はてなキーワード: 公共心とは
慣れたんじゃなくて相手にする価値のないアホだとみなされたからだよ。
政府の要請にマジメに付き合ってもバカを見るだけなのがこの1年で広く伝わった。もう政府の信用が尽きたんだよ。
いま自粛してる人はあくまで自衛のためにやってるだけだし、大雑把な人はもう緊急事態宣言なんかなかったように路上飲みしている。
なぜか花見シーズンに合わせたのか特に理由も示さず緊急事態宣言を解除したり、首相の訪米と重ならないようにするためか緊急事態宣言を遅めに発令したり、事実でなく気分で操作してる様子を何度も見てきている。その割に(それだからこそ?)2,3日前にいきなり緊急事態宣言しますとか酒の提供をやめてもらいますとか言い出す。人間のことナメてんのか?在庫管理ってわかるか?
実際、政府の言うことにつきあっても事態は何も改善されない1年だった。
厚生労働省「(2020年7月)ワクチン確保できた」→できてなかった
政府「このままでは医療崩壊が予測される」→ブルーインパルス飛ばして満足して終わり
政府「会食の自粛を」→政治家は会食してた。なんなら首相の息子と官僚もしてた
政府「不要不急の外出を控え……」→GO TOトラベル!外出しよう!→政府「不要不急の外出を控え……」
政府「20時以降の飲食店営業の自粛を」→厚労省が20時以降も店に居座って送別会して感染、その他役人の事例も多々あり
政府「イベントの自粛を」→オリンピックは絶対にやるが他のイベントは勝手に潰れてろ
せめてCOCOA入れる→動いてなかったし開発管理体制も杜撰なのが明らかになった
バイデンに挨拶しに訪米→当然のように2週間隔離を無視して帰国後すぐ公務に復帰
ぱっと思いつくだけでこれだけの不義理をしてきた。
政府がどの口で「お願い」してるのか自覚あるか? そのふざけた「お願い」が効かないからって、次は国民のせいにして厳罰化でもするのか?
最初の緊急事態宣言は国民もわりと協力的だった。初めてだからというのもあるが、まあ政府が言うんなら従うかって人が多かった。協力して疫病の抑制に繋がるなら、という公共心もあった。それはこともなげに裏切られた。
「COCOA入れて」の声に従った人は完全にバカを見た。今後政府が何かアプリ入れてと言っても相手にする人は激減するのが当たり前だろう。
1年掛けて政府が自分で自分の信用を削ってきた。言ってることとやってることが見事に一致しない。成果と言えるものもほとんどない。
国民にさんざん「お願い」しておいて自分たちは例外みたいな振る舞いをし続けてきた。
みんなで貧乏になろうと言いつつ豪邸に住んでる人間を誰がまともに取り合うのか。
これは政治どうこうではなく人間のごくごく基本的な道義の話だ。説得力の話だ。
軽い無政府状態になることで不利益を被るのはまあ国民だ。そういう意味では自業自得だが、ちゃんと自分たちの不始末は自分たちに降り掛かって報いを受ける。
政府はこの1年ほどの無為無策について何か責任を負うのか? そんな無責任かつ無能な連中の言い分に従うべき理由が何かあるか?
3度目の緊急事態宣言下では国民の自力救済が多発するだろう。それは「慣れた」からでは決してない。
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追記:
「いい大人はそんなことしない」とか言ってるけど規模感わかってるのか? 構成員が数百人レベルの組織ならほぼ全員を「いい大人」で揃えることもできるだろうし、選別だってできる。
東京だけでも成人は1000万人以上居るんだ。グローバル超大企業の従業員数ですら多くて20万人程度だ。その50倍近い人数がほぼランダムに勝手に集まってきて生活してる。
この全員が「いい大人」なわけがない。そういう前提で動くのが当然だろう。「お前はいい大人」「お前は悪い大人だからいい大人になれ」とか説教して回るつもりか?
そもそもこんな人数をなんとか統制できていた第1回緊急事態宣言が快挙だったわけだ。法的拘束力もないただのお願いに協力するやつがそんだけ多かった。人口密度も考えれば世界最高峰の「いい大人」の集まりじゃないか。
実際これでかなりの時間を稼げた。欧米でどんどん人が死んでいってるなかでも日本はいまだその水準に達していない。1年くらいの時間を稼ぐのには成功した。
時間稼ぎには大成功したが、稼いだ時間を空費する大失敗を犯した。前者は国民の努力によるもので、後者は政治というか上層部の責任だろう。国民が努力して時間を稼いでも、政府がそれを無駄に捨てるのを見せつけられるだけだった。いやむしろその時間稼ぎすら入国管理がザルだったりGO TOだったりで妨害したとさえいえる。経済云々といいつつろくな根拠も示さずに営業自粛させるなど、不要な混乱を招いたのもそうだろう。
国民ひとりひとりが努力すると医療体制を改善できて医者や看護師や病床が増えるのか? ワクチンが手に入るのか? COVID-19を自力で治癒できるのか?
国民にできることは感染抑制だけで、つまりは時間稼ぎだけだろう。そうして稼いだ時間を有効に使うには、政府がトップダウンで動いて条例やら給付金で医療関係者の負担を少しでも減らし、薬や医療器具の調達を助け、ワクチンの入手交渉に尽力し、ウィルス研究に協力する必要があるだろう。政府がそういったことを何か達成したか?
次の緊急事態宣言はオリンピックに最大限配慮したものになると誰もが理解している。「東京オリンピックで感染者が激増したら困るだろ?」と半ば脅してワクチンを手に入れるなんてことも、感染者増を活かしてなるべく有利にオリンピックを中止するなんてこともできそうにない。政府は稼いだ1年間を何も有効活用できなかった。路上で酒でも飲んでたほうがマシだと判断する人が増えても俺は何も言えない。
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追記2:
大きく拡散され、概ね同意されてるようだ。さすがに全部の反応は読みきれないけど、目についたものにいくつか反論しておきたいと思う。
ワクチンはもう来てるだろ
これはそのとおりのようだ。よかった。本文を書いていたころはワクチン担当大臣が動いている程度の情報しかなかったが、その後すぐに(公式発表ではないものの)EUから日本に入ってきているらしいという情報が流れ出した。まだ接種率は低いし体制も整っていないようだが、進展していること自体はいいニュースだろう。順調に進んで欲しい。
これについては上の追記で書いたように、それも踏まえて動くのが行政だという認識だ。「お願い」だけで効果が出るなら犯罪なんて起きない。それでも起きる犯罪を取り締まるために警察が居る。また行政ができる犯罪率を減らす取り組みもある。地味だが街灯を設置して夜道を明るくするなんてのもそうだろう。「お願い」なので警察は使えない、となると街灯を設置するような地味なことを積み上げていくしかない。これの舵取りが難しいのは理解できるが、せめて科学的根拠に基づいた施策であるべきだろう。今はただ飲食店や若者を悪者にしているだけにしか見えないが、むしろ高リスク群である高齢者に外出を控えるよう強く言うべきじゃないのか? これは本当に不思議なんだが、高齢者向けのメッセージが出されたことは今までなかった気がする。ただただ若者が悪いと言い続けているように見えている。
別の観点でいえば、いくら「お願い」されても飲食店経営者や従業員などは生活がかかっている。今回は対象がさらに拡大された。多くの店舗は去年から店舗入口に消毒用アルコールを置いたり、店内に仕切りを設けたりと一定の感染防止策も打っている。それらを一顧だにせず一律に営業自粛を「お願い」し、かつ金も出さず、仕入れた分を捌き切る暇もない直前の宣言で、新たに酒類禁止も追加となれば、そんな自粛に協力できるのはほんのひと握りだろう。いくら説教されたところで自分の生活がかかってるなら反発するのが当然だ。そしてそれは非合法活動ではないのだ。
自粛への協力率に関与する重要なパラメータとして、本文では「信用」というのを書いた。去年9月ごろに首相が代わってすぐに着手したことがなんだったか覚えているだろうか。携帯電話料金の値下げ要求だ。そして今はオリンピックだ。国のトップが新型コロナウイルス感染症にまったく興味がないように見える一方で、私権制限スレスレの緊急事態宣言を発出して国民の生活を縛ろうとしている。自粛要請に従わない店を応援する声が以前より多いのも、そちらに理があると見る人が多いからだろう。
東京都でいえば、JRの減便によってわざわざ乗客の密度を上げている。感染者数が減っているときにそれをやるなら封じ込めのための荒業ということでまだ理解できるが、増えているときにそんなことをすれば医療崩壊を招きかねない大博打でしかないだろう。もうワクチンが到着し始めているのなら、まずは迅速に接種が進む方向で仕事をするのが本筋だろう。ワクチンが届いているのに接種体制が整っていない、なんてことになればさらに信用を失うが、今のところワクチン接種について何か進めているといった発表は見ていない。
現在の状況では、まずは目先の感染者数を減らすか、少し先を見据えてワクチン接種体制を整備するか、あるいは両睨みで進めるか、くらいしか論点はないだろう。暗中模索の去年と違って状況はずいぶんクリアになった。ワクチンが国民に広く普及すればほぼ元通りの生活が得られるのはイスラエルの事例でわかっている。このタイミングで緊急事態宣言を出すなら、国民にもうひと頑張りしてもらって感染者数減を目指してもらいつつ、国は全力でワクチンの早期接種に向けて動くのが筋だ。そしてそのようなメッセージを明確に出すべきだ。国からはオリンピックの話しか聞こえてこないし、第3回の緊急事態宣言はIOCの人間が来るのに合わせて解除される。我々はワクチンではなくオリンピックのために生活を削られるのか?
子供の運動会を見るためなら多少の無理でもやりきろうと考える人でも、オリンピックのためにそれをやる人なんてほとんど居ないだろう。オリンピック開催によって国民に直接の利益があるわけでもなく、むしろ感染爆発のリスクでしかない。
自衛のために自粛し、生活のために店を開け、仕事のために出勤する。連帯はもう失われたが、オリンピックのために死ぬのは嫌だという認識だけは広く共有されている。
政府をぶん殴りたいという感想もちらほらあったが、それは投票によって合法的に成し遂げられる。たとえ投じた票が無駄になっても投票に来た人間の属性は記録され、世代別投票率などの形で反映される。明らかな高リスク群の高齢者がスルーされて常に若者のせいにされるのもそのためだ。下のツリーのどこかにあったが、別に「正しい」候補者を選ばなくていい。この1票でぶん殴るという意思表示こそが投票に行く理由だ。投票したあとコンビニで酒を買って路上で飲むのもそれはそれで楽しいかもしれない。
ボクの考えた最強の解決策はコレだ!
消防団みたいに「鉄道利用補助団」を結成するんだ。ボランティアで!
車椅子の人がフラっと階段しかない駅とかにやって来て、困ったなって思ったら、JAFを呼ぶ#8139みたいな専用番号に電話すると、鉄道利用補助団が動員されて現場に駆けつけ、車椅子を運び上げすぐに乗ることができる。
駅員は想定外の重労働しなくていいし、鉄道会社もコスト負担が無くていいし、障害者も不当に行動を制限されなくていいぞ。
貧困層に対して「それよりやや上の中間層」からバッシングが生じるのはなぜか。今月19日の連合総研フォーラムでの埼玉大学の高端正幸准教授の話がとても参考になりました。資料にあった図表を自分なりに再構成しました。背景には中間層の不安定化があります。中間層を含む生活保障が重要です。 pic.twitter.com/uNcHMFx15M— つしまようへい (@yohei_tsushima) 2019年4月29日
ベビーカーに対する増田やブコメの感想見てると、完全に経済学で最近言われてる通りの構図になっちゃってるな。
公共心に働きかけても聞いてくれないとなると、どうしたらいいんだろう。
しばらくはKKおばさんなんていない戦略をとる。
自己管理能力、公共心、コミュニケーション能力などに乏しい男性と異なり、女性でKKのような情けない状況に陥る者はいないという論法だ。
ニート論の場合、女性無業者には家事手伝いの枠を用意した上で定義から除外し、戯画的なニート像を男性によって表現してきた。
では、いよいよ無視できないほどにKKおばさんが増加したらどうするか。
この現実を突きつけられると、KKに男性しかいないと見るのはステレオタイプ戦略をとる。
女性にも悲惨で救済の必要なKKがたくさんいるのに、性的ステレオタイプによって清純な女性像が一人歩きし、KKおばさんは存在しないことにされてしまった。
ニート論の場合も、女性ニート人口が無視できないほどいると指摘されるようになると、議論の方向性が転換した。
女性が必ず結婚するという前提で家事手伝いカテゴリーに押し込め、支援の対象外としてきたのは差別、という議論になった。
ある性を、リベラル的に望ましい資質を備えていない情けない存在として描くことも、より可哀想で優先して救済すべき対象として強調することも、論法の工夫次第で可能だ。
それがはてブの総意じゃなかったの?
教員の働き方がブラックすぎて、教育学部の倍率がヤバイことに。 - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1309183
日本の英語力は国際的に見ても壊滅的だから、英検の上級やTOEICの高得点を持っている教師に低学年からの厚い教育を期待するんじゃなかったの?
情報理論の時代遅れの知識ではなく、プログラミングの実務面にも明るい教師を求めるんじゃなかったの?
運動会で組み体操などの危険な演目に走らずとも児童全員に見せ場を用意し、児童の安全にも完璧に配慮できる教師を求めるんじゃなかったの?
児童のエスニックバックグラウンドの多様性に配慮して、日本語が拙い児童にも個別にケアし、場合によっては外国語しか話せない保護者の方ともコミュニケーションを取りつつ、誰もが劣等感を抱かず自分のアイデンティティに誇りを持てる教室作りを目指すんじゃなかったの?
発達障害や運動協調障害の児童にも配慮して、誰もが自分のペースで学びを深め、体育の時間にも競技を安易にやらせて終わり、ではなく運動が本当は楽しいことを伝えるべき素質が教師に求められるんじゃなかったの?
糖尿病や重度身体障害、知的障害の児童も特別支援校や特別学級へと排除するのではなく、適切なケアを提供しつつインクルーシブ教育を推進するのが今の教師なんじゃなかったの?
家庭科では子供を持たない人生もあっていいことなど多様なライフタイルの存在を伝え、ジェンダー平等の追求だけでなく性的少数者の児童にも寄り添い、誰もが自分の性のあり方に誇りを持てる性教育の実践家としての教師、じゃなかったの?
アルビノの生徒に髪を染めさせるような人権侵害は言語道断として、そもそも無意味な校則で子供達を縛るのではなく、自主性を尊重した上で公共心を養わせ、自分達の手で自然とルール作りを行うことのできる場を教師は提供すべきなんじゃなかったの?
さくらんぼ計算や掛け算の順序、漢字の瑣末な書き順といった意味不明なカリキュラムに拘泥するのではなく、生徒の多様性と教育の本質を理解し、かつ学びが速い生徒の能力も尊重してカリキュラム外の高度な代数や三角関数を用いた解法を用いた算数の答案にも合格点をつけられる教師が21世紀のありうべき教師像じゃなかったの?
イジメを未然に防げるよう児童同士の関係性を日々気にかけて、それでも起きてしまったら迅速な関係児童へのケアと関連公的機関との連携、さらに社会へのコンプライアンスを全うできない教師は失格じゃなかったの?
何、あらゆる事態に対処できる有能な人材は有限だとか、私生活のことも考慮すると教師一人一人の時間は有限だとか、トレードオフ構造を今さら理解しましたみたいに、皆しおらしくなっちゃってるのよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/parabellum.hatenablog.jp/entry/2018/12/11/032122
ribbentrop189 ~と考えます、~と考えられます、~と思われます、~らしいという推測だらけ。結局肝心なところは何にも裏取れてないんだね。よく信用出来るね。再びいくつかは差別として通報しとく
MeToo運動に賛同する多くの者が本件で口を閉ざす中、告発ブログの記述自体を全面的に疑うという形で、運動を守る覚悟を示した。
敬意に値する。
しかし気になる点もあって、
・同程度の信憑性しかないMeToo告発があった場合にも、同様の懐疑的姿勢を保つことができるか?
・本件に関するコメントを差別として通報するほどの公共心の持ち主であれば、例え裏付けが取れていないとしても、差し迫った危機として殺害予告が行われていることについて警察に通報する考えは浮かばなかったのか?
「無断RTやめて」ツイートが話題 日本人は自らの投稿に対する所有意識が強く嫌悪感?
https://news.nifty.com/article/technology/techall/12144-336116/
「日本人はネット、特にSNSに関して、友達相手に話している、プライベートな空間で話している、と考える傾向が強くあります。また、『良い情報は拡散され、みんなに共有される』というのがそもそものインターネットの思想ですが、日本人は『俺の(投稿した)モノは俺のモノ』という意識が強い。『ドラえもん』のジャイアンではありませんが......(笑)」
「公の場」での発信という感覚が薄い一方、自らの投稿に対する所有意識は強い(「無断RT禁止」の書き込みでも、「ツイートは俺の著作物だから」と強調されている)。だからこそ、自分のツイート・イラストがコントロールできない形で広がることに、嫌悪感が強い――。
残念な話である。
先日話題になった
「京大出て専業主婦なんてもったいない」と言う人は、じゃあわたしが何をすれば許してくれるのか
http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352
http://anond.hatelabo.jp/20160524012315
これらの話題。
読んですぐに「すげぇちきりんっぽいな」と思った。
メイロマおばさんもそうだ。どっちがどっち化してるのかは知らないけど。
要するに、問題からちょっと離れた立ち位置から意見を言うんだけど、その意見が「私」に立脚しているものだから、聞かされたほうが結構な確率で不愉快になるということ。上記の東大京大シスターズもまさにそれだ。賢く論理も明快だが、その中身はまさに「私」。そのへんにものすごいちきりんのニオイがしてくる。「私」と「我」とはちょっと違う。あくまで、強烈に「私」なのだ。
で、ちきりんとは別に高学歴中年女性の一つの大きなモデルケースと言えそうなのが勝間和代だけど、この勝間和代コースを選択する高学歴中年女性は結構少ない。なぜなら、この勝間コースは「努力して自分が変わろう」というスタンスだからだ。そりゃ辛いもんな。まぁ、勝間和代に関していろいろとアレな部分はあるけど、「成長をしよう」という一点だけでちきりんメイロマコースよりも遥かに上等だと思う。だからなのか勝間コースにはあんまり「私」が多くない。と思う。
別に公共心を持てとか、成長しろとかそういうことは言わんけど。
自分を外部に置きながら「私」についてばかり話すのはよせ。
近ごろの若い女は無知でワガママだから子供を産まんのだ。ここは一つ、ワシが正しい知識を授けてやろう。そして女どもの性根を叩き直してやらねば!
って考えが長年の間違いのもとだったんじゃないの?そんなやり方をずっと続けてたから、今の惨状があるんじゃないの?
「少子化は、子供を産み育てることを厭う考え方を植え付け、日本人を根絶やしにすることを目論む勢力の陰謀なのだ」って電波は論外な。
人類だってまだそこまで本能ぶっ壊れてないんだから、将来に絶望してなければ大抵の女は子供産むんだよ。
今は収入低くてもいずれ昇給するはずとか、妊娠しても仕事辞めなくて済むとか、出産しても一人孤独に子育てしなくて済むとか。子供産んでも大丈夫!って安心できれば子供産むんだよ。
公務員や大企業の正社員ばかりがホイホイ結婚して子供作ってるのは、奴らがワガママじゃないからじゃねーよな。
ワガママが許されるほど身分が保証されてるから、将来に不安がないからだよ。
個人のワガママを抑え付けて、全体に奉仕させるとどうなるかなんか、ソ連や北朝鮮を見りゃ分かるだろうよ。
「我が社のために大事な話をします。社員は滅私奉公しなさい。雇ってもらった恩を考えれば、残業代がほしいだの有休が取りたいだのとワガママは言えないはずです。君らも会社が潰れたら困るだろうに」とほざくブラック企業で働きたい奴がいるかよ。
若いうちから「女の務めは国のために子供をたくさん産むことだ」と叩き込み、公共心とやらを養ってワガママを許さなければ、二人といわず四、五人産むはずだ万歳と妄想に浸る国でいいのか?
仕事してお金稼いで、子供にいい教育や暮らしをさせたい、やりがいも感じたいし社会参加もしたいって「ワガママ」を当たり前に叶えられる国にするのか?