軽減したからといって普段通りの負荷を掛けるのは厳禁。
薬は「直ったような状態」を作り出しているだけで、根本的な問題は一切解決していないから。
まずは十分に休養を取って、脳をギリギリ健康な状態まで回復させる。
次に、生活習慣や神経症的な性格を改善して、あるいは環境を変えて、再発を予防する。
そして、鬱症状は消えても、長年無茶させられた自律神経と神経は大体不安定になっているので、
その辺のバランスを改善する。これは継続的な運動や、生活習慣の改善が有効。
完治にはアホみたいな時間と自助努力、それに周囲の理解を要するけど、
そこを確保できなかったら薬と病院と一生のお付き合いになる、と思ったほうがいいよ。
定時ダッシュが基本だった去年とは打って変わって、
残業がわりと当たり前な毎日を送っている。
最近、定時になると胸が苦しくなる症状が出てくるようになった。
ズキズキした痛みはなくって、心臓あたりが圧迫されて正しく「苦しい」感じ。
耐えられないわけじゃないけど、体に異変があるのはどうにも不安になる。
家に帰ってのんびりしてると自然に治るし、
休みの日とかそうなったことがないから、やっぱり仕事のストレスとかなのかな?
単純に、オレの姿勢の悪さとかだったらいいんだけど…。
誰か似たような症状になった人がいたら何が原因だったとか教えて欲しいです。
※追記
トラバありがたく読ませてもらいました。
自律神経ってのは考えてなかったなー。
今の最悪な気分を置いて、どこか遠くへ逃げ出してしまいたい。
手の届く範囲の中で、恐怖の対象を見てみぬフリをしながら、ウロウロウロウロと同じところを何度も歩き回るような。そんな繰り返しはもうたくさんなんだ。
溶けて無くなりたい。今の不安感さえ消えれば全てが上手くいくようにすら思う。今を逃れたい、今を逃れたい、今を逃れたい。
結局それすら・・・今までの繰り返し・・・
逃げに逃げた結果、今ここにいるんじゃないのか?どこにも動き出せず、恐れと向き合うことも出来ずに、入り江の中で浮かんでいるだけ。自律的な意思などないのだ。アクションはない。俺の行動は全てがリアクションだ。進んで問題解決をするわけではなく、追い詰められた後、埃のついた汚い選択肢を渋々選び。終いには、文句と言い訳しか残らないのだ。
ずーーーーと、ずー-ーーっと、同じ所をグルグルグルグル・・・飽きもせず・・・繰り返す。
情けない。申し訳ない。嫌だ。どこかへ飛び出してしまいたい・・・そう・・・何も進んでいないんだよ。
いま考えれば、宮本みち子の「若者が『社会的弱者』に転落する 」(洋泉社新書y)は、2002年の出版だから、2004年に刊行された玄田有史の「ニート-フリーターでもなく失業者でもなく」(幻冬舎)よりも早かったのだな。
宮本みち子「若者が『社会的弱者』に転落する 」(洋泉社新書y)2002年
■目次
パラサイト・シングル論――九十年代
フリーターと未婚現象
親と子の果てしない逡巡
真の危機とは何か――若者がなだれをうって社会的弱者に転落する
【経済】
教育費が強める親子の絆
若年vs中高年の経済格差が広がる
【心理】
「大人」の定義が変わった
お互い結婚したくない男女が増えていく
パラサイト・シングルはどこへ行く
親子関係を支える基盤の崩壊
家庭の教育力は低下しているか
友達親子という困難
親子関係を変えた家庭経済
消費だけがとりもつ友達親子
友達親子に未来はあるのか
長期停滞時代の若者の選択
からっぽの高学歴社会
自立を「シティズンシップ」で計る
が、メリットはあるが、デメリットもある点を無視するのがオカルトだ。
金融緩和や財政出動のメリットを無限大に設定し、デメリットを無限小に設定しているのではないかというリフレ派がよく観察される。
その2つとも時期と金額を限定して行われるものである。永久に何兆円でも とか、効果が出るまで とか論外だ。
まず時期を限定する為に
を自分の中で決めたほうがよい。指標のないまま、マスコミの言うまま、他のリフレ派が言うままに流されないほうがよい。
経済成長率がプラスの今、金融緩和や財政出動を許したら日本の自律的回復は無いだろう。
>
>あと解雇規制緩和や消費税引き上げ法人税引き上げを魔法の解決策であるかのように言う人もうじゃうじゃいるような。
それらが高じて、唯一の解決策と説き、陰謀論が出始めたらオカルトカルト化してると思ってよい。
「実データを向上させて成長しようとせず、一発解決を望む」
は勉強して基礎学力を上げようとせず、お薬で合格しようとする姿勢と同じ。
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8-22 11:29追記 下ツリーで政策金利の上げ下げ論争になってますが、ここでの「効果が出るまで」は「効果が出るまで何兆円でも」の略です。
政策金利については、金利を下げる事が緩和 上げる事が引き締め 金利そのままは金融政策維持 です。
なので政策金利の場合の「効果が出るまで」緩和を続けていると現在マイナス金利になっているでしょう。
「好況デフレ下で政策金利を上げる」ことの是非は面白い問題だけど
『心理的な期待を重視し、実データを無視して潜在成長率の低くなった日本の惨状を認めず、悪の団体が日本を苦しめている』のリフレ派傾向
10年以上、不眠に悩まされてきた。
だが腰痛を起こしたのをきっかけに、整体に通うになったら、眠れるようになってきた。
整体師に聞いてみると、体ががちがちで自律神経が休まらない体だったそうだ。
つまりこんな感じ。
体が凝る(1)
↓
自律神経が休まらない
↓
副交感神経が働かない
↓
眠れない/眠りが浅い(※)
↓
体が休まらない
↓
肩が凝り体がだるくなる(2)
↓
(1)~(2)の負のスパイラルに陥る
↓
やる気がなくなる
↓
何もかもが嫌になる
↓
心の病なんじゃないかと思い始める
↓
鬱になる
↓
自分は眠れないと思い込む
↓
何をしても眠れなくなる
↓
もうダメだ
睡眠剤は、眠れない/眠りが浅い(※)を対処療法的に解消するだけの物でしかない(のではなかろうか)。
だから(※)が解消されても、そもそもの原因である「副交感神経が働かない」という部分の解消にはなっていない。
したがって睡眠剤の服用は一時しのぎにはなっても、根本的な原因は解消されず、不眠が治らなかったのではないかと思う。
(自律神経失調症にしても、心の入れ物である体の不具合が治らなければ、どれだけ薬で対処しても、根本解決にはならないような。
一方整体に通うことによって、体の凝りがほぐされ、自律神経の動きが回復し、副交感神経も働くようになったことで、不眠が解消されたように思う。
ということで、不眠とか鬱って、心の病と思われてるけど、そもそもの原因って本当にそこなんだろうか、と疑い始めてる自分がいる。
精神が参ってしまう根本原因は、必ずしも心や気持ちといった曖昧模糊としたものではなく、
「身体の不調」という物理的な原因であることが多いのではないだろうか。
色々くよくよ悩むことが多いと思うけれど、そういうときって睡眠不足だったりしない?
それに気持ちが重くなるときって、大体、肩が凝ってたり、体がだるかったり、首が痛かったり、頭が重たかったり。
ということは、逆に考えれば、「ちゃんと眠れて」「体が快調」であれば、気持ちも軽くなって前向きになれるってことではないだろうか。
もちろんそれだけではないかもしれない。
でも、もし不眠だったり、気持ちがダウンしてしまったら、まずは身体の不調を解消することを考えてみてはどうだろう。
簡単なところでは、ストレッチして全身の筋肉をほぐしたり、全身をマッサージしたりつぼを押してみたり。誰かに頼んで肩を揉んだもらうとか。
スーパー銭湯とかいって、大きな湯船に使って、体をリラックスさせるとか。
ただ、ほんとに深刻なら、多少の出費は覚悟しても評判のいい整体院を探して、通院してみることオススメする。
体バキバキやる系ではなく、体の奥の筋肉をじっくりとほぐしてくれるようなところがいいかも。
ここまでしてもダメなら(上記以外にも寝具など睡眠環境の改善も見直したほうがいいかも)、
初めて精神科や心療内科にいって、薬を処方してもらうとかでもいいのではなかろうか。
何より「薬に頼る」ことの後ろめたさ、敗北感は、結構心に響く。
なのに、眠れないから、欝っぽい、ということで、すぐに心の問題としてそちらに頼ってしまう人が多い気がする。
そして根本的な解決にいたらず、どんどん深みにはまっていく人が。
現に自分もそれになりかけてた。
テレビやモニタ、携帯電話など、目の疲れや肩が凝りやすい環境に囲まれる人が多いと思う。
最近「不眠」「鬱」で悩む人が増えているのも、実はそこなんじゃないかと。