はてなキーワード: 格付けチェックとは
戦闘性、あるいは戦闘という行動を説明するのは案外難しいのだけれど、簡単に言えば「格付けチェック」だ。他者と自分の「格付け」を再定義する行為のことをここでは戦闘と呼ばせてもらう。そのような戦闘においては、二人以上の人間が実力を競い合い、お互いの「格付け」を行う。勝利した者は、本来そうであると見られていた格付けより上方修正され、また、負けた者は本来の格付けよりも下方修正される。そんな具合に行われる連綿たる「格付けチェック」に男性は巻き込まれている。あるいは自分自身を「格付けチェック」の中に巻き込んでいる。それが、男が「戦闘的」であると言われる所以なのである。
このように書くと、男性が知性において欠陥を抱えた存在であるという印象を抱かせるかもしれないが、そうではない。この男性が巻き込まれ、かつ自身を巻き込んでいる「戦闘性」というものは、人間を問わず生命全般にセットされた、合理的でポジティブな側面を備えたシステムと言っても良い。
例えば、この「格付け」は適材適所の発見のプロセスという一面を持っている。ある分野において能力的に劣ると「格付け」された人はそのレースから外れ、また、別の分野において能力的に優れていると「格付け」された場合はその分野に参入し、実力を振るう。そのような適材適所の発見は「格付け」が行われることによって初めて可能になる。これは明らかに「格付け」の良い点である。このようなプロセスにおいては、上手くいけば実力を発揮できる分野の発見が可能になる。
また、この戦闘性――「格付けチェック」に積極的に自身を巻き込んでいく性質――によって男性はお互いの「実力」に敏感になる。つまり、相手がある分野において自分より優れているか、それとも劣っているか、といった点に敏感になるのであり、これは男性がある種の観察力に優れていることを意味している。これもまた戦闘性のポジティブな一側面と言って良いだろう。本当の意味で相手が実力を持っているのか? 一定の実現力を備えた存在なのか? ある種の判断能力が鋭敏なのか? その判断に従うことは有益なのか? そのような損得を含んだ様々な要素について男性は本能的に、あるいは理性的に推し量ることができる。そして、それはあくまで「格付けチェック」、つまり戦闘性に基づく適材適所や能力の発見といったプロセスにおいて導かれるものなのだ。そのような意味で、やはり、この「格付けチェック」は複数のポジティブな側面を含んでいるだろう。
とは言え、このシステムには良い点ばかりが含まれているわけではなく、男性は弱者を排斥し、その排斥するという行為に基づいて「格付け」を行う場合がある。いわゆるイジメ行為がこれに当たる。そのような意味での実力の誇示や、あるいは弱者の排斥という営みは決して健全な代物ではない。あるいは、「格付けチェック」においては必ずしも実力のある人間がコミュニティの中でイニシアチブを握るということを意味しておらず、メタに「『格付けチェック』において生き残れる能力」というナンセンスな特性を持った人間のみが、権勢を振るうこともある。そういう意味で、この「戦闘性」、あるいは「格付けチェック」は優れた点のみを備えたシステムではないし、決して万能というわけでもない。それも確かなことではある。
とは言え、我々においてこの「格付けチェック」が必要なのは、先に述べたポジティブな側面を鑑みても明らかである。また、そのような「格付けチェック」に比較的傾倒しやすい性質、つまりは「戦闘性」というものも、同様の理由で、この社会からオミットされては不都合なものですらある。
戦闘は殆どの男性において人生の終局近くまで続いていく。その連綿たる流れから逃れることはまずできないし、仮にできたところでその時には「敗残者」のレッテルを男女双方から貼られることになる。だから男は努力するのである。連綿たる格付けチェックの中で、男性は自らの戦闘性を磨き上げ、また、戦闘におけるある種の「持続可能性」を養っていく。すなわち「戦い続けること」、さらには「よりよく戦い続けること」を男は選択するのである。そこに憐れみを覚え、理性の欠如を覚える人も多くいるだろうが、繰り返すようにそこにはポジティブな側面もまた存在している。
戦い続けることは基本的に難しいことである。頑張り過ぎてもいけないし、頑張らなさ過ぎても脱落する。その八方塞がりを打開する為に男性は多かれ少なかれ自己研鑽を行う。力を出しすぎないこと、最小限の力で期待以上の成果を上げること。それを持続的に可能にしていくこと。それらを男性は目指し、自己研鑽を続ける。そのような自己研鑽においては、自己を疲弊させ過ぎないことが目指され、あるいは、逆説的に戦闘の回避が目指される。つまり、男性は優しくなりうるのである。
男性は女性と比べて明らかに戦闘的ではあるものの、それは、自分以外の弱者を尽く打倒し、排斥することを意味しない。そんなことをすれば先に自分が疲れ果ててしまうからである。単純に戦い過ぎれば、人は疲れるからである。だから、時に男は戦闘を回避するという選択肢を取り、より持続的に戦い続け、利益を得るための最適化を不断に行い続ける。そのような営みにおいては、男性は時に自分以外の他者を支援する。時に敵さえも生かし、味方を利するように働きかけもする。全ては持続的に、よりよく戦い続けるためである。
男性は基本的に女性よりも戦闘的である。そこにはネガティブな側面が多く存在するものの、決してそればかりに終始するわけではない。
これやめろください(´;ω;`)
少し前に「叱る時の『前にも言ったけど』は要らない」的なツイートがバズっていたがこれも完全に同種で、仕事のモチベを削ぎつつ反発心を煽るHP削り+状態異常魔法の2段口撃なんだよ、つよすぎる。しかも防ぎようがなくて詰み!
店長「
前も言ったよね?(事実)←すみませんでした(バズったツイートはココが要らないって言ってたけど、夫婦じゃなくて雇用関係なら何度も同じミスすなっていうのは正しいと思う)
適当にやるなら小学生でもできるよ?←申し訳…ない気持ちはあるが反論の余地があるのでモヤる
」
反論の余地っていうのはソレの再現性の無さというか、「でも小学生は雇えませんが???」的な揚げ足取りなので言うだけムダ。
でも前2つの事実を挙げられた時点では100%俺に非があったのに、最後の余計な一文のせいで指摘した側も間違っているのではないかと考えてしまうから反省の気持ちも濁る。
些細な注意をされただけだし今後もここで働くし、プライド的にも「注意したら拗ねるバイト」とは思われたくない(そもそも俺のミスが原因だし)。だから「最後の余計ですよね」とは口が裂けても言えずにとりあえず頭を下げる。
ただ確実に余計な一言なのだ、「小学生でもできるよ」は!法律でバイトに小学生は雇えませんって決まってんだよ!!!!
格付けチェックなら真っ先に赤ペンでバツされるべきだし梅澤の俳句なら秒速でシュレッターにかけられるし、そもそもこの一言がある時点で「才能アリ」には入れない。
『良い注意の基本』
の次に加えられるべき事項。マジで。
↑↑↑本当にあったことなら指摘された側も素直に受け取らざるを得ない。だって本当のことだし。ここで落ち込んだり拗ねたりするのは個人の性格次第だがとにかく反省はするし回復も早い。しかし苛立ちの余剰分をぶつける私情の籠ったトドメの一撃、テメーはダメだ。
金渡してるのにミスられたらムカつくだろうし、前にも教えたことなら呆れるけどさ。
でも今回の事は、俺にとっては前に教えられたAを使った応用問題Bだったんだよ。間違えたのは店長にも客にも申し訳ないし、「小学生に〜」のダメージを負った分記憶にはバッチリ残ったから次に同じ作業をする時は殊更注意する。でもさ…
こうやってダラダラと引きずっている自分の性格が一番問題なのかもしれない。正直要らんこと言う店長より自分自身の方が何倍も嫌いだ。
小学生の頃から先生に叱られてもケロッとしている奴の気が知れなかった。アイツは精神が安定していて大人なんだなと感心して、いつかは自分もそうなると思っていたけど、全然変わってないわ。まあ成長するにつれて叱られた途端に泣き出すことも無くなったしモヤったままでも謝罪はできるようになったな。
不本意な事があった時になる早で自分の機嫌をとる方法があったら教えてください。紙に書き出すとか泣くとか食べるとか、保健の教科書に書いてありそうなやつは一通り試したので、それ以外で何あれば。
毎年NHKBSでやってたベテラン声優が飲む特番好きだったんだけど、今年はないのね…(´・ω・`)
12:00 BS5 ビバリーヒルズ・コップ2
18:30 MX マイノリティ・リポート
??:?? 笹木新衣装
22:00 【歌ってみた】DAYBREAK FRONTLINE(Orangestar)【フレン・E・ルスタリオ】
12:00 BS5 ビバリーヒルズ・コップ3
14:00 BS5 インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説
18:00 フジ RIZIN.26 メイン:朝倉海vs堀口恭司
18:30 NHKBSプレミア ムトゥ 踊るマハラジャ
18:30 日テレ ガキの使い!大晦日年越しSP絶対に笑ってはいけない大貧民GoToラスベガス
22:00 MX Fate Project 大晦日TVスペシャル2020
23:58 MX 年またぎにじさんじ!2020-2021~島崎信長とレバガチャダイパン!?SP~
??:?? るる枠、おりコウ枠あり
02:45 BS7 『エントラップメント』さらばS・コネリー
17:00 芸能人格付けチェック!これぞ真の一流品だ!2021お正月SP
07:30 NHKBSプレミア 新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」前編
18:00 にじクイ #2
Vtuber好きだけど、テレビのバラエティトーク番組はあんま好きじゃないわ。昔はテレビっ子だったけどな。
テレビのどこが嫌かと言うと、タレントの発言がおかしいだろとか、偏見ありすぎだろとか、ゲームなり映画なりでの理解で勘違いしてるとか、そういうものへの指摘が届かないのがどうにもストレス。
踊るさんま御殿とか何かの拍子に目に入ると、さんまが偏見まみれのことを言いまくるし、それに出演者がツッコミを入れるわけでもなく進んでるし、ひでえもんだわ。
Vtuberは配信者が勘違いをしていたら、リスナーからチャットで指摘が入ってリアルタイムで正されることが多い。
最悪配信者がチャットを見落としたままだとしても、俺と同じ「いやそれは違うだろ」と思ってるリスナーがいるから多少はマシ。
だからVtuberでも、配信者がチャット欄からのツッコミをほぼ見なくなる、七、八人以上のコラボは俺は楽しめない事が多い。
ただ、最近はVtuber事務所側がテレビ業界出身のスタッフを呼んだネット番組とかもあって、それはやっぱりうまいなと思うから、テレビ的な演出は基本的には娯楽性が高いと思う。
あと、格付けチェックとか、テストをやってバカを決めるとか、テレビのヒット企画を真似た配信も時々行われてて、人気がある。
そういうテレビ企画の真似は大がかりかつ大人数になりやすく、前述の通りリスナーのツッコミが届きづらい欠点はあるので俺はあまり好んで見ないが、テレビでヒットした企画だけあって面白さがあるのはわかる。
結局のところ、テレビのテンポや画面作りはやはり見やすいし、バラエティ企画もヒットしたものを選べばとても面白いアイデアがあると思う。
だが、出演者の方に、古臭い価値観のおっさんおばさんや、オタクの心情に理解の薄いオラついた感じのやつが目立ち、そいつらが共演者や視聴者からのツッコミを受けることなく出ているのが不快である。
また、初期は面白い番組であっても、続けているうちにどんどん過激になっていったり、変な豪華さを出そうとしてかえって安っぽくなるのがキツい。
つまりタレントの老害化と、番組が続いた時の過剰演出化がテレビの欠点なのだが、これらはVtuberでもいずれそうなっていきそうな問題である。
特に過剰演出はすぐにも起きかねない。世間に認められ、金が動くようになったら、世間の耳目を引くために派手なことをやらねばならんだとか、大人の事情で滑ったシーンも面白く見せかけなきゃだとかの圧力がかかってくるだろう。
・歌
単発の「歌ってみた」動画を上げることも、「歌枠」「カラオケ枠」として長時間配信で複数の曲を歌っていくこともある。
企業勢であれば、収益多角化としてCD販売や音楽ライブに力を入れているので、歌手活動がメインではないVtuberにしても、ある程度の歌唱力が求められることが多い。
大手レーベルと契約してメジャーデビューするVtuberもいる。
・ゲーム
「一人でゲームクリアまでひたすらプレイする」「何人かで集まって対戦や協力プレイで遊ぶ」「企画を立てて大人数を集める」といったいくつかのパターンがある。
何十人ものVtuberを集めての大型企画は非常に盛り上がるが、それだけの参加者を切り回す企画者の運営手腕が問われることになる。
個人配信ではゲームの上手さはあまり売りにならない気がするが(もっと上手い人がV以外にいるので)、複数人が集まる企画だと上手いプレイヤーは注目されて爪痕を残しやすいと思う。
「芸能人格付けチェック」や「恋のから騒ぎ」といったテレビ番組のパロディも多い。
どんな企画を立案するかはVtuberの腕の見せどころで、出演交渉や配信での見せ方なども含め、ゲームの企画以上に難しいかもしれない。
雑談との境界は曖昧だが、定期配信の「ラジオ」として、視聴者からのお便りを募集するものもある。
「凸待ち」という形態もあり、これは本来「Skype IDなどを公開して凸=突撃してきた視聴者と会話をする」というものだが、企業勢のVtuberにおいては「あらかじめ声をかけておいた他のVtuberたちがひとりずつやってきてトークする」ような形式が多い。
・雑談
コメントを拾ったり、スパチャを読んだり、マシュマロを消化したりなど。
・ASMR
バイノーラルマイクを使って、耳かきをしたり、ビーズを混ぜ合わせたりなどの、どことなく心地良い「音」を配信するもの。
本来的には必ずしもエロ目的というわけではないのだが、女性Vtuberの吐息や心音を聴かせたりするのは、まあエロだよね…。
>AIの推奨手と解説聞きながら藤井SUGEEE!してればおk
そもそもネット配信にAI推奨手はいらない、せいぜい有利不利の表示だけでいい
例えて言うなら視聴者にだけ答えが開示された状態のクイズ番組だ
芸能人格付けチェックは全員が回答を終える前に視聴者にだけAとBどちらが正解が明かされることがある
そうなるとその後は正解した人に感心したり間違えた人にガッカリしたり、
あるいは答えが分からず頭を抱える人をドキドキしながら見守ったりして楽しむことになる
「将棋」ではなく「"答え"を知る神の視点で棋士のもがきを楽しむエンターテイメント」を享受しながら
挙げ句の果てにAI推奨手が無ければ自力では盤面を読みきれないくせに
「遅い」「飽きた」「さっさと△5四金指せよ」という見るに耐えないブーイングが寄せられる始末
高い肉と安い肉かってきて格付けチェックでもしてやれ
「ガキ使」と「格付けチェック」なんか典型的な“芸能人ブランディング装置”、マッチポンプ番組で中身なんにもないじゃん。
紅白のほうが歌ってるぶんだけまだマシやわ。
例年楽しんでたガキ使にも、格付けチェックにも急に興味がなくなってしまい、今回の大晦日と元旦はテレビを見る時間が少なかった。
物心着いてから20年近く見てきた番組だ。流石に飽きてきたのだろう。
そもそも今年は毎度押し寄せてくる「年末年始感」が薄いような印象を受けた。
なぜか、と考えてみると、元号が「平成」から「令和」に変わった時点で昨年度の「節目感」はピークを迎えていた、という結論に行き着いた。
2019年は5月の時点で実質終わっているのだ。故にその後に続くおまけの2019年の年末年始感が薄いのも必定、ということだ。
まぁ、歳をとると節目も年末年始もクソもなくなってくるだけじゃないかとも思う。
クリスマスにプレゼントをくれるサンタクロースはもういないし、お年玉だってもう貰えない。むしろ数年内に与える側になってもおかしくないだろう。一族繁栄するな。衰退しろ。
激動の20世紀、「世紀の愚行」と後世まで語られるようなエピソードは、残念ながら沢山あると思われる。
そんなエピソードの中でも、酒好きの自分が本当に「アホ!バカ!なんてことするんじゃー!」と、問答無用で言いたくなるのが、バブルに流行ったと言われる
である。
いわゆる典型的な成金趣味であり、酒の飲み方に限らず、成金趣味は大抵酷い内容だが、そんな成金趣味でもこれ以上悪趣味な物は聞いたことが無い。
てか、そんな飲み方するならチリの赤ワインにロゼの安物スパークリングでいいじゃん…。
ロマコンもピンドンも飲んだことないけど、両方混ぜたら上述の安物組み合わせと味的に大して変わらなくなるのが容易に想像できる。
それこそ、芸能人格付けチェックでGacktも見破れないくらい不味くなりそう。味に悪酔いして翌日まで残りそう。
まあ、服や料理の世界でも、きっと同じくらい酷いことがあったんだろうけど。
今世紀はまだまだ長いが、間違っても、前世紀同様の愚行が行われないことを祈る。