はてなキーワード: ミュシャとは
萌えとエロは同一ではない……というか、萌え+エロ=エロゲというジャンルと思ってる。
私の思うに……
萌えとは、想像物・創造物それ自体に対する恋愛性欲的感情なので、その見た目対象が時代や地域によって大幅に異なっているとしても、それなりに発展した文化を持つ時代や地域ではほぼ普遍的なもののはず。ただ、産業革命によって手作業が機械作業に置き換わったように、日本において萌えの形式化が進んだに過ぎない。
誰もが異なる「萌え」を定義し、誰もが「萌え」を説明しきれないのは、萌えも恋愛も同様に多種多様個々人で異なっていて、たぶん誰も恋愛感情における主観を一般化出来ないだろうというのと変わらない。
そのような意味で、萌えは様々なところに見出せる。有名どころだけでも……小説では、室尾犀星の「蜜のあわれ」の赤井赤子、夢野久作の「ドグラ・マグラ」の呉モヨ子、絵画では、ブーグローの「小さな物乞い」、ミュシャの「百合の聖母」等々。いずれも、それを通じて誰かを想うのでなく、それ自身に対する恋愛性欲感情を伴う事と思う。
ところで、現代のエロゲには大別して三つの方向性があると思える。エロを追求するか(ただし、萌えは恋愛性欲的感情なので、萌えが含まれるのは不思議なことではない……アリスソフト等)、萌えを追求するか(ただし、萌えは恋愛性欲的感情なので、性的描写が含まれるのは不思議なことではない……キャラメルBOXの一部作品等)、物語その他作品としての出来や可能性を追求するか(あくまでエロゲという作品ジャンルなので、エロと萌えが含まれるのは不思議ではない……Nitro+等)。あくまでエロい表現を含むゲーム全般をエロゲと称しているだけなので、一部のブランドにおいては、むしろエロがおまけとなってさえいる(鬼哭街等)。
エロい心は恥ずかしいものだけれど、好きだという心は別に恥ずかしいものではない。だから、エロゲのエロい部分は恥ずかしいものだけど、エロくない部分は別に恥ずかしいものではない。これは、彼女や嫁との性交を公にするのが恥ずかしいからといって、彼女や嫁や子供の存在それ自体は別に恥ずかしいものでも何でもないのと変わりがない。また、エロゲそれ自体はエロいものなので恥ずかしいにしろ、エロゲの中のヒロインそれ自体はエロいものではない。性交のためだけに彼女がいるのではなく恋愛の過程として性交があるように、エロゲの中のエロの描写は、仮想恋愛における一過程でしかない場合も十分ありうる。
恥ずかしいとしたら、それが仮想であるから、という一点だけのはず。それ以外の点でもって萌えを恥ずかしいというならば、それは、恋愛性欲そのものが恥ずかしいというに過ぎない。ただ、現実にある同種の感情を知らず(または、見て見ぬふりをし)、描き出された風刺画に嫌悪を覚えているに過ぎない。
初対面の女性に恋をした。
そして悟った。
彼女が振ってきた話題は
アルフォンス・ミュシャ、ベース、ヤンキー漫画、ふるいけやかわずとびこむみずのおとばしや(DQ1のパスワード)、アルツハイマー、澁澤龍彦etc...
表面的には知ってはいるが詳しくはしらないジャンルや、まったく無知なジャンルだ。
俺は、
違う文化の人が好きだ。
つまり、
合わない人が好きだ。
そもそも、趣味が同じ人間でつるむというのはどうなんだろうっと思う。
趣味が同じだから、金持ちだから、カワイイ(カッコイイ)etc...
属性で人間を選ぶということは、逆に言えば属性さえ合っていれば誰でも代わりがいるってことだ。
そういう選び方をするのって、人間としての本質をみてない気がするし、逆に選ばれたくもない。
カッコイイという理由で俺が選ばれるなら、老いて醜くなったらいつでも取って代られてしまう。
金持ちという理由で選ばれても、もっと金持ちがいたらそれまでだ。
俺は自分と「属性が違う」という属性で人を選んでると言われればそうかもしれない。
でも、自分とまったく違う人間と交わって、そして理解したいと思う。
こんな時代だと、どんなマイナーな趣味を持っていても仲間は見つかる。
違いを乗り越えてお互いを理解しあうよりも、もともと近い人間と仲良くなるほうが楽だと思う。
でも、そういうのが好きじゃない。
一番の親友と俺は、今は共通項はひとつもない。
違う小学校に通う彼に偶然に出会って、何度か顔を合わせ、中学校で再会した。
高校まで一緒になったけれども、共通の趣味はないし、性格も嗜好も逆だと思う。
一緒にいて楽しいとか、気が合うとか、そういうのじゃなくて、うまく言えないが立場や境遇や背景知識が違っても、俺は彼を理解して、彼も俺を理解する。
だから掛け替えのない友達だ。
さて、いきなり惚れた話に戻ると、いきなり告白して振られました。
貴方にとって「落ち着くこと/モノ」ってなんだろう? 朝少し早めに起きて、そういう
落ち着けること/モノに助けてもらうといいんじゃないかな。
寝床から離れて、居間とかで暖かくして、好きな音楽を聴きつつ、軽くストレッチ
体操してみたりとか。
自分の場合、寝床でうーうー悩み始めるとしんどいから、起きちゃう。夜中でも。
んで、水飲んだり、ネットしたりして「うーうー」になってるココロを違う方向に向ける。
ネットやりたくないときは、モネとかミュシャとか好きな画集抱えて見たり、好きな
本読むか、音楽聞いてる。ハーブのオイルポット用意したりとかさ。
あと、「うわー、また苦しくなった、やだよー、やだよー」っていう気持。それは
自然な反応だから、そういう風に反応する自分を嫌いにならないでほしなぁって思う。
泣いたり、怒ったりするのも自分の一つの面なんだよーって。弱いとかじゃなくて、
普通なんだよって。
問題が早く解決して、朝の光を浴びてのんびり出来る日が来ることを祈ります。
「高尚な」って言葉の意味にもよるんだけれど、エロゲだったりエロ本だったりってのは、一番根っこの部分に「オナニーの為の演出装置」とかそんな感じの役目があるんじゃないのかな、と思ってさ。で、所謂萌え文化とかラノベとかを好きでない自分は、そのあたりも「結局オナニーのネタなんじゃないの?」って程度に捉えてるんだけども、それが正しいとすれば作品ってよりも道具としての側面が強いんじゃないのかな。
純文学とラノベを比べる事に、ゴッホとかのファインアートの人とミュシャを比較するみたいな違和感を感じる。俺はゴッホもミュシャも観てて和むから好きだけど、ミュシャがファインアートの人と同じ基準で評価されるのはなんか違くないかって思うし、その逆もしかりで。
なんつーかこう、ラノベとかエロゲはユーザありきで作られてるって言うか。だんだん書きたいことが分からなくなってきたから半端なままで投下してみる。ドスケテ。