はてなキーワード: あまちゃんとは
コーチ職と副業の家庭教師、どっちも楽しいけど、時々叫びそうになる。
「俺の、俺の、俺の話をきけぇ~!!!」
すっごいしゃべってるの。
毎日、チャットや音声通話、授業で、数十人単位で色んな人と毎日コミュニケーションとってる。
なのに、何でこんな寂しいのだろう。
おかげさまでコーチとしても教師としても、そこそこ好かれて信頼をいただけてる。
でも、基本相手の話をひたすら聞いて、それにアドバイスするのがお仕事。
と言わしめるこの母親力。
(担当する生徒は、ほとんどマイペースなあまちゃん。忍耐力との勝負)
自分のコーチングが正しいかなんて分からないけど、それでそこそこ結果は出したし、このまま突き進むしかない。
やりがいはあるし、私には合ってると思う。
だけど、私だって、甘えたいよ?
褒めて欲しいし、励まされたいし、心配されたらうれしい。
私の話をこんなに真剣に聞いてくれる(風な)人と会ってみたい(涙)
遠方に親友が一人、(永遠の)彼氏なし、家族とは同居するも口を利かない関係。
、、、、、、孤独だ。
親友とは週に一回電話で長電話してるけど、申し訳ないくらい私の話をしている。
彼女は「聞く方が好きだから」って言ってくれるけど、無理させてないか心配。
人付き合いを増やせばいいと言われるけど、それが辛くて心病みそうになって、ノマドでできるコーチ職選んだ。
長年接客業だったから、お客さん商売は平気なんだけど、対等なつきあいは苦痛。
しかも今は、与える方が多すぎて、枯渇気味。
他人に優しい言葉をサラサラ綴りつつ、自分がかけて欲しいよ、と涙目になることも。
(こんだけやっても、音信不通になる人もいるしね(泣)
今日は毎週通ってる接骨院で凝りをほぐしてもらおうと思ったのだけど、運悪く他のお客と鉢合わせて、満足いく施術は受けられなかったし。
(興味ねえ、って言えたらどんなに。。)
仕事の連絡も普段来ないのに、この数日やたら多くて対応に追われ、
歯医者や飼い猫の獣医通いなど、もうやたら医療費は増え、時間は取られ。
普通に会社勤めしてる人よりはるかに時間に融通きくのに、むやみやたら忙しく感じてさっきも車の中でぶち切れていた。
もう限界。
終わったらスマホも切って、海みとく。
寒くてずっと行きたくてもいけなかったけど、やっと多少暖かくなったから、これからはガンガン行ってやる。
もうね、疲れた。
見た目優しそうに見られるし、仕事柄物腰や言動は柔らかいけど、ほんとはちょう毒舌で我が強い人間。マイペースだし。
なのに、仕事だからって、違う自分演じてるの。全然優しくないのに、優しさ振りまいてるの。
みんな確かに感謝してくれるけど、優しさの見返りは生徒の成績アップじゃ、ちょっともの足りないよ。。。
誰でも良いから、褒めて。認めて。優しくして。
嘘で良いから、抱きしめて。
私、疲れたよ。
私はアラサーの女なんだけど「あまちゃん」で薬師丸ひろ子の歌を初めてまじめに聴いてものすごい衝撃を受けて
もちろんそれまでも演技をしてる彼女は知ってはいたしごく普通に好きだったんだけど
歌聴いて初めてこんなすごい人がいたんだ!ってその姿が急にすごく鮮明になってそれからファンになった
昔の歌も掘り起こして聴いたり昔の写真集も買ってみたり色々してて(角川映画で活躍してた頃もほんとめっちゃくちゃかわいいのね)
昔のアイドル時代の薬師丸さんもすごいすてきだけど、今の彼女の方が1000倍10000倍くらいすてきだと思う
「寒椿、 咲いた」って曲なんか特に今の薬師丸さんが歌うことで
逆に曲の中の若い張りつめた世界が鮮明になってる感じとか静かな凄みがあってなんてかっこいいんだと思う
歌ってる時の薬師丸さんがとてもいいなと思う 歌も曲も詩も舞台の演出も全部すばらしいんだけど何より声そのものの魅力がでかくて
なんか夜そのものみたいな声っていうか暗いんじゃなくてしーんと澄みきっててもうちょっとで明けてくるその直前の一番深い夜っぽさっていうか
円山応挙の「氷図屏風」って日本画があるんだけどのあの絵にある空気感を声そのものに感じたりとにかくちょっと唯一無二だと思う
ただきれいというだけでは全然なくて若くも歳をとってもいなくて誰でもない声だけが確かにそこにある感じで
もちろんご本人が表現する部分の大きさやこちら側では知る由もないだろう練習量あってこそのそれなんだと思うけど、
それを凌駕していく圧倒的な声そのものの存在感がすごくてそれをただただ貪欲に受け取り続けたいって気持ちがすごくてこんなの初めてで
「アイドル」っていうもののその感じとかニュアンスとか存在みたいなものを身をもってひしひしとこの数年感じ続けてる
「元アイドル」という受け止められ方の今でもとてもすてきに活躍してる40代50代の女性はたくさんいるけど
相棒の再放送とか映画のテレビ放送を見ていると大杉漣さんがとてもよくその作品になじんで出演していて
それでふとした瞬間にああそういえばもうこの人はいないんだった、と思う
こちらの世界の側の悲しみや寂しさが頭の中で二の次になっている
物語が終わって初めて改めてもういない人、と思う
「あまちゃん」での忠兵衛さん役の蟹江敬三さんなんかもそんな感じする
物語を見ているときはただその物語の世界の中の人で、再生する度にその中の生をごく普通に生きてる
ほんとにいい役者さんだったのだなあと思う
その本人自体を感じさせないままそれぞれの作品の中にごく自然にいて
そういう姿をいくつもの作品でそのたび見ることができるのしみじみ幸福だと思った
思い出せばもちろん寂しいけど
ゆるふわなままニュアンスで主張を飲ませる文章こそあまちゃんだと思うが、
コック家庭に相当する(とこの場では思われる)、性的マイノリティカップルの子供への何らかの教育はすっ飛ばして、「両親をお手本に出来ない両親と性的立ち位置が異なる子供 がAVとアニメで誤った性知識を吸収するのは良くない」つう結論でいいのか?
そ、ソウデスネ…。
ヘテロ両親から生まれたから自分に関係ない部分のヘテロ価値観を内面化してしまうのはしょうがない。
「みんなちがってみんないい」をしっかりつきつめられないまま大卒と称するあまちゃんな思春期を経ておとなになっちゃうのが困る。
「男にならないと○○ができないから男になりたい」
「女にならないと○○ができないから女になりたい」
このできないと思い込んでる○○、調べると実は大人になれば全然普通に両性が参加できてることだったりする。
あえて子供には見せないだけで。
そして○○が本当にできない立場のLGBTだの病人、障害者からは「持てる者」の傲慢だろう!なんで調べもせずに!と叱られる。
逆風に揉まれた岡村隆史に“救いの神”!?「紅白の総合司会に内定」証言を入手(2018年11月9日 15:40)
https://www.asagei.com/excerpt/115694
「『紅白』といえば、2013年に放送された朝ドラの『あまちゃん』など自局のヒット番組とのコラボ企画はお手のもの。昨年の内村の総合司会起用も、同局のコント番組『LIFE!~人生に捧げるコント~』での実績を買われた格好です。そして、今年は人気番組の『チコちゃんに叱られる!』にレギュラー出演しているナイナイの岡村隆史がすでに内定していますよ」(スポーツ紙芸能デスク)
↓
紅白総合司会に2年連続で内村光良さん(2018.11.9 15:41)
https://www.sankei.com/entertainments/news/181109/ent1811090011-n1.html
NHKは9日、大みそかに放送される「第69回紅白歌合戦」の司会者を発表した。総合司会は2年連続でお笑いコンビ、ウッチャンナンチャンの内村光良さん(54)と、桑子真帆アナウンサー(31)に決定。紅組司会は女優の広瀬すずさん(20)、白組司会は人気グループ「嵐」の櫻井翔さん(36)が務める。
自己肯定感がなかった頃に合わない環境を選んでしまって、日々その環境にストレスだったけど、「主語が自分ではない悩みは捨てる」(自分のために)と決めたので、捨てるために、嫌なところを書いて、悩むのはやめる。
嫌なところ、合わないところ
・年寄りばかり
(職場でも、周りの人間がチラチラ見てくる。狭い世界しか知らない=同一視が激しいから、他者への干渉が激しい人間が多い。自分と他人は関係ないという意識がある人間が少ない。他人の目を気にして、他人の言動で自分の言動を変える人が多数派、気持ち悪い)
・民度が低い
(車のマナーは悪いし、トイレは汚いし。駅のトイレは定期的に誰かが詰まらせてる。都会で暮らしてたとき、そんなに頻繁にトイレの詰まりを見かけなかったので、田舎はいかにマナーやルールを守るつもりがない人間ばかりなのか、と思う。
都会でも規範意識が強すぎて、自分の抑圧を他者に押し付けてくる人間が多い環境は避けたいけど。田舎みたく民度が低すぎず、かといって規範意識に縛られて抑圧が強い人間ばかりでもなく。この中間がいい。
今暮らしてるようなド田舎でもなく、東京みたいな中心でもなく、程よい都会。
中心にいけばいくほど、規範意識が強くなり抑圧も強くなると思うから。(東京でも、規範に縛られた人間ばかりではない地域もあるのかもしれないけど
職場も、低学歴DQNの集まりみたいな環境と高学歴で規範意識の高い大企業や官公庁のような環境の中間、程よい規範意識の環境を目指す。
地域は民度の低さに偏ってて、職場は規範意識の強さに偏ってて。
個人的に、同一視が激しい人間が苦手なので、田舎はそこが一番嫌だ。
他者と自分を比べるのが当たり前、察するという領域侵害をしてくるのが当たり前で、気持ち悪い。
必要なことがあればこっちから言うから、察してこないでくれたらなぁ。(これも、自分の期待ではあるけど
常に周りを観察してて、他者のニーズを忖度するという領域侵害をしてきて、それを良かれと思ってる不健全な人間たち、気持ち悪い。
自分にもそういう時期はあったけど。
言ってもないことを先回りしてやるのが良しとされてる、同一視が当たり前の国、気持ち悪い。
「おもてなし」とか迷惑でしかないし。少なくとも私は、マニュアル至上主義のチェーン店で誰に対しても同じな画一的な接客をされて、望んでもないサービスを押し付けられて、迷惑としか感じない。
自分のニーズを無視されて、相手が勝手に先回りした相手が良かれと思う接客を押し付けられ。それを海外に堂々と美点としてアピールしようと思うのって、忖度する・されるのが当たり前になりすぎてるからだよね、怖い。
そうやって自他の境界線がない人間が大多数で、そんな人間たちは、勝手に他者に期待して失望して、文句を言ってくる。自分の期待が大きすぎるのが、問題なのにね…
田舎で生まれ育ったからなのか、周りの目を気にし過ぎる高校生を見かけて、痛々しいなぁ、と思った。
ワンマン列車(あまちゃんの世界かよ。ド田舎はドラマで見るにはいいけど、暮らすのは合わない)で目の前にいた高校生グループが、カレーを持ち込んでるのは周りからひんしゅくを買うのではないかと心配して、「私のではない」と何回も言ってみたり、「ツイッターに書かれてたらどうしよう」と心配してたり、挙げ句の果てには全て食べてみたり。
自分が世界の中心と考えるのは思春期だと自然なのかなと思うけど、それに他者の目を過剰に気にするところが入ってくるのが、不健全だな、と思う。
同一視が激しくて相互監視社会みたいな日本で、更に同一視が激しい田舎に生まれ育ったら、周りに監視されてるのが当たり前というマインドになるのかもしれないけど、そういう考え方では生きづらいよなぁ、と思った。
私もそういう時期はあったけど。
自分がどうしたいか、何をしたいか、より、他人からどう見られるかという他者の目を気にする他律的な行動をする人が多くて、怖いなぁ、気持ち悪いなぁ、と思う。
都会に行ってもそういう人間は多いんだろうけど、田舎は更に、そんな他律的で自意識過剰な人間ばかりだよな、と感じる。
日本のなかでも更に相互監視度合いが高いのが田舎(自分=他人な人間が多いから)
似たような境遇と見た目に囲まれてるとそうなるんだろうから、単一民族国家な日本人は同一視に陥りやすいんだろうけど、それが当たり前になってる社会は、怖いなぁ、気持ち悪いなぁ、不健全だなぁ、と思う。
テレビやネットの大手や、主流のメディアの価値観は「他人からどう見られるか」だから。
自分の頭で考えられない教育を受けた人間たちが、メディアを鵜呑みにして、他律的な価値観で生きてて、抑圧を押し付けあってて、気持ち悪いなぁ、と。
自由に自律的に生きてる人間を叩くから、そういった他律的な人間は。
病む国には病むシステムや価値観があるんだな、とわかったから、健全な国のシステムや価値観を真似るか、健全な国に住むのが自分のためだな、と感じる。
国にいくら文句を言っても変わらないから、自分が出て行くしかないし。
まずは田舎を出て、その後、日本以外で生きていけるスキルを身につけて、海外で暮らしてみて、どっちが合ってるかを判断したいなぁ、と。
今までの朝ドラでも多々あった「興味なくなったからやめる」という行き当たりばったり感と、「半分、青い。」の漫画家編終盤の描写は、自分が見るかぎり全然違うと思う。鈴愛の挫折は完全に気持ちが折れてる、すっきりしてない。
「あまちゃん」も「まれ」もヒロインが手当たり次第にいろいろチャレンジして全部なんとなく形にしちゃう作品なんだけど、まれは芯のある初志貫徹型という扱いだったから物語に綻びが出来て視聴者が消化不良を起こしたんだよね。
行き当たりばったりな女の人生を無理やり朝ドラのフォーマットに乗せて、ドラマだからといちいち中途半端に腐したり美化しようとしたりして、結局いろいろ無理が出てきてるあの感じがそっくりじゃない?
同じ行き当たりばったりなら、あまちゃんみたいにバカに振り切れてればまだ救いもあったのに、中途半端に小賢しくてダメなんだわ
北川アンチが執拗に叩いてるけど、半分、青い。は朝ドラオタに向けた10年代朝ドラオマージュであり、創作者のブルースだよ。
エンタメ界の下積みを描くという点で共通する、ゲゲゲの女房やらあまちゃんを熱心に見ていた人は見たほうがいい。半分、青い。はゲゲゲやあまちゃんと同じくクリエイターの歓びを主題に置いている。しかし主人公が中盤でがっつり挫折するという独自性もある。
朝ドラ全史の中でも稀有な、挫折するヒロインをこのドラマが抱えたことは、なぜ創作者は物語を紡ぐのかということを脚本家が真摯に答えようとしているからであるように見える。
そして鈴愛が真正面から挫折したことは、挫折を認めないことがヒロインの呪縛になっていた「純と愛」や「まれ」のアンチテーゼでもある。
思い返せばゲゲゲもあまちゃんも昔から朝ドラ見てきた年配者にはあまり評判が良くなかったんだよね。朝ドラのテンプレートから導き出されるカタルシスは今作にはないかもしれないけど、ドラマ好きは結構楽しめる作品だと思うんだけどな。
朝ドラが、やっぱりいつもの展開になってしまって、どうにも寂しい気持ちです。
主人公が故郷を離れたり、学生時代が終わったりすると、それまでのみずみずしい雰囲気が一気に失われ、見てるこっちの気分も落ち込むような展開になる。
「半分、青い」もそうだ。主人公が上京してから、まったくおもしろくなくなってしまった。なぜ、朝っぱらからいじめられる主人公を見ねばいかんのだ。日本の朝を元気にするのが朝ドラではないのか。
あまちゃんも、東京編になったとたん暗い気持ちになるような展開になった。まれも、トト姉ちゃんも、あさがきたもそうだった。
だいたいいつも、3週位すると明るい話にもどってくれるのだが、それまでがきつい。
ヒロインが応援されながらがんばってる姿が見たいのだ。永野芽郁のとぼけた顔や笑顔がみたいのだ。早いところそうなってくれ。鬱屈した気分にさせないでくれ。