はてなキーワード: ニューヨークとは
事実と真実ですれ違っているというが、そもそもの命題の設定の仕方が間違っているとしか思えん。
例題の「ワシントンの斧」に関して言うならば、
命題を「ワシントンの斧という寓話は真実であるか否か」とするなら、
アメリカに桜が上陸したのは1909年12月。ただし、この時は害虫被害が懸念されてすべて焼却されており、現在DCとかニューヨークで見られる桜は1912年3月に運ばれたもの。 ワシントン幼少時(1730~40年代)には桜の木は当然無い。 これを根拠に否定する輩もいるのだが、英文では"English cherry tree"となっている物があるのでおそらく、桜桃だと思われ、これなら17世紀にはイギリスからアメリカに持ち込まれている。 ワシントンの家は黒人奴隷プランテーションを経営していたので、桃桜があっても格段不思議ではない。 また、海外の挿絵等では背景が農場に見えるものも多く日本で翻訳した時点で相当意訳されてしまっており日本語訳を元に審議を見定めるのは難しい
となるわけで、これは事実の積み重ねだから、認識の違いは起こらないと思われる。
また、「これが子供の思想形成にどのように影響していくか?」という命題に関しても、
寓話を読み聞かせるのは容易いが、子供は大人の行動から物を学ぶのであり、実際の大人が寓話に反した行為を行っている場合には悪い影響を与えるだろう。 事実、アメリカにおいても、"George Washington's axe"は、先祖代々伝わる由緒ある斧だが、刃は錆びたので交換し、柄は古くなったので交換した。 というジョークとなり、「あれこれ取り替えて元が残ってない様子」を示す慣用句として使われてしまっている。 また、「正直に物事を話した方が良い」という事を説明するための寓話は他にも多くあり、「ワシントンの斧」は内容の短さ、状況の簡潔さから反論性が高いため、他の寓話を選択した方が効果はあるように思える。
と、相手に状況を確認してもらって進めれば、一方的な擦れ違いは起きないだろう。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
私は記事元のおっしゃる通りオタクオカマです。気持ち悪いと言って頂いてどうもありがとうございます。
今後もそう致します。
私は皆と同じが嫌です。
「http://anond.hatelabo.jp/20070927065044」の人とトラックバック欄に書いている人達は多様性がない人達です。
死んでほしいやら精神異常者で隔離しろやらの差別は残念に思います。
異性愛の男は群がり、皆同じ部品のような競争に行くでしょうが、女性的で自身を護る同性愛の男性はそのような競争は降りて他の道を見つけて創造的な道を創り出す人が多いでしょう。
私を含めた同性愛、ゲイは部品的な男と女、老人、中年、若者、子供を踏み台にしてクリエイティブな方向に向かいます。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。
「自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。
痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ
この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。
国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース
ま、痛いニュースとJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、
国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業、日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタのシェア(軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。
国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。
要は、
ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。
で、その対策として当時のトヨタは、
トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。
対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。
少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタの渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。
というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。
それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、
となっている。
で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)
豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報
まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、
トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の
プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。
9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町の富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級
スポーツカー「レクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。
つまり、
のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。
でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、
クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。
要は、
ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年の痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。
結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。
まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)
であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランス製オープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。
30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxのルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。
これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏・関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。
"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。
タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、
それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。
まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。
ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインのメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループの低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。
一方、スポーツブランド、エンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパは階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェやフェラーリ、はたまたブガッティやランボルギーニなどのカロッツェリアがリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。
というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタがアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークのヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、
経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーはレビン/トレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートやダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1。軽自動車なのに、ミドシップでガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、
で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダ、マツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。
で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。
テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】
このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず。
都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターン(Uターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)
都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。
そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。
その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。
それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンやタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドやイトキン、オンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップ、レディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックス&チャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿のテイストは無理だけど、池袋マルイやサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。
じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツ、スズキ、スバル、ホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービス・メンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービス・メンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。
販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージのターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。
小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーもボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダのスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダのハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。
ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストでローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。
http://anond.hatelabo.jp/20110815225307
ということで先日はじめて台湾に行ってきた。
なんやかんや言って香港などよりも、下手すれば中国本土よりもずっと中国的なところだと思った。
中正紀念堂に書かれた儒教思想および日本で翻訳され中国にも輸出された近代西洋思想に基づく孫文の訓示。
美しい繁体字を皆達者に書く。
南京路とか重慶路とか中国の都市を基にした地名が非常に多くニューヨークなどと同じく植民地の地名そのものだった。
中国ではすべて横書きに統一しているが、台湾は日本と同じく新聞など模範的な文章は縦書きで書かれる。
香港では北京語は通じない。少なくとも、香港人は北京語を聞き取りはできても話せず英語のほうがよほど通じる。
名前も英名が公式に使われる。
台湾や中国でも最近は英名を名乗る人が増えたけど香港ほど公式ではない。
日本人ならダニエルとかマイケルとかメアリーとかキャサリンとかとても名乗れないだろう。
英国植民地の面影が色濃く残る香港やポルトガルのそれであるマカオはアジアの国とは思えなかった。
英語を母語としもはや漢字を読むことすらできない中国人とムスリムとインド系の街であるシンガポールは、
すでにアジアなのかどこなのかわからない無国籍国家という印象だった。
ベトナムも中国とフランスとが混交していてカオスな雰囲気を醸し出していたし。
日本語が通じる人もこれまで行ったどこの国よりも多かった。
片言の中国語で、英語と筆談の助けを借りながら住民と会話した。
我喜歓台湾と書いたら嬉しそうに笑った。
少なくとも西洋言語のみが全人類に受け入れられる世界共通言語になり得る。
何かを否定するにもそれを手段として使わなければいけないという時点で、それを否定できないことが証明されてしまう。
何が入用で何がそうでないかの判断はこのように割合容易につく。
言語はアイデンティティ(帰属意識、同胞意識)の確立の手段、という重要な機能を持つが
それがコミュニケーションの手段という機能を上回ることはない。
文化は発祥した地よりもむしろ影響を受けた衛星で保管されることも多いのではないかと思った。
どこの文化圏でも土着の文化よりも舶来の文物を珍重し上位に置く一定の傾向がある。
土着の文化は卑近で生々しいのに比べ舶来のものは「よく理解できない」ために神秘的だからだ。
日本語では大層難しく聞こえる漢語や外来語が、中国や西洋では子供でも使う日常語であることは多い。
儒教思想や陰陽五行思想はむしろ朝鮮で本家中国よりも忠実に継承されている。
お箸単独で食事をするのもやたらお辞儀をするのも深々と頭を下げるのも日本人特有の風習であるし、元号も今や東アジアで日本しか使っていない。
唐服に影響を受けあるいは呉服に起源を持つ?和服も今や日本の象徴である。
国家元首の名前と元号の名前を漢籍から採るということも中国ですらしてない。
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。
これについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。
警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)
もちろん、子供の暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会の事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part
報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリスの貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。
イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。
何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。
カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。
ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。
http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792
ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。
とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。
その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。
この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。
結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラムの子供にサッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金で博士号まで取る人もいる。そのための制度や組織もある。ブラジルのスラムに比べれば、カウンシルフラットの子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。
今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。
カウンシルフラットの子供達が鬱屈しているならば、イギリスの納税者達は絶望している。イギリスの税金は高い。年収550万円以下なら所得税は20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出は所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税は20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤の交通費は自腹が原則だし、会社が住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。
それでも、ブレアが政権を取った1997年以降、イギリス人は低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童の学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコストは10万円)。
にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国の光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権の教育改革がスタートしたのは99年前後だから、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供達である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国のスラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。
(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動は証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システムの第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。
もしこの手の暴動を放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。
(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動前から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度で代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。
上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度は格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutubeで検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである。
(3) 納税者の復讐。今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者の復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。
最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。
火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線に自分をさらせ。
この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分を抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。
2010だけトップにない。あと知らんの多すぎ。
アメリカだとMSもamazonもスターバックスもワシントン州にあるけど、
なぜワシントンDCになり、ニューヨークなりに本社を移さないの?
国内市場でそれほど発展を見込めないのに、今さら持ってった理由は何?
大阪に数あった大企業が東京に本社を移す理由は全部同じって知ってる?
結局、現在の日本で商売をやるには官公庁がある東京に行くしかなからだよね?
東京に一極集中したいがために、制度をそれに合わせてるんだよ。
日本国歌としての繁栄を考えて、そろそろ東京の一極集中化を止めるべきじゃないか?
人を動かせば、モノも動くよ。
経済発展のためにこそ、地方に人材とカネを返すべきじゃないか?
昭和の「国土の均衡ある発展」じゃなく、緊急時に備えて東京以外に2ヵ所だけでいいから、
私は、ニューヨークに住んでいる。
だけど、胸が痛い。
涙が止まらない。
何か出来ることが無いかと、神戸まで歩いて救援物資を届けに行った。
見慣れた街、ここにあったはずの家、全部が消えていた。
消えるだけならまだしも、戦争映画に出てくるような、燃えかすになっていた。
もう少し地震が来るのが遅かったら。
私もどこかの瓦礫の下に埋もれていたのかもしれない。
そんなことが頭をよぎった。
NYに移り住んで1年も経っていない頃だった。
ふと、気付いた。
ユナイッテド93便。
あ、私が乗るはずだった飛行機・・・。
テロの一ヶ月前に、乗ろうと思ってネットでチケットを探してた。
座席予約に行くと、取られている席は黒く塗りつぶされてた。
その時で、3分の2程の席が埋まっていたのを覚えている。
私は、いつも通り窓際の席を取った。
最後に、何故かどうしても、「Buy」のボタンが押せなかった。
押そうとした時、両親の泣く顔が、ふと頭をよぎった。
何でだろう。
私にそんな力は無い。
今までも、この後も一度も無い。
ただ、その時、
「親を泣かすようなことはしたくない。」
と思って、購入を止めた。
そして、テロが起きた。
黒く塗りつぶされた、2/3くらいの座席表。
ここには、一つ一つ、人間の顔があったんだ。
その背景には、一人一人の家族や友人がいたんだ。
私が取らなかったことで、誰かあの席に座ったのかな。
そう思うと、恐かった。
誰かの背中を、地獄の谷の底に押してしまったのでは、と思った。
愛する人に会いに行く人もいただろう。
余った私の席を取った人にも、家族や愛する人は勿論いただろう。
涙と震えが止まらなかった。
目の前に飛んでいる飛行機が落ちる夢。
その度に目を覚まし、
そして、夢だったことに安心して、
深い罪悪感に襲われる。
今でも時々、飛行機の夢を見る。
ずっとずっと行けなかった。
行くと、また思い出すから、
あの黒く塗りつぶされた席達を。
見たことも、会ったことも無い顔の中に、
私の顔がそこに居たかもしれない。
「ごめんなさい。」
なんで、ごめんなさい、なんだろう。
”乗ってはいけない”と感じたあの時、
全員に伝えられる術があれば。
と、途方も無いことを考えいた。
そして、私だけが乗らなかったことすら、悔いていたのかもしれない。
私は運が良かったのだろうか。
実際に、本当にそうなのかもしれない。
だけど、私はあの飛行機には乗らず、こうして今生きている。
罪悪感を感じるという症状があると、先日初めて聞いた。
まさに私が10年間、ずっと感じてきたこの気持ち。
こういう気持ちは、普通なんだ。
その代わりに、ずっとずっと”恐怖”と”罪悪感”を持ってきた。
もしも今回の地震で、私のような気持ちを抱えている人がいるならば、
助かったあなたたち、そして私も、それでいい。
悔いることなんか、何も無い。
死ななくて良かった。
生きていて良かった。
忘れるなんて決して出来ないけれど、
罪悪感も、すぐにはどこかに行かないけれど、
東北地方太平洋沖地震の募金についてすこし昨日調べてみて、あまりの酷さに溜まったものを発散したくて書き上げた。
まず、この文章は結果的に日本ユニセフをかなり擁護することになるので、自分の立場をひとこと。
あとタイトルはかなり釣った。ごめん。
でもとにかく日本ユニセフ協会にはあまりにも感情的なデマが流れすぎている。
今回調べてみて、やはり今回の震災の件で日本ユニセフ協会に寄付をするのは適当ではないと思いました。(あえていうなら子供を長期的に重点的に支援したい人にはいいのかもしれませんが。) アグネスが嫌いだから、という理由で他の団体に募金するのもいいと思いますし、日本ユニセフ協会をdisりたければいくらでもdisればいい。
ただ、現状デマを元に日本ユニセフ協会がdisられている現状は、あまりにも見苦しい。
この記事とかもうね……。 → 【神対応】日本ユニセフ 送られてきた寄付金を一切使わず http://alfalfalfa.com/archives/2705782.html
これも……d:id:manameがツイートしてたからすごく広がってるし。 →ユニセフと日本ユニセフの違いです。俺みた�... on Twitpic http://twitpic.com/49y77p
「日本ユニセフ協会に寄付しない」という結論が正しくても、その根拠がデマであれば意味が無い。
デマがデマを産んでdisが加速していく。放射性廃棄物のクソの山が築かれていくのを見ているようです。少しでも軌道修正ができればと思ってこの記事を書きました。
どこに募金すべきかは……今回であれば日本赤十字でいんじゃないですかね(適当) どちらかというと、普段からどこの団体を支援すべきか、ということをゆっくり考えたほうがいいと思います。
これはその通り。その意味で「同じ団体」といったアグネスの罪は重い。でも、UNICEFのWebサイト (http://www.unicef.org/) のトップページで、National committees for UNICEF として日の丸アイコンがあって、クリックすると日本ユニセフ協会 (http://www.unicef.or.jp/) にジャンプする。UNICEF本体の東京事務所は存在する (http://www.unic.or.jp/un_agency/unicef/unicef_j.html) が、ここから募金ができるわけではない。UNICEF本体が日本ユニセフ協会と別団体であることは正しいんだけど、事実上唯一の窓口であることには違いない。
ぶっちゃけUNICEF本体の東京事務所がなにやってるのかよくわからない。
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/index4.html
また、黒柳徹子がUNICEF本体の親善大使で、アグネスが日本ユニセフ協会の大使であるのも事実なんだけど、
http://www.unicef.or.jp/kinkyu/japan/2011_0317.htm
ここを見ると二人仲良くコメントを出している。黒柳徹子とアグネスが敵対してるとかどこ情報よー?
じゃあUNICEF本体から募金しようか。と、さっきの National committees for UNICEF の下に "Donate Now"とあるからクリック。……と、リビアにしか寄付はできない。とりあえず JAPAN を選んで先に進むと……日本ユニセフ協会にジャンプする。日本ユニセフ協会やだー!ってことで"Country not listed" を選ぶと、べつの寄付サイトにジャンプする。ここもリビアへの支援か、寄付先おまかせしかない。しかもドメインは https://www.kintera.org/ だ。キンテラって誰それ。
今日出かけたついでにコンビニの端末から募金できないか確認してみたけど、ローソンとファミマからはできないようだ。このへん当方情弱につき検証希望。UNICEF直に募金できるとかどこ情報よー?それどこ情報よー?
http://www.inv.co.jp/~tagawa/totto/hope.html
この口座のことか。でも、ここに寄付をしても東北には行かない。たぶん。少なくとも100%行くわけではないよね。
そもそも今回の支援に関しては、ユニセフ本部(ニューヨーク)に送ってどうすんの?てか多分ユニセフ本体が募金募集したらドル建てになるよね?円→ドル→円で募金するとかすげえムダじゃね?
http://blog.livedoor.jp/video_news/archives/1640577.html
今回の募金が東北だけに使われるわけじゃない、というのはたしかに聞こえはよくない。もともと既存の国内支援基盤があるわけじゃないから、十二分に寄付を生かせないのかもしれない。そういう意味では今回の東北への寄付先としては適当ではないのかもしれない。
でもUNICEFは震災復興支援の団体じゃないでしょ?そもそもUNICEF(not日本ユニセフ協会)の理念とは、Wikipediaより、
当初は、国際連合国際児童緊急基金(こくさいれんごうこくさいじどうきんきゅうききん、英語: United Nations International Children's Emergency Fund)と称して戦後の緊急援助のうち子供を主に対象とした活動であった[1]。
日本は、1949年から1964年にかけて、主に脱脂粉乳や医薬品、原綿などの援助を受けた[2]。当時は日本も主要な被援助国の一つであった。
緊急援助が、行き渡るのにしたがって次第に活動範囲を広げて1953年に正式名称が現在のものに変更された(略称はUNICEFのまま)[2]。開発途上国・戦争や内戦で被害を受けている国の子供の支援を活動の中心としているほか、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の普及活動にも努めている。
かつては、物資の援助中心の活動であったUNICEFであるが、生活の自立がなければ無限に援助しても状況は変わらないとの発想のもと、親に対する栄養知識の普及などの啓発活動にも力を入れている。
ってことで日本が戦後復興して以降、そもそもちゃんと子供が飯を食えて、識字率も高くて、他国に比べ相対的に権利も守られてる日本は支援の対象外なんだよ。その意味でいままで国内の支援をしてこなかったことはなにも責められることじゃない。むしろ途上国への募金を募っていたのに「国内に寄付していなかった」とか文句言われていまごろ日本ユニセフ協会のひとはポルナレフになってるんじゃないですかね。
ここもまあ意見は分かれるだろうけど、別に自社ビルじゃなくても賃料は発生するし。たとえば日本ユニセフ協会(本部: 群馬県前橋市)とか(本部: 奈良県十津川村)とかで、しかも本部があばら屋だったらおまえら信用して億単位の募金を任せられるの?群馬と奈良の人ごめん。
あっそ。
まあアグネスは児童ポルノ関連でいろいろあるし、嫌いなのは分かる。もうちょっと「貢献しまくってます」ポーズがあってもいいんじゃないかなー。でも、逆にすっげえ金持ってて素晴らしい人格者がユニセフ大使になって、その後着の身着のまま募金のお願いとかしてたら、「ボランティアこええええ!そんな広告塔の身ぐるみまで剥いでしまうような団体に寄付なんてしねえ!」ってならないかな?支援団体にはそれなりの運営資金が必要だ。25%は多いのかもしれないけど。もし運営になにもか金をかけずに募金活動をしていたら、それは「○○ちゃんを救う会」みたいなリアル募金詐欺と見分けがつかなくなる。
だから、寄付する方として、100%が支援先に使われることを期待して潔癖症になってはいけない。たとえば街頭に立って声張り上げて1万円を集めて100%募金するより、ちゃんと広報して10万円を集めて経費さっぴいて7万5千円を募金した方がいいよね?
このあたり、この記事がよくまとまってると思う。
ただ間違ってはいけないのは、彼らは寄付を集めるためにマーケティングを行っているわけではないということだ。
集めたお金を使って貧困の中で希望を持てずに死んでいく病人達を救うことが目的だ。
そのために、僕のように他の支援団体には寄付したことがない、一種疑い深い人間ともコミュニケーションをとらねばならないし、もしくは他の団体に寄付するのではなく、「国境なき医師団」に寄付をしてもらうようにマインドシフトしてもらわねばならない。
つまり、自分たちの活動が、他の団体よりも効果的かつ効率的であることを正確に伝え、事実として広める必要がある。それがマーケティングを行うということなのである。
(http://blogs.itmedia.co.jp/speedfeed/2010/02/post-d4e6.html)
ちなみに、日本ユニセフ協会は自動的に25%ピンハネしているわけではないらしい。2009年の実績では80.7%をUNICEFに拠出したそうな。(http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_don.html)
けっきょく健全性という点では、他の団体と「同じくらい不健全」じゃあないのかな。で、あたりまえだけど募金先の団体をよく精査しなさい、って話なんだけど、そもそも日本ユニセフ協会を精査できていないわけだよね。ていうかみんなUNICEFのサイトすら見てない。それで他の団体を精査できるの?
そもそも、寄付先を精査する以前に普段から寄付をしている、ということが大切。今回各国が日本の支援をしてくれたのは、「これまで日本が他国を支援していた」という信頼の貯金があったから。
糸井重里は
今回、たとえば、「じぶんひとりを3日雇えるくらいのお金」と考えたら、どうでしょうか。はっきりとした「実力」になると思うんです。
と言ったけれど、毎年そのくらいの金額をどこかに寄付することが大事なんじゃない?NZ地震に募金した?ハイチには?ごめんおれNZには募金してないや。被災国になって、いまからあらためて他国に募金しろってのもおかしいとおもうけど、つぎ世界に何かあった時には、いっしょに募金しようね?
それよりも、このデマを収束させるには恐ろしくエネルギーがかかるだろう。震災復興より難しいんじゃないか。いわれもない誹謗中傷リプライの集中放火にあってさ。だからはてダやTwitterにはとても書く気になれない。こんだけ長文を書いといてなんだけど、ぶっちゃけべつに収束させたいわけでもないし。でも、善意からのデマって、ほんとタチが悪いとおもった。
話はズレるけど、水伝とかが教育に悪い理由にも近い。感謝の気持ちが終わった後には、デマという「事実」だけが残るんだ。放射性廃棄物だね。
日本ユニセフ協会を擁護した記事だけど、個人的には国境なき医師団に寄付したよ。額少ないけど。ワープアつらいです(´;ω;`)
山形浩生が募金した時の話 (http://cruel.org/other/rumors2011_1.html#item2011031501) で気づいたけど、クレカで募金すると当然入金までに時間がかかってしまうんだよね。いままで気にしてなかった。てか今回クレカで募金しちゃった。支援団体が入金予定をもとにリスクで金を使うのかわからないけど、国内のことであれば銀行振込かゆうちょで募金した方ががいいね。カードの手数料ってどうなるんだろ?
黒柳徹子は現在のユニセフ国際親善大使のなかではいちばん古く任命されている。へぇ。
日本ユニセフ協会大使は日本ユニセフ協会から任命されているけども、UNICEFから承認されている。アグネスを大使として支持しないのならば、UNICEF本体にも責任があることになるよね?アグネスが嫌いな人は、UNICEFに抗議文でも送っては?正直あんまり理論立てて非難する文章はおれには書けなさそうだからあきらめたけど。
私は諸事情で11月から1月の終わりまでニューヨークの知り合い(日本人)の家にホームステイのようなことをしていた。
私は学生時代こそやっていたものの、最近では全く英語と関わりが無かった為、初期知識ほぼ0で渡米した。
知り合いの家には沢山の友人(英語圏の人々)がほぼ毎日のように来ていた。
最初の1週間は自分の英語力の無さに嘆いていたが1か月もすると日常会話が微妙に出来て3か月後には日常会話はほぼ理解・発話出来る様になっていた。
実のところ文法はあまりよく分かっていない。
私の場合「型」で自然と覚えていた。こういう時はAみたいなことを言って、こういう時はBみたいなことを言うと言った感じだ。
適当に会話していく内にこの「型」が増えていく。
相手の会話を誰に訳してもらったわけでもないがなんとなく分かる。
この"なんとなく"が重要なんだと思う。
また、私が滞在した地域の人々の人柄が良かったのかもしれないが、大抵の人は「そこはXと言うよりYと言った方がいいよ」のような事を教えてくれる。
アメリカには多種多様の人々が住んでいるため"カタコト英語"は珍しくないらしい。
ホワイトハウスで反米ソング 米政権が大恥
【ワシントン=佐々木類】中国の胡錦濤国家主席を招いて19日夜、ホワイトハウスで行われた公式晩(ばん)餐(さん)会で、国際的な中国人男性ピアニスト、ラン・ラン(郎朗)氏(28)が演奏した曲が、反米宣伝映画の主題曲だったと分かり、米国内で波紋を広げている。
ラン・ラン氏は、中国生まれでニューヨーク在住。演奏したのは、朝鮮戦争(1950~53年)を舞台にした中国共産党の反米映画「上甘嶺(じょうかんれい)」(56年)の主題曲「わが祖国」だ。
「わが祖国」は中国人に広く知られており、共産党が数十年の間、反米宣伝曲として利用してきた。映画は、中国人民解放軍「義勇軍」と米軍の激戦の様子を残虐に描いている。
米CBSニュースによると、ラン・ラン氏は、この曲を選んだ理由について、晩餐会の前に収録した香港のフェニックステレビに、「この曲をホワイトハウスの晩餐会で演奏することは、中国人にとって大変な誇りになると思った」と語っていた。
だが、演奏後に波紋が広がると「子供のころから好きな曲の一つだった。メロディーが美しいという以外の選曲理由はない」とのコメントを出した。
演目などは通常、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)のスタッフが事前にチェックするはずだが、ギブズ大統領報道官はコメントを避けている。
http://d.hatena.ne.jp/ever_neet/20110113/1294916683
国連の調査員いわく「日本の差別問題は根が深い」「役人たちはこの問題の大きさを認識していない」のだそうである。
穏やかじゃないですなと読み進めると、"日本の差別は、日本人の見えない輪をつくり、そこに「違う者」が入ろうとする「忙しい」などの建前を使い静かに拒絶すること"であり、"悪意はなく、酷い差別を受けることも無いが、友好的な人からも小さな差別を沢山受ける"ことであると。
欧米の某国に長く住んでいる人間として言わせてもらうなら、これを人種差別ととらえることこそ、問題の本質を理解していない。このような仲間/よそ者の区別はどの国にも存在し、それをレイシズムと定義している国をほかに知らない。そして、このマイルドな「差別」を一概に悪いことであると定義してしまうべきでもない。
たとえば、自分が昔ロンドンの会社で働いていたとき、外国人(非英国人)向けの「イギリスでの生活になじむための講習」のようなものを受けさせられたことがある。そこで最初に言われたのが、「イギリス人の友達が出来なくても心配しないように」ということ。実際その通りだった。ホームパーティーに誘われることは何度もあったが、例外なく外国人から。外国人の同僚に尋ねても、一様に同じ感想を漏らしていたし、イギリス人の同僚もその傾向があることは認めていたから、講師が言ったことはある程度一般化可能な事実だったのだろう。ちなみに、ロンドンは移民の人口が3割を超える多民族都市だ。
ニューヨークですら、事情は大して変わらない。アメリカ人は「イギリス人とそれ以外」のような分け方はしないが、「アメリカ的な振る舞い」をしない人間に対しては厳しい。そして、それは当然不文律であって、社会人になってからでは学ぶ機会が無いし、そもそも不文律自体が場所とコミュニティで異なる。個人的には、イギリスに比べればだいぶやりやすいとは思うけれど。
どちらも、上で紹介したブログが書くところの「静かな拒絶」の一例だ。それは確かに広義の差別になるのかも知れない。しかし、このような「差別」をしなければ、人種差別は確実に激化する。世の中には生き方の違う人間というのが確実に存在するのであって、そういう人たちを遠ざけたり遠ざかったりして無用な摩擦を避けるのは、ごく一般的な生活の知恵だ。この棲み分けが機能していない社会では、大抵人種差別が起こる。生き方も考え方も違う人間が密接に関わりあえば、当然不愉快な経験もする(ルームメイトがウンコのついた左手で蛇口をひねり、そのまま蛇口を洗い忘れて出て行った、とか。どこの国の人かは敢えて書かない)。そういう「不快な経験の積み重ね」が人種差別を拡大させる。こういう差別は理屈ではないので、より根深く残る。
こういうことを書くと「異文化を真っ向から乗り越えてこそ真の理解があり、人種差別の解消はそこを目指すべき」みたいな幸せなことを言い出す人達がいるが、そういう人間に限って「異文化を真っ向から乗り越える」経験をしていない。それがどれだけの時間と忍耐を要求するかを理解していない。この世の中には異文化摩擦を乗り越えることに生活をささげられるほど暇な人はほとんどいないのだ。人種差別反対、あらゆる差別に反対、と叫んで悦に入るのは気持ちいいのだろうが、もう少し現実を見ろと言いたい。
人種差別には反対だが、それを抑制するために、少なくともそれによる不利益を抑制するために、受け入れたほうが良い差別はある。受け入れ側の日本人が「外国人をもっと平等に扱おう」と考えるその心根は善い。だが、それこそが日本人の人種差別に火をつける可能性は考慮すべきだ。目をきらきらさせて非現実的な理想を語る前に、カエサルの言葉をかみ締めよう。
「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」
東大ブランドは世界には通用しない 灘高トップはエール大学を選んだ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110111/217870/
という扇情的な記事がはてブを伸ばしているからノスタルジーでちょっと書いてみたくなった。俺は大学院でイェールに行った。どこのカレッジに住んでいたとか専攻が何かは日本人があまり多くないから伏せる。
イェールはコネチカット州のニューヘイブンという田舎町にある。コロンビアがマンハッタン、ハーバードやMITがボストンにあることを考えれば辺鄙な立地だ。ニューヘイブンがどこにあるかはGoogle Mapで見てもらえばいいけど、ニューヨークとボストンの中間あたりにある。ニューヨークのグランドセントラル駅からニューヘイブン線に乗って2時間くらいで着く。日本で言うと郡山に東大があるような感じで考えてくれればいいだろう。韓国人の留学生がboringだとよく漏らしていたのが印象的だ。あと寮の食事もまずいってよく言っていたっけ。彼女は体重がずいぶん減ったと言っていた。俺は別に痩せなかった。都会が好きな人はハーバードとかコロンビアに行った方がいい。俺は田舎が好きだったから結構楽しめた。徒歩圏内で日常の生活はだいたい事足りるから、夜中まで飲んだり遊んだり踊ったりしても問題なく帰れる。
古賀 きっかけは、ハーバードに行っていた高校時代の先輩から「お前、英語しゃべれんねんから、ハーバードに来たらええやん」って言われたことでした。
これは素直に羨ましいと思う。俺は英語はかなり苦手だった。受験科目ではまあまあ点数が取れたけど、ほとんど英語で喋ったことがない典型的な日本人英語だった。他の留学生に「初日のお前はひどかったなw」とよく言われた。簡単な自己紹介に15分くらいかけたのだから。
これまで会ったことのない面白いバックグラウンドを持つ同級生が世界中から集まっている環境は、本当にエネルギーに溢れています。みんな徒歩5分圏内の寮に住んでいるので、何かプロジェクトをやろうという話になると、いつでも集まって、好きなだけ話ができる。寮に門限は無く、いつでも誰とでも会ってつながれる環境は、僕にとって何よりもうれしい環境です
少し前に京大の全寮制の大学院ができるという報道があったけど、そのコメントは賛否両論だった。俺は大学はカレッジ(寮)があるべきだと思っている。大学のすぐ近くに友人と一緒に住むという体験は得る物がたくさんある。そうそう、イェールでは寮(ドミトリー)はカレッジと言っている。Google Mapでニューヘイブンを見ると「なんとか大学」ってカレッジを「大学」と訳していて恥ずかしいが、あれは大学ではなく寮だ。
イェールのカレッジは全部でいくつあっただろう?かなりたくさんあった。それぞれのカレッジが1つのコミュニティになっていてみんな帰属意識を持っている。設備もなかなかのものだ。個室にはテレビはないが、共有のテレビがある。ダーツとか卓球、ビリヤード台があった。メンテナンス状況は悪かったけどみんなでよく遊んだ。ピアノもあった、かなり高い奴が平然と置いてある。金持っているなあって最初は思った。音楽ができる奴がいるとピアノの回りにみんな来るからすぐに友達はできた。
カレッジの外観はかなり格好いい。ハリーポッターみたいなものだ。だけど住み心地はよくない。シャワーやトイレも2部屋に1つくらいしかなかった。間が悪いと他の奴と鉢合わせをする。中国人は「小」をしたあと流さないらしく、黄色い水がたまっていたりする。あとリア充が女とシャワーを浴びているのを見て悔しい思いをしたことがある。共同生活だから喘ぎ声が聞こえることもある。部屋に戻ると相方が女の子を連れ込んでいたりする。
カレッジは引きこもりにはキツイ環境だ。前述のようにトイレやシャワーが外にあるし、食堂があって決まった時間に食堂にいかないと食事を採れない。もちろん近所に飲食店があってそこに行くこともできるが、寮費に食費が含まれているから使わないのは損だ。外食ばかりだと結構お金もなくなる。周囲にはIvy Noodle(イェールはアイビーリーグの1つ)とかEducated Burgher(高学歴バーガーとでも訳すのか)とか面白い名前の店が多かった。話がそれたが、決まった時間にダイニングに行くだけで知り合いと顔を合わせることになる。俺も最初の頃は一人ぽつんと食べていたが、すぐに「お前もこっち来いよ」と開放的な奴に呼ばれてグループに加わっていた。このように、カレッジでは強制的にリア充にされてしまうような何かがある。俺もアメリカでの性格と日本での性格は全然違う。
自分が夜遅くまで図書館で勉強して、「よし、今日もよく勉強したな」と片付けていると、アフリカのとっても貧しい村出身の友人が、図書館が閉まる最後の最後まで一生懸命勉強しているのが目に入るんです。彼は戦争で親を亡くしていて、自分なんかよりもはるかに過酷な環境にあるにもかかわらず、自分の夢をつかみにエールに来た。そういうのを見ると、自分ってまだまだ甘いなってびりびり気合いが入ります。
図書館ではなく図書室かと思ったが、閉まるのだから図書館なのだろう。カレッジには図書室が大抵ついている。図書室は規模が小さく、大抵はカレッジの歴史に関する本とか写真があるだけで図書館としての機能はない。だけど24時間いつでも使えるし、俺にとって図書室で勉強というのはカレッジの図書室だ。本当に夜遅くまで勉強している人はたくさんいた。
ただ、世界の名門大学は厳しい舞台だ。誰でも安易に挑戦できるわけではない。ここを生き抜くためには3つの力が必要だ。まず英語。少しでもハンディキャップがあれば、授業やパーティーで誰も相手にしてくれない。
誰も相手をしてくれないということはない。俺の英語はかなりひどかったが、初日のパーティで友達はできた。他の留学生はだいたいかなり英語は流暢で、俺だけが下手で恥ずかしかったが、受験英語もまんざら無駄でもなく2ヶ月もいると普通に英語で雑談をしていた。声高に日本人は英語ができないからダメなんだって言うことはない。あと特にヨーロッパ系の学生に顕著なのだが、ひどい英語を使っている人も多い。文法がかなりガタガタの人もいる。だからそんなに気にすることはないと思う。日本人は案外マシな方だ。
次に、芸がないとつらい。世界の名門校に集う学生は、多彩な才能を持つものが多い。その理由は、古賀氏も指摘しているように、受験制度が記憶力偏重ではないからだ。高校時代、受験勉強で明け暮れる学生はいない。スポーツや芸術などで自分を磨いた者が受験でも大いに評価される。
これはある。ダイバーシティを重視しているからかなり変わった学生が多く集まる。だからといって、それほど堅くなる必要もないのだが。例えば日本語が分かるというのも海外に行けば特技に変わる。ある自転車屋がどういうわけか中国語の広告を貼っていたのだが、俺は漢字が読めるから意味くらいはわかる。それがヨーロッパの学生から見ると不思議だったらしい。これ日本語?いや中国語だと思う、お前は中国語ができるのか、いやできない、じゃあ何故意味が分かる、それは漢字が表意文字だから・・・。だから、これもそう深刻に考えることはないよ。
最後に積極性。日本人と比較したら自己主張の塊のような連中だらけのキャンパス。アメリカの大学生の社交場であるパーティーでは、積極的に自らを売り込まないと友達ができない。英語、芸、積極性。これらが世界スケールで通用するものでなければ、「孤独感から自殺してしまうかもしれない」と、ある日本人留学生は語る。
これも俺は問題には感じなかった。イェールのカレッジは強制リア充作用があるため、気づくと女の子とダンスに行ったり日本では考えられないようなことが起きる。開放感溢れるのは男だけじゃなくて女もそうなんだ。だけど、聞いた話ではそのリア充作用に抵抗するとキツイものがあるらしい。便所飯じゃないけど友人と顔を合わせるのが辛いから食事も満足に採れなくなって部屋に引きこもっている人もいるらしい。
同氏を見ていると、今後世界と伍して戦うことを目指す若者には、大学院ではなく学部から米国に留学することをおススメしたい。得られる体験やネットワークの量と質は計りしれないものだろう。
俺は大学院から行ったわけだが、学部生を知らないわけではない。感想から言うと、学部生はアメリカ人が多い、それゆえ価値観が(俺から見て)おかしい。まだ使える扇風機を平気でゴミ箱に放り込んでいたのにはびっくりした。こいつらエコの概念が全くないのかと。学力も日本のそこそこの大学の方が高いだろう。そういった理由で学部生とは話していてもそれほど面白みを感じないというか、何かずれた感じがする。うまく言い表せないけど、大量生産・大量消費のフォーディズムみたいな時代錯誤の感じ。大学院のように雑多な環境の方が面白い。俺もアジア人であるせいか、アメリカ人とかヨーロッパ人よりはアジア人の方が馬が合うだけかも知れない。
日本の大学に行かないことで失われるものは何かといえば、おそらく学力の高い人たちとの交流がある。東大生の平均的知的水準はイェールの平均より高いと思う。周りの友人に何か問いかけたときの答えの質はたぶん東大の方がイェールより高い。その代わりイェールに行けば濃密な人間関係の中で色々な経験を積めて、最近はやりの言葉で言えば人間力はつきそうだ。どちらも一長一短で、日本の大学が必ずしもダメというわけではない。
俺が高校、いや中学くらいからやり直せるとしたら学部から留学すると思う。学力は自分の姿勢でなんとでもなるが、英語でのコミュニケーション能力を鍛える環境が魅力的だからだ。
「日本に帰って来るの?」という質問をよく受けます。正直そのつもりはありません。「日本のために」は「世界のために」の部分集合だと思っています。日本人として、世界に挑戦することが、今の日本を変えることにもつながると信じています。
とあるけど、将来どこの国で生きていくかによって学部から留学するか大学院からでいいかは変わってくると思う。日本に帰るつもりがない人は若くて吸収力が高いうちからアメリカの大学に行くのは意味がある。
結論「東大ブランドは世界には通用しない」と扇情的に書いてあるけど、そんなに日本の大学は糞でもない。ただ東京大学や京都大学は名前で損をしているかも知れない。東京は大都市として有名だし、京都は日本の観光地として有名だ。その名前がついていることでアメリカでの印象はニューヨーク大学とかイエローストーン大学みたいな印象になって、あまり大学の中身を知らない人には訴求力がない。名前で損をしている。だけど研究をするようになれば各国の実績のある大学は正しく評価されるようになる。
日本でも同じことは言えるのだけど、研究の道に進まないで学部卒で就職すると研究の業績で大学を評価しないのが普通。ネットで駅弁って言われている大学に実はいい研究をしている人がいるというのは、同じ分野で研究をしていて論文を読んだり学会に行けばすぐに気づくことだけど、研究をやらない人の間ではただの駅弁大学で一生終わる。世界から見た東大も駅弁大学のような感じなのだと思う。
ぐだぐだだけどこの辺で。
尖閣衝突:仙谷長官、中国に事前通報「今日、船長釈放」
「今日、釈放されます」。臨時国会召集を1週間後に控えた9月24日午前、仙谷由人官房長官から在日中国大使館の孔鉉佑公使に電話で連絡が入った。沖縄県・尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船の船長釈放を那覇地検が発表したのは同日午後2時半。釈放決定は首相官邸中枢から中国側に事前通報されていた。
当時の政府の説明では、仙谷氏は官邸で柳田稔法相(当時)と協議中の午後0時半、法務省から連絡を受けた滝野欣弥官房副長官から検察の釈放判断を知らされたことになっていた。官邸は「検察判断」を強調していたが、実際には周到に仕組まれた政治判断だったことが、複数の関係者の証言から次第に明らかになってきた。
事件が起きた9月7日、海保を所管する前原誠司国土交通相(当時、現外相)は海保が15分ほどに編集した衝突時のビデオ映像を見て「ただちに逮捕、ただちにビデオも公開すべきだ」と官邸に報告した。中国の反発を警戒する仙谷氏は逮捕に否定的だったが、菅直人首相は前原氏に同調。石垣海上保安部(沖縄県)が8日未明に船長を逮捕した。ビデオについては仙谷氏が「(刑事訴訟法に基づく)証拠品だ」と主張し非公開と決めた。
転機は19日、那覇地検が請求し、石垣簡裁が認める決定をした船長の10日間の勾留延長だった。検察当局は国内法に基づいて粛々と対応し、仙谷氏もその「建前」を通したが、官邸関係者は「仙谷氏はその瞬間から釈放に動き始めた」と明かす。
仙谷氏は20日、菅首相と公邸で約3時間協議。内閣改造で外相に横滑りした前原氏、外相から民主党幹事長となった岡田克也氏も約30分間加わった。対中関係の悪化にいら立つ首相は「一刻も早く対応してくれ」と言い残し、国連総会出席のため22日にニューヨークへ出発。しかし、23日には中国からのレアアース(希土類)の対日輸出がストップし、建設会社の邦人4人の身柄が中国河北省で拘束されたことが発覚。状況は緊迫した。
日本時間の23日深夜、前原氏はニューヨークでクリントン米国務長官と会談し「日米安全保障条約は尖閣諸島に適用される」との発言を引き出した。仙谷氏は首相、前原氏と電話協議し、釈放の環境が整ったと判断。24日未明「近々、釈放する」と少数の関係者に伝えた。首相も日本時間の24日朝、オバマ米大統領との会談で「冷静にやっている。近く解決する見通しだ」と釈放を示唆した。25日未明に処分保留で釈放された船長を中国政府がチャーター機で石垣空港に出迎えた素早い対応の背景には、仙谷氏から中国大使館への事前連絡があった。
このころ、菅首相は11月に横浜市で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議をいかに成功させるかを強く意識していた。日中外交関係者は「中国側から仙谷氏には『APECに胡錦濤国家主席が来ても、このままでは菅首相との首脳会談はできない』と伝えていた。これが殺し文句だったと聞いた」と振り返る。
結果として、このタイミングでの釈放判断が「中国の圧力に屈した弱腰外交」との批判を浴び、首相や仙谷氏が「検察の判断」として責任を回避するような発言を繰り返したことが政権批判に拍車をかけた。
菅首相は臨時国会初日の10月1日の所信表明演説で「政策の国会」「熟議の国会」を掲げ、政策論争を通じて与野党の接点を探ろうとした。しかし、これ以前に菅政権の国会戦略は崩壊への道を転がり始めていた。
国会は尖閣問題が最大の焦点となり、最後は仙谷氏と、ビデオ流出時の馬淵澄夫国交相の問責決議可決という、予期せぬ展開で今月3日に閉幕した。尖閣事件の政治判断が混迷を招き、菅政権失速の引き金となった。
QWERTY配列のキーボードでタイピングするとき、ホームポジションの右手小指の位置にはセミコロン(;←これ)が存在します。
「これここにある必要ある?」と前々から思っていました。せいぜい、泣き顔(;;)を作るときに楽なくらいで、指をまったく動かさなくても打てる位置に置く必然性を感じなかった。(英文だとよく使われるんだと思う)
逆にハイフンのキー(キーボードとかニューヨークとかの伸ばす記号(長音符)を入力するときに使う)は右手ごとひねらないと打てない。セミコロンより圧倒的に使用頻度は高いのに。
というわけでKeySwapというソフトを使って入れ替えてみました。
スムーズに長音符が打てるのがこんなに快適だとは。これは素晴らしい。
自分のパソコン以外でやるわけにはいかないけど、それでも快適です。
今回使ったKeySwapはとても簡単にキーの入れ替えができます。入れ替えたいキーを押して指定するだけ。難しいことは一切ありません。
ただし、使うときはちゃんと同梱のreadmeを読んでくださいね。
http://www.nytimes.com/2010/10/17/world/asia/17japan.html?_r=1&src=me&ref=homepage
一面記事。連載するらしい。今、一番読まれてる記事だって。
目新しい内容はないけど、誰か翻訳してるだろう。
バブルのころ、2010年に日本経済がアメリカを追い越す予測があった、というのは
忘れてたけど、たしかに景気のよすぎる話ばかりだった。
なんでそんなバカなことを、みな信じちゃったんだろう。
二十年のあいだ、実際は、日本は横ばいなのに、アメリカは経済規模を倍増したらしい。
こうなることは必然だったんじゃないの? と思う一方、
どうしてたらアメリカに勝てたかね、と思わないでもない。
まだまだ沈むだろうな。アメリカの例を見るなら、もっとメジャーどころの企業やブランドが
中国に買いたたかれてもおかしくない。問題は、そこからどうやってはいあがっていくか、だろう。
初音ミクのニューヨークでのフィルムコンサートを撮影した動画がようつべにいくつかアップされていた。ただの上映会の割に観客のノリがいいのはいかにもアメリカ的。私が見た日本のフィルムコンサートでは、客はおとなしく黙って見ているだけで、上映が全部終わった後にパラパラと拍手が聞こえてきたくらい。でもアメリカじゃ曲が終わるごとに拍手と歓声が沸き起こっている。
曲にあわせて客が手をたたくシーンもいくつもあるし、時には一緒に歌っているアメリカ人の声が聞こえたりする。特に大歓声というか悲鳴が聞こえたのはレンの登場シーンで、このあたりは現地からTwitterで伝えられた通りだ。以下に動画を紹介しよう。
まずハジメテノオトからProject Diva desu.を経てワールドイズマインまで。ミクが出てくるシーンで歓声が上がる。
http://www.youtube.com/watch?v=-DtG1Hsn8ss
ワールドイズマインの途中からえれくとりっく・えんじぇうまで。
http://www.youtube.com/watch?v=Ggzz8gEAE10
次々と衣装を変えるメドレーのシーン。ぽっぴっぽーの人気が凄い。
http://www.youtube.com/watch?v=j1y9V712c9o
巡音ルカのJust Be Friendsから初音ミクの消失へ。これまた客の反応がいい。
http://www.youtube.com/watch?v=HgA17dfvQdI
http://www.youtube.com/watch?v=nemNTVEJ83Y
http://www.youtube.com/watch?v=J4AISbwOIHA
http://www.youtube.com/watch?v=cEELGH3L8FM
ビデオの客の「アンコール」から愛言葉まで。アメリカ人も一緒になってアンコールと言っている。
http://www.youtube.com/watch?v=C-sfgmVs5d0
メルト。
http://www.youtube.com/watch?v=D3dkO-ixd_Y
ニコ動でもメルトの動画がアップされていた。客が手をたたき、一緒に盛り上がっているのが分かる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12396101
動画を見る限り、ニューヨークのフィルムコンサートは成功だったと言っていいんじゃないだろうか。アメリカ人の「とにかく楽しもう」という姿勢が見事に表れている。
上記の訂正
既に一部で紹介されているが、どうやら2度目はニューヨークでやる模様。
http://nycc_nyaf10.mapyourshow.com/3_0/sessions/sessiondetails.cfm?ScheduledSessionID=1272&CFID=1921959&CFTOKEN=424035da1bb4862a-E9BF4238-C3FE-A1A5-4E8F3B7379FD9759
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日付:10月9日(土)
時間:午前11時45分-12時45分
場所:ルーム1E03
バーチャルなポップセンセーション、ボーカロイド初音ミクの珍しい米国での登場を見よう! このデジタルフィルムコンサートは21世紀におけるテクノロジーと人間の創造性とのダイナミックな統合だ!
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てことはサンフランシスコは3度目になるのか。ただ、このニューヨークでの公演は1時間しかないのが不思議。例のお台場の映像なら全部で2時間あったと思うんだが。
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?