はてなキーワード: ミュシャとは
会社の有給とって平日にフェルメール展に行ってきたのだが、激混みで萎えた。入場料2500円と通常の美術展より割高で、時間指定の事前予約制であるのにである。会場が規模の小さな上野の森美術館という事で、嫌な予感はしていたのだが想像以上の混みようでかなり不快だった。
ぶっちゃけフェルメールのネームバリュー自体は今年の東京でやっていた他の展覧会ミケランジェロやムンク、ルーベンスとそう大差無い訳で、さほど混んでなかったそれらと比べたて何が原因でここまでの混雑が発生するのか結構謎である。そういえば一昨年の若冲、昨年のミュシャと激混み美術展が最近多かったけれども、特定の展覧会をプッシュして荒稼ぎしている美術ブローカー的な存在でもいるのだろうか?本当に謎である。
https://www.cocacola.co.jp/stories/rockwell
えっろww ケモショタじゃんwww 股間のタルからはみ出した瓶チラ見せで筒先しゃぶろうとしてんの? コカとコーラで離脱症状出てない? 犬に股間見せて得意満面だしw
https://item.rakuten.co.jp/kaminoneko/sonia545-611-123/
どう見ても腕、長過ぎるよね? そんなにしがみつきたいの? メスの顔だしww ボーイの手も不必要にデカくてエロ過ぎ この状況で左肩にこの猫とかあり得るの?
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立て膝して股間見られ過ぎwww 都会人から見た田舎の未成熟なエロって健全な顔してる分、一部の人には堪らないよね
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きっもwww キャプテンアメリカなの? 超人? 一緒にインディアン爆撃でもするの? ライエンデッカーもさぞかし喜んだと思うよ?
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やめてくんない? 胸元ガン見し過ぎだし突き出した手袋が象徴的だし肌色の服が露出させた両脚隠喩し過ぎだし
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…は? 不愉快過ぎんだけど?
https://www.theactionpixel.com/comics/ryan-reynolds-deadpool-2-josh-brolin-birthday-cable/
結局さ、これに尽きんだよね 田舎の少年とマッチョイズムと軍国賛美 パロディにせよオマージュにせよ表面的には成長していく少年賛美を装いながら本質はケモノとオンナを従えて強くなるアメリカ様を描き続けて人気取りって言うw 牧歌的? 馬鹿言わないでよそんなの今だからそう見えるんでスカウトだって予備軍みたいなものだし反差別だって全てはアメリカの為で、ミュシャやライエンデッカーに比べたらコーラでも分かるようにペラッペラの大衆向けゲス絵描きじゃんw
萌え絵は大きな目と立体的な体が特徴とちゃんと書いてるだろうが。なんでこの程度のことすら読めてないやつに歴史を説教されなきゃならんのだよ。
あと、サブカル学者なんて信用してる時点で悪しき権威主義に侵されすぎ。
学者ってのはフィールドワークと言いつつ文献主義に侵されがちだから、多分昔のアニメのエンドクレジットがまるで信用ならんことすら見落としてるんじゃねーの?
話が逸れたが手塚からの流れとかそういうものまで俯瞰して眺めようとするから当時の空気ってやつを見落とすんだよ。
最初に萌え絵と呼ばれていた絵はエロゲ絵だった、その空気感を忘れてるように見える奴らが多いからこの文章を書いたんだ。
そりゃ歴史主義に走ったら萌え絵はやれ少女漫画だミュシャだいや手塚だみたいな無理やりな系譜付けをしなきゃならんだろ。そうしなきゃ歴史として語れんし権威付けもできないんだから。
そんな視点ははっきり言ってクソだと私は言ってるんだ。そういう視点こそ事実を歪める。
あと、そっちこそエロげの影響力なめすぎなんで。
泣きゲーの流れをくむTYPE-MOONは今やFGOで腐女子まで取り込んだ一大コンテンツだよ。まどマギの虚淵玄がエロゲーのシナリオライターだった事実は?
エロゲーはそのビジュアルにおいても物語の流行においても大きな影響力を持っている。それすらわかってないのに歴史とか言い出すな。
ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲの表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。
現代の感覚で萌え絵の範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。
さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。
萌え絵は少女的無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事は萌え絵が一般のアニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代だからこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態を晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。
しかしながら完成した萌え絵がエロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。
萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。
ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。
まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵と少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である。
萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopのエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。
立体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。
この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いとエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。
それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画か吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタクの定義でロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いとエロいは両立していなかったのだ。
それを両立させた萌え絵がエロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。
そして萌え絵がエロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンルの物語だ。
泣きゲーというジャンルのエロゲーは、Key、Leafといったエロゲーメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。
この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵はエロのみに価値があるわけではなかったのである。
これらの物語と萌え絵のマッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。
そしてそれから萌え絵はエロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵、マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程で萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。
一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いとエロいを両立させ続けている絵柄だ。
さて、ここで萌え絵を性的なものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。
今のオタクが萌え絵と言って連想するのはエロのコンテキストから引き剥がされた現代の萌え絵だ。
だが、萌え絵を性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロのコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。
これでは両者の話が噛み合わないのは当然である。
さらに萌え絵を性的だと批判する人々がなぜ萌え絵を特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いとエロの両立が非常にショッキングなものであることが大きな要素になっているだろう。
萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人の世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供、特に女の子のためのものであった。しかし萌え絵は可愛いの世界にエロを持ち込んだのだ。
これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。
だから私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵を批判する非オタクの大人の批判も宜なるかなと思っている。
そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵はエロくないと言い張って萌え絵批判を批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。
重要なところを復習する。
まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いとエロを両立する絵柄であること。
それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロい萌え絵が今も存在していること。
これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?
これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵はエロいという人を一方的に非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?
今萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である。
一方で萌え絵はエロゲ絵から始まり、今もそれを引き継いだエロい萌え絵が存在するのも事実である。
普通に考えて、萌え絵を性的なものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者を連想している場合もあるか。
internetarchivebooksで、日本画での波の描写をまとめた本がダウンロードできるとハテブで上がってきてて、自分が好きなアルフォンス・ミュシャがないか探そうと、muchaで検索をかけたんです。
後はよくわからんと思っていたところ、muchakuchadaisukiというタイトルで、英訳された漫画がまるっと一冊。2巻以降もある様で。
サムネの左上にカーソルを持っていくと、マンガライブラリというグループが出てきます。そこを選ぶとずらっと出てくる漫画といくつかのラノベ。エロなのかぼかしが入っている物もあります。
投稿は2013年かららしく、アイテム数はもうすぐ2万件。閲覧数は昨年末から急激に数を増やし、累計300万を超えています。
カリフォルニア、フィリピン、インドネシア、コスタリカとアクセス数の多いリージョンが表示されているのは面白いです。
また、今回の投稿者のリストを見ると、大量の資料の中にいくつものゲームソフト、メディアや雑誌などもありまして、
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もっともこれでも氷山の一角で、ほかに大量にあるように思いますし、そもそもアーカイブとして集めることが目的なら、公開の前にしっかり著作権を確認しているのでしょうか。
私は、運動嫌いでも動くことになる趣味を探した結果、美術館巡りにたどり着いて、
関西在住の身として京都国立博物館、奈良国立博物館、兵庫県立美術館、国立新美術館、神戸市立美術館、京都市立美術館、天保山ミュージアム、東洋陶磁美術館、堺市ミュシャに、
寺社仏閣の特別拝観などなど手当たり次第に見に行って、結果一日の平均歩数が1万歩を超えることができています。
さて、個人的には昨年、京都国立博物館120周年記念で行われた「特別展覧会 国宝」が、展示替えのたびに拝見させていただいたほどよかったのですが、
その開催と、展示替えに合わせて行われたニコ生が同じようによかったのです。
(多くの博物館、美術館、個人所蔵の品などを集めて行われたためか、視聴期間が会期と同じで、現在期限切れとなっています。)
その道の専門家が、目を輝かせながら担当範囲の魅力を思う存分語ろうとするものの、
時間不足で押され、先輩の圧で揉まれながらねじ込んだ結果大幅に時間が過ぎる、
映像はテレビと比べたら荒いけれど、それは実物を見ればいいわけで、現地で貸し出される音声解説をはるかに超える深い話、
なつやすみ子供科学相談のようにさらっと、今の研究ではそうなっているんですがと言い出したりするのを聴けるすごい番組だったわけです。
そして今年は、「京のかたな」が開催されます。今週末、9月29日からです。
こちらも今までになかった刀に集中した展覧会で、かなりの国宝、重文、作刀が少なく格を定められていないだけの希少で優れたな作品などがたくさん出展されます。
現在は、6月に行われた展示予定の記者発表のニコ生がアーカイブで残っていますが、
この時点でもどの時代のだれの作品がなぜ重要で、どのように技術がつながって、どの博物館から集めたのかが語られていて、
すでにわくわくしながら前売り券を二枚準備しています。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv313659246
【出品刀剣 発表】京都国立博物館 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」記者発表会 生中継
当時はまだ固まっていませんでしたが、現在は公式ホームページに、展示替えの時期を含めて掲載されています。
ここまでは前段、京都博物館の皆様ありがとうございますというPRですので、読み飛ばしてもらって結構です。
解説のようなことも書いていますが、全て素人目線、ただの高卒おっさんの感想を書いているだけですので、
的外れなことが書かれていた場合は突っ込みを頂けるとありがたいです。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296737289
みんなで巡ろう「ミュシャ」展 【niconico×国立新美術館】
ミュシャさんのお名前が、日本一有名な錬金術師兄弟の弟にも使われているアルフォンスで、それきっかけで私は見に行きました。
アルフォンス・ミュシャで検索してみてください。絶対に見たことがある絵があるはずです。
多くの方に影響を与えていて、初期はポスター、舞台衣装と多くのデザインをされた方で、
北斎漫画が動きを抽象化して書いていたように、草木を抽象化してデザインに取り入れていて、
抽象化がうまかったのは、当時のポスターも浮世絵も複数人により量産される作品だったからかもしれないと思っています。
そして、生涯最後の大作「スラブ叙事詩」が世界初チェコ国外に出ると話題になったのが今回のニコ生の展覧会ですが、
日本が最初に選ばれた理由の1割くらいは、ミュシャ作品の世界一の所蔵数が土居君雄さんが寄贈したミュシャ美術館で、
多くの作品を丁寧に保管されてきたことで文化功労章をもらったことも影響していると思います。
こちらは500円で入館できるので、JR大阪駅からでも、先日何とか復旧した関西国際空港からでも、関空快速で乗り換えなしで約40分、堺市駅に直結ですので、ぜひお立ち寄りを。
(スペースが小さいので、展示内容は時期により異なります。季節ごとくらいのペースで展示替えあり。現在は挿絵中心の展示ですが、白い象の伝説は絶版なのが惜しいほどに美しいんですがkindleで完全収録されているようです。未見)
スラブ叙事詩はヴェレトゥルジュニー宮殿にあるので、プラハ城の聖ヴィート大聖堂のステンドグラスと一緒にチェコに見に行きましょう。写真はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
https://www.travel.co.jp/guide/article/17165/
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296734542
みんなで巡ろう「海北友松」展 【niconico×京都国立博物館】
カッコイイ龍が見たいなら、とにかく見てください。
龍が嫌いな男の子はまずいないと思うのですが、
わざと暗くした部屋で闇夜に浮かぶように見せるなど、
どうすれば一番格好よく見せられるのかを追及した展示で、
たらふくかっこいい龍をたくさん見られます。
最高傑作の一つは建仁寺にあった本坊大方丈障壁画の雲龍図(京博所蔵)ですが、
同じかそれ以上にと学芸員の方が絶賛している「月下渓流図屏風」が日本に帰ってきたのもすごいこと。
アメリカ・ミズーリ州のネルソン・アトキンス美術館所蔵ですので、次に日本でみられるのはいつになるか。
最後の最後の展示がこの図屏風で、思わず立ち止まって10分は呆けていました。
そのあともう一度龍を見に行ったんですが。
雲竜図は大きすぎてなかなか展示できないようですが京博所蔵ですので、他の方の龍との比較など、国内の他の企画展で展示される機会があるかもしれませんし、
迫力は万分の一ですが、高精細複製画像がWebで見られます。実物大の複製でしたら、建仁寺に展示されています。
Canonさんはほかにもいくつかこの事業をされていますので、ぜひ一度ご覧下さい。
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/08.html
東京は実物見れてないのが多いのと、力尽きたので以下は気が向いたときに。
タイトルで検索すれば、プレミアムなら今でもご覧いただけますので。500円でも十分元は取れるはず。
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葛井寺の秘仏・国宝「千手観音菩薩坐像」と対話する24時間放送 ~ 東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」より~
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ジョジョは知らんけど
ミュシャはもともと広告宣伝用の絵をかいてて人気になった人だから
そら万人受けする、特定の人に嫌われにくい絵だ
ミュシャ好きな人とジョジョ好きな人の「この作品は絶対に万人に愛されているもの!苦手な人はひねくれているだけ!」みたいな主張の多さってどっから来るんだと常々疑問に思う
技法的にはともかくとして好みじゃない…というかはっきり言って苦手で嫌いなのだが、どうにもこういった主張をする人だらけで辟易するし、時にそれを良しと思えない自分の感性をまるごと否定され異常者と罵られたような気分になって、己の人格を疑ってしまうほどに追い込まれることもある(これは己がナイーブすぎるせいとは思うが)
「あんなに素晴らしい作家は他にいないよ、そっちも好きでしょ?」……
もちろんそんな相手とは距離を置いているのだが、過去遭遇したそういった手合は、皆が皆、ほとんど初対面に近いときの雑談からそんな話の流れになるのだから、まったくもってこたえて仕方がない
好きな作品や作者があるのはとても幸福だしすばらしいことだと思うが、それにしたって言い方があるだろう
どんな作品にも多かれ少なかれこういうファンはいるのだろうが、この二作が好きと言う人の9割がそんな感じなので、耐えかねて吐き出させてもらった
ちょうど仕事の谷間も時期だったので、衝動的に有休を取って平日の昼間に六本木の国立新美術館まで行ってミュシャ展を観に行った。
連休にぶつかると混雑は必至なのはわかっていたので、そうなる前に観に行きたいと思って行ったのだが行って正解だった。
とはいえ、平日にも関わらずそれなりに人が多かった(ちょうど草間彌生展も同時開催してたので、そちらの客入りの影響もあったのかもしれないけど)。
少し前のNHKの特番を見て予習したのだが、やはり生で観るのとでは迫力が全然違った。
まず、ミュシャの画風がスラヴ叙事詩とそれ以前(パリでポスターとか広告絵を書いてた頃)で全くの別人のようで大変驚いた。
スラヴ叙事詩はそこに描かれた苦難の時代を生きるスラヴ人の眼力の凄まじさに、まさに射竦められる心地がした。
「残りの人生はスラヴ民族のために捧げる」というミュシャのの真摯な姿勢が感じられた。
一般的なミュシャのイメージといえば、パリ時代のサラ・ベルナールの舞台のポスターに代表される作品群だが、これはこれでもちろんよかった。
花と女性の四部作に描かれる女性は官能的だけど、決して下品ではないエロティズムが魅力的だった。
「花と女性」だけでなく、宇宙的なモチーフ(太陽・月・六芒星・星座)も取り入れられてるのも特徴的だった。
故郷のチェコ(当時はチェコスロヴァキアか…)に戻ってからもパリ時代のポスター画みたいな作品をいくつか描いているが、
そこに描かれる女性は少し趣が異なる、スラヴ系特有の丸顔が特徴的だった。
朝の10時半頃から昼過ぎの14時までゆっくり鑑賞することができて満足した。
帰りは遅めの昼食を東京ミッドタウンの中の店で採った、新宿にもあるだし茶漬けえんで冷汁を食べた。これは美味しかった。
③ダークさ、重苦しさ、小難しさがなくポップ