はてなキーワード: ドッペルゲンガーとは
故人に語りかけるような、独り言のような、そんなとある曲がマジモンの追悼作品と知った。
作者とともに破滅的な青春を送っていた友人が数年前に死んだらしい。
トレインスポッティングやNHKにようこそみてーな世界もある所にはあるんだな。
SNSで遠巻きに見てた高校生が死んだのを思い出した。ぼちぼち一年半くらい経つ。こちらがボーっと生きてる間にも歳の差が開いてく。
数フォロー圏内でこっちから一方的に眺めてただけ。多分向こうはおれを知らない。でも思考回路といい趣味嗜好といい、コイツは別の世界線を生きる自分なんじゃねえかって思ってた。インターネットでたまに巡り合うドッペルゲンガー。
不登校になったり転校したり留年したり、色々あったらしい。一回り上のオタク連中から面白がられてた。見世物感覚とマジの心配の半々。
自分も紙一重でそういう生き方だったのかもしれない。フツーをやれる能力があったのか、重力に抗えなかっただけなのか。結局まあ大学で躓いちゃったけど。
不安に気づかないほど鈍感でもないし、気づかないフリ出来るほど我慢強くもないし、取り除けるほど賢くもない。分不相応に思慮深い、よくいる愚かな人間。
それでも学校行かない分バイトを始めてみたり、絵を描いてみたり、フォロワーのオタクと会ってたり、生きる事に全くの無気力ではなかったらしい。高認の勉強もしてたらしい。オタクと馴れ合いつつ、人生もぼちぼち進めて安心したいって。
そうやって抗ってる中で、楽しい時間が全くない訳じゃない。でももっと底の方の気分は常に晴れない。そんな感じのことをこぼしてた。
おれが同じ立場ならバイトの応募なんて出来なかっただろうな。案外行動力はあったのかもしれない。じゃなきゃ自殺だってしないだろうな。
人身事故なんて滅多にない地域で、10代男性死亡。最後のツイートはその駅のホームの風景。これで別人ならとんだゾディアックだな。
意識的なものじゃなくて、死ぬ時の気持ちっていうのはもっと切迫してんのかな。希死念慮とは長い付き合いだけど、未だに死んだ事はねえから分からん。
これはただの怠けなのか?生理的問題を抱えていて、それは対処が可能なものなのか?有効な対処がないのなら、救いはないのか?
みたいな悩みをずっと口にしてた。
はっきりナントカ障害という訳でもなく煮えきらない診断がおりてからも、「障害」を烙印と思ってかなり気に病んでたっぽい。
おれもそういう時期あったな〜〜
でも結局障害かそうじゃないかっていうゼロ百じゃないんだよな。
性格と障害なんてはっきりと線引きは出来ない。する意味もない。その境界にこだわるより、何ができるのかを考える。ごく当たり前かつ重要な気付き。それは理屈じゃなく、自分の時間と身体を使って納得を得なきゃ辿り着けない。そうでなきゃ、今度は鬱かもしれない。自律神経失調症かもしれない。HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……なんて、いくらでも別の「可能性」にすがれちゃうんだよな〜〜
とか思ってる間に死んでしまった。
アニメの世界に行きたいって言ってたな。おれも行きたい。物語があるし。永遠だし。
止まった時間に守られて永遠に老け込むことはなくなったし、現実よりはちょっと近づけたのかな。でもやっぱ死ぬだけじゃ随分と廉価版になってしまうか。異世界転生してアニメの萌え女になれてたらいいよな。全くの虚無じゃ味気ないし。地獄行きがあるなら多分お互いそうだろうな。
おれが死んだらこっちが後輩か。アニメのアイコンしか見てないから姿は分かんねえな。
彼のことは自分を見る鏡のようにばかり思ってたかもしれん。死ぬにも生きるにも振り切れないところに、歳も近く自分みてーな奴が死んだことに光すら感じてたかもしれん。 もうちょっと社交性があったら自分とは違う所も知れたのかもしれんな。楽しく生きるのってそういうのが面倒で嫌なんだよな。
https://anond.hatelabo.jp/20240503232218
いつか自分のブログで書こうかなと目論んでいたんやが、オタク特有の「ネタバレで傷ついちゃったの僕ちん」をSNSで見過ぎて胸焼けして躊躇してたんや。意図して見てるわけやないんやが、お気持ちばかり見てると、マジで不快すぎるわ。だからちょうど見ないっていってる方の庇を借りてダン飯について書いてみるやで。ネタバレバリバリの予定やで。たまにそういう文章を書かないと死ぬやで。
こういう好き好きあーたまらんって暴走するオタクうざいーって、全員静かに「◯話のファンアート良かった」って呟くだけのSNSないかなぁ…
以降は、下手なコピペも嫌いななんJ語もどきもやめて書きやすい文体で記す。
アニメは現在18話「シェイプシフター」まで終わる。1ネタ1本でやった。これまでわりと2本立てのペースだったので意外だった。とくに純ギャグなのになかなか気合が入っていた回。次、19話ではイヅツミがパーティーに加わる。猫忍者。たぶん放映直後からファンアートであふれることになるだろう。決定事項。
イヅツミ役は神戸光歩さん。「明日ちゃんのセーラー服」の蛇森生靜役など。声は良かった。予想以上にイヅツミの声だった。
コミックでいうと6巻の終わりあたり。
このあとずっとほぼ25話?まではファンアートになるようなビジュアルショックの連続になるだろう。
イヅツミ回のあとかイヅツミのときの2本立てになるかさだかではないが、イヅツミ登場のあと幼女マルシルも登場する。ここらへんもファンアートまみれだろう。
そして次はイヅツミセクシー回というかサウナ回。だからマルシルやセンシもSEXOOOOになる。
そして重要なカナリア隊が出てくる。ファンアート天国にさらに拍車がかかる。そこからカブルーのキャラが俄然立ってくる。SEXOOOOになる。なんでカブルーがこんな人気なのかわかる。あとカナリア隊の隊長も人気出るだろう。
カナリア隊の隊長は、薬屋のひとりごとの猫猫やフリーレンのユーベル的な人気になるんじゃなかろうか。中二心にズキズキときそう。ただ本格的な活躍は次のクールからだろう。
ベストは8巻のベーコンエッグまで。区切りがいい。クリフハンガーでありつつも次への目的まで提示されるから。なおかつ次クール。あるのはまちがいない。そうなるとシーズン開始早々度肝を抜く展開になる。なんとしてもそうしたいところだろう。
だからバランス配分としてシェイプシフターをゆっくり丁寧にやったのは大丈夫かなと思った。この先すべての回は伏線になりこれまでの伏線は丁寧に回収されていきつつも、スゴイ!を覆うかのようにギャグをまぶしていく。まさかチェンジリンクがギャグだけじゃなくて話にも重要なネタになるとは思いもよらないもんな。シェイプシフター回にしてもそうだ。この回がネタフリになる大爆笑が次クールに待ち構えている。1番好きなシーンだ。放送はされるだろうセンシの過去編のマルシルの奮闘もぜひアニメの動きでみたい。
アニメ版は原作に忠実であるにも関わらず、きちんと動きと声や音が入ることで相乗効果がすごく付加されている。つかみとして未だに円盤のCMに使われてるマルシルの「ヤダー!」とそのあとのブレイクダンスはそのいい例だわ。いまだにそこだけみたくなってみてるもの。シェイプシフターを魔法でぶっ飛ばすときに爆風をくらってライオスがキリキリ舞いしているところはすごく笑える。それをきちんと描画している九井諒子画もすごい。
Netflixである吹替版。英語吹き替えが非常に秀逸で、日本の吹き替えをすごくリスペクトしており空気を完全に再現しておりそうと知られなかったらそのまま海外制作の作品ではないかと思うほど、わざとらしさがない。
公式のガイドブックとらくがき本があり、それが設定集でありつつセルフファンアートででもある。これを目に通すと生半可なファンアートだと恥ずかしくてドッペルゲンガーみたいに正体を現してしまうだろうから読みないほうがいい種族もいるだろう。12巻登場。
しかし、全14巻の10年続いた長大に思えた物語は1ヶ月半の出来事なのがすごすぎる。毎日あのスケジュールで毎回一生に一度あればいいようなイベントが続いていたのだな。
次回作は14巻の最後の最後に登場しそうでしなかったチルチャックの三人娘のスピンオフが読んでみたい。
ガイドブックには主要キャラの細かい設定やエピソードショートマンガがあり、センシのドワーフ仲間や結局なんだったのかよくわからない存在であったフィオニルとドニ(バジリスクに襲われたがライオスに助けてもらった)の設定やその後まで書いてある。
なぜか作者が激推ししているカナリア隊のパッタドルが日本の熱い食べ物を淡々と食べてるマンガもいい。主要キャラ全員がサンタコスしているのも作者のこだわりがあって楽しい。こういう楽しさがあるからダンジョン飯はたまらないのだ。見ない人間は終わっている。
というよりか、学歴も職歴も資格も、手に職もないままに、年齢だけ重ねてしまった、社会不適合者の虚無感が、マジでやば過ぎて恐ろしい。
この僕にしても、ちょっと油断しただけで、虹の橋が見えてきて、生きた心地がしなくなる。
だからこそ最近は、自宅でひとりきりの時も、シャドーボクシングならぬ、シャドートーキングとして、目の前にドッペルゲンガーの僕がいると想定し、ひっきりなしに喋るようにしている。
もしくは、僕の作業部屋――、後ろでいつも見守ってくれている、グッドガイ人形のチャッキーに、「おめめパッチリで可愛いな」「おまえのクレイジーさを見習うぜ」などと話し掛けて、心を上向かせてゆく。
要するに、『セルフトーク(心の声)』の狂気版であり、なるべくアホでポジティブな話題を、たった1人の時にもばら撒いて、頭を前向きにバグらせる……という寸法。
ではなぜ、これらの事を全力でやるのかと言えば、いつだって鬱々しさのスタートは、『自分の視線が脳に向かう感覚』『意識が内側に閉じこもる感覚』から始まるゆえ、思いつきの言葉を物理世界に投げ込むことで、悩ましさから脱出するのだ。
それだけじゃなく、なるべく貧乏揺すりをしたり、部屋の中でも歩き回ったり、横になる時間を減らしたりして、自動的な思考を止めるようにしている。
正直な話、なんの安定感もない暮らしの為、横断歩道を渡っているとき、4トントラックで跳ねられたくなったり、交番の前を通っているとき、発狂した警察官に射殺されたくなったりと、「そろそろ魂を休ませたいな」と、しょっちゅう願ってしまう。
これってのは、鬱症状だとか、考え過ぎだとか、そうした個人の問題ではなく、社会病理――是正されない格差の問題だ。
たとえばアメリカでは、学歴の格差、経済の格差により、尊敬されたり、感謝されたり、愛し愛されたりする機会を損失し、やり甲斐をなくして不健康になり、そのままぶっ倒れてしまう事を、『絶望死』と呼んでいるらしい。
よくよく思い返してみれば、そんな別大陸の話をせずとも、僕たちが住む日本――『氷河期世代』以降の人々はとくに、薄給の非正規がゴロゴロといて、ストレスだらけで暴飲暴食し、孤独な日々で自暴自棄になり、身も心もズタボロであるから、「続々と早死にするのではないか?」と言われている。
稼ぎを得る体力/知力/精神力も……技術も人脈も資金力もないとなれば、年々、生命力が衰えるごとに、より不安定で貧窮した暮らしになりやすい。
こうした現実を直視すると、「不幸のどん底に堕ちる前に、若年性のぴんぴんころりで、さくっと全てが終わったら良いな」と、巨大なる虚無感に襲われる。
だからこそ、頭のネジを外して問題を起こしまくるか、死んだ魚の目でぼけ~っと過ごすか……そうやって自分の心を守る為に、極端に生きがちになる。
よく世間では、『中庸こそが幸せの秘訣』と叫ばれる――「何かに偏らずに、真ん中の道をゆっくりと進もう!」という教えだが、そんな悠長な事は言っていられない。
統計的に見ても、経済的に困窮した弱者は、健康を害しやすく、孤独を来しやすく、早死にしやすいからだ。
――そうは言いながらも、闇雲に生き急いでしまうと、ちっちゃなミスを連発し、コツコツと修行できなくなり、周囲の人間をないがしろにし……などなど、より一層、ピンチを招きやすくなる。
だからこそ僕は、カオス型の幸福論――『矛盾を愛する、混沌を愛する、狂気を愛する』、そんな姿勢を磨き上げて、ぐちゃぐちゃな日々に突入しても、それを全てネタにして物を書き、腹の底から喚き散らして、己が生きている全時間を、無条件で肯定してゆきたい。
ちなみに、僕がハマっているお笑い芸人、ヘッドライトの町田(50歳/男性/独身)は、寝る間を惜しんで、バラエティ番組を片っ端から録画し、DVDの整理整頓をし続けている。
しかも、バイトとダビング作業で忙しいゆえ、録るだけ録っておきながら、ろくに視聴していないらしい。
もはや録画の為の録画であり、ただの惰性というか、「きっと将来に役立つんだ」「大事な物なんだ」と固く信じて、心の安定を得る為の、儀式みたいなモンなのだろう。
こうやって頭をバカにせねば、売れていない現状で目が痛い……
年齢的な厳しさ――など、
ちなみに15歳未満は出場できないので仲邑菫(14)は選考外
なお仲邑菫のライバルである中国天才少女・呉依銘五段(16)と韓国天才少女・金恩持六段(16)は出場している
男子団体戦(9月29日~10月3日)一力、芝野、井山、関、佐田
キャプテン。めちゃ強い
兄は龍之介二段
他の棋戦では下のほうで負けたり強いのか弱いのかよくわからない人
アジア大会代表を決める戦いで伊田篤史とのドッペルゲンガー対決を制して代表に内定
スリッパを履いたまま家に帰ろうとする天然
終盤のヨセが正確
ハンマーパンチで相手の大石をまとめて撲殺して大勝を狙う豪快な棋風
見てて楽しい
https://www.youtube.com/watch?v=U2sRNUi-fLs
上野愛咲美の妹
最年少メンバー
Youtubeで解説ライブがないのが残念だが棋譜中継はここで見れる模様
https://jgof.or.jp/19th_asiangames_go/results/mi.php
現地速報X
https://twitter.com/kidowebnews
https://www.youtube.com/live/F-ivvkGlZ8U
台湾代表にはあの黒嘉嘉もいる
ヤバくね?
「人類全員で0~1兆までの数字を想像して、どれか5桁が他の人と被っている人達はドッペルゲンガーなので対消滅してもらいます」
みたいなもんだと思う。
ちなGPT先生の計算によると人類の18.68%が死滅します。
60億人の人が0~1兆までの数字を想像して、そのうち5桁が他の人と被る可能性は何%ありますか?
0から1兆までの数字は、1兆個の異なる数字があります。そして、5桁の数字は10万個の異なる数字があります。したがって、60億人がそれぞれ5桁の数字をランダムに選ぶ場合、重複した5桁の数字が生じる確率は、以下のように計算できます。
(10万 / 1兆) * ((10万 - 1) / 1兆) * ((10万 - 2) / 1兆) * ((10万 - 3) / 1兆) * ((10万 - 4) / 1兆) * (60億)
ここで、最初の項は、最初に選ばれた5桁の数字を他の人が選ぶ確率、二番目の項は2番目に選ばれた5桁の数字を他の人が選ぶ確率、以降の項は同様に考えられます。最後の項は、全体の人数(60億人)です。
この式を計算すると、重複した5桁の数字が生じる確率は約18.68%となります。したがって、60億人が0から1兆までの数字を想像する場合、5桁が他の人と被る確率は、約18.68%となります。