はてなキーワード: メイド喫茶とは
当該の寿司屋の名前でぐぐりクチコミを見ると、端的に、メイド喫茶の寿司屋版、とラベリングされている。
店舗のHPを見ても「そういう売り方」してる感じが漂ってくるし、4、5年前の古い記事でも「萌えの聖地秋葉原で女だけの寿司屋やったら目立つ、みたいな発想だったみたいだしで、色々的外れなインタビュー記事が哀愁をソソルわけだが、これをフェミニズムの文脈で読んであげてるmasudamasterってまんまと分かりやすい罠に落っこちてる素直で良い子だなって思った。イヤミや冗談ならあんまり上手くないけど。むしろアンチフェミニズム的な何かなのに。
人権?
違うぜ。
何を言っているのか理解できないって顔してるな?
考えてみろよ。
猫カフェで猫を可愛がるのと、猫を飼うのならどっちがお得かって話さ。
でも猫を飼うのは面倒くさいだろ。
ゲームは妨害なされるし、ウンコはお漏らしになるし、柱で爪とぎもなされる。
とても厄介なお方なんだ。
猫を飼うってのは、猫の様子を見守らせていただく手間をかけなきゃいけない。
まあ、猫はカワイイからその生活を甲斐甲斐しくお世話させて頂ける幸運に感謝することは可能だよ。
でも、人は、ましてやただ働かせるためだけに雇った奴隷は、可愛くないだろ?
奴隷を飼うのは猫なんかよりずっと面倒だ。
一応彼らは言うことは聞くよ。
でも主人に牙を剥く時はそれこそ殺しにかかってくる事まで考えないと駄目だ。
徹底的に調教してやらないと駄目だし、そもそもしっかり鎖や手枷を付けないと駄目だ。
元気にしすぎちゃ駄目だ。
かといって早めに使い潰したら買った代金にすらペイしない。
病気になられても困るが、健康に気を使いすぎるとかかるコストや手間が倍々で増えかねない。
管理することが多すぎる。
その点、労働者は楽ちんだ。
たまに健康診断を経費で受けさせてやれば十分だ。
金だけ払っておけばいい。
それも、毎月や毎年の働きに応じてだ。
一括で買った奴隷が次の日突然死んだりするのと比べりゃリスクはかなり低い。
とにかく管理が楽なんだ。
雇い主に文句をいうことはあるが、他所とそこまで待遇に差がないことに気づいたら大人しくなる。
奴隷が反乱したらそりゃやべえぞ。
何でもぶっ壊して回るし強盗まがいのこともやり放題。
見境なしだ。
だけど労働者なら、せいぜい賃上げ要求でボイコットするだけさ。
こっちを殺すことまでは絶対にない。
初歩だぜ。
ワトソン君。
メイド喫茶の直接のルーツは、2001年に発売された「Piaキャロットへようこそ3」というエロゲーのコラボカフェが原型
ググって内容を見てみればわかるが、当時の流行に漏れず「とりあえず申し訳程度にエロをつけただけの恋愛ゲー」というもので、限りなくサブカルや、陰キャキモオタが「ま~んwwww」とかw「リア充死ねしねしねしねしね!!!」と発狂するようなくらいに
まぁ当時ではかなり人気で、エロゲ原作で初の一般向けに劇場アニメ化という快挙を果たした作品なんだが(出来が悪くてネタにされたりしたが、恐らくこれがなければリリカルなのはの劇場版もなかったくらいのエポックメイキングだったりする)
今の陰キャなキモオタしかいないオタク界隈でこんな内容の物語出したら、作った会社のビルに火〇瓶投擲されかねないだろうなと思う
JKビジネスに怪しいヤクザ崩れが入って来てると憂う増田もいるが、俺が思うにこれは彼等キモオタが望んで引き込んだ結果と言えるんじゃないのかね?
昔のオタクは内輪で世間から線引きを出ないようにコミュニティを作るか、リア充になるために努力をしたりと、リア充への憧れや指向と同時に、すみわけをきっちりしていたから、こういう連中が食い込む隙がなかっただけだろうに
口を開けば女性叩き、いじめられてるDQNリア充系の存在になりきって肉屋を支持する豚状態、ホントは自分もリア充になりたくて仕方がないのに、リア充がそれ以上に憎いから向こうから手を差し伸べたり興味を示しても、「俺は騙されないぞ!」とか「じゃあ俺の言う通りにしろ!」とか上か下かしかないしょうもないマウンティング始めたり叩き出す。
そんな奴等と仲よくしようなんて考えるリア充やイケメン、美少女なんていると思うか?そういう馬鹿を搾取しようとする怪しいヤクザみたいなのしか構ってくれないだろう
自業自得なんだよ、業ってやつだな、あとはそれに気が付いた10~20代の陰キャキモオタなら、目を覚まして自分を見つめなおした方がいいぞ。
メイド喫茶に行った経験はなんどかあって、その話をガチオタクの友人に話したところ、「観光客向けのメイド喫茶じゃなくてもっとこじんまりとしたところにいかないと」というアドバイスをもらった。
たしかに私の行ったメイド喫茶は外人やらカップルやらも多くて、昔からイメージしていたような場所ではなかった。メイドさんの絡みもどこか作業的で少し虚しく感じた。
そこで、友人がおすすめしていたメイド喫茶に行ってみた。なるほど観光客向けのメイド喫茶とは違って、お客さんの人数も少なく、メイドさんと楽しくおしゃべりしたりゲームしたり、とても楽しい時間が続いた。
しかしそこで特に衝撃を受けたのは、メイドさんとの絡みではなくてお客さんの方だった。
ただひとり、カウンターに座ってひたすらゲームをしているオタクがいた。特にメイドさんと話すわけでもなく、料理を食べるわけでもなく、イヤホンを身に着けてひたすら携帯ゲームを楽しんでいた。
そこで私は安直に、ゲームやるならわざわざここじゃなくて家でやればいいのに。お金もかからないし。と思ったのだが、よくよく考えると似たような光景を目にしたことがあった。
それはスナックだった。
スナックのママさんと話すわけでもなく、居合わせた客と絡むわけでもなく、ただひたすらカウンターに座って酒を飲む客。
メイド喫茶にいたオタクとスナックのひとり酒の客は、容姿は全く違うけれど、多分同じような時間を生きているのだなと思った。
一人は寂しいけれど誰かと話すのは苦手、だけどスナックは行きにくい。そういうオタク層の需要をメイド喫茶はしっかりと満たしていたのだなと勝手に納得し、それが私がメイド喫茶に行ったときの一番の収穫になった。
リア充はメイド喫茶に行く時、必ずリア充仲間数人の集団でもって行くわけだが、「あそこだとヒエラルキーのトップになれる」みたいなことを意識している。絶対に意識している。
オタクの方がメイドさんとお話ししている様子を半ば小馬鹿にしたような態度をとりつつメイド喫茶を楽しむわけです。
オタクの人にとっては清潔感のある服装、整った顔立ちの集団がその空間にいるってだけでプレッシャーなわけですよ。
リア充側は「オタクの中にいる俺らイケてる奴ら」になりたいわけですよ。
周囲に萎縮させるような雰囲気が出ることを理解していながら、さらに萎縮させることを楽しむような態度でメイド喫茶に向かうわけですよ。
僕が大学生の時、文化祭があるということで呼んでもいないスケート仲間数人が勝手に遊びにやってきました。
僕の仲間はどちらかといえばワルのスケーターでした。
そこそこの大学に通っていたので(嫌味な言い方でごめんなさい)大学の仲間には真面目そうな子が多かったわけですよ。そんな中でスケート仲間は大声で話したり、ナンパしたり気持ち悪くて仕方なかった。
彼らの目的もリア充メイド喫茶と同じで「真面目な学生の中にいる俺らスケーター」が気持ち良くて仕方がないんですよ。
それ以降別に彼等と仲が悪くなったわけではないですが「人間って自分の見下してる相手に混ざることでマウンティングしたい生き物なんだな」と実感。自分は絶対にこういうことしないようにしようと思いました。
でも、僕のこういったオタクや大学の仲間への配慮って自分の差別的な意識から来てるんじゃないかなとか思っちゃって悩みます。
だって別に彼等はスケーターやリア充より下の存在ではないですし、とんだお節介かもしれません。
色々その辺の考え方なんかも自分の頭の中で議論してるんですが、さらに長くなるのでこの辺でやめときます。
あと1つは?
具体的な作品名を挙げると今期でいえばバトルガールハイスクールとひなろじ。この二つがあまりにも似てて混乱した。
過去にも遡るとこれだけ同系統の作品がある。多少の違いあるがなんとなく分かると思う
スクールガールストライカーズ Animation Channel
90年代から00年代にかけて、さんざん「巫女」「メイド」を記号的、かつ無意識に消費してきたんだから、陳腐化するのも当然なのだと思う。
「巫女」「メイド」に関心を示した層(あえて「オタク」という表現を避ける)は、何も考えず消費していた。だからこうなる。後述するとおり、これは仕方がないことなのだけれど。
この消費が続くとどうなるか、「巫女」「メイド」を扱う作品がどうなっていくのか。それをあの時代に考えていた者は少なかった。
未来視をせず、まったくただ消費するだけだった。焼き畑農業に近い。
自らの髄脳をただ刺激し、そのニューロンと、「巫女」「メイド」の記号とを焼き切ってしまって、10年代を迎えた。
あの時代に「萌え」という風が吹いていた点が、この問題を助長していると感じる。
「萌え」は思索をある種放擲する営為だ。何も考えず、リラックスして作品やキャラクターに触れる。ストレス社会&大きな「物語」が消えた社会に生まれた、ふわり、とした感覚。
雨後の竹の子のように現れた「メイド喫茶」では、ふわふわのオムライスが尊ばれたという。
これは、脳をふわふわさせて無意識に快楽を得られる「萌え」の具現化として、妙にしっくりきていたと、今更ながら思う。
擦り切れた「巫女」「メイド」へのキャラクター付けをどうするか。あるいは昨今流行している「記号」をどう大切に扱うか。
大衆社会の個人に出来ることは存外少ないのかも知れない。今も「萌え」の風はどこかで吹いていて、無思想的快楽へ私たちを誘っている。
この記号が、数年後どうなるか? 作り手側はどう考えているのか? なんてことをちょっと心の片隅で考えながら、作品に触れるのが、視る側としてインスタントに出来る効果的な姿勢なのかも知れない。
正直いって誰も彼もが「詐欺師だ」といってはばかる状況は異常だと思う。
一回でも送ってくれたらお金上げるって言われたの?SEXしてあげるって言われたの?
こいつだって人間だよ?排泄もするしエロ本だって読んだことあるだろうし、何より老いるんだよ?
罵倒している奴ら、普段からJDはBBAとか抜かして、こいつの女寿命は無視すんの?
その人生が誰も貶めずに幸せ掴もうってのをどうして祝ってやれないんだ?今まで散々応援しといて。
異性の漫画家、同性のアニメ監督、異性の歌手、同性の映画監督。彼らの生み出す世界観だけでなく、その存在に対して惚れて金をつぎ込んださ。
インタビューや著作だけじゃない。ちょっと関連作品が紹介された門外漢の新聞や雑誌だって買い漁ったよ。俺のコレクションを見たらお前ら絶対引くだろうよ。
でも俺は後悔してないし、仮に彼らが家庭を持ったら祝福する。犯罪に走ったとしても課金対象の切り替えこそすれ、感謝はあれど罵倒はしないと自信を持って言える。
まあ明夫の結婚は流石に横になったけどさ。
結局さ、彼女を肯定して応援してるって自分を自分で騙していたのがバレて八つ当たりしてるだけじゃないか。詐欺師はどっちだよ。お前らが詐欺師だよ。
一人の人間を、アイドルって建前で畜生としか認識していなかった自分に対してなんの反省もないのか。
なんの羞恥心も沸かないのか。。