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はてなキーワード: 法則とは

2019-09-16

anond:20190916133644

弱肉強食」と「自然淘汰」は関係ないぞ。

弱肉強食」は食物連鎖の話であって、その中で淘汰されがちなのは、むしろ食物連鎖の頂点の方。たとえば、オオカミやトラやライオンオオワシ絶滅したり絶滅危惧種だったり。一方、食物連鎖の下の方にいるウサギネズミなんぞは一向に自然淘汰されそうな気配すら無い。

あと、よく勘違いされがちなのは強者生存法則」とかいう言い方。そんな法則は無い。あるのは「適者生存法則」。環境に最も適応したものが生き残る。

強大な恐竜たちは滅び、環境適応したウサギネズミの仲間の哺乳類たちは生き残りましたとさ。

2019-09-14

一生に一度は飲んでみたいもの

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ネタじゃなくマジで

どんな飲み物なんだろうって思うと夢が副ラミングの法則

2019-09-13

anond:20190913204849

おまえ、自分より貧乏な奴が破産したのを見たことあるか?

それより金持ち破産したり大企業倒産したりするニュースのほうが遥かに多いやろ?

そこから金持ちのほうが破産やすい」という法則が成り立つんや。

これぞコペルニクス的転回ってやつやな。

anond:20190912185940

この増田の使い方をいまいち知らないゆえ、違う場所に先日言及しちゃいました。田中慎弥うんぬんを書いた者です。田中氏は源氏物語を何度も通読し、川端康成三島由紀夫らの小説を何度も完読したと言います自分源氏物語など読む気さえ起こりませんが、田中氏のように、古典を何度も通読さら川端三島小説を何度も完読することにより、自然と体内に「文学脳」みたいな才能が堆積されたと推測します。たとえばブログ小説や、他人文章を読めば読むほど(インプット)、ブログに書くネタアイデアが次々に生まれる。アウトプット)。逆にアウトプットが続くと、書くネタが先細る。インプットアウトプット関係というか、法則重要だと思います。でなければ、工業高校出身田中氏が芥川作家になったには、それなりのインプットがあったからこそ。と自分確信するのです。ちなみに自分文学賞たるもの、いつの日か獲りたいと夢見た過去がありますが、自分の中にいわゆる「文学脳」とは無縁と自覚し、あきらめています。賞へのチャレンジ勇気すらありません。一次で落ちるに違いないと。。自己満足ブログ小説で終っています。まとまりのない駄文すみません

2019-09-11

anond:20190910102136

10万人でむかえといったミンス万年野党に転落して、国民をいたぶる自民党がずっと与党

日本国民はMで苦しめば苦しみほ快楽を感じる国民

から災害からと手を差し伸べたらその政府は転落する法則

2019-09-10

スタイリッシュの作り方(仮説)

スタイリッシュ

絵とか音楽とかダンスとか、

どうやったら作れるんだろうかと思った。

  

①全体のザックリな構造物に、小さな主体というギャップ

 全体的にモッサリというか、おおざっぱな風景の中に、

 例えばキャラがいて、細かく動いている。

 だいたいこういうのはスタイリッシュな感じになりそう。

  

②成立するか微妙物理法則に従って軌道を書く

 ダンスなんかこのタイプが多い。

 そんな運動できるかな?っていう運動を、素早くやる。

 一瞬、戸惑う。そんな動きできるのか、脳みそが追い付かないから。

 これがスタイリッシュを感じさせているように思う

  

う~ん、どうだろう。

色は、白黒だったり、カラフルだったりで、余り関係ないっぽい感じもする。

2019-09-08

anond:20190907232237

武器名前ねぇ。

アイアンソード→”形容する。鉄塊、と”

炎剣リオレウス→”燃えよ。世界は命じた”

ミラアンセス→”最終警告。法則崩壊

武器名前からといって、名詞である必要はない。文章、あるいは単文でいい。

これは数年前から各社開発部にメール提唱させていただいてるんだがねぇ。

まあ、素人さんの意見を”使わせていただく”のは「ぷらいど」が許さないってか?

やれやれ

2019-09-07

anond:20190907223050

武器名前からといって、名詞である必要はない。文章、あるいは単文でいい。

勇者の剣→”最終警告。法則崩壊

戦士の斧→”形容する。鉄塊、と”

行動主義心理学10分で理解する

はじめに

行動主義はJ.B.Watsonが最初提唱した心理学哲学だ。この哲学は、現代では下火のように見なされてたり、あるいは棄却すべき対立仮説のように扱われることが多い。

しかし、実際には認知心理学者、あるいは認知科学者が槍玉にあげる行動主義は、誤解に基づくものか、そうでなくても「その行動主義自称している行動主義者は現代はいないよ」と言わざるをえないような藁人形論法であることが少なくない。

そこで、行動主義誕生から現代的な展開までの歴史について、ごくごく簡単にまとめてみようと思う。

Watson の行動主義

行動主義は、Watson が 1913 年に提唱した。

Watson の基本的な主張は、ご存知の通り「心理学対象客観的に観察可能な行動に限る」というものだ。

当時の心理学は Wundt の提唱した「内観法」を用いて人間の持つ「観念連合」を記述する、というものであった (余談だが、内観法は単なる主観報告ではない。これもよくある誤解である。Wundt の提案した心理学は、繰り返しの刺激に対し、同じように報告するよう徹底的に訓練することにより、人間の持つ感覚の組み合わせについて首尾一貫とした反応を得ようという研究方針である)。

Watson が反対したのは、Wundt の方法である人間自己報告」を科学データとすることである。それに代わって、刺激と反応という共に客観的に観察可能事象関係研究対象とすべきであると主張した。Watson は Pavlov の条件反射概念を用いれば刺激–反応の連関を分析可能であるし、人間の持つ複雑で知的な行動も刺激–反応の連鎖に分解できると考えた。

また、情動や愛のような内的出来事は、身体の抹消 (内臓筋肉) の微細運動から考察された。Watson の心理学が「筋肉ピクピク心理学」と揶揄される所以であるが、現代身体性を重視する心理学認知科学を考えると、(そのまま受け入れることはできないにせよ) あながちバカにできない部分もあるような気がする。

さて、認知心理学者、認知科学者が批判するのは多くの場合 Watson の行動主義である場合によっては、次に登場する Skinner と Watson を混同して批判する。

注意しなければいけないのは、Watson の行動主義立場を取っている行動主義者は、この地球上にはもはや存在しないという点である。従って、Watson 批判歴史的な批判以上の何物でもなく、現代科学議論ではない。

では、行動主義を自認する現代研究者が寄って立つ立脚点は何なのか? その鍵になるのが、Skinner の徹底的行動主義である

Skinner の徹底的行動主義

Skinnerは、Pavlov の条件反射を「レスポンデント条件づけ (いわゆる古典的条件づけ)」、Thorndike の試行錯誤学習を「オペラント条件づけ」として区別し、概念、および実験上の手続きを整備した。そのためあってか、Skinner は20世紀で最も影響力のある心理学者 1 位の座についている。

Skinner は、科学目的を「予測 (prediction)」と「制御 (control)」とした。ここでは説明しないが、そのためにの強力な武器として概念としては「随伴性 (contingency)」、方法論として「単一事例研究」などを導入した。 彼の心理学は他の心理学とは大きく異なる用語法、研究方法を持つため、「行動分析学」と呼ばれる。

徹底的行動主義では、Watson が扱ったような客観的に観察可能な「公的事象」に対し、「私的事象 (ようは「意識」のこと)」もまた、同様の行動原理によって説明できると主張した。つまり、内的出来事も「行動」として捉えられる、ということだ。文字通り「徹底的」に行動主義なのである。実際に、Skinner の著書の中には「知覚」「感じること」「思考すること」といった、内的な事象についての考察も多く、それらは行動分析学重要対象であるとはっきりと述べている。

逆に Skinner が反対したのは、「心理主義的な説明である。心的な活動実在するし、それ自体研究対象ではあるが、「心的な活動によって行動が駆動される」という因果的な心理主義に対しては、Skinner は反対であった。つまり、「原因としての心的概念」の導入に反対したのだ。この点を間違えると、Skinner を完全に誤解してしまう。

ただし個人見解としては、行動分析学ほとんど顕在的な行動以外実際には扱っていないし、扱うための具体的な方法論を発展させてもいない。そこに関しては批判を免れないとは思う。

行動分析学の他に重要な特徴として以下の 3 つが挙げられる。

(1) 「反応」を運動パターンとして定義するのではなく、「どんな結果事象を引き起こすのか」から定義する機能主義
(2) 人間の営みを超えた真理探究ではなく、行動の予測制御という現実的有効性の上昇を目指すプラグマティズム
(3) 仮説構成体・仮説群から研究演繹するのではなく、実験結果から法則抽出する帰納主義

なお、帰納主義については「え?でも科学って演繹帰納の両輪で回ってるんじゃないの?」と考える人いるかもしれない。

Skinner は「行動について我々は知っているようでまるで知らない。そのような若い科学にはまず、具体的なデータ必要なのだ」と考えた。そのため、Skinner は環境 (刺激) と反応の間の関数関係データの蓄積を重視した。

まりあくまで当時の知的状況を鑑みての方針だったということは重要な点だ。

ちなみに、Skinner は自身の徹底的行動主義区別するため、Watson の行動主義を「方法論的行動主義 (methodological behaviorism)」と呼んでいる。

また、次に述べる Skinner の同時代の行動主義も、同様に方法論的行動主義とまとめられることが多い。

Skinner と同時代の行動主義 (新行動主義)

Watson のアイデアを発展的に継承したのは Skinner だけではない。

ただし、Skinner 以外の新行動主義に与している研究者は、現代には皆無なので、あくま歴史的な展開として捉えるべきである

Guthrie

Guthrie は刺激と反応の間にできる連合は「時間的接近」によって生じることを述べた。また、Hull や Tolman と異なり、心理学研究対象客観的に観察できる行動に限定すべきであるという姿勢は堅持した。

Hull

Skinner と大きく異なる点として、Hull は「仮説構成体による演繹」を重視した。「習慣強度」という潜在変数を導入したモデルを考案し、その潜在変数挙動の変化により行動の予測に挑戦した。

Hull の研究問題点は、いたずらに潜在変数いくらでも増やせてしまい、理論肥大化する危険はらんでいるためである特に Hull や Skinner の時代は、行動に関するデータがまだまだ少なく、行動研究には強固な地盤がなかったのである。Skinner は「理論必要か?」という論文理論研究批判していているのだが、Skinner が批判たかったのは Hull の心理学だったのである

Tolman

Tolman は刺激と反応の間に「仲介変数」を導入した心理学者だ。いわゆる S-O-R の枠組みである。彼は「潜在学習」の研究によって、「学習」と「成績」は必ずしも一致しないことを見出した。そのことから、刺激と反応の間には、それを仲介する隠れた変数がある、と考えた。

Tolman からすると、「感情」「期待」といった内的な出来事も、刺激と反応の間に存在する仲介変数である

現代視点で見ると、認知心理学下地になるアイデアを提出したのが Tolmanだ。

ところで、Tolmanと地続きである認知心理学もまた、徹底的行動主義立場からすると方法論的行動主義立脚した心理学である。そう、私たち現代心理学徒のほとんどは、意識せずとも方法論的行動主義なのだ

なぜか?認知心理学でも、公的事象と内的事象を分ける。内的事象には直接アクセスできないので、公的事象の「操作」と計測を通じて内的事象研究をする。公的事象操作 (実験条件) を通じて、内的事象定義を行う。これは、Stevens-Boringの「操作主義」と呼ばれる。操作主義では、操作と計測の対象公的事象であり、内的事象については「研究者間での合意」に基づいて議論される。つまり、例えば「この条件によって反応時間に変化があったら、作業記憶に影響があったということにしようね」というのが、研究集団によって暗に共有されている、ということだ。これが、認知心理学が「方法論的行動主義」と呼ばれる所以である

Skinner 以降の展開

1980年代以降、Skinner の弟子筋の研究者たちの間で、Skinner 以降の行動主義を巡って、研究方針多様化しつつある。その中でも最も影響力のある 3 つについて、簡単に紹介したい。

Heyes の機能文脈主義

Skinner の行動分析学プラグマティック科学であると言われているが、実は Skinner 自身は表立ってプラグマティズムに述べていたわけではない。例えば、近い時代を生きたパースジェームズデューイを直接引用して主張を行なっていたわけではない。一方、Heyes の機能文脈主義の特徴は、Skinner の徹底的行動主義の持つプラグマティズムをより明示的に推し進めた点にある。

Skinner は心的概念を導入することを否定した。私的出来事 (内的過程) は外的な行動の原因ではなく、それ自体独立した行動として捉えるべきだと考えたためだ。また、心的概念による説明は、行動分析学目的である予測制御寄与しないと考えたことも一因である

Heyes の場合、そのような概念でも、予測と変容 (influence) に寄与する場合は、十分に有用であると考える。

具体的には、「態度」を測る質問研究が好例だ。質問紙で測る「態度」は Skinner であれば「質問紙に回答行動」として見なされる。しかし、Heyes の場合「そのような研究問題点は、測ったところで、実際の行動を変容させるための操作変数が同定できないことだが、最終的に行動の予測と変容を目指すという目的がぶれない限り、足がかりとしては有用である」と主張する。

このような、伝統的な行動主義比較してある意味で軟化した態度を、Heyes は「行動主義心理学自由主義化」であると述べている。

少し脇道に逸れるが、Heyes は行動の「制御 (control)」とは言わず、「変容 (influence)」と表現する。これは、「制御」だと決定論的に操作できる印象を受けるが、実際の行動には確率的な変動性が必ずついてまわるため、表現を柔らかくする意図である

また、機能文脈主義では、研究の真偽の真理基準にも明示的にプラグマティズムを導入している。

行動主義科学には必ず目的がある (多くの場合、それは現実問題解決と結びついているが、そうでないものもある)。Heyes の標榜するプラグマティズムは、目的にかなうかどうかが、研究の真偽を決める、ということだ。

これは、「うまくいけばなんでもok」という主観主義ではない。問題解決としての科学として、発見というよりは創造プロセスで知見が生まれるということだ。ただし、解決されるべき「目的」の方はどうしても恣意的にはなってしまう、と Heyes は述べている。

Baum、Rachlin の巨視的行動主義

巨視的行動主義の特徴は以下の 2 つにまとめられる。

(1) 分析単位として「随伴性」ではなく「相関性 (correlation)」

Skinner はレスポンデント条件づけは刺激−反応という 2 項随伴性、オペラント条件づけは刺激–反応–刺激という 3 項随伴性によって定式化し、随伴性こそが考察されるべき基本単位であると考えた。

巨視的行動主義は、そうは考えず、よりマクロな「強化子–反応率」の相関性行動主義心理学分析単位であると主張している。

まりミクロな刺激と反応の関係を捉えるよりも、マクロ環境と行動の関係を捉えることを重視しているのが、巨視的行動主義である

行動主義心理学目的予測制御に置くならば、結局はマクロ記述で十分であり、その方が有用であるというのが彼らの主張だ。

(2) 内的出来事の導入の拒否

Skinner は外的な行動とは別に内的な出来事もまた行動として捉えられると考えた。巨視的行動主義ではそうは考えない。

彼らは、内的な出来事を「潜在的な行動 (covert behavior)」と呼んでいるが、心理学はそれを直接対象とする必要がないと論じている。なぜなら、潜在的な行動が実際に効力を持つならば、最終的には顕在的な行動 (overt behavior) として表出されるためである

このことを彼らは「時間スケールを長くとる (temporally extended)」と表現している。瞬間瞬間に我々には豊かな精神活動 (mental life) があるが、それを相手取らなくても、長い時間観察すれば、観察可能な行動として現れる、ということである

Staddon の理論的行動主義

Staddon の主張は、他の行動主義と大きく異なる。彼の場合は、心的概念の導入を許容する。そして、それを用いた「理論」こそが心理学必要であると考えた。その点は、実験結果から法則抽出する帰納を重視した Skinner の立場とは異なる。また、「心的概念による説明」は Skinner の反対した「原因としての内的過程」でもあり、それを採用する点も Staddon の特徴である

行動主義心理学目的は、予測制御だけではなく「説明」にもあると彼は主張した。Staddon の言う「説明」とは、概念同士の関係によって、現象記述することである。わかる人にとっては、David Marr の「アルゴリズム表現」の位置心理学位置づけている、と考えればすっきり理解できるように思う。

Staddon はやや言葉遣いが独特で、概念連関による記述を「メカニズム」と呼んでいる。そのメカニズムは必ずしも生理学的基盤を前提しないで、あくま心理学レベルでの記述である

ようは、行動のアルゴリズム的な理解なのであるが、事実 Staddon は「私の言うメカニズムとは、アルゴリズムのことである」とも述べている。

Skinner は反応率 (時間あたりの反応数) を分析の基本単位としたが、Staddon はより多元的である。ただし、なにを分析単位とするかは、それ自体研究立脚点を示しているものである。それを Staddon は「The model is the behavior」という言葉表現している。

それでは認知心理学となにが違うのか?と思われるかもしれない。Staddon いわく、行動主義心理学伝統的に堅持してきた「強化履歴」は理論的行動主義でも重要であるというのが大きな違いらしい。つまり、行動や内的状態は、それまでの環境との相互作用に基づいている歴史性を有しているとういうのだ。当たり前といえば当たり前なのだが、その点を強調するか否かである

また、Staddon は「動的過程 (dynamics)」を重視した点も特徴である。他の行動主義は、基本的には刻一刻と変化するような過程というよりは、安定した反応の推移を対象としてきた。ややテクニカル議論ではあるが、現代では複雑な時系列データを扱う方法もたくさん用意されているので、動的な過程を取り上げるのは科学として自然な展開であると思う。

一方、認知心理学では「コンピュータアナロジー」のように、入力–出力関係を固定して考えることが多い。動的に内的状態は推移していることを重視した点も、Staddon の理論的行動主義認知心理学を分ける特徴の 1 つであるしかし、個人的にはこの差異は徐々に埋まっていくのではないかという期待もある。

おわりに

以上、行動主義 100 年の歴史簡単に振り返ってみた。

色々なアイデアはあるものの、基本的現在「行動主義」を標榜している人がいれば、Skinner の徹底的行動主義である。Watson、Hull、Guthrie、Tolman に依拠している者はいない。従って、歴史批判ではなく、科学議論として行動主義批判したければ、Skinner を相手にするべきである

行動主義はとにかく誤解されがちである。それは行動主義心理学者サイドにも問題があるにはあるのだが、科学において、無理解責任基本的には不勉強側に帰せられるべきだろう。

個人的には、アンチ信者より詳しくあってほしい。認知心理学者も、自分たちが寄って立つフレームワーク出自はどこにあって、なにに対するアンチテーゼだったのかをきちんと理解してみたら、何か発見があるかもしれない。

2019-09-04

masudax

コンピュータが作り出すプログラムの中では、現実をどのように捉えているかが全てなのです。

その人の認識の仕方が、その人の現実を作り出している。

まり現実への認識が変われば、物理法則を遥かに超越することすら可能だというわけです。

恐怖や不信感を取り除けば、ビルからビルへ飛び移ることも簡単になる。

それが、masudaxというプログラムルールである

そのことをオラクルは、“人類はMINDの奴隷だ”と表現した。

2019-09-03

anond:20190903165953

仕事(しごと、英語: work)とは、物体に加わる力と、物体の変位の内積によって定義される物理量であるエネルギー定義する物理量であり、物理学における種々の原理法則に関わっている。

anond:20190903132035

そうかもだけど彼ら下流男にも家庭的で優しい男はいて、そういう家庭的な下流男に金と地位があれば、彼らが下流女と結婚して双方救われる法則があると思う

まり下流女が救われるかどうかは下流男が社会でどう尊重されるかにかかっているわけでそういう意味自分下流男を無視できない

2019-08-30

anond:20190830002826

女が学歴を積むのは収入の高い男を得るため、

という海外でもみられる普遍法則を述べているだけです。

anond:20190830001835

女が学歴を積むのは収入の高い男を得るため、

という海外でもみられる普遍法則を述べているだけです。

2019-08-26

勉強が得意な子は最初から出来る

anond:20190825230621

勉強が得意な子は、特段成績を上げる努力したわけでもなく気づいたら成績上位者だったというパターンほとんどだと思う。

だいたい小学校中学年ぐらいの学力上下関係がそのまま大学受験まで維持されてく感じ。

最近いわゆる「10000時間法則」を否定する研究が出たけど、それによると楽器演奏において最終的な到達レベルが高いハイパフォーマンス群ほど、一定レベルに至るまでの練習時間が短いとのこと。

まり、短い練習時間でみるみる上手くなってやがて超絶技巧をこなせるようになる人がいる一方で、どんなに時間をかけても低いレベル演奏技術頭打ちな人がいる。

よーいドンで一斉に練習を始めさせると、初期の段階で既に力量に差が表れて、最終的にはより顕著な広がりを見せる。

この結果を受験勉強に当てはめれば、高偏差値群ほどより効率よく勉強をこなしているという仮説が導かれるが、これは増田直感ともよく合致している。

2019-08-22



1万時間法則学歴とかステータスが高い人が結構言及してたんだよね。

まあみんな、自分成功は、才能や運じゃなくて、努力の結果だって言いたいもんね。

一万時間法則

クソが一万時間練習を積み重ねても、一万時間練習を積み重ねたクソにしかならない事なんてのは、ちょっと冷静に考えれば分かりそうなもの

根拠のない話を広め、愚か者に剣を与えた罪は重い

2019-08-21

両手の指で数えられる最大は39366

帰宅中の散歩がてら、両手の指の折方でいくつまで数えられるか考えてみた。

ネットで調べると出てくる、クロスさせるとか、手の甲がうんちゃらとかじゃなく、

純粋に指を折っていくつまでいけのだろうか

二進法で数えるやり方

指で「0」と「1」を表現して

指を折っている(閉じている)ときが0

指を開いているときが1

で数えていくと

手をピストル(親指と人差し指を開いているとき)の形だと「21」で「3」

片手がパーで「11111」で「31」

両手がパーで「1111111111」→「512」まで数えられる

これが一番だと思っていた。

三進法で数えられるのではないかと帰路で思い付いたのです。

手をグー(親指が上になるように)して、

指が横(片方の手側)を指差しているときが「1」

指が前を指している(親指は上)ときが「2」

と数えていくと、

手をピストルの形だと「21」で「7」

レミング法則だと「122」で「17」

片手がパー(全部の指を開いている)ときだと「22222」で「162」

両手がパーだと「2222222222」で「39366」

これが両手の指で数えられる最大数ではないだろうか

anond:20190821185152

モンハンスレ伝説コピペ

武器名前ねぇ。

アイアンソード→”形容する。鉄塊、と”

炎剣リオレウス→”燃えよ。世界は命じた”

ミラアンセス→”最終警告。法則崩壊

武器名前からといって、名詞である必要はない。文章、あるいは単文でいい。

これは数年前から各社開発部にメール提唱させていただいてるんだがねぇ。

まあ、素人さんの意見を”使わせていただく”のは「ぷらいど」が許さないってか?

やれやれ

知識を溜め込むのが上手な人とそうでない人

人間には二種類の人間がいる。

知識をたくさん持っている人間アイデアをたくさん持っている人間だ。

これらは対話の場面で癖がでる。

アイデア型は一つの意見に対して自分主観で賛成反対を打ち出す。

知識型はその意見の一つ一つの情報自分が持つ知識と照らし合わせて正しいか正しくないか判別し、わからないことに関しては

「そうかもね」と賛成も反対もせず熱のない言葉議論を終わらせる。

自分主観思い込み、熱意で物事を語らない。

これは岡田斗司夫さんの「人間特性類型」にあった注目型と法則型の話から引用している。

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