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はてなキーワード: 自尊心とは

2018-11-13

anond:20181113100108

女が悪い とすることで、男の自尊心が傷つかなくて済むんだよ。

から奴らは、いつも女が悪いと主張する。

5日前、「フェイスブック」に以下のような文が上がった。

日帝時代朝鮮人強制徴用した主体日本政府だったのに、補償韓国政府しろと?日本河野外相がこのような妄言をいった根拠は、

1965年に締結した韓日協定である。当時も野党大学街が屈辱外交だといって反対したが、朴正煕はこれを推進した。

彼の政治的野心のせいで、歴史清算台無しになり、多くの被害者がため息をついた。首脳の間同士でも、

顔を赤くして怒るべきことは怒らなければならない。強制徴用補償の件については、韓日首脳は刺々しくなるしかないだろう。

からといって、私たちが屈服してはならない。日本中国には謝罪補償をしているのに、韓国のことは差別している。

対日屈辱外交朴正煕時代で終わらせなければならない。あえていうならば、国際情勢で孤立するのは日本のほうである

今度は私たち自尊心を失ってはならない。

以上は韓国首相の秘書室長(「チョンウンヒョン」)が自分フェイスブックに載せた文である

http://oboega-01.blog.jp/archives/1073129159.html

2018-11-11

小学生の頃、感情を抑えきれないワガママで暴れん坊だった。
結果、孤立した。

中学生になると、それに加えてエゴ自尊心肥大化した。ついでに体も。
当たり前だがイジめられて嫌われた。

高校生になった頃に、同郷がほとんどいない高校に進学し、ウェイ化した。
同時に自分からふざけることで笑いを取って結果的に好かれる(様に見えるだけだろうが)人間を目指した。ついでに運動部で鍛えて体を絞った。
小中の嫌われぶりが嘘みたいになった。でもピエロを演じ続けるハメになった。

大学に入ってからもしばらくそ路線で頑張った。が、結局抑えきれないエゴ道化師の振る舞いを求められる風潮に我慢できず、色々あって友人を失った。
情緒不安定メンヘラクソ野郎と化したが故に、不健康ガリガリになった。

仕事をしている。身の丈に合わないピエロ役も、感情を暴れさせるアンタッチャブルも、自分を苦しめるだけなので、自分を守るために得た手段感情表現を極力減らす事だった。
当然だが硬い人間と言われた。これなら嫌われない。もちろん好かれもしないけど、またやらかして失うぐらいなら最初からいないほうがいい。
体型はガリガリのままだ。

後輩に「ロボットみたいな人」と言われた。前の自分ならきっと怒り散らしてたかもしれないのに、何も感じなかった。驚くほど穏やかだった。

俺の正解はこれだったんだろうか。失敗して得られた答えと見て良いのだろうか。

2018-11-07

anond:20181107194327

自分質問しといて本題とはズレちゃうんだけど、その論法マジでよくない。

俺も「こんなとこ見といて~」とか「〇〇に書き込んでる時点で~」とかいレスしがちだったんだが

その場では自分に効いていないように感じても着実に自尊心的なものが削られていってると思う。

日常において人並みの自尊心を持てるということがどれほど大事か、ここ最近特に感じてるのでぜひやめてみてほしい。

2018-11-06

あー虎になりたい

あー臆病な自尊心尊大羞恥心に苛まれ挙句全てを放り出して蒸発した後に山道友達の頭に噛みつきたい

今日も女は

上昇婚気質シンデレラ願望も捨ててないしルッキズムの極地みたいな女向けがなんだって

ていうか女自身女向け漫画から離れまくってるんですけど

2018-11-05

anond:20181105023607

うーん。

どっちが先なんだろう?

それだけ高収入から自尊心を得られるのか、それだけ自尊心があるから高収入になれるのか

自尊心が得られる年収

統計調べたが

俺すげーって思えるのは2000万からだな

遠い

何かしら経営しなきゃ無理じゃん

2018-11-03

anond:20181103075441

エビデンスも何もない感覚だけど

日本人ってコミュニケーションが下手なんだよね(教育などの後天的な要素もあるかもしれないけど)。それで社会性を獲得できずに孤独に悩んだり、同町圧力などの軋轢の中でつぶされてしまったりする。人との関わりを持てれば自尊心も向上して生きようとすると思う。

anond:20181103071041

生きる意味を知りたければ、自尊心を育てるのがいいんじゃないかな

何ができても出来なくても、増田はこの世に生きていいんだよ

anond:20181103072221

普通の人には生きる意味なんて得られるわけないよ

から宗教があるんだよ

普通の人が普通人生を過ごせるように

日本みたいに自尊心を育てない文化だとほんと難しい

生きる意味を持ってる人は変人扱いだから

2018-11-02

多くのジャーナリストが「自分特別だと思ってるとわかった」

自尊心が高すぎて吐きそう

こいつらどうすればいいんだろう

2018-10-27

俺がお手軽に気持ちよくなるためにお前ら接待しろ

"たかゲームに何マジになっちゃってんの?"で自身能力の低さを直視せず自尊心を損なわない形で逃げることができるから

ある程度の習熟が必要ゲームはひとが集まらないよね

2018-10-24

anond:20181024141405

北方領土を取り戻せとか息巻いている、元島民以外の国粋主義者って何なんだろうね

あん僻地取り返した所でどうするんだよ

どうせそんなやつらは地方には興味なんか示さないし、何も落とさないと断言出来る

そもそも国後、択捉は千島列島に含まれから、もう日本には返還を主張する道理はない

自らの自尊心を満たすためだけに恥知らずな主張を繰り返す国士様は、せめて土にかえって畑の肥やしになってくれ

2018-10-22

anond:20181020212932

女もまた求められることによって女としての価値確認自尊心が満たされるわけで、それを何もせず待つだけで得られる不公平感に苛立っているのかもしれない。

2018-10-19

Twitterの死んだら負けって言うなが意味不明

なんかいじめたら負けって言えよみたいな

意味分からん

いじめたら勝ちってんなら分かる

だって、弱い奴をいじめることで強者になって自尊心が満たされる

根拠のない自身がつく

他人を使って自分が楽する方法を覚える

勝ちしかないじゃん

いじめたら負けって喧嘩してんのに殴った方が負けなんだと負け惜しみ言ってる幼稚園児みたいな発想?(笑)

全く持って意味分からん

そもそもイジメを負けとしたところでイジメられた側の何が報われるのか

イジメ自体も無くならない

全く持ってっ理屈に合わなくて頭悪いんだなとしか思えないんだが

anond:20181016023133

同様に女もセックス(というかセックスまでしなくとも「男から女として求められる」こと)によって、確実に「女としての自尊心が満たされる」わけだろ。

そうやって自らの自尊心を満たす道具として男を都合よく転がしておきながら、いざ付き合うだのセックスだの面倒なことになりそうになると、何ら悪びれることなく切り捨てる女ばかりを見てきた私からすれば、この元増田は私が過去多数見てきた憎むべき対象しか見えないな。

とはいえ、望まない相手ならば、その気持ちは察する。

自分にある悪い思考ルーチン:

・人との比較無意識にしてしまう > 他人自分に出来ないことを簡単にこなしているように見えて自信をなくす > 自分が出来ないので他人言動自分攻撃しているように感じていく

・突発で起きた問題に対して自分で処理できるだけの力がなく無力を感じてしまう > これが重なると自分勉強したり努力しても無駄なのではと感じてしま

・周囲に受け入れられていないと感じる > どんどん周囲とのコミュニケーションが難しくなってくる > 居場所がなくなる

・一時を我慢することがどんどん難しくなってきている > 頑張っても報われた経験がほぼなくモチベーションが湧きづらくなっている

自尊心承認欲求等を埋めるために暴飲暴食してしまったり、仕事でうまくいかなかったことを思い出して寝られず、体重増加+慢性的に体調を崩していく

どう変えていくか:

自分が何をやってもダメという思考だと、行動できなくなる / 何も出来なくなるのでこの思考からは何が何でも脱却する

 ・スキルシートを作る→出来るようになったことを付け加えていく

 ・毎週やったことを可視化して、うまくいかないこともあるけどよくなっていることを自覚できるようにする

 ・どうしても無理なら、一旦仕事辞めてリセットするのもアリ(行動できなくなる方がヤバイ

・焦らずに毎日ミスしたことや上手くいかなかったことの振り返り→具体的な改善行動を行う

 ・ミスの頻度を減らしていく→落ち込む回数を減らしていく

 ・考え方ややり方をどんどん変えていく→ずっと同じままはヤバイと思うこと

・周囲に受け入れられない=素直に謝罪する / 相手感謝することを、まずは初めの一歩として徹底する

疲れたら休む / 回復したら再度始める

 ・何も出来なくなるのが一番ヤバイので、限界になったら休む

 ・一度ダメになってもまた再度やり始めるでいい > 完璧求めない > 理想は低く設定する

・定期的に話を聞いてくれるメンター(信頼できそうな人)をつける

2018-10-18

毒親だと思っていた

これから書くことは、たとえ増田だって書く気はなかった。なぜなら、今毒親に苦しむ人を殴る文章からだ。

だけど、ビ・ハイアの件を知って考えが変わった。

毒親だと思っていた、この一言に尽きる話をこれから書きたい。

私の母は子供を殴る母だった。本人は躾だと言っていたが、例えば弟がした悪さなども姉である私が監督していなかったのが悪いという理由で殴られた。

から子供の頃の私は母が背後を通るだけで殴られるかもしれないと思って肩をすくめる生活をしていた。私の背丈が母に追いつく頃になると殴られなくなり、以前殴られたことを訴えると母の記憶からそれは消えていた。

私は殴らない父が大好きだったが、殴る母を止めなかった時点で同罪なのだと気付いた時、父もまた嫌いになった。

私は両親の悪口を口はばからない10代に育った。両親は私の口から周りの人へ伝えられる悪口に何度苦虫を噛み潰したことだろう。だが、私は両親が大嫌いだったのだ。悪口を言うことを何も悪いことだとは思っていなかった。

また、両親、特に母とは何度も怒鳴り合いの喧嘩をした。特に私の進学についての喧嘩は深刻だった。両親は女の私に勉強をして欲しくはなく、高校進学でも大学進学でもぶつかった。その度に私は両親を納得させるだけの材料を(嘘でも)用意した。高校進学の時は、大学には行かないから好きな高校に行かせてくれ、と。大学進学の時は、入学金だけ用意しえてもらえれば後の学費生活費は自分でなんとかする、と。

そして私は大学進学を機に家を出た。

自分も怒鳴らず、母の怒鳴り声を聞くこともない生活は初めてで、アルバイトと授業で忙しかったが、非常に穏やかな生活だった。最初の頃は。

スーザン・フォワードの「毒になる親」という本に出会ったのは多分この頃だったと思う。涙を流しながら読んだ。非常に得心のいくことばかり書かれていたと思うが、その内容は今となっては正直あまり思い出せない。

私の穏やかな大学生活はあまり長くは続かなかった。精神調子を崩し、授業に出るのが困難になった。生活がかかっているのでアルバイトだけはなんとか続けていたが、それすら休みがちになってしまった。

精神科にかかり、主治医はこの現状を両親に連絡するべきだと主張した。

私はそれを拒んだ。両親に、やっぱりお前には無理だったと言われるのが嫌だった。しかし、現状は困窮していき両親に病気のことを明かすことにした。

連絡は父にしたが、私は冷たい一言覚悟していた。だが、父はゆっくり直していけばよい、と予想外の返事をしてくれた。

そして私は投薬治療を受けながら、両親から金銭的援助も受けて6年かけて大学卒業した。

だが、大学をなんとか卒業できても就職はできなかった。私はその頃一人で生きて行く気力もすっかり失っており、卒業後は実家に戻り両親の元に身を寄せることにした。

あんなに嫌いで飛び出した家にまた戻ることがとても皮肉に感じられた。

そう、私はここまで両親に支えられててもまだ両親のことを受け入れることができていなかった。

しろ両親のせいで精神病になり自分の送りたかった人生から程遠い人生になってしまったと嘆いていた。

それから7年ほど、引きこもり、良くなったと思って働いては調子をまた崩して引きこもることを繰り返し、最終的に自殺未遂までして入院もした。

その長い間、両親とは時々ぶつかりつつも私は親に甘えて実家暮らした。何度仕事で失敗しても、帰る家があった。でも、親に対する感謝気持ち暮らしていたのではなく、この家にいるから私は治らないと思って暮らしていた。

そんなある日ネット何だか奇跡を起こしてくれて、私のここまでのどうしようもない身の上を承知の上で結婚してくれる相手を見つけることができた。そして私はまた家を出た。

それから一気にとは行かないが、パートナーの支えもあり上り調子回復し、今では幸せ生活を送っている。

そんな環境になって思うことは、私の両親は私が思い込んでいたほどの毒親ではなかったということだ。自分が辛かった時はあまり気づいていなかったが、肝心なところでちゃんと支えてくれていたのは両親だった。私が結婚して家を出ると言った時も心配こそしたもの最後には快く送り出してくれた。

正直な話、これをもって私の両親はちゃんとした親だったとまとめるつもりはない。子供を殴り、事あるごとに自尊心を削ってくる親であったことは事実だった。

しかし、私の人生の全てを邪魔するほどの親ではなかったこともまた事実だ。

少なくとも、私は私の両親をもう毒親だとは呼べない。

この感情を何と呼べばいいのかわからない。許しでもなく納得でもなく受容でもなく、でもその間にある何かだ。あえて名付けるなら、解毒かも知れない。

私の辛さは無かったことにはならない。でも、それを恨む心は消えた。

もちろん最初から何も辛いことがなかった方がずっといい。けれども、私は両親を毒親なのだと思うことによって余計な寄り道をしたような気がしてならない。

セフレへの片想いをやめた

10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリ希望もない恋だった。

好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢今日自分で選んだ。

好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。

特別可愛いわけでもスタイルいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意プライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。

好きだった人と同じ髪型だったかLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。

「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。

私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。

いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。

これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。

「変わった人だなあ」が第一印象だった。

その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。

2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。

それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいももう少し一緒にいたかった。でもその感情好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。

ホテル映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロール流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。

それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。

このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。

それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。

彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬オーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。

そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛アクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。

「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」

保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。

はいつまで経っても告白の返事をくれなかった。

告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。

「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。

8月14日お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。

ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後から」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。

それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。

すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ

ていったのは確かだった。

でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人SNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒さらに揺れて、そう長くは続かなかった。

「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿たことを思った。

そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所待ち伏せをした。

彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。

彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。

2月17日、たった1時間ちょっと時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。

2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。

10月16日。彼のSNSひとつに鍵がついた。もうひとつSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。

息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎキスをして、セックスをするんだろうな。

悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。

これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。

ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。

彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージ検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。

好きな人には、彼女はできていなかった。

「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。

喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。

好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。

彼の写真を消した。何度も見返したLINEも消した。

SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。

私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。

今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。

やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名日記にするくらいには悲しい。

本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子から絶対絶対絶対幸せになってね。

2018-10-17

蔑み耐性が低い自分

自信がないのか自尊心が高いのかわからないが、他者から価値の低いものとして扱われると傷ついてしまう。他者評価個人見解なのだから無視すればよいと思うが毎回傷ついてしまう。どうすればこの状態から抜け出せるだろうか。

2018-10-16

オタク自尊心なんていらないでしょって

いやなんか私オタクでーすみたいな感じでテレビに出てるやつとか陽キャの癖にオタクぶってるやつとかが嫌いなだけなんだけど

2018-10-15

虚偽の進捗報告に対する対策

虚偽の進捗報告をする人に対し、どうやって真相をたずねたら良いのだろうなぁ。

虚偽報告の防止策として、日頃から「When(いつまでにできそうか)」「What(何をしているのか?)」を注意深く聞くようにしているが、聞かれる側が反発してくるようなケースがある。

そのため、こちらの聞き方にも問題があるのだと思っている。

相手が「When」「What」などに答えなくなってくるとき、聞いてることと違う回答してくるとき、やたら言い訳が長いとき、などは虚偽の報告のサインかなあと思い疑ってかかっている。

相手自尊心配慮して虚偽報告をさせないためにはどういうアプローチがよいのだろう。ちなみに虚偽が疑われるメンバーには、個別ヒアリングしている。

2018-10-14

anond:20181014193453

仕事で何回もしたけど自尊心ゼロからあんまり気にならないな。

土下座謝罪の中でもかなり攻撃性が強くて

大したミスじゃないのについクセでやってしまうと逆に相手を責めるような感じになってしまって申し訳ない。

土下座よりも涙を流して謝るときの方が自分基準ではカッコ悪いのでキツい。土下座は恥ずかしくないけど泣くところを見られるのは恥ずかしい。

2018-10-13

逆に

勉強会で知り合った女性SEとの距離感間違えてキモい奴扱いされて自尊心傷ついた体験談の方が聞きたい

そっちの方が抑止力になりそう

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