はてなキーワード: 搾取とは
アロイーッス
本日は戦争と武力紛争による環境搾取防止のための国際デー、日本においてアパート記念日、お見合い記念日となっております。
お見合いといえば、で上手いことを言おうとしてこの時間にまでなりました。
お見合い状態とかいう対面相手と睨み合いというか見つめ合いになって膠着状態を演じてしまうことを日記を書く様子でも表現しなくてもいいなぁとは思っております。
このままだと0時を超えてしまいそうになるので今度どこかで早めに書こうと思います。
上手いことバランスをとって調整していきましょう。
無理矢理お見合いに結びつけるというか擦り付けてみました。
ということで本日は【バランス感覚よいか】でいきたいと思います。
ということで本日は
本文は秋元康プロデュースの大人数アイドルに関して思うことをざっばらんにまとめた。批判しかないけど現役で活動してる個人というよりはグループのシステムに対する疑問とか違和感。
リリース曲に対して良い曲が少なすぎる。大半の曲に対して若くて可愛い女の子がキャピキャピしてて癒される以上の魅力を感じない。人数が多すぎてダンスや歌唱に差を感じ辛く、この人じゃ無ければというメンバーがいない。選抜メンバーは顔面とキャラ、メディアでの露出具合で選ばれてるだけだと思う。
・報われなさすぎる
ブスだの太っただの痛いだの好き放題いわれ、SNSに写真をあげると身につけてるもののブランドや値段まで特定される。異性との交友関係や彼氏の存在が発覚すると大炎上して謝罪や活動休止させられ、ファンの期待する清楚でピュアな存在を貫かなければならない。時にはストーカー被害も受ける。貴重な若く美しい時間の全てをかけてファン(見ず知らずの他人、しかも大半が中年男性)に媚びるってなに?
・卒業後何すんの?
貴重な10代後半から20代中盤を中途半端なダンスや歌唱、ファンへの媚売りに捧げた挙句、年を食えば卒業という形でお払い箱になり、新たな若くて可愛い子にとって変わられる。大半がその顔面の強さを生かして俳優やモデル、タレントになるわけだがいずれも狭く厳しすぎる世界。それって本当に自分のやりたいこと?最早芸能界以外で生きる術がないだけでは?
アイドル活動は誰かを元気づけたり勇気づけたり、自信のない自分を輝かせる場所だったり素晴らしい側面もあると思うけど、未来ある若者が搾取されている部分が多すぎるように感じる。
また、そんな場所にひとたびオーデションを開けば何千人という子女から応募が殺到するという事実もよく分からない。女の子ってそんなに承認欲求強い人多いの?
キャバクラ嬢に入れあげる男連中と同じく
一方的に貢がされているのとは少し違う気がしてきた
そんで派手なシャンパンタワーとかやるとイベント気分が味わえる
「私がこの人を育ててやった」という”優越感”を買ってるのだ
このパトロンとか旦那の気分を味わえる商法を薄い水割りにすると
この手の商法のカモになる人々というのは
自分も相手の役に立っているという相互的な関係性に飢えてるのだろう
***
これを家族や身近な異性の愛が得られなかったからと分析するのは早計だ
もともと対等な男女の恋愛なんて貴族だけが味わえる嗜好品である
庶民の大多数は地縁血縁の共同体によってなんとなく結婚相手が決まってた
中級以上の階級でも政略結婚とまでいわんが婚姻は社交の手段だった
じゃあ親子や夫婦の間に愛はなかったのかというと
親や子、妻や夫がいてくれないと困る「必要性」はあったのではないか
何しろ近代まで数千年、世の多数の人間は農業や漁業や個人商店みたいな
***
それが産業構造が変化した戦後昭和30年ごろから総サラリーマン社会になり
地縁血縁共同体のなかでなんとなく男女がくっつくお見合い婚は減り
わざわざ金で関係性を買う世の中にまでなってきた
俺程度の頭ではまだ考えつかない
勉強になるな~
https://femalelibjp.net/?p=1357
フェミニズムからトランスジェンダリズムへ――キャサリン・マッキノンとその政治的移行
マッキノンを含むトランス派のほとんどは、実際には「トランス女性」を生物学的に定義している。つまり、彼らは、生物学的に男性である人だけが「トランス女性」になれることを確信しており、「トランス女性」であることの必要条件を生物学的男性に置いている。「トランス女性」であるためには、何よりも彼らは生物学的に男性でなければならない。生物学的女性は「トランス男性」や「シス女性」になれても、けっして「トランス女性」にはなれない。生物学的男性だけが「トランス女性」になれるのである。
わはは、せやな
「トランス女性」たちは女性を、その長い髪、赤いマニキュアの塗られた爪、豊かな乳房、丸みのあるお尻、ヴァギナなどに還元したうえで、それらのパーツを疑似的に自分たちの身体上に再現して、自分たちを女だと称している。つまり、彼らにとって「女性」とは、これらの身体パーツの単なる寄せ集めなのである。GCフェミニストはまさにそれを批判しており、女性は、男でも視認できる「女性的な」身体パーツの寄せ集めではなく、生物学的ないし政治的なあらゆる差異と特徴を含むトータルな存在だとみなしている。
まさにその通りや。
さらに、マッキノンは次のように述べている。「女性は、実際には、私たちの身体によって従属したり抑圧されたりしているわけではない。私たちは染色体や卵巣から解放される必要はない」。
まず、女性を生物学的に定義することを拒否しているマッキノンは、「私たちの身体」という言葉でいったい何を指しているのか? 「私たちの卵巣」と言っていることからして、この「身体」は明らかに「生物学的女性の身体」を指していると解釈するしかないが、もしそうなら――マッキノンの規定によれば――それは生物学的本質主義になるではないか。
女性固有の身体が抑圧の条件であるからと言って、その身体性からの解放が女性の解放であるという結論にはならない。男性が女性をレイプするためには、ヴァギナを含む女性の身体が必要であるが、だからといって、レイプをなくす運動がヴァギナをなくす運動であったことは一度もない。
あったり前やな。
実際には、「トランス女性」が生きているのは「女性の生」ではなく、彼らが想像する「女性の生」にすぎない。何をしたら女性の生を生きることになるのか? 髪を長くして、化粧して、乳房を大きくして、ブラジャーをして、スカートを履いて、生活することか? もしそうなら、マッキノンは、女性をそのようなパーツや服装(社会的ジェンダー)に還元していることになる。
おい裁判官聞いとるか?
そもそも、「トランス女性」は、とりわけオートガイネフィリアに分類できる人々(「トランス女性」の大部分はおそらくそうだ)は、「女性にアイデンティファイしている」のではなく、女性の長い髪や化粧、赤い唇、女性のドレスやスカートや下着、女性の豊かな乳房、女性のすべすべの肌、女性的な振る舞い(男が考えるそれ)にアイデンティファイしているにすぎない。つまり、女性の外面、女性の装飾、女性のステレオタイプにアイデンティファイしているにすぎない。
彼女はこの論文において過去の自分の理論のほとんどすべてを放棄したが、過去から継続している面もある。過去の彼女との連続性がかろうじて見て取れるのは、彼女の年来の反生物学的立場である。生物学フォビアと言ってもいい彼女のこの反生物学主義は、女性身体の生物学的構造を徹底的に利用し搾取しようとする男性権力の核心をつかみそこない、その新しい運動形態たるトランスジェンダリズムの本質を理解しそこねる結果になっている。
"フェミニストのトランスフォーブの多くが、女性のジェンダーロールやステレオタイプにトラウマを持ち、身体的、心理的に、あるいは人生の野心において、それに適合しなかったことは明らかである。彼女らは女性として受け入れられ、評価されることに苦労したのに、一部のトランス女性がやすやすと女性として受け入れられていることに憤りを感じているようである。"
これは真に驚くべきインセル的主張である。つまり、GCフェミニストは「トランス女性」に嫉妬していると言いたいのだ。何かに対するフェミニストの批判を「女の嫉妬」に還元して説明する仕方は、ミソジニスト、インセルに典型的なものだ。女性の参政権のために闘ったサフラジェットの場合も、男に愛されない年増の女の欲求不満だと言われた。この古典的なミソジニー的主張がよりによってマッキノンによって繰り返されるとは!
彼女は、女性の多くが女性にアイデンティファイしていない理由として、「男性のいる何らかの集団の一員として自分を見る方がより尊厳があるからだ」と述べている。マッキノンが「トランス女性」という名の男性を女性カテゴリーに入れようとした心理もまさにこれである。
今では、彼女は、女性というカテゴリーそのものに男性を含めており、マッキノン自身が、自分を「男性を含む集団」の一員とみなし、そのことによって自分たちが「より尊厳ある」存在になったと感じているのである
名誉男性になりたいわけやね。
そうなったところで、相手をおっぱいインフラとしか見てないからね
強者男性に向かわない理由と言い換えても良い。度々疑問を呈されつつも当人達の口からは語られないこの問題について勝手に考察してみたい。弱者男性を自称するはてなー諸兄におかれては、内容の妥当性についてコメントしてもらえるとありがたい。
弱者男性界隈においては、「まんこ割」や「女は下方婚しない」といった言説に代表されるような『(特に恋愛や結婚において)男女の関係は対等ではなく、女は女であるだけで得をしている」といった主張が読み取れる。このことから、『自分たちが性愛にありつけないのは女性が優越的な地位を独占しているからである』といった歪んだ認知が形成されており、それを元に攻撃しているという説が考えられる。
またこの認知に基づくと強者男性であってもその強者性を女性に搾取される被害者であるのだから、叩く必要はないのかもしれない。(実際には女性もパートナーを得る上で様々な足きりラインを乗り越えているということはここでは議論されない)
強者男性とは同じ評価軸で格付けが済んでおり特権性を主張しづらいが、違う土俵で戦っている女性は叩きやすいのではないだろうか。強者男性を批判する度に収入や学歴、容姿といった自身の弱者性を再認識するよりも、女はずるいと主張してしまった方が楽という側面はないだろうか。
女性との接点のなさから、ネットの女叩きやたぬかななどの憎悪を煽る言説に女性へのイメージを歪められ、それが修正される機会もなく自分の生きづらさの理由をそこにそこに求めているのではないか、という説。女性へのイメージが歪んだ理由としては学生、それも小中学生などの頃に一部の女性から悪意を持って接されたのが数少ない女性との接点であり、その後更新される機会が無かったという可能性もあるかも知れない。
何言ってんだお前
女にも子孫も持てず人に愛されず
これ、全人類の当たり前の権利だと思ってる?他人の意思を無視して搾取することが、お前が当たり前の恩恵として受けられるものだと勘違いしてる?
女は人じゃなくてインフラだと思ってる?
べつに弱者男性に向かってなら、暴言吐いてもいいし、暴力振るってもいいし、経済的にも精神的にも死ぬまで搾取し続けてもいいわけじゃん?
実際にそういうことが世界中で起きていて、特に是正されることもなくそう在り続けてるんだから、それはつまりそれが許されてるからでしょ
こう言うと、人権がどうの犯罪がどうの法律がどうの言い始める奴が出てくるけどさ、いやそれパッシブで発動しないから誰もその恩恵受けてないわけだろ
これが強者なら環境やらなんやらで自然とそういったものに守られる人生を送れるけど、弱者にはそれがない、この時点で人権とやら自体に大きな差がある
自分から訴えればいいとは言うものの、それを今までしてきた人たちが大勢いて、こうした世界を変えようとしてきた人たちがいて、それで今現在がこの有様なんだろ?
これ以上さらにそうやって弱者に希望を見せるような夢物語をエサにして、搾取を続けようと、無駄に踊らせようと都合のいい言葉をかけてくる
でも強者はそれを直接しないで、なぜか何一つ成し遂げられてない弱者の側の人間が、もっと頑張れ足掻けと声を大にして言ってるんだから悲しいよな
最後にはお決まりのセリフ、「少しずつでも世界は良くなってる」「未来のために」、うん、で、それを何十年言い続けてるんだろうね
その良くなった世界や未来とやらはいったいいつになったら享受でできて、その頃にはどれだけその世界を楽しめる余裕や体力が残っているんだろうね
さらに続けて「将来の世代のため」だとか「未来の子供たちのため」だとか言うセリフなわけだけど、あのさあ、弱者にはその未来の可能性とやらも作れないんだから、マジでそれ関係ないことなんだよな
他人の子供の未来のためってことなんだろうけど、それって要するに強者の側の人間たちの子孫のため、もしくはたまたま運良く抜け出せた元弱者側の人間たちのためってことでしょ
「誠実な人を搾取する」ことなんだよな。一般的な、もっとも普通の日本人たちが。
日本では「他人に誠実にする」と「そういう人だから、何をしても許される」という認識になる。
他人のために尽くすということが、「それが好きな人だから、甘えて良い」と馬鹿みたいな解釈になる。
結果どうなるかと言うと、世の中のためになる人ほど「すり潰す」。
良い人、有能な人ほどすぐに使いつぶされて居なくなる。
それでいながら、その主体である多くの日本人は、「なんで良い人が世の中を変えてくれないんだろう」と、本気で他力本願で思えるんだよな。