はてなキーワード: 生き甲斐とは
ただの吐き出し。
今まで生きてきて色んなものを好きになったけれど、俳優を好きになることはなかった。基本的にドラマを見ていても役としてのキャラクターは好きだけれど、だからといって中の人が気になることは一切なかった。アニメを見ていて良い声だなと思っても、中の声優さんには興味ない。そんな人間でした。
だから俳優さんに興味が出るなんて微塵も思わなかった。ましてや最近流行りのたくさんいる中の2.5次元俳優さんで気になる人が出来る日がくるとは。
初めて応援したいなと思える人が出来たけれど、俳優さんを推すには1番致命的なことが私には出来なかった。
このコロナ禍での医療職。職場から県外への遠征は控えるようにと言われてもう長い。ワクチンは打ったけれど、未だにそれは解禁されていない。
だから俳優さんの舞台やライブ、イベントには当然行けなかった。今はありがたいことに配信を検討してくださる方も多い。だからもちろん配信は全部購入した。
だけどそれでも俳優さんを推してる人から見ると私はいわゆる茶の間らしい。
「茶の間が偉そうに」とか「茶の間の分際でファンをよく名乗れるな」「お金も落としてないくせに」みたいな声があった。
このままじゃ永遠に茶の間で私は俳優さんのファンとして失格なんだな、茶の間はファンからも嫌われる世界なんだなと思うとこの世界にはいられないと思った。
医療職を辞めたらいいじゃんと思う。だけど私には私が担当してる大事な患者さんがいる。何ヶ月も経過を追ってる方が、何人もいる。
ようやくご飯を食べれるようになって、一緒に喜びを分かち合えた患者さん。片麻痺でやっと歩行出来るようになった患者さん。
そんな人たちをぽっぽって辞めることも、危険な目に合わせることもできないんだよなあ。
趣味はもちろん生き甲斐だし、世の中なにかのために仕事をしているものだと思う。
でも私は趣味のためだけにすべてを投げ捨てることは出来ないんだよね。オタクとしては致命的なのかも。仕事が生き甲斐ってわけではないけれど、趣味だけのために生きてるとも言えなくて。
そんなこんなで俳優さんを推すことが、現地に行けないことが苦しくなってしまって、ファン失格だなと思って離れてしまった。
そんな声気にせずいたら良かったのかもしれないけど。どこにも行けないし、友達にも会えないしでそこまでの元気もなかった。
遠征に行ける人を批判してるわけでも、医療職だから神聖化しろなんて思わないけど。
同じようなことで苦しんでる人がいませんように。
別にどこだって炎上するし、正直いつか炎上するんだろうなとは思っていた。
この間、沼は三つ作れみたいなツイートあって、あーそうだよなそりゃそうだよなって思いながら見た。今そのたった一個が炎上しただけで精神ズタボロで自分の支柱が無くなったような生き方をしている。
勝手に推しと名付けて、勝手に依存して、勝手に病んでいるのだからあちらとしてはたまったものではないだろう。理解はしている。けれど、イベントがあるだとかそういうことを生き甲斐にしてたのだ。今週頑張れば週末には配信があるとか月末にグッズが届くとかそんなちっぽけで、毎回一万円もかからないようなお気軽な支柱だったのだ。
他人に勝手に支柱を預け、お気軽な金しか出さないくせに全体重で寄りかかって、いつか起こるかもしれない炎上を見ないフリしていた。
結果勝手に生き甲斐を失い、毎回少額とはいえ金を落としていた自分の元には推しが写った様々なものに溢れて生活をしている。正直苦しい。好きだった事実を否定したくはないのに、好きでいる自分が嫌いだ。
自分が落とした金でああやって遊んでたのかなとか色々考えては地に落ちていく。
好きだったのは事実なのに、それさえ否定したくなるほどたかが一つの何かで崩れると思っていなかった。数年好きだったものを見たくないほど嫌いになるってこんなに苦しいのか。
去年職場で色々あって以来、めちゃくちゃ仕事がしんどい。というか全くやる気出ない。
嫌なことも辛いことも沢山あったけど、自分の特性にあった仕事見つけて以来、転職後も重宝されたしおそらくその業務についての才能があったので、年収も3年で倍になった。
その出来事以来、全く仕事というものに楽しさや面白みを見いだせなくなってしまった。
目の前にある業務をやる気にすらならない。
辞めればいいじゃんと思うが、今の生活レベルを落としたくないのでナマポ生活は避けたい。
転職はまだ早いというか、コロナ禍のいま高待遇のところを見つけるのは難しいし、そもそも新しい環境で仕事をしようというモチベーションがない。
仕事なんて好き好んでやっている人の方が少ないとは思うが、吐き気を催すほどやりたくない人もまた大勢はいないと思う。
少しでも何かモチベーションになればと思って、別の業務内容にも手を出させてもらったが、本当に何やってもつまらないんだなということを確認するだけだった。
正直、自分は今の仕事に特化してるだけの無能なので、どこでも使えるという訳では無い。
無趣味だし友達も少ないし、家庭もないので仕事辞めたところでやりたいこともない。
本当にただの愚痴だけど、あまりに変わってしまった自分自身が虚しい。
今週残り1日。
昨日のNHKの逆転人生の中で大学教授が登場し、彼の行った6万人を対象とした調査によると
いやそんな感じ全然しないんだけど
というかこれって多分「芸能人に対して誹謗中傷する人」ってことなんじゃないかな?
似て非なる存在としてわれわれ「一般人同士で口汚く罵りあうことを生き甲斐とする人」がいて
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
40代男。とある分野のクリエイターをやっているが、コロナになってから、大きな仕事がキャンセルになったり、作品を作るペースが遅くなってしまいまったくいいものが残せていない。
ようやく力を振り絞って出したものも、全く話題にもなっていないしヒットもしてしない。依頼は減っているがまだ声がかかる公演や取材では、5年も前の受賞だったり、過去の栄光ばかりを紹介されて、それが更新できないことにほんとに嫌気がさす。
以前は、社会に認められることを生き甲斐していた時期もあったが、今は他人に褒められるたびにこれは今回が最後になるんじゃないかとか、自分の才能のなさはばれてしまうのではないかと心の中で動揺してしまう。
正直今の仕事を辞めて、同級生のように企業で会社員をしてみたい人生想像してしまうが今更職種は変えられない。昔は大好きだった製作が苦痛である。子育てや家事に追われる毎日が唯一の救いだ。安定した職に就いている妻は私の才能を信じてサポートしてくれているが、毎日何か申し訳ない気分でいっぱいである。かつては僕にも収入があったが、今は妻に支えられている。結婚当初彼女は僕の作品のファンだと言ってくれたが、いまやその作品の人気もおちめであり、新たな作品も少ない。
家族のことさえも喜ばせることができなくて自己効力感がどんどん下がっていく。
こういう気分になっても、作り続ける奴ら才能があるやつだと思う。私は違うのかもしれない。いつか忘れ去られると思うと恐ろしくて仕方ない。どうしたらいいのだろうか。
友達や恋人はいないし、ライブや旅行などの他の趣味はコロナで言わずもがな。
明日から緊急事態宣言が出るというのに、3000円のとんかつランチを平らげた後に物産展で大量のスイーツを購入してしまった。
前はスイーツは一日一つと決めてたけど、ここ最近は一日二個三個は食べてるなあ。
美味しいものを食べるときにだけ幸せになれるし。インスタに画像をあげたらいいねをもらえるし。
いつの間にか「投稿を楽しみにしてます!」と言われるようになった。フォロワーが多いアカウントとの絡みも増えてきた。
ただ、危機感もある。
まず、コロナの心配。一人でしか食事に行かないけれど、隣の席でマスクを外して話してる集団がいるとひやっとする。
あとは健康面。
20代なのに脂肪肝があるしコレステロール値も高い。酒を控えるようにしはじめたら、今度は甘いものを欲するようになった。
食べることしか楽しくないのに、食べることを控えるなんてできないよ。
控えるくらいなら死んだ方がマシ。
あー、怖い。将来怖い。
食べること以外の楽しみがほしい。
最近は出羽守が大人しくて、10年以上も神州日本を毛唐かぶれどもの文化侵略から護る聖戦をネット上で繰り広げてきた僕の生き甲斐が無くなってしまった。
コロナ以来、白人や黒人の八つ当たりでぶん殴られるチビで醜い犬以下のアジア人の立場になった欧米在住日本人たちは、すっかり自分たちの小さな世界に閉じこもるゲーティッド・コミュニティの住人と化してしまった。(僕らのクオモが老人をコロナで殺処分するセクハラ野郎だったのも痛手だったようだ)
一時期イキってた中国在住日本人たちも、香港・ウイグルと中国父さんのアレっぷりに(今さら)気付いたのか、黙って商売だけできりゃいいやって感じに閉塞してる。
個人的には台湾出羽守と議論したいのだけど、ネトウヨ推しの国なのが気に入らないのか、イマイチ「○○(国名)出羽アレもコレも最高! ソレに比べて日本は最低!」式の攻撃的な出羽守の殴り棒に採用されにくいようだ。