はてなキーワード: ピンポイントとは
3日くらい前、自室で勉強してたら机の上に転がってた小さい置物がコロッて動いた。地震があったわけでもなく机を揺らしたわけでもなく、本当に勝手に動いたんだけど気のせいってことにしてた。
でもさついさっき、勉強してたらまた同じ辺りに他の参考書類と一緒に立てておいたプリントがカサって動いたんだよ。しかもそのプリントだけピンポイントで動いたからびっくりしてそこ見たら、今度は落ちるんじゃなくて前にのぼってくる?感じで動いたんだよね。そのプリントおいてるところは後ろに隙間があって、揺れた拍子に後ろに落ちてしまうのはまだわかる。でも前に落ちてくるのは後ろから押すとかしない限り有り得ない。でも私は机にすら触ってない。じゃあなんで?ホントやめて欲しい。
まず始めに。私は空の軌跡からのファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったからである。
「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句の領域である。
また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉の区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラの個性として利用されているのであればもちろん有効な手法ではあるが、作中ではまるで流行り言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。
流行り言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人の共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎである。ピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。
現状を打破する論理的な道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官、警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。
このような価値観がまかり通るのは、全ての物事を主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。
原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているからである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物はライターの操り人形にしか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。
これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空からの登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子の結婚やアガットとティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙な距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムとライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。
リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのは既プレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである。例外はシステムの軛から抜け出せているユーシスとミリアムぐらいであろうか。
展開のワンパターンさ加減にもうんざりである。ゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである。
さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルートの存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象が主人公に収束する精神論ありきの価値観に支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。
あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらにルーファスのキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスにしか矢印が向いていない関係性しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。
このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感や奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターのセンスにだ。
惜しむらくは、他の2ルートにリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験をプレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的なものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である。
私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的な視点を持たずに作品自体がクロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。
3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルートの残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である。本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後の最後の局面だけだ。
全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンやモデルを一新するので)最後に活用したかっただけだと信じたい。
不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである。
ちょっと昔ブログ副業でしようと育ててた時の記事ネタにSNSとかでイカれた主張を繰り返すフェミ系とか集スト対策集会みたいなのに怖いもの見たさで潜入したことあったけど
ここやTwitterで狂ったように男はおぞましいとか男性性がとか女性性の押し付けがとか男女別姓がとか喚き散らしてたキ〇ガイ女とかキチ〇イババアとか、俺が架空身分で慶〇出身で一流企業に勤めて起業したベンチャーエリート経営者ですみたいな身分を装って話てたらさ、今までの男社会により女らしさの押し付けで苦しんで死にそうだとか喚いてたのは何だったんだとばかりに
リリカルなのはのシュテルみたいな貞淑さと女らしさ丸出しな仕草に変わってて、あまりの変わり身の早さにそっちの方が異常さを感じて戦慄した思い出がある
あと、集スト対策系とかは、全員が全員お前は〇〇のスパイだ!とか言って罵り合うだけの不毛な場がほとんどだったけど
女とかがきた途端に、今までお前ノルマン人みたいなアルミ鉄兜着て電磁波攻撃ガーとかスパイガーとかシャッターアイランドみたいなこと言ってたのは何だったんだとばかりに
途端に常識的になってトイレから出てきたらティンホイルハット外してやたらなれなれしく女を二人きりにして連れ出そうとしてたのがマジで吹いたわ
そういう経験を実際に見てきたので、本当のキチガ〇なんて、精神病院にinされて駄菓子屋のラムネ菓子一気食いみたいな量の向精神薬で無理矢理大人しくさせられて
薬の副作用で3~4年後くらいには「ウッ」とか言いながら心不全で静かに息を引き取るみたいなレベルの人間以外では、大体詐病なんじゃねえの?って思うんっスよね
まぁ〇チガイと言っても一言に医学的に色々あるから、そうじゃないのも基地外の範疇に入ったりするんだろうけど
ちなみに辞めた理由ははてなが誇るスーパーキチ〇イの低能先生がhagex刺殺事件を起こしたから
ここまで書いたらピンと来たキチガ〇に襲撃されちゃうのかな?って思ったけど、あんなレベルのキ〇ガイそうそういないだろうし、狭いはてなをピンポイントで見てるのなんていないだろうなーって思う
メインジャンル(30年近く存在するジャンル)ではとある人気のキャラ二人を🥨と🧁で表してるんだよね(近いもの選んでますがもちろんフェイク)。
で、特に推しカプというわけではないんだけど今日なんとなく「🥨 🧁」で検索したら他の作品のキャラ、もといカップリングが引っ掛かってびっくりした。
こんなピンポイントな組み合わせある!?ってめちゃくちゃびっくりしてしまった。いやマジでこんなピンポイントな組み合わせある?
うちのジャンルじゃない方は単純にキャラの好物で絵文字がそうなったらしい。え、でもそんなピンポイントでそんなことある?
うちのジャンルの方は「服の一部が🥨に似てるから」「敵の攻撃で🧁にされたから」って理由なんだが今書いてて「何故…?」という気持ちになっている何故…?そんな理由ある…?私もジャンルのキャラで盛り上がるときキャラの好きな食べ物で盛り上がりたい…
『無惨戦はクソ』『黒死牟までは面白かった』『薬で全部解決』とか言われてたので期待してなかったが、十分面白いやん!
薬ぶっかけて倒したわけでもないし、薬はあくまで補助で、しっかり当初の作戦を貫徹して日光で焼却するのが良かった。
(「分裂阻止の薬」のピンポイントさはどうかと思うけど)
最後の方は本当に総力戦で、モブも活躍したし、車とか大正時代なのも生かして、積み重ねて届いた勝利なのがいい。
『ヒノカミ神楽の意味がなかった』とかの批判も見たけど、元々延々と攻撃続けて足止めするための技だし、継戦の役には十分立ったからいいんじゃない? 主人公のすごい技で倒すよりは。
ジャンプの最高傑作はダイの大冒険だと思ってるが、ラストバトルは『最初からダイが竜魔人化してれば済んだんじゃね?』という印象は拭えない。人間に戻れないかもってリスクも、戦い終わったらあっさり戻ってたし。
ディオ戦は『最初から手袋燃やしてれば』、DIO戦やフリーザ戦は『最初からプッツンしてれば』、双子座のサガ戦は『最初からアテナの盾取りに行ってれば』とどうしても思ってしまう。
吉良吉影戦は割と積み重ねの勝利だったけど、偶然要素が多かったのは否めない。
その点で鬼滅はこれ以外に勝つ方法がない道を、苦労しながら着実に積み上げて達成したのが新鮮だった。
カナヲちゃんどこ行ったんだよ!と思ったら最後に大活躍してくれて萌えオタにも優しい。
無惨が赤ちゃんになると聞いて白面のパクリかよとも思ってたが、実際は防御の肉団子がそう見えただけで、本人に白面みたいな殊勝さは皆無なのも安心した。
新聞広告にもなってる『人の想いは不滅』に感動して改心したと思わせておいて、その結果が最後まで本当に身勝手で迷惑なのが笑える。
フェイスレスの『信じれば夢は叶う!』もそうだけど、悪役がこういうこと言うの、綺麗事が綺麗事でなくなる皮肉な感じがいい。
『私を置いていくなァァァ!』はツイッターで散々流れてきたので知ってたけど、こう繋がるのか。ざまあとしか言いようがない。
本当に印象深い悪役だった。
現代編は……別になくてもよかったし、特に甘露寺と伊黒は同じ顔の別人が幸せになったから何なの?とも思うが、まあ物語としては一つ前の回で終わってるからな。
あってもなくてもいいエピローグに目くじら立てるほどのこともない。
本編を過酷にしすぎた作者の罪滅ぼしなんだろう。