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はてなキーワード: 石油ストーブとは

2022-04-10

大物金属製品の無料回収を踏みとどまった

金属くず商許可証古物商許可証が載った連絡先が080の無料回収チラシが投函されていた。

石油ストーブを捨てたかたか渡りに船と出すつもりだったが、良心の呵責ラインギリギリオーバーしたのでやめた。

やめたはいいが大きいストーブ我が家に鎮座したままなわけで。

家の前に出すだけとは違って捨てるのに金と手続き必要なわけで。

せめて誰かにほめて欲しいがこんなこと手を出さないことが当たり前なのだからほめられるわけもなく。

無料回収に出したら出したでモヤモヤするだろうと踏みとどまったが残ったストーブと出せてスッキリしていた仮定未来にもモヤモヤしている。

ままならねー

2022-02-23

anond:20220223071607

エアコンが許されるのは小学生まで

文明が滅びても灯油さえあれば石油ストーブなら生き残れる

2022-02-05

最近流行りのねっとり系の焼き芋より、ほくほく系の焼き芋の方が好きだ。

子供の頃、よくバアちゃん石油ストーブの上にアルミホイルに巻いたさつまいもを焼いてくれていたが、なぜだかベチャベチャで好きになれなかった。

たまに石焼き芋屋さんが来て、そこで買った焼き芋はほっくりした水分少な目で、それを食べたとき

「これこそが真の焼き芋だ!ストーブで焼いた焼き芋焼き芋じゃなかったんだ!」

と目が覚めた。

しか現代、なぜだか世の中は安納芋代表とするねっとりベチャベチャの焼き芋を是とし、ほくほく系の焼き芋否定されている。

不思議だ。

俺はほくほく系が好きなのに。

2022-02-02

冷風扇買うくらいならウインドエアコン買え

壁掛けエアコンが一番良い。

部屋が汚くたって取り付け業者の人には(そこまで)気にならないと思う。

俺も家庭教師バイトしてたけど、ゴミの山で仕事したことも一度じゃないし。

でも、エアコンなんて無くてもいいかなと思う人もいると思う。

それで、何かと理由をつけて冷風扇とかスポットエアコンとかで誤魔化しているのではないだろうか。

俺も何年も冷風扇だったが、夏の暑さによる不眠に悩まされてウインドエアコンに手を出した。

壁掛けにしなかった理由は、手軽なのが良かったとか、器具無しで取り外ししたかったとか、そんなんだったと思う。

そもそもコロナになる前は、家なんて寝に帰る場所くらいの感じだったし、家を快適にしようとはしていなかった気もする。

その年からパフォーマンスが劇的に変化した。

夏の夜に寝られることがこんなに素晴らしいことだったとは。

うるさいのはうるさいのだが、氷たっぷり冷風扇なんか屁にもならないような快適さ。

エアコンは贅沢なんかじゃねえ。本当にそう思えた。

そして結局、壁掛けを導入した。


じゃあ壁掛けエアコンを買えって日記しろと思うだろうが、コレは俺みたいに偏屈なヤツ向けの日記だ。

こう、ワンクッション無いとなんとなく手が出せないのだ。

それにウインドエアコンには利点も多い。

自分で取り付け・取り外しができる

取り外しができるので、リセールバリューも悪くない。バリューはおかしいか。でも手軽に人に渡せる強みがある。壁掛けは人にあげるとなっても一苦労あるし。

そして安い。ハイアールはいつでも安いが、今の時期は売れ残ったコロナのが安く買えてオススメだ。冷風扇が5000~8000円、お高いDC扇風機は3~4万円もする。だったら2万5千円でウインドエアコンを買え。

ガスが抜けにくいというのも良い。いや、破損して抜けることもあると思うが、むかし客間にあった壁掛けが施工不良でガスが抜けたことがあったのだ。補充してもらうのに2万円かかった。

また最近のは窓が閉められる。古い家の半開きの窓からエアコンが飛び出している光景を見たことがあるかもしれないが、今は室内に出っ張ってる部分のみ。使うときだけ窓を開けて、出かける時はかぎをかけられる。右でも左でもどちらの窓にもつけられる。


貧乏生活が長いと、壁掛けエアコン敷居が高いかもしれない。

だってカネがないわけじゃなくても、“エアコンを取り付けてもらう”というサービスに少しビビった。

からない人には意味不明だと思うが、なぜかこれしきのことにビビ人間はいるのだ。

からウインドエアコンおすすめする。

DC扇風機より安いと言われれば、心の敷居は下がるだろう。

スポットエアコンも悪くないけど、同じくらいの値段を出すなら排熱の問題的に窓に設置してしまったほうがいい。だいたいそんなにスポットエアコンを移動しないだろ。鬼みたいに重いぞ、アレ。


きっと身近には、ウインドエアコンなんて使わないで最初から壁掛けエアコンしろと勧めてくれる人もいると思う。

それは正しいし、俺もそれを勧める。

でも、できない人はできないのだ。

そんな貴方は、ぜひウインドエアコンを底値のうちに買っていただきたい。

エアコンは贅沢なんかじゃないのだ。


ただし一人暮らし女性は除く。いや、一人暮らしに限らないか

夜に窓開けて寝るのは怖いよね。

そういう方は素直に壁掛けエアコンを買ってください。


追記

冷房専用機ってどうなん?

エアコンに詳しい人によく言われるのは、冷房専用より冷暖房タイプの方が良いということ。

でも壁掛けだと冷房専用機のほうがかなり安いのだ。

個人の好みと思うが、俺は東北に住んでいて冬にエアコンで暖を取ったことは1~2回くらいしかない。急に客が来ることになって、急いで部屋を温めた時くらいかと思う。

だいたい冬は石油ストーブコタツしか使わないし。

それで、個人的には冷房専用機で良いと思うのだが、売り場の人にも業者の人にも「暖房もあったほうが良い」と言われる。

正直どうなんだろうか・・・

うまく説明できる人がいたら、教えていただきたい。

2022-01-04

anond:20220104011340

運転する側であり毎日通勤に1時間かかってる増田ですが

そもそも自分のような運転手側は常に歩行者や周囲の状況を見ながら運転しています。人を殺す道具かどうかについてはそのとおりでしょうが、それってたとえば「印刷機は人を巻き込めば殺してしま機械だ」という話とあまり変わりません。確かに印刷機に巻き込まれれば重傷を負いますし最悪死亡します。エレベーター工事車両も同様です。

ただしそういうものは必ず免許安全確認と何重もの安全装置によって回避されることです。ネイキッド状態存在するもの現在社会ではあまりありません。

身近で言うなら石油ストーブ事故だって安全装置がありますね。

ようは車に限らず多くの身の回りのものは何らかの危険性を孕んでおり、それらを操作する側は教育を受けて最新の注意をして様々なセーフティガードで守られています。そのうえで人を殺すかどうかを主題に上げているなら、そういった操作する人々の意識安全装置無視するのはいかがなものでしょうか?

単に人を殺す意識を言われるのなら、普段から運転手は意識していますし、それ以前に交通違反などをしないようにしています。速度超過はその典型でしょう。スピードの出し過ぎを防止することは人を殺さないようにする単純な安全策です。多くの運転手が速度超過を気にしているのは別に人を殺さないためではありませんが、速度を気にすることで守られる命があるのは事実です。

運転手はあなたのいう自覚普段からもっているといえるのでは?

2021-12-06

灯油の買い出しを済ませた

家の暖房石油ストーブを愛用している

エアコンよりも部屋が暖かくなるし、上にやかんを置いて加湿したりスープ類を調理したりできて便利

冬っぽい風情もあり素敵なストーブだが

欠点灯油を定期的に買いに行かなければならないことだ

ストーブを買う前は灯油配達して貰えばいいと思っていたのだが、

最低発注量が一人暮らしには持て余す量だったり、意外と近所のガソリンスタンド配達対応していなかったりして、配達してもらうという計画は早々に崩れた

仕方がないので自分で容器を抱えて近場のスタンドまで灯油を買いに行くのだが、

行きは容器が空だから良いとして、問題は帰り道だ

灯油満タンになった20kg近い重さのポリタンクを抱えて自宅まで歩くのは重労働だし、かといって軽くするために容器の7分程度に抑えると買い出しの回数が増えてしま

だいたい2週間に1度のペースで買い出しを行っているわけだが、せっかくの貴重な休日灯油の買い出しというタスクが常に占有しているのは少々しんどい

2021-12-02

冬の暖房最強ランキング

1位 石油ファンヒーター 速暖かつ保温性能抜群、タイマー設定で起きる前に部屋を温めるという気配りも嬉しい冬のエース、定期的に延長ボタンを押さなければならないのが珠に瑕

2位 石油ストーブ 保温性能が高いが速暖性とコスパタイマー設定不可な点がファンヒーターに劣る、しかし上で料理をしたりお湯を温めて加湿器役割もこなせるファンヒーターライバル

3位 エアコン チームの大黒柱、最強のコストパフォーマンスを誇り部屋全体を暖かく包み込む頼れる兄貴分、室温を上昇させる馬力に少し欠けるので他のメンバーサポートしよう

4位 こたつ 最強の個人プレイヤー、チームワークは期待できないが自分守備範囲内では他のメンバーには不可能な快適さを実現する尖ったアタッカー

5位 ホットカーペット 単体では勝負にならないが、いると嬉しい裏方、暖房界のマネージャー存在

ベンチ

毛布

オイルヒーター

電気ヒーター

2021-08-19

anond:20210819122739

石油ストーブも液体の石油を直接燃やしてるわけではないからな…

芯の部分で気化した石油(または霧状にした石油)に火をつけて、さらに後続の液体石油を熱で気化させてさらに燃やしてる


この小細工が必要なくて、常温で着火可能な程度に自力で気化する基地外燃料がガソリン

2021-06-25

anond:20210624232752

ガスストーブが最強の暖房器具だと思っている

(最強の暖房器具って言っても、暖炉とか薪ストーブとか使ったことないから本当に最強かどうかは分からんが…)

ガス代バカ高くなるけど、灯油を入れるストレスを解消し温かくなるまでの時間をかなり短くしてくれる。

ガス屋さんが大きなタンクに定期的に給油しに来てくれて、そっから自動的ストーブに給油される様な石油ストーブがあれば寒冷地では売れるかもね。

据え置き型というかビルトイン型で、パイプラインみたいなのを家の下に通さないと駄目だろうけど。

まあ、偶にばくはつしそうだね…

2021-05-27

anond:20210527152258

このアニメ石油ストーブを使っているのに「1時間おきに換気してない!」

2021-01-09

anond:20210108145149

石油ストーブやかんのせて

お湯が湧いたら湯たんぽうつして布団にくるまるのが一番安上がり

ただし睡魔こたつ以上に堪える


部屋を温めなくても

足先と耳が暖かければ0度付近なら問題はない

2021-01-03

家燃やしたいくら寒い

寒すぎて石油ストーブじゃ全然暖かくならない

家ごと燃やせばちょっとは暖かくなるかも

でも家が無くなったら多分もっと寒い

そして懐も寒くなると思う!!!

俺はこうやってちゃんと先を見通せるタイプ人間から家は燃やさな

めっちゃ寒い

石油ストーブの前から動けない

2020-11-30

寒くなってきてから、ずーっとねてる

眠い

ねてもねても眠い

いくらでもねむれる

人間冬眠するのかと思うほど寝ている

自分だけでなくなぜか家族もよく寝てる

室温の問題なのかな

北海道に住んでいた時は冬の部屋ってあったかかったけど、東京寒い、本当に寒い

東京の寒さは、温度が低い・冷たいと言うより、風邪をひく時のゾゾゾ…がずっと続く感じ

満足ゆくまでエアコンをつけるのはちょっと怖いし、部屋中からからになる

賃貸から石油ストーブ不可

コタツアレルギー体質なので避けてる

窓にプチプチを貼ったのは少し良かった

肩と背中と足の裏から寒さを感じてる気がするので、着込むしか無いのかな

色々着るのも重いしだるくて、お布団にシュポーンと入ってじっとしてしま

2020-11-21

anond:20201119234440

昭和55年ころの東京郊外

商店街個人経営果物屋肉屋魚屋八百屋惣菜店電器店書店花屋があった。いまはすべてなくなった。

住宅地商店街の境目に酒屋と豆腐屋米屋牛乳屋があって、米屋プラッシーを売ってたなあ。あと正月には餅を米屋経由で買っていた。酒屋以外はつぶれちゃった

風呂屋複数あった。やはりすべてなくなった。年に1回くらい連れてってもらってマミーという瓶の飲料を飲んでいた

冷房電車がまだ珍しかった記憶がある。電車扇風機があたりまえで、冬になるとカバーが掛かってて、それがなぜか「ワリトー」とか「みじかな東銀、ひろがる世界」だったはず。

・うちが貧乏だったのかもしれないが、夏は扇風機で、冬は石油ストーブでなんとかしていた。

不発弾がみつかると自衛隊が処理してくれるんだけど、処理が終わるまでは体育館のような場所に行く必要があって家に近づけなかった

・春先になるとあたりまえのようにストがあった。バスに〇〇日スト決行!とか貼ってあった。

・近所の大きめな企業下請けの小さな工場複数あった。いまから思えばプレス機だったと思うのだけど、プレス機の音が記憶に残ってる。その下請け工場大企業工場もやはりひとつも残ってない。

2020-11-19

昭和50年頃の日本田舎風景

思いついた順。順番に意味は無い。

 

田舎道路舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装コンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。

・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。

石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカス掃除先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブ石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋改装されて、学校ニワトリを飼っていた。

火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。

掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。

・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。

洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。

・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番おやつだった。

農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。

・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。

軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。

コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。

・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。

カラーTV田舎にも普及しはじめた頃。

・街へ行くたびに、あちこちボコボコビルが建ち始めていた時代1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビル建設されて、日本の街の風景が一変した。

・いまはシャッター街となっている田舎商店街に、もっとも活気があった時代

軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦特攻隊の訓練生だったとか、広島原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師リアルに居た。多くの大人たちが原爆キノコ雲の目撃者だった。

・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。

貯金金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。

・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。

・お豆腐屋さんに毎日豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。

主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋

生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミ収集車は、不燃ごみの回収が主だった。

冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。

・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦セックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。

  

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そのほか、あとで思い出したこと追記

子ども神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。

・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所神社の床下だった。

・雨の日はよくトランプしていた気がする。

レゴブロックは既にあった。当時から定番おもちゃだった。

こたつテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。

蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。

 (しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)

バスには運転手のほかに切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年

宅配便はまだ無かった。国鉄の駅から小包を発送していた。

国鉄荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定タグをつけたりしなくてはならなかった。

昭和50年代に複数宅配便会社競争で一気に普及して、国鉄荷物を送ることは全くなくなった。

女子体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活マラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。

ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。

・そんなド田舎でも新聞牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。

学校の校舎は当然木造体育館木造。今思うと、体育館のような大きな建物木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。

バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。

・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。

・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチック発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年

幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞にっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。

リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。

2020-10-31

石油ストーブ灯油香りをかぐと安心する

心があったかくなる感じがする

2020-10-08

冬の静かさとかだけ感じて生きてたい

スマホなんて捨ててさ(といいつつ捨てないんだが)、なんかしらねーけど石油ストーブとか炊いて、そのうえにヤカンのっけて湯気ふかしたりするわけや

ほんでコタツに入って、ボケーっと天井をみる

畳の匂い石油匂いストーブの音、外を走る車とか移動販売の音!

空は白いんや 冬やし

昼下がりなんだけど、太陽そもそもの弱さに雲が合わさって全体的に薄暗い

そういう中で、なにもしないでいたい

それだけが望み

2020-09-18

早く息が白くなんないか

さすがに長袖は固定、でも一番分厚いコートはまだ微妙ってくらいの時期に息吐いたら白くなってああもう冬か〜って思うやつ早くやりたい

夏はセミ、春は桜、秋はなんだろう、紅葉金木犀辺りだと思うんだけど、全部自然のアレだし受け入れるしかない 

でも冬の息の白さはなんというか能動的で、こっちのアクションに冬がリアクションしてくれた感がある その辺がいいんだよな

ていうか冬っていいよなあ

なんか異常に静かなことない?冬

遠くの国道を走る車の音とかは聞こえるし、なんなら鳥の声なんかも聞こえるから実際厳密にいうとあんまり静かじゃないんだけど、こう気持ちとして静かなんだよな

なんかアレだな 地元高校のあった街?の山(といっても道路があって車通りもそこそこある)に冬のよく晴れた日にひとり登ったニセ記憶あるな

寒いんだけど坂道身体はそんなに冷えてない状態、立ち止まるとすげえ静かで、ときどき車が横を通っていく リュックからペットボトルを出して水を飲む 冷たい! そういう記憶がある やったことないのに

とにかく冬だ冬 冬が待ち遠しい〜

コタツの中で石油ストーブ匂いとなんとなくジリジリいうような音聞きながらテレビパチパチやって、大して面白い番組ないなあなんて思いたい

石油ストーブのあったばあちゃん家はもうないし、もしまだあって今行ったとしてもコタツスマホ見るだろうな

ガキの頃スマホがなかったのは案外悪くなかった気がする 目の前にほとんど無限情報源があるのは楽しいんだけど、あのマジで暇な感じを失ってしまった

スマホ持たないで温泉旅館とか行ったらいいのかな

でも温泉旅館だと場所として良すぎる気がする

ばあちゃん家みたいな場所ねえかなあ…

2020-06-08

スーパーで安い肉を買ってきて日向に置いておく

最近暑いからスーパーの厚切りステーキ肉を日向に3時間くらい置いてから焼いている。

3時間くらい日向に置いた肉に触るとアチっ!てなるくらいに熱くなっていて驚く。

焼く前の肉はいかにも傷んだ色だけど、焼けば一緒。

注意点は焼く前にクッキングペーパーでしっかりとドリップを取ること。

十分な時間日向に置いてから焼くと、筋は柔らかくなるけど肉そのもの特別柔らかくない。ちょっと柔らかいかなというくらい。

30秒くらいでひっくり返して、片面合計1分半か2分くらい焼く。

スーパーの安肉はそれなりに中間で火を通した方が美味しい。

これまで焼く前に温めておく系で一番上手くいったのは石油ストーブの前に置いておく。

紫外線より赤外線の方がいいのかもしれない。

ちなみに私は焼き肉ご飯にワンバンさせないと食べられないけどステーキご飯がなくても食べられる。ローストビーフご飯不要。ただローストビーフを300gも食べたいと思わない。

牛カツは衣の味が強すぎて肉を味わう食べ方ではない。

すき焼きは悪くないけど、高いすき焼きは肉というよりも脂の味で、安いすき焼きは臭みが残る。

その点、ステーキは安くても高くても肉だけを食べられる最良の方法だと考えている。

2020-03-17

都会民はこたつ使わんの?

信じられない 

どうやって冬を乗り越えてんの?

こたつ石油ストーブまったりやろ。

みんな床暖?

2020-02-07

昭和の話

私の両親は戦後すぐの生まれである

父親終戦の年に生まれ、母はその翌年生まれだ。

神奈川米軍基地の近くの土地で生まれ育った。

おかげさまで幸いな事にまだ頭も体も元気だが、そう長く一緒に居られるわけでもないと思うにつけ、せめて盆や正月には一緒に過ごそうと時間を作っているわけである

そんな両親に昔の話を聞くのが好きなわけだが、

戦後すぐの子時代の話しというのは中々興味深いものも多く、

神奈川のそれなりに拓けた場所に住んでた割に、水汲みが井戸だったり、風呂は薪を燃やしていたりと、現代から見ると江戸時代と何が違うのか疑問な部分も多かったようだ。

実際、既に他界されている祖父母の家は、私が子供のころまでボットン便所であったのが記憶に残っている。

してみると、今の70代80代というのは、江戸時代から現代まで一生の間に経験したようなものであり、

今もスマホをいじっている父母は、スマホをいじれるだけでも凄いものだなあと感心しきりである

この間聞いた話では、父母が子供のころ、埋葬が火葬ではなくお棺に入れて土葬だったとの事で、

法律的火葬義務になったのが戦後であるのは知識として知っていたものの、

実際に関東首都圏土葬してた経験談というのは初めて聞いたわけで、現代における当たり前なものは、案外歴史が浅かったりするのだなあと思う次第。

当然ながら、当時有用だった技術も、時代が変わって廃れるのは世の習いなわけで、

父親は釜に薪をくべる時に如何に空気が通りやすいようにくべるかの技術を持っているそうだが、そんな技術は今となってはキャンプファイヤー焼き芋でも作る時にでも役に立てば良い方だろう。

台風の時には、窓を破られたら、反対側の窓を開けないと屋根が飛ぶなどという話を聞くにつけ、

ファンタジー小説などは、下手に便利な魔法なんて出すより、そういう「時代が違うがゆえの異なる風習」のようなものを描いてくれた方が面白くなるだろうにと惜しまれる。

土葬にも技術というか、習わしがあったようで、

木でできたお棺はそのうち土中で腐って崩れ、中に空間がある分、上の土がドサッと落ちて地面が凹んでしまうのだそうである

それを避けるために、あらかじめ墓の上には土を盛り上げておいたそうで、

昔話に出て来るお墓が土まんじゅうこんもりしているのは、何とそういう知恵によるものだったのかと、思わぬ気付きを得たりもしている。

私が子供だった頃は、白黒テレビもまだ現役で、電話ダイヤル式、クーラーは無く、暖房と言えばコタツ石油ストーブだったわけだが、

いつか甥っ子らにそういった昔の話をしてびっくりされる時もあるのだろうかと思う次第である

なお結婚の予定はないので、我が子に昔話をする機会は訪れないだろう。

2020-01-29

こんにゃくいっぱい買った

ダイエットするからこんにゃく買った

フォークで刺して

一口大に切って

お鍋にいっぱい入れた

白だし醤油

一味唐辛子

ごま油

コトコト......

石油ストーブの上で

コトコト.....

もきゅもきゅ....

うまぁ....

モキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュモキュ

うまままままあああああ(^ν^)

こんにゃくどれくらいまで食べても大丈夫

食べ過ぎると腸閉塞になるらしいんだけど

いっぱい食べたい

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