はてなキーワード: r指定とは
つーかpixivってR指定に対する明確な基準を設けてるのかなーと思って調べたら
https://www.pixiv.net/terms/?page=guideline
[ R-18 ][ R-18G ]:18歳未満の方に対し、不適切な表現が含まれる作品
つまりこの曖昧な基準を元に作者側の判断で決められてるだけで、同じ表現でもある作者はR指定にして他の作者はしないって事もあり得るわけだ。
(年齢制限した方がいいという通報があればpixiv側が判断して制限することはあるみたいだが)
んで、そういう人力と個人の感覚に頼ったフィルタリングではなく自動で判断できるような技術を開発したいという研究だよね?あれ。
有害指定については自分が勝手に脳内で付け加えてしまったのかもしれないけれども、
なんの説明もなく「有害」という言葉を使われると有害指定の話かと危惧してしまったのは今回のpixiv ユーザー側の反応も同じじゃないのかな
大学側がそういう相手を研究対象に選んでしまったのだということも踏まえてもらえるとありがたい
の違いが説明されなくても理解できるコミュニティであればこんなに問題にはならなかった
問題になってしまったのはpixivユーザーが悪かったのかもしれないが、そのpixivユーザーを相手に選んでしまったのは大学側でしょう
バカを相手に選んでおいて、そのバカが騒いだからといってバカをバカだと罵っても、そのバカを相手に選んだのは大学側でしょう
上にも書いたように「有害指定されること」を恐れている気持ちがあるからこその自主規制でしょう
自主規制でゾーニングしている範囲内であれば、「有害」であっても存在自体は認めてもらえていると思っている
ゾーニングもせずに公にして有害指定されてしまったら存在自体が認められなくなるのではないかという恐怖がある
書店やコンビニでもゾーニングしていれば成年向けを置くことができているけれども有害指定されてしまえば置けなくなってしまうのと近い感覚とでもいえばいいのかな
少し前からオタクアカウントのほうに、同人やめました系の記事がいくつかRTされてくる。
当方オタク歴はそれなりに長く、どちらかといえば一人で考察と妄想を繰り返しのめり込む内向き型。キャラに対してキャーキャー言ったり、流行のネットスラングを羅列するような交流は苦手なので、RTされてきた記事を読んで、うんうんそこは昔のほうがよかったよね、と思うこともある。
近頃はまったジャンルにて、私はようやく同人活動やイベントの醍醐味みたいなものが分かってきて、今とても楽しい。
過去色々なジャンルにはまったものの、今まではネット上で見たり書いたり、昔からのオタク友達に話を聞いてもらうくらいで満足していた。
twitterで交流しよう、オンリーに行ってみよう、自分でも本作ってみようか、というところまで手を出すほどになった作品はこれが初めてだ。
なんでなのか?ちょっと振り返り5点。
ハマるのと同時期くらいに生活環境が変わり、時間に余裕ができた。これが一番大きいかも。元々面倒くさがりなので、寸暇を惜しんでまではきっとここまでやってない。忙殺されて余暇がほとんどなかった時期にハマっていた別ジャンルは、それはそれで生きる支えになったものだが、交流や創作にかけられる時間は少なく、落書きで欲求を消化するのみだった。
学生時代はサイトにこもってたので、オフ活動にもっと早く興味持ってたら違ってたかも。
ハマったのは息が長くファンの多い作品で、ファンの年齢も傾向も幅広い。キャラ萌えしてる人からひたすら原作の考察する人まで色々。流行のピークは過ぎて久しく、今や大手さんの解釈が公式扱いされているような風潮は薄いし、個々の解釈も否定されにくい気がする。が、これは体感なので単に私が鈍感なだけかも。
もちろん作品自体の素晴らしさが第一にある。それに加えてこの界隈の自由な雰囲気がいいなと思う。
そういう雰囲気に浸かってると、同士さんたちの詳しい活動や語りを追いたいという欲求がわいてくる。
そこで主にtwitterを利用するわけだけど、様々なファンがいるのと自身が万人ウケするタイプではないので、交流する際には特別注意をはらう。元々アカウントを取ったのは同士さんアカの鑑賞兼独り言用だぞ、それが第一だぞと常に言い聞かせる。それを曲げて交流しまくれば承認欲求が加速して本来やりたい創作や考察ができなくなる。だからいくらいいねやRTがほしいと思っても決めた期間以外鍵は開けないし、フォローフォロワーの関係には気持ち悪いぐらい用心する。最近のやめました系記事にもSNS疲れがよく言及されてるし、対人関係が原因で作品を好きでいられなくなるみたいな本末転倒な事態は絶対に避けたいので、慎重すぎるくらい慎重に。
結構経ったがまだそれなりに守れている…と思うし、この前提があるからこそ色々割り切ることができているんだと思う。
具体的な自分ルールもまとめてたんだけど、すごい長くなってしまったのでカット。
で、いろんな自分ルールを遵守しつつ厳選したTLは、自分と波長の合う人たちと情報アカ程度で構成され、とても穏やか。交流相手を絞ることで私のような面倒くさがりでも続けることができ、時々リプをし合ったり、タグ系の遊びを一緒にやったりしてくれる存在ができた。そしてその信頼できる方々のご好意により、イベントやオフ会に足を運ぶきっかけをいただいた。
年齢層が幅広いためか、息が長いからか、他と比べ空気がゆったりしているように感じた。(といってもこれまで全ジャンル合わせて片手で数えるほどしか参加したことがないんだけど)
一番安心したのが、エロの公開度が低いこと。前にハマっていたジャンルもそれなりの規模・年数で、以前オールジャンルの際にそのエリアに立ち寄ってみたのだが、カッコイイ男性キャラがたいへん色っぽい感じになってる大きいポスターがたくさん並んでいていたたまれず、なんかもう本を買うどころではなかった。エロは全く、BLもほとんど嗜まない者なので、あの空間は耐えられなかった…
今回もそんなだったらどうしよう、とドキドキしながら参加してみたところ、主流はBLでR指定ものも多数あるが、過激な掲示はさほど目に付かなかったので安心した。男女CPやコメディ傾向の作品もそれなりにあり、買い物も楽しめた。サークルの皆さんは、うろうろと挙動不審な私にもよかったら見ていってください、とやさしく声をかけてくれた。またネットで見知っていた方や、既刊を拝読させていただいた方に感想を伝えたり、少しお話をしたりもできた。作家さんとのお話ってこんな普通にできるんだ、これが話に聞くイベントの醍醐味か…!!と感動してしまった。(今まで買い物の会話以外交わしたことがなかった)見れば他にも立ち話をしている人たちは結構いる。このジャンルではいわゆる古き良き(?)即売会の姿が面影を残しているのかもしれない。いやしらんけど。
そしてイベントでこんなに居心地がよかったのは初めてで自分でも驚いている。今まで一般だと落ち着ける場所がなくて何となく居づらかったのだが、今回はそういうこともなく。また行きたいと思った。
自身の二次創作は、基本的に自己満足だ。いいねやブクマなどはもちろんうれしいが、それを得るためだけの創作はしないのだと心に決めている。なので本をつくりたい!となったのも最初は「皆さんの本素敵だな。私もここまでのめり込んだ作品は初めてだから、記念に自分なりの解釈をこういう形にしてみたいな」というのがきっかけだった。
どこへ出す予定もなく書き始めたのだが、少しその話をした際に思いがけず、ほしい、見てみたいというお声をいただいた。
ものすごいエネルギーを与えられた気分だった。この自己満足の塊を、まさか楽しみにしてくれている人がいるなんて!
さらに、4のイベントでお話させていただいた方にも「本は出されないんですか」とお言葉をいただいた。嬉しすぎた。本を作るというのは大変な作業で、もし本当に一人きりで進めていたら、延び延びになって結局頓挫、みたいなことになりかねないなと思った。ここまでに散々他人に主体をおかない的なことを書いておきながらなんだけど、それでもやっぱり、こういう身に余る挑戦をするときには、3で得た信じられる人の言葉の力を少しお借りしてもいいかな、と思った。
自己分析のつもりが途中から感想文みたいになってしまった。分けて書こうかとも思ったけど、その良い思い出とかもひっくるめて要因だし、まあいいや。
今のジャンルじゃなくても、これまでもこういう体験ができる機会はあったのかもしれない。
でもこの引きこもりで、心配性で、人見知りな私をここまで連れ出してくれたのは、いろんなタイミングの重なり、そして魅力的な作品と素敵なファンの皆様だろうと思う。
個人的にはドラクエ8に登場するゼシカのぱふぱふのシーンが目に焼き付いて離れない。
彼女はその豊満な胸を抱き抱えるように色目使いをして挑発する、海賊の洞窟ではそこのボスが見惚れる位
けしからん絵面であった。
ドラクエのぱふぱふは、5のビアンカもまた出来ると当人が断言した程で、化粧以外の意味合いがあるように思えてならない。
ホントのところ、ぱふぱふっておっぱいでナニを挟む的な意味じゃないかしら。
化粧とかラッパ吹くとかって誰も望んでないからね。
きっとR指定を受けかねなかったから急遽化粧とかラッパ吹きのイメージに仕上げたのかも。
何にせよ、よくもやらかしてくれたなと思う。
日曜に休日出勤したら、上司から「どっかで休んでね」って言われて、それなら水曜!ってことで今日は代休だったのね。
なんで今日かっていうと、お気に入りのピンサロ嬢のマミちゃん(仮)の出勤日だったの。
12時からだから朝からシャワー浴びて陰毛を整えて軽めの香水付けて、しっかり飯食って11時過ぎくらいにお店着いて整理券貰ったわけですわ。
もう、久しぶりでほんとワクワクでさ、最近忙しくて2週間くらい溜め込んでたし、こうなったらベストを尽くそう!ってことで
まずはドラックストアで1000円くらいのドリンク飲んで、近くのレンタルビデオ屋に行ってR指定のコーナーでウロウロしながら気持ちを高めてた。
っつーか平日の午前中なのに、おっさんとか結構いるのな。「お前らが奥さんから貰ってる小遣いじゃピンサロなんていけないだろー!へへーん」なんて思ったら、
爺さんもいて、「あの歳になっても性の欲求からは逃れられないのか」って少しだけ萎えた。
あれやこれやで10分前になって、お店に行って待合室通されたら、既に結構待ってたんだよね。
お互い頑張ろうぜ!って思ったけど、紳士の社交場だからお互い目を合わせずに皆集中してた。
で、番号呼ばれて仕切りの中でマミちゃん(仮)と会ったらさ、「久しぶりだねー」って、相変わらず可愛くてさ、世界一可愛いよ!って褒めまくったね。
マミちゃん(仮)は褒めるとサービスが良いから、ここは大事なポイントなんだわ!
で、さくっと終わらせられちゃったんだけど、帰りにお店の廊下を歩くとき、一番奥だったから仕切りの中が見えちゃったんだよね。
嬢が来る前なのに全裸で胡坐かいて腕組みして厳しい顔してるおっさんとか
待合室でガンたれてた田舎のヤンキーみたいなやつのク○ニの体勢とか
そんなの見たらさ、いやー、マジで日本って終わってんなって思ったわけよ。
平日だぜ?こんなんだから少子高齢化になるわけだわ。人の業ってやつを垣間見た瞬間だった。
もっと俺達ってさ、考えなきゃいけないこといっぱいあるじゃん。
経済もそうだし、医療や環境、教育とかさ。年金もこのままでいいのかよ。
個人として出来ることだっていっぱいあるわけじゃん。
こんなんでいいわけ?こんなんだから中国にGDP抜かれるんだよ。どんだけ抜かれればいいわけ?不甲斐ないわ。
男もダメなのばっかりだけど、それに付込む女もダメだわ。マジでそう思う。
あー、マミちゃん(仮)にク○ニしたせいか喉がめっちゃ痛いし。最悪。病気とかほんと怖いわ。
ったく、クリスマスだからって女子大生もキャピキャピしやがって。どいつもこいつも。たまには俺みたいなお兄さんと話したら見識広まるぞ。
というか、単に右と左の偏った人間たちが議論してるからおかしな事になるんだろうと思うけど。
まず、文句言ってたのは右の人間で間違いないみたいで。それに教育委屈した形になってるように見えてるから左の人間が面白がらない。
で、左がいい感じの表現の自由だとかを出したり、また問題をよく起こしてる教育委が相手なので、
純粋に、はだしのゲンがどういう漫画でどのように取り扱われるべきか、についてちゃんと話ができてる人が居なすぎるのが今回の最大の問題点。
勿論言及してるtwitterとかもあるが、それが左意見のついで、のような風にしか見えないのが現状。
少なくともこれだけ平和になった日本で、平和ボケと言われようと、あれほどのキツイ絵を、小学生の早いうちから見せるのが良いかどうかは疑問なところで、
実際、同様に、きつい表現、というだけでR指定になっているものは沢山ある。
だから同様にR指定とまではしないが、小学校での閲覧を禁止するくらいは1つの判断としてあっても良いのでは、と思う。勿論、その場合、他にも同様の物があれば同時に禁止すべき。
だが、そのキツさが、戦争の悲惨さを物語り、小さい頃に、戦争は悲惨なものだと心から思わせる事も間違いではないかもしれない。
その辺りは議論の余地があるし、難しいところだと思うが、どちらにしろ教育委が1つの判断としてどちらかを選ぶことはそれ程問題ではないと思う。
むしろ、いくつかが対立して、まともに議論を行えれば更に良し(ま、教育委、ってレベルでそんなことは行われないだろうが…)
中学生くらいになれば、あの絵でトラウマの様になってしまう人も少ないだろうし、読む前にも読んでる途中でも辞める判断は出来るだろうから、
流石にやり過ぎだと思いますが。
元増田の考えについては全く逆だと思うのですが、まず
これはほんとに個人的見解に過ぎない。実際あの手の物でトラウマを抱く人は居る。小学生などではそれを読むこと自体を判断出来ないこともあるので、読まなければ良い、は通用しないので。
一方
なお、反戦に関しては、個人的にはたかが漫画を使うのではなく具体的なデータ及び記述でもって丁寧に教えた方がよっぽど良いと思います。情緒に反戦を訴えても意味がありません。
小学生に対してこのようなデータで示しても何も意味がありません。まだ、その様な論理を組み立てられる状態ではありません。
勿論考えながら道徳観やそういった戦争に対する見方を育てる事も必要ですが、まだ、実際にその様な物を見てどの様に考えるか、という点も含めて教育していく段階でも有ります。
はだしのゲンがその様な情緒を育てられるかどうかは別として、情緒的な反戦の訴えを行うことも1つの教育の仕方として正しいと思います。
俺は暴力シーンとは思わなかったが、なんらかの不愉快を感じたご家族がいるというニュースがほったんだからなぁ。
それこそ、個人の主観の問題で、R指定にしろPGにしろ暴力マークにしろホラーマークにしろ
もともと 撮ってる方は問題ないが、見ている方に不愉快に感じる人がいたから、ありますよ。見たくない人は視聴者側で回避してください。
というマークだからな。撮ってるの方の気持ちではなく、見た方の気持ちだろ、成立概念的に。
まぁ、正直、微妙なんじゃね? なくてもいいとは思うが、ほのぼのアニメと勘違いする人がいる。 といのは事実っぽいからな。
いちおうこの手のマークは 見る人が勘違いしないように という前提で 勘違いさせてはいけない という自主規制が存在している。という事実に基づくものだからな。
他方深夜という枠組みは 実質R15以上であるという前提に基づいているからな。エロ番組も深夜にあるだろ。
住み分けの問題であって、まぁ、つけるべきかどうかは 俺も迷うけど
不快に思った人がいるという事実は 真摯に受け止めるべきだろ。
映画は見た人間を楽しませるものであって、不愉快にさせるためのものじゃないからな。
個人の主観で、不愉快に思った客がいる という事実は事実だなぁと。
トラバした増田にはR指定と書かれているし、VガンダムにPG指定がついていた記憶もない
俺もTV版しか見てないけど、別に過去のアニメと比べて特別暴力的だった記憶もないし特別残酷描写が多かったとも思わないよ
展開が鬱よりなだけ
いやR指定(年齢制限)ではなくPG指定(保護者判断指定) さすがにR指定はやりすぎだ
PG指定がかかっていれば、子供に見せる前に内容を確認すべき内容が含まれているという事がわかる。 保護者同伴であれば見られる。
テレビ版しかみてないけど、あのマミさんの首チョンパって話題作りのための演出以外の何でもなかったと思う。
命の儚さとか、現実の冷酷さをみせつけるために、わざわざあそこまで、首から下がプランプランを影絵でみせる必要は感じない。
魔法だ魔法少女だ願いだ言ってても、死ぬときゃ死ぬんだな、ってことを伝えたかったわけ?
そうだとしても物語の主題である、願いと対価という問題にそれが必要かって言ったら、首を傾げる。
一人一人まどかになにかを伝えながらリタイヤしていって、ほむらとまどかの2人にすればよかっただけで、グロである必要はなかった。
さてそれはとにかくとして、あれをR指定しなかったら、なにをR指定するべきなのだ。
実写じゃなければ、どんなにグロだってエロだっていいんだろうか?
エロもグロもつくるのはいい、でも子供の目の届かないところにおくのがマナーでしょ。
それが出来ないから非実在青少年がうんちゃらってことになっちゃったことをもう忘れたのかな?
原作を知らない人でも、大人でも子供でも誰でも楽しめるように作るべきで、気分を害する人が出るような作品の場合、ちゃんと作品紹介のところにそれらしいことを書くかなにかすべきじゃん。
東京都青少年の健全な育成に関する条例の件だけど、感情的な意見が多くてちょっと戸惑う。
僕は今回の改正案には消極的賛成。意味のわからない言葉は消えたし、単純所持への罰則もなくなったし。恣意的な運用をされる危険性もあるけど、附帯決議で慎重な運用を求められてるから大丈夫じゃないかと思うんだけどな。
僕の理解では問題は表現を規制されることらしい。後マンガやアニメが貶められていることか。
ただ表現の規制っても「あんまりエロいのや不法行為があるものは青少年に見えないようにしましょう」ってことだよね。それを描くこと自体は規制されてないんだよね。
じゃあいいじゃん、って思う。きちんと年齢制限をかけましょう、という話だよね。それのどこがここまで大きな問題になるのかよくわからない。
それならR指定という制度にも同じように反対しないといけないんじゃなかろうか、と思う。
この条例に反対するなら、「なぜ青少年を主な対象とした雑誌にエロいことを描く必要があるのか」ということに対して合理的な説明ができないと説得力が弱いんだけど、そこを説明してる人はいない。
そもそも表現を規制することが問題だ、っていうのもあるんだろうけど、一昔前にバトルロワイアルの映画がR-15になって世を騒がせたけど、その後表現規制に繋がった?バトルロワイアルが見られなかったから成長に重大な問題が生じた人がいる?
もっと極端なことを言えば、江戸時代に春画が禁止されたけど、その後も表現規制が続いた?日本人に何か重大な問題が生じた?
結局はなぜ規制するべきなのか/してはならないのか、という双方の意見の根拠が曖昧なままだからここまで混乱するんだと思う。ただ、子どもの育成に定説がないように、どうすればいいのかなんて永遠にわからないんだと思う(ましてや「健全な育成」なんてね)
じゃあどうすればいいのか、っていえばあてにならない「常識」に当てはめて考えるしかないんだろう。今回の規制は今ある青少年向けの(一部)雑誌の現状を見るとしてもいいんじゃないかと僕の常識は判断する。そして冷静な理解と判断が必要だ。正直この手の熱狂は国籍法改正の件で懲りた。まとめWikiを信じるなら今頃日本は外国人だらけになってたはずなんだよね。
まぁ、足りない僕の頭で書いた文章だからいろいろ欠点があると思います。そこは謝ります。ごめんなさい。指摘していただけると嬉しいのですが、「冷静な」意見だとより嬉しいです。