はてなキーワード: キリスト教徒とは
個人の肌感覚で言えば、「先進国は後進国から搾取した豊かさで成り立ってるんではないか?」って疑問も「男社会では男は女に色々負担させて生きているのではないか?」って疑問も正しいと思う。
ただこういう原罪意識みたいなのを全面に出されるとうさん臭いものとしか思えないんだが。文字通りの原罪ならキリスト教徒が同じ教徒に説く構図になるからまだいいだろうけど女→男だとこれ変な方にいかないのかなあ。豊かさの搾取なんかよりも性犯罪が題目になってるほうが明らかに強いし。(こういう言い方もどうかと思うが)
単になんとなく受け入れがたいって話ならまあ私は男で異性愛者って認識で困ったことないんでそのせいですねすいませんで終わる話かもしれないけど、このたとえ話の「日本人は加害者である」っての、爆弾テロ何件もやった東アジア反日武装戦線の発想そのまんまってのが気にかかる(日帝本国人で検索しよう)。
14:34
婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。
14:35
もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである。
コリント人への第一の手紙(口語訳) - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC14%E7%AB%A0
2:11
2:12
女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。
2:13
なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。
2:14
またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。
2:15
しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう。
テモテへの第一の手紙(口語訳) - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A2%E3%83%86%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC2%E7%AB%A0
うわあ・・・、これを書いたパウロって奴は酷いミソジニー野郎ですね。間違いない。キリスト教徒はこんな本をありがたい神の言葉と信じているのか・・・(困惑)。たまげたなぁ。
最近、アンパンマンのマーチが仏教的だとかアンパンマンの思想は釈迦を表してるだとかよく見かけるようになりました。ちょっと前はアンパンマンはキリスト教だ!っていう話も上がったりしてました。
分かるけど・・・うーんって言う気持ちもあります。その、うーんっていう気持ちの理由を今回はつらつら書きたいと思ってます。
※私は仏教に関してはそんなにあかるくないです。どちらかと言うとキリスト教の方にはあかるいのですが、それもその宗教を実際に信仰している方ほど完璧、という訳ではありません。ですので、そのような方がお読みになった際は「これは違うぞ!」と思うところもあるかなと思いますが、どうかお許しください。
ちょっと前に、「やなせたかしはクリスチャンだった!」という話があがってました。しかし、色々解析すると仏教徒なのでは?という反論があり、結果クリスチャンでは無いのでは?となっていたような気がします。
しかし、宗教は本来タブーな話で誰が何を信じてようとそこには踏み込むべき話題ではないので、自身が明言したり、それ以外の人間に分かるほど「熱心な仏教徒」だったり「熱心なキリスト教徒」だったなら話は別ですが、そういう訳では無いのに「作者は仏教徒だから、仏教が関連しているんだ!」とか言うのはステレオタイプかなと思います。
わかりやすい熱心な仏教徒の話を上げますと、宮沢賢治とかですかね。彼は熱心な仏教徒でありながら、キリスト教にも興味関心を持っていたそうです。なので、作品にもそれが存分に生かされてる、というのは納得のいく話しです。
対して、やなせたかしさん自身は「私は仏教徒の家系に生まれです」とかは言ってないし、周りの人物も「彼は熱心な仏教徒だった」とは言ってないわけです。キリスト教に関しても一緒です。そりゃ、今と違って家系が仏教なら仏教の教えを信じるとか、キリスト教ならキリスト教の教えを信じる家系だった可能性もあるので、そうなるとやなせさん自身の作品にも生かされてる可能性はあります。自身が信じてきたものが作品に無意識的に反映されるものですので、有り得なくはないです。でも、断言ができるものでは無い、ということだけは事実です。
2.アンパンマンができた経緯
アンパンマンはやなせたかしさんの正義が込められたヒーローです。
やなせさんは戦時中、兵隊として敵国と戦っていました。その時に怪我などよりも、飢えが1番苦しいということが分かったそうです。それがアンパンマンの顔がアンパンである理由でもあります。
国に帰ってきた時に、今まで正義だと信じてきた「敵国を倒すこと」が間違いであると、叩きつけられます。その時に、やなせさんは「正義と悪なんて、ある日突然、逆転するんだ」と実感したそうです。
戦後、アメリカなどから多くのヒーロー達が輸入されてきました。そのヒーロー達は皆、設定された悪役を倒すだけ、当時日本に多くいたような困ってる人やお腹を空かせてる子供達には目もくれず、ただ悪役を倒すだけだ、でもそれは違うのではないかと感じたそうです。
以上の経験から、やなせさんが正義の味方、ヒーローを作ろうと思った時に悪役を倒すだけではなく、困ってる人やお腹を空かせてる人に手を差し伸べるヒーローを描きたいという思いで、アンパンマンが出来たそうです。やなせさんは「逆転しない正義は献身と愛だ。それは難しいことに聞こえるようだけど、簡単に言えば、お腹を空かせてる人にパンを差し出すこと」と述べてます。(一字一句覚えているとは言いきれませんが、印象的だったので覚えていた言葉です)
この辺りの「献身と愛」がキリスト教的に引っかかるのかなと思います。キリスト教も献身を大事にしていますから・・・。
その、やなせさんの考える逆転しない正義を体現してるのがアンパンマンだというわけです。
ちなみに初めにできたアンパンマンはパンを作り、戦争下でお腹を空かせる人々に敵味方関係なく、空を飛んでパンを届けるふくよかで到底イケメンとは言えないおじさんだったそうです。彼はいつものようにパンを届けている時に、砲弾に当たり、命を落とすという最期を迎えます。そのようなおじさんの姿から、土台は一緒ですが、アンパンの顔をしてお腹を空かせてる子供にアンパンを与えるヒーローに変わり、今のアンパンマンが出来ました。
3.やなせさんの考える正義の味方について
正義の味方はかっこよくないというのがやなせさんの考えです。だから、アンパンマンもどこか情けない感じですよね。顔が濡れたり、歪めば力は出ない。彼自身、顔をよく分け与えてますが、それをやってもやはり弱くなります。それはやなせさんが考える正義を行うものは必ず傷つくというのが体現されてるからだそうです。だから、アンパンマンは人を助ける時に弱くなる。マントがちぎれて飛べなくなることもあるし、命を落としたこともあります。(明確な死の描写はないものの、映画では2回ほど死んでいると思います。いのちの星のドーリィという映画では確実に命を落としてます)
それでも困ってる人を助けるためには身を投げ出す自己犠牲の考えがどこか仏教を感じるところなのかもしれないですね。
アンパンマンは作中にこんなことを言ってました。
「初めて人を助けた時に心が暖かくなって。その時わかったんだ。なんのために生まれてきたのか。何をして生きていくのか。何が僕の幸せなのかってことも」(いのちの星のドーリィ参照)
彼自身が困ってる人を助けることが自分の幸せだと答えています。仏教の自己犠牲って他者の利益を得るためにやるものだけど、自分の幸せまで含んでいたかな・・・という疑問を感じたりしてます。キリスト教でも自己犠牲は出てきますね。宗教で、割と自己犠牲は取り上げられているので、そこでアンパンマンの生き様に引っかかるのかもしれないな〜と感じました。
4.バイキンマンについて
やなせさんはアンパンマンという物語に本当の悪役はいないと言っています。前述の通り、やなせさんは悪役を倒すヒーロー達に疑問を覚えていました。なので、バイキンマンは悪役という物語に出てくる少しの毒として存在はしていますが、どこか抜けてるというか悪役にしては可愛げがあるのが印象的です。
加えて、バイキンマンとアンパンマンは2人が一緒にいることでバランスがとれてる状態で、どちらが欠けてもダメだと言っています。
だから、バイキンマンも何故かアンパンマンにとどめを刺す時にさっさと倒せばいいのに毎回隙を作るし、アンパンマンもバイキンマンのことをパンチひとつで許します。
それでもバイキンマンは「アンパンマンを倒すこと」が目的なので(もちろん、腹が減れば人からパンを奪うし、ドキンちゃんのワガママに付き合わされる時もあります)、アンパンマンを倒すためにメカを作ったり、パン工場自体をどこか変なところに移動しようとしたりと工夫を凝らしています。ちなみにアンパンマンの方はどうかと言うと、アンパンマンはみんなのことが大好き(映画の勇気の花がひらくときを参照)で、みんなと仲良くしたいので、バイキンマンとも仲良くしたいし、バイキンマンがお腹を空かせていたら普通に顔をあげる男です。なんて言うすれ違いでしょうか・・・。
余談ですが、アニメ第1話ではアンパンマンは襲ってきたバイキンマンをジャムおじさんとバタコさんと共に洗剤の入った水の中に突っ込んでいました。下手したらアニメ1話でバイキンマン死す!って状態だったのに、バイキンマンは小さくなりながらもしぶとく生き延びて今に至ります。昔の方が彼は容赦ないです。
4.さいごに
長くなりましたが、つらつらと書きました。
別に仏教と結びつけるな!とかキリスト教と結びつけるな!とは言いません。それは1つの考察だとは思います。ただ、「アンパンマンは仏教と関係がある!」とか「アンパンマンはキリスト教に沿っている!」と断言するのには少し違うのでは?という気持ちでした。
この文章は、「やなせさんの正義の考え方とかは彼自身が生きて得た境地で、それがアンパンマンに生かされてるんだな」と思っている1ファンの考察です。これが正しいという訳では無いです。なんせ、考察なんてファンの想像の域を出ないですので。
なので、あまり真に受けず、なるほどそうなんだ〜と軽く受け取っていただければ幸いです。
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参考文献的なもの(興味がありましたら見てください)
【本】
【映画】
いのちの星のドーリィ
※これらはやなせさんがご存命の時で、監修を受けていると思いますので参考にあげさせていただきます。いのちの星のドーリィは「なんのために生まれて、何をして生きるのか」がテーマで子供向けにしてはかなり壮大です。
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【追記】
色々とコメントがついてたりしてましたので、読みました。なるほどと思ったりしてます。
一つ、信者様という言葉を訂正し「信仰している方」という風にしました。決して揶揄っていた訳ではなかったのですが、揶揄っているように見えてしまったようでしたので、訂正しました。
「アンパンマンはアンパンマンという宗教」というのは納得してしまいました。幼児はアンパンマンが目に入るとすぐに見つけますからね・・・。
自己犠牲については、仏教にあかるくなかったのもあって色々と漁っている時に、仏教にもそういう考えがあるというのが分かったので、書きました。でも私もあまり印象はなく、どちらかと言うとキリスト教のイメージが強いかな、と思ってます。
キリストのパンの話が元になってるのでは?という話ですが、やなせさん自身が著書で書いていたのですが、アンパンを選択した理由が「アンパンは手軽に手にできて、あんこがぎっしり入っていて甘く、食べるとすぐに元気になれる(おそらく、糖分摂取できるという意味でしょう)」ということらしいのですので、キリスト教の話が元になってると断定は出来ないなと思ってます。
アメコミは勧善懲悪の話ではないという件については、私自身、その時代のものがどういうものだったのか分からないのですが、やなせさん自身の目には、ああいうようにうつったそうです。(『わたしが正義について語るなら』参照)
バイキンマンとアンパンマンの関係性に関しては、私もアニメの流れは「勧善懲悪の流れだなあ」と感じたりしてます。最近のアンパンマンはバイキンマンが悪役に回らず誰かを図らずも助ける立場に回ったりもしてますが、やはりアンパンマンにアンパンチを食らってバイキン城に戻るのが大半だったり、食らう前に退散したりしてます。
この話に関しては、深く入り込めるほどまだ、2人の関係性について飲み込みが足りないので、これ以上書けないです。申し訳ないです。
色々な視点を見ることが出来て良かったです。
【覆水盆に返らず】
自分は、小学4年生(10歳くらい?)の時に父親が女をつくり、家から出ていき、それから母方の実家で高校卒業まで育ち、東京の大学に進学した。
こういう話は今のご時世ありふれた話であるし、母子家庭で育って苦労しました…という話でもない。
母方の実家にある程度金があったので何も苦労することなく大学まで出してもらったし、何なら大学生の時にアルバイトもほぼしなかった。
父親の実家にもある程度金があったので、教育費をほぼすべてサポートしてもらっていたらしい(これは最近母親から教えてもらった)
仕事人間だった父親は土日もほぼ家にいなかったし、平日は父親が帰宅するころには寝ていたから父親との思い出というものがほぼない。
土日に父親がいないことで家がたまり場になっていたことは内向的な性格の自分にとってはいちいち友達に声がけしなくて友達と遊べるからからありがたかった。
母方の実家に住むことで弟と別の子供部屋ももらえたし、叔父が残していった80-90年代の大量の漫画(マスターキートンなど)などに触れられたこともラッキーだった。
母方の実家がもともと住んでいたマンションと比較的近いところにあったので、通う小学校が変わらないこともストレスにならなかった。
ご飯も祖母が毎回きちんとしたものを作ってくれるので、生活の質は全般的に向上したと思う。
学校が終わると亡くなった祖父と弟と夕方早めに風呂に入って、祖母が作ったバランスの取れた夕飯を食べて、夜は弟とポケモンルビー&サファイアをするパラダイスみてぇな環境だった。
パラダイスみてぇな環境で過ごしていたある日、父方のひいばあさんが亡くなったと連絡をもらった。
そこで父親と5-6年ぶりに再会した。自分は高校生になっていた。
母親は僕が父親が接触することを嫌がっていたが、久しぶりに父親と会話するのは新鮮だった。
これからはこういう時代になるから大学はこういうところに進学したほうがいいとアドバイスをもらったが、的外れな意見だったのでシカトした。
自分は父親が出て行ったいたことは正直に言うとあまり気にしていないと伝えると、安堵した様子だったことを覚えている。
(だって父親と住むより環境が良いし、そもそも一緒に暮らしていないも同然だったので)
父方の祖父・祖母が家業を畳んだり、引っ越ししたり、老人ホームに入ったりとちょいちょいイベントがあったので、前よりも父親と関わる機会が増えていた。
父方の従兄弟と久しぶりに再会したり、父親の粗相でなくなっていた親戚が一堂に会するみたいなイベントもこの頃に復活した。
父親の祖母が嬉しそうだったので、まあこういう時間も悪くないななんて思ってた。
社会人になってからは会うというより電話することが多くなった。
老人ホームに入った祖父・祖母が怪我や病気をしたりすることが多くなり、そういう情報を共有してもらっていた。
父親からはお通夜のあとに一晩葬儀場に泊まるので、自分と弟も一緒にも泊まって欲しいとお願いされた。
自分は断った。面倒だし葬儀場にはシャワーがないらしく、朝シャワーを浴びることができないことは、現代人の自分には耐えられないと思ったからだ。
父親の弟(叔父さん)からは、父親は自分と弟と一晩語りたいという思いがあるらしく、説得らしきものをされたが、断った。
別に恨んでいる訳でもないが、いまさら何を語るのか?不思議で仕方がなかった。
父親が赤ん坊だった自分を抱っこしたときに、自分におしっこを漏らされた話でも延々するつもりであったのだろうか?
「語る」だなんて、大学生の宅飲みじゃないんだから勘弁してくれと思った(しかも、となりの部屋には祖父の遺体がある、実にスリリングである)
ただ、父親が20年近く前にした家を出る(家族を捨てる)という行為に対する、代償は確かに存在する。(僕ら兄弟がそういった行為に対して、大したダメージを受けていなくとも)
父親が僕ら兄弟とよくある親子のような関係を今になり望んでも、残念ながら、僕ら兄弟はそれを望んでいないのである。
こういうことって端的に言えば、「覆水盆に返らず」になるかーと思い、人は太古から同じ過ちを繰り返すものだと身をもって理解することができた。
ただ、僕も年齢を重ねるように当時の父親が置かれている環境に同情することも増えてきた。
「仕事をしてお金は稼がないいけない」「妻とは上手くいっていない」「子供にはなついて貰えない」。
そんな状況の中でリセット願望が出てきて、それを実行しちゃうって気持ちも正直わからんではない。
ただ、そういうことを実行した際には後に金を積んでも何をしても戻せないものがあるっていうことだ。
この記事がどれだけの人の目に留まるかはわからないが、きっといま20年近く前の自分の父親と似た境遇の人もいるはずだ。
蒸発してしまう前に一度冷静になって欲しい。将来あなたは子供に恨まれるのではない、子供にとって関心がない存在になってしまう可能性があるのだ。
私は生まれたときに入会させられているが洗脳されなかったので一切活動してない。
最近結婚を考えている人がいて、その人に「出来れば辞めて欲しい」と言われたので
親に辞めたいと言ってみたら烈火の如くキレられた。
「お前は一切活動してないくせに辞めたいとか言うな。辞めたければ活動してからにしろ!」だそうだ。
活動をしていないと言うが子供の頃は無理やり会合などにも連れて行かれていたし、その時点で嫌だやりたくないだとは言っていた。
そう言うと「そんな判断もつかない子供の頃の話は無効」だそうだ。
もっと判断のつかない生まれたての赤子を入会させたやつが何を言ってるんだろうと思うと、この辺からちょっと世界が俯瞰に見え始めた。
最終的には「うちの家の宗教は学会だっただけ。キリスト教徒だって他の仏教徒だって家の宗教に従っている」とのこと。
他所様に強引な勧誘で改宗をさせておいて、凄まじい特大ブーメランだなって思った。
シンプルに辛い。
quora
マスメディア汚染されてない本当のトレンドを知りたい→google trends
もし増田がプログラマなら教えてgooとか普通のサイトをクロールしてデータマイニングするのおすすめ
爆サイで乱交パーティーが盛んなのは北海道と富山でカーセックスなら茨城と岡山とか
流行りもの無視するならwikipedia読むのが本当はいちばん面白い
預けられることはすべて神に預けてしまうノーテンキさがキリスト教徒にはある。
明日のことなど分かりようのないことを考えるのをやめて、今を大切に生きることだけを説く。
これだけで人は少し明るくなれる。
多くのキリスト教徒は明るい。
明確な宗教を持っていない人も明るい人はたくさんいるがキリスト教徒は飛び抜けて多い。
理由は三つある。
一つは神に愛されている実感があるからだ。自分が愛されている実感がない人が明るくなることなんてできない。
二つ目は教会の存在だ。性格は違ってぶつかることはあれど、同じ信仰を持って集う人間は本質的な孤独から逃れることができる。本当に孤独な人間は明るく振る舞うことができない。
三つ目はイエス・キリストの教えだ。イエスの教えはとびきりに明るい。マタイ11にあるように重くて仕方なかったものが、イエスの伝える神を信仰することで、軽くなる。これほど軽い荷であれば誰でも運べる。自分が楽な状態にいないと明るくなることなんてできないんだから。