はてなキーワード: モラルとは
社会問題になっている「シングルマザー」と「連れ子」と「内縁の夫(新しい彼氏)」のブコメで
「なんていうか、世の中には、完璧な、まるで瑕疵のない、他人に遠慮なく意見できる人が多いんだね。失敗した人に優しくする気のないモラルなんて、何のためにあるのか。」
っていうブコメがあるけど興味深く感じた。
現代社会では、年齢=彼氏・彼女なしの人は無視できない人数で存在し、
彼らにとっては、完璧で瑕疵がないことなど、殺人したことが1回もないぐらい、至って普通のことだ。
完璧な人は山ほどいる。
最近のインターネット(というかツイッター)はめちゃくちゃ鋭いので、思考の凝り固まった議員のツイートとか前時代的な主張をする記事が毎日そこら中で燃えている。確かに叩く側の考え方は進歩的でモラル意識も高くて正しいとは思うんだけど、誰も彼もに聡明であることを求めるのは無理があるような気がするんだよな〜〜〜
もちろん健康的な思考を広めることは必要というか、それを目指すべきなんだろうけど、でもそうじゃない人たちに対して感情的になるのは違うだろ、と思う。聡明でいるのってめちゃくちゃ難しいじゃん………年代が上がるほど過去の経験に縛られるだろうし、正直20代でも頭が悪いからそんなとこまで思いつかねぇよと思いながら固定観念を正したりもする。難しいな〜〜〜〜
手紙を書いても届かないだろうし、別に本人に届いて欲しくもないのですが、なんていうか、すごくモヤモヤしているので、匿名でこっそり書かせてください。
その方が事務所を辞めて、もうすぐ1年の月日が経とうとしています。
ついこの間、プライベートの写真が流出して、少し話題になりました。大したRT数ではなかったし、それに対する反応を検索してみましたが、その方を現在も好きな方たちはとくにその話題にも触れてはいませんでした。ホッとして、良かったような、悪かったような。
おおやけの場というか色々な人に見られるような場所ではなかったのは幸いかもしれませんが、とてもじゃないけど肯定できるような行為ではありません。
私は警察でも弁護士でもなんでもないし、写真上の情報をすべてに話をしているので、その写真において実際の罪の有無を判断できるわけではないです。
しかし、成人している大人がするような行為ではないなぁとがっかりしました。
私は、その方のプロ意識というか、ステージに立つ姿が好きでした。ステージ上で踊っているとき、誰よりもかっこいいと思っていたし、誰よりも輝いていると思っていました。
事務所のタレントの中では容姿端麗なイケメンキャラというわけではなく、3枚目というか、いじられキャラや面白キャラとして活動していたこともあり、時々自信がないのかな?と思うこともありました。
そんな中、同じ事務所のタレントとグループを組むことになり、活動していくうちに、以前よりも自信を持ったパフォーマンスをしてくれるようになったと思うようになりました。
今回の写真については、辞める前の時期で、その事務所のタレントとしての活動期間中だったとのことですが、彼が「面白さ」を求められるがままにモラルのない行為をみんなに「面白がってもらえるため」に自主的に行なっていたという事実に打ちのめされました。
その行為をするように指示されたということであれば、また別の問題かとも思います。しかし、写真を撮られたということは今も誰かのスマートフォンやタブレット類などに原画データが残っているかもしれないし、写真を撮影された時点で消去するように伝えるべきだったかもしれない。撮影する行為に気付かなかったにしろ、タレントとしての脇が甘いと思いました。
今後、彼の名前を検索した人はあの画像を見てしまうかもしれない。彼のことを好きなファンは「あの写真の人のファン」と定義づけられてしまうかもしれない。私だってそうです。「あの写真の人の元ファン」です。一生インターネットには写真は出回り続けるし、一生消えません。
正直、本当に情けないです。
世の中のゴシップ写真などに比べたら、こんな写真かわいいものかもしれないけど、私はこういう形の「面白さ」は求めていなかった。お笑い芸人がネタとして披露するのであれば、まだ理解できますが、君はお笑い芸人じゃない。たくさんのファンの期待を背負ったタレントです。
君がこれから先の人生において、この写真のことを後悔したってもう遅い、どんなに反省したって消えない。同じタレントの現ファンの方からは、私が考えすぎだよって思うかもしれない。
この先、モラルのない人間だとこれから君が思われることがあるかもしれない「きっかけ」ができてしまったことが辛い。
この行為について、庇ってもあげられない。自業自得だけで済めば、良かったかもしれないけど、君はファンや今までお世話になったたくさんの人の期待を今だって背負ってるってことを忘れないでほしいし、その期待がずっと続くなんて思わないでほしい。
君のことをずっと応援していきたいって思っていたけど、今は辛い。ごめんなさい。すごく好きだったよ。静かに去っていく方もいらっしゃるだろうに、このようなファンでごめんなさい。
今までたくさんの力をくださり、ありがとうございました。本当に感謝しています。
君のおかげで、今があります。
他のブラック企業と呼ばれるところに比べたらマシな部類と言われるのだろうけど、私にとって今の職場環境は苦痛でたまらない
全ての高齢者がというわけではないがうちの職場はモラルもマナーもないジジイどもの巣窟だ
会社の敷地内でなんでもゴミを燃やす、人がいるのに控えもせずに堂々とタンをそこらへんに吐く営業部長と会長
人が電話で話しているのに話けて返答を求める、女性数名も勤務しているのに男女兼用のトイレ一つと男性専用トイレ一つ
社員のボーナスや自分の傘下の会社で働いているのに専務(社長の息子)と経理の雑用(社長娘)には高級ベンツを買い与える
社長一族にはゴマ擦りまくっている幹部たちに自分の田んぼ管理やテレビの契約や自宅の雨漏り等プライベートなことを社員にさせる社長
等など…あげたらきりがない
なにより私はアスペルガー症候群の感覚過敏のせいで余計につらい
クーラーの風向きで匂いが漂うので人の体臭や口のにおい、タンを吐くときの音、ごみを焼くにおい、録に手を洗ってない汗埃まみれのおっさんから手渡された資料のザラザラ感…
とてもつらい
職場にはアスペルガーと伝えてあるが理解があるとは思えない対応をされるし感覚過敏に関しては最近自覚した程度なので会社の人たちは知りもしない
今年に入ってから自身の障害のせいでとても深いな目に遭い辞めてやろうと思ったことが数度あったがボーナスの言葉に惹かれたのと長期のお盆休みでリフレッシュできたせいかぐだぐだと未だに辞めていない
今年中には辞められたらいいなぁ
山梨学院大学で異常事態…「非常勤講師切り捨て」とモラルの崩壊(田中 圭太郎)
しかし私の興味を引いたのは、山梨学院大学が教育に重きを置いて高度な研究機関となることは目指さないと公言していることに対して、田中氏が以下の批判をしている点である。
言うまでもなく、大学の両輪は「研究」と「教育」であるはずだ。しかし「研究者は今後雇用しない」と受け止められる文言が、ここには堂々と書かれているのだ。
ツイッター上でも大学教員を中心に山梨学院大に批判的な声が上がっているが、大学の両輪は「研究」と「教育」である、というのは現代において言うまでもない当然の前提なのだろうか。例えば、『経済学部タチバナキ教授が見たニッポンの大学教授と大学生』(橘木 俊詔)によると、「アメリカの大学ではトップ50までが研究中心の大学、それ以外は教育中心の大学と二分化」されているようである。教員のキャリアも、それに応じて研究中心と教育中心のそれぞれのスペシャリストとして専門分化しているようだ。
また日本においては、大学教員が研究に重きを置くと第一線での研究活動は多忙を極めるので、学生の教育がその合間になるという実態がある、と氏は指摘する。そこで日本においても米国と同じく、研究中心か教育中心かのいずれかに教員のキャリアも分岐していくだろう、と氏は予想している。
世界トップの学術業績を出している米国の大学が研究中心と教育中心に分業しており、加えて研究を重視する教員による教育が手薄になりやすいという日本の大学の問題意識を考慮すると、山梨学院大が教育中心に舵を切るという方針は、大学の存在意義を否定するものとは言い難いように思う。少なくとも「言うまでもなく、大学の両輪は「研究」と「教育」であるはずだ」の一言で終わらせるのではなく、研究中心と教育中心に分化した場合にどのような弊害が生じうるのか、そして米国ではどのような弊害が生じたか、など丁寧な議論を展開した上でこの方針を批判するべきだろう。
俺も似たような状況にある。在日3世でクォーターかもしれない。
かもしれないというのは、確固たる証拠がないからで親には聞けていない
親子ともども国籍は日本で、一般的な家庭で日本人として育てられた。
自分が生まれたときには祖父の一人は既に亡くなっていて、残りの3人の祖父母は物心つくまで健在だった。
自分がもしかして在日なのかもと思い始めたのは、社会人になってからだ。
面と向かってあなたは在日ですかと言われたことはない。ただ、周りの反応や扱いが、この人は在日なのではと思われてるような感じが度々あった。
違和感を感じてなぜそう思われるのか考えてみると、たしかに名前がそういうニュアンスを含んでいるように思えるし、身体的特徴も暗示しているような気がしてきた。
親に聞けていないのは、もし仮にそうだったとしたら親はこれまで隠してきているわけで、今更そのことを明らかにしても自分は多少スッキリするかもしれないが、そのリスクを冒すほどのメリットを感じられないし、勇気が出ない。
このことで一番困っているのは、会社などで所謂嫌韓を自称するような人(会社という半分(?)公の場でそういう信条をどうどうという時点で相当アレな人という気がするが)が、悪意を持って接してくる点である。
そういう人から面と向かって在日なのかと問われたことはないのだが、そう思っている節があり、皮肉や悪意を感じるときがある。ちなみに会社には在日ではなく明確に外国人籍の社員もいるのだが。
面と向かって問われれば否定したり、対応したりできる部分もあるのだが、勝手にそう判断されてそういう扱いを受けてしまうと議論やコミュニケーションが発生しないのでとても居心地が悪いし、コントロールしようがない。
自分はこの話を結婚する前に妻にだけは相談したことがある。妻にも、自分がそうかもしれないという確度でしか話せていないが、反応としては「そうなんだ〜」という以上のものはなかった。内心ではどういう思いがあったのかは推し量ることはできないが、ともかく否定はされなかったのでほっとした。
正直、自分の出自に関してはコントロールしようがなく、今更どうにも変えられるものではない。
ただ、これを起因として生きづらさがあり、今後増していくのであれば、それを納得感を持って受け入れることは難しい。
30年くらい前は中韓は良くも悪くも日本の中でそれほど存在感がなかったと自分の人生では感じているが、今は中韓は日本の中で悪目立ちしている。
まだ、自分のポジションを中韓側に持つことができれば救いがあるかもしれないが、一般的な日本の教育を受け日本的な価値観を持つ自分としては、基本的に日本の側に身を置いている。
日本の側に身を置いているが、日本の側からは相手側だと思われると、立つ瀬がないのである。
そして、自分の身も心配だが、自分には子供がおり、子供が将来同じような目か、それ以上にひどい目にあうことは絶対に避けたい。
日本の側の身を置いてはいるが、今の日本の状況は決してよくないと思うし、2~30年後の将来は経済、知的レベル、モラル、環境などの点で今より良くなっているとは思えない。
最後、少し話が脱線してしまったが、まぁ、どこにも吐露しようのないものを排出したかったし、同じような境遇の人がいるのであれば状況を共有したかったというところです。