はてなキーワード: フェイスブックとは
ネットに一度流出した情報は二度と元には戻せないんだから本名や顔といった個人情報を流すな
という戒めとセットで広まっていたのが「ネットに個人情報を晒したやつは何があっても自己責任」という自己責任論だろう
その自己責任論の暴走が顕著に現れたのが某弁護士とコテハンのネットリンチだろう
しかし、今や顔と名前をネットに出さない、ことの方が不可能に近い時代だ
知り合いのフェイスブック、学校のホームページ、大会の記録、勤務先のサイト、取材を受けた先のメディア、特別に拒否せぬ限り自分の情報が誰かの手でネットに掲載され、時には許可なく自分の情報を流されることもある
このような状況下で、個人情報流出・拡散の責任を個人に求めるのはおかしい
道すがら取材にあった際のキャプチャ画像が、永遠にネットに残される、それを自己責任と言えるのだろうか
自分の情報を自分で管理できるような、本人の申し立てがあれば掲載された個人情報を即刻削除できるような厳しい規制が必要ではないか
顔写真の「コピペ」なども、肖像権の侵害として罪と認識させる必要があるのではないか
余談だが、忘れられる権利という言葉は、不十分なように思う。一度ネットに掲載された情報が常に拡散し続けている状態を止めるのは、忘れられるというよりはこれ以上認知されないことに近い。閲覧者という仮定の存在を主体にすることで、責任転嫁しているように思う。個人情報を自分の意図せぬところで公開されない権利というのが本来求めるところではないのか
ネット上の会社の悪評を見つけて対策する仕事(所謂エゴサーチ)してるが、フェイスブックでウチの会社の社員を名乗って色々変なこと書いてる野郎を発見した。
この野郎を放置してると、「●●の社員が、こんなヒドイことをフェイスブックで言ってる!」と悪評が立ちかねないので、なんとか対策したいのだが、どうすればいい?
ダメもとで、そいつに「あなた、ウチの社員名乗ってますが、本当ですか?社員名簿にありませんよ?」と警告メッセージ送ったが、黙殺された。
で、これが一番問題なんだが、フェイスブックは「自分の成り済まし」「友達の成り済まし」に対して報告するフォームは存在するが、「勤務先の成り済まし」を報告するフォームが存在しない。
「プロフィールが、規約違反である」という報告ボタンはあるので、そこをクリックしたが、その後に「どのように、オカシイのか?」を記入する自由記述欄が存在せず、いきなり報告となった。
案の定、「プロフィールに違反は確認出来ませんでした」という定形文が戻ってきた。
フェイスブックは日本事務所のメアドも電話番号も非開示だから、この野郎をフェイスブックに告発する手段が閉ざされてる。
どうすればいい?
クソの役にもたたん
作りたいものがないとか、レベルが高すぎて道筋が立てられないとか、斬新すぎて参考になる資料がないとか
そういうこともあるわけで、何の答えにもなってないから、バカそう
そもそも、そういうこと言い出したら作りたいものがない人はプログラマになれないことになるしな
ゲームプログラマになりたいなら、まず2Dのマリオの1-1を作れとか、ポケモンのバトルやモンスターのシステムを作れとか
そこから3Dでマリオの1-1を作れとか、マリオ64の一番簡単なステージ作れとか
Webプログラマなら、3種類の最新フレームワークを使ってハローワールドしろとか
掲示板、ツイッター、SPAのフェイスブック風サイトをモダンなクライアントサイドフレームワークを使って作れとか、そういうアドバイスしたほうが的確だろ
田舎暮らしがいいっていう論調は色んなところであるけど、自分も改めて思ったので書いておく
ちなみに、自分は最寄りのJRの駅まで車で一時間ぐらいかかる、そこそこの田舎に住んでる
自動車のコストがかかるって言う人もいるけど、それに有り余るほどの家賃のやすさや、電車を使わなくていいというメリットが有る
家を買ってしまえば、これで路頭に迷うことはないという精神的な支えにもなる
欲しいものは何でも手に入る
今ではアマゾンで欲しい物なんて何でも手に入る
先月も自粛期間だったけど、ゲームやらエレキギターやら、欲しいものはネットで何でも注文させてもらった
殆どが次の日かその次の日につくので不便はなにもない
ストレスがない
人混みで苛つくこともないし、満員電車もない
行列で並ぶこともないし、狭いところに押し込められることもない
仕事もある
コロナ自粛は一つのターニングポイントとして、田舎でも仕事はわりかし簡単にネットで手に入るようになった
試しにランサーズを見てほしい
遊ぶ場もある
田舎だと何もすることない、なんてこと言うかもしれないけど、今ではフェイスブックでちょっとしたイベントなんていくらでも見つかるし、そこで友達はできる
一人でも、ハイキングしたりツーリングしたり、アウトドアでいくらでも遊べる
土地が広いからちょっとしたDIYとか、人を呼んでBBQとか、昔からの普遍的な遊びがいくらでもできる
最寄りの駅までは車で一時間だけど、そこから新幹線に乗れば一時間で東京につく
月に23回は東京に行って、人とあったり街の変化を見たりしてると、いい気分転換になる
きちんと払っていても、控除が色々とあるのでサラリーマンより遥かに少ない割合になっている
サラリーマンが頑張って税金を払ってもらっているおかげで、自営業者はらくさせてもらってます。嫌味っぽくてごめんなさい
いいとこばかりだとただの自慢になるので田舎暮らしのデメリットも書いておく
美味しいお店が少ない
ご当地グルメとかいうけど、なんやかんやで地方のグルメは東京よりはるかにレベルが低い
美味しいラーメン屋とか言っても、全く美味しくないなんてことはざらにある
ちょっとお金を払ってフレンチとか行っても、東京のレストランに慣れているとがっかりすることしかない
だから自分は都内に行くときにはいつも有名店で食事をたくさんしてる
刺激的な出会いがない
ちょっとした立場のある人と出会って話をしても、正直なところ能力が低いなと思ってしまう
都内だとポンコツみたいな人が、田舎だとある程度の地位にいるなんてことはざら
やはり、人生で刺激を受けるのは、びっくりするような優秀な人との出会いだとおもう
そういったことの絶対数が少ないという意味で、成長のきっかけが減っている気はする
都内だったら、些細なきっかけで自分の人生が大きく変わるようなこともあるかもしれないけど、田舎だとそういう出会いはあまりありそうにない
まとめ
別に逃げで田舎で暮らしてるとかではなくて、自分は余計なストレスを受けたくないし、自分の能力を一番出せる環境で働きたいからこういった環境がベストだと考えている
フェイスブックもインスタも持ってないん?
最近在宅勤務が続いていて精神的によろしくなく、気持ちになったので20才台のうちに死んじゃった友達のことを書く。
死んじゃったNちゃんが、一度目に死にかけて入院して一時退院して会いに来てくれた時、ビール飲みながら俺は彼にこう言った気がする。「死ぬのも生きる俺の人生じゃないからどうしようもないけど、Nちゃんが死んだら俺は悲しいから、死なないで欲しいなあ」結局彼は目的を完遂してしまった。彼はなんていうか、精神的にパンクでありつつ、小心者でもあり、一緒にバンドをやっていた時に俺のベースを1本ぶち折ったりするようなハチャメチャなところがあった。ガキ大将的に人に好かれる才能があったと思うし、彼のことを好いている人も多くいた。雨が降る地方都市の、線路っぷちの斎場に彼の友達がたくさん集まった。彼の両親は彼がどのように生きているか細かくは知らなかったらしく、長髪の、刺青の、金髪の、強面の若者たちがどんどん集まって彼を送ろうとしていることに驚いていた。斎場のスタッフは椅子が足りなくなって走り回っていた。俺はどうしても彼の死に顔を見られなくて、はっきり言えばリアルを確認することにブルって、とうとうそのまま彼を灰にしてしまった。葬式の最中思い出した出来事。昔Nちゃんと他の友達とカラオケに行ったときに、誰かが人を失神させるにはこうするんだみたいな話題になった。Nちゃんが実験台になって、あっけなく頸動脈をグッてされて失神した。戻ってきたときNちゃんはきれいに落ちるとスゲエ気持ちいいわ、みたいなことをテンション高く話していたな。そんな情景がグルグル回っていた。
うちのバンドのボーカルだったMが行方不明だ、という知らせを聞いたのが何きっかけだったか覚えてない。ドラムのSが電話してきたのか、フェイスブックだったか、ツイッターで回ってきたのか。Mが車ごといなくなって、俺たちのライブは1週間後に迫っていた。出ないっていう選択肢はなかった。まだひょっこり戻ってくる可能性もあったから、メンバー全員で出演するって話になったと思う。なんかMがヤ○ザ関係のトラブルに巻き込まれたんじゃないかとか、結局前と一緒で借金で首が回らなくなってどっか隠れてるんじゃないかとか言っていた。Mのツイッターはいなくなる直前まで普通に人生を楽しんでる風だった。ぽっかり空いた穴に落ち込んだ、そんな感じさえ覚えた。
結局ライブの数日前、Mはこの世からいなくなってしまった。海岸で車ごと燃えてた、って話だけ聞いた。それって映画みたいだな、北野武映画だなって思った覚えがある。何となくだけどそういう結末もあるだろうなと思ったのでそこまで驚いた覚えはない。いろんな人に迷惑かけるだけかけて、そのままいなくなったような感じ。葬式は密葬で行われたようで、俺は結局Mが本当に死んだのか、いまだによくわからない。メンバーと一緒に墓参りにでも行くか、って話も出たけどそのままになっている。
その後バンドには新しくボーカルが入り、新しくギターが増え、新しくメンバーが出戻り、元気にやっている。死んでしまった2人には悪いけど、あんなところで人生辞めてしまったのはもったいないなと思う。あと、死んでしまったがためにもう彼らは若さを失うこともないし、思い出は美化され続けるんだろう。そんなところもズルいと思う。結局俺たちはそれぞれにそれぞれの人生を抱えて、ほんの一部の人生を共有して生きていくのだ。
インチキ千万なフォロワー数をありがたがっている時点で、田舎者というか、ゾーリムシ脳全開だなw 周知のとおり、カネで買えるわけだし、フォロワー数稼ぎのための自動アプリもあるし、「有名人」とやらはツイッター運営側がわざわざフォロワー数をアップさせる誘導を行っているしな。前澤友作みたいに大金でごっそり買うような奴もいるわけだし。インチキなフォロワー数、1万人のフォロワーがいたとしても、実際にツイートを読んでいるのは100人もいない。ツイッターでツイートを読みたい文化人や知識人等が、インチキフォロワー数を誇示する輩がのさばるおかげで、ツイッター参入を断念したり、ツイート数わずかなままで消えてしまう場合が少なくない。残念なことだ。フェイスブックみたいに、フォロワー数非表示の自由があるべきだ。そろそろツイッター運営を相手取って、アメリカ方面でも訴訟が起きても不思議ではない。
https://togetter.com/li/1531572
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1531572
しかし、ふと気になった。
かつてホームステイした家の兄貴が団体のリーダー?的なことやっていたのでフェイスブックを覗いてみた。
マスク姿で略奪しているコスプレをしていたら面白いと思ったのだが、そこには笑顔でゴミ掃除をする彼の姿だった(心の中で思いっきり謝った)
しかも団体で強奪に対して反対し、強奪にあったお店に協力をしていた。
一方日本のリベラルを名乗るのは「馬もろともやっちゃえ」とか強奪する群衆に感情入っているらしい。
お前らリベラルとかじゃなくて黄巾党の一員だろ
ミクシィ?グリー?よく覚えてないけど、何が嫌いだったかと言うと、インターネットに自分の行けないところが作られるような感覚を覚えたからだ。
もちろん他にも会員制のように絶対にアクセス不能な場所はいくらでもあるのだけど、SNSは繋がりたい人同士を繋ぐ装置として機能し、繋がりたくない人を排除する役目も果たす。
私はどちらも嫌だった、繋がりたくもなければ排除もされたくない、その自由さが好きだった。自分の意志で決められるのがインターネットじゃないのか、と。
だから、SNSサービスは私にとってはいつも不自由さを感じさせた。
ミクシィは特に嫌だった。招待されなければ入れない、これが正直むかついた。私は自分の意志で決めたいのに、誰かから入れてもらわないといけない、この感覚がたまらなく嫌だったから、実際には簡単に入れるのにミクシィには頑として入らなかった。
グリーには入った。そうは言ってもSNSはインターネットサービスの大動脈になることは分かっていたし、いつまでも嫌ってもいられないと思ったから。
勧誘制ではなく、自分の意志で選択できるのが選んだ理由の一つだけど、でも実は気に食わなかった。
SNSをやっていると、自分の行けないところがあることに気がつく。
ウェブサービスの基本は、ハイパーリンクで好きなところに行けることだ。リンクさえあればひとっ飛び。それが好きだった。
これがSNSでは出来ない。説明しにくいが、検索でも分からず、見えない部分がある。仲間に入っていないとわからないのである。
全部繋がっているはずのインターネットなのに、その中に、システム的ではない、リンクされていない別のネットがある、そんな感覚。
見えている部分が人で全然違う。それは私が見てきたインターネットとは全く違うものだ。
インターネットは世界中の人と人を繋ぎ、これまで分断されていた社会のその壁を取っ払っていくものだと言われていたこともあった。
でもSNSはそれに反するものだとしか思えなかった。むしろ分断を生み、加速させ、衝突を生み出す、絶対そうなると私は思っていた。
フェイスブックは、考えるまでもないだろう。人それぞれで見えているタイムラインが全く違う。そこにあるのは仲間内だけの世界だ。シェアが繋いでいるように思うかも知れないが、実際にはそのシェアは分断を増長すらさせている。
極端な話が、あるクラスターは疑似科学だらけデマだらけ嘘ばっかりのようになっていたりする。そうした情報しかシェアされない世界がそこにある。フェイスブックは極端な閉鎖性を持つ。繋がっているはずなのに全然わからない別の世界が無尽蔵に存在する。
Twitterはそれとは全く異なるように思うかも知れないが、Twitterだって酷い。ここで見られるのは、日々繰り返される炎上騒動であり、激しい戦争だ。住処の違うものどおしが見えてしまうので、気に入らないとそれらを叩き始めて、言論攻撃で排除しようとする。
インターネットは人と人を繋ぐなんて全くのデタラメにしてしまったのがSNSなのである。
そもそもインターネットはハードウェアネットワークであり、ソーシャルネットワークではない。
それでも、あまりにも膨大な情報の宇宙から必要な情報を得るにはSNSを利用しなきゃならない。
ググって情報を得るなんて最早太古の昔の話であり、タイムラインに自動に流れてくる情報をまるでブロイラーが与えられた餌を食うようにして享受していかないと時代や社会についていけない。
でもやめたくてもやめられない。