はてなキーワード: 小野田とは
なんかもー、最近これのことでぐるぐるしてお腹痛くなってきたから吐き出します。長いです。
弱虫ペダル二年目開始~現在までの、手嶋ゴリ押し展開に対する批判です。
一行で言うと、「私は手嶋が好き。でも、だからこそ、これ以上作者のえこひいきでゴリ押しするのはやめて」。
日光IH山岳リザルト争いでの手嶋の扱いに満足、感動した、もっと活躍して!と思っている方には不快な内容かと思われますので、読まれない方が無難です。
それでも読んでくださる方は続きへどうぞ。
なんでかなって思ってたんですよね。私手嶋のこと大好きだったはずなのにさ。二年目合宿も、IH山岳リザルトも、せっかく手嶋がメインで活躍してるのに全然面白くないんだもん。
合宿、対古賀戦の決着時は、「手嶋勝ってよかった!」とは思ったけど、感動したかと訊かれたら、しませんでした。少しも。だって違和感の方が大きいから。
何か策があって勝つのかと思ったのに。古賀が手嶋を消耗させるためにペダルを回している間、手嶋の作戦(古賀の癖を見抜いていてそれを利用するとか)は進んでいて、それが功を奏して最後のわずかな差を生んだ―――ってなるかと思ったのに。それが策士の手嶋らしい勝ち方かと思ってたのに。
結果は、「ひたすら必死でもがいたら勝てました」。根性勝ちです。
まあ、手嶋は今まで日陰にいたキャラだし、たまには根性で勝つことがあってもいいか……。と、自分を納得させ、その時はスルーしました。インターハイが始まったら今度こそ手嶋らしい活躍が見られるだろうと信じながら。
そしてIH。山岳リザルト争いを読んでる間も、違和感はずーっと消えませんでした。決定的になったのは決着後の真波の台詞。
「手嶋さん。ありがとうございました! 待ってくれて」
へ?
「手嶋さん、あなたは強かった! 俺のアタックにもついて来た」
はあ?
「フツウ待ちません残り300メートルで。すぐ直るメカトラだ、運が悪かったで片づけられる。ついてなかったそれだけです。誰だって勝利は欲しい、目の前にある! クライマーの勲章が! なのに止まった! 誰にもできないことをできる人は、強い人です!」
真剣勝負なのに、脚止めてくれてありがとうなんて言うような奴だったっけ……?
私、真波に別に思い入れはないけど、単純に疑問に思ったよ。自由奔放で物事に執着しなくて、そんな真波が一目置いてるということが小野田の価値の一つだと思ってたんだけど。なんで何の因縁もない、実力拮抗しているわけでもない手嶋をべた褒めよ。不自然だよ。
そして続く総北メンバーズの反応。もう引用めんどくさいから要約するけど、ご存知のとおり「全員が全力で手嶋を称賛」。
なんか、おかしくない?
青八木(ずっと手嶋と組んで来た親友)とか小野田(結果が出なくても努力を認めたいタイプ。杉元敗北時ももう一回チャンスをあげてと申し出ていた)ならまあわかるよ。けど、総出で称賛の嵐はいくらなんでもおかしいだろ。しかもその誉め台詞がどれもこれも、本気で誉めてるとは思えない薄っぺらいものばかりです。今泉、「有言実行、努力の男だ!」って。有言実行の意味わかってる? 「勝つ」って宣言して出て行って実際勝って戻って来るのが有言実行ですよ?
鏑木は鏑木で、「震えてます! 熱いです!」。ついさっき僅差でリザルトを逃して悔し泣きしてた男が、態度を急変させて二位の手嶋をベッタ誉め。
みんななんでそんな不自然な誉め方すんの? これじゃあ御堂筋の言う通り、今年の総北は仲良しサイクリング部だよ。
山岳リザルトが始まってから、いや、合宿の時から何かがおかしいのです。
コイツこんなこと言うキャラだったっけ? と思うことの連続なのです。
この疑問と違和感への答えはただ一つ。
これに尽きます。
なぜ、坂道のライバルであるはずの真波と手嶋が対決しているのか?
なぜ真波は手嶋を手放しで誉め、勝利の叫びまで上げているのか?
なぜ総北の面々は勝敗そっちのけで手嶋をべた褒めするのか?
なぜそういう不自然な状況に疑問を持つキャラが一人たりともいないのか?
作者は手嶋が大好き。持ち上げたい。目立たせたい。おいしい役を与えたい。誉めたい。他のキャラにも称賛させたい。だから不自然な展開や台詞が続くのです。
モブもそう。「5番が一番すごいんじゃね? ガンバレ!」と言うために配置された役者です。山岳序盤で「あいつ凡人だな。ププ」という下げ発言をしているのは、称賛の前フリ。だってこれもおかしいもん。一瞬で通り過ぎて行く選手を見ただけで「凡人の走りだな」って、観客どれだけ玄人なの。
正直、ここまで書いた内容なんて、匿名掲示板や書籍通販のレビューで指摘し尽くされたことです。それを知ってる人からすれば「おまえ今さら何言ってんの?」って感じだと思います。
でも今まではさ、信じたくなかったんだよ。1年目合宿編読んで、手嶋というキャラを好きになって、手嶋に陽が当たる時をずっとずっと望んでいたはずなのに、いざ活躍し始めたら全然楽しくないなんて。でも実際、6,7巻はしつこいぐらいに繰り返し読むのに、38,39巻は読み返したいと思わない。
なんでかなーおかしいなーって思いながら、偶然2ちゃんねるのペダルスレを見たら、作者の手嶋ゴリ押しがもの凄く批判されてて。手嶋は主将になってから魅力なくなった、作者が手嶋贔屓するせいでストーリーも他のキャラも崩壊している、手嶋は弱虫ペダルの癌だとまで言われていて。
なのに手嶋好きなはずの私は、手嶋を擁護する気になれなかった。だって書いてあること全部正論なんだもの。ちゃんと根拠も説得力もある意見だったんだもの。
そして、ああ、私が最近の弱虫ペダルを読んで感じていたモヤモヤはこれだったんだ、って遅ればせながら気づいて。
私が、「ストーリーも他のキャラもどうでもいい! 手嶋が目立ちさえすれば!」って言えるぐらい手嶋狂なら楽しめたんだろうけど、幸か不幸かそうじゃない。他のキャラにも魅力を感じているし、ストーリー展開にも感動したことが何度もある。
だから、手嶋が活躍しているせいで弱虫ペダルがつまらなくなってるって、悲しいけど納得してしまったんだよ。
手嶋ゴリ押しの煽りを受けているのは、まず真波(前述のとおり)、次に今泉、泉田、小野田、そして誰より手嶋自身です。
今泉については、「こいつ手嶋の信者になってるな」と思うことは今までにもありましたが、今年の山岳序盤で違和感が爆発しました。
今泉「俺はこの一年、あの人が努力を怠ってるのを見たことないす」
…………え?
その言い方だと、まるで「手嶋さん以外は努力を怠ってる」みたい。
今泉は手嶋ほど努力してないの? 違うよね。御堂筋に負けて悔しい思いして、リベンジ誓って努力して去年のインハイ走ったんでしょ?
今泉だけじゃない。この場にいる人みんな最大限努力してるでしょ? なんで手嶋の努力だけ価値あるもののように言われるの? 才能ある人の努力は凡人の努力に劣るとでも?
体が小さいから負け続けて、人の倍がんばってやっと勝てるようになった鳴子の努力は?
坂道に負けて泣いて、インハイ優勝を逃した責任を感じて苦しんで、先輩に励まされてようやく立ち直った真波の努力は?
洗濯係ってバカにされて泣きながら日誌つけて、それでも諦めずにエースの座を掴んだ葦木場の努力は?
それぞれに努力してるキャラをみーんなスルーして、「手嶋さんは努力の男!」だなんて。盲信、という言葉がよく似合います。それを言う役として今泉が選ばれたのは、彼がエリートだからでしょうね。去年は手嶋を負かしたエリートが、今は凡人の努力に感服している。それが手嶋の格を上げるんだと作者は思っているのでしょうか。
私には、特に理由もなく手嶋信者に成り果てた今泉くんが、白々しいおべんちゃらを並べて手嶋にへーこらしている、という風に見えます。手嶋の格も今泉の格も急降下です。
泉田は、真波を追って飛び出した手嶋をバカにしたよね。「プフッ」とかって小物悪役みたいな笑い方で。
でもこれって泉田らしくないよ。だって泉田は、去年田所さんのために怒ってくれたじゃない。田所さんをバカにする御堂筋に向かって「誰でもバカにしますねあなた。あの人は強かった!」って言ってくれたじゃない。
私はあの場面で泉田のこと、凄く好きになったのに。泉田自身が最初は田所さんや鳴子のことを見下していて、でもアクシンデントをものともしない心身の強さを認めたから、自分の慢心を反省したはずでしょ。
その泉田がこんなこと言うなんて。人の努力を笑うなんて。泉田自身も伸び悩んで苦しんでいた時期があるのに、どうして?
答えは簡単、「手嶋称賛のための前フリ」。後の手嶋スゴイ手嶋最高展開を盛り上げるために、手嶋を不当に下げる悪役をやらされたんだよ泉田は。「凡人の手嶋くんの努力なんて無駄無駄~」と言わせておけば、その後の手嶋祭りが盛り上がるもんね。その代償として泉田の魅力は地に落ちるけど。
「そんな大げさな~、泉田は元々こういうキャラだよ~」という意見もあるかもしれません。でも、東堂からも「インハイの苦い経験を知る男が主将。これなら負けまい」って評価をもらっているわけですが。東堂さんの目は節穴ということになりますね。手嶋ゴリ押しを容認すると、こうして泉田を信頼して主将を任せた旧ハコガクメンバーの格まで落ちる。弊害だらけです。
小野田については「手嶋に主人公の座を奪われている」。合宿は手嶋のためのものだったし、IHでも小野田の代わりに手嶋が真波と戦うという展開。小野田が集団に飲まれた時は「去年もそうだったのに学習しないな坂道。しっかりしろよ~」と思ったものですが、考えてみればこれも手嶋が活躍するための前フリです。「小野田が不在だから俺が行くぜ!」と手嶋が前に出るための布石。そのために小野田は、二年連続で同じ過ちを繰り返すアホと化したのです。追いついてきたと思ったら「手嶋さんを応援しに来ました!(自分は真波とは勝負しない)」。
小野田と真波って宿命のライバルだと私は思ってたんですけど、認識が間違ってたんでしょうか。小野田は手嶋さんに夢中で真波のことを見てない。真波は小野田との勝負を熱望していたはずなのに、なんの因縁もない手嶋に勝って満足げに叫んでいる。
誰より株を落としているのは手嶋自身です。
2ちゃんねるだってアマゾンだって、手嶋ゴリ押しを批判する声はあっても、手嶋自身を叩いてる人なんてほとんどいなかった。
「なんで策士というキャラを生かしてやらないんだ」
「勝ちに貪欲な手嶋が好きだったのに、残念だ」
そんな、手嶋の本来の魅力を惜しむ声ばかりでした。甚だ同意です。
ゴリ押しで無理やりな活躍をさせなくても、手嶋にはいいところがたくさんあったじゃない。自分が凡人だってことを知っていて、それでも自転車が好きで勝ちたくて、必死で努力して、努力で足りない部分は知恵を絞って補って、チームワークを駆使して勝ちに行く。
知恵、チームワーク。それが手嶋の魅力だったでしょ。相手の弱点をうまく突いたり、味方が最大限に力を発揮できるように策略を練るのが手嶋らしさだと私は思う。そしてそういう戦い方は、小野田にも真波にも東堂にも巻島にもできないことでしょ。手嶋が一番になれるとしたらそこでしょう。どうして自分の強みを忘れて、俺が俺がって無策に飛び出す奴になり下がっちゃったの。
「手嶋本人がリザルト争いに絡まないと不満」って考えなのかな、作者は。作者自身が描いていたはずの、「優勝すればチーム全員が讃えられる」というロードレースの魅力も忘れてしまったのかな。青八木が「俺ばっかりゴメン」って謝っても「二人で掴んだ勝利だ!」って喜んでいた手嶋はどこに行ったの。
そして口を開けば、長い長いポエムと、努力は俺の専売特許みたいな表現の繰り返し。「俺は努力で登るんだ!」、「(真波が勝った要因は)才能ってヤツか……」。
手嶋が1年目合宿で今泉や鳴子に向かって「俺だって努力してんだぜぇ~」とイヤミ言ってたのは、作戦だと思ってました。天才だって努力していることは百も承知だけど、勝つために敢えて相手を怒らせようとしていたのかと。でも、今年の手嶋を見てると、「凡人の俺は努力してるけど、天才のおまえらは努力を怠ってる」と思ってるようにしか見えない。2年生の頃の手嶋の魅力すら崩れていきます。
手嶋はこんな奴じゃなかったのに。
読者みんなが知ってることだけど、IHメンバーじゃなくても手嶋はチームに貢献してました。シューズとペダルを渡して小野田の1000キロ走破を助け、落車した小野田の背中を押し、補給にマッサージにと地味だけど大切な仕事をしていました。相手のメカトラを待ってあげた、優しい優しい手嶋さん~なんて白々しい展開使わなくたって、手嶋はこんなに優しかったのに。手嶋の優しさが、チームの勝利につながっていたのに。
今はどうですか。手嶋ゴリ押し展開の結果チームはどうなりましたか。小野田は手嶋を支えるために疲労、鳴子と今泉はクライマー不在の中チームを引いて疲労、手嶋本人は考えなしに無茶してリタイア寸前まで疲労。チーム全体が手嶋のせいで疲れてる。
手嶋はこんな奴じゃなかったのに。魅力に溢れてたはずなのに。作者は忘れてるの? こいつはゴリ押しでしか目立てないって思ってるの?
誰よりも手嶋をバカにしてんのは作者なんじゃないの。
我ながら気色悪いけど、これ書きながらずっと泣いてる。
ただひたすらに悲しいよ。がっかりだよ。
関わったキャラの魅力をことごとく下げて回るクラッシャーになってしまった手嶋にも。
ゴリ押しで前に出すことでしか手嶋を活躍させられない作者にも。
せっかくの手嶋の出番を素直に喜べない自分にも。
ワンパンマンのサイタマに対してこうあって欲しいという思いが見る人ごとに異なっている。
俺のサイタマは最強だが日常を逸脱することができず、就活という変化すら許されなかった男だ。
ヒーロー活動に本来の自分を取り戻したように見えて、実は3歩後退したまま突き抜けてしまったように見える。
ずば抜けた力を認められるわけでもなく、ただ日常が過ぎていく。
一方で村田版サイタマはコミュ力が高く、好奇心旺盛で、己の力を試し、誇示し、世界に影響を与えたいと願っている。だからその他大勢の主張には深い信念がこもっており、それを理解した上でぶっ壊す所に面白さの重点を置いている。
ONE版サイタマは世界のルールを理解できない。だからその他大勢の正論が的を外しているように描く。サイタマは真剣に相手のルールを理解しようと試みるも、いつもすれ違ったまま勝負がつく。そこに笑いの重点を置いている。
俺が見たサイタマと、そこから弱虫ペダルの小野田と僕のヒーローアカデミアの緑谷が進む道を重ねて見れば
強大な力を持ちながら一番大切なものをことごとく守れていない共通点を見出すことができる。
彼らは本来一番大切であったであろうもの(髪の毛、アニ研、生まれつきの個性)に救いが無い。
物語の構造的に異世界転生して無双するパターンに類似している。
だから俺は誰にも憧れることができず、ただただ救われてほしいと祈るばかりなのである。
村田はよく自分の限界とどう向き合うかというテーマを描いている気がする。
努力と根性で好きなだけインフレできる少年漫画でやる内容じゃねえなと思いつつも俺自身そのテーマは大好きだ。
結局は気持ちの問題で解決するしかないのかもしれないけれど、読み手に生きる希望を考えさせるきっかけになる。
そういう状態になるために一回死んで異世界転生すればいいよっていう救いを物語は与えてくれる。
そうではない結末を見せるために、
置き去りにされた歴史というのは小野田さんら残置諜者となった残留日本兵の扱いも同等に扱われるべきだろう。
彼らは日本が敗戦を迎える可能性が高いことを、当時の実際の戦況情報を提供された上で予め知らされたが、
表向き降伏をするが軍部は潜伏して存続するという間違った情報を与えられた上で、
孤立無援の状況になるが、現地でできる限り長く生き延びてゲリラ戦を展開し、
本当に敗戦していたことを知っていて勝手にゲリラ活動をして人を殺していたわけではない。
日本は国として被害に遭われた方々と小野田さん以下の残留日本兵に対しても謝罪をして当然で、
残置諜者として戦後もゲリラ戦を展開させた責任を、フィリピンに正式に謝罪するべきだったところを、
その曖昧な幕引きの結果として、ルバングで起こったことが残留兵が勝手にやったことのように受け取られ続け、
また実際の被害者に謝罪もお見舞いも行き渡らないということに、とても憤りを感じる。
めちゃくちゃ気持ち悪い気もするんだけど、とある嗜好の話を書く。
私は断然「名前」だ。
もちろん第一印象は見た目で決まるし、その後じっくりと判断していく
材料は中身なのだけど、苗字を含めた名前の美しさやバランスの良し悪しで、
たとえば、
凌(しのぐ)
響(ひびき)
円(まどか)
憩(いこい)
といった漢字一文字・読み三音・ちょっと中性的な名前には弱い。
しかしそれに輪をかけて好きなのが、すこし古風な苗字に「◯一郎」系の名前というパターンだ。
初恋の男の子の名前がまさに「◯◯英一郎」という名前で、本当に素晴らしい
バランスだったのだけど、実在人物のフルネームを紹介してしまうと支障があるので、
ちなみに「◯一朗」だとだめ。
桜塚星史郎(『東京BABYRON』)
三原王二郎(『エンジェリックレイヤー』)
もいいですよね。
もマジでよだれが出そうになる。
これも「◯之助」だとちょっと違うんですよね……。
橘(たちばな)
桐生(きりゅう)
花桐(はなきり)
蒔苗(まかなえ)
古閑(こが)
潮(うしお)
遊馬(あすま)
青柳(あおやぎ)
あたりに惹かれる。一時期、結婚するなら「橘」さんがいいとすら思ってた。
「人生で好きになった人の中で一番かっこいい名前」を教えてくれて、いつのまにか
「人生で好きになった人の中で一番かっこいい名前デュエル」で盛り上がったりできる。
盛り上がるんだけど、そういう人でも実際に結婚している相手は、たとえば「田中大介(たなかだいすけ)」
とか、「めちゃくちゃ平凡な苗字と名前の人」だったりすることが多い。
やっぱりこういうのもある種の「こじらせ」なのだろうか……。
文章は下手だけど精一杯書いてみます。そんなことをしてしまうくらいには苛立ったということで、その理由と詳細。
読みにくい文で長々と個人的な感想を述べますし、「スポーツとか知らんけどイケメンが出るから見てる」みたいな人は不快になること請け合いなのでホント読まないでください。ちなみに全部「フィクションだから」で片付けられます。理由の間は平常語。
理由①:一日全力でレースしたくらいでへばってしまう田所さんの打たれ弱さ
書いておいてなんだけどこれはまぁいい。俺は未経験者だから実際のロードレースのことなんて知らんし、心肺に負担がかかって力が出せなくなることもあるだろう。俺も一応ボートっていうレース競技をしていたから分からんでもない。
でもそれにしても回復が遅すぎる気はするし、鳴子がピンピンしてるところからも田所さんのトレーニング不足、もしくは体作りのミス(短距離特化すぎる)を感じる。自転車レースという長距離競技をする上でどうかと思う。
理由②:一日目の中間とったくらいで「俺の仕事は終わった」とか抜かす田所さんの驕り
作中で散々明言されているが、自転車レースはチーム競技だ。っていうか自転車レースはよく知らんのだけど、あんだけ言われてる以上少なくとも弱虫ペダルという作品の世界ではそうなんだろう。
そんな中で、3日通して行われるレースの、たった1日の、それも中間ポイントで一番になったくらいで仕事をした気になるというのはどうなのか。中間ポイントに大きな価値があるにせよ、このセリフはその後2日ともそこそこのスピードで走りきれた(少なくともチームに付いていくくらいはできた)奴の言うセリフだと思う。
一日目がどれだけ早くてもその後がボロボロでは他のチームにプレッシャーはかけられないだろう。グリーンゼッケンが泣くぞ。
どうでもいいけど2日目の田所さんには「過去に偉大な成績を残し一時は注目を浴びるが、その後全く奮わず周りから置いていかれる」ということで日ハムの某選手と通じるものがあるように感じる。合掌。
理由③:こんなポンコツ状態の田所を待ち、さらに彼を連れて大集団を抜き先頭に合流できるとほざく主人公・小野田坂道の驕り
これが一番の理由。小野田くん、君は何様だ?
多分小野田くんの言い分としては、田所さんの前を走ってペースを作り、かつ空気抵抗をなくしてやればスピードが上がり追い付くことができるというものなんだろうが、フラッフラでまともに走ることすらままならない人の空気抵抗がなくなったところで何がどう変わるというのか。小野田くんもまとめてペースダウンして、貴重な戦力を失うのが関の山だ。現実では。
あと田所さんはスプリンターだから登り(現在のステージ)じゃ本来の力が発揮されないそうで、泣きっ面に蜂。巻島さん十分夢見がちやがな。
それにこれはインターハイを本気で戦っている他のチームを侮る、馬鹿にするということでもある。
他のチームも皆インターハイに向けて総北に負けない過酷な練習を乗り越えてきたんだろうし、みんなそれぞれに優勝を目指して頑張っているわけだ。君の行為は彼らのプライドを踏みにじることだと理解しているか小野田くん?
そもそも君は数ヶ月前まで自転車によく乗ってるだけのオタクだったはずだ。そんなドシロウト状態から一朝一夕で力をつけた君が、インハイクラスの猛者たちを病人引っ連れてゴボウ抜きできるはずがあるか。もっと謙虚になれメガネ。一日目の百人抜きは目を瞑ったがもう我慢ならんぞ。
スポーツ漫画である以上しょうがない部分もあるのかもしれないが、この作品は根本的にそういう「主人公無双」で「モブチームを軽視する」傾向が顕著であるように感じていて、そこが非常に気に食わない。
理由④:そんな状況なのに小野田くん待つ。追い付くと言う。挙句、歌う。
これは…まぁいいや。うん。こいつらレース中めっちゃ喋るし。ストイックにレースする頭文字D的な魅せ方もあったとは思うんですけど。
奈良県民は怒っていいと思う。
③はほぼただの愚痴になっちゃいましたが、まぁこんな理由で弱虫ペダル33話は見ていてかなり胃がムカムカする思いをしました。
前述のように一応自分もレース競技に携わっていた身なので、こういう作品にはいろいろと思うところはあります。モブもモブなりにそれぞれ思いを持ってインターハイに参加している、インターハイとはその思いがぶつかる場所であるということをもう少し汲んでほしいですね。
まぁ立ち止まった小野田くんを抜かしたモブは馬鹿にしやがってと憤るよりは普通に喜んでましたけどね。自転車乗りのプライドとは一体。
末筆になりますが、自分は弱虫ペダルという作品がとても好きであること(登場人物に魅力があるし、主要キャラの思いは有り余る程伝わってくるし、鳥海浩輔)、自転車レース未経験者なので何かと的外れなことを言っている可能性は十分あること、上記のようなポイントは確かに嫌だけどそれでも見ちゃうような魅力的なアニメであることの三点は明記しておきます。以上。
祀られているかどうかは私は知りませんが、それはともかく、靖国神社に祀られているのには民間人を虐殺したのも含まれているでしょうから、小野田氏がどうあれやっぱり不快感あるという結論になるのでは。
まあ、A級戦犯の政治家クラスは、命令によって結果的には何万人以上を間接的に殺したわけですがね。それと、同じ国民を死にに行かせたわけですしね。
いずれにせよ、違和感ありありですわね。
結局は、天皇を頂点とする大日本帝国のために死んで、靖国神社といういわば神道的な姿をした墓碑に刻まれてですね、大日本帝国がある限りは永遠の命を授けられるという、そういう仕様なんですわ。靖国神社というのはそういう処。
先日、太平洋戦争の最後の帰還兵の小野田氏が亡くなったそうだ。まっさきに大きく取り上げたマスメディアは、東京新聞とワシントン・ポストだった。
その小野田氏であるが、上官から任を解かれてその「30年戦争」を終えて帰国した時、日本社会はすっかり様変わりしていた。良く言えば復興と経済成長だけれども。悪く言えば、アメリカナイズだ。
小野田氏が若者だった頃の日本は戦前・戦時中だったわけで、当時の日本社会はまた別の意味で異常だった。だがその戦時中の異様な雰囲気とはまた正反対なのが現代日本の姿だろう。「30年戦争」をしていなくたって、戦争経験者の多くが、戦争が終わった途端に価値観がひっくり返ったと述べている。
要は「拝金主義」だ。
以前に堀江貴文氏が「拝金主義者だ」と非難されていたことがあったが、非難する側の人間もやはり拝金主義者だ。つまりは、自分が拝金主義者であるという自覚がないか、もしくは、薄々勘づいてはいるが、その気に食わなさを他人にぶつけているわけだろう。つまりは、自分の汚点を他人に投影しているのだ。
まったく、「バカって言う奴がバカだ」っていうガキの喧嘩みたいな話だが、まったくもってそのとおりで、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのだろう。
正直に言って、人間はみんなバカだ。もちろん私もバカだ。ただ、バカの自覚がある奴とそうでない奴がいる。バカの自覚がない奴は救いようがない。
この資本主義・市場経済・貨幣経済社会のなかでは、ほとんどのものごとがカネの理屈で動いている。だから、カネに対して一切関わらずに清廉潔白でいる人はほとんどいないだろう。だが、批判的に自己洞察をして己をただすように努めなければ、救いようのない拝金主義者になってしまう。現に、いまの日本社会は、なにが大切なのかもわかっていない、カネのほうが偉い社会になっているように、私にはみえる。
例えば、原発だとか、オリンピックだとか、「おもてなし」だとか、AKB48とかいうのも、やっぱり、拝金主義じゃないのか? そう言われると嫌悪感をもつひともいるだろうけれども正直に言って、拝金主義なんだと私は思う。私には、例えば、「おもてなし」だとか強調しているのをキモいと感じるし(電通などと、マスメディアと、自民党や省庁が、絶妙に癒着しているわけです、拝金主義のもとに)。
外食するとき僕が最も恐れている事、それはそのお店が混んでて入れないとか初めて行ったお店が残飯レベルに不味いものを出してきてしまったとかではなく、自分の真横にクチャラーが座らないかどうかだ。
店の味なら食べログでも見ればいい。混み具合も食べログなり口コミなどで知れるだろう。ただ、自分の行ったタイミングで隣にどんな奴が座るかどうかは天下の食べログだろうとさすがに分かり得ない。
完全に運まかせだ。
食べる事が嫌いというやつはそう多くないだろう。僕だってそうだ。食べることは好きだ。その至福の時間をどこの馬の骨かも分からないようなマナーのなってない輩に台無しにされるわけである。本当に最悪だ。ぜひともノーベルぶっ殺したいで賞を授与してやりたい。
今日も新宿ナンバーワン人気のラーメン屋に数十分並んでやっとの事で美味そうなつけ麺とご対面したところで、隣のハゲ散らかした中年のおっさんにその至福の時間を邪魔された。なんで金払ってこんだけ長い時間待ったのに、一刻も早く店を出たいなんて気分になってしまうんだろうか。意味がわからない。これだからハゲはダメなんだ。クソが。何でそんなに咀嚼の回数多いんだよ。そんで何でそんなに食うの遅いんだよ。なんで一噛み一噛み几帳面に音を立てるんだ。死ね。ハゲ。
イライラしながら脅威のスピードで麺をかっこみ、味の評価もままならぬまま足早に店を出る。さあ、今日のノーベルぶっ殺したいで賞授与式会場は将門の首塚あたりにしようかしら?と思いながらターゲットのハゲの顔を思い出す。うーん、殺してくださいとでも言わんばかりの憎たらしいあの顔立ち。というかなんでクチャラーってハゲ率というか中年のおっさん率があんなに高いんだろう。これまでに出会ったクチャラーどもの顔を思い出す。どいつもこいつも中年ハゲばかりだ。死ね。ハゲ。
ハゲ共の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、さっき勢い良くかっこんだつけ麺を戻しそうになりながらも、その走馬灯の中にいつも見ている顔があるのにふと気づく。そうだ、そういえばこないだの会社の飲み会の時、先輩もクチャラーだったことが判明したんだった。
先輩はいつも厳しいことを言いながらも僕のことを助けてくれる。会社の中で一番たよりにしている人。ハゲてもいない。
今日の僕なら、人がくちゃくちゃ音を立て始めるのを聞いた途端に眉間にしわを寄せ相手を睨みながら小野田坂道顔負けのハイケイデンス貧乏揺すりをし始めるのに、その時はそんなことは一切なかった。あ、先輩クチャラーなんすね、と、それだけで終わっていたのを思い出した。
何故だろう?咄嗟に拒否反応を示すべきクチャラーが目の前にいたのにかかわらず、僕はいつもの反応を示さなかったのは。
考えてみたけど、僕が先輩に心を開いている。その1点しか理由が見つからなかった。
初対面のやつに馴れ馴れしく肩組まれて話しかけられたりしたら、誰だってムッとしたり物理的に距離をおくなどのそれなりの警戒反応をするだろう。
それと同じで見知らぬハゲが隣で不快な音を出しはじめたら僕は不快感を表す。けど、それが見知らぬハゲでなく見知った頼れる人間であれば許容が出来る。
親しき中にも礼儀あり、確かにどれだけ僕が彼に心を開いていて、また彼も僕に対してプラスの感情を持っていたとしても超えてはいけない一線だってある。
しかし、僕の中で「咀嚼時に音を立てる」行為はその一線を超えていなかったようだ。
僕の中ではどうやら音を立てるというのは僕自身の精神的なテリトリーに踏み込むという行為に等しいらしいということが色々考えているうちに分かった。
満員電車の中で隣にいる奴がイヤホンから音漏れしてるとイヤホンをぶっこぬいて耳を引きちぎってやりたくなる衝動に駆られるが、会社で隣の席に座ってる同僚がイヤホンから音を漏らしていても特に気に留めない。
昔住んでいたアパートは壁が薄く、日中に隣からぼそぼそと声にならない声が聞こえてくると、無性に腹が立ってAVやお経を大音量でかけて謎の仕返しをしたりなんかしていたが、今思い出せば実家もそんな感じで声にならない声は聞こえていたはずなのに、気にならなかった。
自分と相手との精神的な距離感によって、僕の騒音許容量は増減する。音の大小だけでなくその性質も加味されるのであろう。