はてなキーワード: 風景とは
年を重ねるほどに、日々の風景や人々の様子を観察するのが趣味になってくるものです。最近、私が特に気になるのが「止まりスマホ」。(これは私が勝手に作った造語です)
歩きスマホは危険だと言われることが多いですが、私にとっては止まりスマホの方が遥かにストレスを感じる現象です。
例えば、駅の中。スマホを取り出し急に立ち止まってその場で固まって止まりスマホをするビジネスマン。空いている時間帯ならまだしも、混んでいる時間だと普通に邪魔です。
狭い歩道で止まりスマホをしている人がいてもまた迷惑です。「すみません」と声をかけて避けてもらえればまだ良い方で、スマホに夢中でふんわり無視されることもしばしばあります。
ある日、私が某家電量販店で欲しい物探して店内を歩いていると、目の前の商品の前に一人の女性がスマホを持ちながら止まっていました。しかも向いているのは商品の側ではなく明後日の方向。待っても、待っても動かず、一向にその場から動く気配もありませんでした。
なんとなく商品を見ているわけではないなと思いながら、すれ違いざまに見えた画面には青い鳥が去ったばかりの某SNS。やはり商品の比較検討をしているわけではなかったのです。
オンラインで簡単に購入できる時代、わざわざ店に足を運んで商品を選ぶこと自体が一つの価値です。その場所で止まりスマホをしている人たちに、私は「わざわざそれを買いに来ているんだけどな」「それって今やること?」と内心で悪態を吐き続けています。
歩きスマホ啓発運動のように、止まりスマホについても啓発運動があって然るべきとも思えます。歩きスマホはなんだか不道徳な行為という雰囲気になっていますが、それよりも私は止まりスマホで石のように邪魔をされるのが嫌です。
コンビニに買い物に行ったら、レジの順番がどうとかでアルバイトと思しき若いお兄ちゃんに大声で絡むオッサン。
ようやく終わって店を出ていったかと思えば、わざわざまた入ってきて再度そのお兄ちゃんを大声で呼びつけ、また何か言い始める。
よくある風景かもだけど、こういうのってたとえ正当な言い分があるのだとしても、店内で大声でわめくのは単純に営業妨害じゃないのか…。
日常風景を背景にした主人公の語りから曲がフェードインするの好き好き大好き
オープニングの最後でポーズとったハルヒがそのままモノクロのロゴになるの好き
蛇足だけど冒険でしょでしょがEDっぽい雰囲気でハレ晴レユカイがOPっぽい雰囲気なところも好き
作中の季節変化に合わせてタイトルロゴの背景色が淡く変化するの大好き
イントロの切り方で微妙にAパートの尺調整してるところも丁寧な作りで好き
本編の進捗に合わせて歌ってるメンツが増えていくのが良い
TARI TARIと似た演出だけど話数が進むとメインキャラクターの絵が追加されていくのが好き。似たような演出多いけど、これは追加されていく絵を描く工程そのものがエンディングアニメーションになってる
季節違いの同じシーンを2ループすることでクラスの仲が深まっている様子を表すのが良い。本編はコメディなのにエンディングは物悲しい曲調でアニメーションもモザイクタッチなのが独特で良い
どういう考え方で被害を打ち明けた人を叩いているのかがわからない
・性被害を受けた人がいる、しかも多くは子供でそれを構造的に組織がそれをやりやすいようにしていた
・偉大な人がすることだから、仕方がないからと組織が見て見ぬ振りしていた(しかも血縁関係がある人間が)
という話で
ジャニーズという『組織』が悪いという話しかしてないし、いまキャンセルされているタレント自身も被害者だとはみんなわかってる
本当かわいそうだと思う
組織としてタレントを矢面に立たせて謝罪させたりファンに目配せしたりするんじゃなくて
さっさと『企業』として、タレントではなく上の人間が責任をとる必要があり
被害者救済と再発防止、その再発防止には名前を変えることまで含まれるかも(いま海外でワインスタインの名前を冠したままで仕事が来るのは考えにくいのと同じ)
キャンセル企業だって被害者救済と再発防止の取り組みをちゃんとしてくれ、といって今のままでは無理とはっきり声明出してキャンセルしたとこもあるし、それが全て
自分にも好きなものがあるし、その運営も長く続いた会社だし個人的な愛着もあるけれど
タレントという推しが活躍できなくて運営の名前や存在が枷になるなら自分にとっては運営より推しが第一だし
推しと同じ立場にかつていた人、もしかしたら推し自身も被害を受けた可能性がある状態を作っていた運営ならさっさと解体されてほしい
ジャニオタこそ推しの活躍奪いやがってと企業と一緒に運営を問い詰めるべきなのではと思うし
ジャニオタがそうすることが一番強いと思う
クラスにSAPIXに通う優等生から知的グレーの子までいる。知的障害には明白なボーダーラインがあるわけではなく、黒に近いグレーから白に近いグレーまである。
小学校の学習内容は1年生から等量ではなく、4年生くらいから急激に難しくなる。俗にいう小4の壁。
算数でいうと分数や少数が出てきて、四則演算をやっていればよかった低学年とは異なる。
うちのクラスのグレーの子は低学年でも勉強は怪しかったが、4年生以降は壊滅的だ。
一方で、トップクラスの子はSAPIXに通い、中学受験に向けて周りと隔絶した学力をつける。
圧倒的な学力を持つ子は不遜な態度を取るようになる。優越感だろう。
この地区は高級住宅街なので、外国人は少ないし、問題も起こさない。区によって苦労は違うだろう。
公立小はこのように能力的にかなり格差がある子達が同居してまわっていく。
この子達が中学→高校→大学と進むに従ってこの周囲の格差はなくなり、均質な周囲との付き合いになっていく。同レベルな人たちしかいなくなる。
社会人になって約10年
交友関係が全く広がらない...
X(Twitter)やインスタに撮った写真載せてるけど、いいねもフォロワーもコメント全く増えん
趣味のコミュニティに属したいけど、誰からも誘われもしないしどうしたらいいかわからん
一人で行動するのは苦じゃないけど、同じ体験を誰かと共有したい
どうすればいい??
占領米軍の性暴力に触れた増田に影響されて「帝国日本の戦時性暴力(京都大学,2013)」という論文を斜め読みし始めたんだけど、第1章のテーマが、いわゆる「銃後の妻」の浮気についての話でそっちが面白くなってしまった。そもそも、出征した兵士も自分の奥さんが浮気してんじゃねーかと気になって仕方なかったみたいで、前線から実家近辺の警察とかに問い合わせる奴が相次いだらしくてまあ悲喜劇なんだけど、「このままじゃ兵士の士気がヤバい!」てことで、全国で警察が極秘に、予防のための講習会を開いて妻らを組織化したり、名簿作って「浮気してないか」監視をしたり周辺に聞き込みしたり、妊娠したら本当に旦那の子か調査したり……と、隣近所、地元、妻同士、警察と何重にも監視の目を行き届かせたらしい。その上、いざ実際に浮気が起きたら兵士本人には知らせず、かといって姦通罪は親告罪であるため、間男を「住居不法侵入」という名目で処罰していた(たとえ妻が了承しても「戸長」たる夫の許可がない住居の立ち入りは不法侵入にあたるという理屈らしい)とか、いろいろ苦労して浮気を防ごうとしたらしい。ああ、「銃後の妻の貞操」つーのは、こうやって国家が必死こいて作り出した神話だったのかー……という奇妙な納得と言うか感心というかが得られて、なかなか有益だった。
いや、なんか当時を扱った小説とかでも、戦時中の出征兵士の奥さんてなんか妙に貞淑に描かれてるイメージがあるじゃん? で、それが「戦前の道徳教育」のおかげ(逆に言えば”戦後風俗の乱れ”)みたいなこっちの勝手な思い込みがあったんだけど、そんなの思いこみだよ、と頭を小突かれた気分で、やっぱそういう”美しい”話というのは大体神話に過ぎないということを再確認させられたのだった。
なお、実際のところは、そうやって警察が取締りしてさえも、結構な数のかーちゃんが浮気したらしい。まあ、生命の危険のある状況に若い男女がおかれたらそらそうなるやろ、って感じで浮世の道理である。下は内務省資料、引用は上記論文から。
出征兵士の奥さんで浮気する奴がいていろいろヤバいので、こっそり呼び出して注意したり間男を転勤させたりとかヤバい処置したけど、その件数が全国でもうヤバい。
(原文)
不義の悪評ある留守宅に対する措置
応召者妻にして留守中素行不良にして風評に上る者ありて一般遺家族への影響及出征者の士気等も顧慮し適切なる方策を講ずる要あるもの時に発生する状況にあり、因つて之に対し隠密の間に説諭を加へ、或は姦夫の雇傭主と懇談を為し之を他に転ぜしむる等の方法を講じて遺家族及び出征者の名誉保持に善処したる事例は瀧川警察署管下其の他に於て相当数に上り居れり。(内務省警保局,1939)
まあ、実にグロテスクな話である。とーちゃんを兵士に送り出して浮気するかーちゃんがグロテスクなんではない。間男でも、それを取り締まる警察でもない。ただ、それらを含んだ戦時の風景が全体としてグロテスクとしか言いようがないんである。戦争を美しいというのは、よほど頭のネジがぶっ飛んでいるか、それともメディアに手もなく踊らされている奴だけだ。
きっと私自身が旅に出ていないのよ!
車に乗ってさ、
どこか知らない道を走っていて、
ナビが右です!て言うじゃない、
そんなナビの音声ガイドを疑いながら本当にここ右?って
そんなことがないから旅している感じがないんだわ!って思ったのよ。
人は旅に出たいなぁーって思っているから、
なので、
知らない道をナビゲーションシステムを頼りに疑いつつ走ってみたいのよね。
そんで、
行きずりのドライブウェーにでもよって見知らぬ土地の定食のお味噌汁でも飲みたいのよね。
とにかく知らない道を走りながら
一時でも時間を忘れることをしていたいのよね。
そういう移動の感覚、
疲れるけど移動しているんだなぁー遠くに来たんだなぁーって思うのよね。
1回さー
先端にちなんだところに行ってみたいのよね。
なおのさらの助よ。
流れて行く風景を感じながら土地の風の空気の香りを感じながら、
そんな行き先も決めずに最先端の所へいってみたいわー。
時間があったらって
いつ時間があるのかしら。
そう思うとシクシクって泣いちゃいそうだけど
涙の数だけ強くなるでお馴染まないぐらい岡本真夜さんなのよ。
ゲームとかでさ
最近は簡略化されていて、
だからちゃんと移動する街から街へと真面目に歩いて行かなくちゃいけないロールプレイングゲームだとせめてものダッシュは付けて欲しいのよ。
フィールドとかのワールドマップではダッシュできないところは、
まだここは発展の余地がある最先端が足りないところかも知れないわ。
まあとにかく私は最先端の見たことのないところへ言って見知を広めたいなぁーって
そう言うことに憧れて旅をしたいわ。
私も言いたいのよ
旅はいいもんだなぁーって
そう言いたくない?
私は言いたいわ。
うふふ。
やったー!
いやもとい
ヤッピー!
食べたいと思ったときにタマゴサンドがない現象って名称を付けて欲しいぐらいよ。
今日はだからタマゴサンドを意識しないで意識しないでというとまったくの嘘になるけど
いやもとい
ヤッピー!って感じよね。
感動!
今朝は朝が早かったので、
パッと飲んで行くわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
確かに、人生後半には前半とは異なる楽しみ方や新たな可能性が待っています。以下に、独身者向けの人生後半の楽しみ方のアイデアをいくつか挙げてみましょう。これらは一般的なアイデアであり、個人の好みや状況に応じて調整できるものです。
新たな趣味や挑戦: 人生後半には、新しい趣味や挑戦を始める絶好の機会です。例えば、アート、音楽、舞台演技、スポーツ、料理、旅行など、今まで経験したことのない分野に挑戦することで、新たな興奮と楽しさを見つけることができます。
ボランティア活動: 後半の人生は、他人の役に立つための時間やエネルギーを提供する素晴らしい機会です。ボランティア活動を通じて、地域社会や支援が必要な団体に貢献し、達成感や喜びを感じることができます。
学びと成長: 後半の人生でも学びと成長は重要です。新しいスキルを身につけたり、興味深いトピックについて学んだりすることで、脳を活性化し、知識を深めることができます。
旅行と冒険: 後半の人生になると、時間や経済的な余裕が生まれることがあります。これを活かして、世界中を旅して新しい文化や風景を楽しむことができます。冒険心をくすぐる旅行プランを考えてみるのも良いでしょう。
創造性の表現: 才能や創造性を活かして、自分のアイデアやストーリーを表現することも素晴らしい楽しみ方です。執筆、絵画、音楽制作、手工芸など、自分の内面を表現する手段を見つけてみてください。
リラックスと癒し: 忙しい前半の人生から解放された後半は、ゆったりとリラックスする時間を持つことができます。ヨガ、瞑想、温泉、読書、自然の散策など、心身の健康を大切にすることも大いに楽しいことです。
新しい人間関係: 後半の人生でも新しい友人や恋人を見つけることができます。趣味や共通の興味を通じて出会い、新たな人間関係を築くことで、人生に新たな充実感を加えることができます。
以上のアイデアは、人生後半における楽しみ方の一例です。重要なのは、自分自身の興味や価値観に合った楽しみ方を見つけることです。