はてなキーワード: 筋肉とは
設定による
それまで最強だった存在(近衛騎士団長等)をかませ犬として軽く殺せるが
驚きはない
「人体の筋肉量など無視してレベルなるものが強さを決める」のなら
人間のレベル上限が99なら、レベル上限が150とか999とか
これも、最強だった存在(帝国皇帝等)をかませ犬として軽く殺せる
何にするにせよ、主人公やボスはルールの隙を突く存在となるだろう
サガフロ2では「アニマ」というルールに対して、「鉄」を使った
「いやいやお前ザオリク使えるだろ」「フェニ尾99個あるんだが?」とか
「頭に矢を受けて平気なのに、暗殺者の小刀で頸動脈?」とか(いわゆるムービー銃)
防御力が体を守るとしたのに(設定)、背後致命で殺せるなら(シーンA)、あのシーンで主人公死んでた(シーンB)
シーンAとシーンBが後付け設定で矛盾する
↑
↓
はてなー「男らしさ・女らしさとかもう古いよね」
探してないけど同じアカウントでそれぞれ言ってる人いると思います。
なんなんでしょうね。
「現実において男女の役割を区別するのは間違っているけど、創作の中では男女ごとに得意な役割があるのは当たり前」辺りでゴールポストの前に時空の歪み生み出してんでしょうかね。
僕としては「ぼっちは実は顔が良い上に胸も大きい」は作品の重要な要素だと思ってまして、それを「チンコも大きい」にして果たして作品が同じように成立するのかというのは非常に疑問に感じるわけですから、性別だけを反転させた場合に持ち味も変わるだろうなと思ってます。
同時にどうあっても男女には違いが存在し、少なくとも性的な魅力を持つとされる部位として女性の胸に相当するものが男性には存在しない、筋肉の逞しさというのは運動能力等も意味するので性的魅力だけの役割で終わり得ないから等価にはならないわけで、つまる所男女の違いを完全に0に出来るわけがないという考えです。
女性がピンクが好きとか甘いものが好きだとか、そういった物についてもまだまだ分からないことが多く、たとえばそれは単に生理の影響だったり男性には色盲が多いことから色に対して執着を持たない人間の数が変わるとかでは終わらないホルモンの違いによる明確で絶対的とさえ言える性差かも知れない訳でして、そこにらしさというかある種のステレオタイプは存在するのかなと。
他人に対して思考する度合いを減らしたいがために相手を簡単な分類わけで終わらせようという他者理解に対して怠惰な姿勢を取ること事態が間違っているという意味で言われるらしさの否定というもの、では情報が少ない状態の相手にどういったアプローチをしていけばいいのかのとっかかりを簡単に減らしていって大丈夫なのかという不安はありますね。
ひとまず男女に差はあって当然というのが僕の考えです。
VSのオタクだけど、改革前からすでにオタクからも不評だったし失速の原因は多様性フェミニズムの欠如とかじゃないと思うのでここで書く。
崩壊直前のVSは、アドリアナ・リマなどのVSの時代を作ったカリスマモデル(エンジェル)が高齢化し卒業していく中、次世代のエンジェルを見つけられないでいた。エンジェルは複数名いて、全員がセンター級のアイドルグループのような存在になっていた。よって次世代も全員センター級のモデルが複数必要だったが、VSが発掘できたのはテイラー・ヒルたった一人のみ。圧倒的な人員不足だった。
そこでVSは何をしたか?下着モデルではないが若者に知名度抜群のモデルをショーなどに起用してお茶を濁したのである。つまり、ケンダル・ジェナーやジジ&ベラ・ハディットなどを起用したのである。彼女たちは下着モデルではないため、体格も下着向けではないし、体造りについても、たった一日のショーや撮影のために下着モデル向けのことをしていなかった(筋肉が不足していた)から、非常に貧相に見えた。エンジェルは事実上解散状態で、テイラー・ヒルがソロでなんとか頑張っていたが、テイラーはグループの中にいてこそ輝くタイプで、一人で牽引するにはあまりにも無理があった。この状態が数年続いて、やがてVSは崩壊した。
オタクが思うに、VSというブランドはエンジェルたちの人気あってのものだったのに、そのエンジェルの世代交代に失敗したために失速し崩壊した。アイドルグループが初期メンバーたちのカリスマで爆発的人気を得て国民的グループになるも、やがて卒業し、次のカリスマが見つからず、あるいは見つかっても一人とかだけで、グループとして失速するのと似ている。
VSの失速とか崩壊を多様性とかフェミニズムとかいうのは、普段そのようなことばかり考えてる人が、それっぽく後付けしたとかしか思えない。ニュースで崩壊という結果だけ知って導き出した結論ではなく、ちゃんとVSを見てきた人なら、エンジェルが見つからずに衰退した時期について述べないのはおかしいと思うし、それに、エンジェルの肉体美は多くの女性に、食べずにガリガリでいる美より、食べて筋肉をつけた健康的な美を知らしめた。その功績をフェミニストが評価しないのもおかしいと思うからだ。
よう、俺だ。
ハードと言ってもまだ特殊な道具とか特定部位の筋肉を鍛える必要があるような奴には手を出してないけど、でも今までの俺のオナニー史では間違いなく一段階「上」の刺激だよ。
もともと遅漏気味で、これ以上遅漏にならないようにと思って、ずっとハードなオナニーはしないようにしてたんだけど、ちょっと考え方を変えたんだ。
オナニーをセーブして得られる快感が減るのって人生単位ではかなりマイナスだよな。
で、よく考えたら俺はあんまりセックスでは射精に重きを置いてないなと気づいたんだ。
セックスは好きだけど、どっちかっていうと奉仕したいタイプなんだよな。
今まであんまりはっきりとは考えてなかったから、セックスといえば射精だろと思って、結果的に相手を俺の射精に長時間付き合わせてしまったこともある。
反省してる。
セックスは俺の大好きな奉仕とコミュニケーションの場と割り切る。
これからはさ、相手の集中力が切れたなと思ったらそこで射精したふりだってするよ、俺は。
そう決めたんだ。
そしたらさ、急に目の前が明るく開けた感じになったんだよ。
小学生の頃、古紙を回収するための無人の倉庫みたいなのが各地区ごとに出来てさ、そこを巡回してれば新鮮なエロ本が無限に手に入るようになったんだ。
そのとき以来だよ。この胸の高鳴りは。
すごいことだよ。
わかってみれば本当になんでもないことで拍子抜けしている。
時間とともに和らいで寝る頃にはなくなるものの、翌朝起きるとまたひどい肩こりになっている。
ビジネスバッグを持つタイプから背負うタイプに変えてみたりマウスを右手から左手に変えてみたりスーツをやめてラフな服装にしてみたり、色々試してみても毎朝の肩こりはなくならなかった。
それが突然解決した。
これから寝に入ろうとするとき、腕をおでこに乗せる癖があった。
頭のあたりに何もないと不安になるといったほうがいいかもしれない。
タオルを載せたりもするが、結局は腕の重さがちょうどいいからと気がつくとおでこに腕が乗っていた。
今になって考えてみれば、首を支点としてそこから遠いおでこにそこそこの重量がある腕が載っているのだから、首から肩にかけての筋肉に負担がかかるのは当然だ。
肩こり対策に買った首元だけ高くなっている低反発の枕も良くなかったのかもしれない。対策に買ったつもりが悪化させる要因になっていただなんて皮肉だ。
とあることがきっかけで、一週間ほど腕を乗せないように眠るようにしていたところ毎朝苦しんでいた肩こりが楽になっていることに気づいた。
その時は肩こり対策のつもりでやってはなかったので、まさか肩こりが治るとは思ってもいなかったので、とんだ副産物である。
万人に通用する対策ではないかもしれないが、寝起きに肩が痛いという人は、首から上の重量バランスを気にしてみても良いかもしれない。
ちなみに、腕を乗っけないようにするきっかけというのは、実はハゲ対策だった。
腕がおでこに載っていると途中でずり落ちるのか、朝目が覚めると必ずと行っていいほど前髪が綺麗に逆立っていた。
そのせいかわからないが、最近鏡を見ると生え際からどんどん薄くなっていることに気づいた。
これはまずいと原因と思われるもの全てに対策を施してきたのだが、そのうちの一つがこれだった。
ただ漫画よりは悪かった
1よりひとがワチャワチャ動いてていいね
でも演技は相変わらずドヘタだし
現作モブキャラの魅力が半減してたのが残念
数学者とか経営者とか好きだったんだけどな、説明すら無いモブ処理されてた
あと解説が不十分だったと思う
基本的にゲームが有り、裏を読むがダメで、その裏を読まれるんだけど更にそれを打開する
みたいな構造で、いかに視聴者を「裏を読んだけどダメだった」まで連れていくかが難しいところだけど、これじゃゲームルール理解するあたりで終わるわ
あと「そこ変えたらあかんだろ」とか「そこ説明しなきゃダメじゃん」みたいなシーン沢山あった、何でジョーカー消したし
いい改変もあった、キャラのモチベーションの整理は原作より自然になってるところもあった、あとアクションとかは国内にしては頑張ってたと思う
背景映像は相変わらず頑張ってた、渋谷の町並み再現とかそこでのカーチェイスとかね、どこからどこまでCGかわからなかった
てか思えば1−1が一番酷かったな、これは原作もそうなんだけど
原作って尻上がりなんだよね、最初の方マジつまんなかった、ネクストステージからは結構好きだし終わり方も悪くない、デスゲーム漫画は序盤の勢いだけってことが多いけど
神だぞ!こっちは神ぞ!!!?
戦闘に虎が突然乱入してくるの、こんなもん実写版ゴールデンカムイだろ!
知らん!偉そうなおっさんが!エンドロールにドアップで出てくるけど!もう踊るしかねえんだわ!
ナーロッパとか描いてヨーロッパに憧れてる場合じゃねえんだわ!韓国映画じゃねえんだわ!インドだ!時代はインドだ!
植民地がなんだうるせえ!大英帝国みたいな一神教に負けるわけねぇだろ!
ぶっつぶすぞ!!
少し落ち着いたが、相当話題だったのに見るのが結構遅れてしまったことを後悔している。
RRRは人気だったバーフバリの監督作品ではあるが、時代も違えばテーマも違う。
監督の意思や作る意図を感じさせられた点でもかなりブラッシュアップした印象だ。
以前からインド映画はなぜそこで歌うのか、という違和感が拭えなかったが、今作はここは歌わないとこだと冷静に判断できてるし、ここは歌い踊るべきだろうというところで、しっかり歌い踊っている。
映像は圧巻。ストーリーより映像先行ではないか?というほど(ストーリーもしっかりしてるのが今作のすごいとこ)
いわゆるCGの視覚効果が、というよりはスクリーンいっぱいに剥き出しになる筋肉とアクションがとんでもないのだ。
とんでもないといいつつ、バーフバリと違い時代が近代になったのでリアリティがあるのも良し。
ホースが暴れまくってるのを背景に、水神の化身を演出するのは、あまりにもギャグでしかないのにかっこいい。
ゴールデンカムイと書いたが、本当に漫画で見たありえないレベルのアクションで肩車が一番強いのも実感した。
人種的な話もそうだが、こういった部分で日本人はおそらくインド映画を、欧米人よりも思想や宗教観から理解出来る部分が多い。
実際に白人黒人論争で思考が止まってしまった国よりも、冷静に作品の評価ができると思う。
作風的に白人社会やイギリスでの評価が低くなってしまうので日本人のレビューは大事だろう。
インド映画は世界も意識しつつ、自国文化や自国の歴史、社会問題についてしっかり向き合っているのが印象的だ。
映画界の階級社会も問題としてあるのだろうが、映画を見ると、そこに抗う声も聞こえてくるのが面白い。
今作で、欧米等に染まりきらない、自国の意思を持っている映画を作っていることに改めて尊敬をした。
だから日本人も欧米人の真似をしてエンドロールを真っ黒にする必要はないのだ。
積極的に踊っていくことを忘れてはならない。ソーラン節か盆踊りでいい。だめかもしれない。
日本人の感覚に沿えば、漫画のような勢いのあるオリジナル映画をもっと撮っていけるはずなのだ。妙に外国に染まりすぎたのではないか、実写映画界。
にしても年内これを見ずに終わる映画ファンはもったいなさすぎる。
多分AAAカップの嫁(ガチで小学生男子レベル)が豊胸したいと言い出した
なぜ?と聞いたら「自分の体を見てテンションが上がるという経験をしたい」そう
まあ俺も自分の身体がムキムキだったら嬉しくなくはないなと思うからしたいようにすればいいと思うし金も出すけど
手術失敗が怖すぎるんだよな
感染とかはもちろん、もし変な形になったらテンション上がるどころか(嫁が)死にたくなるだろうし
昔より整形の技術は上がってるといえどもTwitterで調べてたら失敗例も出てくる
送り出すか迷う
みんなならどうしますか
(追記)
色々ありがとう
書いてくれてる人いたけど、そもそも体質的に太れない(脂肪がつかない)から頑張っても筋肉もあまりつかないかつ太って脇肉やら背中肉やらを寄せ集めるみたいなこともできないっぽい
とりあえず大きめの下着を買ってハンカチをつめて服着てみたら?と伝えたら早速今日実行してたんだけど
大変満足して「もうこれでいいかもしれない」と言ってました
たとえばXvideosで黒人が超でかいチンポをまっすぐおっ立てているの見ると感動するじゃないですか。
セックス中にプロレスの投げ技みたいにグルっと体位を切り替えてるのを見たら心が揺れ動くのは当たり前ですよね?
そこからの延長で「究極のチンポ」をいつかみたいなと考えてるんですよ。
そういえば美乳って概念はあるのに美根という概念はないですよね。
これがどうしてなのかって、日本が修正主義の国だからなんじゃないかなって。
とりあえずなんでも修正してしまうから、皆銭湯でたまにチラっと目に入るアマチュアのどうでもいいチンポと自分のチンポしか知らずに過ごす。
そもそも日本人ってチンコ自体が小さいからまず「大きい」かどうかばかり気にしてしまう。
次はカリ高かどうか。
そもそもオナニーばかりしてるので皆チンコがグニャグニャに曲がっているんですよね。
とはいえグニャグニャチンポ自体はセックスにおいて不利というわけでもなくいい感じに相手の中でうねる効果を生み出せます。
もしもフランベルジュのような機能美を研ぎ澄ませたグニャグニャチンポだったら、それは単なる直剣チンポに勝るのではないでしょうか。
こういった話をすると「お前、ホモなの?」と言われてしまうんですよね日本という国は。
悲しいことにこの国には「チンポに美しさを見出す」という文化が育っていないように思えます。
エロを肯定するはずの性消費業界においても、チンポは醜いものとして扱う「チン嗅ぎ」などの性癖がメジャーとなる始末です。
でも違うと思うんですよ。
ローマの彫刻家がチンポを包茎で描いたのは勃起したチンポの醜さを避けたからではなく、高◯クリニックに毒された日本では下に見られがちな包茎チンポにさえも美を見出したからだと考えられませんか。
逞しい筋肉と反比例するかのような控えめなチンポに、鞘に納められた日本刀のような堂々とした佇まいを感じたからこそ文化史になだたる人々は包茎チンポを衣服によって隠すのではなく描くことを選んできたのです。
分かりますか?
チンポの美しさを決めるのは大きさではない。
この貧しい国の中で、僕はどうやって「完璧なるチンポ」を見つければ良いのでしょうか?
英語を覚えれば良い。
そのとおりですね。