はてなキーワード: 大袈裟とは
とある漫画タイトルにハマったので、SNSなどで他人の感想を検索して読んだりしているのだが、女性人気の凄いコンテンツだったみたいで(連載時には特にそんなイメージのないタイトルだったので少し驚いた)、まあとにかく腐女子の人たちの書き込みに触れる機会が増えた。
腐女子全員が「そう」と言うわけではないのだろうが、とにかく「吐いた」「ゲロが出た」「過呼吸になった」「(予定をキャンセルして)寝込んだ」という文章を目にする。
おそらく大袈裟な表現なんだろうなとは思いつつ、いまいち理解できないのが、それらがどうやら褒め言葉らしいという点。
いや、まだ若干グレーではある。
「ゲロ吐くから続きを読むのはやめてる」「無かったことにしてる」という人も何人か見た。
(その上で、その傷つく点をもってして「尊い作品」としているのが凄い。いやいや最後まで読めよ)
確かに、読者を傷つけることの出来る作品というのは読み応えがある。
性差なのか?
自分のまぶたが一重で、世の中には自分とは違う二重まぶたを持っている人間がいる、と気づいたのはいつだっただろうか。
クラスで可愛くてモテていた女の子は大体二重まぶただと気づいたのは、それと同時に一重まぶたの自分をコンプレックスに思うようになったのはいつだっただろうか。
父親はぱっちりした二重まぶた、母親は奥二重。そんな2人から生まれたわたしは、これでもかというくらい脂肪がのっかった完全なる一重まぶたである。
小学校中学年にもなると、自分も周りも、人の「顔」がものさしで比べられるということが少しずつわかるようになってくる。
この頃、わたしは自分の顔が他人と比べて劣っていることに薄々気づいてきた。
じゃあなんで?わたしの顔は可愛くないんだろう??
そう考え、クラスの集合写真や、可愛い友人と撮った写真を改めて見た時に思うのだ。
「わたしの目、なんか重いし、細い……」
自分のまぶたには一重、そして可愛いあの子のまぶたには二重という名前がついていることをいつ知ったのかは覚えていない。
中学校になると、好きな男の子もできて、自分の見た目がすごく気になりだした。
家のルールで1日1時間だけ使っていいと親に言われていたインターネット。
「二重 方法」「二重 なりたい」「二重 マッサージ」毎日毎日飽きずに1時間丸々使って検索し続けた。
ヤ○ー知恵袋の二重に関する質問は全て読み尽くしたのではないかと思うくらい読んだ。
一重まぶたでもお金をかけずにマッサージで二重になることができる、ということを知ったわたしは、毎日死にものぐるいでまぶたをマッサージした。オ○ナインが脂肪燃焼に効くと見ると、それから毎日オ○ナインをまぶたに塗った。輪ゴムを結びつけ合わせて大きな輪っかにして、それを頭から被ってまぶたに食い込ませて癖をつけながらお風呂に入ったこともあった。インターネットで自力で二重になるためのマニュアルが売られていたので、お年玉で買いたい、と母親に訴えると、「馬鹿じゃないの、あんたはそのままで可愛いのよ」とあっさり切り捨てられた。
中学2年生のとき、クラスに同じく一重まぶたに悩んでいるAちゃんという子がいた。
ひょんなことからお互い一重へのコンプレックスを持っているということがわかり、一気に仲良くなった。
とても悲しい物語だったのだが、見終わったあと、わたしとAちゃんが1番に口にした感想は、
「映画に出てた女優さん、全員二重だったよね!」というものであった。
そんなに悩むくらいならアイプチやアイテープをすればよいのでは、と今の自分なら思うのだが、当時のわたしはアイプチは中学生が買ってはいけないもののような気がしており、購入には至らなかったのだ。
当時よく読んでいたセ○ンティーンには、よく某高級アイプチの広告が載っており、実際に二重になったという人の口コミがいくつも載っており喉から手が出るほど欲しかった。(これに関しては中学生の小遣いにしては高かったので諦めていたが……)
そんな中、ある日の休み時間に突然Aちゃんが「ソッ○タッチ(靴下が下がってこないように止めるアレ)で二重にできる!」と言い出した。
めちゃくちゃまぶたに白いノリのカス?がついてはいたものの、なんとなく二重にはなった。
しかし、違和感がすごく、こんな顔で先生の授業を受けられないと冷静に思い、休み時間の間に即顔を洗ってノリを落とした。
なんで生まれ持った二重の友達は何の苦労もせずに、わたしがこんなにも憧れている二重を手に入れているのだろう……こんなに頑張ってるのになんでわたしのまぶたは激重一重のままなのだろう…………悩めば悩むほどわたしは自分の顔をコンプレックスに感じるようになっていった。
「なんで二重に産んでくれなかったの?!お母さんは二重だからわたしの気持ちなんてわからないよ!!」
そう言って母に八つ当たりする日もあった。
「○○ってアイプチとかしないのー?したら絶対可愛くなると思うよ!わたしも一重で悩んでるから毎日アイプチしてるんだ!試しにわたしの使ってみない?」と声をかけられた。
慣れた手つきでBちゃんがわたしのまぶたにアイプチを塗り、プッシャーでわたしのまぶたを折り込んでくれた。
「できたよ!自分で顔見てみなよ!」と言われ、鏡を見た。
そこには、中学生の頃使ったソッ○タッチとは比べ物にならないくらい自然な仕上がりで、ハッキリと二重の線がついているわたしがいた。
Bちゃん愛用のアイプチを教えてもらい、帰りにドラッグストアに買いに行った。
家で何度も何度も練習し、自分の中で比較的自然に二重にできるようになったと感じてからは、高校にもアイプチをして行くようになった。
今思うときっとバレバレの二重だっただろうし、突然激重一重だったわたしが二重(変わらず激重ではあった)になったのは違和感満載だっただろうが、やはり触れにくかったのだろうか、周りからはあまり触れられなかった。
コソコソ噂をされるのも恥ずかしかったので、仲良しの友人たちには「アイプチデビューしたんだ!!」と明るく伝えていた。
友人たちは「可愛くなったじゃん!」と褒めてくれた。
毎朝、今までよりも30分早く起きて二重を作った。
寝坊しても遅刻しそうな時も、遅刻をしてでも二重を作って学校に行った。
授業中、寝たら半目になることが分かっていたので、死にものぐるいで寝ないように耐えた。
夏の体育のプールは1番の悩みだった。最初から最後までゴーグルで目を全力でカバー。授業が終わると1番に着替えて鏡とポーチを持って女子トイレに直行。個室で二重を整えた。
いかに自然で綺麗な二重を作るか、日々研究を重ねながら技術を上達させ、わたしは大学に入学した。この頃には百均のアイテープ+アイプチという自分の中での最強の組み合わせを確立させていた。
大学の同じ学部には元々の知り合いはおらず、一重のわたしを知っている人は一人もいなかった。
「わたしは二重」そうみんなに思われていたくて、友人や彼氏の前でも絶対に一重の姿は見せないようにした。
お泊まりのときは、寝る直前までアイテープを取らず、電気を消してからそっとテープを取っていたし、朝はアラームをかけて誰よりも早く起きてトイレでこっそり二重を作って布団に戻って二度寝していた。
わたしは医療系の学部に通っていたため、病院での実習があった。そこで入院患者さんを見た時に、ふと、「わたしがもし入院することになったら、わたしは病室でも毎日看護師さんたちが来る前に二重を作るのだろうか……」と考えた。
ニュースで避難所の様子が映っていた時に、「突然地震が来て、避難所にアイテープを持っていけなかったらどうしよう……一重のわたしなんて絶対に誰にも見られたくない」と漠然と不安になった。
大学4年の頃、久しぶりに中学時代一緒に一重のことで悩んだAちゃんに会った。
Aちゃんは自ら、「あの時散々悩んでたけど、結局埋没で二重にしちゃったー!すごく楽になったからやってよかったと思う」と笑顔で話してくれた。
まだ想像はつかないけれど、社会人になったらきっと忙しくなるだろうし、整形するなら今なのかな……。
わたしはその後、すぐに某美容整形外科でカウンセリングを予約し、そのままの勢いで埋没術を受けた。必死にアルバイトをして稼いだお金と引き換えに、10年近くコンプレックスを抱いていた一重まぶたとおさらばし、憧れの二重まぶたを手に入れた。
埋没をしてから数年たったが、わたしの激重まぶたは案外きちんともってくれており、今もわたしは二重である。寝坊しても、二重をつくらずにそのまま家を出れる。お泊まりをしても、人より早く起きて二重を作らなくてもいい。
こんな長文を書くくらい悩まされていたので、本当に本当に施術を受けてよかったと心から思っている。
人生で1番してよかった買い物だと自信を持って言える。
二重になったわけだが、他のパーツが人より優れているわけではないので、残念ながらわたしの顔は決して可愛くはないと思う。しかし、二重を手に入れたことで、日々の楽さ、そしてコンプレックスだった目への自信が少しついて、以前よりは自分の顔をマシかな、と思えるようになった。
世の中、美人!可愛い!とされる人は大抵二重だ。モデルや俳優さんも多くは二重まぶただ。
もちろん一重でとても素敵な人もいる。
しかし、なんというか、二重が正義というか、二重の方がやはり良しとされている雰囲気、一般論?はあるように思う。
わたしにもし一重の子どもが産まれても、別に整形を勧めるつもりはないし、整形したいと言うのであれば、自分の稼いだお金で勝手にやればいいと伝えるだろう。
「ありのままのあなたが素敵」なんてよく言われているかもしれないが、わたしはありのままの自分が大嫌いだったし、別にありのままでいる必要はないと思う。ありのままの自分が好きな人はありのままでいればいい。どちらも間違ってないと思う。
このブログは別に一重を否定する訳でもないし、二重にすることを助長する訳でもない。
ただ、一重だったわたしがずっとコンプレックスを抱えていて自分の顔が好きになれなかったことを思い出して、ふと書いてみたくなっただけの散文である。
一重の人も、二重の人も、自分がなりたい自分でいられたらいいと思う。
特にまとまりはないが、書くこともなくなったので終わろうと思う。
文中に書いた二重になる方法は、無知なわたしがやっていただけであり、皮膚のことを考えるとマネしてほしくないものもあるので、ご注意を。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました。
アレで負けたほうが大袈裟に地団駄ふんで悔しがりながら足並みそろえるのやってウケて双方で笑ってた、そんな懐かしい日々に戻りたい…
あなたはそれを問題ないかのように言っているけど、創作物の同一性を規制によって曲げなければならないのは
(今回VTberが中の人と人格的に重なることがあったから余計顕著だったけど、そうじゃなくても)表現者にとって委縮を余儀なくされてる状態に他ならないでしょう。
その程度なら萎縮すればいいと思います。公共広告以外の場での表現は自由なので。表現の自由って、「任意の表現がやりやすいように環境をお膳立てされる権利」ではないですよ。別に本件に限らず、社会的な活動が一定の制限を受けるのは当然です。基本的に個人の服装は自由ですが、仕事中に特定の服装が求められることもあります。公然猥褻にならないように注意することも求められます。それと同等の話を「萎縮」と表現するのは大袈裟です
その時の自分の状況、大体は年代に応じて、必要となる勇気が異なっていたように思う。
10代は自分と他人の世界を擦り合わせる勇気。自分の可能性を探すために、最小単位の集団である家族以外の他人、主には同年代の知人友人と考え方や生き方、大袈裟に言えば世界観を擦り合わせることが必要だった。
20代は自分を社会に売り込む勇気。学生生活の終わりが見えてくる中で、何を食い扶持にするかを考え、できそうなことを決めて会社や組織に自分を売り込む必要があった。転職もやっぱり自分を商品として上手に売るようなものだった。
30代は自分の将来が狭まっていることを認める勇気。早すぎるかな?とも思いつつ、働く中で見えてきた自分の性質的・能力的な限界を認めて、この先の着地点を考える必要があった。結婚もこの勇気が求められるものの1つ。
40代以降はこれから訪れるので、まだどんな勇気が必要になるのか分からない。もう一度可能性を広げる勇気?それとも人生の防衛戦をやりぬく勇気だろうか。
なんとなくネガティブな方向性であっても、勇気という言葉を使うと前向きな取り組みに変換できる気がする。言葉で自分をごまかしつつ、良い感じに歳をとりたい。
机の目の前の壁に貼っていつも眺めている。
ジャンルの特定になるのでぼかすが、推しの公式絵はそう多くは無い。
大好きなその絵を眺めていた。言い過ぎだとは思うがどんな美術品にも勝ると思った。
幸か不幸か、私は絵が描けた。
色んな表情が見たい。色んな服を着て欲しい。穴が開くほど目の前の絵を眺めても、公式とは程遠い出来だったが、推しを想って描いた自分の絵は好きだった。
何年か経って公式の展開も少しずつ増えて、二次創作もよく見かけるようになった。
公式からの供給が無い間にも二次創作を通じて心の隙間を埋めていける文化はとてもいいなと思う。
自分の絵も決して多いとは言えないが反応を貰えるようになった。大好きなものを人と共有出来たことに感動もした。
ある人がSNSで「上手い」イラストを公開した。上手いというのは完成度が高いという意味でもあるが、まるで公式の絵のように感じた。画力が高い人がごまんといるのはこの数年で痛感していたので、確かに公式の絵柄に近づく事が出来る人間もいるのだろう。
けれどその絵を見て「上手い」と思い確かに嫉妬もしたが、同時に違和感も感じた。
「似ている」というより「見た事がある」という感覚だった。
自分の二次創作の歴は浅い方だと思うが、多少なりの知識やルールは複数のジャンルの公式ガイドラインやらSNSでの注意喚起やらで把握はしているつもりだった。
自ジャンルの注意喚起が流れてくる。あの人の絵だった。トレパク疑惑。
私が最初に目にしたイラストでは無かったが過去に公開していたらしいイラストが
ラレ元と重ねてぴったりとハマる検証画像の数々。告発によると常習犯らしかった。
気になってその人のアカウントを覗いた。
注意喚起されている事に気付いているのかいないのか分からないが、普通にイラスト公開を続けているようだ。一番新しいイラストは私の推しだった。
また、見た事があると感じた。
堂々と言える事では無いが、絵師の愚痴を吐く掲示板があるのは知っていた。随分前に知人が教えてくれた。
件の注意喚起を見て掲示板を覗いた。やはりあの人の話題で持ちきりだったが、最新のイラストに触れている人はいなかった。
確信はあった。ソースなんか引っ張ってこなくても目の前にある絵だ。親の顔より見た。
確かめたいだけだった。正直もう見たいとは思わないあの人のイラストを保存した。
私が飾っているのはグッズだったので、公式で公開されているいつもの絵を保存する。
手が震えた。こんな事で保存する事があるのかと思った。
あの人のイラストの上にその画像を重ね、透過させていく。涙が出そうだった。
推しがトレスをされた事が悲しいだとか、疑惑はさておいて自分の絵の実力があの人に及ばない事が悔しいだとかそういう感情からのものではなかった。
美術品の様な推しを透かして、何故、この正直どうでもいい人間の描いた絵に重ねなければいけないのか。
重ならなければいいとさえ思った。ただの一個人の取り越し苦労であればこの画像は無かったことになる。私が推しを透かした事も無かった事に出来る。
二枚はぴったり重なった。
私は、私が透かした推しを見て泣いた。
それからすぐには掲示板に書き込めなかった。自分が画像を透過させたショックのあまり正義は何かとか自問したりしていたのだが、結局しばらく眺めても様子は変わらなかったのでそっと画像を貼った。きっと何事も無く掲示板は進み、告発も変わらず続いていくだろう。
身の一部がと言えば大袈裟かもしれないが、魂の一部、こころの一部が欠けた気分だ。悲しさと虚しさで気力が底をついた。
元気になってまた描けたらいいなと思う。
透かしただけでなぞっては無いからトレースと言い切れないかもしれないけど、それと同じ工程を体感してあまりにも悲しくて誰にも言えなくて。
タイトルに釣られた人はごめんなさい。
この文章は、決して、検証画像を作っている方々を咎めるものではありません。
トレパクをした人間はあくまで自作である事を貫き、全く謝罪をしなかったり、模写だなんだと理由をつける傾向にあるという記事を読みました。
自分がしている事自体を悪いとも思えず、それを教えてくれる人も蔑ろにして、反省も出来ないような人が存在している事はよく解かった。
でもね、お前が透かしてるその絵は誰かにとって唯一無二の物だって事。
お前が何も考えず誰かの愛するものにベタベタと重ねて出来た作品で人を集めて、何百何千と評価されたとしても、その行為で地獄みたいな思いをしている人間がいること。
パク絵だと疑わず純粋に評価してくれていた人でさえ悲しませていること。
どれだけ目を逸らしてもその人達は消えない。
あまりにも公式に類似するような二次創作物は禁止をされる事もあるし、第三者に公式と誤解されかねない作品は注意するべきだと思っています。重なったものに対して「トレスじゃない」と言うのは免罪符にはならない。
ラレ元をあえて公式や企業の版権物を使い「告発されなければ問題無い」と思っているタイプのトレパク。確かに公式や企業はすぐに動かないかもしれない。
守られているのはお前の作品では無く、ルールの上で作られた二次創作です。
それらに甘んじて行う行為には敬意のかけらも感じる事は出来ません。
この世で天罰が下らなくても。
来世まで祟ってやる。
以上です。
長々と失礼いたしました。
先日実家に帰った。緊急事態宣言下だが、徒歩5分なので咎められまい。
居間で母が懐かしいわねと呟きながら1冊のファイルを眺めていた。
それには私が通っていた小学校の献立表が6年分ファイリングされており、よくみると日付の隣に〇が書き込んである。
登校した日は〇。しなかった日は×。母は私の知らない所で献立表を簡易的な日記として使っていた。
×の日はほとんど無く、たまにある×は風邪や、葬式で田舎に帰ったとか、そういう理由。
夜暇だったので×がついた日をちゃんと集計してみると、合計7日。
偉いなぁ。
過去の自分を褒めている中で衝撃の事実に気が付いた。×の日の献立が全て酢豚だった。
そんなことある?と、私は6年間の献立表を朝方までチェックした。2回チェックした。
6年間で7回も給食に酢豚が出てくるのが多いのか少ないのかは分からないが、とにかく私は酢豚を食べていなかった。
中高は共にお弁当で、大学も頑張ってほぼ毎日お弁当を作った。就職後も同じだ。
でもその中で中華料理屋に行ったことは何回もあるし、酢豚という存在を知らなかったわけではない。
私は酢豚を食べてこなかったのだ。
大袈裟に書いてみたが、ある人はチンジャオロースを食べたことないとか、あんかけ焼きそばを食べたことがないとか、必ずありそうな気がする。
その運命に抗い酢豚を食べる決心をしたものの、記念すべき酢豚を自分で作って食べるのか、お店で食べるのか、人生で1番迷っている。
って感じで検査した。検診でもうんこから血が検出されたっぽいし。ちょうどいい機会だからお尻に器具を突っ込まれて恥ずかしい思いしちゃおっ☆
つって検査行く前に2時間くらいかけて腸内を洗い流すための薬(アクエリアスみたいなやつ)を2Lくらい飲む必要がある
なんかWebでの意見を見かけるに、これがしんどいって感想が多かったけど、自分はなんともなかった
無限に飲めるとか大袈裟にいうと完全に嘘だけど、ぶっちゃけあれ4Lでも飲めるわ。普通に味ついてて美味しいし
まあそんなに飲む必要もなく、下剤の作用もあるっぽくてうんこ連打してると、例の直腸を溶かすようなヒリヒリする水うんちになる
あのヒリヒリするやつって腸内にうんこないときに無理やり出てくる腸液だったのかーっていう発見だな。大腸の腸液はアルカリ性なんだっけ?化学とか全然わからんけど多分皮膚にはよくない物質なんだろうな。ヒリヒリするくらいなんだし
まあそんで検査に行った。
Webではけつ見られるの恥ずかしいみたいな感想も多かったけど、別になんともなかった。というか女性の看護師とかがガードしてたけど、明らかに結に器具入れてたの男性の医師だったし、まあ別にどうでもいいかって感じ。
お尻については、まあ無理やりねじ込まれたって感じ以外の何者でもない。結構痛い感じもあったけど、多分血とかは出てないだろうし、まあいいかっていう感じ。
最初は麻酔とか使わないでお願いしたんだけど、下行結腸から横行結腸に行く曲がり角でぐいぐい内臓を内側から蠢かせてるのが、まぁ体験したことのない気持ちの悪さで、たまらずに麻酔お願いしましたわ。
そのあとはまあだんだん気分の悪さが落ち着いた感じで、盲腸のあたりまで行って、撮影とかしてんだろうなーって感じ。
結果、憩室が三つくらいあるらしいことを告げられた
とはいえそれ以外に大腸に異常はなくて、じゃあうんこから検出された血とか、定期的にでる血便はなんだったんですかねーっていう、けつの締まりの悪いまま、現代に至る
なんだったんですの?