はてなキーワード: 眼鏡とは
例えばときメモの眼鏡がエンディングでコンタクトに変更する奴とか、通常の恋愛では恋をしたからコンタクトはよくある事だしいじらしいが、二次元キャラの場合は私が君を好きになった理由の八割が眼鏡なんだからそこをわきまえろと思うし、ボーイッシュな女の子や男の娘が女の子や男の子らしくなるのも、ちょっとしたギャップ萌え程度ならいいけど髪型まで変わるレベルになったらもうダメだ。
70年代生まれ。♀。身長161センチ、ややぽっちゃり。大学(理工系)卒。結婚歴なし。
自分で言うのもなんだがちょっとツンケンとした美人系だと思う。
昨年末に大病を患い仕事をやめ実家に身を寄せている。うまく言えば「家事手伝い」。
病気はどうやら寛解一歩手前までたどり着いたものの、通勤は不可能。
同じく大病を経験した友人に打ち明けたところ、
一行だけ
とだけ送ってくるヤツが結構いる。
大抵そういうのはプロフィールも貧弱で、どこから話のとっかかりをつかめばいいのかわからないレベル。
それでもこちらは返事を返す。丁寧な文面を考えてね。
「僕は日本語が下手なので文章は書けません! とにかくおつきあいして下さい! よろしくお願いします!」
と返事が返ってくる。お前はオウムか?
それで「あなたが書いたプロフィール以上のことを私は知りたいんです。あなたのことを聴かせてくれませんか」
それも、サイトの標準装備でお断りの文面を生成するサービスがあるので、
だいたい6〜7行ある、よく練られているけど慇懃無礼な定型文が返ってくる仕組み。
いっそ最初に送るメールも自動で文面を選べる機能にしたらどうだ?
ここまでひどくなくても、こっちは「身体が弱いのでスポーツ系の活動はできません」
「一緒にフルマラソンに出ませんか」
とか書いてくる奴もいた。もうこの時点で泣きそう。
いきなり初対面(というか、顔すら会わせてない)人間に、
「ボッティチェッリ展を観に行ってそのあとラブホテルに行きましょう」
ほかにやりとりが続いた例としては、なんとなく流れでこちらは今日起こったことを書いているんだけど、
返事が
「なるほど、それはよかったですね(^^)」
といつも返ってくる。いつもこの1行だけ返ってくる。それでも眼をつぶってた。
ある日
と書いたら
「なるほど、それはよかったですね(^^)」
ときたもんだ。即座にお断りしました。自動生成ではない文面で。
プロフに「LINEは使っていません」と書いていたんだけど(単に嫌いで使っていなかっただけ)、
そうしたら、いちにちの半分くらいLINEに費やす状態になってしまった件。
「どうしてすぐ返事をくれないの?」
とか、お前はほんとうに30代(それ以上もいた)か? と文句つけたくなった。
こちらもだんだんすり減ってきて、LINEのIDを携帯電話の契約ごと解除して、
それ以降知り合った人間とはGmailで遣り取りをしたんだけど、
バイトの休憩時間にメールチェックしたら40通以上メールが入ってたときも。
Gmailはやめとけ。
それと、上で書いたディスコミュニケーションは「ほんの序の口」だと思ってね。
あ、あとソメイヨシノには気をつけて。男女ともに。
気をつけていても引っかかりそうになる。それくらい多かった。
みんな案外親切にしてくれて、
色眼鏡で見られる、と思っていたけど、そんなことはぜんぜんなかった。
何度でも繰り返すけど、ヤリチンでも童貞でも普通にパートナー居たり居なかったりは概ね関係ない。人の話をきちんと聞けない奴は聞けないと思う。
仮に童貞が人のというか女性の話を女性だからといって軽んじる差別野郎が多いのだとすると、それは男性であれば強くあれなど童貞であるということを軽んじる社会からの圧力に屈している部分があるんだろうと思う。
あと長くも短くもない半端な自分の人生で見てきて思う事だけど。社会に色濃く残る男尊女卑のマッチョな文化・慣習に晒され味わい慣らされていくと、被差別者カテゴリーの女性などを差別者の色眼鏡のとおりであるというように見えるようになっていく傾向があるし、ものの見え方こそそう違わなくても、男性様の「特別待遇を享受出来るはずの男性という地位」にいるという事に慣れていく。特別待遇を受けるべきの地位にいることを当人は無意識にでもそれなりに経験を積んでいるので、女性ほかに厚遇されない、持ち上げてもらえない、まして被差別カテゴリーの者と同等に振る舞われたりする事は、男性である自分を軽んじられている・脅かしにきていると感じるようになったりする。もちろんそれは程度のごく軽い人もいるだろう。
今回のあの増田は、自分には繊細ヤクザにも程があるとしか思えないが、ブコメトラバからすると男性属性の人々にはそう違和感の大きくないものであるようで、それに関しては驚かないがその感性ではないと思っていた人がそうであると、自分勝手に思い込んでいただけであるけれど少々ショックだ。
お嬢様キャラとかゾンビとか男子&女子高生の制服だとか、イケメンの髪形や性格や台詞とか、眼鏡キャラとか、とにかく現代の漫画作品では類型化が甚だしい。
何かみえざる暗黙の「ルール」に基づくキャラクター作りや設定作りが蔓延していて、その「ルール」の中での成績の良さを競っているかのようだ。
気を衒っているかに見える漫画でさえ、キャラや展開にいつもの「ルール」が見え隠れする。
敢えて時代を限定すると、2004~2005年ころ、メイドブームの成熟期からこの傾向性が高まってきたような感覚がある。印象論だけどね。
「メイド」の「ルール」が蔓延し、他の記号の「ルール」もこの後あまり時をおかず普及した。あとツンデレとかもこの時期だよね。
時代の変化ってのはグラデーションなんだろうけど、それじゃあ書いてて面白くないから、あえて一つの画期を示したぞ。
本当は昔から「ルール」はある。ジャンプの新連載の1話目なんて、伝統芸能かと思うほどに構造が定形的だ。
もちろん、これは漫画と言うジャンルが成熟した証左だと言えるのかもしれない。類型化したキャラの方が解りやすく、人気や売り上げに繋がるのかもしれない。
私はコミックスで言うと既刊含めて年間3000巻くらい読む。こうした「ルール」に違和感も感じながらも、自分がかなり「ルール」に馴染んでいるともまた感じる。
「ルール」は漫画の基礎的なリテラシーと関連する部分も多いから仕方がないのかもしれない。
けれどそれじゃあ、「ルール」が強すぎる昨今じゃあ、絶対的な革新は起こりにくいのかもって思う。「ルール」内での洗練は起こっても。漫画と言う文化と言うか振る舞いが100年先に延命できるような革新。これは起こりにくい。
サッカーではハンドしちゃいけないのだけど、実は漫画ではそれは可能だ。ただしハンドを押し通すための実力が必要だが。逆に「ルール」に従うのは楽っちゃあ楽なのだ。
一時期、ウェブで無料で見られる漫画こそが「ルール」を逸脱あるいは超越しうる存在ではないのか、と思っていた。
だが最近、ウェブで個人的にやっていた漫画が雑誌の企画になっていったり、あるいは出版社がウェブマンガ部門を建てることが一般化した。
ウェブの在野の漫画と、商業に乗る漫画とがインターネットの歴史の中で距離を縮める結果になった。双方歩み寄った。
ということでウェブで無料で見られる漫画も、そのほとんどが今は「ルール」のなかだ。
それでもちろんいいんだけど、じゃあウェブで、タダで、個人的に表現する意味って何なのだろう? とふと思う。
私は「ルール」があっても愉しい。愉しめる。だから「ルール」だらけでもいい。だけど「ルール」は変転していってほしいと思う。そうでないと漫画は未来に残らない。
連歌なんかがそうだと思うんだけど、「ルール」が多すぎる。だからどこかで途切れて、今は誰もやってない。現代ではカラオケで「○○しばり」とかして意味的に繋がりのある歌を歌うばかりだ。
ここはたまに見てたけど、自分で何か書こうと思ったのは初めてだ。
家から二、三歩歩いたところで、行く手に人が立っているのに気づいた。
黒っぽい格好をした眼鏡のおっさんだった。満面の笑みを浮かべていた。
おっさんのズボンのファスナーからは褐色の長い物が出ていて、扇風機のようにぶんぶんと上下左右へ躍動し、旋回していた。
それが何だったのかは今でもはっきりとはわからないが、冷静に考えるとたぶんおっさんの性器だったんだろう。
そのおっさんに目がひっかかって、脳が理解した時、一瞬で目の奥、肩、全身から温度が抜けていった。
普段自分の体を取り巻いている自分の分の空気が一気に冷えて、薄っぺらい膜に凝縮されて、自分の体全面へと頼りなくぴっちり張り付いた。
そのおっさんから発されている空気が、その薄皮一枚だけを隔てて自分を圧し潰してくるようだった。
喉が鈍痛で詰まった。
その圧迫だけをただただ感じさせられながら、目をおっさんからもぎ離して、連れていた犬の方へと動かした。
犬は普段通りに体をゆらして呼吸をしていた。
反射的に口が動いて、犬に「行くよ」と声をかけて、そうしたら足も動かすことができた。
私はおっさんから努めて目を逸らし、犬の背中の毛並みと、動く肩甲骨を見ながら、笑顔のおっさんの脇を通り抜けて、普段通り散歩コースの道へと歩き出した。
他のことを考えるような余裕はなかった。
振り向いて確認はしていないから本当のことはわからない。でも動く気配はなかった。
散歩コースを何周かしてからゆっくり家の近くに戻って、何度もおっさんがいないことを確認してから、家に入った。
家族に話すことも、誰かに通報することも考えなかった。そういう発想がなかった。
今でもそうしようとは微塵も思わない。しないことは自分のために正しい判断だったと思っている。
社会的には正しいわけはない。おっさんに何がしかの制裁を与えるチャンスも失った。
でもそれ以上自分の何か、自分を構成する何かの一欠片でも、あれのために損ないたくなかった。
友達には一度この話をしたことがある。
女子のグループのおしゃべりで、他の子が痴漢にあった話をするのを聞いて、私もこの話を笑い話風味にして吐き出した。
でも未だにこの思い出が、腹の中を時々渦巻くことがある。
あのおっさんに生殺与奪を握られたと思った瞬間を、この先も私の脳は多分しつこく覚えてい続けるんだろう。
その暗い予感が本当にいやだ。
私のこの恨みはどこへ持っていけば捨てられるんだろうか。
ここまででもう体力を使い果たしたから、もう一個の思い出は最低限吐き出したいことだけ書く。
帰る途中で知らないおっさんに声をかけられた。
瞬時に上述の思い出が頭をよぎって恐慌状態に陥ったが、ともかくしどろもどろにでも断った。
するとそのおっさんはこうのたまった。
「お前なんかね、高校生じゃなくなったら誰にも相手にされなくなるよ」
こっちは今なら言える。ふざけんな馬鹿野郎。大嘘つき。ブーメラン野郎。何とでも思い浮かぶ。
こっちの恨みはもうそろそろ痛くなくなりそうな気がする。
いつしかこれらの思い出は、ネット上で嫌でも目に入る熾烈な女叩きと化学反応して、よくわからないことになった。
普通に男友達とも話せるし男の人と恋愛もする、ネットで男叩きもしない。
でも男の人から少しでも一方的に性的な好意を向けられたと感じると、それが例えどんなに仲の良い男友達であっても気持ち悪くて即縁を切りたくなる。
男の人とハイタッチとかした後、反射的に手を拭ってしまうくせも、とても失礼なこととはわかっていても直すことができない。
ネットの女叩きをたまに回避しそこねて、品性下劣な文章が目に入ってくると憎悪に燃える。スルーすることができない。
今まで長いこと憎しみを抱え続けてきた。
もうそろそろ楽になりたい。戦う気力はない。それはよくないことなのかもしれない。
書き終わって思った。
父親の仕事柄、眼鏡の話を小さい頃から聞かされてメガネが好きだ。
だけど、これまであからさまにメガネの話をする人を見たことがない。
ビジネスな感じの場所でオフィスワークのバイトをしていても同じだ。
保育園の話で騒いでいる当事者にとってもメガネはツールなのだろう。
家のメガネがなくなって父が苦労していた時は、些細なことで自分は怒鳴られた。
父がメガネを他の人よりも持つようになってから、静かになった。
そして、千載一遇のチャンスが来ている。
小さい頃から患っている、どうにもならない持病もメガネではどうにもならなそうだ。
恐らく、容姿がマトモだったら自分もメガネはツールなのだろう。
ツールでどうにでも出来ないことが一番救いがない。
とりあえず自分は整形は出来るか調べるだった。