はてなキーワード: ギャップ萌えとは
備忘録(ぼうびろく)。多すぎるがまだ忘れている気がする。
ネットなんて匿名の吐き溜めなんだし、一人称なんてどーーーだって良くないですか?
俺女、僕女は嫌われる。
思うに、それらが嫌われるのは「一人称『俺』だけど女ですー!」みたいなアピールする存在がいるからではなかろうか。知らんけど。ギャップ萌え狙ってるのか?
それってもう、女が使う「俺」「僕」に対する嫌悪じゃないよね。
幼い頃から、自分の名前は一人称に相応しくないと思い込んでいた。
親は、ぼくを名前で呼ばない。
それは別にネグレクトだとかモノ扱いだとかそういうことではなくて、具体的には言えないけれどとにかく名前では呼ばれなかった。
このことは友人からもたまにからかわれていて、ぼくとしても恥ずかしいのであまり言いたくはない。この友人は後にぼくが「私」と言えなくなった原因の発端に少し関わってくる。
皆、苗字でぼくのことを呼んだ。
クラスに必ず何人かはいる、「ああ、そう言えばそんな名前だったよね」って人種だった。親しくない訳じゃあないんだ。
読みづらい訳でもなく、むしろこれ以外の読み方はできない、ってくらい分かりやすい名前だ。
ひと目で女と分かる名前。
この精神を病むことになった原因に、さっきの友人が絡んでくる。ぼくは今も、この人が苦手だ。
また学校へ通うようになっても、スクールカウンセラーと、ではあるが定期的にカウンセリングを続けた。
何かしらの病名がついた訳ではないが、後から思えばあの時のぼくの精神状態は最悪だったし、おかしかったとも思う。
膨らんだ胸も、柔らかい身体のラインも、生理も、高い声も、女性らしくあることを強制されること(校風としてはむしろ女である前に一人の人間であることを尊重されることが多かったように思うが)も、嫌でたまらなかった。
ひと目で女と分かる名前も、「私」という一人称を使うことも、苦痛で仕方なかった。
奇しくもぼくが通うのは女子校であり、周りには女子しかいなかった。
これが共学であれば、自己を自己たらしめるものが他者であるように、男子という存在によってさらに自分が女であることを意識してしまっていたかも知れない。
だが、友人たちのはしゃいだ高い声にすら苛立ちが隠せなかったこともある。
とにかく、「私」と言えなくなったぼくは、自分の苗字を一人称とすることに逃げた。苗字に「さん」を付けて呼ぶこともあった。
漢字で機械的に記された自分の氏名を見ると、それが自分のものではないようにすら思えた。
ほとんど時を同じくして、ネットの世界で辿り着いたのが「ぼく」という一人称だ。
本当の自分とは全く関係のないHNを使っているので、その名前を一人称とすることもあったが、「ぼく」と言うのがしっくりきた。
本名への嫌悪感からかHNに「ちゃん」を付けて呼ばれることはどうしても受け付けず、誰かと仲良くなるたびに、それ以外の呼び方をして欲しいとお願いした。
ジェンダーとしての女性のステレオタイプを押し付けられることには少し抵抗を覚えるけれど、身体への嫌悪はなくなった。
それでも自分の名前を好きにはなれないし、公的な場以外で「私」とは言いたくない。
理解しろ!!! と大声で主張することはしないが、私的な場面でのそういった選択の多様性に対して、もっと寛容な世界になれば良いのになあ、と思う。
正式な場では男も女も「私」と言うんだから、と指摘する人がいるが、嫌いなものは嫌いなのだ。
ぼくはネットの中の人物としてのパーソナリティを持ってはいるけれど、それは現実世界のぼくとは別人だ。
……という文章を発掘し、懐かしくなったのでここに葬ることにする。
これがギャップ萌えってやつか
上司は50代で、髪の毛は白髪交じりの全体グレーなんだけど、それが逆にオシャレ。
濃い目のグレースーツをビシッと着こなしているし、しっかりした体つき。
身長は170後半くらいあると思う。足が長いからか、歩幅がでかい。
仕事も出来るし、人の電話対応内容に聞き耳立ててて全部知ってたりするし
伝えていない情報から、5年前のトラブル内容まではっきりと覚えている。しかもフォローまでしてくれる。
新しいアニメは全部1話必ず見るし、ニュースも見るし、新聞も見るし、
とにかく話題が豊富で誰とでも仲良くなっちゃう。1を聞けば10察する。人としてすごく尊敬している。
「奢るからお昼一緒に行こう」と言われた。
もちろんOKを出し、お昼に行ったんだけど
ご飯を食べ終わった後に、上司が「まだ時間があるね」といいつつ
メニューを見ていた。
何を見ているのかとおもったら、デザートだった。
「チョコレートパフェ1つと、苺パフェ1つお願いします」と店員さんに頼んだ。
店員さんを呼んでもらった上に注文してもらったのでお礼を言い、
1リットルのパックジュース並みのサイズのパフェだった。デカイ。
上司が「増田ちゃんどっちが好き?」ときいてきたが、正直どちらも好きなので
どっちでも構わない旨を伝えると、上司はチョコパフェを私のほうに渡してきた。
その後、二人して「おいしいですね」なんていいながらパフェを食べたんだけど上司が可愛すぎた!!
キラキラした少年のような目で、ワクワクした感じで食べてるんだもん。
「男だし、おじさんだと一人だと食べづらいから付き合ってもらっちゃったね」って言われたけど
会計の際に奢ってもらったのでお礼を言っていると「また付き合ってね」と言われた。
「甘いもの好きなんですか?」って聞くと、
「コーヒーとかお酒とか好きそうな顔してるって言われるけど、結構好きなんだ」って言われた。
今まで仕事中でも何でも一応方言は控えていた。それがたまに地味にストレスに感じていた。
でも地元なら、堂々と方言を出せる。訛りを気にせず話せるな~と思っていた。
いざ帰ったら、特に若い世代がほぼ標準語。東京とかわらないくらい。
多分皆、方言=田舎くさい、恥ずかしいって思ってるからだと思う。
でも私は方言はあった方がいいと思う。
今は田舎でも、すげー田舎くさい、野暮ったいファッションの子はそこまでいない。垢抜けてる。
そんな子がふいに訛りを出した時、きっとギャップ萌えを感じると思う。
そんな物を味わうのが旅行の楽しさだろう。
食べ物も習慣も景色も、そして言葉も、違ってた方がきっと面白い。
堂々と方言を使ってほしい。
どんなことがあっても泣かない、男らしい彼が泣くのを初めて聞いた。
彼自信が男は泣くべきじゃない、と言っているのも聞いたことがあったんだけど
電話で彼は堪えることもできないほどに泣いていたので、私までもらい泣きしてしまった。
昨日、「俺が頑張らなきゃ」とそれ以降泣かずに色々作業を頑張っていることを聞いた。
でも、もしかしたらお前に会ったら泣いてしまうかもしれない。そのときは胸を貸して。」
私の前だけだと本音を見せれるみたいに勝手に思ってキュンキュンしてしまった。本当にごめん。
そんな事で愛おしさを感じてしまった罪悪感半分あるけど、ちゃんと話聞く。
私の祖母は数ヶ月前に亡くなったけど今でも近くにいる気がする。
そして、彼のおばあちゃんも近くに居る気がする。なんかどこかで生きている気がする。
男の子(かわいい)が苦痛を受けて悶える様子は性癖だしめちゃくちゃ好き。
普段あんなにかわいいのに!もっとかわいくなった!って興奮する。
ギャップ萌え的な。
内臓引きずり出すタイプも読めるけど、それより分かりやすく手を折られるとか、お腹蹴られるとか、そういうのが好み。
手を折られることで好きだったことが出来なくなるとか。
例えばずっとサッカーやってたとかなら足を折って欲しい。
元の生活に戻ったあと、2度とサッカー出来ない身体になったその子にサッカーボールをプレゼントしたい気持ちがある。
ちなみに私は二次元でしか萌えない。三次元でそんなんやってたらドン引きする。
女の子のそういうのも嫌いじゃないけど。
男性向けリョナはエロとグロがごっちゃになってるのであまり好きじゃない。
とても憧れている人がいる。私はその人のことを影で「推し」と呼んでいるのだが、たまに本人にぽろっと言ってしまうことがある。
実際は部活の卒業生で、出会ったのはなんてことのない部活の忘年会だった。うちの部活は縦のつながりが強く、よくOBさんが来る。遅れて来たその人をちらっと見たとき、「めっちゃかっこいい」「仕事できそう」と思ったのと同時に「怖い」と思った。フルオーダーのスーツを着てツーブロの髪の毛をオールバックにして、GUCCIの眼鏡をかけた社会人が怖く見えないわけがない。
ずっと同期と先輩と話していたのだが、2つ上の先輩から言われて先輩と交替でその人の隣に移動することになった。仕事ができて怖そうな卒業生に一人で立ち向かう勇気は流石になかったので、同期を引き連れて挨拶しに行った。いざ話してみると結構フランクで面白かった。こんなに仕事できそうで見た目怖いのに話面白いってすごくない??とか思っていた。ギャップ萌えというやつだろう。
会話が弾み、現役生が3人しか参加しなかった二次会で、同じく3人だけになった卒業生たちとそれぞれタイマンで話すことになって、結局最初から最後までその人と話していた。2時間くらい。コミュ障な上に他人をひねくれた目で見がちなので、初対面の人と会話を続けることが結構苦痛なのだが、その人は話が上手くて面白く、ずっと話して(聞いて)いたかった。話の内容もかなりぶっ飛んでいて、「この人を人生の目標にすればいいんだな」と強く思った。6つ年上の社会人だからそういうこともあると思ったけれど、何度か別の卒業生と話しても同じ気持ちにはならなかったから特別感は増した。
初めて会ったその日に心臓をぶち抜かれて、なんとかして次の予定を作ってもらわないともう会えなくなる!と思って、ご飯の約束を取り付けた。
その後も1〜2ヶ月に1回とか2週間に1回とかのペースで会って、ご飯に行ったり遊びに行ったりした。
もう1年くらいこんな感じが続いていて、この間2人でディズニーランドに行った。何故!?と自分でも思うのだが、何回か推しがディズニーに行きたいと言っていたし、推し in ディズニーの絵面が想像できなかったのもあって魔が差してしまった。完全にデートだった。行動だけ見れば完全にカップルなのは百も承知なのだが、付き合ってもいないし、もちろんキスもセックスもしていないし、なんなら最近は終電よりも前に解散している。
ここまで恋人ごっこをしておいて言うのも気が引けるのだが、自分にとっては「推し」であって、実際に付き合いたいとかセックスしたいとか思ったことがないし、むしろこの人はこういう人と結婚するんだろうな〜と考えることが多い。もちろん推しだから、付き合ったらどんな感じなのかと妄想することはあるが、絶対に現実にならないからこそできるのだ。勝手に男性の芸能人が好きな感覚と似ていると思っている。もし違ったらごめんなさい。
今の関係がずっと続くとは思っていないが、向こうが何も言ってこない限り(終わりにしろ進展にしろ)ずっと続けたいと思っている。推しは結構モテるらしく(モテないわけがないのだが)、自分から告白したことはなくて、セフレのような人もいなくはないらしい。恋人は、割く時間が十分にないから就職してから別れた後は作っていないと言っていた。
自分としてはかなり可愛がってもらっている後輩というポジションにいたいのだが、最近外堀を埋められているような気がして、そうも言っていられなくなった。プレゼントやご飯から帰ったあとの母の反応を聞いてきたり(母には推しのことをほとんど話しておらず、推しと出かけるときは嘘をついて家を出るので期待された回答はできなかった)、ディズニーのお土産を家族や友達に渡したり(案の定お友達には根掘り葉掘り聞かれたらしい)、インターン先の紹介のために弟さんに紹介されたり(これは必要だからだけれど)した。
また、ここ数ヶ月で頻繁に一緒に旅行に行こうと言われるようになった。国内外色々提案されたが、行ったら最後なし崩し的にセックスして、なし崩し的に付き合うことになるのは目に見えているので(失礼なのはわかっているのだがそれが推しの手法(本人に聞いた))、一緒に旅行には行ってみたいが断り続けている。
少なくないお金と時間を投資してもらっているのに進展させたくないと思っているのはわがままだし、付き合う気がないのなら言うべきなのかもしれないが、関係性についてはお互い口にしないので言わずに済んでいる。
友人や後輩にこの話をすると必ず「そこまでしておいて付き合っていないのはおかしい」「いやもう付き合っているだろう」と言われるのだが、それでもキスやセックスはしたくないのだ。なんなら推し含め異性に性的魅力というのをあまり感じたことはない。エロいな、とかセックスが上手そうだな、とかは思うのだがそこ止まりで自分とどうこうなるところまで考えられないのだ。想像力はなくはないので、推しが綺麗でスタイルのいい女の人とセックスしている想像は十二分にできる。エロい。実際に見たいくらい。でも、どうしても自分に置き換えられないのだ。自分が未経験だからなのかもしれないが、当分経験する相手も見つからない。
推しはそのことを知っているので「そのままでいいんじゃない?」と言うが、自分は世の中の人のほとんどがしていて、なおかつ繰り返しできるほどハマっているセックスを体験してみたいと思っている。正直相手は推し以外なら誰でもいい(セックスの先にお付き合いがなければ推しともしてみたい)のだが、推しより優先順位の高い人ができると思えない上に恋人を作る気がないので選択肢はワンナイトラブかセフレしかない。ワンナイトにもセフレにもいまいち踏み切れない理由は、未経験であることに尽きると思っている。そこらへんの薄っぺらい人間に自分を明け渡したくはない。それにセックスはコミュニケーションだから、心を開けない相手とハマるほど気持ちのいいセックスはできない。知らんけど。妥協して初体験を思い出す日が来たときに頭を抱えたくない。初体験だからこそ妥協すべきなのかもしれないが。
ここまで推しが外堀を埋めてくるのでなければ、推しとセフレになったってよかったのだ。なにしろませた小学生の頃から理想の初体験は「取っ替え引っ替えしていてセックスの上手い、恋人でない異性の知り合いと」だったのだ。推しは最適解だったはずなのにチキって断ってしまった半年前の自分を殴りたい。
なんだかもう付き合えばいいのではないかという気持ちになってきたし、なんかもうセックスとかノリでよくない?求められたら拒まずで。もし無理なら別れて本当の偶像として崇拝するしかないんじゃないかな。
CDリリース前だが、星野源が映画ドラえもんの主題歌として書き下ろした『ドラえもん』がラジオから流れてきた。
「たっくさんリクエストを頂きました~!」とDJが言っているので人気があるようだし、
どこかの誰かがブログとか音楽批評で褒めていた気がするので、意識して耳を傾けてみた。
タイトルがストレートに『ドラえもん』、「すこしふしぎ(SF)」という歌詞は聞き取れた。
サビで「ドラえもん」と連呼、そして、間奏に昔のドラえもんの歌がアレンジされているのに気が付いた。
曲をフルで聴いての第一印象は「あざといな」だった。
映画ドラえもんの主題歌はいろいろなアーティストが提供している。
数年前のPerfume『未来のミュージアム』は、PVや歌詞もだいぶドラえもんに寄せていたが、ここまで直接的なところはなく、
「あざとい」なんて感想は抱かなかった。
星野源の曲は「タイトルも歌詞もドラえもんのうたのアレンジも「あ・え・て」やってるよ。
ドラえもんファンなら分かるよね?こういうの好きだよね?こういうの仕込む俺すごくね?」
というような彼の思惑が、曲全体からプンプンと漂ってきて、どこか好きになれない。
この曲に「あざとい」という感想を持ったが、私が前から星野源に抱く、妙な感情が
そう、星野源はあざとい。
マンガ・アニメ・ゲームが大好きで、私と趣味も被っているので、素直にファンになれそうなのに、好きになれない。
彼がメディアでのこの作品が好き発言や、クリエイターとの対談などに遭遇するたび、
「俺こういう作品も好きなんだよ。意外でしょ? ギャップ萌えでしょ? センスあるでしょ?」
と言ってるようで、冷めてしまう。もちろん、本人にそういう気はないのかもしれないが、そう感じ取ってしまうので仕方がない。
「先輩、星野源の『ドラえもん』って曲、聴いたことあります? あれってめちゃあざとくないですか?」
と言おうとして、喉まで出かかって、直前で思いとどまった。こんな感想を抱いたのは自分だけかもしれないから。
こうして私はひっそりと増田に書き連ねるのであった。