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はてなキーワード: 自己責任教とは

2024-03-17

anond:20240317170503

自己責任教が広まった結果個人主義傾向が強まり、落ちぶれた人を切断するのは自己権利局所最大化させるための行いであって逆ではないと思うんだけどどう?

anond:20240317165612

自己責任教社会に広まった結果、自己権利を最小化し、組織地域や国に自己投影をしたうえで、それに対立しようとする個人村八分マインド攻撃する、隣組アーミーネット上を彷徨っている

2024-02-27

anond:20240227125513

自己責任教システムの罪を問えない

社会構造への不満を抑えるために発明されたのが自己責任教

経済学等の学問軽視により初歩の理論理解していない人が多い

マクロ経済体験から理解できると考える学問軽視の考えが多い

経営者時点で考えろを個人我慢しろとしてインストールされシステムへの猜疑心が湧かない

システム構成員システムへの疑問を持ってはいけないと愚直に考えている

2023-11-16

anond:20231115173414

そのために税金があるんやで

何故かこの国では自己責任教が強いか増税に反対する豚が多いけどな

2023-07-05

anond:20230705101912

こういう自分生活他人犠牲の上に成り立ってることを知らないカス自己責任教に入信するんだな

2023-05-05

anond:20230505152851

そんなわけないだろ

自己責任教のやつらはなんでそんなに自己責任が好きなんだ?

2023-04-11

anond:20230411185656

就職氷河期当時の辛いサバイバル話聞くとトラウマが蘇るわ。

ブラックと分かっていてもブラックに行くしかない状況だったよな。

オレは当時理学部で、それでも就活大変だったけど、当時の就職先が見つからない文学部生に「大学就職予備校ではない」とか言ったら発狂するよ。

ついに自己責任教ってここまで来たんだな、と感じるわ。

2022-02-15

anond:20220214171258

全然からない考え方だな…という思いと、他の考え方とのバッティングがあるから慎重に考えないといけないなという思いが両面ある。

ある程度の歳の人間の行動は、その個人のみが責任を取るしかないと思っている。(保証人とか企業での法的責任とか、そういうのは別で)

そこで家族環境のせいという考えがよぎるとすれば、その思考自体他責的、自らの責任放棄する無責任もので、むしろ罪を犯す弱さに近付くような気がしてしまう。

それと同時に、本人のみに原因があるという思考はどこか自己責任教的な、個人社会から切り離し、根本原因に目を向けない、表面的な解決を優先する無責任さを持っているようにも思える。

2022-02-08

ご都合マインド

20-30代の格差拡大本来的にはまさに政治施策の失敗として追求されるべきことなんだけど、大人しく調教されちまった我々の頭は「自己責任」「成功している人はいる」「失敗しているのは自分のせいかもしれない」、せいぜい「自分がうまくいかないのは親が悪い、環境が悪い」で止まってしまう。

なんと、誰かにとって都合の良いマインドか。責任の追求を逃れてホクホクできる自己責任教の普及こそが、2000年代の政治的な発明教育の行き届きの証明、全国津々浦々の服従の解明。(ラップ調)

もっと自分のせいじゃ無い!と開き直って、責任追求をしていくことも大事に思える。

2021-11-02

anond:20211102114040

ただ実際弱者自己責任教徒が多いから、結局再分配しても気持ちの面では弱者を救わないんだよな

からバイデンも再分配より雇用を重視したプレゼンを行った

2021-07-07

人に迷惑かける前に死にたいと思うけど、これも自己責任教に毒されてるのかね(介護前提で子供作るみたいな人間よりかはマシに思う)

2021-05-30

anond:20210530162309

詭弁すぎて笑える

なんで100%自分意志の介在しない事象に対して自己責任教徒のお題目唱えてんだお前

大多数が幸せならマイノリティ積極的自殺しろってか

ゲイトランスも全身麻痺もさっさと安楽死させろってか

2021-04-06

ホワイトハンズ弱者男性

ホワイトハンズによる性の分配には理解を示すリベラルも少なくないよね。

こと弱者男性となるとそりゃあもう自己責任教ばっかりなの何で?

非モテ風俗代を支給するくらい、いいじゃない?

2021-03-13

anond:20210313173245

自己責任教個人主義者はなぜ人の意見にわざわざ口出してくるのかが分からん

どんな偏見を誰がもとうが個人自由だろ

馬鹿かね

2020-11-20

ジャップに代わる日本人別称を考えようぜ

ジャップはさすがにもう古いということで、新しいものを考えよう

自分なりにいろいろ考えてみたが、

島国ポン人

宗教法人日本自己責任教団(自称幹部

奴隷オブ奴隷

・ポン猿

他に何かある?

2020-07-05

増田自己責任教蔓延しているこの国で 災害に遭っても “そこに住んでいることが自己責任でしょ”とならないのはなぜ?」

東北自己責任になったじゃん

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

anond:20200705152741

自己責任教蔓延しているこの国で

災害に遭っても「そこに住んでいることが自己責任でしょ」とならないのはなぜ?

引っ越せばいいだけじゃん。

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