はてなキーワード: コンサータとは
ある自治体で精神病患者のコンサータやらストラテラやらの処方代を助成する仕事をしている。自立支援医療費助成(精神)というやつだ。
受給者証を渡すための申請書を書かせる仕事を窓口でしている程度だが、色々と思うところがあるので綴りたい。
1 助成される人の多くは…
窓口は平日だからか助成される人は高齢者、パートタイマー、被生活保護者などだ。リーマンは少ない。非政令市という土地柄もあるけど。
一般的に精神病(統合失調症、躁鬱病、発達障害等)は思考の癖みたいなのも影響していて慢性的なものだと理解される傾向があり、自分もそう思っている。いわゆる、鬱は逃げ、という考えもここから出る発想だろう。確かに、このご時世若者ほど自殺願望抱くだろうし、4人に一人は希死念慮どころじゃないと思う。マジ鬱ーとかよく聞くし。じゃなぜそんな一般的なことを病気としてしまい、税金使って(年収400万程度なら月の自己負担額が公費助成で5000円に抑えられる)しまうの?
コンサータとからそういうのは麻薬の一種だという見方がある。脳の活動に対する影響を考慮して製造されたものだから、あながち間違いとも言い切れない。だから服用しても麻薬として一時的な効果を得られるだけだろ、と。ここで思う。麻薬に税金使うの?おかしくない?
4 なんで国はそんなことに税金を使っているのか
ひとつは福祉政策としてだ。こういう世相でこれからも患者が増えるだろうことから、本人の健康のためにも、社会の平和のためにも治療が必要だ。
また、産業政策という見方もできるだろう。日本の製薬業界は競争力が高い。その業界に対する需要を国費で支えるのは問題ないだろう。
更に労働政策として、少子高齢化の中飽和市場で希望無き戦いを強いられているため、異常な労働環境を誇る日本を支えるためには、ヒロポンも必要だ。インターンとかで学徒総動員の様相を呈しているし、それでGDPが支えられるなら問題ない。例えヤク中になったとしてもだ。もちろんこの政策が頓挫する可能性はある訳だけれども。
何が言いたいかというと、もっと気軽に鬱病になって合法麻薬決めて人生を楽しもう。一億総躁鬱病だと自虐で笑えるくらいに。生活保護者みたいなクズや高齢者のような役立たずばかりにこの制度を使ってほしくない。以上、現場からのお願いでした。
双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正型電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。
現在は別の病院に通っており、双極性障害の治療薬ではなくコンサータとデパスの頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。
結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。
当時20代で、ブルーカラーの非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルのうつ状態と希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。
電気けいれん療法は入院が必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。
一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。
副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。
ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECTの副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。
強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ちの区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。
朝9:00から受付を始める。診察券を出して、午後に診察
家がちょっと遠いので早起きをしないといけない。精神科は大人気なので出遅れると終日待たされてしまう。
大体9時過ぎに行くと15時ごろに来てください、と言われる。でも15時に来てもそこから概ね1時間は待たされる。
30分待たされる時もあれば3時間近く待たされる時もある ムラっ気がやばい。
なんせADHDなので、他の事に集中してると呼ばれても聞こえない。看護師さんの声に集中しないといけない。無我の境地だ。
呼び出す看護師さんは受付番号を言わないので、何番目の人が呼ばれてるのか全く見当がつかない。
何番目くらいですか、と聞くと順番にお呼びしています。と言われる。そりゃそうだよな。
いつ終わるかわからないけど無我り続けるしかない。ADHDなのでこれもつらい。出会って4秒で診察してくれ。
そんな感じでまんじりとしているとすごく疲れる。ADHDだからである。
すごく疲れてるのでもう診察を受ける頃はお医者さんと話す元気はない。なんでもいいから処方箋ください、みたいになってる。
そもそもお医者さんと話すのも疲れる。最近どうですか?と聞かれても何が?と思う。これもADHDの業である。何をどう答えていいのかわからない。摩耗した精神だと尚更わからない。
あと相談できる友達いないの?とか聞かれる。友達と連絡とってみなよ。なんで連絡できないの?ってめっちゃ聞かれる。
書き出してみると当たり前の質問だけど聞かれるとすごくつらい。これは鬱気味だからですね。
人と話すのめちゃくちゃハードル高いからそんな簡単に言わないでくれよ。ちょっとマテ茶だよ。正論ティーはマテ茶つってね。
この10分強の為に1日待たされた虚脱感に支配されつつ処方箋もらって帰る。
すごい疲れるけどしょうがないよなぁ。大人気クリニックだから診る先生も大変なんだろうなぁ。
イレギュラーなことが沢山あって時間通りに行かない事もザラなんだろうな。抱えてる悩みは人それぞれだから、診察に時間もかかるよな。
そもそも受付してから受診するまでの時間がマチマチなのは普通なのかなぁ。ADHDだから死ぬほど苦痛なだけで、普通の人は別になんとも思わないのだろうか。
果てしなく疲れたので受診した日はもう何も考えられないし何もする事が出来ない。とにかくコンサータ飲んで抗うつ剤飲んで明日からも頑張ろうな。
傾向がある、ってこの前医者に言われて、
次診察来るときに薬(コンサータ?)飲むか飲まないか考えてきてって言われたけど
確定診断はおりないけど薬は服用すべきなのか?とかいろいろ考えて
いやでも薬継続して飲めるだけのお金とかあんのかなとか悩んで答え出せなくてどうしよう
言語性IQだけぶっちぎりで高くて他は平均的で、だから知的になにかあるわけじゃなくて、でも動作性IQと言語性IQとの差が15以上?あるから、そこの差があなたの生きるしんどさに繋がってるのかな、とか
発達障害と確定診断は出さないけど、ADHDの傾向は認められるみたいなよくわからない感じだった
わたしは結局なんなんだ?社会に適合できてない甘えた一般人ってことなんですかね…
もうわけわからん 傾向あるけど診断はないですって一番もやもやする 違うのかそうなのかはっきりしてくれ〜
はっきりさせられないからスペクトラム云々?言われてるのか 素人だから分かんないけど…
薬飲んだら全部悩みなんてなくなるなら飲むんですけど人生そんな楽じゃないですよね 仕事辞めてえなあ 上司の存在が苦痛すぎて最近ハイヒールの音聞こえてくるだけで息苦しくてぐるぐるしてくるのやばいと思うの流石に
なんでウエクスラーでIQが高くても社会的にバカにされたり仕事が遅いと言われバカにされたり
コンサータなんか飲まされて精神科医の金儲けに使われたりするかといえばウエクスラー知能検査に信頼性がないから。
知能が本当に高い場合、必ず社会的に優位にたつし周りからノロマと言われることはない。
実社会の適応能力や、周りの評価を無視しウエクスラー知能検査のみのIQを頭のレベルとするなど本末転倒だ。
これだけは言っておく。
ウエクスラーでIQが高くてもそれはウエクスラーでいうIQが高いだけでありその人間の知能ではない。
今に始まったことではないが、ツイッターをやっているといちいちイデオロギッシュなものが目に付いてイラっとくるというか、疲弊する。
特に発達障害は診断済みとグレーゾーン、就労している者としていない者で内ゲバが起こっているようにも見える。
自分の人生がどこかうまくいかない原因を発達障害に求めることができれば、ある種の慰撫にはなるだろう。
そして診断基準がバーナム効果を生みやすいので、自己診断がどんどん蔓延る。決して自己診断自体が悪いわけではないが、自己診断をもってしてネット上で体験談を語ることを、診断済みの者たちは快く思わない。
誰しも救われたいのは自分だけなのだろう。正規の診断を受ければ、プチ覚醒剤を合法的に使う権利が得られる。
診断済みの者からしてみれば、これを健常者にまで使われてしまってはたまらない。
ツイッターでは、一種の資格持ちのように自己紹介欄に「診断済み」と記載している者が目立つ。
去年だったか、発達障害がついに大衆誌『SPA!』の表紙を飾った。「一本釣りSEX」、「美女を確実にオトす」、「山口組再結集」などの文言とともに「発達障害」が並んだのである。
ADHD の疑いがあり、通院して2ヶ月が経った。ストラテラはあんまり効果が感じられなかったため、コンサータ18mmを試している。
思えば授業中はよく居眠りをしていたし、ケアレスミスをやらかすことが多かった。部屋も片付けられた試しがない。でもそれって普通の人も同じじゃない? と問われると自信がない。
その人が発達障害か否かというのは判断がしにくい。レントゲンとかCT撮って分かるものでもないから、具体的なバリアーがあって生活する上で困難と認められたときにお墨付きが貰える。グラデーションは広い。自分の場合、院退学とか会社での低評価とかが当てはまるかもだが、それだってよくある話ではある。
コンサータを飲んで居眠りはしなくなったが、不注意とか過集中は改善されていない。忙しそうにしているPGMにコンタクトをとりたくなくて先延ばしにするのは、障害というより院進で食らったトラウマな気がする。
仕事が見当違いのところにいきがちなのは脳の特性のせいです。だから考慮してくださいというのは、頭脳労働者としては致命的な気がするし、重いタスクが割り振られなくなった(体感)のでTwitterやってる言い訳にもならない。ちなみに居眠りは指摘されたがTwitterは指摘されなかったので別にいいのかもしれない。そのうちはてブもやるか。
カウンセラーの薦めで、会社には「最近気分が落ち込むため、脳の神経に効く薬を処方してもらっています。まだ傾向ありの状況なので鬱とか具体的な病名は出ていません」と説明している。嘘ではない。嘘ではないが、障害と怠惰の違いが自分でも分からないため、はっきり言うのは抵抗がある。
注意欠陥・多動性障害と言われているこの障害は、社会全体で見ても5%?くらいはいるらしい。(結構いるね)
ADHDというのは色々なタイプがいるが、自分は「注意欠陥」が強いタイプらしい。
自分のやってきた事を例でいうと、物忘れがものすごく激しくて、注意していても物は失くすし、やる事は忘れるし、部屋はうまれてから一度も片付いたことはないし、紙に用事を書けば紙ごと失くし、やりたくない事に注意を割くことが大の苦手で興味のない仕事はまったくやる気がでない。そして、それが努力してもなおらない。そんな感じだ。
薬ももらった。コンサータという奴だ。即効性があり、12時間程効くらしい。今の所効いてるんだか効いていないんだか、よくわからない。(目はしゃっきりする)
診断された事はいい。長年の疑問はすっきりだ。
それは親だ。
親はなんと理解を示してくれ、私が物を無くしたり忘れても「そういうもんだ」と許してくれるようになった。
「なった」という事は、診断前は違うという事だ。
小さいころからなくし物忘れ物先延ばし癖が全開だった事もあり、毎日3点のどれかで叱られていた。
筆記用具等は一瞬で消え去るし、なんなら筆箱ごと消え去る。
それを親に報告すると出てくるのが、「お前の努力不足/注意不足だ」という言葉だ。なくさない努力、なくさないように注意する努力が足りてないという事だ。
それに対し、「自分なりに努力している」「努力しているのになくなるのがなぜか自分でもわからない」といおうもんなら、「それはわからないんじゃなくて、わかろうとしていないんだ!努力不足だ!ふじこ」と無限ループだ。
まぁ、親はこんな感じで、「失くさないように一緒に気を付けよう」ではなく「失くしているのはお前の努力不足だ」という方向性だったので、「失くさないように他人(親)に頼る」という選択肢はすっかり消え失せ、「自分が努力していないから忘れる、自分の力で頑張らなければいけない」「自分のせいだ」とずっと思っていた。
そして努力の結果が結びつかない自分は、他人より劣る駄目な人間なのだと思っていた。
常に失敗していないか、間違えていないか、忘れていないか、他人の迷惑になっていないか、そして、怒られないか。
自分が忘れたせいで出来た穴を埋めなくちゃ、謝らなくちゃ、もう間違えたくない。
それで頭の中が一杯だった。
そしたらこれだ。
努力不足でも、だらしないクズ人間なのでもなく、自分は「そういうのが根本から苦手な人」のようだった。
私の特性を理解した親は、私が物を無くしたり忘れても「そういうもんだ」と許してくれるようになった
そして最近、「他人に頼れるようになれ」と言ってくる。自分が苦手な事を他人にわかってもらえという事だ。
それはもっともな意見だ。わかる。それに、理解してくれようとしている事は、世の中を見るに大変ラッキーだと自分でも思う。
でも、モヤモヤする。
「努力が足りてないから」と怒られ、しかし努力しても努力しても一向に直らずどうしていいかわからない私に、「わからないんじゃなくてわかろうとしないだけ」と言ったな。
それなのに今「努力不足なんじゃなくて、そういう物なんだよ!わからなくてもしょうがない!」と理解されても、なんだか、もう………無性に悲しい。
小さい頃の私の無念が、成仏できずにずっと胸の中でこだましている。理解してほしかった、もっと話を聞いてほしかった。どうしてかな?おかしいんじゃないか?と考えてほしかった。
親でさえ私の失敗を許してくれないのは、本当に、辛かった。
そして、その過去の気持ちを整理できないせいでもやもやしている、自分の器が小さすぎて反吐が出る。
昔の私にはさっさと成仏してもらって、今理解してもらえてラッキー!自分の特性が理解できてラッキー!前向きにいきよーぜ!そう思わなくてはいけないはずなのに、自分がちっちゃい奴すぎて、しにてぇ~ってなる。
あーあ。
中学受験はそのIQの高さも影響してか、完全無勉でそこそこの中高一貫校に入学した。
中学のときにゲームやインターネットにハマり、宿題もほとんどやらず授業以外一切勉強していなかったが、やはりここでも学校内で平均より少し下くらいの成績を維持していた。
高3の夏休みから流石にやばいと思い受験勉強を開始して、塾・予備校を使わずに有名国公立大学に進学した。
本題はここからで、高校時代までとくに褒められた経験が無かった。努力した人が褒められるのはもちろん分かる。ただ、もとから頭が良い人間はむしろ忌み嫌われ、努力マウントを取られることに納得がいかなかった。
受験勉強期間、仲の良かった友人に「なんで俺の5分の1も勉強してないお前の方が模試の点数高いんだよ、死ね」と言われたことはやはり忘れられない。(冗談っぽく言ってはいたが、この後疎遠になった)
自分がギフテッドだ、とまで言うつもりは無いが、今後自分のように劣等感を感じる人が出てこないように日本でも2E教育が進むことを願う。
修正しました。漢字にかなり弱いのでまだあったら教えてください。
不快にさせたならごめんなさい。2Eの語源がtwice-exceptionalなのからもわかる通り発達障害の人は皆IQが高いという訳では全くないので、ADHD全般に話を大きくするのは控えていただきたいです。
大学名を隠す意味も確かにあまり感じなかったので正直に言うと、東工大です。国語力が致命的に欠落していたため東大は断念しました。確かに大学には自分と気の合う人も多く、楽しくやっています。プライドが高いだけというのは確かにそのとおりかもしれません。
診断済みです。
追記2
あまり意識してなかったのですが、それはあるかもしれません。今まで多動衝動性に感じては自覚が薄かったですが、気をつけてみたいと思います。
tomiyaiさん
primedesignworksさん
夏から勉強を初めて合格できたのはコンサータを飲んで集中力にブーストをかけた事も要因のひとつとしてあるかもしれません。
akainanさん
東工大に入って自分より頭の良い人に出会え、今は比較的充実しています。
文章の書き方が悪かったですが、主に高校生時代に思っていたことを書きました。一部修正します。
mazmotさん
とりあえず、だいたい俺と一緒。
自分も31の時においつまって、死にそうになったので、そろそろ限界だと思う。
コンサータを貰って劇的に改善したので、何も考えずに治療してもらうのが良い。
今、41だけど、要領は数ミリしか良くなくなってないけど、タフネスになった。
ファミレスに行くのもだいぶ慣れた。
ADHDのパワーを信じて。それを毎日毎分毎秒ごとに軌道修正すれば、数ミリ良くなる。それまで我慢ではなく、自分を受け入れて。死ななきゃいい、何も無くてもいい。意味なんか要らない。だいたい失敗だけど、時々上手くいく。その積み重ねに疲れないように。
完璧な人とか有能な人であっても、多分それは努力だったり、素朴な積み重ねだったりするので、そういうところを完コピする気持ちで。あとは笑って生きよう。